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宮城県の廃墟「化女沼レジャーランド」を知っていますか?

宮城県にかつて存在した遊園地「化女沼レジャーランド」。今は廃墟となり、静かに新しい買い主を待っています。その歴史と現在、なぜ復活に向けたクラウドファンディングはとん挫してしまったのか。
 
持ち主の後藤孝幸氏から買主探しを依頼された「廃墟マニア」鹿取氏に語っていただきます。
 

夢見る若者が実現させた「化女沼レジャーランド」

戦後、焼け野原となった宮城の仙北平野を眺め、人々に希望を与える娯楽施設を築こうと夢みる若者がいた。古川商会の二代目、後藤孝幸氏だ。ガソリンスタンドや貸しビル業など、様々な事業を手広く展開するが、ずっと夢を追い続けていた。
 
1979年、ついに夢を実現させる。宮城県古川市(現在の大崎市)に総合レジャー施設「化女沼保養ランド」を造り上げた。観覧車やメリーゴーランド、ゴーカートなどを備えた遊園地のほか、ゴルフ場やホテル、野外コンサート場も併設した。その後、「化女沼レジャーランド」に名前を変えた。
 
行政や大手企業に頼ることなく、後藤氏の独力で開園に漕ぎつけたが、その苦労は生半可なものではなかった。連日銀行を駆け回り、資金を集めた。遊園地の遊具も、後藤氏が直接アメリカやヨーロッパに出向いて買い付けてきた。
 

▲廃墟となったゴルフの打ちっぱなし。このほか6ホールのゴルフ場もあった。▲廃墟となったゴルフの打ちっぱなし。このほか6ホールのゴルフ場もあった。

 
開園後は、東北では数少ない遊園地とあって、連日多くの人で賑わった。週末にもなると家族連れが列をつくり、ランド周辺には渋滞も発生した。なかでも1,000人を収容できるそうめん流しは、化女沼レジャーランドの風物詩となった。今でも地元では「遊園地のことは覚えてないけど、そうめん流しだけは覚えている。」という人も多い。
 
そうめん流しとは、流しそうめんとは異なり、円卓中央の水槽の中でそうめんがグルグル回るというもの。ランド内には、専用の円卓が数百基備えられていた。
 

▲そうめん流し 参考画像▲そうめん流し 参考画像

 
野外コンサート場では、ゴダイゴなど人気歌手のコンサートも度々行われ、全国から数千人のファンが押し寄せた。あるコンサートの日、台風が接近していたため中止を決定したが、ファンの女の子に泣かれて、仕方なく数人のためだけにコンサートを行ったこともあった。その日のことを後藤氏は「大赤字でしたよ。でもね、お金のためだけじゃないですから。商売は。」と、笑顔で振り返る。
 
年間20~30万人が訪れ、たちまち宮城を代表する人気スポットになった。後藤氏は多忙を極め、寝る間を惜しんでイベントの準備などに追われた。
 
順調に動き出した化女沼レジャーランドだったが、徐々に苦戦を強いられてくる。渡り鳥の飛来地として知られる化女沼の畔にあってロケーションは最高だが、アクセスは決してよくなかった。東北新幹線の古川駅からも、東北道の古川インターからも10キロほど離れている。
 
また、元々人口の限られている東北では、特にリピーターの存在が大きな鍵となるが、独力で開園したため資金と時間に余裕がなく、設備の増設が出来なかった。
 
レジャーが多様化し、海外旅行へシフトしていった時代背景もあって、来園者は急激に減少。1990年代後半には、入場者が1ケタという日も少なくない状況に陥った。資金繰りが悪化し、持っている土地も全部担保に入れたが、2001年、ついに閉園のやむなきに至った。
 
戦後から追いかけ続けてきた男の夢は、20年ほどで儚く消えた。
 

▲廃墟と化した化女沼レジャーランド▲廃墟と化した化女沼レジャーランド

 
 

私と「化女沼レジャーランド」の所有者・後藤氏の関係

遊具が錆びつき、荒廃した雰囲気が漂いはじめた2010年、私は後藤氏とはじめて出会う。当時、NHKで放送されていた「熱中人」という番組で私が密着取材を受けることになり、ロケができる廃墟を探していた。
 
とはいえ、廃墟というのは、所有者にしてみれば不名誉な遺物で、ひっそりとしておいてほしいのが本音だろう。それをテレビで放送するなど、とても許可してくれるものではなかった。
 
東海地区から全国へエリアを広げ、許可の取れる廃墟を探していた時に行き着いたのが、化女沼レジャーランドだった。後藤氏は快く撮影を迎え入れてくれたのだ。
 
ちなみに、化女沼レジャーランドは廃墟化した後も、映画『スープオペラ』など、撮影地として度々使われてきた。なかには困ったこともあって、某テレビ局の「映っちゃった系番組」のロケに使われた際、根も葉もない事実を放送され、“心霊スポット”の汚名を着せられてしまったのだ。テレビ局の作り話、デマだというのに、信じている人も多いようだ。
 

「夢も一緒に引き継いでくれる人が現れるまで」 化女沼レジャーランドにかける後藤氏の想い

ロケ当日、廃墟と化した化女沼レジャーランドを2日間かけて探索しながら、後藤氏の話を聞いた。
 
「ここにはね、遊んだ人の思い出と私の夢がギッシリ詰まってるんですよ。そのシンボルである遊具は、どうしても撤去できなかった。できればまた遊園地にしたいんです。それが無理でも、みんなが喜ぶ場所にしたい。
 
遊園地の遊具は中古でも高値で取引されるため、早々に撤去されることが多いが、後藤氏の強い意志によって遊具が残されていたことを知る。こうした後藤氏の思いに触れ、胸が熱くなった。また、後藤氏はこうも語った。
 
「俺があと10歳若かったら、金を集めてまたやるんだけど、もう歳だから。土地は売りたいけど、切り売りはしない。夢も一緒に引き継いでくれる人が現れるまで、遊具を残しておく。
 

▲化女沼レジャーランドに対する熱い想いを語ってくれた後藤氏▲化女沼レジャーランドに対する熱い想いを語ってくれた後藤氏

 

私に何かできることはないか考えた

こんな話を聞いて、心が動かされない人なんているのだろうか。できることなら、私がここを遊園地として再興したいと思った。閉園した当時とは、事情も大きく変わっている。
 
車で1分ほどの距離に東北道のスマートICが完成し、交通の便は大幅に改善された。閉園後に温泉を掘削し、源泉も湧いた。これが温泉マニアも唸るほどの良泉で、宮城県のみならず、東北随一と評されている。これは、やり方によっては何とかなるのではないか。
 
そんなことを思ったところで、私には先立つものがない。どう考えても億単位の買い物になるので、日々の生活にあくせくしているサラリーマンとしては、どうしようもなかった。複雑な思いを抱えて、ロケを終了した。
 

▲筆者も温泉に入浴。野湯状態だが、泉質は折り紙つきだ。▲筆者も温泉に入浴。野湯状態だが、泉質は折り紙つきだ。

 

「化女沼レジャーランド」が再びNHKで取り上げられる

それから4年が過ぎた2014年、NHKから連絡が入った。「新日本風土記」という番組で化女沼レジャーランドを取り上げたいが、所有者と連絡がつかないので紹介してほしいという内容だった。
 
私は2010年のロケ以来、個人的にランドを見学させてもらうなど、後藤氏と連絡を取っていた。すぐにNHKと話を繋いだ。放送では、化女沼レジャーランドというより、後藤氏が主役になっていた。あえて廃墟を残している熱い想いや、豪快で人情味あふれる人柄に、NHKのスタッフも惚れ込んだのだろう。当の後藤氏も放送を気に入ったようで、私にまでお礼の電話をくれた。
 

廃墟の所有者から廃墟マニアへ、まさかの依頼が

放送後の2015年春、後藤氏が名古屋まで私に会いに来てくれた。電話ではなく、直接お礼が言いたいのだという。
 
当日、宮城のお土産をいただき、思い出話にも花が咲いた。そして、後藤氏がおもむろに分厚い冊子を取り出した。表紙には“化女沼レジャーランドの概要”と書かれている。
 
「私ももう歳だから、ランドを手放そうと思う。そこで、夢を引き継いでくれる人を、ぜひ鹿取さんに見つけほしいと思って来たんです。」
 
これには正直、ビックリした。敷地は45,000坪あり、温泉の源泉も付いてくる。どう考えても、高額な不動産取引だ。その売り先を、不動産と全く関係のない化学系技術職のサラリーマンである私に、依頼してきたのだ。それも、廃墟の所有者と廃墟マニアという関係でしかないのに。
 
無理だと思いますよ、とお伝えしたが、これまで何度も廃墟の見学を受け入れてもらい、何一つ恩返しができていない。無理と分かっていても、出来るだけのことはやってみようと心に誓った。
 

▲廃墟の所有者(右)が廃墟マニア(左)に売却先探しを依頼するという前代未聞の事態に。▲廃墟の所有者(右)が廃墟マニア(左)に売却先探しを依頼するという前代未聞の事態に。

 
とはいえ、私にできることといえば、せいぜいホームページで宣伝をしたり、廃墟マニアの口コミで情報を広めることぐらいだ。土地に興味のある人も来るかと思い、見学会も催したが、何の反響もないまま1年が過ぎた。
 

「廃墟の買い手募集」がみるみる拡散。殺到する取材依頼

2016年9月、何気なくツイッターでつぶやいた。
 


 
このツイートがみるみる拡散され、翌日には5,000リツイートを越えていた。廃墟マニアが廃墟の所有者に頼まれて、廃墟の売り先を探しているというのが面白かったのだろう。そこへ、テレビ局とネットメディアが飛びついた。取材依頼が毎日くるようになり、1週間ほどで全国ネットの民放全局で放送された。
 
テレビの影響力は大きく、メディアからの問い合わせと同時に、土地に関する問い合わせも舞い込んできた。テレビで化女沼レジャーランドの売り先を探していることを知ったとしても、ネット環境が一切ない後藤氏と連絡を取ることはできない。ネットで検索してヒットするのは、私のメールアドレスだけだった。私が化女沼レジャーランドの総合窓口になったのは自然な流れだった。
 
最終的には、化女沼レジャーランドの問い合わせ先として、全国紙に私の携帯番号が掲載された。土地に興味を示した不動産会社、エネルギー商社、地方自治体など、10社ほどから問い合わせをいただいた。なかには、分散開催される東京オリンピックの選手村にできないか、というお話もあった。
 
その都度、電話で話したり、資料を郵送するなどして対応し、実際にお会いすることもあった。毎日、メディアや企業から10件ほど着信があり、対応に追われた。大変ではあったが、仮に土地が売れたとしても、後藤氏から金銭を受け取ることは一切考えていなかった。あくまでも廃墟の趣味の一環として、これまでの恩返しを兼ねて、後藤氏の夢の引き継ぎ先を探したいと思っていた。
 
開園当時、後藤氏とともに海外へ遊具を買い付けに行ったという方からも、連絡をいただいた。テレビで見て懐かしくなり、後藤氏と連絡を取りたくなったのだという。対応に疲れていたが、こうした話が聞けると頑張ろうという気になれた。
 

▲アメリカから買い付けてきたゴーカートは、スピードが出るため大人にも人気だった。▲アメリカから買い付けてきたゴーカートは、スピードが出るため大人にも人気だった。

 
また、個人で見学したいという連絡も、たくさんいただいた。こうした問い合わせは非常に多く、個別に後藤氏に立ち会ってもらうのは不可能な状態になっていた。後藤氏も年齢とともに足腰が重くなり、外へ出歩きにくくなっていたので、全て断ってほしいと言われていた。
 
個人の見学の話は、土地の売買とは全く関係ないが、私も廃墟マニアの端くれとして、中に入りたい気持ちは痛いほど分かる。それに、廃墟マニアだけではなく、地元の方からも多くの問い合わせをいただいた。昔遊んでいた遊園地がどうなっているのか、見てみたいという。そこで、私が立ち会うことにして、見学会を何度か開催した。
 
通りがかりの地元の方がふらっと立ち寄れるように、事前に申し込みを受け付けるのではなく、当日は出入り自由とし、駐車場も開放した。毎回100人ほどの人が訪れ、盛況だった。
 
入場無料にしたので、開催すればするほど、諸々の準備費を持ち出す結果となるが、趣味にかかる出費だと割り切るしかない
 

▲見学会では、廃墟の遊園地に行列ができた。▲見学会では、廃墟の遊園地に行列ができた。

 
廃墟マニアのみならず、地元の方にも多数お越しいただき、親子連れにも喜んでいただけた。
 
「自分が子供の頃、親に連れてきてもらった遊園地に、自分の子供を連れて行くのが夢だった。廃墟になってしまったのは残念だけど、もう無理だと思っていた夢が実現できた。」
 
これを聞いただけでも見学会を開催した価値が十分にある。そう思えるぐらい、嬉しかった。
 
閉園後も、再開する日を夢見て遊具を撤去しなかった後藤氏。その甲斐あって、廃墟になったにも関わらず、今こうして再び賑わいを見せている。廃墟となって久しい遊園地に子供の歓声が響く。廃墟であっても子供を喜ばせることができるのだと、気づかされた。駐車場に車がズラリと並ぶ光景は、とても感慨深いものがあった。
 

▲女の子が「ボロボロだけど楽しい。」と遊んでいたのが、とても印象に残った。▲女の子が「ボロボロだけど楽しい。」と遊んでいたのが、とても印象に残った。

 
私が主催する見学会のほか、旅行会社が企画する有料のバスツアーも度々実施された。比較的強気の価格設定にも関わらず、毎回満席になるようで、それだけ化女沼レジャーランドの廃墟としての魅力が、多くの人に認知されるようになってきたと言える。
 
そうした人気に目をつけ、2016年末には化女沼レジャーランドを廃墟のまま活用しようとする動きも現れた。東北に住むある会社員が一念発起して、廃墟のレジャー施設にしようと考えたのだ。その人自身も化女沼レジャーランドに魅了され、残りの人生を化女沼レジャーランドに捧げる覚悟だったが、サラリーマンに億単位のお金が出せるわけがない。そこで、クラウドファンディングで資金集めをはじめた。
 
これまで、廃墟を「産業遺産」と言い換えて、保存や活用を行ってきた例は少なくない。長崎の軍艦島も今でこそ世界遺産になったが、以前は廃墟マニアにしか見向きされない廃墟の島だった。
 
何の言い訳もせず、廃墟を廃墟として活用しようというのは、とても画期的な試みだった。上手くいけば、化女沼レジャーランドにもまた光が当たるかもしれない。私としても重大な関心を持って、応援しようと思っていた。
 

始まったクラウドファンディング。しかし、思いがけぬ横やりが

しかし、クラウドファンディング開始早々、暗雲が立ち込める。化女沼レジャーランドと関わりのある業者が、私たちとは別の方向で売り先を探していて、「廃墟の魅力を前面に出すようなことはやめろ」と言ってきたのだ。
 
その業者は、ソーラー発電や産廃処理施設といった売り先も想定していて、もしも本当に売れたら、遊具は全て撤去することになる。その際“化女沼レジャーランドは廃墟の聖地”のようになっていたら、遊具を撤去しにくくなる。下手をすると、遊具の撤去に対する反対運動が巻き起こるかもしれない。だから、成功するかどうかも分からないクラウドファンディングなんて今すぐ中止しろ、と言ってきたのだ。
 
すぐに買い取れるだけの資金があれば突っぱねることもできたのだが、クラウドファンディングが成功するかどうかなんて、今の時点では分からない。様々な大人の事情もあって、手を引かざるを得なくなった。
 

▲廃墟としての魅力が仇となり、クラウドファンディングは中止に。▲廃墟としての魅力が仇となり、クラウドファンディングは中止に。

 

そして「化女沼レジャーランド」の現在は…

あれから1年半が過ぎたが、結局売り先は見つかっていない。潰れてしまった以上、後藤氏の遊園地事業が失敗したということは疑いようがない。予想の甘さ、資金計画、色々なところに無理があった。
 
しかし、閉園してもなお、元従業員だった方々が不定期にゴミを拾いに来ては、楽しそうに当時の話をしている。親に連れられてきた子供は大人になり、廃墟となった遊園地に子供を連れてきた。
 
これほどまでに多くの人に愛され、思い出に深く残っている場所は、あまりないだろう。廃墟としての新たな魅力も加わり、今なお人々を魅了し続けている。事業は失敗したが、後藤氏の夢は実現されたのかもしれない。商売人にとって、本当の成功とは何だろう。錆びついた観覧車は、我々にそう問いかけているような気がした。
 
後藤氏は、今年で88歳になる。
 
「みんなが笑顔になる場所にしたい。」
 
そんな夢の引き継ぎ手は、なかなか現れてくれない。

この記事を書いた人

1977年生まれ。岐阜県在住。5児の父。工業薬品メーカーに勤務し、研究開発業務に従事。国道なのに酷い道”酷道”を走ることや、廃墟探索を趣味とし、サイト・TEAM酷道を主宰。著書に「廃線探訪」「封印された日本の地下世界」「知られざる日本の秘境」(彩図社)などがある。アウトドア雑誌「Fielder」(笠倉出版社)にて連載中。

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