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ホーム > アキンド探訪  > 山の上の新聞社⁉地元に愛される「地域新聞」のつくり方

ローカル新聞の雄、神静民報社に行ってきた!

ニアセの本拠地は小田原にあるのですが、同じく小田原で活躍する地域新聞があると聞き、お話しを伺うことにした。
 
小田原駅からバスで20分。途中からはぐいぐい山道を登っていき、船原というバス停で下車。
バスを降りると、目の前には畑。その先には山が連なる。
 
畑の間を細い道が山へ向かって延びており、その道の入り口の電柱に「神静民報社」の看板を発見。
降りるバス停が間違っていなかったことが分かって一安心。
 
しばらく歩くと、神静民報社の看板を発見。そしてその先には社屋を発見。

早めに到着しすぎて、道路でウロウロしていた我々を社員の方が発見し、社屋の中に入れてくれた。
やさしい。執務室の中はこんな感じです。

設備は一般的なオフィスと同じ。でも、そこはかとなく感じる「田舎のおじいちゃんの家」感。
 
奥の部屋でインタビューを開始。ローカル新聞の社長ということで、頑固で高圧的な人を勝手に想像していたが、失礼な質問にもバシバシ答えてくれる気さくな社長さんでした。

 
 

 
 

神静民報の歴史

 
―まず、神静民報の歴史を教えてください。
 
社長:創刊は1946年の2月。長く小田原の市長をしていた鈴木十郎さんが、私の祖父の田中要之助(元神奈川新聞 初代小田原支局長)に「ローカル新聞を出さんか?」と勧めたことがきっかけです。「地域を良くするには、地域紙がなければいかん」と言って。鈴木さんは読売新聞、朝日新聞で記者として働いていた人だから、郷里に新聞を作りたかったのかもしれないね。
 
歩いてきたの?遠かったでしょ。
前は小田原市栄町の繁華街に本社があったんです。ある時、新聞を2ページから4ページに増やすことにして、印刷機ももっと大きいのが必要になったんです。土地も高いし、どうしようかなと思ってたところで、この土地に巡り合った。ここは県西地域2市8町(小田原市・南足柄市・中井町・大井町・松田町・山北町・開成町・箱根町・真鶴町・湯河原町)の中心で、どこの取材に行くにも便利。空気も良いしね。シカ出るけど。


 
―シカ出るんですね。田中社長は3代目ということで、入社した瞬間から社長だったんですか?
 

社長:そんなわけないでしょ。もともとは保険会社で数年間サラリーマンをしてから、28歳頃に神静民報に入社しました。記者として働いてから、父が亡くなった後に引継ぎました。36歳の時です。
 
―新聞を創刊してからどのくらい経つんですか?
 
社長:創刊72年目に入りました。


 
―歴史がありますね。
 
社長:いえいえ、小田原は「創業100年」など歴史ある老舗も多いから、まだまだですよ。

72年も続けられた理由と今後。電子版は?

 
―なぜこんなに長く続けられることができたと思いますか?
 
社長:やっぱり「地域に生かされてきた」、ということに尽きますね。景気が悪い時でも広告を出してくれる中小企業さんも多くて、恐る恐る集金に行くと、「おたくの分は取ってあるよ」と1万円を渡してくれたこともあります。地元には「地域新聞は必要だから、生かすために取るよ」と言って下さる方もいる。
 
―地元との結びつきが強いんですね。
 
社長:本当にそうだね。東日本大震災の時、ガソリンが品薄でどこにも無くなったでしょ?取材ができないと頭を抱えていたら、地元の方がまだガソリンがあるガソリンスタンドをこっそり教えてくれて。それで無事取材ができたってこともあったね。そうして生かされているから、私も「新聞を届けなくては」という使命感が湧いてくる。同じく震災の時だけど、計画停電中は自前の発電機を動かして編集から印刷までやったんだよ。印刷機は電気が来ているときに動かすから、停電中に編集作業をやらなくちゃならない。その時は、裸電球の灯りを頼りに作業したよ。
 
―発電機?なんでそんなモノを自前で持ってたんですか?
 
社長:うちはカレンダーの赤い日(休日)以外は毎日、新聞を作っていて、とにかく新聞を届けることにこだわりがあるから。できる準備はなんでもやっておこうってことだね。この前の大雪でも、大手新聞は配達ができないところもあったけど、ウチは四駆のスタッドレスタイヤでガンガン販売店に新聞を届けることができたんだよ。ふふふ。
 
―凄い執念ですね…
 
―神静民報は日刊紙と「ぴ~あーる」というカラー版を発行していて、いずれも紙ですけど、電子版は出さないんですか?
 
社長:電子版ね。検討はしているんだけども、採算と人数の面から今のところ難しいかな。地域新聞で電子版というと、他の地域でもうまくいっていないと聞く。だから、まずはこの県西地域2市8町でしっかりと紙の発行を続けていこうと思っています。

小田原競輪はスゴイ⁉最近の小田原

 
―最近の小田原の調子はどうですか?
 
社長:地方都市はどこもそうかもしれないけど、小田原駅も駅前はシャッターが下りたお店が目立つようになっちゃったね。
社訓に「地域社会の繁栄に尽くせ」というものがある。地域の企業や人がいなくなっちゃったら、うちの新聞も無くなっちゃう。地域活性化のために何かできないかは常に考えています。例えば、小中学校向けの俳句大会を開いたりしています。地元の子供がたくさん応募してくれて。今年は2,000人くらい応募してくれるんじゃないかな。地元の教育委員会も協力してくれています。
 
―地域活性化と言えば、小田原競輪場で開催している「神静民報社杯争奪戦」って、神静民報が関係しているんですか?
 
社長:もちろん、関係してます。元々は2006年に日刊紙の60周年記念事業として始めて、震災のあった2011年を除いて毎年開催しています。
 
―社長も車券買ってガッポリ…?
 
社長:買ってませんよ!小田原競輪は小田原市に収入面でかなり貢献しているんです。1949年の開設以来880億円。例えば小学校だとすると40校分になります。
 
―すごい金額ですね。

新聞社ならではの「怖い体験」

 
―新聞社ということは、誰かにとって都合の悪いことでも書くと思うんですが、怖い思いをしたことは無いですか?
 
社長:そうですね。良いことも悪いことも書くから、書いたことの反対側の主張を持った人たちから殺気のようなものは感じることがありますよ。最近は少ないけど、直接電話がかかってくることもありますね。でも、それは新聞社だったら少なからずあることですから。
 
―怖いですね。
 
社長:初代社長の頃はもっと怖いことがあったと聞いています。鉄砲を持った若造が乗り込んで来たとか。初代社長が「俺はもう50過ぎてるし、いつ死んでもいいけど、おめえさんは20、30だろ?牢屋に何年ぶちこまれると思ってるんだ?」と諭したら、帰っていったって。
 
―映画みたいなお話ですね。

〇〇から編集長というサクセスストーリー。記者兼編集長の出口さんにも聞いてみた

次に実際に日々取材に走り回って記事を書いている記者の出口さんにお話しを聞きました。


 
―出口さんは記者兼編集長ということですが、元から記者志望だったんですか?
 
出口:いや、特に記者志望ではありませんでした。この会社にはパソコンのサポートをしに来たんです。アルバイトで。そこから色々手伝っているうちに、記事を書くようになって、今に至ります。
 
―アルバイトから編集長に!サクセスストーリー。

記者の1日

 
―1日はどんな感じの流れになるんですか?
 
出口:朝会社に来て、取材に行って、帰ってきて記事を書いて、組版をして…
 
―組版までやるんですか?
 
出口:そうですね。小さな会社なので、1人1人が色々なことをやります。新聞が刷り終わった後の確認も仕事です。

大変だったことは?

 
―大変だなと感じることはありますか?
 
出口:一番大変なのは印刷ミスですね。社内で印刷までやるので。そんなにしょっちゅうあるわけではないのですが、さかさまに印刷されてしまったり、日付を間違えてしまったりすることがあるんですよ。夕方印刷機を回して、出来上がったものにミスが見つかるとショックが大きいですね。そういう時はみんな無口になります。
ただ、自前の印刷機があるメリットも勿論あります。急に大きいニュースがあって載せたいときに、無理が利くんですよ。外部に委託しているとそうはいかないですよね。
 
―他に大変なことはありましたか?
 
出口:大変なことばかり聞きたがりますね。うーん。あんまり無いですね。社長なにか言ってました?
 
―震災の時に裸電球で作業して大変だったと…
 
出口:あー。ありましたね。震災の時は確かにそうでした。自分は震災直後に記者仲間で声を掛け合って、陸前高田で現地取材してきたんです。そこで現地の悲惨な状況を目の当たりにしたので、それを見てしまったら、うちの会社の苦労なんて苦労ではないな、と。本当に悲惨でしたから、向こうは。
 
―説得力がありますね。

歴史ある印刷機を見せて頂いた

応接室で取材を終えた後、別の建物にある印刷の現場を見せて頂いた。印刷機は15年ほど使っているものの、まだまだ現役とのことこの機械を使って、毎日毎日新聞を刷っている。今の時代に自前で印刷機を持つことは、費用の面で必ずしも合理的とは言えない。「新聞を届けること」に並々ならぬ執着を持つ社長の強いこだわりを感じさせる。

編集後記

全国紙ですら販売数の減少が言われる中、地域密着で発行を続ける地域新聞。社長が何度も繰り返していたのは「地域に生かされている」ということ。地域の人が神静民報を生かし続けたいと思う理由は、「地域の人たちのために毎日新聞を届ける」という地道な活動と努力を知っているからだ。72年もの長きに渡ってこの新聞が続いてきたのは、この「地域との相思相愛の関係」が理由に他ならない。「地域密着」と言うのは簡単だが、実際に実現できている会社は多くは無い。まずはその地域のことを知り、誠実に向き合うことが大切ということを教えられた。

 
 
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この記事を書いた人

商売繁盛を応援するWebメディア・ニューアキンドセンターのセンター長。 もっとエッジを効かせたい、もっとトンガリたい。どうぞよろしくお願いします。

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