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廃業したはずのショッピングモール「まさかの活用法」 こんにちは。廃墟マニア、酷道マニアの鹿取です。   ここ10年ほどで急激に日本中に広がり、人口の少ない田舎町にまで進出しているショッピングモール。もはや国内では飽和状態で、既存店を潰す覚悟で出店するしかない状況だが、それだけ身近な存在になった。   食料品や衣料品だけではなく、家電や自動車、旅行商品なども手に入る。大型アミューズメント施設やシネコン、動物園を備えたモールもあり、老若男女が1日中楽しめる空間として我々の生活に定着しつつある。   その一方で、競争に敗れたり、様々な大人の事情で廃れゆくモールも存在する。最盛期には100以上のテナントを擁していたショッピングモールが、最終的には玉ねぎの無人販売所になってしまった。そんなウソのようなホントの話をご紹介したい。   玉ねぎモールとの運命的な出会い 全ては、スマホを落として壊したところからはじまった。   画面が割れて真っ黒になってしまったため、機種変更しようと携帯ショップを探した。自宅から徒歩圏内にもショップはあるが、知り合いが働く遠方のショップへ行くことにした。また、その日に限って自家用車が使えない事情があり、仕方なくバスに乗って向かった。   バスは1時間に1本しかなく、予約の時間まで1時間近くもある。炎天下ではあったが、じっとしていられない性質の私は、周辺を散策することにした。   そこにショッピングモール“LCワールド”がそこにあることは、以前から知っていた。買い物したり、ボーリングして遊んだこともあるが、半年ほど前から営業しなくなったと聞いていた。実際、広大な駐車場に、今は車が1台もない。モールが閉店してしまったことを残念に思っていた。   ショッピングモール“LCワールド”の外観   抜け殻になったモールの周りを歩いていると、おかしなことに気付いた。出入り口が閉鎖されているにも関わらず、照明が点いている。それだけではない。清掃員がモップがけをし、警備員が巡回していたのだ。   これはおかしいと思い、巨大な建物の周りをグルっと歩いてみた。すると、数ある出入り口のうち1箇所だけ、閉鎖されていなかった。これは、ひょっとして、ひょっとするのではないか。ドキドキしながら自動ドアに近づく。   すると、ドアが開いた!まさかの展開に、一人で興奮する。 自動ドアが開いた! 廃墟?ショッピングモールの中に潜入 ショッピングモールの中は、なんとクーラーが効いていて涼しかった。しかし、目の前の通路は塞がれていて、核テナントであった食品スーパーも真っ暗で抜け殻の状態である。   とても営業しているようには見えない。   いったい何のために自動ドアが開いたんだろうと不思議に思っていると、目の前に答えがあった。   カゴの中に玉ねぎが10個ほど入れられて「たまねぎ1玉100円」と書かれている。その後ろには “お会計箱” が置かれていた。そう、玉ねぎの無人販売だ。その脇には、こんな貼り紙もあった。   「誠に勝手ながら、4月20日をもって営業を縮小させて頂きます。」   そう、これは唯一のテナントであるスーパーが営業を縮小しただけで、モールは今でも営業していたのだ。いくらなんでも、縮小しすぎだろう。ボーリング場や飲食店など100以上のテナントが入っていたモールのなれの果てが、玉ねぎの無人販売だった。   縮小しすぎ   あまりにも衝撃的な光景だったが、スマホが壊れているため写真を撮ることができない。興奮しながら機種変更をして、その足で再びあのLCワールドに戻った。もちろん、写真を撮るためだ。今のスマホに機種変更して、最初に撮ったのが玉ねぎである。   まさか、このためだけにモールが開いているとは、思いもしなかった。   早速ツイートすると、瞬く間に話題となり、次の日にはワイドショーの取材が押し寄せていた。   LCワールド本巣の生ける廃墟っぷりが凄い。107テナントあったのが、本館では食品スーパーの1テナントのみに。そのスーパーも営業を大幅に縮小し、無人で玉ねぎを売ってるだけ。玉ねぎを売るためだけに巨大モールが開いてるという不思議。...

えらいてんちょうが教える「商売のトラブル回避法」   どうも、えらいてんちょうです。    最近はショボい企業のコンサルタントをやったり、投資家と起業家をマッチングさせるイベントを開催したり、Youtuberとしてそこそこのところまで行ったり、その他何かあやしい感じのムーブで儲けたり、儲けなかったりという感じです。「本業はいったい何なんですか?」とよく聞かれるのですが、あえて本業を言うならば(自分で立ち上げた)バーの経営者および店長であり、そのバーの支店が日本中に広がっています。その経験から「ショボい企業コンサルタント」を名乗っています。    私のところに相談に来る『起業したいマン』ですが、自己資金が数百万あって、それを効率よく使って事業を立ち上げようとする感じのタイプの人はほとんどおらず…。まあ、まず間違いなくお金がありません。自己資金はバイトで貯めた50万、なんて人はまだいいほうで、まったくのスカンピンでやってくる人も多々います。    そういう人たちでも、私の周りにいるお金持ちが面白がって投資をしたり、あるいは私のアドバイスを聞いて100万ぐらいの自己資金を溜めることによって、無事事業を始められたり、始められなかったりしています。    今回は、そういう「カネがなくて起業した人が、いかに周りとトラブルを起こさずにやっていくか」という話をしたいと思います。   甘く見積もりがちな「挨拶の重要性」  よくいるんですよね、自分は○○さんに出資はしてもらったけども、お客さんはSNSのつながりの人が中心だし、商店街の周りの人は別に助けてもらってないから挨拶も何もいらないよね、という人。いや、別に間違ってはいません。それであなたのお店にジャンジャンお客が入り、儲かって儲かって仕方がない、という状態が続くなら別に挨拶なんかいりません。    ただ、なかなかそうはいかないのです。たとえばあなたの店が商店街の中にあったとしましょう。商店街の人たちは、あなたの店を知らないどころか、あなたの店の敷地に前あった、もう閉店してしまった店の人のことまで知っています。あなたはその場において完全なる新参者であり、仮に同じ商店街の中に扱う商品がかぶる店があれば、その店の商売敵になり得るわけです。    こういったケースで予想されるのは、商店街の他所の店の人からの攻撃です。商売敵本人だけではなく、です。なぜなら、その商売敵の店はもう長いことその商店街でその業態の店を経営しているわけであり、商店街の人たちで仲間を形成しているからです。街を散歩していると、電柱に「○○商店会」なんて旗が下がってますね。あれがそうです。「○○商店会」というのは、「○○商店街で商売をやっている人の集団」であり、まさに「商人ギルド」です。ギルドの仲間たちは自分たちの誰かが攻撃されれば束になってかかってきますし、やっとこさ店を立ち上げたばかりのあなたの店は叩けば埃のひとつやふたつは出ますから、総攻撃を喰らってはひとたまりもありません。   「商人ギルド」の標的になってからでは遅い  正直、こうなってしまってからこの状況を覆すのはかなりしんどいものがあります。どこのギルドでもそうですがギルドには「主」がおり、その「主」の機嫌を損ねてしまった後だと、「主」の赦しを得るには、最初から適切な対応をしたときと比べて数十倍、数百倍の労力がかかります。赦しが得られない場合、周りの商店街が全部敵、という状態から店をスタートしなければならなくなります。    あなたは自分の店のことだけやっていればいい、と思っていたのに、周りの商店街からさまざまな嫌がらせを受けたり、行政へ何かをチクられたり、怪文書を撒かれたりなど、先方の攻撃手段は無限です。そしてあなたは本業からかけ離れた作業に忙殺されることになります。その対応にかまけて本業の質が下がってしまっては、まったくもって本末転倒です。    何を隠そう、私もこの「商人ギルド」の主です。商人ギルドは別に実際の商店街だけではなく、インターネット起業にも存在します。ネット商店街の中において、店長を1日単位でSNSで募集する「イベントバー」のシステムは、本当に最初に着想したのが私かどうかは知りませんが、少なくとも現時点において、私はそのシステムのフランチャイザーとして、ひとつのネット商店街の「主」です。    自分の店を持つということは、誰しもが一国一城の主になるということです。「信長の野望」でも「三國志」でもそうですが、ゲームを始めた瞬間に周りの国が全部敵、という状況はしんどいですよね。できれば、周りには味方の国がたくさんいて、しばらくは戦争の心配なく、自国の力を充実させるのに力を注ぎたいものです。   「商人ギルド」に入り込むためにまず踏むべき手順  ゲームだとこの場合、お金やアイテムを送ったりして友好度を上げるのですが、実際の商店街でもネット商店街でもほぼ同じです。まずは挨拶です。「このたび、あそこの角にこんな店を開きます、△△と申します。至らない点もあるかと思いますがよろしくご指導ください。まずはご挨拶をと思いまして、大したものではないのですが……」なんて手土産の一つも持っていけば完璧です。これを、商店街の片っ端からやっていきましょう。全部回ればその中にたいてい「主」がいますし、「ああ、挨拶回りなら○屋の○さんに一声かけといたほうがいいよ」なんて教えてくれることもあります。親切にも「主」を教えてくれているのです。    開店前というのは店内の内装、行政への届けなど死ぬほど忙しいのですが、この手順だけは踏んでおいたほうがいいでしょう。お金がないなら最悪手土産はなくても構いません。この「ギルドへの挨拶」は恐ろしいことに、遅れると利息がつきますので、早ければ早いほどいいのです。逆に、あまりにも遅くなってしまった後では、多少の手土産なんか何の役にも立ちません。   出店前に特に注意しておくべき「〇〇かぶり」  とくにケアが必要なのは、「商圏がかぶる(他店の客を減らす恐れがある)、システムがかぶる」といった消耗合戦に陥るおそれがあるときです。たとえば1000円理髪店しかない商店街に1回5000円かかる美容室を作る、これは客層がほぼかぶらないと予想されますから、まあ少し丁寧に「こんなのやらせていただきます」でいいでしょう。しかし、そんなに大きくない商店街で、もうすでに北海道の海鮮にこだわった居酒屋があるところに、北陸獲れの海鮮居酒屋を建て、どちらも宴会や貸切も可能、なんて話になってくると、かなり綿密な挨拶と住み分けの相談が必要になります。    「商人ギルド」のネットワークは基本的にその商圏で商売をしてきた人たちの集まりですから、いかんせん情報が異常に早く、またその精度が非常に高いです。リアル商店街でも物件を探しに不動産屋に行ったら、その不動産屋がすでに商店会の一員で、契約前に不義理を全員知っている、なんてこともあります。ナメてはいけません。そしてそれは「ネット商店街」でも同じなのです。   えらいてんちょうの周りで発生したトラブル事例  つい先日、私の周りでもこれが起こりました。私のバーの店舗からわずか2駅、反対側にある私のバーの衛星店舗からは1駅しか離れていない場所で、まったく私に話を通さないまま、日替わりバーテンシステムのバーを開業しようとした人がいました。しかも、私のバーでも何度もバーテンをつとめてくれたスターバーテンを引き抜いて、です。    リアル商店街とは違い、ネット商店街では2駅程度しか離れていない実店舗は商圏がかぶるどころではありません。「SNS経由で、日替わりバーで一日バーテンをやろう」などと考える人間は大都会でもそう多くはなく、必然的にお客さんの多くは遠くから電車に乗ってやって来ることになります。2駅先なんてほとんど軒先のようなものです。衛星店舗とはお互いにルールを決め、お互いに企画やバーテンを融通し合うなどいい関係が築けていたのですが、何も挨拶無しにこれをやられてはたまりません。    当然、「商人ギルド」内からこの情報はすぐに私のところに届き、私は開店準備にかかっていたこの店の店主と即座に交渉に入りました。このままでは、お互いがバーテンを引き抜き合う消耗戦となり、誰も得をしないからです。いや、私の店はギルドが出来上がっていますから潰れることはないでしょうが、先方は「我々のギルドにケンカを売った店」ということになり、どう考えてもまともに経営が成り立つとは思えません。私は決して争いごとが好きな人間ではありませんが、商売上の不義理はキッチリと落とし前をつけ、ギルドのメンバーに毅然とした対応を取ったことを示さないと、今度は私の店が危なくなります。    結果として、この店は大幅な業態変更と、日替わりバーテン制度の廃止を余儀なくされました。最初から相談しておいてくればお互いの利益になる形に落ち着かせることができたのに、あんな無茶な特攻作戦を取られては、収まる話も収まらなくなります。   「商人ギルド」に守ってもらうためのテクニック  この話を聞いて「怖い」という感想を持たれる方もいるかもしれません。しかし、これは水商売の論理で言えば明確な「ショバ荒らし」であり、こちらの店の存続に関わる重大な問題なのです。だからこそ、リアルにせよネットにせよ商店街の面々は「ギルド」を作り、綿密な情報交換をしているのです。みんな「明日は我が身」だからです。「ギルド」は別に閉鎖的な組織ではなく、然るべき挨拶とスジが通されれば、ちゃんと入会が認められるものなのです。    このギルドの中にうまく入り込み、無事店をオープンさせられれば、あなたは「守られる立場」になれるわけです。ただし、当然一番の新入りですから、なにか癪に障ることを言われても、少なくともその場では平身低頭で話を聞いていましょう。ここで逆らっては何にもなりません。    私がよく言う言葉ですが、「挨拶と謝罪は無料でできる投資」です。お客さんが来なくて仕事がないときには、店の周りを掃き掃除でもしていましょう。そのうちギルドの人が通りかかって「どうだい、やってるかい?」なんて声をかけてくれます。「まずまずです」でも、「いやーなかなかですねー」でも構いません。「私の店はたぶんもうしばらく暇なんで、なにかお手伝いできることとかありますかね?」とかだと最高です。    そこから「おう、ちょうどよかった、いまから配達あるんだけど、10分ぐらい店見ててくれない?」なんて話になれば、「懐に入れた」ことになります。「おー、ただいま、何もなかった?んじゃもう大丈夫だよ、ありがとう」なんて言われたら「こんど、お仕事終わりにでも、うちの店遊びに来てくださいよ」と言えます。すると、何日か後にそのおじさんが他のギルドの人を連れて店に来てくれたりします。そこで「いつもお世話になってるんで……」みたいな感じで一杯ごちそうしたり、一品余計に出してあげたりすると、「商人ギルド」の情報ネットワークがいい方向に働きます。    「こないだ角に店出した子、あの子若いのになかなかしっかりしてるよ」という情報が瞬く間に商店会の中に広がり、「そんなにいい子ならいっぺん行ってみようか」ということになり、商店会の仲間に入れてもらえます。また、来てくれた商店会の人が、その人の本業で、商店街のただの住人と雑談をしているときにも「そこの角にさ、こないだ店できたじゃん。俺いっぺん行ってみたけど、なかなかいい店だから今度行ってごらんよ」という感じで、勝手に宣伝をしてくれたりします。悪いことは何もありません。    この商店会こと「商人ギルド」は敵に回すと大変なことになるが、味方にすると心強いということがおわかりいただけたでしょうか。    ちなみにこの「商人ギルド」を無視して商売する手も全くないわけではありません。いちばんわかりやすい例が地方都市の郊外のショッピングモールです。繁華街の商店会の涙ながらの抗議を無視して、バイパス沿いの空き地に馬鹿でかい店舗を立て、食品、衣料品、酒店、書店、映画館、フードコートあたりが全部詰め込まれた店舗を作った結果、若者やファミリーはみんなそっちに集まってしまい、商店街がシャッターだらけになったという例は日本中のあちこちの都市で見られます。あるいは、コンビニチェーンや格安レストランチェーンなどに対しても商店会は無力で、そのおかげで昔から愛されてきた地元の店がつぶれてしまった、などの例も見たことがあるでしょう。    ただ、これらのバックボーンは巨大企業です。巨大企業が多大な資本を投入し、築き上げたブランド力と集客力にはさすがに歯が立ちませんが、あなたの作った一国一城を商店街の中でやっていこうと思うなら、近隣の商人たち、つまり商店会=「商人ギルド」を敵に回さず、味方につけるとハードモードがイージーモードになるぐらいの差が出るというのは、ここまで書いてきたとおりです。    「商人ギルド」内でかわいがられる方法はこれ以外にもいくつかあります。最初の挨拶は必須ですが、たとえばお中元やお歳暮、お年賀のシーズンなどは株を上げるチャンスです。「ビール、お好きでしたよね?」「甘党だとお聞きしたので、お茶菓子に羊羹をお持ちしました」「奥様がお料理がお好きとのことでしたので、サラダ油を……」何でも構いません。こういうちょっとした気遣いができることで、あなたの評判は爆上がりします。聞くところによるとサラリーマンの世界ではお中元・お歳暮禁止令が出ているところも多いらしく、サラリーマンから個人事業主に転じた人には季節のご挨拶という習慣がないかもしれませんが、個人事業主同士であればこの季節は大チャンスと言ってもいいでしょう。   商店会費は気持ちよく払っておいた方がよい  また、少し別の話になりますが、商店会に入ると「商店会費」などのちょっとした(しかし、ショボい起業においてはバカにならない)金額を請求されることがあります。これがイヤだという人もいるでしょう。また、月に一回ぐらいみんなでくだらない話をしてお茶を飲むだけの謎の会議や、お祭りの季節だからといって神輿作りやその他のよくわからない作業に駆り出されることもあり、これがイヤで仕方ないという人も多いでしょう。    しかし、モノは考えようで、商店会費は「少なくともそれだけ払っておけば商人ギルドに入れてくれる」ということですし、謎会議は「そこにいるということで仲間意識を共有できる」場となります。お祭りはあなたにとってどうでもよくても、商店街にとっては大事なイベントだったりします。ここで活躍できると、あなたの株が爆上がりして、ほぼ確実に投資した以上のリターンが返ってきます。 自分の商売に集中して、有意義な商売人ライフを!  自営業というのは、ボーナスがあるわけでなし、有給休暇があるわけでなし、毎日売上げのことばかり考えていなければならないという厄介な商売です。しかし、だからこそ自分の商売に集中できる環境を整えるというのは非常に大事なことなのです。イージーモードであなたのやりたい事業をガンガンやっていきましょう。...

『婚活商売』が乱立中。婚活マニア歴6年の著者がご案内 書籍『「婚活」時代』が発売されてから10年。婚活はいまや一般用語として普及した。婚活の手段も従来のお見合いや合コンだけでなく、選べないほど多数の選択肢がある。   であるからには、そろそろ「婚活にはどんなものがあるか」網羅的に見てもいいのではないか。そこで今回は、結婚希望者からの人生相談を6年ほど受け続けてきた"婚活マニア"としての経験をもとに、婚活業界をご案内したい。   これが婚活業界マップだ 婚活業界はおおまかに11種類へ分かれている。 ▲婚活業界マップ   高単価なものでは3万円程度かかるが、低単価なものは1,000円台から参加できる。真剣度は「結婚とは限らず恋愛や友人関係を探しにくる」人の割合でマッピングした。   以下、各項目を解説する。   (1) 合コン 歴史はなんと明治時代にさかのぼる、出会いを促進する飲み会。株式会社ぐるなびの調査では婚活で選ばれる手段の3位にランクインしている。   だが実施する人の多さと対照的に、成婚率は低い。リクルートブライダル総研の『婚活実態調査2018』によると、合コンで出会った相手と結婚した人は2017年に成婚した人のわずか9.6%に過ぎない。これまで人生相談を900件近く受けてきた筆者としても、既婚者がよく混ざっている、盛り上がりを優先して個々の相手と話しづらいなど課題が見られる。楽に開催できる反面、効率はよくない婚活といえる。市場規模は不明だが、飲食店業界へ一定の割合で貢献していることは間違いない。   (2) 街コン 飲食店と提携し、多数の店舗を回ることで婚活を楽しめる合コン。従来の合コンと異なり、見知らぬ男女が集まるのが特徴。2014年の意識調査によると、合コンよりも結婚への真剣度が高いことが判明している。   街コン単体での市場規模を推察することは難しいが、大手街コン企業の株式会社リンクバルの決算資料を読み解くと、街コンよりイベント型婚活で業績を伸ばしていることからやや縮小傾向にあると思われる。 (3)...

かまぼこの未来のため、異色のレスラーが立ち上がる 武藤敬司率いるW-1で活躍するプロレスラー三富政行さん(twitter、instagram)を知っていますか? 彼は慶應義塾大学を卒業し、大手広告代理店・博報堂に就職。その後一念発起して会社を辞め、プロレスラーに転身するという、異色の経歴を持っています。   【過去記事】博報堂を辞めてプロレスラーに。三富政行が語る「好きを仕事にする」ということ   そんな三富氏、7/1に小田原アリーナで開催されたW-1の告知で弊社(小田原にあります)を訪れた際、親戚が小田原に住んでいて、かまぼこが身近な存在だったこと、かまぼこに対して人一倍熱い想いがあることを話してくれました。   ---------------- かまぼこは高たんぱく低カロリーなんです! アスリートは絶対かまぼこを食べるべき。 脂質も超低い。炭水化物も入っているから、これだけで食事として完結する、まさに『完全食』なのです!もっとかまぼこのことを知ってほしい!...

宮城県の廃墟「化女沼レジャーランド」を知っていますか? 宮城県にかつて存在した遊園地「化女沼レジャーランド」。今は廃墟となり、静かに新しい買い主を待っています。その歴史と現在、なぜ復活に向けたクラウドファンディングはとん挫してしまったのか。   持ち主の後藤孝幸氏から買主探しを依頼された「廃墟マニア」鹿取氏に語っていただきます。   夢見る若者が実現させた「化女沼レジャーランド」 戦後、焼け野原となった宮城の仙北平野を眺め、人々に希望を与える娯楽施設を築こうと夢みる若者がいた。古川商会の二代目、後藤孝幸氏だ。ガソリンスタンドや貸しビル業など、様々な事業を手広く展開するが、ずっと夢を追い続けていた。   1979年、ついに夢を実現させる。宮城県古川市(現在の大崎市)に総合レジャー施設「化女沼保養ランド」を造り上げた。観覧車やメリーゴーランド、ゴーカートなどを備えた遊園地のほか、ゴルフ場やホテル、野外コンサート場も併設した。その後、「化女沼レジャーランド」に名前を変えた。   行政や大手企業に頼ることなく、後藤氏の独力で開園に漕ぎつけたが、その苦労は生半可なものではなかった。連日銀行を駆け回り、資金を集めた。遊園地の遊具も、後藤氏が直接アメリカやヨーロッパに出向いて買い付けてきた。   ▲廃墟となったゴルフの打ちっぱなし。このほか6ホールのゴルフ場もあった。   開園後は、東北では数少ない遊園地とあって、連日多くの人で賑わった。週末にもなると家族連れが列をつくり、ランド周辺には渋滞も発生した。なかでも1,000人を収容できるそうめん流しは、化女沼レジャーランドの風物詩となった。今でも地元では「遊園地のことは覚えてないけど、そうめん流しだけは覚えている。」という人も多い。   そうめん流しとは、流しそうめんとは異なり、円卓中央の水槽の中でそうめんがグルグル回るというもの。ランド内には、専用の円卓が数百基備えられていた。   ▲そうめん流し 参考画像   野外コンサート場では、ゴダイゴなど人気歌手のコンサートも度々行われ、全国から数千人のファンが押し寄せた。あるコンサートの日、台風が接近していたため中止を決定したが、ファンの女の子に泣かれて、仕方なく数人のためだけにコンサートを行ったこともあった。その日のことを後藤氏は「大赤字でしたよ。でもね、お金のためだけじゃないですから。商売は。」と、笑顔で振り返る。   年間20~30万人が訪れ、たちまち宮城を代表する人気スポットになった。後藤氏は多忙を極め、寝る間を惜しんでイベントの準備などに追われた。   順調に動き出した化女沼レジャーランドだったが、徐々に苦戦を強いられてくる。渡り鳥の飛来地として知られる化女沼の畔にあってロケーションは最高だが、アクセスは決してよくなかった。東北新幹線の古川駅からも、東北道の古川インターからも10キロほど離れている。   また、元々人口の限られている東北では、特にリピーターの存在が大きな鍵となるが、独力で開園したため資金と時間に余裕がなく、設備の増設が出来なかった。   レジャーが多様化し、海外旅行へシフトしていった時代背景もあって、来園者は急激に減少。1990年代後半には、入場者が1ケタという日も少なくない状況に陥った。資金繰りが悪化し、持っている土地も全部担保に入れたが、2001年、ついに閉園のやむなきに至った。   戦後から追いかけ続けてきた男の夢は、20年ほどで儚く消えた。   ▲廃墟と化した化女沼レジャーランド     私と「化女沼レジャーランド」の所有者・後藤氏の関係 遊具が錆びつき、荒廃した雰囲気が漂いはじめた2010年、私は後藤氏とはじめて出会う。当時、NHKで放送されていた「熱中人」という番組で私が密着取材を受けることになり、ロケができる廃墟を探していた。   とはいえ、廃墟というのは、所有者にしてみれば不名誉な遺物で、ひっそりとしておいてほしいのが本音だろう。それをテレビで放送するなど、とても許可してくれるものではなかった。   東海地区から全国へエリアを広げ、許可の取れる廃墟を探していた時に行き着いたのが、化女沼レジャーランドだった。後藤氏は快く撮影を迎え入れてくれたのだ。   ちなみに、化女沼レジャーランドは廃墟化した後も、映画『スープオペラ』など、撮影地として度々使われてきた。なかには困ったこともあって、某テレビ局の「映っちゃった系番組」のロケに使われた際、根も葉もない事実を放送され、“心霊スポット”の汚名を着せられてしまったのだ。テレビ局の作り話、デマだというのに、信じている人も多いようだ。   「夢も一緒に引き継いでくれる人が現れるまで」 化女沼レジャーランドにかける後藤氏の想い ロケ当日、廃墟と化した化女沼レジャーランドを2日間かけて探索しながら、後藤氏の話を聞いた。   「ここにはね、遊んだ人の思い出と私の夢がギッシリ詰まってるんですよ。そのシンボルである遊具は、どうしても撤去できなかった。できればまた遊園地にしたいんです。それが無理でも、みんなが喜ぶ場所にしたい。」   遊園地の遊具は中古でも高値で取引されるため、早々に撤去されることが多いが、後藤氏の強い意志によって遊具が残されていたことを知る。こうした後藤氏の思いに触れ、胸が熱くなった。また、後藤氏はこうも語った。   「俺があと10歳若かったら、金を集めてまたやるんだけど、もう歳だから。土地は売りたいけど、切り売りはしない。夢も一緒に引き継いでくれる人が現れるまで、遊具を残しておく。」   ▲化女沼レジャーランドに対する熱い想いを語ってくれた後藤氏   私に何かできることはないか考えた こんな話を聞いて、心が動かされない人なんているのだろうか。できることなら、私がここを遊園地として再興したいと思った。閉園した当時とは、事情も大きく変わっている。   車で1分ほどの距離に東北道のスマートICが完成し、交通の便は大幅に改善された。閉園後に温泉を掘削し、源泉も湧いた。これが温泉マニアも唸るほどの良泉で、宮城県のみならず、東北随一と評されている。これは、やり方によっては何とかなるのではないか。   そんなことを思ったところで、私には先立つものがない。どう考えても億単位の買い物になるので、日々の生活にあくせくしているサラリーマンとしては、どうしようもなかった。複雑な思いを抱えて、ロケを終了した。   ▲筆者も温泉に入浴。野湯状態だが、泉質は折り紙つきだ。   「化女沼レジャーランド」が再びNHKで取り上げられる それから4年が過ぎた2014年、NHKから連絡が入った。「新日本風土記」という番組で化女沼レジャーランドを取り上げたいが、所有者と連絡がつかないので紹介してほしいという内容だった。   私は2010年のロケ以来、個人的にランドを見学させてもらうなど、後藤氏と連絡を取っていた。すぐにNHKと話を繋いだ。放送では、化女沼レジャーランドというより、後藤氏が主役になっていた。あえて廃墟を残している熱い想いや、豪快で人情味あふれる人柄に、NHKのスタッフも惚れ込んだのだろう。当の後藤氏も放送を気に入ったようで、私にまでお礼の電話をくれた。   廃墟の所有者から廃墟マニアへ、まさかの依頼が 放送後の2015年春、後藤氏が名古屋まで私に会いに来てくれた。電話ではなく、直接お礼が言いたいのだという。   当日、宮城のお土産をいただき、思い出話にも花が咲いた。そして、後藤氏がおもむろに分厚い冊子を取り出した。表紙には“化女沼レジャーランドの概要”と書かれている。   「私ももう歳だから、ランドを手放そうと思う。そこで、夢を引き継いでくれる人を、ぜひ鹿取さんに見つけほしいと思って来たんです。」   これには正直、ビックリした。敷地は45,000坪あり、温泉の源泉も付いてくる。どう考えても、高額な不動産取引だ。その売り先を、不動産と全く関係のない化学系技術職のサラリーマンである私に、依頼してきたのだ。それも、廃墟の所有者と廃墟マニアという関係でしかないのに。   無理だと思いますよ、とお伝えしたが、これまで何度も廃墟の見学を受け入れてもらい、何一つ恩返しができていない。無理と分かっていても、出来るだけのことはやってみようと心に誓った。   ▲廃墟の所有者(右)が廃墟マニア(左)に売却先探しを依頼するという前代未聞の事態に。   とはいえ、私にできることといえば、せいぜいホームページで宣伝をしたり、廃墟マニアの口コミで情報を広めることぐらいだ。土地に興味のある人も来るかと思い、見学会も催したが、何の反響もないまま1年が過ぎた。   「廃墟の買い手募集」がみるみる拡散。殺到する取材依頼 2016年9月、何気なくツイッターでつぶやいた。   宮城県古川市にある遊園地廃墟「化女沼レジャーランド」。所有者様に頼まれて、買っていただける方を探しています。東北自道・長者原スマートインターから3分、約45,000坪、閉園後に涌き出た源泉付き。自然公園に囲まれ、当地のみ建築制限なし...

知的障がい者サッカー日本代表、西眞一監督インタビュー後編 後編では、「もう一つのワールドカップ」に向けた戦い方や、キーマンを教えてもらいました。   そして、実際に選手たちがプレーするところも見せてもらいました。   リンクなど ★前編はこちら ★「もう一つのワールドカップ」日本代表公式応援Tシャツのご購入はこちら   スウェーデン大会に向けて 8月に「もう一つのワールドカップ」として、知的障がい者サッカーの世界大会があります。そこに向けて西監督は「ハードワークを通した、全員攻撃、全員守備」を掲げていますが、この言葉にはどんな想いが込められていますか?   ハードワークっていうのは90分間とにかく走る。走ることをまずやろうということ。   全員攻撃、全員守備は文字通り、みんなで攻めてみんなで守るということなんですけど、常にボールに関わるという意味でそれを提示しています。   なぜ敢えてそれを提示してるかと言えば、彼らは基本的にシンプルな人たちなんで、「ああもうきついな」って思ったら、足が止まっちゃう。それを「足を止めずにやろうよ」と。何のためか。それは「試合で勝つため」であり、「ゴールを決めるため」と言ってます。   全員攻撃、全員守備というのも、攻撃してる時に守備の選手が「僕は守りだから関係ないや」じゃなくて、ボールは前にあっても守備の人たちも常に関わっている、常にサポートできている。ボールを奪われたときにすぐに対応できる。   そういう意味で攻撃も守備も、全員一緒にやろうねって言ってます。   戦術について 戦術面ではどうですか?   彼らにはトレーニングで見たままのものをゲームの中でやってほしいと考えています。あれこれ戦術を細かくはめていくと、さっき言ったようにいろいろあったら彼らは混乱してしまうので。基本的なサッカーの原理原則っていうところを、彼らには常に言うようにしています。   極力シンプルにそぎ落としてく作業ということですね。今回キーマンとなる選手は誰ですか?   ゴールキーパーの内堀選手。あとミッドフィルダーの徳村選手ですね。   まず内堀選手。知的障がい者のサッカー選手として、なかなかゴールキーパーは育ちにくい。その中で、彼は2014年から代表に入っていて、シュートストップがとても良いし、人もボールも全く怖がらない。   接触プレーもですか?   はい。ゴールキーパーで「怖がらない」っていうの持ってるのは重要なので、非常に心強いですね。   徳村選手も前回大会から出場しています。身長が189cmあるんです。海外の選手っていうのはそのぐらいのサイズの選手が結構いるなかで、日本チームにもそういう選手がいると際立つんですよね。   足元のテクニックもあるし、コミュニケーション能力も高いし声も出るし、そういう意味でチームのエンジンとなりつつある選手だと思っています。   189cm!吉田麻也選手と同じですね。   「もう一つのワールドカップ」対戦国ってどんな国? 知的障がい者サッカーの強豪国って、どこなんですか?   サウジアラビアと南アフリカ、ポーランド、この辺りが3強です。次いでフランスです。   決勝トーナメント進出の鍵となるライバル国は、そのポーランドと伺っています。   そうですね。ポーランドとは前回予選リーグと3位決定戦で2回やってるんですけど、2戦2敗しているんで、なんとしてもそこを打ち破らないと、決勝トーナメントへの進出も多分無いですし、今回の目標であるファイナリストにはなれませんから。   ピッチ外の戦い。資金不足の現状 大会参加に当たって資金的にはキツくはないんでしょうか。   お金は無いですね… やはり海外遠征となるとお金がかなりかかるので、選手達にも少なくない自己負担金額が発生する見込みです。   お金がネックで、実力はあるのに参加できない、なんてこともあるのですか?   ありますね。なかなかマイナー、障がい者スポーツっていうのは厳しいですね。パラリンピックの種目であれば違うんでしょうが、それ以外のスポーツってなかなか難しいですね。   資金獲得のため、前回に続き今回も「応援Tシャツ」を販売していますね。   はい。利益は全て選手の渡航費に充てます。前回はおかげさまで1万枚売れました。それでも自己負担が出てしまうので、今回はそれ以上を目指しています。是非皆様にご協力頂きたいと考えています。   「知的障がい者サッカー」の未来 監督から見て、今後この「知的障がい者サッカー」がどうなっていくと良いと思いますか?   究極的には「無くなれば良い」と思っています。   えっ。   カテゴリとして切り出されて存在するのではなく、知的障がいのある選手が、健常者のチームで普通にプレーしていることが、一番いいんじゃないですかね。   普通に一緒に練習して、ゲームして。   東京の選手は社会人チームに入って活躍してる選手が1名いますし。そういうのをもっともっと増やしていかないといけないかなと思いますね。障がいのあるなしではなく、純粋にサッカーで評価されるという。   切り出されるのではなく、社会に溶けてなくなっていくイメージですね。   今日はお忙しい中ありがとうございました!   ありがとうございました。   アットホームな民宿「樽分」 この後、監督やスタッフの皆様は昼ごはん。午後の練習を見させてもらうため、私もどこかで昼ごはんを食べようと思っていたら、樽分のお母さんが「あなたの分も作ったから食べてって!」とのこと。やさしい。皆さんと一緒に生姜焼き定食を頂きました。   ▲めちゃくちゃおいしかったです!ありがとうございました。   そして練習見学へ 午後は小雨が降る中の練習を、見学させていただいた。   最初はシャトルランニング。「数値が前回よりもよくなっている」と目を細めるコーチ。オフの期間にさぼらずトレーニングをしてきた証拠だ。 ▲シャトルランニングの様子     四角に広がってのパス回し。フリーマンを使った2対2、サイドからのセンタリングシュート。そしてゲーム。それらを見ながら私は思いました。   「知的障がいとは?」   ▲ゲームの中で激しく競り合う   選手の皆さんのボールタッチや、キックの精度など、一つ一つのプレーのレベルが高い。そして何よりコミュニケーション。選手同士で声を掛け合い、励まし、一所懸命にプレーしている。普段見ているサッカーと同じサッカーがそこにありました。     正直なところ、もっとコミュニケ―ションで苦労していたり、言う事を聞かない選手がいたりして、サッカー以外の所に時間を使う場面が多いのではと想像していましたが、全くそんなことは無く。100%サッカーに集中して取り組んでいる姿が印象的でした。   練習は予定をオーバーして3時間に及びました。練習後、監督が「大会のキーマン」として名前を挙げていた徳村選手にお話しを伺いました。   まだ21歳の徳村選手。受け答えは年齢を感じさせないしっかりしたもので、こちらの方がドギマギしてしまう始末。茫漠とした質問をぶつけても、その質問の意図をしっかりと理解して、答えてくれました。     インタビューを終えて、改めて私は思いました。   「知的障がいとは?」   編集後記 まず、「知的障がい者」という言葉の持つ意味を、自分がものすごく狭く捉えていたことに気が付かされました。   障害の重さ、どんな障害なのか。一口に「知的障がい」といっても、色々なパターンがあります。   少なくとも今回接した彼らを、ことサッカーにおいて「障がい者」として切り出す必要は無いのではと感じました。この辺りはまず地域リーグや草サッカーではもっともっと認知されて良いのではと思います。   西監督が願うように、知的障がいを持った選手が切り出されるのではなく社会に溶けて馴染んでいくには何が必要なのか。   実際今回代表に呼ばれた選手の中には、所属チームがこの日本代表しかない選手がいます。地元ではプレーする環境が無いということです。上手いのに。   海外では知的障がいのある選手がプロサッカー選手として給料をもらって試合をしている例もあるとのこと。日本でもそうなっていけばいいと心から思います。   どうすれば変わっていくのか。私はプレーを実際に見て、話をして、考え方が変わりました。だから、もっと多くの人が彼らのプレーを目にすることが、社会を変える一歩になるのでは。   その為には世界大会で勝つこと。   「決勝戦進出」は高い目標ですが、是非達成してほしいと思います。 Tシャツを買ってください!(2回目) 4年に1度のFIFAサッカーワールドカップの1か月後の8月、知的障がい者サッカーの最高峰、INASサッカー世界選手権(通称:もうひとつのワールドカップ)がスウェーデンで開催されます。   「もうひとつのW杯」は日本国内で7千人を超える知的障がいのあるサッカー選手にとっては夢であり、代表選手にとっては最大の目標となる大会です。   しかし、代表合宿によるチーム強化、そしてスウェーデンへの選手・スタッフの派遣には非常に大きな費用が掛かります。   現状は費用が大幅に不足し、選手にも大きな自己負担を強いる状況です。   スウェーデン遠征時の選手負担を少しでも軽くするため「日本代表公式応援Tシャツ」の販売を開始いたしました。 是非、皆様のお力添えをいただき、「もうひとつのW杯」へ代表選手団の派遣にご協力いただきますようお願い申し上げます。   「もう一つのワールドカップ」日本代表公式応援Tシャツのご購入はこちらからお願いします。       おまけ 監督はネットショッピングとかしますか?   しますよ。よく買うのは、うちの子供たちのスポーツ用品ですね。あとは家電。   家電買いますか!最近何を買いましたか?   空気清浄機買いましたね。妻が。   奥さんが。そうですか。便利に活用されてるってことですね。   西監督の奥様も利用しているネットショッピング。その裏側を支える「ネクストエンジン」 西監督と西監督の奥様も活用しているネットショッピング。そのお店を支えているのが「ネクストエンジン」です。   導入している店舗数は業界最大級の23,852店以上!(2018年4月期末実績)   「毎日のメール対応が地獄」「複数モールに出店したい」「とにかく忙しい!」というEC担当者の方は、是非一度チェックしてみてください。 無料で30日間のお試しもできますよ。   詳しくはコチラ>>ネクストエンジンとは?   Powered by...

「もう一つのワールドカップ」ってなんだ?とにかく取材だ。 こんにちは。世界一動画を愛する男、吉住です。先日、またニアセの新センター長つかD氏より「知的障がい者の人たちのサッカー日本代表の合宿を取材してきてくれ」と言われたので、行ってきました。   知的障がい者サッカーの世界大会は「もう一つのワールドカップ」として、4年に一回、W杯と同じ年に行われます。前回大会はブラジルで開催され、初のベスト4。今回の開催地はロシア、ではなくてスウェーデンで、チームとしては史上初の決勝進出を狙っているとのこと。   お邪魔するのは宿舎。栃木県さくら市にある「樽分」という民宿。宇都宮駅でレンタカーを借りて、30分ほどのドライブです。到着すると、広報の斎藤さんと日本代表監督が出迎えてくれました。   日本代表監督のお名前は西 眞一さん。出身地は鹿児島県で、1973年生まれの45歳。普段は鹿児島県姶良市の市職員をされています。   実はこの西監督、知る人ぞ知る九州サッカー界のレジェンド。九州サッカーリーグでアマチュア選手として13シーズン活動し、現役を退くまでになんと通算266ゴールを決めているとのこと。   これは日本サッカー公式戦同一リーグ最多の得点のとして未だに破られていないスゴイ記録。地元鹿児島では「キング」と呼ばれて愛されているとのこと。   ▲九州のレジェンド、西眞一監督 西監督プロフィール 【競技歴】 1995年〜2007年 ヴォルカ鹿児島(九州リーグ)※現在の鹿児島ユナイテッドFC 2013年〜2014年 日本スポーツマスターズ大会 優勝(日本一)   【指導歴】 2008年 ヴォルカ鹿児島 コーチ 2009年〜2014年 鹿児島県マスターズ(O-35)選抜監督 ※日本一2回 2010年~ 鹿児島県知的障がい者サッカー選抜チーム 監督(現:総監督) 2012年~2014年 九州知的障がい者サッカー選抜チーム 監督 2014年~2015年 知的障がい者サッカー日本代表 コーチ 2015年~現在 知的障がい者サッカー日本代表 監督 インタビュー開始 西監督、今日はよろしくお願いします。   よろしくお願いします。今日はどうやってここまで来たんですか?   宇都宮駅からレンタカーで来ました。思ったより遠くて。   宇都宮からだと遠かったでしょう。最寄りの氏家駅まで電車で来ると、意外と早いですよ。   それは知らなかったなあ。この「樽分」という民宿はよく合宿で利用されるんですか?   はい。凄く色々融通をきかせてくれたり、親切にしてくれるので、よく利用させて頂いています。   インタビュー開始。「知的障がい者サッカー」と普通のサッカーの違いは? 早速ですが、「知的障がい者サッカー」は、普通のサッカーとどう違うんですか?   違わないです。   え?   ルールなどは全部一緒です。「知的障がい者の人たちがサッカーをしている」ということです。   特別ルールなどは無いんですね。   無いです。小さい大会とかは特別ルールがあったりはしますけど、基本的には普通のサッカーですね。   そうなの…? 西監督と「知的障がい者サッカー」 西さんが「知的障がい者サッカー」と関わるようになった経緯を教えてください。   地元の鹿児島で障がいを持っている人たちのサッカーチームを作るというので、それに参加したのが最初ですね。   その後、九州のトレセンがあるって知って、そこに選手を連れて行きました。ちょうど2010年のFIFAワールドカップの南アフリカ大会の頃です。そこに、前の監督の小澤さんっていう方が指導に来られていたのでお会いする機会があって、それからちょこちょこ関東のほうにも行くようになったと。   最初まずはローカルでやってたものが、だんだん広がっていって、今に至るということですね。   そうですね。   知的障がい者サッカーの監督として 西監督は健常者のチームでのコーチ・監督業のご経験もありますが、知的障がい者サッカーを指導する上でギャップはありませんでしたか?   特にないです。   え? 何か困ったこととか…   無いですね。最初は「どんなサッカーなのかな」っていうのは、よく知らずに来たというのが正直なところです。でも、実際来てみて、「自分がやってきたサッカーと何も変わらないな」っていうのは、直ぐ分かりました。   自分の知識や経験を目の前の選手に伝えることが大切と思いましたし、自然に入っていけましたね。   「全然違うスポーツだな」とか「こりゃ厳しいな」ってことは…   無かったですね。もちろん、健常者と全く同じようにはいかない部分もありますが、そこと向き合うことで指導者としては深みが増したと感じています。「選手に伝える」「どうやったら伝わるのか」という事については、指導していく中で自分なりの整理ができたと思います。   「健常者と同じようにいかない部分」というのは、具体的にはどのあたりですか?   例えば「局面でパッと判断することが苦手」ということはありますね。サッカーって判断するスポーツなので、それをどうやって補完するか。   目が見える、耳が聞こえる、いくつも情報がある中で、最善のプレーを選ぶ必要がある。選択肢がいくつもあると、彼らは混乱してしまう。そこで、僕ら指導者はプレーモデル、「こういうプレーをこういう状況ではやっていこうね」っていうのを示していくのが務めです。   彼らはその知識・情報を入れる。声に出してしゃべる、仲間同士でコミュニケーションをとる。「判断する」っていう能力の部分を、少しでも補完できるようにやっていく。   なかなか言葉で言うと難しいんですけど、「材料を絞って彼らにプレーさせていく」ってのが、このサッカーだと思います。   なるほど。やりがいがありそうですね。指導者としては腕の見せ所というか。   そうですね。ただ、それはあくまでトレーニングの話で、実際に試合を見てみれば、全く普通のサッカーと変わりませんよ。それぐらい彼らは集中してやれてると思います。   (ほんとかな…)   (監督、ほんとですか?) 監督をやっていて、嬉しかったこと 監督として関わってこられて、特に嬉しかったエピソードはありますか?   選手の成長を感じられると、嬉しいですね。谷口という、僕と同じ鹿児島の選手なのですが、前回の2014年に初めて選ばれてチームに参加したんです。その当時は東京の選手が多くて、地方から一人ポッと行ったから、なかなかコミュニケーションが取れなくて、本来の力を発揮できずに帰って行く。   合宿に来ては、力を発揮できずにへこんで帰って行ってっていうのをずっと繰り返して。   そんな中でブラジル大会を経験して、知らない人たちのグループに入ってサッカーして、ましてや世界相手に戦って、大会が終わった頃には凄く目にも自信が満ち溢れて、言葉も一つ一つはっきりと話をするようになりました。   それで4年後、代表に入りましたけど、今やチームの中心としてリーダーシップとりながらやってます。それは、その経験があったからこそなのかなと。   逃げそうにもなりましたけど、それをわれわれが逃がせなかった。彼らは「きつい」と思ったらやめちゃう所がある。そうじゃないぞっていうのを、スタッフ間で議論しながら彼を引っ張ってきたんですけど、よかったなと。 それは彼の今後の人生にとっても大きな成功体験となったでしょうね。 「もう一つのワールドカップ」のライバル国は?...

かつては「安定の象徴」だった公認会計士だが… 「公認会計士」といえば、かつては安定の象徴ともいえるキャリアだった。5%ともいわれる難関資格をくぐりぬければ、あとは監査法人へ就職すればリストラもなく初任給600万と高給だ。   しかし、2006年から2010年には公認会計士バブルが発生。合格者を15,000人も出したことから、当時の公認会計士は報酬減額と就職難に見舞われた。   そのころから、公認会計士が監査法人以外のキャリアを考えるようになったと思われる。従来であれば選択肢になかったベンチャー企業の役員一覧で、公認会計士がちらほら登場するのはここからだ。   そこで今回、なぜ安定高給の象徴であった公認会計士がベンチャー企業を志すのか、実際の経験者からお話をうかがってきた。   当時最年少 で会計士資格を取得した天才の選ぶ道 お話を聞かせてくださったのは、株式会社ごちぽんで経営企画部の部長を務める井上健さんだ。井上さんは大学在学中に公認会計士試験へ当時最年少で合格した天才肌。卒業後は大手監査法人の花形部署で大手企業を中心に監査を担当していた。     ― 監査法人にお勤めのころ、ベンチャー企業をどう見ていましたか?   井上さん:クライアントとしてのかかわりはありませんでした。当時、クライアントが大手の事業会社や外資系企業の日本支社でして。そのこともあり、ベンチャー企業が話題に上ることがあまりなかったと思います。就職先も監査法人、投資銀行の監査、もしくは親の跡を継いで会計士事務所へ行くか。   ベンチャー企業へ転職したのは、20名いた仲良しの同期でも私1人だったと記憶しています。転職後も肩書に公認会計士とある方はほとんどいなくて、「起業を志す会計士で集まろう!」と顔の広い先輩が声を方々へかけても集まったのが4人だったことがあります。   ―...

世界一ゆるいバーの経営 みなさんこんにちは、「えらいてんちょう」です。飲食店経営及び経営コンサルタントをしております。私はイベントバーエデンという店を経営していまして、エデンは開店から2年で系列店が5店舗もオープンして順調です。   今日はエデンの経営手法の話をしていきます。   うるさく言わない エデンの経営手法を一言でいえば「細かいこと言わない」ということです。普通の店ならお酒のマニュアルなどいろいろあるのでしょうが、エデンはバーテンダーに丸投げです。ほっておけば儲かるから管理せずうるさく言いません。人気にあやかって稼がせてもらおう、という感じです。一番のお客さんは人気のバーテンダー。そこと繋がっていれば永久に儲かりますので。   お客さんに関してもひどいセクハラなどがなければ、お金さえ払ってくれればどんな人でもOKです。なので普通の店では言いにくいこと、宗教や政治や性、そんなイベントをしたい人も来るようになりました。   私はお金さえ貰えば宗教勧誘しようがナンパしようが全然かまわないと思っています。もちろん大きな侵害などは総合的に損になるのでNGですが。   好きなことを話して勝手にやってていいから私に儲けさせて、と言っています。そうすると普通のバーではやりにくいイベントが多くなって、人も集まるようになりました。   苦手なイベントの日は避けて別の日に行けばいいので店のお客さんも離れない。我ながらすごい仕組みだなと思います。口うるさく言わないと勝手に人は集まってくる、ということですね。   エデンの特徴 エデンにはお客さんが手伝ってくれる、という文化があります。そもそもエデンは何もない店でした。最初はビールとソフトドリンクしかなく、酒を置き始めると言ったのも私ではありません。店として成り立っておらず、店ができていないような状態でした。   しかしそれが時勢を捉えた店でした。みんなで店を作っていくというのは、文化祭のような、それ自体がエンターテイメントです。例えば開店前に店にペンキを塗るのは普通なら業者に頼んでお金を払わないといけません。しかしお客さんとみんなでやるのであれはエンターテイメントですしお金も払わなくていい。これは以前お話した正しい「やりがい搾取」ですね。   <過去記事> みんなやってる?正しい「やりがい搾取」の方法論   普通の店は勝手に改造したり持ち込んだら怒られますが、エデンは最初から何も無いので感謝されます。私は店にこだわりが無いのでどのように改造されても構いません。かなり余白を大きくしています。   バーテンダーも自分が立ちたくないので、いろんな人に投げてとにかく人に任せました。それで利益が出たらシェア、出なければシェアしないという形を徹底しました。そうしているといろんな技術者やバーテンダーが得意な人が自主的に来るようになりました。   イベントも自由なのでやりたいイベントをやって、その人がエデンで価値を高めていく。エデンに毎回いる人みたいな感じでその人自身のブランドが高まっていく。お客さん任せにするということを全体的にしてきた。   その結果としてお客さんの価値も店自体の価値も高まってきた。そのような循環ができたのは良かったですね。これからの店はそういう形態にしたほうがいいと思います。店にこだわりを持たず、完璧にせずに改造の余地を残しておくことが大切です。   ▲お客さんたちが勝手に盛り上がる店内   【まとめ】 人と売上を集める為に 2回にわたり世界一ゆるいバー「エデン」の経営について解説をしてきました。いかがでしたか?   売上が上がる段階でいろいろやってヒットした中では、フォロワーが付いてる人を呼ぶのが一番でした。   最初はイベント単体でバズったけど続かなかった。イベントが飽きられたら終わりです。次にインターネット有名人を呼びました。1日バーテンダーは1、2ヶ月に1回だと飽きられないので継続性があります。2ヶ月に1回バーテンダーをする人を60人捕まえていればこのイベントは永久にできます。インターネット有名人を呼べるようにして場を提供すると儲かります。   店を作ってSNSで宣伝するというよりは、SNS空間を店にする、というイメージですね。   エデンのシステムとしても、場所代を取るのではなく儲かったらシェアという形にしています。店に立つ敷居を下げ、人を呼ぶことができるようにする為です。   最後の飛躍は、店長がコンテンツ人間になることです。そうすると店長目当てに人が来るようになります。お客さんは人につくもので、どのような人が店にいるかに興味を持っています。ですので人の選定さえ間違えなければ繁盛します。その為にはTwitterやYouTubeを十分に活用していくべきです。   SNSというのは自分の発言を何倍にも増幅されて沢山の人に届きます。最終的に一番儲かるのは自分がネット有名人になることですね。   この手法はいくらでも応用が効くと思いますので、みなさんもやっていきましょう。 ...

  異色の経歴をもつプロレスラーの仕事論~後編~ 慶應大学⇒博報堂⇒プロレスラー⁉ 異色の経歴をもつ三富政行さん(twitter、instagram)による仕事論、後編。   ※前編はコチラ   ライフワークとライスワーク プロレスラーとしてしばらくキャリアを積んだ時、ライフワークとライスワークという言葉について考えるようになった。自分にとってプロレスは元々「好き」だし、仕事にも出来た。ある意味ライフワークとして機能している。   しかし、ひとつの指標として収入というものさしで見た場合、どうだろうか。自分の場合、博報堂を辞めた以上、将来的には残った同期と同じくらい、それ以上に稼いでやる!という気概と目標があった。そこに到達できているか。   結論、到達できていない。   今置かれている状況を客観的に考えれば、試合のギャランティや年俸だけでそこに到達するのは難しいと言わざるを得ない。プロレスラー全体を見ても、その金額を稼ぐことができるプロレスラーは氷山の一角だ。可能性があるのは、前編で書いたような「天賦の才」を持ち合わせた選手だけだと言っても過言ではない。   先述のマネジメント業務の一つとして、自身での興行を開催することで一度に多額のお金を手に入れることはあるが、一過性のものに過ぎない。安定的な収入にはつながらないのである。   プロレスラーであるからこそ出来る仕事、プロレスラーの「自分」であるからこそ出来る仕事で、永続的な収入を得るためにはどうすべきなのか。ライフワークの先のライスワークとは…。   「+α」の価値こそ "ライスワーク"...

異色の経歴をもつプロレスラーの仕事論 はじめまして。三富政行です!(twitter、instagram)   今回コラムを書かせていただくにあたって、まずは自己紹介から。   ■年表 1989年 8月東京都世田谷区喜多見に生まれる。 未熟児で生まれ、幼少期は発達も遅く両親に心配される。 その後すくすくと育ち、小学校高学年時には肥満児に。 2003年 夜更かしした深夜に、三沢光晴VS小橋建太をテレビで視聴。人生が変わる。 2008年 中堅の中高一貫校、高校を卒業。6年間プロレス好きな友人には恵まれず。 空手と水泳に勤しむ。空手では東京都ベスト8の成績を修めた。 2009年 一浪の末、慶應義塾大学文学部に入学。 UWF関東学生プロレス連盟の門を叩き、4年間を学生プロレスに捧げる。 リングネームは「潮吹豪」。 岡原正幸研究会にて感情社会学、映像社会学、パフォーマンスアートなどを学ぶ。 2013年 広告代理店「博報堂」に就職。 体育会系営業職に配属され、社会の洗礼を受ける。 同時にプロレスへの捨てきれぬ夢がふつふつと… 2013年 会社員と並行してDDTプロレスリング系列「ユニオンプロレス」に参戦。 石川修司戦でプロデビュー。 会社員とプロレスラー、二足の草鞋を履く。 2014年 一年間の会社員生活の後、プロレスへの夢を捨てきれずに「博報堂」を退社。 一足の草鞋になる。 2015年 全日本プロレスなどに定期参戦。 その後、所属していた「ユニオンプロレス」が解散。フリーランスとなる。 自身のプロデュース興行などを定期開催するようになる。 2016年 武藤敬司率いる「WRESTLE-1」にレギュラー参戦。現在も継続参戦中。   以降、プロレスラーとしての活動に加え、福山平成大学特別講師や、コラムニストとして執筆活動なども行うようになる。 NESTA-PFTの資格を取得しており、パーソナルトレーナーとしてフィットネスビジネスも展開している。 ---------------   今回はこんな偏屈な経歴の自分が、僭越ながら「好きを仕事にする」ということをテーマに、2018年に生きる、プロレスラーとしての仕事論を語らせていただけたらと思います。どうか、お付き合いください。   「好き」を仕事にしてみると… 趣味の「好き」と仕事の「好き」は全くの別物。そもそも好きなことを仕事にすると逃げ場がなくなる。会社を辞めてプロレスラーになって5年。一時は一文無しになって路頭に迷ったこともある。   そんな苦しい時、「プロレス」は会社員時代のようにストレスのはけ口や逃げ場になってはくれなかった。   「好き」を仕事にするためのマインド 仕事で追い詰められて逃げ場がない時、残念ながら選択肢は二つしかない。その仕事を「辞める」か「続ける」か。   自分の場合、博報堂を見栄張って(!?)辞めた以上、そして「好き」を仕事にした以上、「仕事としてのプロレス」から逃げたくはなかった。   とにかく“続ける”。 意地でも“続ける”。 耐えて堪えて“続ける”。   そして5年経った今、その時の選択は正しかったと思える。   「好き」を仕事にしたならば、真に生き残るのは「“続ける”ことを辞めない人」ということだ。   例えばプロレスラーでも、若い頃はブレイクしなかったが30歳半ばを過ぎてから化ける選手には、非常に多くの観客を惹きつける“人間味”がある。   才能に溢れて若い頃から活躍した選手以上に、苦労した選手が花咲く瞬間は近くで見ていても感動があるし、またその人にしか出せない色気に溢れている。   “続ける”ことを辞めなかった選手の目ヂカラは本当に強いし、リングの上でも何とも言えないオーラに圧倒される。   バックステージで発する言葉もとにかく強い。グッとくる。   そういった先輩を見ていると、今日も明日も“続ける”ことしか道はないのだとつくづく思う。   「好き」と「出来る」の狭間を見つける いざ「好き」を仕事にしてみると、その世界には本当の天才がいる。一流の中の一流でもある。 試しに、近くで見てきた天才を、二つのパターンに分類してみる。   【感覚型天才】   映像で見た動きなどをいとも簡単にやってのけてしまう選手。 どんなに複雑な動きも一発で「トレース」する能力を持ち合わせている。 そして、演者としてのオーラや、コメントのチョイスなども群を抜いて秀逸であることが多い。 自身の周りでは、武藤敬司選手や、飯伏幸太選手、黒潮イケメン二郎選手などに上記の才能をまざまざと見せつけられている。 もちろん、以下に説明するもう一つのパターンの天才でもあるのだろう。     【努力型天才】   とにかく日々同じルーティンを繰り返し続けられる人のこと。これも一つの天賦の才だと実感している。 あるプロレスラーK選手は、試合の反省を毎試合ノートに綴る。そこに先輩からのアドバイスや、突発的に生まれたアイデアも書き足し、自分というレスラーがどうやって進化していくか、という日記をデビュー以来ずっと書き残している。 ささいなことではあるが、これを年間100試合、何年も何年も続けることはなかなかに難しい。まさに努力の天才である。   また、友人のAV男優・しみけんさんは、朝起きてポカリスエットをお湯で割ったものを飲み(※体温以下のものは飲まない)、ブラックコーヒーとアミノ酸を摂取。その後エアロバイクを漕ぎ、撮影現場には毎日決まった内容のヘルシーなお弁当を持参する。 そしてこのルーティンを10年以上続けているというから驚きだ。   いずれも、同じことをずっと続けてプロとしての自身の価値を常に磨き続けている良い例である。簡単なようで簡単に出来ることではない。   このように、天才や一流と呼ばれる選手を前にした時に、「好き」だけでは乗り越えられないプロとしての壁にぶつかる。   それでも続けたい。否、生き残らなければならない。そこで、自分にしかない価値というものを考えるようになる。   自分がその世界で「出来る」ことで生き残る。そんな考えにシフトしていくようになる。   辿り着いた、「ポジショニングの重要性」 自分がこの世界で「出来る」こと……。   思えば、学生時代に打ち込んだ学生プロレスは、根底にあるモチベーションが「世間に届け、負けてたまるか」だった。誰も知らないジャンルを世間に響かせ集客する。その気概は広告の精神に通じていたのかもしれない。   クライアントが望む商品のブランディング。広告マンとして必要な精神が、自分の秘めたる才能としてあるということは、何となく実感していた。   このマインドををプロレスに生かしたい。そう思い立って考えてみると、プロレス興行をひとつの商品として捉えていけるようになった。   プロレス興行のプロデュース。   大会の企画から、協力企業とのタイアップ、選手のブッキングから大会の進行、そして自分の試合。ファンの反応を反映した次回の興行への施策、提案。これまで培ってきたキャリアが、業界で生き抜くためのパワーに変わっていった。   それから、「マネジメントに注力できる選手」という自分の価値を見出すようになった。自身が選手であることで、選手の気持ちも分かる。そして大会の企画、進行に携わることでスタッフ側の気持ちも分かる。いわばイベントの「中庸」的なポジションを担うことで、業界内での立ち位置を見つけることが出来た。   もちろん選手としてキャリアを続けたいがための選択であるし、さらに高みを目指す気持ちは変わらない。しかし、自分がオンリーワンの存在になることによって、常に「需要」がある存在にならなければいけないということは、日々危機感として抱いている。   こういった、「ポジショニング」という考え方は、他の業界でも通用することではないだろうか。自分のやりたいことと出来ること、今一度見つめ直し、Re:ポジショニングする。   そうすると、本当の意味で、「好き」が仕事になっていく。 編集後記 仕事はお金をもらう手段と割り切って、やりたいことは趣味や副業で実現していく。そんなスマートな人々がもてはやされる世の中で、三富さんの生き方は不器用に映る。でも、それがたまらなくカッコイイのだ。   スマートに生きるだけが人生ではない。「好きなこと」に本業として立ち向かうからこそ見えてくるものがあるはず。   あなたも心の奥にある「好きなこと」にもう一度光を当ててみてはどうだろうか。   全力で戦う三富さんを応援したい方は、小田原アリーナで7/1に開催される下記の大会に足を運んでみてはどうだろう。 7/1は小田原アリーナに来てください!   <W-1大会情報> ★2018年7月1日(日) 「WRESTLE-1 TOUR 2018...

えらいてんちょうによる、世界一ゆるいバーの経営 みなさんこんにちは、「えらいてんちょう」です。飲食店経営及び経営コンサルタントをしております。私はイベントバーエデンという店を経営していまして、エデンは開店から2年で系列店が5店舗もオープンして順調です。   今日はエデンの経営の話をしていきます。   エデンの初月の売上は3,000円 エデンは2年前の2016年の6月にオープンしました。当初は身内の集会所としてオープンしたので、もちろんお客さんも身内ばかり。最初の1ヶ月はの売上は3,000円でした。   そこでイベントを打っていくのを思い付きました。最初にバズったのは大卒無職バーです。当時のエデンのアカウントのフォロワーは200人くらいでしたがそれが1,000RTくらいされました。   いつもは売上が200円のお店に30人くらいお客さんが来て、売上が3万円になりました。その時に初めて儲かるかもと思いましたね。   次にバズったのは死にたいバーで、「死にたい」と言いながら飲むイベントです。こちらも1,000RTくらいされました。イベントが何回か当たっても月の売上は5万円、10万円くらいでした。イベントの時にだけお客さんは来ますが、まだ赤字でした。   ▲初期のエデン インターネット有名人をバーテンダーに起用 そんな時に私の友人のかねどーさんというインターネット有名人が、1日バーテンダーをしたいと来てくれました。そのイベントが当たって売上は4万円、何もせずにエデンに2万5,000円が入りました。   エデンのシステムは売上の1万円までは店に入れ、それを越えた分は店とバーテンダーの折半になります。場所代などは取らないため、ノーリスクでバーテンダーができます。それがウケました。 ▲かねどー期のエデン   エデンの家賃は10万円以下なので、インターネット有名人が月に4人来ればいい計算になります。なのでインターネット有名人に営業をかけていくことにしました。   例えば4万円の売上ですと4、5時間の営業でバーテンダー側の取り分は1万5,000円です。バーテンダー側にも割はよかったのでしょうね。そうしてフォロワーが5千人級の人が代わる代わる店に立ってくれるようになりました。   有名人が来る日の売上は2、3万円くらいでしたが、イベントの無い日は通常営業で売上も3,000円くらいでした。最初に売上がハネたのは8月で、それでも月の売上が10万円でした。そんな風にやっていく中で1日で10万円を上げるようなキラーコンテンツも生まれて、月に30万円くらいの売り上げで1年くらい推移していました。   ▲インフルエンサー殺到期のエデン   えらいてんちょうがインターネット有名人に エデンがそれなりに収入源になっていた中で、私は2017年6月にブログを始めました。当時はエデンのフォロワーが2,000人くらいでそこそこ有名になってきたのですが、えらいてんちょうのアカウントは400人くらいでした。   しかし、私が始めたブログがバズって私がインターネット有名人になってしまいました。するとえらいてんちょう目当てのお客さんも来るようになります。   エデンは従来のインターネット有名人が1日バーテンダーをする店に加えて、「えらいてんちょうが存在する店」になりました。月の売上も50万円くらいになり、それが半年ほど続きました。   イベントが埋まるようになり、売上が爆増 2017年12月から売上が爆増して、その月の売上は120万円でした。それまではイベントが埋まらなかったのですが、エデンが自走し始めました。   エデンでバーテンダーをするということにハクが付きだし、希望者が殺到してイベントが毎日埋まるようになりました。インターネット有名人が来ない日がない、毎日インターネット有名人が居るような世界観です。私が店に立つ日も1日の売上は6万円くらいでした。   それも1ヶ月くらいかと思ったらそこから毎月100万円くらいの売上が続きました。エデンは10万円以下の家賃だけが原価で、私の人件費除けば損する仕組みが無く、60万の利益が出ました。   年間の利回りで言うと1,000%で、すごい世界観ですよね。流行店は儲かるなと実感しました。   各地にエデンが出店 それと並行して、エデンには遠くから来るお客さんも多かったので、地方にも出店して欲しいとの意見も出てきました。それならやろうと言う話になり、2018年の1月に誰かフランチャイズやりますか、フランチャイズ費用払ってくださいと呼びかけました。   すると結構応募が来ました。その中からできそうな人を私が選別していきました。名古屋と京都は4月、大阪は5月、札幌は6月にオープンし、今は全5店舗です。福岡と西東京と横浜も計画中です。エデン本店は初月の売上が3,000円でしたが、名古屋は初月30万、2ヶ月目は50万という風に全体的に順調に儲かっています。   こちらにはライセンス料も入ってくるので更に儲かります。   ▲エデンの売り上げ推移   後編に続く   後編、公開しました!...

多田哲朗インタビュー後編 --------------- <前編はこちら> 【もはや狂気】訪ねた店舗は200以上⁉ いきなりステーキを愛しすぎた男「多田哲朗」~前編~ --------------- 前回明らかになった肉マニア「多田哲朗」の存在。後編では彼独自のこだわりや、テクニックに迫る。 「クレカ支払いルール」が生まれた悲しい理由 「いきなりステーキ」巡りをするにあたって、大事なルールがあるとか。   そう。「いきなりステーキ巡り」をするにあたって自分の中で1つだけ大事なルールがあるんです。それが「専用のクレジットカードで支払う」ということ。これだけは譲れません。   その強いこだわりはなぜ生まれたんでしょうか。   実は「いきなりステーキ巡り」の前に「スターバックス巡り」にハマっていたことがあるんです。全国のスタバを訪問して、そのレシートを集めて回っていました。   その記録を全てPC上のエクセルにまとめていたのですが、ある日パソコンが壊れてデータが全て消えた。   それはショックですね。   レシートは残りましたが、膨大な量なので流石にもう一度入力する気にならず。一応細々続けてはいますが、失ったデータは戻ってきません。   その大失敗を踏まえて、いきなりステーキ巡りでは「専用の1つのクレジットカードで支払う」ということにしたんですよ。支払うクレジットカードを決めておけば、利用明細に全てこれまでの履歴が残るので。   肉マイレージのデータが全てぶっ飛んだとしても、クレジット会社の履歴に残っているから証拠になるぞという。   よっぽどスタバのがショックだったんですね。   ▲スタバのことを思い出すと悲しい多田さん 「1日5店舗」の思い出 「1日5店舗」はよくあることなんですか?   いや、滅多にありません。1日5店はフジテレビの深夜の番組の企画の時に、「とにかく全部達成したところ撮りたいんで、なんとかしてください」って言われて。   テレビの企画だったんですね。   「年末特番で放送したいから、12月の上旬に撮影したい」と。11月の時点で10店近く残ってたんだけど、残ってるところがバラバラなわけ。金沢、愛媛、有楽町…とか。   それは大変ですね。   それで、何とか頑張って放送日までに残り5店までこぎ着けた。残った5店は大阪、鈴鹿、名古屋、浜松、有楽町。   残った店舗も距離が相当離れていますね。辛くなかったですか?   それなりに一本道だから特に問題ありませんでしたね。開店と同時に大阪のお店に入って、1日でまわり切ることができました。   メンタルも肉体も強いですね。1日に何回も食べるためのテクニックがあれば、ぜひ教えてください。   まずはキツくなってきた時に何のステーキを食べるかが重要です。序盤は好きなステーキを食べれば良いと思います。僕の場合は値段もお手頃な「乱切りカット」が多いですね。3店舗目、4店舗目になってキツくなってきたら、油が少ないヒレステーキにすれば、意外と食べられます。   あとは、味付け。ソースは満腹感を呼ぶので、序盤は塩味がオススメです。付け合わせについては先ほど出てきた「チェンブロ(チェンジブロッコリー)」も効果的ですが、自信が無ければ「付け合わせなし」もアリだと思います。   戦略的に挑む必要があるんですね。   ▲口からビームが出そうな顔で食べる多田さん     「いきなりステーキ」とネットショッピング 多田さんは店舗を回るのが中心のステーキライフだと思いますが、ネットショッピングで「いきなりステーキ」のお肉が購入できることを知っていますか?   もちろん知ってますよ。会社の年末イベントで焼いてふるまおうと思ったんですが、ちょっとタイミングが悪くて使えなかったんですよね。   今年は再チャレンジを狙ってます。自分の家でも焼いて食べたことがありますが、美味しかったですよ。   ▲多田さんがネットショッピングで買った寝台特急カシオペアの腕時計   明日も? 食べ終わったし、もうそろそろインタビュー終わりでいいですか? 明日も早いのですよ。   明日何か予定があるんですか?   明日は「イトーヨーカドー大井町店」。   明日もかい。   ▲帰り際、「小田原前川店」の開店チラシを見つけてご満悦の多田さん 「いきなりステーキ」と「ネットショッピング」 いかがでしたか。最初はただのイカれた肉マニアかと思っていましたが、「集めて回る」ことを心から楽しんでいる多田さんを見て、途中から「うらやましいなあ」と思ってしまいました。   コレクターズアイテムを人と競って手に入れるのではなく、「自分にとって思い入れのある物」を作っては集めていく。とても良い趣味だなと感じました。皆さんも何か自分なりのコレクションを始めてみてはいかがでしょうか。   さて、記事内でもお伝えしたとおり、「いきなりステーキ」を運営する「株式会社ペッパーフードサービス」では、ネットショッピングを展開中。今回多田さんが食べた「ミドルリブ」や、特製の「いきなり!バターソース」も販売しています。是非一度食べてみてはいかがでしょうか。   ネットショッピングはコチラ>>ペッパーフードサービスネットショップ ▲充実の品ぞろえ。ミドルリブももちろん購入可能   「ペッパーフードサービスネットショップ」を支える「ネクストエンジン」 その「株式会社ペッパーフードサービス」のネットショップを支えている「ネクストエンジン」というツールがあります。これは、現役でネットショップを運営しているHamee株式会社が開発、運営している『EC事業者のための業務効率化ツール』です。   「毎日のメール対応が地獄」「複数モールに出店したい」「とにかく忙しい!」というEC担当者の方は、是非一度チェックしてみてください。 無料で30日間のお試しもできますよ。   詳しくはコチラ>>ネクストエンジンとは?   Powered...

「いきなりステーキ」をこよなく愛する男、多田哲朗 初めまして。5月からニアセ編集部に加わった吉住と申します。ニアセの新センター長であるつかDさんから突然「とにかくおかしな知人がいるから取材してくれ」と依頼されました。   どうやらその方は全国255店舗のうち、なんと213店舗でステーキを食べてきた『いきなりステーキマニア』とのこと(いずれも5月24日時点)。食べた総肉量は「119,482g」。食べすぎ。   早速多田さんに連絡をしてみると、「まだ訪れたことが無い店舗に食べにいく」と、スト2のリュウみたいなことを言い出したので、同行させて頂くことに。   待ち合わせはJR東海道線の鴨宮駅。駅から出てきたのは、チリチリヘアーで恰幅の良い中年男性。   名前は「多田哲朗」。年齢は36歳。慶應大学在学中は鉄道研究会に所属。その後出版社に就職し、教科書の編集者として活躍しているらしい。   ▲溢れ出る育ちの良さ   訪れたのは「いきなりステーキ 小田原前川支店」。多田さんにとって214店目となるそう。   店の前にある株式会社ペッパーフードサービスの一瀬邦夫社長の看板を撮影するのがルーチン。無事撮影を終えたら、いよいよ入店。   ▲いざ入店   席に座ると、まずはビールを注文。美味しそうに一口飲むと、ステーキの注文にカウンターへ向かう。今日食べるのは「ミドルリブ300グラム」。そして謎の呪文が飛び出した。   「チェンブロで。」   何それ。   困惑する私に   「【チェンジブロッコリー】の略です。付け合わせのコーンをブロッコリーにチェンジするんですよ。私ほどになると1日に3店舗。多い時は5店舗ほどハシゴステーキをするので、糖質が多く、お腹に溜まりやすいコーンはご法度。その点ブロッコリーはお腹に溜まりません。私は別にダイエットをしているわけではないですが、中性脂肪の分解を助けるとも言われています。一石二鳥という寸法なのですよ。」   と、自信満々言い放つ多田さん。ちょっとカッコよく見えてきた。チェンブロ、今度使ってみよう。   ▲別にダイエットをしているわけではない多田さん   席に戻ると、今度はおもむろにカバンからマジックペンを取り出す多田さん。そして紙ナプキンに何やら書き出した。何をしているのだろうか。   「訪問日時、店舗名、注文したステーキ、何店舗目かを紙ナプキンに書いて記録して集めているのです。」   ▲手慣れた様子で紙ナプキンに書き込む多田さん   結構アナログなやり方だ。   多田さんが集めているのはこれだけではない。なんと、お店がオープンする時に配るチラシも集めているのだ。「なんでこんなものを?」と聞いても、「特に理由はありません」。   …コレクションというのはそういうものなのかもしれない。   ▲多田さんのコレクションの数々。開店チラシも大事なコレクションだ   いよいよ「いきなりステーキマニア」多田哲朗インタビュー いよいよステーキが運ばれてきた。とてもおいしそう。店員さんが肉の焼き具合などを丁寧に説明してくれる。   ▲親切な店員さん   ▲この日注文したのは「ミドルリブ300g」     多田哲朗と「いきなりステーキ」の出会い 食べながらで結構です。多田さんと「いきなりステーキ」の出会いを教えてください。   3年くらい前に、会社の近くに「いきなりステーキ」ができて、最寄り駅でチラシを配ってたんです。それを見たら「今なら肉マイレージカードが無料」って書いてあって、それを見て行ったのが最初ですね。   全国の「いきなりステーキ」を回ろうと思ったきっかけはなぜですか?   まだ3年前くらいだとまだ店舗数が少なくて、「これなら全部回れる」と思ったのが理由です。当時100店舗も無かったから。   あと、その頃、平日に家族が僕を残して旅行に行っちゃうことが多くて。そうすると会社が終わっても夜ヒマだし、家にご飯も無いから、「じゃあ今日は3店舗くらい回るか」って。   前向きさの中に悲しみがチラつくエピソードですね。   それにしても、一度に何店舗も回るのがすごい。全店制覇を達成するためには、1日1店舗なんてヌルい事は言っていられないわけですね。   仕事をしていると、「行ける日に1店舗」では全然間に合いません。僕が全店舗制覇を達成したときは177店舗。今だともっと大変ですよ。   年間200店オープンさせるって社長が言ってるから。   ▲「社長が言ってるから」と、おすまし顔   家族はなんて言ってるの? そんなに肉ばっかり食べて、家族から何にも言われないんですか?   特に言われないですね。最初の方に「全部回る!」って言ったら反対されたかもしれないけど、最初は家族に秘密でこっそり回ってたので。   「これは全店達成できる!」っていう確信を得てからカミングアウトしたから。むしろ応援してくれてますよ。   ご家族と一緒にお店に行くこともあるんですか?   ありますよ。妻もプラチナカードを持ってるし、子供もゴールドカードを持ってる。僕はもちろんダイヤモンドカード。   ▲カードを見せびらかす多田さん。お子さんも「150gくらいならペロリ」らしい   食べたお肉の量を記録できる、「肉マイレージカード」ですね。   記録上位者はインターネット上で閲覧できるのですが、多田さんでも大体220位くらい(6月14日現在)ですね。すごい人が沢山いるんだなあ。(肉マイル総合ランキング)   「物を集めて回る」ということ 全店舗制覇を始めるにあたって、普通の人間だと100店舗でも尻込みすると思うのですが、多田さんがすんなり一歩を踏み出せたのはなぜでしょう。   「何かを集めて回る」という事が自然と自分の生活の一部になっているんです。   子供の頃から電車のスタンプラリーが大好きだったので。これは性格だと思います。いきなりステーキの前にもカフェのレシートや、電車の切符を集めていました。   多田さんのコレクションを見ると、一般的に価値がある物ではなく、自分の体験や記憶を補強する物を集めているように感じます。「物」と「体験」、どちらが重要なのでしょうか。   両方ですね。片方では物足りません。自分の体験と、それを証明してくれる物がセットになっていることに魅力を感じます。逆に言うと、体験とセットになっていれば、それは「価値ある物」になるということです。世間一般的に価値があるかどうかは関係ありません。たまに限定PASMOを買ったりはしますけど(笑)。   なるほど。その考え方で何かを集めてみると、楽しいかもしれませんね。 そして後編に続く つぶらな瞳にチリチリヘアー。時おり見せる少女のような「おすましフェイス」。もはや虜です。   いきなりステーキ巡りをする上で、多田さんが執着している「あるルール」とは?   そして明かされる、悲しみの「スタバ事件」。   【NEW!】後編公開しました!...

放送作家2年目の僕が出会った、「あるブログ」  放送作家2年目のハシモトコーキです。僕は4年前に熊本から上京し、現在、事務所所属の放送作家をしています。昔からお笑いが好きで、テレビやラジオが好き。憧れの仕事に就くことができて「さぁこれから!」と意気込んでいた矢先のこと、15年先輩の放送作家である細田さんのブログ『ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。』に出会ってしまいました。読めば読むほど襲ってくる迷いのようなもの。「僕はこのまま放送作家を続けてもいいのだろうか?」。   メッセを送ったら返事が来た!  僕はその答えを求めて、Twitterを通して細田さんに連絡を取らせていただきました。すると、細田さんからの返答は「続けたいで続く仕事ではないし、頑張ればどう、ってことでもない。もっと気楽にやった方がいいですよ」。あっけらかんとそう言い放つ細田さんに、他の放送作家とは全く違う空気を感じました。「この仕事には夢がある」「儲かる」「売れたいなら頑張れ」。僕が今まで先輩たちから聞いてきた言葉とはまるで逆。なんなんだこの人は!?細田さんにもっと詳しく、お話を聞いてみたい。というわけで、今回の記事を企画しました。   お話スタート。まずは「放送作家って何をする人?」 細田さん、今日はよろしくおねがいします。 よろしくお願いします。 「放送作家」とはどんな仕事なのか。あらためて、細田さんからご説明いただけますか? ざっくりいうと、番組の「台本を作る」お仕事です。 そうなりますよね。 ざっくりとしか言いようがないんですよ。会議や打ち合わせに参加したり、企画案を考えてプレゼンをしたり、収録現場ではフロアディレクター※みたいな役割を頼まれることもあります。それらすべてが「台本を作る」ことに関連しているので「どんな仕事?」と聞かれたときは、こう答えるようにしています。 ※フロアディレクター…収録現場で、カメラの横から出演者にカンペなどで指示を送る役割。 特に細田さんの場合は、いろんな媒体でお仕事されていますよね。 レギュラーではネット番組とテレビ、ラジオもやらせていただいています。あと、最近は広告の案件にも関わっています。 すごい!それだけ幅広くやっている人は珍しいと思います。 すごくはないですよ。確かに、ラジオならラジオだけをやる、テレビならテレビだけをやるという作家さんが大半ですが。私の場合は「これ!」と未だに定まらなくて、結果的にいろいろやっている状態です。   テレビ、ラジオ、ネット…放送作家が目指すべき場所って? 現在、放送作家の主戦場がテレビ、ラジオ、ネットだとして。僕たちのような若い作家は今後、どこを目指すべきなんでしょうか? 目指す目指さないではなく、この仕事は巡り合わせです。「テレビをやりたい!」と言って、やらせてもらえるわけでもなく、オファーをくださる人がいて初めて成り立つ仕事なので。一つ言えるとすれば、依頼をいただいた時に最低限「それに応えるスキル」を備えておく必要はあると思います。要はテレビもラジオもネットもどれにでも対応できるようにしておけばいい、ということです。 それって難しくないですか? それぞれ特徴が違うだけで、基本的にはやることは同じです。私はラジオからこの業界に入った人間なので、そう感じるのかもしれませんが、ラジオの原稿が書ければテレビもネットの台本も書けると思います。ラジオの音声に映像(動き)が付いたものがテレビ、それに(視聴者との)双方向性を加えたものがネット番組と考えれば、それほど変わりはないです。   放送作家ってどうやったらなれるの? 話は少しそれますか、放送作家を目指す人は細田さんのように「ハガキ職人から放送作家」のプロセスをイメージする人が多いと思うのですが、それについてはいかがですか? 私がそれで入ったのはもう17年も前ですからね(笑)。今そのプロセスを踏もうとするのは、かなり遠回りだと思います。だって、放送作家に「なる」ということだけなら、今すぐに誰にでも出来るじゃないですか。例えば、ハシモトさんのように作家の事務所に連絡して所属させてもらうとか。この業界、基本的に的には来る者拒まずですよね? はい。僕の場合は事務所に企画書を送って、面接をして入りました。 なるのがこんなに簡単な職業は、他にないと思いますよ。名刺を作ってしまえば「はい、放送作家です」ってことだし。つまり、なれるかなれないかではなく、やるかやらないか。実際にやってみた上で向いてるかどうかを見極めて、続けるか続けないかを自分で判断する。放送作家に限らず、仕事ってそういうものだと思います。   放送作家には、先輩も後輩もない!? 細田さんは、(どこにも所属せず)ずっとフリーで活動されているんですよね? そうですね。仕事を始めてしばらくした頃、いろんな事務所さんから(所属の)お誘いがありましたけど。所属すると、どうしてもその中で先輩・後輩という関係が生まれてしまって、面倒くさそうじゃないですか(笑)。 確かに。 そもそも、放送作家に先輩・後輩の感覚って必要ないと思うんです。もちろん、長くやっている人に対してはリスペクトの気持ちはあります。しかし、仕事上で意見をぶつけ合う時、そこを気にしてモノが言えなくなってしまったとしたら、それは弊害でしかない。 それは下の人に対してもそうですか? 私は、ハシモトさんのことを「後輩だ」と思う感覚もないですよ。 やめてください(笑)、だいぶ後輩です。 例えば、私とハシモトさんが同じ会議に参加したとして。私が先輩風を吹かせてハシモトさんの意見を押さえつけてしまったら、そのアイディアの可能性が一つ消えてしまう。それって、全体から見ると損ですよね。 そこまで考えますか。 何年やっているとか、過去にどんな番組をやって来たとか全然関係なくて、今の時点で何が出来るか。案件に対して常にフラットな立場でアイディアを出せるからこそ、放送作家という立場に価値があると思います。   若手作家あるある。「雑用仕事」という名の「雑用」は断るべき? 僕ら若手作家には「修行」といった名目で、雑用仕事が回ってきます。僕は極力そこを避けたいのですが。かといって、そういった仕事を断るにも勇気が要ります そういうの、あるみたいですね。「こういう人(出演者候補)、探してきて」とか「こういうお店を探して」とかいう、いわゆるリサーチの発注がよくくると聞きます。 まさに、それです。 ハシモトさんは今「雑用仕事」と言いましたけど、雑用と仕事ってはっきりと線引きできると思うんです。ギャラが支払われるのであれば仕事だし、無いなら仕事ではない。 そういう発注には、たいていお金の話は書かれていないですね。 つまりはそういう事。発注元がリサーチ会社なりに支払う予算がないからこそ、たくさんいる若手作家たちにバーっと発注がかかるわけで。要は足元を見られているということです。「修行」に限らず「勉強になるから」とか、「コンペ」や「オーディション」もそう、立場が上の人に圧倒的な有利がある言葉に対しては、見極めが必要だと思います。 細田さんが若い時は、どうしてたんですか? 全部、断ってました。「ギャラが出ないなら、仕事じゃない」とか言って。生意気な奴ですよね(笑)。 出来ることなら、僕もそう言いたいんですけど。これを断ったら先が続かないんじゃないか、とか思ってしまいます。 そもそも、そういう発注をしてくるのは、こっちを一人の仕事相手と見なしていないわけで、今後ハシモトさんに(正式な)仕事を頼んでくるとは考えにくいですよね。「避けたい」という気持ちがはっきりしているのなら、さっさと断って、別のことに時間を割いた方がいいかもしれません。   放送作家として成功するにはどうするべきか? ずばり、放送作家として成功するには?稼げるようになるにはどうしたらいいですか? 何を持って成功とするか、だと思います。自分はまだ、自分の中で「成功」したと思える位置にはいませんし、稼げているとも思っていません。私が若手の頃は、エンタメ業界もまだこれほど縮小していなくて、放送作家は「楽で」「稼げる」仕事でした。でも今は、それなりに稼ごうとすると、それなりに大変ですよ。だからと言って、あくまで放送作家は誰かから依頼されてはじめて成立する仕事。自分であれこれしなきゃと、もがいたところでそれほど意味がない。 そんな中で、細田さんが心がけていることがあれば教えてください。 常に機嫌よくいる、ということですかね。あとは常に元気でいる、とか。 シンプルですね。 逆にいうと、それくらいしか出来る事がないんですよ。放送作家は才能やセンスが問われるような仕事じゃないし、ある程度の場数を踏むとスキルは大体みんな同じになる。そんな中で「この人と一緒に仕事がしたい」と思ってもらうには、いろんな2択で勝つしかない。例えば、見た目も技術も全く同じで「機嫌がいい人」と「機嫌が悪い人」がいたら、誰もが「機嫌がいい」方に仕事を頼みませんか? 機嫌か…。考えたこともなかったです。 最近は、日々を正しく生きることも意識しています。電車でおばあさんに席をゆずる、とか、赤信号を無視しないとか。小学校で習ったようなことを今さらになってやってますよ(笑)。放送作家の仕事の依頼って、ある日突然くるじゃないですか。私の場合はLINEやメールでくる事が多いんですけど、新しい仕事が入ってきたときに「日頃の行いがよかったから、このお仕事をいただけたのかも」とか勝手に思うと、楽しいですよ。   放送作家は「看板」が武器になる!? では、仕事の上で心がけていることは? 人を相手に仕事をする以上、「何者か」を早い段階でお伝えする努力はしています。 どういうことでしょうか? 社会の中で、仕事をするには「自分は何者か」ということを相手に伝える必要があります。初めましての時に、名刺交換をするのもその一つ。しかし、私の感覚では「放送作家」という紹介だけではまだ足りない、プラスアルファが必要だと思っています。私は、ありがたいことに「ナインティナインのオールナイトニッポンのハガキ職人から放送作家になった」という過去があって、どの現場に行っても、特に同世代の人から「ラジオ聴いてました!」「あの顔面凶器さんですか?」なんて言ってもらえるんです。 細田さんはかつて「顔面凶器」というペンネームで、ハガキ職人をされていたんですよね。 正直いうと30代前半ぐらいまでは、これがコンプレックスでしかなくて。いく先いく先で「この作家さんは元ナイナイANNのハガキ職人で…」と紹介されるたびに、「昔の話、持ち出してんじゃねーよ」と内心イラっとしたりして(笑)。 はたから見ると、とても羨ましいことですが。 去年、『ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。』というブログを書いて、自分のこれまでのことを見つめ直すことが出来て。新たな気持ちで仕事に取り組む中で、今ではとても大切なものの一つです。「この作家さんは元ナイナイANNの…」と、誰かが私のことをそう紹介してくださるだけで、紹介された側は「なら大丈夫ですね」「(この仕事を)安心してお任せできますね」となる。もちろん、言っていただいた以上、その期待に応えなければという別のプレッシャーは生まれますが。こんなにありがたく、幸せなことはないですよ。 細田さんにとって、一つの看板になっているこということですね 話を戻すと、これからは「放送作家」という肩書きにプラスして、仕事相手を安心させたり喜ばせたりする、「この人と一緒に仕事をしてみたい」と思わせる何かは必要になってくると思います。「SNSのフォロワーが10万人います」とか「並行してyoutuberやってます」とか、「お豆腐屋さんもやってます!」というのでもいいと思います。 これからは、放送作家1本じゃダメなのか… そういうものがあるに越したことない、という意味です。私自身も一つでも多く、新たな看板を見つけたいと思っています。 最後に、「放送作家2年目の僕に、17年目の細田さんから何か一言」いただけませんか? 特にないなぁ(笑)。ただ、同じエンタメ業界の端っこに関わる者として「自分以外の誰の言うことも聞くな!」ということだけはお伝えしておきます。この業界、もとよりこの世の中、本当の正解を知っている人なんて誰一人いないと思うんです。「お前は間違ってる」と上から怒られたり、批判されたりすることもあるでしょうけど、何が本当に正しいのかは誰にも分からない。これを突き詰めて行くと結局、自分が正解だと思えることをやっていくしかない。少なくとも、他人の意見に振り回されて自分の可能性を狭めてしまうことだけは、もったいない。「自分が思うまま、好きなようにやればいい!」ということですかね(笑)。 細田さん、ありがとうございました! こちらこそ、楽しかったです。   編集後記  現役の放送作家である二人の会話。いかがでしたか?放送作家とは「台本を作る人」。ただ、その働き方、自分ルールは千差万別。その中で、ベテラン作家である細田氏が心がけていることは、まず「自分は何者か」を伝えること。そして、先輩後輩関係なく相手をリスペクトし、いつも機嫌よく、日々を正しく生きる。放送作家という特殊自営業ですが、大切な事は会社で働く我々と同じということですね。ハシモトさんにはどう響いたでしょうか。新ジャンル「お豆腐屋さんの放送作家」が誕生するかもしれませんね。    細田さんはあのナインティナインのオールナイトニッポンでハガキ職人から放送作家になったというご経歴があります。番組のヘビーリスナーの1人としては、今回の企画を通してあの「顔面凶器」さんが今も放送作家として元気に活躍されていることを知ることができて非常に良かったです。...