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廃業

株式会社メディアインキュベート代表取締役 浜崎正己が経験してきた「チーム崩壊」について独占インタビュー!   スタートアップ、会社経営で経験した「チーム崩壊」。積極的に事業を興し、チャレンジする背景で経験したチーム運営の難しさ、もがき苦しみ数多くのことを学び、今に活かしている起業家・浜崎氏に「チーム崩壊」についてお話を伺いました。 これまで経験したチーム崩壊 スタートアップのチーム崩壊 いくつか「チーム崩壊」を経験してきているのですが、数年前に外資の会社でスタートアップの日本支社立ち上げをやっていたんですね。すごく意気込んで取り組んでいたのですが、いわゆる外資系特有の「本社の意思」とか「日本での繁栄が」とか、そういうところでチーム内で衝突があって。   3人で立ち上げたのですが、全員初めて会った人たちで、それぞれの意思統一ができておらず、方向性とか色々すり合わないままでスタートしていました。 当然ではあるんですがチームを作る時には、気が合うとか方向性が一緒でないとチームは崩壊する、というところを痛感しました。その時の「チーム崩壊」はそれだけが原因ではないんですけども、正直そういう面はあったなと思います。   チームでうまくやっていくには、理由付けが重要 起業して、チームとして一緒にうまくやっていく上で重要な点は、やはり個々人の「なぜそれをやっているか」とかの理由付けですね。今やろうとしているものがどういう所につながっているか、その人たちがどういう所にモチベーションを感じているかをちゃんと把握してあげて、そこに導いてあげるとか。そこにはこういう理由があるし、君がやろうとしていることはこういうことにつながるし、叶うよね、とゴールを見据えられるという点は重要だと思います。   その人が叶えたいもの・・・ある種お金じゃなくても、例えば経験が欲しいのであれば、それを提供できれば充足すると思うんですよね。なので相手が何が欲しいかをちゃんと把握して、相手がそれを充足できるような目標設定とか目線設定とか、もしくは実際に業務をお渡しするとか、ということは心掛けています。 チーム崩壊から学んで活かしていること   まず相手のメリットを意識する 色々な失敗を経て、学んだというか心掛けているのは、「相手に損をさせない」ということですね。儲ければいいや、で相手に損をさせてしまうと、関係性も悪くなって今後一緒にお仕事できなくなったり、と結果的にデメリットしかない。相手に得をしてもらって、かつ自分が得をする、そういったポイントで仕事をできるようにする、ということは心掛けていますね。   例えば、僕がメディアの立ち上げの支援をしているときに、お客さんに「流行っているメディアを作りたいんです」と言われても、お客さんにメリットがなければやらないですし、「こっちの施策がいいと思いますよ」と逆にお客さんに提案、紹介したりとか。お客さんがお金がなくても、面白そうだなと思えば成功報酬型でやりましょうかとか。そういう話はしたりしますね。   やってはいけないことは、出来ないことを出来ると言ってしまうことですね。弊社みたいなベンチャーだと自分を大きく見せたくて、大きなことを言いがちになっちゃいますけど、結局相手にとっても時間とか納期とか色んな選択肢の条件があったうえでお願いするかしないかを悩んでいるわけなので、正直であった方がいいかなと思います。   きついとか、厳しい状況であるとか、開発バグが出たとか、あればそれは逐一報告をしてちゃんと正直で、嘘をつかないことをなるべく心掛けた方がいいと思っています。 メディアインキュベートについて メディア支援 メディアインキュベートではメディア支援を行っています。 もともとWebメディアのウェブディレクションとか、ポータルサイトの編集ディレクターみたいなことをやっていて、一通りメディアについてはやってきた、という自負があるので、やはりビジネスとしての価値を提供できるのはメディアの領域かなと思ってやっています。   メディアはどうあるべきか 去年あったWELQ騒動で言うと、様々なメディアが影響を受けてますよね。でもちゃんとオリジナルコンテンツを作って、コミュニティとかも作って、メディアのファンを作っている、ちゃんとポリシーを持ってやっているようなメディアというのは、広告などの注文数が上がってきています。 今回の騒動で相当数のメディアが影響を受けている、と言うのを見ると本来メディアに関わりたいという熱を持っていない人たちも結構メディアをやっていたんじゃないかな、と思います。   オリジナルの重要性 ウェブメディアの作り方で言うと、僕は雑誌の作り方にすごく似ていると思っています。   コンセプトを決めて誰に届けるか。普通にサービスを作るのと同じかもしれないですけど、メディアも一緒だなと思っていて。なので誰に届けるかということを考えてオリジナリティをもって作るというのは大切だと思っています。   コストはかかるんですけども。それでもお金が回るとか、ファンにちゃんと届けられて事業として回るという仕組み作りに力を注ぐことが本質だと思います。それで実際にうまく行っている会社もあるんですよね。   例えば30万PVでも年商3000万あるメディアがあります。そこはファン作りをちゃんとうまくやって、そこに届ける人たちがどういう情報を欲しているか、どういう広告商品を設計すれば、という風にちゃんとビジネスとして回るというモデルを作っているんです。   これからのメディア これから、「北欧の暮らし」さんや「ほぼ日」さんのようなメディアは増えていくと思います。メディアECと言われていますけど、それだけじゃなくてコミュニティ、イベント、リアルまで含めた販売など、情報を発信するだけでないメディアの形ですね。 さいごに お恥ずかしながら、今回の取材で色々整理してみたら、これまで結構「チーム崩壊」してきているな、と。 そこから学んで気を付けているのが、まず「相手にメリット・成果をお渡しする、利益を得ていただく」ことは確実に考えています。ビジョンとかもすごく大切ですけど、人間ご飯を食べないといけないので、「これいつ返ってくるのかな」と絶対に不安になるんです。そこで、まず少しでも利益を返せるようなモデルでビジネスを回す、ということをすごく心掛けています。   なので、「無償で働きたいんです、お勉強させてください、なんでもやります」みたいな人がたまに来るんですけど、僕そういう人はお断りしていて。「無理です、やめたほうがいいです」と。僕もそういう時期があったからわかるんですけど、絶対に続かない。   最初はいいんですけど、テンションがシュッと下がってくるのを何度も見てきているので。ちゃんと適切な対価をお支払いするモデルをいち早く作るのは心掛けています。 「チーム崩壊」は決してよいものではないですし、何度しても辛いことです。その度に学んで、同じことは繰り返さない、ということを胸に刻んで改善しています。その一つの答えが少しでも利益を返せるようなモデルでビジネスを回すことだと今は考えています。     ▼取材協力▼ 株式会社メディアインキュベート     ▼現在、廃業・倒産・事業撤退・チーム崩壊などから這い上がった方を取材しております▼ 取材してほしい方は、ぜひご連絡ください!     ...

パーカー姿で作業する女性。多田愛(ただめぐみ)さん。   どこか温かみの感じることができる、村。そんな村を作りたいと、彼女は数年前に村おこしの事業を立ち上げました。しかし、現在は事業撤退をしています。事業自体は一旦撤退してしまっていますが、事業再起を企てているとのことです。事業の立ち上げに至った経緯から今後の活動について迫ります。 村おこしとはどんなものなのか ◆村おこし事業ってそもそもどんなものなのでしょうか? 村おこしと言っても、村を元気にしようとか村を活性化させようというよりは、村を作ってしまおうというのが活動でした。言ってみれば、鉄腕ダッシュさんのDASH村のようなものです。村を一から作っていろんな人が足を運べる空間が作れればいいと思い、事業を行いました。   もともとは、ある企業がダムの建設を行う為に保持していた土地だったんですが、ダム建設自体がなくなり、その土地が不要になったために場所の確保ができました。東京ドーム20個ほどの大きさです。住む場所や寝る場所、生きる場所が心地よいものであれば人の気持ちも、もっと豊かになるのになって感じたのがきっかけで始めました。   ◆村おこしな活動内容は? 活動内容自体は、米や野菜を作ったり、実際に作るような農作物の製造。木の伐採や竹のバングーハウスなどの作成などを行っていました。バングーハウスは、来てくれた方へのゲストハウスとして作ったのですが、嵐にやられて崩壊してしまいました。   そのほかにも、竹飯盒や燻製、イノシシ鍋なんか企画して体験してもらうなどしていました。イノシシ鍋はマッキーのような匂いがしてなかなか最初はとっつきにくかった記憶があります。集客のイベントとして都内で、無農薬の野菜を使ったイベントなどをも行っていましたが、なかなか人を集客するのも大変だったというのが正直なところでした。 村おこしを行おうとしたきっかけは   ◆なぜ村おこしだったのか? 私が本当にやりたいことは、「教育」なんです。なので、教育をするために村を作ろうと思ったというのが正しいかもしれません。私がやりたい教育っていうのが、生きること自体の教育をしたいと思っているため、村のような場所が必要だったのです。事業のサブタイトルとして、「一人一人の存在意義を持った社会を作る」というものを掲げていました。   現在の社会では、都会で仕事をするのがかなり当然になっています。しかし、都会の波にのまれて自分自身の気持ちや生き方に素直になれていないのではないか、そう思ったのです。都会での生活に疲れた人は、「田舎に行きたい」「ゆっくり田舎で暮らしたい」なんてことを口にしますよね。そんな空間が都会から近い場所に作れればいいなあと思い始めました。   ◆村おこし事業立ち上げは、ご自身の経験から? 私自身が都会での生活に疲れていた時期がありまして。その時期が、大学3年生の時でした。ちょうど大学で留年してしまい、友達も同学年にいなくなり、落ち込んでいました。今思えば、そんな大したことではないのですが、その時は本当に辛かったです。   留年して時間だけはあったため、もともと興味を持っていたよさこいソーランの各地の祭りに顔を出すようになりました。そこで、日本の伝統的なものや田舎の魅力を強く感じたのです。自分自身が励まされたのもありますが、心が弱っているときにはやっぱり田舎っていいじゃんって直感的に感じました。そこで何を思ったか、私は田舎にヒッチハイクをしようと決意しました。   周りからは女でヒッチハイク……なんて止められたりもしましたが、とにかく何かを実行したかったという想いがあったので、実行しました。その時の行先が高知県だったのです。高知県を選んだ理由は、「田舎なこと」「村おこしを行っている人がいる(I氏)」ということでした。実際に村おこしを行っているI氏にアポイントを取って、お話を聞かせていただいたりしました。   そこでのお話は、「お金はあるけど不自由な生活は幸せなのか?」というお話でした。今の自分は幸せなのか?仕事で毎日苦しんでいる人は幸せなのか?本来の幸せとは?なんてことを考えさせられました。そこで私は今までのままの社会ではだめだと決断し、村おこし事業を本格的に行うことを決断したのです。少しでもつらい思いをしている人達が減ればという思いが一番にありました。 事業撤退 ◆事業撤退の理由は? 事業は撤退したわけではなく、「一時撤退」です。   というのも、事業を進めていく中でこのままやっていてもうまくいかないという絵が見えてしまったのです。一番の原因は「資金」です。資金に関しては国からの助成金をもらわず、完全に事業メンバーですべて出し合っていました。助成金をもらってしまうと、事業内容が自分たちの意思と違う方向に行ってしまう可能性があると考えたからです。   あくまで自分たちの資金だけで行いたかったが、その資金にも限界があり、一時撤退という形をとらざるを得なかったということです。トライアンドエラーを繰り返してやるのにも、今の資金では難しかったですね。   もう一つの原因は、個人のスキルや知識が低かったということです。やはり、事業を行っていく中でも、個人のスキルや知識が必要な場面が何度もありましたが、そこがボトルネックになって事業推進が止まる場面が何度もありました。なので、2年後に資金面もスキル・知識面も個人個人がパワーアップして集まろうと話をし、一時撤退、戦略的な撤退という流れになりました。なので、事業再起はする予定です。   ◆事業再起ですか やはり資金も、村おこしにつながらない関係ないビジネスで集めるのはあまりしたくなくて。私自身は、健康面でのヘルス系の知識やスキルを増やすためにそういった事業を現在は行っています。必ず、村おこし事業にも役立つと思うので。ほかのメンバーは、WEBや農業、教育、料理など様々な分野でスキルを高めています。 事業を進めていく中での辛さや学び ◆事業を行っていく中で辛かったことはありますか? 正直言ってしまうと、事業自体でつらかったということはあまりないですね。使命感というか、私が変えてやる!みたいな気持ちで出来ていたので。どちらかというと楽しくできていたほうだと思います。私の性格もあると思いますが。でも一つ上げるとすれば、一生懸命やっている仲間が自分の身を削って村おこし事業を行っていたことですかね。資金面と体調面でこのままでは見ていられないという状態が辛かったですね。   ◆仲間の裏切りなどはありましたか? 面白い質問ですね。でも残念ながらないです。自分のやっていることに自信をもって取り組んでいるメンバーが多く、裏切りなどはなかったですね。ただやはりメンバー内での意識の違いや、温度感の違いを感じることはありましたね。口を出すだけで、実作業になると出来ないからやらないなんて言うメンバーがいたりなんてことはありましたが、あったとしても軽いもめごとぐらいです。   ◆成功している村おこしとの違いは何だと思いますか? 私たちはあまり今回の撤退を「失敗」だとは思っていないということです。まだまだ資金やスキルが足りないということがわかったということだけで、成功につながるものを手に入れたと思っています。今回の事業撤退は希望や可能性を込めた一時的な撤退だと考えています。   ただ、他の村おこしに共通するもので私たちにできていなかったものは、「メディアの使い方」だとは思っています。ブランディングという面は以前は全く考えられていなかったので、そういった面は成功している村おこしと違う点かもしれません。そこに関しても2年後に集まる際には意識していく点だとは思っています。ブランディングができない事業は、いくら内容が良くてもなかなか成功するのは難しい時代になっていると思います。   ◆次、また事業をやるとした場合にこれだけは気をつけたい、意識したいことは? 甘えた気持ちはすべて捨てて、全力で村おこし事業を行うことです。やると決めた以上、失敗を恐れず挑戦していきたいと思っています。何もしないことが一番の失敗だと思っているので。今度こそ胸を張って癒しを与えられる空間を作れればと思います。 編集後記 インタビューをしていて、とてもエネルギッシュな印象を与えてくれる女性でした。常に前を向いて事業に取り組む姿勢はとても魅力的に映りました。2年後の事業再起での活躍を陰ながら応援しております。     ▼現在、廃業・倒産・事業撤退・チーム崩壊などから這い上がった方の取材しております▼ 取材受けてほしい方は、ぜひご連絡ください    ...

  こんにちは、ニアセクリエイターズの中根です。   皆様は全てを失いゼロになった時、いや失うどころかマイナスになったら……どうしますか?今回は会社倒産・自己破産から現在に至る、近藤久さんにインタビュー取材を行って参りました。 25年間続けた会社が倒産 まず、経歴をご紹介致します。 昭和22年生、現在69歳。三重県出身。高校卒業後、関西で職を転々としていましたが東京に憧れを抱き上京したのは21歳の時です。   当時の時代背景もありますが「アメリカン・ドリーム」のような感覚で、東京に行けば人生が変わる。自分自身への根拠の無い自信と過信、それらが東京で通用すると錯覚していたのかもしれません。   昭和50年5月6日 資本金30万円から1人でスタートした小さな銘板業は、あっという間に資本金1000万円の株式会社に成長しました。その後はデザイン等、事業を拡大していきます。当時100万円以上したマッキントッシュもいち早く取り入れていきました。また結婚後は東京・世田谷区の高級住宅街に一軒家を購入。外車などの車も数台所有してブルジョアな生活を堪能します。 バブル期の怖さ 現在、お笑い芸人が「バブル期」のことをネタにして売れていますが若い方々には「バブル期ってそんなに凄かったの?」という疑問もある事でしょう。近年、銀行から融資・借入を行うには審査が厳しいのが現状です。しかしバブル期は銀行もノンバンクも「お金を借りてください」という申し入れが殺到したそうです。   ある日、ノンバンクから電話が来て「600万円借りてほしい」と。会社経営も順調で資金には全く困っていませんでしたが「借りてあげてもいいよ」と返事をしました。その数時間後、レストランで食事をしていたらノンバンクの社員が来て現金で600万円をテーブルに置いて去っていきました。他のノンバンクや銀行も同じように現金を置いていきました。それが「終わりの始まり」でした。 会社倒産のとき バブル崩壊後、仕事は入ってくるものの会社の利益よりノンバンク・銀行から借り入れをしていた返済が追い付かず「利息」のみを返済するのがやっとの日々になりました。元本が返せず利息のみ毎月支払う日々。元本が残っている以上、利息返済は延々に続きます。そして、いわゆる「自転車操業」のような状態になりました。家も売り、売れる財産は全て売って会社経営資金に回しましたが全く追い付きませんでした。   会社の当座は不当たりをすると凍結します。株式会社にとって当座凍結は取引先や下請け業者等と手形や小切手、金銭の取引が一切出来ない。つまり事実上の倒産を意味します。そしてバブル崩壊の煽りを受けて取引企業が次々と倒産していき、当座に入金予定だった売上も入らず調達が間に合わないまま。 2000年3月5日 不当たりで当座は凍結し25年間継続していた会社は事実上、倒産に至りました。 会社倒産後 -その1-   ▼1番辛かったことは何ですか? 精神的な事だったと思います。明日も見えない、真っ暗闇に突き落とされた感覚です。あの感覚は、言葉で表すなら「神も仏もない絶望」という状態でした。   ▼屈辱的だったことは何ですか? 大切な友達、仕事仲間だと思っていた人達が蜘蛛の子散らすように去っていったことです。私が経営者だったから近くに寄りついていただけで「利用価値が無くなったら必要ない存在」と思われていた事が1番屈辱的でした。   ▼経営者としての自分をどう思っていましたか? 全て自分の能力、自分で開拓した、逆らう人もいない、全てが自分の思い通りになる。自分は特別な人間だと思い込んでいました。   ▼倒産直後の生活は? ノンバンクの取り立てが会社だけではなく自宅まで来ました。ドアを開けないと大声で怒鳴り散らされます。私には妻と3人の娘がいますが、妻と末娘は知人宅へ預け、長女は自主的に友人宅へ避難しました。次女は会社を継がせるために学生の頃から後継者として育てていましたので残り、従業員、ノンバンクの対応、倒産の手続き等の対応をさせました。私は取引先や下請け業者を回って土下座をする日が続きました。   賃貸だったので、家賃滞納で追い出されてしまう日も迫っていました。ですが明日も考えられず、ひたすら土下座して罵声を浴び続ける日々でした。(ノンバンクの返済額が億単位になっていたため、近藤さんと連帯保証人になっていた奥様は自己破産の手続きを行いました)   お金が無いどころか借金だらけだから自己破産するのに、弁護士に「自己破産は1人80万円が必要です」と言われました。妻と合わせて160万円。その他、会社破産手続きや自社ビルの片付け等、軽く見積もっても300万円は必要でした。ですが、そんなお金はありません。(※当時の法律で定められた破産手続法の金額です)   ▼その時はどう思いましたか? 当時は、ただただ屈辱的でした。(そのお金を工面したのは親戚、そして近藤さんの長女と次女だったそうです) 会社倒産後 -その2-   【選択肢:生きる/死ぬ/逃げる】 もう自分の事で頭が一杯でした。選択肢は「生きるか、死ぬか、逃げるか」しかない。家族を捨てて関西に逃げようと本気で考えました。誰も自分を知らない場所へ逃げるか、死ぬか。そればかり考えていました。   ▼なぜ「生きる」を選んだのですか? 当時、末娘は私立に通う高校生でした。今後学費なんて払える訳がない。そもそも生活費すら全くない状態でしたので娘を中退させようと考えたのです。その時に次女が「妹の学費は私が払う。生活費も稼いでくる」と。長女も自分が勤める会社から100万円も借り入れをしてきてくれました。そのお金で新しい生活をスタートしました。その時、心境が変わったのです。自分の身体が動く限り、家族の為に働こう。そう決意しました。 会社倒産後...