表現者は石を投げられる覚悟が必要。総合格闘家・青木真也が今の世の中に伝えたいこと

ニューアキンド

総合格闘家であり自身のアイテムを販売するECサイト「青木真也商店」を運営する青木真也さん。「幸せなお金のやりとり」を作りたいと、青木さんは3月のインタビューで話しました。

青木さんのスパッと物申すコメントは、ファンを熱狂させる一方、そのコメントに賛否が分かれることもしばしば。世間をにぎわす著名人の「不倫」「麻薬」など、さまざまな問題に対しても、青木さんは日々意見を述べています。

今回は青木さんにコロナ禍のスポーツ界、そしてスポーツ界の不祥事についてどう感じているのかズバッと斬ってもらいました。

【会社プロフィール】
青木真也商店
商材:青木真也のグッズ、書籍など

【ご本人のプロフィール】
名前:青木真也(twitter
年齢:37
肩書:総合格闘家
趣味:サウナ

何があっても人のせいにしてはいけない

—コロナ禍になってもうすぐ一年が経ちます。スポーツなどのイベントは規制緩和され、無観客試合・無観客公演は少なくなりましたが、人数制限、マスク着用の上、声を出さずに応援など、ファンとしても戸惑いを感じていると思います。

声を出しちゃいけないとか、大人数を入れてはいけないこの状況はまったく釈然としないですね。そしてこのコロナ禍により、ファンは、「わざわざ会場に足を運ばなくても、配信で試合を見られる」「試合結果がわかればいい」ということに気づいてしまったんです。そうなると、僕らは「どうしても見に行かなければならないこと」を表現しなければならなくなった、ともいえます。

僕は結果だけで済まないもの、「物語」を見せたい。僕、「アスリート」という言葉が大嫌いなんです。「アスリート」とは要するに運動が得意な人ですよね。そこには物語がなくて感情移入できません。その人が何を伝えたいのか、スポーツを通して社会、世の中に対してどんなメッセージを投げかけたいのか、という過程をしっかり見せないと見る価値がないとさえ思っています。

このコロナ禍でスポーツ界は厳しい状況だと言われていますが、僕は悲観していないんです。ファンが何万人といなくてもいい、極端に言うと、僕に10万円払ってくれるファンが100人いれば、プロとして生きていくことができる。僕はプロ選手になって18年目になりますが、ここまで積み上げてきたものは誰にも奪えないし、僕より優れた選手が出てきたとしてもこの歴史は絶対に覆せないじゃないですか。その物語をいかに伝えていくか、というところを常に考えています。

—たとえコロナ禍であっても、環境のせいにしないということでしょうか?

僕らの仕事は戦うこと。例えば僕がアウェイで対戦相手と向かい合うとします。そのときどんなに不利な状況でも、相手が誰であっても対角線に立ったら勝たなきゃいけないんです。たとえジャッジが相手に寄っていたとしても、ジャッジが買収されていたとしても、必ず勝利を獲得しないといけないんです。

そのときに「ジャッジが相手に寄っていたから負けた」と言うのはアマチュアですよね。僕が若い選手に常に言うことは、「戦う覚悟を持て」「何があっても勝たなきゃいけない」「人のせいにしてはいけない」ということ。極論を言うと反則をしてでも勝てばいいんです。そのくらいのシビアさが必要。

「コロナ禍だったから…」なんて言い訳は通用しません。世の中を見渡すと、人のせいにして生きている人が多いです。誰が悪い、何が悪いと他責的に生きているのを見ると、「何眠たいこと言ってんだよ!」と思っちゃうんです(笑)。自分にとって不都合なことが起きても、人間生きていかなくちゃいけない。

—何かのせいにせず、自分にとって都合の悪いこととしっかり向き合う必要があるということですね。

自分にとって不都合なことで言うと、誹謗中傷のニュースが話題になりましたよね。あれを見て、「表現者が“誹謗中傷はダメ”って言うなよ」と思いましたね。一昔前だったら、表舞台に出るために入門して、修行して、やっとの思いでデビュー、といったステップがいろんな業界にあって、その過程でさまざまな理不尽に直面する経験を得られていたと思うんです。表に出るまでに理不尽耐性ができているというか。でも今はだれでもYouTubeを始められるし、「寿司屋の修行はいらない」といった話もそうですけれど、理不尽耐性が身に付いていないというデメリットが出てしまっていますよね。

表現者は、石を投げられる覚悟を持ってなければいけないと思っています。「誹謗中傷はダメ」と表に出ていない人が言うのはわかるんですが、表に出ている人がそれを言うのは「みんな叩かないでね、でもいい思いはしたいです」と言っているようなものですよ。スポーツ選手でも「誹謗中傷はダメ」って言っちゃうんだ、結局他責的に生きてるんだなあと思いましたね。

注目されているときにスポーツ選手は孤独を抱えている

—話題が変わるのですが、過去に準強姦罪で逮捕された元柔道家の内柴正人選手が格闘家として復帰した件について、Twitterで「理解も共感もできない」とツイートされていましたよね。

これは格闘技界のモラルに対して感覚的に「えっ…」と思ったんです。罪を償って出てきているから復帰してもいいよという理屈も当然わかっています。ただ、それに対して僕はここで世間に戻ってきて、以前と同じようにプロの大会に出ることに、同意や共感はできませんでした。犯罪にも種類がありますよね。

時代によって解釈も違うのかもしれませんが、殺人と性犯罪は今の御時世、特にNGだと思ってしまう。そこを無視して「関係ねぇよ」と通すことで、一般社会と格闘技界の溝が完全に広がっちゃうわけじゃないですか。そうなると、ファンも「格闘技界何やってるんだ」って離れてしまいますよね。この判断をされると結果的に商売にならないと僕は思いました。モラルについて、考えさせられましたね。この件は賛否が分かれますよね。

—「格闘技界がどんどん嫌いになる」、ともツイートされてましたよね。

やっぱり嫌いになりましたよ。この件は明確に「違うな」と思ったので。格闘技は人に見せる仕事だと思っているから、致命的にマイナスなんですよ。僕は共感しないぞというスタイルを取りました。

この件に関して僕が沈黙していることで、「青木は容認している」と思われるのも嫌なので、意思表明をしました。芸能界でも性犯罪をした後に、カムバックしている人は少ないですよね。んー…やっぱり違和感しかないです。

—同じくスポーツ界のニュースですが、先日競泳の瀬戸大也選手の不倫が話題になりましたよね。奥様もインタビューに答えてらしたりして…。

地獄のようなインタビュー記事でしたね。僕はこのニュースはとてもつらかったです。瀬戸大也がかわいそうだと。「瀬戸大也が一年くらい前から東京オリンピックを控えて調子に乗っていた」というバッシングを目にすることがあって、僕はそれに対して強烈に違和感を覚えました。

なぜなら、むしろそういうとき、スポーツ選手はものすごく孤独なんです。とにかく世間から注目されてチヤホヤされて、知らない人がたくさん寄ってきて、好き勝手なことを言われて。僕も多少は表舞台に出たことがあるのでわかる部分があります。プレッシャーですごく追い詰められていくんです。

追いつめられると、逃げたくなる先は、だいたいが男女の関係。瀬戸大也が「調子に乗っている」という記述を見たときに、「表現者」は理解されないのだな、と思いました。いろんな考えがあっていいと思うのだけど、瀬戸大也の件はそもそも不倫ですよね。不倫騒動とは関係のない相手に詫びる必要もないと思っています。

彼は泳いで結果を出せばいいのに、年内出場停止なんて、やりすぎですよね。ただ、スポンサーにとってイメージが悪いから契約解除、というのはわからなくもない。そうなった時に「瀬戸大也を見たい、応援したいからスポンサーになる」という企業がなかった——オリンピック金メダル候補のアスリートである瀬戸大也を応援する企業はあったけど、瀬戸大也個人を応援する企業はなかった、そこの弱さを感じましたね。オリンピックで金メダルを獲る、というイメージがなくなるとガタ崩れします。

自分の自由が成り立つためのファンを作ることの方が、大きなスポンサーがつくよりも幸せなんじゃないかと思いましたね。人は不完全なんだから、何から何までしっかりしてなくてもいいだろと。社会が聖人君子を求めすぎです。

一番売れているものが一番いいとは限らない

—スポーツ選手は活躍すればするほど孤独に襲われるのですね…。青木さんは常にポジティブなイメージがありますが、何か心がけていることはあるのでしょうか?

「自由が何よりも価値」だと考えています。先日友人と「やっぱり自由でいることが一番いいよな」って話をしたんです。その友人はフォロワーが何十万人といて、それがリスクになることもあります。

例えば「お金があればあるほどいい、その分リスクもたくさん背負う」ことよりも「自分のやりたいことが把握できていて、それのためにはいくら必要だ」ということが把握できていた方がいいと思うんです。だから、いかに自由でいるかということを大事にしたほうがいいのかなと最近は考えています。

—それは商売人の方にも言えることでしょうか?

商売人も何万人に売れた方が儲かるとされるじゃないですか。でも人数にとらわれるとこだわりが薄くなってしまいます。一番売れているものが一番いいとは限らないという話です。だから、自分が作りたいものや、自分が欲しいものと、自分の職人としてのこだわりとのいい着地点を見つけるのが大切なんじゃないか、と思いますね。

思いとどまれるなら、やめた方がいい

—コロナ禍、何か新しいことを始めようとしたり、転職をしようとしたりしている人が「今はやめておこう」と思いとどまるケースもあるように思います。同じような思いを青木さんが持った場合、どんなアクションを起こしますか?

それはすごく簡単な話で、思いとどまれるのならやめた方がいいですね。次に進んでいくときって、「この仕事、やってられない」「つらいから次はこっちにいくしかない」と視野が狭くなりがちです。だから、もし思いとどまれるのなら、思いとどまったほうがいいですよ。どうやめるのか、どう思いとどまるかのジャッジを欲しがる人が多いですが、悩むんだったらやめた方がいいですね。

—てっきり「やりたいことがあるのなら、思い切って行動しよう」という答えが返ってくるのかと思っていました。

それは「自分らしい生き方」「自分にしかできない生き方」を選択しようという方向性ですよね。それって麻薬みたいなもので、万人に引っかかるメッセージなんですよね。でもそのメッセージを信じて人生を壊してしまう人も多い。例えば「もう自分には格闘技しかない!」ということだったらその道を進んでいいと思いますが、そうでない人に「格闘技でやっていこうよ!」とは言えないですよね。だって、つらいことのほうが多いから。

人々の鬱屈した心につけ込んで商売する人もいますよね。でも、表現者がそんな商売をするのは良くないと僕は思ってしまいます。基本、人生は大変だから、苦労していくものなので。悩んでいるのだったら、やめることはないし、とどまっていたほうがいい。どうしようもなくやめるのだったら、それはそれで頑張りましょうというところだと思います。

【編集後記】

あらかじめ質問案を用意していたにもかかわらず、「普段から事前に質問案を見ずに本気でインタビューに挑みます、取材も真剣勝負です」と話す青木さん。実際、話はスポーツ界だけにとどまらず幅広く、かつ商売人にもつながるような熱いインタビューとなりました。その模様はまさに、インタビュアーとインタビューを受ける側の試合のようにも感じられました。青木さんのようにコロナ禍でもポジティブに柔軟な考えを身に着けていこうと実感させられる貴重な時間でした。

姫野桂

フリーライター。1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本文学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをし、編集業務を学ぶ。卒業後は一般企業に就職。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好き過ぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。著書に『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー21)、『生きづらさにまみれて』(晶文社)。趣味はサウナと読書、飲酒。

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