メイウェザー戦はギャラ次第。元世界チャンピオン竹原慎二が語る「ボクシング界の盛り上げ方」

ニューアキンド

ボクシング元WBA世界チャンピオンの竹原慎二さんは日本人では不可能と言われたミドル級の世界王座を奪取し、引退後はタレントとして活躍。2014年に余命一年、ステージ4まで進行した膀胱がんを患うも見事に克服しました。

これまで数々の奇跡を起こしてきた竹原さんは、2020年5月映像ディレクターのマッコイ斉藤さんと組んでYouTubeチャンネル「竹原テレビ」を開設。チャンネル登録者数は20万人を超える人気です。

そんな竹原さんに波乱万丈な生涯のこと、そして今のボクシングについて思うことを伺いました。

名前:竹原慎二(twitter
年齢:49
肩書:タレント、竹原慎二&畑山隆則ボクサ・フィットネスジム会長、元プロボクサー

元世界チャンピオン竹原慎二の近況。がん克服後の人生は「とにかく楽しく生きる」

竹原:病気(2014年に膀胱がんを発症)になって、生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い込まれた経験があるので、「病気が治ったらやりたいことは絶対に実行しよう」と決めたんです。元々YouTubeチャンネルは渡嘉敷勝男さん、畑山(隆則)と俺の3人でやっていました。3人でやっていくうちに、個人チャンネルとしてもやりたいと思うようになり、映像ディレクターのマッコイ斉藤さんに相談したところ、2020年5月から一緒に始めることになりました。

YouTubeでは、特に個人チャンネルは自由度が高く、自分が主役になることができるので、やっていてとても楽しいです。動画に対する良いコメントをもらうと、素直に嬉しいんですよね。以前、俺とうちのジムのプロボクサーとでスパーリングをした動画をアップしたら、大きな反響があって700万回再生されたんです。俺もスタミナがないなりに一生懸命やった姿が良かったのかもしれませんね。まだまだ若いやつらには負けませんよ(笑)。

個人チャンネルが面白いと思う理由の1つは、自分が面白いと思ったことに挑戦できるから。印象に残っているのは、「孤独のユルメ」 ですね。視聴者からはあまり人気がないんですが、自分自身が本気で楽しいと思えることを企画として落とし込めるYouTubeは、今の俺の生き方にマッチしていると思っています。

アル中の料理長に代わり自ら厨房へ。引退後「ガチンコ」でブレイクするまでの日々とは

少年時代はケンカに明け暮れ、あまりの素行の悪さから「広島の粗大ごみ」と呼ばれた竹原さんは16歳で上京。1995年にWBA世界ミドル級王者に輝くも、初防衛戦で敗退。さらに24歳で網膜剥離を患い、志半ばで選手を引退しました。引退後はタレントになり、TBSテレビ「ガチンコ」の企画「ガチンコファイトクラブ」では、不良相手に体当たりでボクシングを指導する講師としてブレイクしました。デビュー当時のファイトマネーの話、引退後の空白期間、TBS「ガチンコ」について伺いました。

竹原:デビュー戦のファイトマネーは手取りで約3万円でした。16歳で入門して、ボクサーとして生計を立てられるようになったのは21歳のときですから、5年間は働きながらボクシングをする生活でした。

世界チャンピオンになった途端に、テレビに呼ばれるようになりました。たくさん呼ばれて、チヤホヤされて、「引退してもテレビの仕事で生きていくことができるんだろうなあ」と思って、芸能プロダクションに入ったんです。でもその考えは甘すぎました。仕事なんて全然来やしない。「世界チャンピオン竹原慎二」だから需要があっただけで、「けがをして引退した竹原慎二」には誰も興味はなかったという現実を見ました。

俺は引退してから結婚し、子どもができたのですが、一切働かず、日中はパチンコ、夜は飲み歩く、という生活をしていました。現役時代のファイトマネーには手をつけず、貯金に回していたのですが、そんな生活だからお金もどんどん減ってきて、妻にもあきれられて、夫婦ゲンカも多くなって。さすがの俺も働かなければならないと思い、1年間のバイト期間を経て、1999年に妻と飲食店を始めました。

プロボクサーになる前に働いていた内装会社の社長の親戚が昔、帝国ホテルのレストランで働いていたので、その人を料理人として雇ってイタリアンレストラン「カンピオーネ」(※)を開店しました。ただ、この料理人が大変な人だったんですよ。ランチ営業が始まる11時にはすでに酔っ払っているような、極度のアル中で(笑)。店内で隠れてお酒を飲んでいることが何度もあり、そのたびに没収する。すると今度は調理用のワインにまで手を付け始めて、さすがにこの人には任せられないという状態になりました。でもほかに料理人はいない。次の料理人が決まるまで、俺が朝から晩まで厨房を担当することになったんです。もちろん料理の知識なんてありませんでしたよ(笑)。
(※)2006年1月31日に閉店

レストラン経営は人との出会いが多く楽しかったですが、人の動かし方、マネジメントには苦労しました。俺はちょっとしたミスが許せない性格で、ミスがあると「ちゃんとやれよ!」と強く言ってしまう。経営者としては部下を怒るばかりじゃなくて、褒めて育てないとダメだったと、今となっては思っていますよ。
レストランを始めた頃、「ガチンコ」のADがお店に来て「ガチンコファイトクラブ」の依頼がありました。はじめの頃は、お店が忙しくて断っていましたが、内心ではそのオファーがうれしかったんですよね。すると後日、違うディレクターがやって来て、再度オファーを受けたので、喜んで承諾しました。

「ガチンコファイトクラブ」で印象に残っているのは、オーディションですね。本当に変なヤツばっかり来るんですよ。あの頃は俺も若かったので、「チャレンジしたいヤツはリングに上がれ」と言って、10人以上とスパーリングして、それはもう大変でしたよ(笑)。中には「お前、やめろ!」と言うといきなり泣いて「お願いします、まだやらせてください!」と懇願するヤツも結構いましたね。オーディションの合格者は俺が選ぶのではなく、ほとんどスタッフが決めていました。俺が選んだのは3期生の山中(司)ですね。1期生の網野(泰寛)は、当時大嫌いだったんですけど、「竹原テレビ」に出演してもらって、握手をして、和解しましたよ。

実はあまり知られていないかもしれないけど、昔K-1出場のオファーが来たことがあって。最初は引退した直後の1997年、協栄ジム初代会長の金平正紀から誘われたんです。そのときは全然やる気がなくて断ったんですよ。さらに2004年には、当時全盛期だった魔裟斗との試合のオファーがありました。1試合5000万円のオファーです。そもそもやる気がないので断ったんですが、1試合1億円2年契約(1年1試合)という条件で再度交渉されたんです(笑)。もちろん断ったんですが、もし契約していたとしても、当時未払い問題もあったらしいので、実際にはもらえていなかったでしょうね。

誰が相手でも断るな、一生懸命挑戦せよ。竹原慎二のボクシング界へのメッセージ

竹原さんはボクシング元世界チャンピオン畑山隆則さんと共同経営する「竹原慎二&畑山隆則ボクサ・フィットネスジム」の会長として後進育成に携わり、東日本ボクシング協会理事としてボクシングを各方面から支えています。彼のルーツであるボクシングについて、注目している選手や、現在のボクシング界について伺いました。

竹原: 「竹原テレビ」を始めてから、プロを目指したいという子がうちのジムに5~6人来ました。その子たちには今期待しています。将来はチャンピオンになってくれればうれしいけれど、とにかく一生懸命にやっている姿を見ることができれば、育成していてやりがいがありますね。

育成をしていると、自分の現役時代を思い出します。俺の現役時代、1990年代はミドル級などの中量級の世界は群雄割拠でした。俺は世界チャンピオンになる前は、誰でもいいから試合をしてチャンピオンになりたかったんですよ。今の世代の選手って、「こいつとは試合をしたくない」と断るんですよね。俺は試合を断ったことが1回もないんだけど、特に有名なボクサーに勝てば、自分が有名になれるし、それでこそチャンピオンだと思ってるので、若い選手にはどんどん挑戦してほしいですよね。

もし俺が、当時世界最強だったオスカー・デラホーヤやフェリックス・トリニダードといったスーパースターと試合をしていたら多分負けていたでしょうね(笑)。もちろん試合のオファーは断りません。それに、実際には試合をやってみないと結果はわからないと思っています。自分は素質というか、そこそこテクニックもあったと思っているので、良いモチベーションと万全の体調で臨むことができたら、世界でも勝てるなと思っていました。

最近は、マイク・タイソン、デラホーヤ、メイウェザーといったレジェンドがエキシビションマッチで復帰しているけど、あれはカネ儲け目的でしょうね。もし俺にメイウェザー戦のオファーが来たら?ギャラによりますが考えますよ(笑)。相手に関しては誰でもいいです。でも今は誰とやっても勝てる気がしない(笑)。スタミナがないので、最低でも1~2カ月の準備期間が絶対に必要です。

俺が世界チャンピオンになったミドル級は、今も昔も大金が動く階級で、ゲンナジー・ゴロフキンやカネロ(サウル・アルバレス)というスーパーチャンピオンがいる中、村田(諒太)くんにももちろん注目しています。村田くんがカネロ(サウル・アルバレス)と試合をするという話があるらしいけど、カネロとだと厳しい試合になるでしょう。ゴロフキンは落ち目になってきたので、チャンスがあるかもしれないね。

村田くんは、デビューした頃はガードが高くて手数も少ない、つまらない、魅力の無いボクサーだと思っていたけど、チャンピオンに返り咲いた試合からは打ち合うようになって、魅力的になってきたよね。これからが楽しみです。

今俺が思うパウンド・フォー・パウンド(※)は誰か、日本人なら現役でも歴代でも井上尚弥がナンバーワンですよ。その次は内山(高志)、山中(慎介)といったところですね。あとは昔になるけどファイティング原田さんもすごかったよね。ボクシングに関係なく最強を選ぶなら…やっぱり警察ですよ。国家権力ですから、逆らったら大変ですよ(笑)。
(※)権威あるボクシングの米専門誌『ザ・リング』が全階級のボクサーを格付けしたもの

俺は以前、AbemaTVの「亀田興毅に勝ったら1000万円」に解説者として出演しました。このAbemaの亀田特番も、「ガチンコ」もそうだけど、ボクシングを題材にしたバラエティ番組は賛否がありますよね。俺はたまたまオファーがあって、番組を盛り上げるために頑張った。結果として「ガチンコ」を見たのがきっかけでプロになった選手がいっぱいいて、そういう意味ではボクシング界に貢献できた。ボクシングバラエティは批判もあるけれど、ボクシング界を盛り上げるための手段として、俺は賛成の立場です。

ボクシングは今の自分にとってすべてです。ボクシングは俺の人生を変えてくれたんです。俺の人生は本当にボクシングだけ。広島の家族の人生もボクシングで良い方向に変わったし、感謝しかないです。だからボクシング界には恩返しがしたい。

とにかく今のボクシング界が盛り上がってほしいです。T&Hジムも、他のジムも潤ってほしい。たとえば一昔前なら、ボクシングの世界戦の放送があったら次の日にはジムに入会を希望する人が多かったんです。でも今はそれがないですよ。だからこそ、見ていて楽しくて、華のあるボクサーが今後出てきてほしいですね。

【編集後記】

広島の粗大ゴミと呼ばれた不良少年は、一念発起してボクシングに人生を捧げ、日本人初のミドル級世界王座獲得を成し遂げるも網膜剥離で引退。そこから空白期間を経て、TBS「ガチンコ」でブレイク、サウナスーツが通販で大ヒット、膀胱がんを克服して今や人気YouTuberとなった竹原さん。彼の波乱万丈な人生において、あらゆる局面を乗り越えてきたのはボクシングで培った底力でした。それは現役時代も引退してからも変わりませんでした。

2020年に引退したプロレスラーの中西学さんは「1度プロレスラーをしたからには、死ぬまでプロレスラーやと思ってます」という素晴らしい名言を残しています。竹原さんにも「引退しても、死ぬまでボクサーなのだ」という誇りと気概を今回の取材で感じました。

数々の奇跡を起こし、ボクシング界の底上げのために尽力する竹原さんの生き様は、人々に勇気と希望を与えてくれるようです。

※取材は2020年12月16日に実施。

ジャスト 日本

福岡県出身、和歌山県在住。プロレス考察家、プロレスブロガー。現在アメブロで「ジャスト日本のプロレス考察日誌(https://ameblo.jp/jumpwith44/)を更新中。

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