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ホーム > アキンド探訪  > 共感性と独善性 ー 「現場」と「経営陣」の終わりなき対立

皆さんどうですか、やっていっていますか。
 
僕はこれまでニューアキンドセンター様の連載では「とにかく人間は裏切る」というお話を執拗にして来ました。しかし、それでも僕は複数人数での起業を否定するわけではありません。分業というのは人間の非常に強い能力ですし、個人の力には当然限界がある。そういう立場に立ちます。本日はそういうお話になります。「一人で創業しよう」とお考えの皆様、是非ご一読いただければと思います。
 
ところで、「ジキルとハイド」みたいな経営者って見たことありませんか?ニコニコと感じよく喋っていると思ったら、ちょっとしたきっかけで激昂して怒鳴り散らすような人、結構いますよね。中小企業のワンマン経営者に特に多い気がします。好感を持たれる人物造詣とは到底言えませんが、あれは経営者における適応の形ではないかと僕は思っています。本日はそんなお話です。

個人の限界について

人間はしくじる生き物です。もちろん僕もしくじりますし、僕以外の皆さんも結構しくじります。部下であれ、あるいは下請けの業者であれ、誰かに命じた仕事が常に100%完遂されるなら、世の中これほど楽なことはありません。「部下がトチる」もありますし、「下請けがトチる」も非常によくあることです。
 
人間は完全な生き物ではないので、市場のあちらこちらでは常に大惨事が起きているといっても過言ではありません。仕事というのは絶え間なく発生するトラブルをすんでのところで乗り切っていくことの繰り返しです。
 
何もかもが予定通りには行きませんし、想定外の事態は常に発生します。「下請け先がトチったので、依頼人であるあなた自らが現場に急行して事態を収拾した」そんな経験は、社会人ならかなりの割合の皆さんに覚えがあるのではないでしょうか。
 
しかし、この「事態の収拾」において問題が起きます。というのも、「とにかく現場をなんとかする」という業務の一方、「失敗の責任を下請けに取らせる」という業務も同時に発生するからです。しかし、これを一人で同時にやろうとすると容易にそこには「人間の限界」が露呈します。

共感性と独善性

下請け発注元の関係、あるいは上司と部下の関係においてもそうですが「叱責」と「フォロー」という二つの業務があります。失敗した下請けに、あるいは部下に共感的に振舞えば振舞うほど「フォロー」は上手くいくでしょう。
 
「気にするな、とにかく一緒にこの状況を何とかしよう」というやつです。誰だって炎上した現場を短期間で収集する仕事を請け負ったら、まずはフォローする対象に対して共感的に振舞う努力を試みると思います。対立を大きくして余計な時間を食うわけにもいきません。
 
しかし、仕事というのはそれだけでは問題があります。同じミスを繰り返されても困りますし、ミスによって損失が発生した場合などはその保障の金額なども詰めなければいけません。この場合は「共感的」に振舞うことは得策とは言えません。「おまえの責任だ、詰め腹を切れ」と要求する必要があるわけです。
 
共感性」と「独善性」というのは相反する性質ですが、仕事をする上ではどちらもとても強く必要になります。「あなたにも事情は色々あるのだろうけれど、それは私の知ったことではない」と言い切るべき局面はあります。
 
部下に対してであれ、下請けに対してであれ、人間的共感を排して叩き切らなければいけないことはあるでしょう。その一方、余計な対立を起こしてはならないときは煮えたぎる腹を抱えて、共感的に振舞わなければならないこともあります。こうして、経営者は分裂的な性格を育てていくのだと思います。

共感と独善に人間が引き裂かれる

一般に「共感的」であるのは良いこととされています。失敗した部下に、トチった下請けに「気にするな」と常に言ってやれれば、それは本当に素晴らしいことでしょう。しかし、ちょっと考えれば無限にお金を持っているのでもない限りそんなことはできないということがわかってきます。無限にお金があるなら起業をする理由はありませんよね。
 
この問題に企業はどう対処しているかというとそれはとても明瞭で、「分業」することで対処しています。通常、業務上のミスが起きた時それを打開する現場部署と、事後処理や補償などの交渉を行う部署は別に設けられていますよね。
 
例えば、あなたの家の配管が故障してお部屋が水浸しになった時、現場の修繕にやってくる人と水浸しになった家具の賠償額を交渉する相手は別の人でしょう。これが同一の人物だった場合、とても大変なことになるからです。
 
現場担当者には多くの場合「共感性」が求められます。「この度は申し訳ありませんでした、本当にすいません。すぐに修理いたします。賠償につきましては弊社の別部署と交渉していただければと思います。私もなるべくお客様のご意向に沿う形になるよう、上に伝えておきます」こういうやつです。
 
サラリーマン経験のある方なら、大体は使った覚えのあるテクニックですよね。「それは私の仕事ではありません」と言えるだけで、仕事はとても楽になります。労働者は大体これでいいのです。それ以上の負荷を抱え込むべきではありませんし、経営者は抱えこまなくて済むようにマネジメントするべきです。そのために複数の人員がいるのですから。
 
しかし、その「それは私の仕事ではありません」で逃げられない立場もあります。「経営者」という立場です。会社に「経営者の仕事ではない業務」など存在しないからです。経営者が現場業務を兼任している場合、これは本当に地獄です。自分でやらかしたミスを自分で収集し、同時にその相手と賠償額の交渉をする。これは、本当に苦しく、また不利です。クライアントに寄り添いたい共感性と、少しでも交渉を有利に進めたい独善性の間で人間が二つに引き裂かれることになります。

「共感」を要求する人間と、ワンマン独裁者の合理性

人間は大抵の場合、「私に共感しろ」と要求してきます。実際、仕事というのはその多くが他者に「共感的に振舞うこと」です。接客にせよ営業にせよ、お客様への共感抜きにしては成り立ちません。しかし、「交渉」の場においては共感的に振舞ってばかりもいられません。人間というのは、大体の場合「少しでも得をしたい」という原理で行動していますので、共感し過ぎれば相手の要求を丸呑みさせられます。
 
自ら現場に出る経営者」において、このジレンマは最大になります。現場のプレイヤーというのはお客様に寄り添いたいものですし、必然的に判断も共感性に寄って来るでしょう。
 
社長が現場に出てくる会社の仕事は値切りやすい」。大変性格の悪いお話ですがこれありますよね。ちょっとした瑕疵をつついて値切るにも、目の前に社長がいれば非常にやりやすい。だから、大抵の会社の社長という存在はそう簡単には飛び出してこないのです。社長が「共感しないこと」に徹することが可能な形を築き上げていれば、それだけ経営判断は正確になるでしょう。
 
ワンマン経営独裁者」は明確に合理的です。世間ではかなり嫌われる人物類型ですが、僕はあの状態まで会社を持っていけた経営者を心から尊敬します。あれは「共感性」に引きずられて経営判断を誤らないためのひとつの最終回答です。
 
「現場」はどうしても共感に引きずられ、会社の利益よりお客様へのサービスや、ことによっては自己利益を切り捨てた恭順を選択しがちです。その方が楽だからです。それにストップをかける立場である社長は、共感性の一切を切り捨てた「独裁者」であることが最も合理的なのです。

一人社長はどうすればいい?

さて、経営を行い、同時に現場にも自ら出る社長。創業の際はどうしてもこの形になることが多いでしょう。僕もそうでした。そのときに我々はどうすればいいか。答えは簡単で、人員が複数いないなら、一人が複数人分の仕事をこなすしかありません。冒頭の「ジキルとハイド」はこのように生まれます。過剰な共感性と過剰な独善性、異常な人当たりのよさと強烈な酷薄さを併せ持った人間はこのようにして形作られるのです。
 
経営者をやっておりますと、程度の差こそあれ必然的に人間はこうなります。他者に取り入るための過剰な共感性と、いざという時に「おまえのことなど知ったことか」と切り捨てる独善性の両方を具備する以外に僕は方策を思いつけませんでした。
 
しかし、これは非常に精神的な負荷の大きい仕事です。この点を仕組みとしてシェア可能というだけで、複数人で創業するメリットは非常に大きいといえるでしょう。もっとも、人さえいれば上手にシェアできるとは限りませんけどね。このお話はそのまま「現場」と「経営陣」の終わりなき対立のお話でもあります。

あなたは「共感」の人ですか?「独善」の人ですか?

さて、経営者に求められる資質として「共感」と「独善」という二つの言葉を使ってきましたが、これは人によって適性が大きく分かれます。「共感」が非常に苦手な人もいますし、「独善」をやることがどうしてもできない人もいます。それは人間の性質として仕方がないことです。しかし、経営者は人間ではないのでこの問題を解決しなければいけません。
 
自分がこのいずれに偏っているかを認識することは非常に重要です。「独善」に偏っている方は共感を求められるフェーズが苦手でしょうし、「共感」に偏っている方は他人に損をさせてでも自分が得をすることを目指すようなガチガチの交渉になるとまったくの無力です。
 
敏腕営業マンが自分の会社を持った途端に沈んでいくという悲劇を僕は見たことがありますが、あれは「営業」に求められる能力と「会社経営」に求められる能力の差から生まれた悲劇ではないかと思います。
 
部下を抱えた場合、現場はどうしても「共感」に偏ります。現場マンは自分の給料とお客様へのサービスを考えるのが手一杯で、通常会社の利益についてなど考えられません。それがむしろ普通なのです。現場が会社の利益を考えて行動してくれるなら、そもそも経営者が不要だという話になります。しかし、現場業務をこなしながら同時に会社の舵を取る経営者はそれではやっていけません。
 
人間やめますか?経営者やめますか?そういうお話です。
 
さて、「他人は裏切る」しかし「一人でできることには限界がある」この矛盾を以下に乗り越えていくか。是非、創業の前には考えてほしいと思います。僕はそれを全く考えなかったツケを今払っています。やっていきましょう。
 
 
 
人間やめますか?経営者やめますか?

 
 

この記事を書いた人

1985年生まれ、早稲田大学卒業後金融機関勤務を経て起業するが大失敗。 現在は雇われ営業マンをやりながら、ブログを書いたり ツイッターをしたり、フリーライターをしたりしています。 発達障害(ADHD)持ちです。そちら関係のブログもやってます。 Blog http://syakkin-dama.hatenablog.com/ Twitter https://twitter.com/syakkin_dama

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