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アキンド探訪

ミンミンとセミが鳴き盛り、うだるような暑さに体がやられないようにしっかりと体調管理をして、仕事に集中したい季節ですね。 はじめまして、古田島です。   いきなりですが取材に行ってきました。今回取材に伺ったのは、パーティーグッズのインターネット通販を主軸に事業を展開されている株式会社コンプロスの入江社長です。夏は野外音楽フェスが一番行われる季節であり、お祭り好きな日本人にとっては、盛り上がることは好きだったりします。近年、SNSの発達により、「リア充」などの言葉が流行るほどいかに、充実したライフスタイルが送れているかをSNSに投稿し、承認欲求を満たすかという新しいニーズが生まれてきました。その流れでハロウィンに代表する海外のパーティー文化がようやく日本にも根付き始めたのです。   これからさらに伸びるであろう、パーティーグッズのEC事業を手がけられているということで、タイムリーなお話を伺ってきました。   実はひょんなきっかけで立ち上げた会社   まずは昨今、競争が激しいネット通販の会社を立ち上げた経緯をお聞かせください   入江氏-私はもともと神戸出身で、コンピューターのCADメーカーの営業をしていました。1995年に阪神大震災で被災してしまったので、情報を得るために掲示板やチャットで会話をしたりできるパソコン通信にはまったんです。続けていくうちに、何かインターネット上で販売できないかと考え始めたのが、最初の起業の第一歩です。   私は世代ではないので、パソコン通信というのがあったなんて知りませんでした(笑)。今みたいに情報がない中でどうやってネット販売のサイトを立ち上げたんですか?   入江氏-阪神大震災後、一年で会社を退職したちょうどこのころは、Eコマースが出始めころなんですね。最初は試行錯誤してパソコンをいじっているうちに、NHKでたまたまHPを作ろうという番組がやっていたので、それを観ながらサイトを立ち上げました。   なるほど!最初は本当に手探りだったのですね。当初は何を扱っていたのですか。   入江氏-知り合いにアダルトビデオを販売している知人がいたので、アダルトビデオを仕入れて売っていました(笑)。当時は1万くらいで売れたので、徐々に売り上げが立ち始めたのです。それなりに売れてくると仕入先の繋がりで、メイド服やコスチュームを仕入れるようになりました。今思うと、この時代が原点になっているかもしれませんね。   パーティーグッズを本格的にECの主軸にしようと思ったきっかけ   ひょんなことで事業が展開していくものなのですね。今のメインの商材であるパーティーグッズを主軸にしようと思ったのはなぜですか?   入江氏-最初は個人事業主でネット通販を手がけていたのですが、もう少し規模が大きいことをやりたいなと思い、会社を設立する決意をしました。今まで利益を上げてきたのが、結果論としてパーティーのニーズにマッチしたものを販売していただけっていうのが本音ですかね。リーマンショック後の2008年に東京に出てきた際に、これもたまたまですが、子供のパーティーコスチュームを仕入れる機会があったのです。今までそんなに扱ってなかったので、捌けるか不安でしたが、予想以上に売れたんですね。翌年もまた、多めに仕入れましたが、それなりの利益を上げることができたので、自信になりました。あとは 2011年頃からハロウィンブームが台頭してきたことで、パーティー周りのグッズの需要が伸びてきたことも追い風になりました。   20年近くのご経験があるからこそ、今も激戦のEC事業でやってこれておられる訳ですが、この事業のやりがいはありますか?   入江氏-海外で人気のキャラクターや、まだ日本では知られていないキャラクターグッズを仕入れて、売れることを見込んだロット数を全て捌ききることですかね。昨今、ECは価格競争が激しいのですが、それはメーカーが大量生産すればするほど在庫のことを考え、薄利に徹し安売りする業者が多いからです。時には新商品でさえも、薄利多売で勝負するところもあるくらいです。うちの場合は、ある程度の利益を取れる商品や価格帯を決め、そこからどう売っていくかを考えます。そして、いかにお客様に早く届けるか、これを徹底的に行っています。注文が立て続けに入ると確かに大変ですが、仕入れた商品を全て捌いた時は、達成感に満ち溢れますね。   なるほど。何かECで売り上げをしっかり作るコツはあるのですか。   入江氏-うちが心がけているのは、先ほども申し上げたとおり、安易に薄利に走り、メーカーのブランドイメージを壊さないようにしていることです。こうすることで、メーカーとの信頼関係を築くことができ、いち早く最新の情報を得られるからです。やはり物販の世界なため、いかに利益率をとれる商品を探すことができるか、これに尽きます。まさに目利きの世界ですね。あとは単純に売り上げを作るという意味では、いかに大口案件に対応できるですかね。例えば「明日までに500個ハロウィンのバルーン用意できる?」と注文が入ったはいいものの、在庫や発送するスタッフが欠けていると、せっかくの売り上げの立つ機会を損失してしまいます。特に9月から12月というのはハロウィン、クリスマスと繁忙期を迎えるので、ここで稼いでおかないといけませんからね(笑)。   今後の展望   では最後に今後の展望ですね、2020年は東京オリンピックという大きなイベントがありますが、それに向かっての抱負をお聞かせください。   入江氏-え、オリンピックまでの抱負ですか。いや、あまり考えてなかったですね(笑)。まあ、今の事業の中心がパーティーグッズを扱っているので、うちのグッズを購入いただいて、日本が盛り上がっている、すごい楽しい場所だということを世界の人に見てもらいたいですね。渋谷の盛り上がりはすごいですし、やはり年々盛り上がるハロウィンの時期というのは、うちも書き入れ時ですので、日本のパワーを世界に発信できるお手伝いをしたいなと思っています。   編集後記 インタビューしてみてわかったことは、最初は試行錯誤すれど、これだ!と思ったことに対してはとことん追求し、売り上げを作りにいく。そしてご縁を大切にさらなる可能性を常に模索し、チャレンジする。そういったサイクルを常に心がけていると感じました。ぜひパーティーグッズをお探しの際は、パーティーパラダイスのグッズをチェックしてみてくださいね。     公式通販サイト http://store.partyparadise.jp    ...

  楽天市場やYahoo!ショッピング、その他多くのモールでバスグッズ(お風呂グッズ)の通販サイトを展開されている、「お風呂のソムリエ」ことバスリエ株式会社の代表取締役松永武さんにお話を聞くインタビュー第2弾。 前回 はバスリエ株式会社が出来るまで、市場を広げるための文化づくりについてお話していただきました。 今回は今のバスリエさんとしてのスタイルが確立されるまでの経緯、そしてこれからの展望について、語っていただきます。   今のバスリエになるまで   -バスリエさんの商品写真には非常に生活感があるというか、綺麗なだけではない何かが感じられるのですが、こういったこだわりは昔からあったのでしょうか。   バスリエ株式会社の「お風呂のソムリエSHOP!本店 」掲載されている商品のほとんどの写真は自社内で撮影されている。   松永氏:これには色々歴史があって・・・月商がまだ500、600万ぐらいの頃の話なんですが、そのくらいの規模だとまだ余裕をもって食べられるようなものではないんです。なので、その頃に他社さんのサイトの制作の受け売りとかもやったりしてたんですよ。当時はホームページとか作れる人もまだ少なかった頃だったので。   その時に、うちのスタッフがいわゆる画像販売サイトから画像を無断で持ってきて、その画像を使ってしまったんですね。それでいきなり内容証明が送られて来て、600万円の賠償請求が来たんですよ。月商500、600万の頃に。   -600万円!   松永氏:その時は本当に生きた心地がしなくて。もう大変なことしたんだなと。 インターネットでのトラブルに関する事例がそんなにない時代だったので、方々当たって都内のちょっと詳しい弁護士さんに相談したら、いろいろ親身になっていただいて、最終的に請求額以下のお支払いで済んだんです。 そこからはもう「写真はオリジナルで行こう」と決めました。 自分たちで撮影してやっていくと決めたので、スタジオも自社内に作って、そういった写真へのこだわりができました。今でもある意味写真はバスリエの表現の一つとして、大きい部分にはなっていると思っています。   -今のスタイルになるまで、どのような変遷があったのでしょうか。     松永氏:楽天の経営者向けのセミナーに参加して、いろいろ変わっていかなきゃって思っている時に、バスリエとしてどういう方向で行くか、バスリエの理念は何なのか、そういうものを改めて考えました。そこでやっぱり大きく自分の中で変化したのは、バスリエは雑貨屋じゃなくて、お風呂屋になるんだっていうことだったんですよね。 きれいな写真やうまい説明は素敵な雑貨屋さんでもできるけど、そうじゃない、うちはお風呂屋になるんだっていうのをまず一つ、決意しました。   お風呂グッズを売るけども、その先には「入浴する」という行為があって、入浴の先にはお客様の健康に対する思いだったり、美容に対する思いだったり、いろんな「思い」があります。そこを叶えることを、僕らのゴールにするっていう考えができ上がりました。   -それまではどういったお店だったのでしょうか   松永氏:それまでのバスリエは、商品登録を1日に何件して、月に何件登録する、みたいな効率重視のやり方をしていたんですね。ようはロングテールですよね。ロングテールで入口商品だけを作っていくようなやり方だった。その当時は、とにかくお風呂の専門店としての品揃え重視だったんです。 でもお風呂屋になるって決めた時に、「それだけじゃダメだ」っていう事で、大幅に方向転換をしたんです。 ですがその大きい変化をした時に、ついていけないっていう理由で基幹的なところをやっていた社員、スタッフが半分ぐらい辞めてしまって。10人ほどいたスタッフが5人くらいに・・・。   -社内の半数が辞めてしまうくらいの変化だったわけですね。   松永氏:そうですね。辞められてしまったことに関しては、もちろん辛かったんですが、僕の中では「こっちにシフトしなきゃいけない」っていう思いの方が強かった。あの時大きい方向転換をしなかったら、HOT...

お魚屋さんやスーパーの鮮魚コーナーでキラリと光るあの魚体・・・ああ・・・タタキにしたい・・・。   今回はネットショップから少し離れて、創業明治44年の小田原で100年以上続く鮮魚商魚國(うおくに)の社長にお話を聞いてきました。魚國3代目である古川孝昭さんに、鮮魚を生かしたお食事処など多店舗展開してきた、その歩みと観光地小田原の現状、「顧客に好かれる」従業員教育の秘訣などをお話しいただきました。 小田原 魚國   鮮魚から飲食業まで   -まず、古川社長のこれまで歩んできた道教えてください   古川氏:祖父が明治44(1911)年に魚屋を創業したので、3代目ということになります。そして先代、私の親父が40年以上前に、魚屋の2階で飲食店「味の店 魚國」を始めたんです。その後、私が1975年頃に入社しました。   -それからいろいろなお店をオープンされていますね。現在は何店舗の飲食店を経営されているのでしょうか。   古川氏:ラスカ小田原に「海鮮茶屋魚國」、地下街のハルネ小田原に「海鮮横丁うおくに」、東京の神田・淡路町に「小田原魚國」です。 今まで他にもいくつか出店していましたが今はその3つですね。遠地だとやっぱり色々大変だったこともあって。いくつか閉めたのは、その店の経営が厳しかったからです。   -鮮魚店は順調でしたか。   古川氏:当時はね。でも、郊外にスーパーやショッピングセンターができてから、小田原駅周辺はよくなくなった。大きいスーパーが二つもなくなっちゃったでしょう。大手が撤退しちゃうってことは、それだけ厳しい。この両方が撤退してから、商店街の客数は確実に減ってますね。今年5月の小田原城のリニューアルで戻ってきてるけど、観光客だけです。   -観光客は確かに増えてきている感じがしますね。でもそれだけではよくならないんでしょうか。   古川氏:お土産もたくさん買う時代じゃないんです。めったに旅行しない頃は、「自分はここに行ってきた」とアピールするために、まわりに買ってきた。でも今は自分で食べたい、ほしいもの以外は買わないでしょう。60代、70代の人たちは、「これ10個」と買うんだけど、今の人は1個か2個しか買わない(笑)。私なんかはまだ「あの家を足して、5個」、「とりあえず10個」と買っちゃうけど、今の人たちはそういう買い方をしない。   -言われてみればそうですね。家族と職場の人向けくらいにしか買っていかないですね。   古川氏:だから観光客が増えても、売り上げが上がらない。そういう時代になったんで、飲食で来る人たちはいるけど、なかなか厳しいです。人を商店街に呼び込む施策はいろいろやってみたけど、すぐに効果は出ませんでした。人が来ないことには販売チャンスが生まれません。そういう意味では商店街もチャンスをいかに作るかが一つの役目でしょうね。   -全国各地、商店街はうまくいっているところも、シャッター街になってるところもあってその差は顕著になっているように見えますね。   古川氏:小田原は人口のわりには、観光客が多いから、通行量は多いです。それに、地方で中心的な役割を果たしていたので人が多かったんですが、今は郊外にスーパー、ショッピングセンターができて、中心の商店街に人が集まらなくなったんです。毎日お客さんがひっきりなしに来る、と言った時代もありましたけど、昭和の時代からみたら魚などの売り上げは半分とか3分の1になってます。 小田原魚國 ネットショップの活用   -ネットショップも始められていますが、時代の流れ、背景もあってチャレンジされているということでしょうか。   古川氏:もちろんそれはあります。客を待ってるだけでは厳しい。まだこれから、という感じではありますけどね。その点で言うと店舗のほうがリピーターのお客さんが来て買ってくれます。 魚國のネットショップではその日の朝に獲れた鮮魚や干物などが販売されているほか、料理長の魚を使ったレシピの公開など、飲食店ならではのコンテンツもある。   -御社のネットで買われる方って、30代、40代ですか。   古川氏:40代、50代の方々もネットで買うようになってます。余裕があって買えるのは、その世代でしょう。アジの干物を買いたい若い人は少ないんじゃないですか。   うちのネット以外にも、ネット経由でお中元とかお歳暮で魚や干物が売れたりするんですけど、年齢層は高いですよね。若い人たちにどうやってアピールするのかが重要です。   -伊豆の干物会社がオンラインショップを立ち上げたけどうまく売れず、ほとんどDMの売上げに偏っているという話を聞きましたが。   古川氏:うちもDMを年末にやるんですけど、年齢層が高いんで、だんだんお亡くなりになっちゃう(笑)。   -これからは、ネット販売にも力を入れていくのでしょうか。魚のさばき方の動画をアップされていましたが、5万回再生されていますね。   古川氏:そうですね。弊社の料理長が定期的に旬の魚を使った料理を紹介して、その調理方法を載せているんです。レシピも動画のほうがいいのかな。でも、撮影してアップするのって大変で(笑)今はネットの売り上げがそこまでないので、ネットの担当者がまだいないんですよね。ゆくゆくはもう少し動画をアップしたり、ネットのコンテンツを太くしたいですね。 小田原魚國が105年続く理由   -明治44年創業の鮮魚店というのは、やはりすごいです。ビジネスを長く継続していくために心がけていることを教えてください   古川氏:そうですね。でも昔よりも郊外で買われる方のほうが多い。交通の便とか買い物の仕方が変わった。ただ、小田原に来たら必ず寄るっていう人は結構います。でも、そういう方が小田原市内に来る機会が減ってます。いいものを安く売ることはやってきてますけどね。前は魚を客が丸ごと買ったけど、今は何でも切ってすぐ食べられるようにして売るというもことも多いですね。昔は魚を皿盛りで5匹とか買ったんです。アジが安かったら開いてフライにしておくとか、いろいろできるんだけど。   -なるほど。   古川氏:でも私も、もっと時代に追いつかないとっていう気がします。常に新しいものにチャレンジして、いろんなことをやってきた。でも全部がうまくはいかないんで、店も作って閉めてを何回も繰り返しています。ともかく、魚屋だけは頑張ってやるしかないと思ってます。ただ、やっていく価値があるのかも、見極めなくちゃいけない時代だという気がします。 魚屋の組合長もやってるんですが、うちの組合は170軒ぐらいあったのが、今、70軒ないですから。   -100軒も減ってるんですね。   古川氏:100軒以上ですね。ここ15年、20年ぐらいで、そのぐらい魚屋さんがなくなってます。スーパーの影響もあるけど、スーパーが50軒100軒も増えたわけじゃない。   魚屋に行って話をして買うとかをしなくなって、買い物の仕方も変わったという気がします。ただ、若い人でも魚料理を作ったり、レシピを見る、好きな人たちも増えてきてますね。でも、そういう人たちって量を買わない(笑)だからもっと色々な方法を考えていく必要があります。   スピードとお米と 小田原駅内にある海鮮茶屋魚國。駅から出ずに!小田原の獲れたての海の幸を存分に楽しめる。   -飲食店の魚國さんは駅の中にあって、いつ見ても人が入っています。ずっと流行ってる事業の運営で気をつけてる点ってありますか。   古川氏:基本的にクイックサービスだと思ってるんです。いかに早く出せるかが大事。味、サービス、魚が安くておいしいのはもちろんですが。駅だから観光客の方は時間が何分しかないっていうのもある。お昼はいかにお客さんに早くおいしいものを食べてもらうか。次の場所に行かなくちゃいけないですから。   -それは地下街のハルネ小田原のお店もそうですか。   古川氏:ハルネの地下のお店はちょっとこだわりがあるんですね。地元のお客さんに食べてもらいたい場所です。また、ラスカ小田原のお店は、ご飯もおかわり自由なんですよ。それでお米もおいしい、いい米を使う。「ご飯だけでも食べたいね」というレベルのものは出さなくちゃいけないと考えています。   -お米を重要視されているんですね。それはなぜなのでしょうか。   古川氏:ご飯がおいしいのは大事。普通は魚のほうにだけど、そうじゃない。ご飯がおいしくないとダメなんです。魚屋やってんだから、魚がおいしいのは当たり前。「このご飯うまい」といって、魚を食べるとさらにおいしいわけでしょう。ご飯がおいしいっていうのはすごく重要なポイントです。「おいしいお米を」とお米屋さんにいってる。おいしい米だと、ご飯の出も多く、残さない。お米がおいしくないと、料理がおいしくても、最後に満足感がない。   -確かにそうですね。   古川氏:米がまずいと、「メシまずい」ってなっちゃう。お米は値段高いったって、原価率はそんなに変わらない。茶わん一杯だから。   -だったら、おいしいお米がいいですね。   古川氏:そう。料理屋はご飯だけでもう一杯っていうお米を使わないと。 これは親父が料理屋を始めたときから、うまい米ってうるさかったのもあって、「あぁ確かにそうだ」ということで気を付けています。米がおいしいと、おにぎりも、お茶漬けもうまいって思ってもらえます。 小田原魚國のスタッフを生かす秘訣 -社長として、いろいろなスタッフを抱えて経営していくうえで、気をつけていることがあったら教えていただきたいと思います。 鮮魚店魚國の店内。小田原漁港で水揚げされた魚を、古川社長が自ら買い付ける。   古川氏:スタッフはそれぞれみんな違うんで、その人の特徴を性格や考え方も含めてつかむことがすごく大事です。会社としては、いかにお客さんにそれぞれの従業員をかわいがってもらえるかですね。だからみんなに「自分のお客を作りなさい」とよくいいます。お客さんて人につく部分が多いですからね。だから、スタッフが辞めちゃうと大変。   -大事なのは人柄ですね。弊社のシステムのサポートスタッフがいるんですけど、やはり指名が来ます。ネットショップの満足度も、カスタマーセンターの対応でかなり高くなるということがあります。   古川氏:でもなかなかそれってマニュアル化できないじゃない。それぞれ自分の得意分野を生かすといい。だから「自分のお客を作ることはどういうことか」を考えるといいかもしれない。   売ればいい、作ればいいじゃなくて、情がないと。「お客さんのためにできるかどうか」っていう思考回路を作っていかないといけない。お店の人が自分のことを考えてくれるから、その人から買ったりすることもあるでしょう。また、「自分が一番心地いいことを、相手にやってあげなきゃダメ」っていったりします。   自分だったら、このほうが居心地がいい、このほうが落ち着くとか。それをできるかどうかは大事ですよね。特に接客業、飲食店では。あとは、「ほしい」と思ったときに聞いてくれるとか。   -ちょうどいい時に。   古川氏:そうそう。「タイミングがいいから、もう一杯飲んじゃおう」となるとか。そこってすごく大事ですね。自分を見ていてくれてるのがわかると、「またあの人に」ってなるじゃない。来たら必ずあの人を呼ぶみたいにならないとダメでしょう。なかなか実践できないですけどね(笑)。   -最後に古川社長の人の育て方、というものをお聞かせください。   古川氏:本人主義に近いかな(笑)。あまり怒らないタイプです。本当はもっといわなくちゃいけない気がするけど、よっぽどのことがないといわない。いうと逆に発想が縮こまっちゃうこともありますしね。 編集後記 商店街の衰退が叫ばれて久しい昨今。そんな中での鮮魚商魚國の工夫、販売チャネル拡大へのチャレンジを聞く事が出来ました。   ところで鮮魚店の魚國では生の鮮魚だけでなく、獲れたての魚をフライ等に調理したものも売っています。信じられないくらい美味しいので、小田原に来た際は、ぜひ。    ...

皆さんは「ワインのソムリエ」って知っていますか?知っていますよね。そうです。ワイングラスに入ったワインをくるくる回すイメージのあれです。   では、「お風呂のソムリエ」はどうでしょう?知っていますか? ワイングラスにお湯を入れて嗜む人を想像したそこのあなた!「そんな職業ないでしょ」と思われるかもしれませんが、実は、あるんです。   という訳で今回は「お風呂のソムリエ」ことバスリエ株式会社 松永武社長にお話を聞いてきました。   バスリエ株式会社誕生のきっかけ   -まず、最初に松永さんのバスリエを立ち上げるまでの歩んできた道というか、きっかけを聞かせていただけないでしょうか。     松永氏:歩みですね・・・まあ、すごく簡単に端折ると、まず僕は学校の勉強が全然出来なくて(笑)でも仕事が大好きなんです。 もともと実家が町の家電屋と言う事もあり、小学生の頃から父親にくっついてエアコンの取り付けとかの手伝いをしてたんです。そうすると、お客さんから「武君、偉いねー」みたいな感じで褒められ、お菓子をもらったり、500円もらったりしていたのが僕の商売の原点かなぁと思っています。 何かをして喜んでもらって、対価をもらうってことが昔から大好きでしたね。   あと、音楽が好きで、そういう仕事がしたいなと思ってたんです。 それって別に音楽業界で働きたいってことではなくて、音楽ってメロディや歌詞や人に共感するからCDを買っていただけるように、共感して選んでいただけるような仕事って事です。さらに言えば、聞くシーンも常に聞き手都合で楽しいときや悲しいときに合わせて寄り添ってくれる・・・そんな仕事をイメージしていました。 東京に出て来た頃は趣味で作詞作曲をやりながら、ライブハウスでバイトしていましたね。 でも時給が凄く安くて(笑)、住んでる所は風呂なしのアパートで明日食べるものにも困るような暮らしを続けていました。   しかし、いい加減生活が苦しくて当時時給の高かった家電量販店の派遣社員として働き始めたんですが、その時にバスリエを立ち上げるきっかけになった「まくら株式会社」の河元さんと知り合いになったんです。   河元さんは一足先に退職して「まくら株式会社」の前身となるアンニークジャパン(annique japan)を起業し自社開発の枕を販売していました。 扱っていた枕が当時では画期的な低反発枕で、枕が人の頭に合わせて快眠できるという商品でしたね。それが僕の中で「人に合わせる」っていう音楽的な要素を感じたことと、河元さんの枕に対する熱意に感動して「まくら株式会社」に入社させていただきました。   -まくら株式会社様の場所は千葉県だったと思うのですが、東京から通っていたという事でしょうか。     松永氏:そうですね。当時は練馬に住んでいたので会社のある千葉県の我孫子市から帰ったら夜中の1時2時でした。朝は6時に起き・・・でしたので睡眠時間3時間みたいな生活が1年ぐらい続いていました。そんな時に、当時はまだ結婚してなかったんですが、妻が「枕で眠りを売っているのに、自分が睡眠不足でどうするの?」みたいな、ごもっともなことを言ってきて(笑)ある日、妻が入浴剤を買ってきてくれてたんです。 「これにゆっくり入って、これぐらい汗かいて、で、こういう状態になったら上がって、で、また休んで、寝てみなよ」みたいなことを言われたので実際やったら、すごく気持ちよかったんですね。じんわ~り汗をかいてリラックスして。 湯船に浸かっているときはもちろんだし、上がってからも違う!なんか温泉行ったみたいにポカポカするって感じました。 そしてさらに朝起きたらびっくり!完璧に体の疲れが取れてるし、ものすごいすっきりしてるんですよ。   その時、睡眠の質を良くするのってお風呂とか睡眠前にどう過ごすかとか、そういったところがすごい重要なんだと気付かされました。 独立は前々から「いつかは」と思ってたこともあって、独立しようと考えた時に、じゃあお風呂グッズの専門店をやろうと思ったのは割と早かったです。ショップ名とか会社名は、「妻がやってくれたのって、なんかお風呂のソムリエみたいだな」っていうところからショップ名が『お風呂のソムリエSHOP!』になって、会社名が『バスのソムリエ』で、『バスリエ(Bathlier)』としました。 これがバスリエを立ち上げるに至った経緯ですね。 ...

自炊のレパートリーはキャベツ肉炒め!のみ!男気のニアセ編集部です。   先日キャベツが1玉98円で売られており、迷わず買い込みました。色んな火加減のキャベツ炒めが出来るぞ!とホクホクです。食材を切る時って「トントントン」というまな板に包丁が当たる音が出ると思いますが、この音って自分が何だか料理できる感がしますよね。例え切る対象がキャベツのみだったとしても。   この「トントントン」という音にスポットを当てたまな板があります。料理が楽しく、うまくできるようにと考えられて作られている「otoita」というこのまな板。今回はこのまな板の開発元、エコキッチン株式会社の社長 柳川実さんにお話を聞いてきました。   料理道具を提案するおしゃれキッチン雑貨「エコキッチン」が出来るまで   -ホームページを拝見すると色々な事を経て、今があるようですが・・・聞いていいですか?   柳川氏:結構いろんなところで話してるんですけど、やっぱり一番は高校を辞めてるところが最初の挫折みたいな感じです。まさにレールを踏み外したような感じで、いろいろやったんですけど長続きしなくて、さらに中卒だと本当に限られた仕事しかなくて、就職もほとんどできませんでした。新聞配達とか、バイク屋、キャバクラのボーイとか色々やりました。   で、最後にやったのが、派遣会社でやった携帯の販売員でした。そこで出会ったのがバスリエ株式会社の松永武さんです。同じ派遣会社で、同じお店で働くことになったのが凄いきっかけで、自分が変化できた大きな理由でした。僕は「このままだとダメだな」って分かっていながらも、コネもないし上手く踏み出せない状態だったんですけど、松永さんはそのときネットショップを立ち上げたばかりだったんです。   自分はまず、お金があまりないのにショップを立ち上げるなんてことが可能なんだっていうところにビックリして、是非教えてほしい、って思ったのが一番最初のきっかけです。自分が今ネットショップを運営できているのも全部、松永さんから教わったのが始まりですね。   -バスリエ株式会社さんの所で働いた時期もあるとか。   柳川氏:はい。1年ぐらい働かせてもらったんです。働くからいろいろなことを教えてください。っていう。そこでかなり多くのノウハウを学ぶことが出来ました。これが10年前ぐらいの話です。   まだ松永さんの所も人が少なくて、バスリエの創業当初は一軒家みたいな感じで、1階は別の測量の事務所が入ってて、その2階を借りて事務所にしてたんです。あの漫画家のトキワ荘みたいな感じです。   入った当初は松永さんの自社のショップだけで、そろそろ楽天市場にでも出すかタイミングで、名ばかり店長として楽天市場のショップを任されたんです。その時に楽天店の月商が100万円になったので辞めて、独立しました。普通は教えてもらうなら、多かれ少なかれお金を払うものですよね。でもタダでかなりのことを教えてもらえるって、とてもありがたいと思って働かせてもらいました。   料理道具を提案するおしゃれキッチン雑貨「エコキッチン」が軌道に乗るまで   -最初は楽天市場でショップを立ち上げられたそうですが、やはり軌道に乗るまでは非常に苦労したのではないでしょうか。   柳川氏:やっぱり最初の1年は売り上げが上がりませんでした。初めて1か月で30万ぐらい売り上げて、もう50万100万までトントン拍子だと勝手に思っていましたが、でも実際はずっと20から30万円をウロウロしてて、しかも1年ほどたっても同じ感じで全く成長がなかったんです。その頃は一緒に店を始めた友人にも当たったりしてしまって、離れていってしまって。オープンから1年ぐらいの話です。   そこからまた試行錯誤していろいろ探したんですけど、最初にオープンするときにその友人と「2年やってダメだったらもう完全に諦めて辞めよう」って決めてて。1年たって折り返し地点にきて、もうウカウカしてられないってところで一人になってしまったんですが、じっくり耐えて頑張りました。   それから半年ぐらいたって、ついに月商100万円を達成したんですが、実はそのときの自分は「商品を追加することが売り上げを上げること」っていうぐらいしか知らない状態でした。そこで思い出したのが、バスリエ株式会社の松永武さんで、彼が考案したお風呂用品にはビジョン、理念がちゃんとあり、それにきちんと沿った選び方をしていていたことを思い出し、商品に説明を用意していました   そういったことが僕にはほとんど見えてなくて、ただ商品の追加さえすれば売り上げが上がると錯覚していたんです。ようやくそのあたりで、これはただのまぐれで、これだけじゃダメなんだと気づきました。そして商品説明を増やして分かりやすくするなど、当たり前のことをきちんとやるようにしました。   -そこから軌道に乗ってきたんでしょうか。   柳川氏:そうですね。100万円を超えたあたりで、アルバイトの方を雇ったりしました。出荷の方に人手を増やして浮いた分、自分は新たに仕事をして、みたいな感じで少しづつ売り上げが伸びていきました。   -売り上げが徐々に上がってる時って嬉しい反面、かなり忙しくなってきますよね。   柳川氏:そうですね。どうしても人では追いつかなかった部分もありました。特に受注の処理が一番大変で面倒だったので、最初は速販っていう一元管理システムを導入してました。でも売り上げが上がっていくにつれて、つまり注文件数が伸びていくにつれて速販でも厳しくなってきたのでネクストエンジンという受注や在庫を一元管理するツールに乗り換えました。 料理道具を提案するおしゃれキッチン雑貨「エコキッチン」がマルイに出店...

皆さんはエナジードリンクを飲んだことはありますか? スポーツの前、受験勉強の前、徹夜明け、10連勤明け・・・様々な「ここぞ!」という場面で飲まれるエナジードリンクは既に日常的な飲料水になっています。   そんな中でも、2016年5月19日に現れた新星「湘南ゴールドエナジードリンク」をご存知でしょうか。サーフィンをしている乳首丸出しのキャラが燦然と輝くデザイン。飲んでみると柑橘系の後味爽やかな風味・・・おいしい、おいしいぞ!   非常においしい!という事で、今回はこの湘南ゴールドエナジードリンク開発者である守屋佑一さんにお話を伺いました。 なぜ湘南ゴールドエナジードリンクだったのか   ―守屋さんは一体何者なんでしょうか。何だか色々されているようですが・・・。   守屋氏:色々な所で聞かれます(笑)元々はJAで農業の指導員をやっていました。今は家族が代々経営している飲料の卸元の子会社でUMEMARU.incという法人として商品開発や色々なことをやっています。   ダイドードリンコさんとイラストレーターの漆川世文(ウルシガワ セブン)さんとプロジェクトを結成して小田原絵巻という自動販売機を企画したり、本当に色々行っているんですが、今は湘南ゴールドエナジードリンクに一番力を入れています。簡単に言えば企画屋ですが、やりたい事を色々やっている感じです。   ―湘南ゴールドエナジードリンクが生まれたきっかけ聞かせてください。   守屋氏:もうエナジードリンクが体の一部になっています。高校時代はお金がなかったので3日に1回とかだったんですが、大学時代から毎日飲むようになってしまって。今は1日1本にしてますけど、人が飲んでいるのを見ると飲みたくなっちゃいます。   もともと湘南ゴールドという小田原近辺でしか栽培されてない種類のみかんで何かに使えないかと思っていたんです。昔UHA味覚糖に企画書を送ってぷっちょ湘南ゴールド味になって全国販売されたこともあります。(商品名:ぷっちょ『まぼろしのオレンジ』)それでもっと何か出来ないかなと思っていた時に、山梨でご当地エナジードリンクというものを知ったんです。それで「農産物でエナジードリンクって面白いな」と思って。   湘南ゴールドっていう名前も、何だかエナジードリンクっぽいじゃないですか。それで湘南ゴールドとエナジードリンクを絡めて何かできないかと考え始めました。 湘南ゴールドエナジードリンクってどうやって作ったのか   ―湘南ゴールドエナジードリンクを見た時、まずそのデザインが気になりました。ゆるくもありカッコよくもあり・・・   守屋氏:湘南ゴールドエナジードリンクの缶はイラストレーターの漆川世文(ウルシガワ セブン)さんにデザインしていただきました。とても個性的なイラストレイターで、新月堂という新月の夜にしか表示されないサイトを運営している方です。   湘南ゴールドの原産地小田原といえば武将、更に湘南なのでサーフィン、そして外人が思い描くようなファンキー忍者みたいなものにしよう、というようにキャラクターの方向性は割とすぐに決まりました。ですがデザイン自体はかなり時間がかかりました。   乳首を入れるか入れないかでもかなり議論しました。(笑) でも完璧なものより「なにこれ!?」って思わせて、まずは手に取ってもらってみてもらう事が重要なので、最終的には「突っ込みどころのある方がいい」という事で乳首を入れてあります。   それと色の決定にも時間がかかりました。デザインの最初の段階では青色で、少しゴタゴタしたものだったのですが、エナジードリンクはかっこよくあるべきなので、よりクールにするためにシンプルに黒地に湘南ゴールドの黄色という形にしました。かっこよすぎても少し引かれちゃうんですが、そういう意味ではこのゆるさは絶妙かなと自分でも思っています。   ―湘南ゴールドの実自体の絵が含まれていないのはなぜなのでしょうか。   守屋氏:実は湘南ゴールドってまだ知名度が低いんですね。なので実の絵を入れると、単なるみかん味のエナジードリンクという風に認識されてしまうし、お土産品っぽくなってしまうのを避ける為に、あえて入れませんでした。 また、エナジードリンクはエンタメ産業なので、今回のデザインには想像の余地を残しておきたいと考えていました。なのでこのキャラクターの名前もないです。ない方が面白いし、みんな色々想像できるんじゃないかと思いまして。   ―味はどんな感じですか?   守屋氏:味に関してもかなりこだわっています。湘南ゴールドの味の再現がすごい難しかったんです。湘南ゴールドって普通のみかんよりも糖度が高くジューシーで、熟すとパイナップルに近い感じなんですね。酸味があるけど甘い。   エナジードリンク評論家の福田慎一郎さんにも開発に入ってもらって、合計4種類くらいの味を工場に作ってもらって、最終的には自分で飲んで決めました。飲み終わった後のケミカルさがあまりなくて、湘南ゴールドの柑橘系の後味も良く出ていると思っています。 実はしんどかった湘南ゴールドエナジードリンク開発秘話   ―湘南ゴールドエナジードリンクを作っていく上での「しんどかった」話を聞かせてください   守屋氏:実は一番大変だったことは事務作業です。飲料水の開発って、意外と各機関への提出書類だったり説明が多いんです。生産工場に対しても、湘南ゴールドの原材料情報を渡したりしないといけない。企画したり、営業したり、お話ししたりは大好きなんですけど、パソコンの前に座っての事務作業がなかなか・・・果実集めから、交渉、工場調べなどは全て自分一人でやったので大変でした。企業にいた時は分からなかったんですけど、やっぱり人がいないとだめだなっていうのが身に染みました。人の力は大事だなと。   ―実際に企画が走り始めてから「投げ出したい」、と言いますか諦めたいと思うことはあったんでしょうか。   守屋氏:めちゃくちゃありました。「失敗しちゃうかも」と不安になる事もありましたし、自分は遊び人なんで、山登ったり外出たり遊びたいという思いに駆られるところが大変でした。でも自分のやりたい事の最終的なビジョンが自分の中では見えていたので、「ここを乗り越えたら絶対成功する」と思う事で進めてきました。   1回やりたいと思ったらそれを最後までやりきる、っていう自分の性格の部分もありますね。ただゴールが見えてないとすごいモチベーションが下がってしまうんです。企画が動き出すまではやっぱり不安ですし、いろいろ考えました。計画はある程度立てましたが、基本は企画を走らせながら都度考えて進めていきました。   ―こういった色々な企画はどういう風に考えているのでしょうか   守屋氏:遊びまくった結果だと思っています。僕は旅行がすごい好きで47都道府県を回ったんですが、そういったところで得た情報、見てきたものが自分の中で有機的につながって今回の企画も出来上がっています。我慢しないでやりたい事をやってます。あと僕はすごいノリが良いんで、どんなに忙しくても飲みの誘いは断らないです(笑)こういった機会で得られないものは基本的にないとも思っていますし。   ―旅行へ行くというと、色々遊びつくすという事でしょうか。温泉に入ったり美味しいもの食べたり・・・。   守屋氏:そういわれるとそうでもなくて、自分の場合、旅行中のほとんどが移動なんです。下道旅行がすごい好きで、綿密な計画は立てないんです。   「この場所とこの場所に行こう」とだけ決めてその間の移動は何も決めずに移動して、途中で面白いものがあったらやってみたり食べてみたりする。泊まる場所もその日その日で決めちゃってます。でもこういった旅行だと色々面白いことに出会えることが多いんですね。そうして何かを見つけた時に、「帰ったら次はこうしてみよう」というようなアイデアの一つにしています。 湘南ゴールドエナジードリンクのブランド作り   ―これからの湘南ゴールドエナジードリンクの展望を聞かせてください。   守屋氏: 色々な事と絡めて面白いことをやっていきたいと思っています。大手のエナジードリンクって世界中で年間59億本売れてて、日本でも数億本も売れてるんですね。それほどエナジードリンクは日常で飲まれるものなので、将来的にはもっと普及できるようにしたいです。 野望はこの地域(神奈川)では大手エナジードリンクよりも、湘南ゴールドエナジードリンクが飲まれている、というようにしたいですね。神奈川の湘南・西湘地域では大手エナジードリンクじゃなくて湘南ゴールドエナジードリンクを飲んでいるぞ、みたいな。   また、それに伴って湘南ゴールドっていうブランドも有名になって、小田原の農業自体の振興農業が盛り上がってくれれば嬉しいです。そういったブランドにしたいと思っています。   編集後記 ご当地エナジードリンクを企画して売り出す所まで1人で全部やってしまう。その原動力は「面白いことをやろう」。   3年前からエナジードリンクの開発を考え、友人や知人に必ず発売すると宣言していた守屋さん。宣言通り湘南ゴールドエナジードリンクを発売し、有言実行した守屋さんの行動力には驚かされました。   ゴールを決めたら、最後までやりきる。しんどくても、くじけそうになっても必ずやりきる。全力で働き、全力で遊ぶ。大変なことはたくさんあるけど、楽しんで仕事をする。とてもアグレッシブで、どんな状況でも楽しむことを忘れない守屋さんの今後の展開に期待が高まります。また間を空けてお話を聞きたいと思います。   そして、湘南ゴールドエナジードリンク大変おすすめです。さぁ、みなさんも黄金の体験を!     ...

前回の「「何を買うか」より「誰から買うか」【前編】走るジーンズショップ「デニムマン」インタビュー 」に引き続き、「お客様との繋がり」についてデニムマンこと新倉 健一郎氏にお話しいただだきました。   地域に根差して、商売をする   ―今は神奈川の湘南エリアを主な活動範囲にされてますが、今後範囲を拡大させるという考えはあるのでしょうか。   新倉氏:この業態自体がそもそも大量のお客さんにアプローチしなくても良いという部分があって、それよりは地元に根差してちゃんとアフターケアできる距離で密にやった方がいいと思っています。 なので今のところは拡大とかは考えていないです。   ―やはり密にお客さんとやり取りしていたほうが、顧客満足度も高いですよね。   新倉氏:そうですね。今のところの手応えではそう感じています。「めちゃくちゃ楽しかった!」って言ってくれる方もいました。 あるお宅にうかがった時は、ご夫婦と十代後半の息子さんが二人いらして、「こっちが似合うんじゃないか」「いやこっちの方がいい」ってすごい楽しそうで(笑) 大きくなってから家族で服を買いに行くって、なかなかないじゃないですか?あーこういう利点もあるのかー、と気付かされました。 お茶を飲みながらお話をして、で、試着してもらう。こういった体験は、他のお店ではなかなか味わえないと思います。   ―お客さんは何をきっかけにデニムマンを知るんでしょうか?   新倉氏:やっぱり今はSNSとかのつながりが多いですね。 ただSNSは、アカウントを持っている人たちの中での繋がりしかないので、その外にいる人たちにどうやって認知してもらうか、というのが今後の課題です。ネットの外の人に知ってもらうにはどうすればいいかを、今一生懸命考えています。 そういう点で言うと、この前平塚のSunSunマルシェや小田原の軽トラ市なんかのイベントはではお客さんと直接お話しできて、すごい貴重でした。   まずは「自分を知ってもらう」   ―デニムマンを運営していて、苦労された点は何でしょうか。   新倉氏:苦労されたっていうか今も苦労している点なんですが、一人一人個別の営業をする業態だと、呼んでいただく方にとってもハードルが高い点ですね。つまり「わざわざ自分の所まで来てもらうのは悪い」だったり「呼んだけど買わなかったらどうしよう」っていう日本人特有の「遠慮」っていうハードルですね。そのハードルを越えてもらうのにどうしたらいいか、悩んでいます。 僕としては気軽に呼んでいただければ、行けるエリアなら行くし、ゆっくりお話もしたいんですけど、こういったハードルは前述のリアルイベントとかでお話ししたりして、地道にクリアしていくしかない。そこのマッチングが難しいですね。   ―確かに会ったこともない人を呼ぶのって、少しハードルがありますね。   新倉氏:そうですよね。僕の場合はこのハードルを越える為に、まず何から始めたかっていうと、「自分を知ってもらう」っていう事だったんですね。お客さんとの信頼関係を作っていく。   というのもこの商売を思いついた時は、こういう業態では女性のお客さんは来ないだろう、という考えがあって。 だって見ず知らずの人の車に乗って着替え(試着)するっていうのはありえないでしょ。そんな・・・危険な(笑) だから最初レディースは扱おうと思ってなかったんです。 そういう理由でメンズだけやろうとしてたら、知り合いの女性や親戚からレディースも扱ってほしいって言われて。 随分悩んだんですが、突き詰めると要は自分を知ってもらっているかどうか、お客さんから自分が信頼されているかどうかっていうのが大事な訳なんですね。女性のお客さんでも、信頼してもらえれば売ることが出来る。じゃあまず自分を知ってもらわなくちゃ、と。 あとはどうやって自分を知ってもらうか、なんですがこれはブログを書いたり、Facebookを公開したり、直接会って話したり、色々やっています。直接お話をするのが一番確実ですね。 だから商売になる、ならないは別にして、今では色んな会合や集まりに行ってます。昔はこういう事はしなかったんだけど。 「自分を売り込む」というよりは「知ってもらう」。デニムマンもその後に知ってもらえればそれでいいかなと思ってます。まず知ってもらうのは「自分」なんですね。 自分から動いて、どんどん「新倉 健一郎」という人間を知ってもらう。そうしないと、この仕事は成立しないです。   「売り手」「買い手」の壁を越える   ―人とのコミュニケーションを取るノウハウはアパレル時代に培ったものかと思います。でも個人的にアパレルのお店って、店員に話しかけられるのが怖いんですが。   新倉氏:そこなんですよね。今日それもお話したかったんです。 なぜアパレルの接客が嫌われるか。   ―新倉さん的にはなぜなんでしょうか?   新倉氏:店員にマニュアルの接客しか教えてないからだと思います。お客さんとちゃんとしたお話が出来ない。 「いらっしゃいませ」って普段のコミュニケーションで使う言葉ではないですよね。挨拶する時は「こんにちは」とかでしょ。だから本当はお客さんに「こんにちは」って言える関係が作れるといいんですけど、いらっしゃいませっていう時点でもう売り手買い手で壁が出来ちゃう。そこを越えられる店員さんって少ないんですね。 アルバイトの子も多いから、マニュアル重視の接客指導になってしまうのは仕方ない部分もあるんですが、本当の接客を指導できる経営者がなかなかいないっていうのもありますね。 特にチェーン店はそういう事が多いですね。   本当はお店の人と仲良くなっちゃえば、お客さんとしても楽だと思うんですけどね。でもお客さん側には「売りつけられるんじゃないか」っていう不信感みたいなものが少なからずあるでしょう。特に10~20代のまだ買い物慣れしてない人とかは、そういう傾向にあると思います。「やべえ、何か売りつけられるんじゃないか」って(笑) お客さん側としては、店の人と仲良くなっちゃえば、買い物も楽しくなるし楽になる。だからお店側も、お客さんと仲良くなれるような方法を店員に指導できれば、そういうこともなくなるのかなと思いますね。 だから今度からお店の人に聞きたい事は聞いて、ずけずけ行っちゃっていいと思いますよ(笑)ちゃんとした店なら、店員さんもちゃんとそれに応えてくれるはずです。 それこそ「何を買うか」より「誰から買うか」っていう部分なんですね。   ―今日は貴重なお話をいただき、ありがとうございました。最後に一言、商売をしている方々へメッセージをお願いいたします。   新倉氏:調子に乗って偉そうにしゃべってしまいましたが、デニムマンはまだスタートして4ヶ月。成功とも失敗とも言えません。ただ、今後うまくいけば、店のオーナーさんや働いている方に「こういうやり方もあるのか」という気付きになるかもしれません。 「お客さんが来てくれなければ自分で行けばいい」っていうような発想の転換のきっかけになれれば嬉しいです。 もし自分もやってみたいって人がいれば喜んでアドバイスさせてもらいます。   編集後記 「何を買うか」より「誰から買うか」。人と人とのつながりを大事にして、お客様に納得していただける商品を自分の手で届ける、この姿勢は「商いの原点」だと感じました。商売をしていく上で忘れてはならないことを教えてくれたデニムマン新倉さん、もう我々はファンです。   ↓走るジーンズショップ「デニムマン」インタビュー!【前編】↓ ...

  先日、ニアセ編集部員のランチ難民ユーコがGoogleで「移動販売 小田原」と検索したところ、検索にヒットしたのが「デニムマン」。ネーミングに引かれ、「デニムマン」について調べるとキャンピングカーでジーンズの移動販売をしている、と書かれてあります。   ジーンズの移動販売!?   1時間後には衝動的にデニムマン新倉 健一郎氏に取材申込をしていました。我々が最初にデニムマンに抱いた素朴な疑問が「移動販売という時代と逆行したような販売形態をなぜ始めたのか」。ここが興味を持ったポイントなので、色々どストレートに聞いちゃいました。 走るジーンズショップ「デニムマン」誕生のきっかけ   ―デニムマンはどのように生まれたのでしょうか。   新倉氏:もともと僕はジーンズショップに約27年勤務していたんですが、去年に店が閉店することになったんです。その時僕は49歳だったんだけど、これからどうしようかと考えてました。そこで考え抜いた答えが「結局自分にできることはデニムを売る事」だったんです。   ただ、店舗をどこかで構えるというのは成功する気がしなくて。というのもジーパンの個人商店はどんどん閉店してるし、淘汰されてるんですね。ジーンズショップというショップ形態がなくなるんじゃないかっていうくらい、減ってきている。   色々考えてたんだけど、地域のマルシェが盛り上がってるのをみて「移動販売ってどうだろう」と、ふと思いついたんです。検索しても出てこないから誰もやったことがないんだ、って思ったら俄然やる気が湧いてきました。   ―キャンピングカーというのはどういった理由からなのでしょうか。   新倉氏:まず自分がやりたい事が「試着、ミシンでの丈直し、お話が出来る、ものがある程度置ける」って所だったんです。その中でも、「立ったまま試着ができる」という点が重要で、そう考えていくと一番良い選択肢がキャンピングカーだったんです。   あとたまたま後輩がキャンピングカー持ってて、それ見て「キャンピングカーいいなぁ」って思ってたというのもあったけど。それにこれは結果的に分かったことなんですが、キャンピングカーって皆あまり乗ったことないから「キャンピングカーの中ってどうなってるんだろう?」という興味関心を引く、良いつかみになるんです。   元々、キャンピングカーについての知識がなかったので、そこはキャンピングカーを売ってる所で相談しました。シンク取っ払ってミシン置けばいいんじゃないかと思ってたりしたら、それだとキャンピングカーの要件満たさないから車検が通らないとか。そんな感じで準備を進めていきました。   ミシン台。リペアも丈直しもキャンピングカー内で行う。 走るジーンズショップ「デニムマン」が考える「商売」   ―なぜ通販ではなく移動販売なのでしょうか   新倉氏:そこがよく聞かれるところでもあるし、お話したいところでもあるんですが、個人商店さんとかでも、うまくいかないと通販に行く人が多いんですね。でもそういう人たちに、通販やってみてどう?って聞くと「全然楽しくない」って言う。   商品をアップして、お客さんがポチッとそれを購入したら、梱包して、発送する。それって何が面白いのかなと。僕にとっても全然面白いと思わない。移動販売はECに対するアンチテーゼなんです。通信販売、ファストファッションが盛り上がっていくにつれて、それの揺り戻しでお客さんと対面でじっくり話して提案する、人と人との関わり合いというのが求められてきているんじゃないかと思います。   ―購買のターゲットとしては、通販をあまりしない人達なんでしょうか。   新倉氏:僕がターゲットにしている方たちって、年齢でいうとそんなに若い人たちじゃないです。でもネットを全くやらない人たちかっていうとそうでもなくて、買うものが決まってれば通販で買う。   ただネット販売って、買いたいものが決まってなくて、自分に合ったものが欲しいと思った時に少し難しいんですね。 例えばネット通販で服を買って失敗した事ってありません?   ―あります。買ったけどお蔵入りになったやつとか。   新倉氏:今ってそういう人が多いんですよね。失敗した!と思っても返品せずに、お蔵入りにしちゃう。商材的にもジーパンはちゃんと試着してもらって、長く使ってもらいたいっていうのがあるんですね。こちらがこれどうでしょう、って提案したものを何着か履いてもらって、決めてもらう。   ―確かにお店で吟味したものは長く使っていますね。   新倉氏:そうでしょう。ちょっと話がそれるんですけど、一時下取りセールが流行った時があったじゃないですか。ジーンズもそういう時期があって、そうすると新品同様のジーンズを持ってくる人もいるわけ。これまだ履けるけどいいの?って思うんだけど、全然愛着がないんですね。それってどうなの?と。   そういうものとは対極の商売がしたいんだけど、店を構えるとうまくいかない。そう考えるとこの移動販売っていう業態は理にかなっている気がしてきたんです。ネットの利便性とはまた違う「お店の人が来る」「試着が出来る」「お客さんに合ったものを提案できる」っていう部分が理にかなっているかなと思います。 「何を買うか」より「誰から買うか」   ―一番お聞きしたかった点でもあるのですが、ネットでのやり取りが盛んな今日、移動販売は時代に逆行したように感じるのですが。   新倉氏:そこはぜひお話ししたかった。僕は「今はネットの時代」と思っていること自体が危ないのかなと思っていて。それはある意味驕りだと思うんです。   皆が皆ネットの方向に行くわけではないでしょ。マルシェとかが最近盛り上がってるけど、そういう人たちもいるわけで。でもそういう人たちが通販を利用しないかっていうとそうではないし、もちろん僕もネット通販は利用します。買うものが決まってたら通販で買います。   でも一方では「何を買うか」より「誰から買うか」っていう方が大事だと思っている人が少しずつ増えている気がしてます。それは僕自身の手応えもある。今、倉敷の児島のジャパンブルージンズっていうメイドインジャパンのものが見直されてきているのも、そういう理由があるのかなって思うんですよ。   だから将来的にECをやるかって言われると、どうしても必要ならやりますけど、今はやろうと思ってないです。もしもECサイトに商品出してて、お客さんに「いいな」と思ってもらっても、試着もしないで買ってもらうっていうのは僕にとっても不安だし。   ―確かにECサイトなどでもお客様から評価される点というのは接客態度、つまり人とのやりとりの部分が多いですね   新倉氏:僕は売る側も楽しくなるネットショップをやってみたらいいんじゃないかな、と思っています。売上が上がればそりゃ楽しいけど、それだけじゃないと思う。「商い」ってそういう事ではないんじゃないかと。   僕も今までは数字追っかけてたけど、売り上げだけじゃなくて、それ以外のものもあるんじゃないかって思って、デニムマンを始めました。あとお店って、基本はお客さんが何かするのを待っているものじゃないですか。ネットショップはお客さんがクリックしてくれるのを待ってるし、実店舗はお客さんが来るのを待つ。27年「待つ仕事」をしていたので、それに飽きてきたってのもありますね。 編集後記 「儲け」だけでない、人と人とが関わり合う商い。 お客さま一人一人としっかりと向き合い、じっくり話すことで信頼を作り上げる。これはリアルの現場だからできること。お客さま一人一人に合ったニーズを肌で感じることができますよね。ネット通販でも人間味を感じるサービスが必要だなと考えさせられた瞬間でした。   ↓走るジーンズショップ「デニムマン」インタビュー!【後編】↓     ...

バッグや服飾雑貨などの販売を行う「ギャレリア(gallery of GALLERIA)」は、1990年4月に群馬県高崎市で設立された。当初は高崎駅前に実店舗を数店舗運営し、その後郊外に店舗を拡大。現在では高崎市内に2つの店舗を運営しており、平成16年から開始したネットショップでは約100種類ものブランドを取り扱い、現在では自社サイトを含め、楽天市場やamazonなどの計7モールで展開されている。   2011年からは楽天ショップ・オブ・ザ・イヤーやYahoo!ショッピング...

前回の「【ブランド戦略を聞く!】Hamee株式会社と有限会社スコープの社長対談!」に引き続き、Hamee株式会社代表取締役の樋口氏との対談形式で、ECが始まった当初の苦労話や、「scope」の変わらない部分、EC業界の今後などについて、お話しいただだきました。 「物を売る」高いものを仕入れて定価で売る姿勢は一貫していた ―お二人がお店をスタートされたのはECが始まった初期の頃ですから、やはり苦労した部分もあったと思います。当時の印象的なエピソードなどがあれば、教えてください。   樋口:詐欺にあったとか(笑)。   樋口:多分、話すと長くなっちゃうから(笑)。最初はネット通販から始まって、メーカー寄りになって「会社にしよう」と。仲のいい香港人の友達と一緒に会社を作って、ストラップを大量生産・大量販売したんです。1発目の商品はよかったんですけど、2発目があんまり売れなくて、焦っちゃったんですよね。で、ガンガン、後払いでもいいから買ってくれる所にってやっていたら、結構な金額の取り込み詐欺にあっちゃって、ブワーってお金がなくなっちゃったんです。当時20歳くらいだったんですけど、それが一番大変でしたね。だからその後は、ネット通販に徹してコツコツやるのがいいかなって思って。   あと、それが直接の原因ではないんですけど、香港人の友達とも、それから2年後に別々にやろうということになって。半分ずつ資本を出しているからどうにもならなくなっちゃって。そこからは、友達と一緒に事業をするのはやめようと思いました。自分が圧倒的なマジョリティを持っていないと、一緒にやっている人のことも不幸にさせてしまうと思うようになりましたね。 平井:うちの場合は、ずーっとあんまり人と接しないで、自分がやりたいようにやっていたので、「耐えるしかない」っていう所ですね。お金がないからファミレスでバイトするみたいな、売れない芸人さんと同じような感じで。バイトで稼いで10何万もらって、スコープの給料はゼロで2年くらいやり続けるみたいな。そういう苦労ですね。まあ、最初はそんなもんですよね。   樋口:僕の所は1997年から始めて、僕も全然お金はなかったんですけど、実家に住んでいたからまだ助かりました。100円ショップでおかゆ買ってきて、みたいな(笑)。そういう世界ですよね。   平井:当時、「日本は何があっても生きていける国」って言われていたけど、ウソじゃないかって思うくらい貧乏でした。缶ジュースとか開けてるヤツがうらやましくて(笑)、買えなかったですから。あと野良猫を見てうらやましく思ったり(笑)。忙しいけどお金ない、みたいな状態で。当時でも既にブランド家具なんかの安売りで結構な売り上げを作ってる人もいたけど、僕たちは「安売りはしない」って決めていたので、売れなかったんですよね。当時から良いものを仕入れて定価で売るっていう、それは今より強かったかもしれない。 「物を売る」まずは古い年代のものを何百脚集めて並べてみて価値を見つける   平井:あと、あるお金をどういう風に投資していくかっていうことを、社長は考えるじゃないですか。樋口さんが投資しているのは、システムだったり、海外の子会社ですよね。僕らはものすごく集約した会社にしようと思っているので、今いるスタッフにたくさん投資するのと、あとはモノのアーカイブですよね。過去の物を集める。いろんなソファーとかいろんな花瓶とかいろんな椅子とか、そういうのを集めることにすごくお金をかけています。   樋口:うちのスマホケースをアーカイブしてもしょうがないですからね(笑)。アンティークって、それだけで資産価値があるから。 平井:一個のモノを作ろうとした時に、過去にザーッと遡るんです。例えば、artek/Stool60をスコープで別注しようと思ったら、簡単に「これのこの色にしようよ」っていうやり方は、絶対にやらないんです。1930年代の古いものを百脚以上集めてみて、全部並べて「何が価値なんだ、ここだ」って。そうしないと、お客さんが損するから。お客さんが得をするような方向で考えていて、スコープで買った物が後から価値が出て高くなる、みたいなことがあるといい。ネットオークションで、去年の11月に3000円でうちが売った布が、すぐに数万円になる、とかも実際にあって、そういう買った物の価値が上がるのってなんかいいなって思います。 物を売るために仕事のやり方を変える   ―scopeさんの場合、商品へのこだわりなどは当初から現在まで一貫されていると思います。その他に、昔から今までで変わってない部分はありますか。   平井:うちは、Hameeさんくらいの人数にするのが難しいなと思って。人を増やすのが嫌いなんですよね。だから、「しんどいから人増やしてくれ」とか言われると「知恵を出して、もっと簡単にできる方法考えてよ」という、知恵出し制度をやっています。社員だけじゃなくパートさんも同じで、割り当てられる仕事によって時給がどんどん上がるようにして、賞与もあって。出荷場も、以前は200件だったのが、仕事のやり方を変えたら1,000件こなせるようになったり。スタッフ1人当たりの売り上げをどんどん増やしていく仕組みというのを昔からずっとやっていて、そこは一貫していますね。だから、スコープに新しいスタッフが入ってきたときに、パートさんを含めてみんなが「あれどうする、これどうする」って知恵を出し合って話しているのを見て、不思議だって言いますね。   あと、僕、お金の使い方にすごくうるさいと思うんですよね。使うとこには使うんですけど「とりあえず」なモノを買うと、処刑されるっていう(笑)。例えば会社で使う椅子にしても、いいものはいいじゃないですか、やっぱり。いいものを買ってそれをずっと使っていた方が会社の歴史にもなるし。そこも変わらない部分ですね。   ―樋口社長は、同じネットショップとして、スコープとの違いを感じたりしますか?   樋口:うちも、今そっち(スコープ)の方向に行きたいと思っているんですけど。スコープさんみたいに、徹底して大事に売る、作る、商品を絞り込む、もっともっとクオリティの高いものを作るとか。そうしたいんですけど、忙しくてなかなかそこまでできていない。少し前までは「会社をつぶしちゃいけない、伸ばさないといけない」という思いが強くて「つぶさないためには」という、危機感の方が大きくて。忙しくて人を増やしても、スタッフはみんな頑張っているから新しいビジネス作るし、成長させているんです。でも、相変わらず忙しい。こういう状況を、スコープさんみたいな流れに持っていきたいな、という思いが強くあるんですよね。   平井:僕もスタッフが大変そうだと、なんとかしてあげたいと思うんですよね。そういう時は、人を雇うべきか悩むんですけど。そこで考えた手法が「人を雇う」じゃなくて「新しいことを増やしたら何かをやめよう」と。例えば、ラッピング対応をやめるとか。今はパートさんも含めて全員で30人で出荷まで行っていて、そのうちの7人で経理、輸入、Web制作、商品企画、写真撮影、SNSを担当しています。樋口さんと会った当時は年商6億くらいだったんですけど、今はちょっと人が増えただけなのに20億近くまで伸びてます。   樋口:やめるっていうことも大事なことなんですね。 「物をみんなに安く売る理由」を企画化して商品を売る   ―EC業界の全体感として、大手モールは定期的に行う大型セールやポイントキャンペーンなどがスタンダードになっています。今後も、その流れは続くと思われますか。また、同じ業界で頑張っているネットショップ事業者の皆さんに向けてメッセージをお願いします。   樋口:うちは、今後スコープさんみたいな方針でやっていきたいですね (笑)。スコープさんはどうですか?   平井:僕らの業界は、値引きするのが「悪」みたいな考えがあり、僕らもずっと定価販売を大事にしてきたんだけど、だからこの業界は広まらないのかなと思っている部分もある。世間とは逆行して僕は今、値引きいいんじゃないかな?と思っています。何だかんだ、みんな安い時に買うじゃないですか。プレゼンテーションの仕方が問題なのであって。   僕らがSNSを活用した例として、お皿の在庫が2万5千枚くらいあってなんとか減らしたいと思った時に、スタッフは最初「返品したい」って言っていたんですけど、僕、お客さんに安く売ったらいんじゃないかって考えて。そのお皿に乗せた料理の写真をインスタにアップして、SNS上の企画として「みんなで商品ページつくっちゃおうぜ企画」という風にしたんです。これはおもしろかったです。フォロワ―が数万人いるような影響力のある人も、それを見て燃えてくれて。さらに、週一で僕たちがいい写真を選んで、選ばれた人には豪華商品をプレゼントしていた事もあり、たくさんの人達がインスタにアップしてくれました。そしたらその様子を見て、別のお客さんがまたお皿を買ってくれる。1ヶ月しないうちに、1万2千枚くらい在庫が減り、ほっと一安心でした。 インスタのフォロワ―って、僕はそんなにいないんですよ。SNSはフォロワ―の数より、いかにSNSに連動した新しい企画を作れるかだと思っていて。商品をただセールで安く売るんじゃなくて「モノをみんなに安く売る理由」っていうのを企画化して商品を売るというのが、今後は増えていくんじゃないかなと思いますね。   樋口:確かに、残った在庫を返品したり捨ててしまうのではなくて、そういう風に売っていくのが大事ですね。売り方として、安いものを集めてただ売っているだけのECはダメだと思いますね。   平井:かといって、絶対に値引きしない!とかは、僕は違うと思うんですよね。超ハイブランドはやらないかもしれないですけど、通常のアパレルブランドはセールやりますし、みんな買っていますし。そういうのもうまくやっていくのが、広がっていくコツなのかなと思います。 「物を売る」ものづくりのポリシーがないと世界には通用しない   平井:今日、樋口さんと話していて、世界に広がっていこうと思ったら、やっぱり「本物」じゃないと無理なんだなって思いました。いかに自分たちでブランディングするか、モノづくりは自分たちがどう決めるかですから。食器だったら長く使えるとか、「ものづくりのポリシー」みたいのがないと世界には通用しないぞと、やる前から気づいてしまいました。   樋口:それは、日本も同じだと思いますね。中小でも安売りの店は存在するけど、「安売り」だけだと結局大手には敵わないじゃないですか。中小のECとしては、スコープさんみたいな形が、未来のECの形なんじゃないかなと思いますね。   平井:インスタグラムとか、SNSの活用も絶対合うと思いますよ、Hameeさんは。例えばHameeさんの商品を持っている人が参加できる企画とか、やってみるといいと思います。   樋口:スコープさんの過去の企画も拝見して、うちでもちょっと考えてみようと思います。 編集後記 どんな時でも決して安易な方向に走らず、徹底的にこだわり、考え抜くscopeさんの姿勢は、商品セレクトや写真、文章、SNSの企画など、あらゆる所に現れていると思います。   売れない時代でも変わらずに自分たちのポリシーを持ち続けてきたからこそ、scopeさんは、決してひとりよがりではない「本物」の価値ある商品を提供し続けられているのだと思いました。   ↓前編をまだ読まれていない方はこちら!↓    ...

『考え方』が一貫していれば、それがブランディング   2000年より名古屋に本社を構え、インテリア家具・雑貨などを中心に、生活を豊かにするアイテムを世界中、日本中からセレクトし販売するネットショップ「scope(スコープ)」。徹底的にこだわり抜いた商品セレクトで多くの根強いファンを持つネットショップであり、数々の賞も受賞しています。     自社サイトはもちろんのこと、scopeの独自の世界観はSNSでも発揮、そのハイセンスでユニークな写真や動画、参加型の企画などがユーザーに支持され、同社のFacebookページは現在、35万人以上の「いいね!」を獲得しています(2016年4月現在)。   今回は、有限会社スコープの「シャチョウ」こと代表取締役の平井千里馬氏と、以前から親交の深いHamee株式会社代表取締役の樋口敦士氏との対談形式で、平井氏のSNSについての考え方や「scope」のブランディングについてなど、前編・後編の2回に分けてお届けします。 「ブランド戦略を聞く!-その1-」Facebookを「やるなら徹底的に」やる Hamee樋口氏(左)と、スコープ平井氏(右)   ―そもそも、お二人の交流のきっかけは?   平井:出会いのきっかけは、2012年ですかね?楽天主催の SOY TRIPでサンフランシスコに研修旅行に行った時に、5~6人のいくつかの班に分かれていたんですけど、樋口さんと同じ班でした。樋口さんはその時2回目の参加で、僕は初めてで。僕たちの班はそんなにこう、「常連」みたいなお店じゃない班だったんですね。ショップ・オブ・ザ・イヤーも最近受賞し始めたような人達が集まっていて。それでまあ仲良くなって、毎晩飲んでいて(笑)。次の年も、班は違ったんですけど一緒に参加していました。   で、僕はその時急に、Facebookをやろうと思ったんです。SOY...

国内最大級のスマホグッズ・アクセサリーを取りそろえるネットショップ 「Hameeストラップヤ」や、国内No.1のシェアを誇る ECバックヤードプラットフォーム「ネクストエンジン」など、ユニークな商品やサービスを次々と世の中に送り出しているHamee株式会社。   設立当初はモバイル周辺アクセサリーの仕入れ販売がメインだったものの、社⻑の「自社でおもしろい商品を作っていきたい」という思いから、設立当初より自社商品の開発を行っている。現在も自社商品はもちろん、キャラクター商品の企画・デザインも行っている。   今回は、商品部でデザイナーとして活躍し、自社ブランド「trouver(トルヴェ)」の生みの親でもある城田氏に話を聞いた。 trouver(トルヴェ)の生みの親   -どのような体制で自社ブランドが生み出されていますか?   学生時代にデザインを学び、新卒でHamee株式会社に入社しました。入社当初から商品部に所属しており、最初は仕入れ部門の仕事に携わり、業界のことなどについて学びました。入社1年目の終わりごろから、現在携わっている商品開発の方へと移り、現在に至ります。Hameeの商品開発メンバーは7名ほどおり、20〜30代のメンバーをメインに、男女半々くらいの割合です。   現在、Hameeの自社ブランドは...