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  最近、海外からの観光客が多いと感じるのは自分だけでしょうか。以前に比べ、街中の外国語案内の量も増えるのと合わせ、訪日外国人の数もどんどん増えているのを肌で感じると思うこの頃です。   とりわけ、訪日中国人の方も、ニュースやメディアで取り上げられた、爆買いの時期から落ち着いたともいわれるなか、最近では、爆買いのようなツアーではなく、個人の旅行客として訪れる方が多くなってきているとのことです。   今回は、これからますます盛り上がりそうな中国インバウンド市場について、関連事業のDSP広告を中心とした対中国人向けマーケティングに詳しいマッドハウスCEOのエリック・ウェイン氏にインタビューして参りました。 中国向けインバウンドビジネス -まず、どんな事業に取り組まれているか簡単に教えていただけますか。   エリックCEO-私は現在、マッドハウスという会社の日本法人のCEOとして、モバイルDSP広告の事業を手掛けています。特に、昨今盛り上がるインバウンド市場に対して、自社の認知度を上げたり、サービスを提供したりと、訪日外国人向けにアプローチすることを主眼に置いています。   また、越境ECなど、訪日中国人や中国本土の住む中国人、在日中国人に広告を打てるのは、中国人向けのマーケティングを行う際に大なベネフィットがあると思います。   -ん、DSPって何ですか?   エリックCEO-マーケターの方はご存知だと思いますが、要するに広告枠のひとつとして捉えていただけたらと思います。例をあげれば、フリーペーパーの空いたスペースだったり、新聞のページ下にある、本の宣伝などを思い浮かべていただけたらお分かりかと。   利用シーンでいくと、ゲームなどのアプリを使う際に、ときどき広告が入ると思うのですが、そこにサービスの宣伝を広告として配信するわけですね。アプリ制作会社が開発する際にマネタイズ戦略としてDSPのモデルを取り入れると思うのですが、我々マッドハウスは特にインバウンド、とりわけ対中国人向けのDSP広告に長けています。   -なるほど、越境ECや中国10億人の市場など注目されてますが、なかなか難しいとの声も聞きますよね…。   エリックCEO-おっしゃる通りです。ただ、私たちの提供するDSPは中国本土で絶大に支持されているアプリ内でDSP広告として日本のサービスや自社の宣伝を配信できることです。   中国は独特のマーケットがあります。あの世界の名だたるGoogleでさえも、中国国内ではMicrosoftが提供する検索エンジンBingが主流です。Twitterではなく、ほとんどがWeiboを使っています。そのため、なかなか中国人に対してのアプローチがやりたくてもやりにくかったというのがあると思うのです。そこで、中国にいる現地の方に対して、日本のサービスを宣伝し、クーポンをつけるなど付加価値を加えることで興味を持ってもらい、日本に観光に来た際に、来店動機やサービスの利用するなど購買喚起に役立てることができます。   -ただ闇雲に広告を打っただけでは、なかなか効果がないのでは?   エリックCEO-実は、年齢や性別ほかあらゆるユーザー属性に合わせて、ターゲット選定してDSP広告を配信することができます。そのため、より最適化されたユーザーのもとへ広告をアプローチすることで、精度の高い結果を生むのに貢献できると考えています。 爆買の次にくるインバウンドビジネス -ひとつ聞いておきたいのですが、爆買いってもう終わりなんですか?   エリックCEO-そうですね。メディアでも爆買いはもうないなどと報じられていますが、これからの潮流としては、銀座や新宿などの免税ショップしか回らない、いわゆるツアー旅行がいままで主流だったんですね。   しかし、中国国内でFIT(Free Independent Tourist)が一般化してきており、従来のツアー旅行では行くことのできなかった日本の場所へ訪れる中国人の方が増加しています。そういった訪日中国人に対して、DSP広告を通じてアプローチすることで、日本のクオリティーの高いサービスや商品の訴求に効果があると思っています。   つまり、より日本の良い商品やいままであまり知られていなかった日本の観光地を、...

  ずっとやりたいことがあり、頭では思い描いているけれど、なかなか実行できない。そんな風に感じている方もいるのではないでしょうか。   今回は、好きなことを追い求め続け、クラウドファンディングで見事目標金額を達成し、それが原動力となり、ウェブマガジンPLARTの編集長とHEY!ARTプロデュースに従事。これからアート業界に新たな風を吹き入れてくれるであろうPLART代表の柿内奈緒美さんにお話を伺いました。 コンテンツビジネスを立ち上げるまで   -自己紹介も踏まえて、今までのことや現在について教えてください 柿内氏:はい。私は現在、アートがライフスタイルになるウェブマガジン「PLART」の代表と、PLARTのリアルイベント「HEY!ART」プロデューサーを務めさせていただいていますが、ここにくるまでが本当に紆余曲折な人生を送っていました。   今となってはさまざまな業界の人でも話が出来て仲良くなれるので色々な経験ができたことが良かったと思っています。20代の頃は職を転々としていて、飲食業界、理美容業界、建設業界、アパレル業界など様々な業種7社以上で働いてます。よくある話ですが(笑)長くお付き合いしていた人がいて、完全に人の夢に相乗りする様な職種を選んでました。その方とお別れしてから、「一体自分は何がやりたいんだ。」と真剣に向き合いました。   -なるほど。今のアート業界に興味を持ったのはいつごろなんですか。   柿内氏:アートに興味を持ったというよりも、自分を表現するには何がいいかと考えるようになったといった感じですね。当時27歳で、建設業界で働いているときに、先ほどお話しした「一体自分は何がやりたいんだ。」と考え始めた時で、結果、「自分が活きるフィールドで点と点を結ぶ線の様な存在になって活動していきたい。社会を良くする歯車になりたい。」と決意しました。   -なるほど。それで今まで地道に色々な活動をなされてきたのですね。   柿内氏:そうですね。目標は決めたのはいいものの、そのフィールドが何か、何が必要かもわからないので、とにかく直感で動きまくってました。5年前に関西から上京したこともその一つです。東京に来てからは時間をつくって、どんどん色々な方々に会いにいったり、興味のあるプロジェクトに参画してみたり、とにかく行動して、たくさん吸収しようとしていました。その中で、原体験になった活動が「1人で自分の雑誌を作る」というクラウドファンディングのプロジェクトだったのです。   -おお、あれですね。自分も支援させていただきました笑   柿内氏:そうですよね!ありがとうございます。私はずっと大型のシェアハウス(※)に住んでいたので、そこで感じた心地よさをどうしたら、社会に広めることができるのだろう?と考えていました。シェアハウスに住んでいる人は皆、ここに色んな人がいると理解して住んでいます。自分と違う価値観を許し合うこと、それぞれのできることを補い合うことを知ってます。他者に対してどちらかというとポジティブな感情を持っています。それがとても私にとっては心地よかったのです。そのことを雑誌を通して伝えたくて、クラウドファンディングを行いました。   ※ここでいうシェアハウスは70名以上の住人がいる大型のシェアハウス   -クラウドファンディングは、結構取り組みたいと考えている方もいると思うのですが、達成させる秘訣みたいのはあるのですか。   柿内氏:クラウドファンディングを始めたときは、とにかく人の目に入るようにしていました。プレゼンイベントに出たり、共感いただいた方から応援メッセージをもらって、ひたすらSNSで発信していました。私は自分の中で1日のルーティーンを続けているのですが、朝活の一環で「本日のまがじぃ〜ん。」と題してSNSで発信しています。同じフォーマットで発信し続けることは、人の印象に残ります。そのため、私は数年会ってない人からでも「Facebookで見てるから」と、覚えてもらってる確率が高いです。 コンテンツビジネスで大切なこと -柿内さんといえば朝のイメージですよね、しっかりとブランディングされていますよね。   柿内氏:ありがとうございます。実は朝にこだわりを持つ理由がありまして、昔、京都の鈴虫寺へ行った際、住職さんがおっしゃっていた言葉がとても好きです。「朝という字は十月十日の組み合わせからできていて、それは赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいる期間です。だから、朝が来る度に生まれ変わりなさい」というのがすごく響いたのです。   ちょうど自分がその時に精密検査を受けたりと、自分の体とこれからに向き合っている時だったのもあります。それから、朝が来るたびにその言葉を思い出すようにしています。朝に「GO!GO!」と言いたいので、5時5分に起きています(笑)また、朝はインプットの時間にしていて、先ほどお話しした「本日のまがじぃ〜ん」という活動をしており、発売された雑誌を1日に3冊〜10冊ほど読んでます。ここが私のエネルギーの源なんです。雑誌のページをめくる度にワクワクするんです。どんなきっかけが詰まってるんだろう?って。   -なるほど、やはりゲン担ぎやルーティーンは大事ですよね。これだけ意思や思いを持った人だからクラウドファンディングも成功したんですね。   柿内氏:元々、意思は強い方だとは思うのですが、もっと強くなったきっかけが幾つかあります。東京に来て1年3ケ月経った頃、趣味のボルダリング中に壁から落ちて腰椎骨折をしました。あと数ミリで神経を傷つけてしまい下半身不随になったかも・・・という大怪我で、7時間の手術と半年のコルセット生活。そして半年のリハビリをしました。同じ時期に長い間寝たきりだった父親が他界した事も意思が強くなった大きな出来事の一つです。   「せっかく健康で生きていくチャンスをもらったんだ。絶対に諦めない。」   挫けそうになった時はいつもそう思ってました。もちろん、思いを持ってるだけではだめで、自分がやりたいと思っていることをとにかく伝えることが大切だと思っています。私の場合は自分が好きなものを集めて、伝えました。小説家、伊坂幸太郎さん著書の「ラッシュライフ」の名前が好きで「LushLife」という雑誌名を決めました。LushLifeは、豊潤な暮らしという意味です。シェアすることについてを雑誌で表現したいと思いました。 この雑誌を通して、シェアすることが自分と違う価値観を受け入れることがどんな豊潤な暮らしにつながることなのか、をゆるく伝えられたらと行動に移しました。黙っていても、何も伝わりません。とにかく「伝える・発信する・継続する」こと。それがコンテンツビジネスには大切だと思います。 コンテンツビジネス:「PLART」というメディアをプロデュース   -次にPLARTについてお伺いしたいのですが、アートに対しての考えやPLARTの方向性などをお聞きしたいです。   柿内氏:クラウドファンディングで目標金額を達成し、雑誌を発刊でき、そして、今の自分にたどり着いた基盤となる今の会社で、お仕事をさせていただくうちに、これまでずっと自分が思い浮かべていたこと全てが線となってつながり、シェアハウスで感じたことを表現するのにはアートがピッタリだと思い、PLARTというひとつのメディアをスタートさせました。   -なるほど、ついに自分の道を見つけたのですね。   柿内氏:はい。シェアハウスの住人たちは「色んな人がいる」「色んな表現がある」ということを受け入れていました。そして、アートはまさに個性の塊、人の表現です。それを楽しむことは他者の表現を楽しむことに繋がっていくんじゃないか、と思いました。今の日本社会が息苦しいと感じ、人の目ばかり気にして、身動きが取れなくなる見えない鎖を少しでも壊したいと思ってます。   もっと、自分らしく、それぞれの個性が生きる百花繚乱の世界に変えていきたい。アートがライフスタイルになるほど当たり前になれば、日本も多様性を前提としたお互いがお互いを認め合える社会になる。少しでもそこに繋がっていくと信じて、PLARTを運営してます。   しかし、そもそも日本のアート業界は狭いといわれてます。だから、もっともっと身近に感じられるように、「アート」と「◯◯」といったコンテンツにしました。そして、ウェブはどちらかというと、情報が多すぎてどれを読めばいいのか解りにくく、消耗品のように感じられます。そこで、私は雑誌が大好きですので、雑誌のように毎月、公開する日を決め様々な切り口の特集を組むことにしました。コンテンツは出来るだけ雑誌ぽく見えるように手描きの箇所を入れてます。 また先日、PLART初のリアルイベント「HEY!ART」は、代官山のギャラリーで行わせていただき、おかげさまで約320〜330名の方にお越し頂きました。 第1回目のテーマは「アートのある暮らし」 アート好きな友人の部屋へ遊びに行って、コーヒーを飲んでおしゃべりして、くつろぐ・・・そんなイメージのアート展でした。美術館やギャラリーでは味わえない、リラックスした空間で気軽にアートを楽しんで頂けるよう工夫しました。なんとか納得するカタチで終えることができたのは周囲の協力があったからだと思ってます。本当に感謝してます! 仕掛けていきたい今後のコンテンツビジネスについて   -最後にPLART含め、今後の活動のビジョンについてお話し伺えればと思います。   柿内氏:はい。PLARTは、アート業界とは違う層の方にアプローチしているので、もっとPLARTは通じて、アートにあまり興味がない人が少し目を向けてくれたり、日常にもっと気軽にアートを楽しめるような、そんな情報発信や、提案をどんどんしていこうと思ってます。 編集後記 柿内さんにインタビューして思ったことは、自分の芯をしっかりと持っていること、そして寛容性があるということを感じました。アートは否定ではなく、さまざまな作品を認め合って、お互いの作品をリスペクトする。このような考えが、アートのみならず、自分の生き様にもあらわれているような気がしました。   人が何かを決心したことで生まれるパワーはすごいものを感じ、また周囲を巻き込むほどの思いや信念がある人が世の中にインパクトあることをやっていくのだと改めて感じた次第でした。     ...

最近よく副業ないしは複業についての話題がメディアに出ることが多くあるように思います。そのうえで会社に属さなくても仕事を受注して、生活していくことのできるフリーランスとして働く人口が今後増えていくと予想されます。   今回は、自身も普通の女子大生から現在はフリーランスのライターとして活躍し、これからの働き方としてフリーランスの選択肢を増やすためにフリーランスの集いを運営する上村菜穂さんにインタビューしてまいりました。 女性の活躍を支援したい   フリーランスになったきっかけ   -早速ですが、フリーランスになったきっかけを教えていただけますか。   上村氏-はい。私はフリーランスのライターとして働く前は大学院生でした。大学在学時には陸上部に所属しており、週5、6日はスポーツ中心の生活をしていました。ちなみに大学では工学部で建築学を専攻していました。   大学3年生になる直前に学校の外にもコミュニティや、いろいろな機会に溢れていると知りました。そこから部活の合間に大学の交友範囲外の人との交流をしようと、空いた時間を生かしてイベントやセミナーなど、人が集まる場所に顔を出していたりしていました。   なのでこのときは1年のうち、何日休みがあったか覚えていないです。週7で1日に何件も予定があるような生活でした。次第に人脈が広がっていくなかで、「賢者屋」という学生が月間2,000名以上集うフリースペースの副代表として運営に携わる経験もさせてもらいました。その賢者屋でも学生を中心に色々な方が出入りをしていて、情報や知識を得るきっかけになりました。そして、大学3年の1月に興味が湧いた、女性の活躍を支援してみたいと考えるようになったのです。   女性の活躍を支援する仕事がしたいけれども・・・   -なるほど。どういった形で女性の活躍を支援したいと思ったのですか。   上村氏-実はまだその当時は具体的に案がなかったというのが正しいですね。賢者屋では「なでしこ大学」というイベント企画を立ち上げ、ロールモデルになる社会人女性と女子大生の繋がりの機会を提供していました。   賢者屋のスポンサーの大手企業様やベンチャー企業様、それ以外にも動き回っていく中で知り合えた女性経営者の方々や、フリーランスとしてイメージコンサルタントやキャバ嬢プロデューサー、ハーブティーの広報・販売している方や、メイクの先生など幅広い職業の方にご協力いただきました。   部活を引退して、大学を卒業後、お世話になっていた大学の教授の助言から同じ研究室の大学院に進学することを決めていたのですが、専攻する内容は建築学だったので女性の活躍を支援するとは全く違うものでした。『女性の家事労働が削減される住宅システム』の研究をしていて、大学ではそのテーマで卒業論文を提出したのですが。大学院に通いながらも、今後の将来についてどうしようかと悩み始めた時期でもあります。   そこで、あるときお世話になっている方に、「女性の活躍を支援する仕事をしたいのだけれども、何をしたらいいのかわからない」ということを打ち明けたのです。そうしたら、「じゃあ、あなたはが何が得意なの」と聞き返され、自分のことを思い返してみるといつもルーティーンでFacebookの投稿をあげていたのですが、反応があったり、文章を褒められることが多かったのです。そのことがきっかけで自分は文章で表現するのが得意だったということに気づき、ライターとして活動していきたいと思いました。 20代の女性向けに発信していたメルマガ   フリーライターとして独立   -ライターとして最初からフリーランスでやっていたのですか。   上村氏-いえ、最初は女子大生ライターという肩書きでやっていて、フリーランスと言えるほどの収益も出せていませんでした。しかし、一番はじめに仕事をくれた賢者屋の代表である佐藤さんのおかげで、「ライターを始めました」とFacebookで投稿したところ、いくつか案件をいただき、そこから色々な方が応援してくださりフリーライターとして独立を決意したのです。   -フリーランスで仕事があるっていうのはすごいですね、人脈づくりがここにきて役だっているということなんですね。   上村氏-そういうことになりますね。もちろん、値段や交渉の面でも始めたては相場感がわからないので苦労した面はありますが、案件をこなすうちに慣れてきました。また、女子大生ライターとして名乗っていたので、女子大生に向けた美容などの記事を多く頼まれましたね。   相手(クライアント)の悩みに対して、いかに解答を持っているか   -なるほど、あとライターの案件をこなすだけでなくメルマガも運営されていますよね。   上村氏-はい。実は中学生のころに匿名(ハンドルネーム)で恋愛系のメールマガジンを運営していました。いまはもうそのサービス自体は終了しているのですが、およそ20,000人のメルマガ会員がフォローしてくれていましたね。   -え、中学生からもうライターとしての片鱗を見せているじゃないですか。でもなんでそんなにフォロワー数が増えたのですか。   上村氏-女子がする恋愛に対して、求められている情報はなんだろう?と考えました。そこで、女子同士が共感できる内容を文章として発信していたからだと思います。かなり必死に情報収集をしていました(笑)   このときの経験によって、発信する側は、読む側の方がどういう気持ちでいて、どのような情報が欲しいのかを考えることがいかに大事かを少なからず学んだ気がします。現在では、ライターのみならずフリーランスになりたい人が役立つ情報をメルマガとして発信していますが、当時の原体験がいまにいきていると思います。読者層は20代の女性が多いですね。   こうやって、発信していくことで集客できるという自分の強み、ブランディングになり、最近では自分の強みをライティングに落とし込んでしっかりと伝えられる文章セミナーや、楽天大学でセミナー講師を務めるなど、ライティング以外の案件も増えてきましたね。人生設計女子会というもので女子大生向けに自分たちで開催したり、時にサイバーエージェントさんとコラボで自己PRのために考えることをお伝えしたり。   -なるほど、すごいですね。ずばり集客のコツはなんでしょうか。   上村氏-そうですね。メルマガにしても他のビジネスでもそうだと思うのですが、相手(クライアント)の悩みに対して、いかに解答を持っているかだと思います。私は好きなことを仕事にしているからこそ、メールマガジンで発信する内容にこだわり、ある程度まで共感されるようになったと思います。 女性の活躍を支援する仕事がしたい   -では最後に今後の目標についてお話しいただけますか。   上村氏-はい。そもそも私がフリーランスになり女性の活躍を支援する仕事をしたいと思ったきっかけが母の影響でした。私の母は専業主婦ですが、働きたいという意欲は結構持っていました。なのに家事をしなくてはならないため、自宅で過ごすことが多いわけですね。この状況をみて、もっと働きたいけど働けない女性に対してなにか支援できないかという思いを抱いたわけです。   それがライターだと案件によっては在宅でもできるわけですし、私の場合ですと、在宅でライターの仕事ができるので、自宅で祖母の介護に時間を充てることができます。小さいお子さんの育児をしている女性でも在宅でできる仕事があれば、家計の助けにもなりますし、もっとフリーランスの垣根が低くなるようにしていけたらいいと思っています。   また、「The Freelance」というコミュニティを立ち上げ、フリーランスで活躍している人と、これからフリーランスになりたい人が集うイベントを開催し、つながりを持てるように努めています。今後は仕事とプライベートをうまく両立させ、充実した日々を送れるワークライフバランスに富んだ人を1000人つくることが目標ですね。 編集後記 インタビューを終えて思ったことは、女子大生からどこにも就職せずにいきなりフリーランスになるという見方によってはリスキーに思えることも、いとも簡単にこなしている風に見えました。フリーランスになる前、好奇心で積極的にイベントに出ていたフットワークの軽さと情報や人脈を得ようとする心構えが、フリーランスとしての活動に大きく寄与しているのかもしれません。これから独立やフリーランスになりたい方の参考になれば幸いです。    ...

ファッションEC販売、スタイリング、ファッションコーディネートのサービスを運営しているUNCLACK株式会社の三田村妙子社長にお話を伺いました。   起業する前のお話から創業時のお話、ファッションEC事業を軌道に乗せるまでの苦労を語っていただきました。 GMOメイクショップでの経験が起業のきっかけ -創業のきっかけは何でしたか?   三田村社長:いま自分の会社でファッションを軸にした事業を手がけ、ECを運営していて、かれこれ15年くらいECの業界に携わっています。   学生時代にECのアルバイトを始めたのがきっかけで、この業界に興味を持ちました。当時は楽天、ビッダーズと並んでキュリオシティという日本国内では老舗のECモールがありまして、そちらのECモールの出店を斡旋する営業の仕事をしていたのです。   私はその後大学を中退しているのですが、仕事が面白くなり、その後もずっとECの仕事を行っていました。あるとき、GMOグループ代表の熊谷さんの書籍で、GMOのことに興味を持ち、この会社で働きたいと思い、面接を受けにいったのですが、当時の面接官が私にぴったりな会社があるとして紹介されたのが、GMOメイクショップでした。   -それで、GMOメイクショップに入社してキャリアを積んでいったのですね。   三田村社長:はい。その当時、グループ参画直前で場所も渋谷のセルリアンタワーではなく、秋葉原のマンションの一室でした。会社の立ち上げに関われたことは非常に自分にとってプラスになったと思います。そして、1年後にセルリアンタワーに場所を移してGMOメイクショップの成長とともに、私も計9年間ずっとEC業界で働いてきました。   -なるほど、何か起業のきっかけはあったのですか。   三田村社長:そうですね。GMOメイクショップが100名くらいの体制になって、成長も著しく好調だったのですが、会社で培ったマーケティングやPRの経験を、今度は自分の力でもっと試してみたいと思うようになりました。そうした話を社長に相談したところ、やってみるべきだと後押ししてくださり、UNCLACK株式会社の立ち上げを決心しました。 ファッションECの事業にこだわる理由 -UNCLACKでは立ち上げ当初、どのような事業を展開していたのですか?   三田村社長:GMOメイクショップでの経験を生かして、最初はEC業界を中心とした広報の仕事を考えていました。ただ、どうしてもやりたいことがあり、それがファッションの仕事でした。会社員時代のころから、ファッションが大好きで、オフィスに着ていく服もワンピースをわざわざ海外のサイトで購入していました。   特にイギリスのワンピースはエレガントなラインが多く、もっと仕事で着ていけるような、スタイリッシュでかつ、エレガントなワンピースを日本でも広められないかなと思っていたのです。   -それでファッションEC事業を立ち上げたのですね。   三田村社長:はい、最初は趣味で始めたブログに関しても、海外のおしゃれなモデルさんのフォトショットや、日本にはないシンプルでスタイリッシュなアイテムを中心に、自分好きなブランドの服や、スタイリング、コーディネートを載せていきました。   徐々に読者からスタイリングの相談やどこのブランドですか?と反響がくるようになり、これが今も運営している「UNCLACK」のファッションコーディネートマガジンの原型になりました。そして、Facebookページも立ち上げると、さらに問い合わせが来るようになったので、オンラインスタイリングサービスやファッションECを事業として行うようにしたのです。 ファッションECにかける情熱   -ファッションブランドさんとも提携しているのですか。   三田村社長:スタイリングサービスの場合、提携ブランドの商品を扱うのではなく、例えばスタイリングの一環であるブランドを購入する際は買い付け手数料としていただくということですね。   実はブログ立ち上げ時から自分のコーディネートで使った海外ブランドリストが100件程度ありました。できればぜひ自社のECサイトで扱いたいと思い、メールで1社ずつ連絡してみたのですが、私が好きなイギリスのファッション通販サイトに載っているようなブランドは実績や信頼がある会社でないと扱ってくれないということがわかりました。   しかし、どうしてもイギリスのワンピースのようなエレガントなデザインのワンピースを扱いたかったので、そのブランドが生産拠点にしていそうなアジアの工場元をネットで探して、コンタクトを取ってみました。   その後、ぜひ扱ってほしいという返事がきたので、その工場からODM(※1)受注し、ノーブランドとしてUNCLACKのサイトに掲載するようになりました。また、スタイリングの延長で、オンライン倉庫的な商品の置き場所が必要だったのでコーディネートショップという自社で運営するサイトを作り、20,000点ほどアイテムを掲載できるまでになりました。   (※1) ODMとは、Original Design Manufacturingの略語で、委託者のブランドで製品を設計・生産することをいいます。生産コスト削減のために製品またはその部品を他の国内企業や海外企業などに委託して、販売に必要な最小限の数量の製品供給を受けることにより、委託者である企業は大きなメリットを享受できます。 引用元:JETRO_OEM生産とODM生産の違い   -すごい行動力ですね。ただ、疑問に思ったのですが、エレガントなワンピースは日本で売れるのでしょうか?   三田村社長:そうですね。ブランドものを仕入れているのではないため、高すぎず安すぎない価格にこだわって提供し、10,000円前後のワンピース、ドレスを中心に売れています。購買層も20~30代の女性で、会社員の方や外資系企業で勤めている方、日本在住の外国の方がよく買っていただいています。   どうしても日本のファッションだとゆるふわ・かわいい系になるので、アジア圏以外の国の方にとってはオフィスに来ていける服やあまり高くない、でもおしゃれでエッジの効いたデザインのドレスを買う場所がない、というところで、UNCLACKは評価いただいていると思います。プロモーションについてはFacebookで毎日スタイリングやコーディネート例を掲載し、購入にもつながっています。幸いサイトを運営していくにつれて、リピートして服を購入してくださる方もいます。   -なるほど。ここまでくるのに苦労はなかったのですか?   三田村社長:それは立ち上げ当初は大変でした。本当に初期のころは赤字続きで、なんとか状況を改善させようと受注をお願いする工場を変えてバリエーションを増やしたり、梱包方法からプロモーション方法など色々工夫しました。   また、いまでこそFacebookが盛り上がりましたが、立ち上げ当初は、いいね!数は増えるものの購買にはなかなか至らなかったです。ただ運用していくうちに、好まれるコーデの傾向がわかってきて、自分たちが着てもらいたいと思っている推しコーデなど、コーディネートを毎日更新して新鮮さを出していきました。不思議なのですが、マーケティング分析はもちろん基本であって、それに加えて、”売りたい”が前面に出し過ぎていない、オリジナリティな提案があるほうが購買に繋がっているようにも思えます。   -工夫を重ねた結果、次第に結果が出始めたのですね?   三田村社長:はい。ある基点を境に適切な顧客分析が出来てきたので、リピーターも増えていきました。また、ドレスのほつれが見当たる部分も、工場へ品質向上について相談したり、もっとこういうデザインはできないかと逆に提案したりもしていました。その方がお客様のためになると思っていたので、躊躇なく行っていましたね。 今後の目標と起業を目指す方へのメッセージ -最後に今後のビジョンと起業したい方へのメッセージをお願いします。   三田村社長:私がファッションの事業をやり続けている理由に、オフィスでも気軽にビビットなカラーで着ていけるワンピースを広めたいというの想いがあります。最近では、それに加え、他のファッションブランドのように売れ線(モノトーンなど保守的なデザイン)に走るのではなく、あえて違うテイストや着こなし方を提案していけるようになりたいと思っています。   オンラインスタイリングサービスを行っている以上、お客様のスタイリングを考えるのも仕事ですし、もっとコーディネートに幅が広がるバリエーションも増やしたいと思っています。そのため、今後は自分自身のデザインでファッションブランドを立ち上げようと思っています。   起業に関しては、最初はどうしてもリスクを考えてしまうかもしれませんが、好きなことで始めたのであればとにかく続けることですよね。むしろ自分とって好きなことであれば真っ直ぐ続くと思います。またビジョンを明確にして取り組むのも大事な要素だと思います。 編集後記 ずっとEC業界にいてキャリアは備わっているものの、いざリスクをとってまで安定した会社を辞め、起業の道を歩むのはそれなりの決心が必要だと思います。三田村社長は、もっと裁量ある仕事をしたいという仕事熱心な一面もありますが、それは自分の好きなファッションをもっと仕事として昇華させ、世の中にアプローチしたいという思いから、いままでやってこれたのだと感じました。   「好きこそものの上手なれ」ともいいますが、好きを極めることで、自分の可能性が広がる、そんな生き様を見せてもらったような気がします。     取材協力:UNCLACK株式会社 URL:https://www.unclack.com/ 事業内容:アパレル企画・制作、PRプランニング、ファッションコーディネートマガジン「UNCLACK」運営、ECサイト運営    ...

  美容師のアシスタントから飲食店経営者に。株式会社ソーシャル・コア 中島庸彰氏にお話を伺いました。なぜ、普通の美容師から経営者になれたのか、そして苦労してまで、独立を目指したきっかけとは?創業秘話に迫ります。 美容師アシスタントから飲食店経営者になった理由   -86世代の経営者とのことで、とても親近感がわきます。まず中島社長が経営者になろうと思ったきっかけを教えてください   中島社長-最初は経営者になりたいと思ったいたわけでなく、「自分の力で飯を食っていけるようになりたい」と思ったのが最初なんです。組織というより、自分自身でスキルを身に付け、生活をしていくという、フリーランスや個人事業主としてのイメージが強かったのです。そもそもその当時は経営者という職業も知らなかったので。。。   -おお、そうなんですね。具体的にはいつ頃から独立したいと思うようになったのですか?   中島社長-18歳で進路を決めなければ行けない時に、当時なりたいこともやりたいこともなくて。ただ、このままなんとなく学校に行き、なんとなく就職して、なんとなく仕事をしている、という自分を想像したときに、それは嫌だなぁと思うようになったのです。   いまから自分の人生を変えるにはどうしたらいいかと考えたときに、ふと、若くして独立している人ってかっこいいなと思いました。そのときに、25歳までに独立して、自分の力で生きていこうという目標を立てました。   じゃあ具体的に何をやるといいのかいろいろと考えていくうちに、自分がちょっとした趣味で周りの人の髪を切ってあげていたことを生かし、美容師ならいいんじゃないかと思いました。美容師なら、美容の専門学校からみな横一線のスタートなので、そこでいまから本気で頑張れば、1番になれるのではないかと思い、東京に出て、美容師として25歳で独立することを決意しましたね。   -なるほど。美容師の道へ進もうと思い、さらにその先の独立するという目標まで立てたんですね。   中島社長-はい。専門学校に入学してからは、高い技術を身につけるために、一流と呼ばれるサロンに入りたかったので、自分の強みを創るためにも学校の成績で1番をとれるように練習と勉強をたくさんしました。幸い、学年トップで卒業でき、20歳のときに、表参道の有名サロンに入社することが決まったのです。ここは、芸能人も来店するなど、一流の接客や技術を学ぶには最高の環境で、キャリアアップすべく必死に働きました。   -有言実行ですね。サロンには何年くらい働いたのですか?   中島社長-2年くらいで退社をしました。美容師で早く独立したいと考えていたし、厳しいサロンだったので、1日16時間くらい働いていました。しかし、1年半たったある日、急に腰を痛めてしまい、現場に立つことができなくなってしまいました。ヘルニアを患ってしまい、ついにはドクターに美容師はやめたほうが良いと、ドクターストップがかかってしまったのです。   -ええ、マジですか。美容師で独立を目指していたのに?   中島社長-はい。自分にはこれしかないと思って頑張っていたので、辞めたあとは他にやることも思い浮かばなくて、当時は本当に悩みました。   ただ、25歳には独立すると決意した以上、あと3年で目標を達成しなければならないため、いつまでも悩むわけにはいけないと思いました。それから、周りで20代で独立している方を紹介してもらいながら、次に何を目指そうかを模索していところ、会社を「経営」しているとのことだったのです。   これまで、私は経営という言葉自体もあまり理解していなかったのですが、紹介してもらった方々をみると、自分が目指していた独立という意味合いにとても雰囲気がマッチしている感じを受けました。「よし、あと3年で経営者を目指そう」と思うきっかけにもなりましたね。   -なるほど、周りに感化されて経営者の道を目指そうと思ったのですね。最初は何からやり始めたのですか?   中島社長-はい、特に業種も何も決まっていなかったので、最初は生活資金を稼ぐために、日中は派遣の仕事と夜はファーストフード店でアルバイトしていました。そして、経営者になるためには、情報や繋がりを増やさなければと思い、イベントやセミナーに空いている時間はすべて参加し、自分自身でもイベントを開催するようになりました。   もう無我夢中で働いていたというか、目標が決まっていたのでそれを達成するために頑張っていました。イベントの運営や人脈を広げるために消費者金融からお金を借金してまで捻出してあてがっていたりと、この時期は一番苦労しましたね。運営していた飲み会が回を重ねるごとに、参加してくれる人数が増えてきて、月500~600人集まるようになったのです。ずっとイベントを続けるうちに「このイベント運営で独立しよう」と思うようになりました。   結果として24才のときに、イベントの収益だけで月間70万くらいの収益が出たので、派遣やアルバイトの仕事を辞め、イベント運営一本にしました。なので、1年早く独立できたというわけです。   -すごい行動力ですね!飲食店経営はこの後ですか?   中島社長-はい。独立したころから、ある程度の集客が見込める状態にあったため、飲食店の空いている時間帯を、家賃で借り上げてイベントをやったり、幹事さんに貸したりしていたことが、バーを運営していたことが原体験になりました。   また、自分が独立までにすごく遠回りをしたなと感じて、当時の自分のように、なにかしたいというエネルギーがある人同士が出会える場を創りたいと思い始めていたので、イベントのように単発でなく、いつも人が集まる箱を創りたい思ったのが、飲食店経営のきっかけになりました。そして、25才のときに原宿の竹下通り近くの物件を借りて1店舗目をオープンしたのです。 美容師アシスタントから飲食店経営者へ   -今は何店舗運営しているのですか?   中島社長-はい、今は都内に4店舗運営しています。また、私の経営理念に「人が繋がる場創り」を主軸にしていますので、シェアハウスやゲストハウスの運営も手がけています。   私一人がすべてこなしているわけではないので、すべて飲食店含め何人かと共同運営をしています。特に私の飲食店の経営は、他にあまりないスタイルで運営しています。というのも、通常の飲食店経営だと、店長がいて、社員のスタッフ、アルバイトでお店を回すのが普通だと思います。しかし、うちの経営スタイルは、「やりたい人は手を上げて」というスタイルです。   一応、ポジション的に店長や接客スタッフなどと決めますが、web集客したい人はその業務をやり、将来お店を開きたいから店長をやる人、人脈を作ったり、接客を学びたい人はスタッフをやる、などそれぞれが目的を持って1店舗を運営するスタイルなのです。   何人かのフリーランスが集まってお店を運営するといったイメージですかね。こうすることにより、仕事を自発的に、裁量持って行うことができるので、モチベーション高く、楽しんでそのプロジェクトを行えます。社員を雇うというよりは、業務委託などその人の特性に合わせながら行っています。   こうすることで、自分たちがお店を創っているという思いを抱くことができ、また将来のキャリアにも繋がるような仕組みを整えています。なので、このような形態のお店が4店舗あるというイメージでしょうか。   -店舗拡大のときは、リスクとは感じなかったのですか?   中島社長-やはり、1店舗目の飲食店経営をしていると、イベントやパーティーを通じて、本当に色々な方とお会いする機会を得られるようになり、物件に関しても紹介物件として通常よりよい条件で借りることができたり、地域を変えると、またそこの飲食店を運営したい人や、お客さんとして遊びに来る人も変わるわけで。   「人が集まる」を主軸に置いているので、店舗拡大はリスクというよりはむしろチャンスだと思って決断してきました。売り上げに関しては、店舗の規模にもよりますが、月商100万から月商400万ベースにはなってきています。   -これもやはり、イベント集客の経験が役立っていると思うのですが、何か「集客のコツ」みたいなものはあるのですか?   中島社長-集客のコツですか。そうですね、SNS集客はみなさんされていると思いますが、当時私が使っていたのはmixiですね。今はそれがfacebookに変わっていますが、当時は「フォーマット(定型文)を決める」「タイトルを決める」を大事にしていました。また今の参加状況を「○名参加予定」「残り○名まで」と具体的にすると分かりやすいですよね。   また、立地やロケーションもどういう場所でやるのか、男女問わず参加しやすいのか、ちょっとおしゃれな場所なのか記載するのも重要な要素です。イベントの開催日に合わせてマメに更新して、少しでも多くの人に見てもらうような工夫はしていたと思います。   -なるほど。あとは仮に集客できてもリピートにつながらないと意味がないのではと思うのですが。   中島社長-そうですね。リピート施策というテクニックより、参加者同士を仲良くさせる、ご紹介するというのをとにかくやってます。最初はもちろん、顔なじみからイベントはスタートすると思うのですが、主催者と繋がることよりも、参加者同士で仲良くなることを一番に考えていました。そうすることで、仲が良い、気の合う友人同士でイベントに来てくれたり、飲食店に遊びに来てくれたりします。   これが、大人数になってくると、さすがに手が回らなかったりするので、ゲームをしたりして繋がるきっかけを作ったりしていました。なので、主催者の人が人海戦術で集客メールするのもいいですが、共通の知り合いや友人の横の繋がりを増やして一緒に参加してもらうのが得策なのではと思いますね。 ソーシャルコアの今後   -では最後に、今後の目標とこれから起業したい方向けのメッセージがあればお話いただけますか。   中島社長-はい。これからも人が集まる場所、人に変化を与える出会いをプロデュースしていきたいと思っています。今シェアバーという新しい取り組みを行っている店舗が恵比寿にあり、そこでは、コミュニティ×バーというコンセプトで、シェアバーの会員になった人同士が交流できたり、会員の人が主催でバーでイベントや一日店長ができるなど、他のバーとは違う試みをしています。   会員制のバーとの違いは、やはり決定的な違いというのは、隠れ家とし一定数の人しか集わない小さいコミュニティにするのか、様々な人とのつながりができるコミュニティにするかの違いだと思います。   いま恵比寿のバーでは業種問わず、およそ60人ほどの方がシェアオーナー権を持っていますが、今後は、ある業種に特化したシェアバーを運営していきたいと思っています。そこに行けば、同業種の意見交換や相談など、社外のつながりだったり、会社の垣根を越えた交遊関係が生まれるような、そんな空間づくりができればと思っています。   また、インバウンド向けのゲストハウス運営も視野に入れています。いわばこれまで培ってきたイベント運営のノウハウを生かして、そのゲストハウスで訪日外国人の方と日本人とが繋がり、出会いが生まれる場所にできればとも考えています。   起業については、まず小さなことでも始めてみる。このことに尽きるのではないでしょうか。今の時代、どんな情報も手に入るので、最初はささいなことでもいいので、アクションしてみる、聞いてみる、やってみる。失敗したら、またやり直せばいい。このことを繰り返して、やがて目標に近づくのだと思います。 編集後記   中島社長のお話を伺って感じたことは、目標達成するための固い意志や、有言実行など、経営者に備わる素質が伝わってきたことです。言ったきり行動に移さなかったり、目標を諦め、達成しやすい目標に改めるなどといった風にはならない、自分の確固たるポリシーをお持ちだと思いました。ぜひ経営者やこれから独立したい方の参考になれば幸いです。    ...

総務省によると、「シェアリングエコノミーとは」、個人が保有する遊休資産(スキルのような無形のものも含む)の貸出しを仲介するサービスのこととしています。(総務省)   近年ソーシャルメディアが盛んになったことで、シェアする文化的コミュニティが形成されるようになってきた背景があります。今回は、そのような状況を含め今後のシェアリングエコノミーの将来性と、事例を見ながら考察していきます。 シェアリングエコノミーのサービス まず、いくつかシェアリングエコノミーのサービスの事例を上げてみていきます。   akkipa https://www.akippa.com/ こちらのサービスは、スマホでの簡単操作で、全国の空いている月極駐車場や個人の駐車場を一時的に利用することができる駐車場シェアのサービスです。後述するspacemarketは会議室やイベントスペース、飲食店など広義な意味での貸しスペースのマッチングサービスであるのに対し、akkipaの場合は車ユーザーを対象にした特化市場のサービスなのが大きな特徴です。   こういった空きスペースの需要は、意外に多く、今まで使われていないスペースを有効活用しようというのが狙いで、それがテクノロジーを生かし、求めている人へ届けるといったビジネスモデルになります。   Lyft https://www.lyft.com/ Lyftは近々、日本でのローンチが期待されるライドシェアサービスを提供しています。日本では配車サービスを手がけるuberが市場を作りつつありますが、このLyftにいたっては、一般ドライバーが目的地まで、アプリでマッチングした相手を助手席などに相乗りして、一緒に目的地まで乗せていくサービスになります。   ドライバーがプロかアマかの違いになりますが、日本の法律上、白タク行為は禁止されていますので、もし日本に上陸するとなると、タクシー業界や規制緩和など、動きが出てくるであろうと予想されます。   tabica https://tabica.jp/ tabicaは、今後IT×農業が注目される中、農業体験をしたい人と実際の現役農家とのマッチングサービスです。農業体験したくても、なかなか機会のない人向けに、着地型観光という位置付けで日帰りツアーとして、気軽に参加することができ、農家のライフスタイルや実際の農作業を体験することができるサービスで、いわば体験を売るビジネスモデルとなっています。 農業体験のほか、ガイドといく街歩きなどインバウンドと絡めた施策も行っています。   spacemarket https://spacemarket.com/ こちらは、イベントや会議、ちょっとした会合や集まりなどができる場所を、インターネットを介してマッチングさせるサービスです。飲食店の営業前や、球場やお寺、古民家など一見貸し出しているか不明なところも、データベースとして金額感や規模感をつかめるので、貸しスペースを探すプラットフォームとして広く使われています。   これらのサービスに共通することは求めている人と人をインターネットを介し、マッチングすることです。今まで遊ばせていたスペースやスキルシェアなど、モノの売り買いではない新しい商慣行が生まれていることです。次項で、商慣行の変化についてふれたいと思います。 シェアリングエコノミーが日本にもたらす商慣行 シェア×◯◯でくくれるものは全てが当てはまります。上記事例にあったような、空いている駐車場や乗用車内の空き席、今まで使われていなかった空きスペース、様々な体験やスキルのシェアなど、テクノロジーを生かすことで、戦後日本が高度成長期に乗り、様々な産業や業界が成長していった背景とは一線を画す新しい商慣行および、業界ともいえるシェアリングエコノミーが登場しました。   今までの旧来の体質である企業は、こうした激しい時代の変化に対応しながら優れたサービスとアイデアで、急速に事業成長を目指すスタートアップとの結びつき、取り組みもますます増えてくると予想されます。   シェアリングエコノミーに関しては内閣官房IT総合戦略室内にシェアリングエコノミー促進室を設置し、関連事業者の追い風になるような仕組みができつつあります。ベンチャー支援はこれまで国や自治体上げて、バックアップや起業サポートなど、これまでも行ってきていましたが、こうした一つの産業に対して、促進するような動きは、シェアリングエコノミー関連のビジネスがより活性化し、もっと身近な生活に溶け込むようになるかもしれません。   インターネットを使用した通信販売が当たり前になり、2000年ごろから出始めたインターネットでの通信販売が、amazonやyahoo、楽天など様々なECモールが発達していくことで、今までのお店に足を運んで商品をセレクトする時代から、携帯電話やPCから気軽にモノを購入できる時代へ移行していきました。   そして、さらにシェアリングエコノミーというモノを売るのではなく、サービスや体験、スペースなど、今までは口頭ベースないしは知り合いづたいでのやりとりがされていたであろうものをテクノロジーの力で可視化することで、新しい産業として急成長したシェアリングエコノミーが、今後5、10年でさらなる発展を遂げることは間違いないだろうと思います。 まとめ シェアリングエコノミーは、まだ10年にも満たない、新しい商慣行ですので、どれほど日本で定着するのかは未知数なのが現状です。しかし、民泊サービスのairbnbやライドシェアのuberに代表されるサービスは、日本でも徐々に浸透しつつあります。また、ITスタートアップベンチャーでもシェアリングサービスを展開する企業も少なくなく、実は使っていたサービスがシェアリングエコノミーのサービスだったなんてこともあるかもしれませんね。   基本的に、シェアする感覚は、SNSが台頭するきっかけにもなったTwitterやFacebookもリツイートやシェアする文化が根付いてきましたが、インターネット上で、不用品を販売したり、自分のスキルを教えたりと、求めている人に対し、インターネットを介して販売することが容易になったことが、シェアリングエコノミーのビジネスモデルが浸透した理由ともいえるでしょう。    ...

企業がオウンドメディアを運営することが当たり前となってきている中、自社商品をECサイトで販売して、ネット通販に力を入れる企業も多いでしょう。SNSを絡めて、拡散させたり、広告を打ち、自社サイトに誘導してCVにつなげるなど、いくつかマーケティングの手法はあります。   オウンドメディアのwebコンテンツを作り込み、ECサイトに飛ばしたり、同サイト内に、カートを設けて購入につなげるなど、メディア×ECの戦略で売り上げを伸ばしている企業もあります。   そもそもwebコンテンツを作り込む上では、1つのメディアを持つことでだいぶ自由度が出ます。商品そのものの紹介以外にも、関連した内容のコンテンツ作り、他メディアとのタイアップ企画など、単にECサイトの機能のみでは伝えきれないことも、メディアを通してユーザーに訴えかけることができます。   しかし、雑誌風の読み物形式にしたり、商品知識をユーザーにつけてもらい、より商品に興味を持ってCVにつなげたりとさまざまな工夫を凝らし、ECサイトの差別化、売り上げにつなげるような施策を考える必要があります。   ECサイトの運営とオウンドメディアの運営は、求められるスキルが違うので、ユーザーの興味をそそるようなセールスライティングスキルとSEOの知識の両面でwebコンテンツのバランスを見て、コンテンツ制作をしていくことも編集サイドにも求められることでしょう。   ECコンサルタントとメディアコンテンツの制作サイドが協力して、継続的にコンテンツを作っていくことが、道を開いていくポイントなのではないでしょうか。 ストーリーテリングを考えるメディア型EC 従来のECサイトでは、限られた情報や見せ方に画一的要素しか盛り込むことができませんが、オウンドメディアとしてメディア化することで、より幅広いユーザー、顕在層にリーチしやすいのが魅力のメディア型EC。では一体、どのようなコンテンツを企画し、継続的に作り込んでいけば良いのでしょうか。   その一つの手法に、ストーリーテリングというものがあります。言葉自体は昔から使われてきたものですが、ことメディアにおいてストーリーテリングが注目されているのは、商品であれ、企業であれ、ブランディングがストーリーと密接な関係性を持っています。   ストーリーテリングの具体例をあげますと、商品の感想や使った体験談、また社員、販売員のインタビューなど、実際の声をメディアに反映させ、信ぴょう性を持たせることはよくストーリーテリングとして使われます。   実際にその商品がどういうものなのか、作った人や買ってみた感想をメディアコンテンツ化すれば、興味を持っているユーザーに対し、有益な情報を提供できるでしょう。   ただ、記事コンテンツを作る上で、インタビューは記事を量産するのに不向きなため、商品の作られ方、商品に関連する歴史、どういう思いで作られているのかなど、時系列に沿ってまるで一つの物語のようなコンテンツを作り、ユーザーに興味付けすることが大事です。   うまく記事コンテンツ、 ECサイトの特性のバランスを考え、最適なストーリーテリングの手法でユーザーにアプローチすることで、メディアECの成果につなげていきたいものです。 メディア型ECにする必要もない メディア型ECは商品の訴求力がある、SEOにも強くなるなどメリットが多いのですが、全てのECサイトがメディア型ECがマッチしているかというと、そうではないと思っています。それは、amazonや楽天などECモールのように、一つの商品に対して文字数が多い説明、セールスライティングが書かれていても、ユーザーは読まないどころか、離脱率が高くなるでしょう。   ユーザー属性がいいものよりも、安いものだったり、ちょっと気になるものや便利なものを手間なく手に入れたいというユーザーニーズがあるため、そのようなユーザーが多く集まるECサイトは不向きな手法ともいえます。   商品のこだわりがある、職人技漂う逸品、限定品など特別感だったり、小ロットで市場に出回る数が少ない、レアなものやニッチなものに対し、その商品はどのようなストーリーで生まれ、どういう工程で作られ、販売されるのか、これらをしっかりと文章に落とし込み、ユーザーに納得、心に深く刺さるようなセールスライティングを書くことで、商品購買の喚起を生むことでしょう。   まず商品の成り立ちを知ってもらい、その上で商品の良さを伝えていく。いかに商品のブランディングがしっかりとできているかが大事な要素となってきます。差別化はできているけれども、どうやって世に出していくか、見込み客にリーチしていくかを考える上でメディア型ECは有効な戦略ともいえるのではないでしょうか。    ...

  元々、音楽活動をしていてボーカリストだった女性が一念発起して起業した株式会社バルーントリップの代表取締役 朝倉香氏に単独インタビューを行ってきました。   自分の好きなことといっても起業をすることは、なかなか大変だと思います。バルーンで人を喜ばすことが好きで起業し、軌道に乗せた朝倉社長が2016年に会社化し、本格的にバルーンデコレーションを事業として展開していく決心をしたことについて伺いました。 バルーントリップを起業する前の原体験 朝倉社長:私はもともと、 12ヒトエというブラスロックバンドに所属していました。歌を歌うのが好きなので、ライブやその他ラジオなど本格的に活動していました。けれど、それだけでは収入が安定しないので、アルバイトを掛け持ちしながら音楽活動を続けていました。   高校卒業後、接骨院の受付など色々な業種でアルバイトをする中で、従業員2~3名の小規模のリムジンサービスを扱う会社で、バルーンを車内にしきつめるという業務を行う機会がありました。これがいわば起業の原体験ともいえます。   -前職の経験が大きいということになるんですね。もともとバルーンには興味はあったのでしょうか? 朝倉社長:はい、幼い頃からバルーンでデコレーションするのが好きで、バースデーで友達に作ってあげたりと、趣味の範囲ではずっと続けていました。バルーンは、海外のパーティでは当たり前に、デコレーションとして用いられています。華やかでかわいい世界観をバルーンで表現するのがスタンダードで、特にアメリカのパーティ文化には憧れを抱いていました。   最初の頃は、音楽がやりたい、続けたいがために、お金が得られるから働くというある種、受け身の姿勢で仕事をしていたのですが、次第に働くのが楽しいと思えるようになってきたのです。社員が多いわけではないので、バルーンのデコレーションや仕入れ、管理など裁量ある仕事を任せてもらったことが仕事に対する意識の変化に繋がったのだと思います。   このまま会社の枠の中でやると、制限されてしまって視野が狭まったり、自分のやりたいことができなかったので、一から自分でやってみようと思うようになりました。もちろん最初は、会社に属しながら、空いている時間で仕事を受けようと考えていたのです。   しかし、務めているリムジン会社の社長が、社内でやるには賛成するが、起業したらライバルになるということで反対されてしまい、結果として退職することになってしまったのです。全くの起業のイロハも知らない私が、収入のあてがないのはとても辛い現実ではありましたが、「何とかなるさ」精神で乗り越えようと頑張ってきました。 バルーントリップのこれまでの道のり 朝倉社長:起業に関しては右も左も分からないので、最初はとにかく行動、行動の毎日でした。クラブや結婚式場などに電話をかけてアポ取りをしたり、またプレゼンや資料も模範はないので、とにかく思いをぶつけていました。持ち前の明るさと元気なことを生かし、「キャラ売り」で仕事を受注していましたね。全て自分がこなさなければならないので、一年くらいは休みがない状態が続きました。   -随分とパワフルな感じですね。起業して学んだことは何ですか? やはり会社に属してやるのと自分でやるのとでは、モチベーションが全然違います。起業してバルーンをデコレーションするための機材や移動する車などの資金不足を工面するために、国の金融公庫に書類出して申請をしてみたら、何と450万ほど融資を受けることが決まったので、スイッチが入ったのだと思います。   もちろん、商売道具は揃っても、受注しなければ生活できませんから、がむしゃらに行動して、仕事をこなすうちに、新規で営業をするよりも友人知人からの紹介営業の方が受注しやすく、かつリピートに繋がりやすいことに気がついたのです。他の起業家の方にとっては常識かもしれませんが、私の場合は行動してみて気がついた感じです。   特に優秀なわけでもない私が唯一、他に負けないと確信しているのが、バルーンのデザイン力、デコレーションです。そこには絶対の自信を持っていました。そのため、一度オーダーを頂いたら、80%の確率でリピートをいただけるようになったのだと思います。   私だけではさばけない大口案件の場合は手伝ってもらうスタッフと協力して個人から企業案件までこなすようにしています。また他の事業者と違い、事業規模もそこまで大きくない分お客様のニーズに沿ったバルーンデコレーションや価格についても柔軟に対応できます。そのため、最近ではEC(ネット通販)販売にも注力するようになり、月間50件ほどお客様からオーダー頂けるようになりました。   次はどのフェーズを目指していますか? 朝倉社長:今のままでも良いのですが、会社化することでもっとできることはあると思ったので、会社化にいたりました。ただ、今でも忘れないのがバルーンアーティストとしての感覚ですね。好きなバルーンで人を感動させたい、そんな想いを信念にデコレーションをしているのです。会社化することで、もっとバルーンアーティストの仕事の幅を広げ、色々なことに挑戦できればと思っています。 バルーントリップのビジョン   今後の目標やこれから起業したい方についてメッセージがあれば教えてください   朝倉社長:ホームパーティや結婚式、バースデーはもちろんのこと、ちょっとしたお祝いごとにも、バルーンをプレゼントするような文化を作っていきたいですね。特にバルーン花束は、バルーントリップでしか販売していなく、可愛くて定評あるものなので、もっと広めていければと思っています。   ゆくゆくは、海外ではスタンダードな「気軽にパーティができるパーティスペース」を持てればと思っています。その空間にいけば、バルーンはもちろんのこと、パーティの盛り上げに必須なものが全て用意されていて、誰でも気軽にパーティができる、そんな空間をプロデュースしたいなと思います。   また、資金的にも余裕ができたらデコレーションケーキ屋も始められたらと思っています。これは、今はネット販売でしか行っていないバルーン販売をリアル店舗としてオープンし、併設してデコレーションケーキを販売するものです。可愛いものに囲まれて、お客様の喜ぶ姿が見られたらいいなと思っています。   ここまでやってこれたのも、本当に周りの方のおかげだと思っていますが、一番大事なことはマイナス思考にならないことだと思います。   やってみてだめだったらまたやり直せばいいわけで、何事もやって失敗してみることで、さまざまなことが学べると思っています。私に例えれば、バルーンデコレーションに大事な資材を忘れても、悲観するのではなく、ピンチはチャンスだと思えるかどうかです。   結果的にうまく対応してお客様に喜んでいただいたときは、またさらに学ぶことがあるので、自分の成長に繋がるのです。なので、やりたいことには失敗を恐れずにどんどんチャレンジしていけば良いと思います。 編集後記 インタビューを終えて感じたことは終始、明るいキャラクターで話しやすいイメージを持ちながらも、起業家にとって大事なメンタル面も兼ね備えている方だと思いました。   自分の好きを貫き、その想いを失敗を恐れずに伝えていく。このことがもしかしたら何を行うにしても大事な要素なのかもしれません。終始電話が鳴って忙しそうな雰囲気でしたが、今後もさらなる発展に期待が持てる株式会社バルーントリップの朝倉社長のインタビューでした。     ...

2016年の暮れ、webメディア業界に大きな転換期を迎える年になりました。ことの発端は、DeNAパレットを掲げた、大手企業のwebメディアコンテンツの相次いでの閉鎖、記事供給の停止など、師走を駆け巡るニュースは、IT・web業界ならず、テレビでの謝罪会見という、大の眼に触れるような大きな事件にまで発展しました。   もちろん、球団を抱えるだけの巨大な企業組織であったがゆえの対応となったわけですが、これまで以上に、読者(ユーザー)、そして記事供給をするライター、編集者、今までとは違う、厳しい見方が予想されると思います。そこで、今後のオウンドメディア運営について、どのようにしていけばよいかをまとめていければと思います。 これまでのオウンドメディアの功罪とは何か そもそも論になってしまいますが、まずオウンドメディアについて考えていきたいと思います。特に企業が運営するオウンドメディアは、昨今のgoogle検索やSEOとの結びつきと関連性が高く、記事コンテンツを生成しておいて損はない、そのような考えで取り組んでいる企業もあれば、しっかりと外注企業と協力し、本腰を入れて運営している企業もあります。   これは、その企業がオウンドメディアをどういう認識で捉えているかによると思いますが、数学の解のように正解はないとも考えています。   今回のDeNA騒動を受けて、googleのアルゴリズムなどSEO周りは、また変わるだろうと予測されますし、ひと昔前は被リンクがいいだとか、長文コンテンツがいいなどと憶測や手法がたくさんありましたが、全て一掃されるのではとも思ってしまいます。   もちろん、売上をとりに行くのであれば、オウンドメディアとしてキュレーションメディアのような、ある一定層の多くのユーザーを集客することで、クライアント広告主に、月刊これくらいのPVないしはUUがありますよと、プレゼンでき、シナジーある商品の広告やタイアップ、記事広告など、マネタイズしやすいのもうなずけます。   しかし、今回のDeNA騒動がきっかけで、メディアの本質である、どれだけ良質なユーザーがいるか、本当のファンがいるかを第一に考えてコンテンツを作りこまないと、広告を入れようとは思わなくなるのは、周知の事実だと思います。   この状況はどこかで同じようなことがいわれてきたと思いませんか。以前、ステマなどと騒がれた、有名人など今でいうインフルエンサーと呼ばれる人を活用したマーケティング手法です。   実際に気に入ったように見せてみたり、ヤラセ疑惑が生じたりと、何かと話題になりましたが、ある種、リバイバルした形で、今回のキュレーションメディアの問題に発展したのだと思います。情報の真意が疑われかねない記事コンテンツを量産し、SEO対策をガチガチにしたメディア運営はリスクを伴うことはいうまでもありません。 今後メディア運営に求められるコンテンツとは それでは、今後のオウンドメディアはどういう立ち位置で運営すればよいのでしょうか。SNSが台頭し始めてきて約7年。残り東京五輪まで3年、ダイバーシティや労働環境の改善など、世の中起こる全ての世相が、オウンドメディアの方向性をも決めるともいえるかもしれません。   少しオーバーな表現ではありますが、人々が働く環境や、日常生活がSNSのルーティーン(タイムラインをみたり、アプリのニュースをみたりする行為)を決めるからです。webメディアの多くはモバイルで読まれているので、もし週休3日が導入されたら、平日の1日は土日と同じように、ユーザーの見る時間帯が変わったり、休みにウケがよいコンテンツを増やしたりと、うまく対応していかなければなりません。   このように、先を見据えてユーザーライクかつ柔軟な対応ができるような記事コンテンツの配信を心がけたり、またSNSで分散させていくというのも当然に行っていくことが、これからさらに必要になってくるでしょう。   良質なコンテンツであるのはもちろん、ニッチな内容であったり、こんなものもあったのだという、ある種1次コンテンツ的要素も組み入れないと、星の数ほどあるメディアとの差別化も苦労するのではと思います。   ただ一番はやはり自社サービス、主力事業に沿ったオウンドメディアを運営するのが一番であると思います。それは、主力事業で取得したコンテンツ(写真や記事ネタになるようなもの)をさほど手間なく使えるので、リスクになりにくいからです。   ただ、一概にリスクがないとも言い切れないので、自社サービスと照らし合わせ、記事コンテンツとしても十分な内容で、メディアを立ち上げるには十分だと感じたら、行動に移してみるのもいいと思います。   結局のところ、いかに自社サイト、ないしはサービスに紐付けできるかがオウンドメディアを運営するにあたり、一番のKPIになるのではないでしょうか。 さいごに あのメディアの記事を見に行ったらいつも役に立つ情報が載っているので、ブックマークして毎日記事を見に行こう、と思ってもらうファンをいかに多く作ることができるかです。   人気の飲食店もいい食事のメニューやサービスがあるからこそ、ファンがつき、混み合いを見せるように、オウンドメディアもwebのお店だと思い、ユーザーペルソナをしっかりと定め、フレンチなのか、中華なのかみたいに、ユーザーに対しどういった良質でかつ気に入ってもらう記事コンテンツを配信するかでメディアのグロースに影響してくると思います。   そのためには、まずメディアではなく、主幹のサービスを固めてからオウンドメディア施策を走らせることも全然遅くありません。     ...

現在、注目を浴びている異色のファッションデザイナー「鶴田能史」。   昨今のファッション業界の低迷のニュースが叫ばれる中、新しいファッション業界に風穴を開けてくれるのではと期待される、病気とファッションとの結びつける新進気鋭のファッションデザイナーにお話を伺ってきました。 祖母の病気から今の「tenbo」が始まった   -ファッションデザイナーとして独立したきっかけとtenboを立ち上げた理由について教えてください。   鶴田氏-私がファッションデザイナーになろうと思ったきっかけというよりも、何でtenboをやろうと思ったかを話した方がいいと思うので、このブランドについての創業ストーリーをお伝えしますね。   私はもともと文化服装学院出身で、将来必ず、独立してブランドを持つと決めていました。つまり、ファッションデザイナーになるために進学したので、今に至ったのもその流れからなんですね。   大学を卒業してからは、しばらく現場でスキルを磨こうとコシノヒロコやしまむら、西松屋の子供服のデザイナーの仕事を行っていました。   -最初は、企業のインハウスデザイナーだったんですね。tenboの構想はいつ頃からされていたのですか?   鶴田氏-実は、私の祖母の介護からヒントを得たんです。当時、私が働いている時に祖母がアルツハイマー病になり、車いす生活をする日々を過ごす中で、あることに気付いたのです。   それは、車いすに座りながら、スカートを履かせたり衣類の着脱が非常に不便に感じたことです。福祉の分野では、車いす専用のトイレや出入り口など、建築についてはユニバーサルデザインが進んでいるのに、ファッション業界は全然進歩がないことに気付いたわけです。 -なるほど、そのような原体験があったわけですね。それでご自身でやろうと思ったんですね。   鶴田氏-はい。こうした障害者も問題なく、おしゃれができるそういったファッションブランドを作ろうと思いました。まだ誰も挑戦していない、新しい市場ですので、唯一無二の存在になりたいと思い、決心しました。   しかし、障害者と向き合うことは必ず人権問題の壁も立ちはだかると思っていましたので、社会問題の解決にもつながるのではとやりがいを感じましたね。   -本当に素晴らしい取り組みですよね。実際にtenboが産声を上げたのはいつですか?   鶴田氏-2015年に立ち上げたので、大体1年半くらいですかね。社会問題を解決するというビジョンを持った以上、しっかりと自分のこと、ブランドのことを伝えることが非常に大事だと思いましたので、ブランドを立ち上げる前の4年間、専門学校で先生の仕事をしました。   学生にたいして、しっかりと物事を伝えることができないと、絶対ブランドを立ち上げても失敗すると思ったので。また、ここでの経験は、ブランドの展開以外に、次世代のファッションデザイナーを目指す卵を育てる服作りを教える塾をやっているのも、この頃の経験が生かされていると思います。 なぜ、ハンセン病をテーマに掲げたブランドの展開をしたのか -次にお聞きしたいのですが、なぜハンセン病についてのファッション掲げたのですか?   鶴田氏-ハンセン病は、人権問題がいまも残る病気の代表例となっており、tenboの掲げる「世の中全ての人へ。みんなが分け隔てなくオシャレを楽しめる服。」のミッションを遂行するために、避けてはならないことだったからです。   つまり、人権問題を乗り越えてこそ、健常者と障害者どちらでも分け隔てなくおしゃれを楽しめる、そういった世の中にしたいと考えています。   間違えてほしくないのは、ハンセン病や障害者のためのファッションは作っていません。障害者も健常者も、ピープルデザインに沿った着やすい服を心がけデザインをしています。   例えば、通常のボタンではなく、磁石でくっつくタイプのボタンであれば、問題なく取り外しができますよね。また、点字をファッションに取り入れることで、おしゃれに見せたりと、従来にはないデザインをtenboの服には採用しています。   -すごい斬新ですね。つまり、私たちもtenboのファッションを着れると。   鶴田氏-はい。障害者、健常者の壁は作りたくありませんですし、従来のファッションでは正直、健常者向けのデザインしかされていないと感じたので、私がtenboで、ファッションのユニバーサルデザインという新しい市場でチャレンジしている感じですね。機能性重視で許容範囲のある服を目指しています。 -なるほど。現在tenboはどこで手に入るのですか。   鶴田氏-現在は、オンラインショップだと無料のECプラットフォームのbase、リアルショップだと、原宿ラフォーレ内にあるHOYAJUKUで買うことができます。また、障害者のご家族より直接、おしゃれな服を着せたいという要望をいただいて、オーダーメイドで服の注文を受注する場合もあります。   -すごいですね。ファッションショーも行っていますよね。   鶴田氏-はい。ハンセン病をテーマに、差別偏見をなくしたい、という思いを込めたファッションショーやtenboプロデュースのショーとして以来いただくこともあります。中でも、今年のamazonファッションウィーク(東京コレクション)では、クラウドファンディングを活用し、ショーにかかる費用300万ほど調達することができ、初の東京コレクションデビューを果たすことができました。   -えー!すごいですね。東コレですか!   鶴田氏-はい。これもひとえに応援してくださる皆様のおかげですし、改めてtenboとして服のユニバーサルデザイン、ファッション業界に風穴をあけるということに、やりがいや責任を感じるようになりましたね! tenboの今後の展望について -では最後に今後のtenboの展望について教えてください。   鶴田氏-はい。今のファストファッションが台頭し、おしゃれな服を安く買うことが当たり前の時代になりました。しかし、その大量生産の功罪が人々のおしゃれの概念を変えてしまい、いうなれば飲食の使い捨てのような状況になってしまったのです。昔は人のためになる服を製作していましたが、利益優先でいかに効率化、合理的にしていくかということにフォーカスされてしまい、ファッション業界はガラパゴス化しています。   実は、tenboのブランドを初めたことで気づいたことが2点あります。   まず1点目は、購入してくれるお客様に非常に喜んで頂いていることです。今まで健常者も障害者も、隔てなくおしゃれができるファッションがなかったので、tenboのコンセプトやデザインに感動し、涙を流すほど喜んで下さすお客様もいらっしゃいました。この体験は、自分のこれからのtenboのやる意義やモチベーションにもつながっています。   2点目は、海外から感銘の声や問い合わせをいただくのですが、tenboと同じようなコンセプトで運営しているブランドはNYに一つあるだけで、世界中を見渡しても、2つしかファッションのユニバーサルデザインに取り組むところがないのは驚きました。非常にニッチな世界ではあるとは思いますが、この分野では先駆者、唯一無二の存在になれるよう精進していきたいと思います。 編集後記 今回のインタビューを通し、あらためて市場のニッチを狙うこと、さらに社会問題までも解決するというこれからの企業のあり方を見たような取り組みを伺うことができ、とても刺激を受けました。tenboの取り組みがより評価され、世の中に人権問題がなくなるようになったらと思わせてくれる、そんな可能性を秘めた素晴らしい事業だと感銘しました。   また、NHK WORLDにて世界170カ国へ英語でtenboの取り組みやハンセン病をテーマにしたファッションショーの特集が組まれたとのことで、ワールドワイドな活躍が期待できるtenboにますます目が離せませんね。     ▼取材協力▼ テンボデザイン事務所    ...

私、古田島が運営に携わっているイベントについて、経営的視点から見たイベント運営やイベント企画の創り方について書いていきます。   私が運営に携わっているイベントが、FLATというアーティスト支援の団体です。作品展示の機会やプロモーションとなるイベント告知のお手伝い全般を行うことを目的に立ち上げられた団体です。   これまで主に大きなイベントを2回実施、特に広告を打ったわけでもないのですが、2回とも400人ほどのお客様がイベントに来てくれました。 FLATの運営で学んだ知見などをご紹介したいと思います。 イベント企画運営メンバーはそれぞれ得意分野を持っている FLATのイベント企画運営メンバーは下記5名で構成されています。 DAICOちゃん(一番右:古田島大介):PR、 DJ、アライアンス担当 りくちゃん(右から2番目:髙橋陸人):FLAT副代表、空間デザイナー あいちゃん(真ん中:菊地愛):FLAT代表、フォトグラファー がくちゃん(左から2番目:五十嵐岳):アーティスト、元幼稚園先生 こうちゃん(一番左:春名浩輔):イベント運営   それぞれ全く違う畑出身で構成されている運営メンバーなわけですが、お互いの強みを生かしてイベント運営に当たっているということになります。   代表の菊地愛は、アーティスト肌が強く、FLATの展示では、写真を展示していましたが、普段はフォトグラファーとしてクライアントワークで、現場入りし、腕利きの仕事をしています。また、夜はDJという側面を持ち、仕事の垣根を越えた交流を行っているので、自然と輪が広がり、結果としてFLATの活動や集客にもつながっています。   菊地愛とともに、FLATの運営を支えるのが、髙橋陸人です。今はフリーランスの空間デザイナーとして働いており、FLATでは募集アーティストの面談や各種やりとりを担当しています。   続いてがアーティストの五十嵐岳です。もともとは幼稚園の先生だったこともあり、その繊細でどこかかわいらしいイラストレーションはSNSでもイベントでも人気があります。一アーティスト目線で物事を考えてくれ、イベントでもアーティストにとってあったいいものや、展示のバランス、構成などを指示してくれる、現役アーティストならではの意見が生かされています。   最後に春名浩輔は、仕事がイベント運営なので、仕事の延長でFLATの当日のイベント進行や枠組みを担当しています。FLATへの協賛をしてくださるスポンサー探しにも従事しています。   このように、運営メンバーそれぞれがお互い協力しあいイベントを作っていきます。得意分野が似たり寄ったりだと、どうしてもいいアドバイスやアイデアが制限されてしまうので、業界を広くみてメンバーを集めた方がより知見が集まりやすくなります。 イベント運営で気をつけること イベントの規模感でいえば、FLATに登録しているアーティストの中から展示したいという希望があったアーティストが数十名単位いたとして、その全てが入りきる会場を借りなくてはなりませんので、結構大規模なイベントになります。   前回を例に出すと、1階から5階までの施設を一棟借りし、階ごとにアーティストのジャンルを分け、展示を観に来るお客様に飽きがこないよう工夫しました。   また、毎回イベントで意識するのが、ただアーティストが集まって展示するだけだと他のギャラリーでの展示などと変わらないため、必ずDJや音楽ライブができる時間ないしはスペースを確保することです。   イベントには賑やかしが必ず必要です。それは単にお客様に飽きさせないためではなく、作品展示以外の音楽やパフォーマンスを得意としているアーティストにも機会を与え、かつお客様とアーティストとがオープンに集える環境を整えることで、お互いの交流が生まれ、シナジー効果が期待できるからです。   イベントには緩急がとても大切なので、日中はゆったりと展示作品を眺めたりし、夜はちょっとお酒を交えながら気軽にアーティストと交流できる、オフライン施策ならではの楽しみともいえるでしょう。 イベント集客で大事なこと イベントには集客がつきものです。FLATは、抜群に人が呼べる、というメンバーはいないのでどうしたのかというと、お客様をアーティストに呼んでもらったということです。   アーティストもやはり展示機会を求めていた方が大半なので、自分の展示作品を観てもらいたいと、まわりの友人・知人に声掛けして来てらもらうよう計らいます。   お互いに持ちつ持たれつの関係性を保ち、運営メンバーならずとも参加アーティスト全員で創り上げたイベントといえるでしょう。FLATメンバーもSNSでシェアしたり、声掛けをしましたが、やはりアーティストが一番多くのお客様を集めていました。   つまり、自分が出る、もしくは展示するから見て!という訴えかけがどれほどのパワーを持つのかが見てとれます。FLATの運営メンバーの中でも菊地愛と五十嵐岳はアーティスト展示も兼ねていたため、抜きん出てて集客していました。   もちろん、集客が全てではありませんが、ダウンロード数やセミナー集客など目標値はどんな業界であれ、設定します。いかにそのサービスを、自分がとことん使い込むまで気に入っているか、自分が話す内容を本当に自信があり、他の方とシェアしたいと思っているかにかかっています。   FLATは今後とも、アーティスト支援リアルプラットフォームとしてできる展示イベントやアーティスト活動に役立つコンテンツを拡充できたらと思います。     ...

今回は、平成生まれの女性社長で、「お姫様プロデューサー」という何とも興味深いメルヘンチックな肩書きをお持ちの方がいらっしゃる川原あやか氏実際にお会いしてインタビューさせていただきました。果たして、お姫様プロデューサーとはどういう意味なんでしょうか? 女性起業家「川原あやか」が18歳で起業に至った理由 -今日はお忙しい中ありがとうございます。早速本題に入っていきたいと思うのですが、若くして色々なご活躍されていると伺っております。何が現在の活動のきっかけになったのですか?   川原氏-はい。よろしくお願いします。私はもともと福岡の農業系の学校に通っていました。   その学校では食品科学の研究・製造を学んでいまして、入学当初からトマトの畑を一区画頂き、夏休みも毎朝クラス全員で水やり通い、作物つくりから食作りと日々食のプロフェッショナルとなるために、温かく厳しい先生方から毎日お叱りを受けながら、学ばせて頂いておりました。   進学校よりも自分で自ら考え実行するという時間が多く、先生とも地域の方との距離が近く、不明なことはすぐに聞く、調べられる。そして感謝を丹精込めた手作りのものと心で返す、人間力を学べた大切な時間でもありました。農業高校に通えたことは、今の意志ある人生を生きていくなかでも誇りの体験です。   -そして、いまは起業家ですよね? 川原氏-実は起業家になろうと思った原体験が2つほどありまして、順番にお話ししていきますね。まず1つ目は高校時代に、とあるみかんの農家さんとふれあう機会があり、そのみかんの美味しさ、クオリティーが私が思うに、とても素晴らしかったのです。   しかし、今の生産のビジネスのままでしたら廃れていってしまう。「こんなにいつも笑顔で幸せそうに作っている作り手の方々の生活が一生続いてほしい!」と思いました。そこで、もっとこの農家さんの生産量が上がり、喜んでもらうにはどうしたらいいだろうと考えたときに、学校で学んでいた食品科学の知識を活かしてみかんのパンづくりを企画したのです。   試行錯誤して、ようやく完成した試作品を地元のローソンに企画商品として持ち込みしたところ、見事認められ、九州全土で企画したみかんのパンが売られるようになったのです。   -え、まだ高校生だったんですよね、すごい!   川原氏-このときに人生で初めて、身近にあるものでアイデアを出して、喜んで頂けたことが本当に嬉しくて嬉しくて幸せな感情に包まれたんです。そして、新しい幸せな気持ちに出会える企画を世界に作り手の気持ちと共に発信することができる商品ブランディングというお仕事は最高だと思ったのです。現在のプロデュース業に通じる原体験をしたことが、起業する一つのきっかけになったのです。   -なるほど!ちなみに2つ目はなんですか?   川原氏-はい。2つ目は夢を叶えると決められたことと、憧れだ!と直感を持った方にお会いできたことです。   私の小さなころからの夢が「新しい世界にあえるリゾートをつくること」。そして18歳のはじめに山川咲さんの本を読んで、素直に会いたいと思ったのです。   お会いした中でのきらきらした雰囲気と女性起業家としての心構えが、対面でお会いすることで、さらにぐっと心にしみたのです。本で一方的にまず出会っているのですが、対面で会うことで、その人のひととなりが掴めるということも学ばせていただいたことで、起業の後押しとなりました。こうやって今日も会ってお話しているのですが、スカイプやメッセージではやはり伝わるものも伝わりません。いかにその人と仲良くなるか、これを意識してずっとやってきていると思います。         注目の女性起業家:朝倉香が語る!事業を軌道に乗せた秘訣とは▼ >> ボーカリストから起業家になった朝倉香が語る!事業を軌道に乗せた秘訣とは ...

  キュレーションメディアは今後どうなるのか。端を発したのはもともと繊細な医療の情報を扱う必要性があるのにもかかわらず、検索上位至上主義に走ったWebメディアの存在。googleの検索上位の品質をも疑う大きな問題とされています。   しかし、問題が発覚するまではこのような状況が続いていたというのも事実として受け止めなければなりません。今回は何をもってしてメディアといえるのか、私も関わるキュレーションメディアの現状と経営者が扱うべきメディアのあり方と情報ソースの取り方について考察していきます。 メディアとは メディアとはそもそも何なのかを考えてみましょう。インターネットが発達するまでは、テレビのブラウン管やラジオを通して、人々は情報を仕入れていました。また、新聞や雑誌など取材をもとに記事を作り上げて、人々が購入することでも情報を得ていました。   つまり、インターネットが発達するまで人々は、テレビを見るか、ラジオを聴くか、雑誌や新聞を読むか、以上が主な情報ソース元となっていました。そのため、口コミというのもあくまで知人までの範囲に限定され、今の世の中みたいに世界中の口コミなんて見ることは当時からしたら想像もできなかったことでしょう。 ここで一つ述べておきたいことが、インターネットが発達する以前は、いわゆる国民的スターやメガヒットが生まれやすかったのです。例えば、今や世界中どこへでも旅することができますが、一時期は国民の多くがハワイに行きたいと思っていた時期がありました。   また、昭和の歌謡スターなどもお茶の間のテレビをつけると見る機会が多く、今みたいにYoutubeを見る習慣がなく、テレビで出演している歌手が国民的スターになることは、いわば定石ともいえる状況にありました。テレビや雑誌、新聞に出ることがステータスであり、ある意味、地位を表す指標として考えられてきました。   しかし、2000年のミレニアム前後から徐々にインターネット黎明期から、個人がWeb上にコンテンツとして残すことができる時代になり、2010年頃には今の世の中を予想するであろう「これからは個人が発信する時代、アナタ自身が広告塔」などとも世間的にいわれてくる時代に突入します。 2種類あるメディアとは インターネットが発達することで何が変わったのか。従来の情報ソースを得るテレビを見たり、ラジオを聴いたり、新聞・雑誌を読むのに加え、インターネットで「検索する」という行為が生まれたのです。検索とは、昔は辞書で調べものをするときに使う言葉でしたが、現在だとその詳細はWebで検索してねと大方インターネットでの検索行為を指します。   ぞれだけ、世の中に浸透して、いまや日常的な行為として人々はGoogleやYahoo!などの検索エンジンを用いて情報を得ています。 ここで、メディアのあり方について考察したいと思います。持論にはなってしまいますが、メディアの役割は2種類あると考えています。   一つ目:事実を伝える報道、取材に基づいた信ぴょう性のあるもの 新しいお店がオープンした、雪による大幅な遅延が生じている、などといった情報は事実そのものですので、見る限りのもの以外は何もありません。こういう事実は、プレスや取材関係者が現場に足を運び、そのお店の内装や魅力などを取材したり、雪がどれくらいすごいのかなどを体感することで事実として発信されます。   二つ目:インターネットが発達したからこそ増えた2次、3次情報ともいわれる主にWeb発信で情報が入ってくるもの Webを媒体にしたWebメディアが、最近の問題を呼んでいるのは周知の事実ですが、これはある意味仕方ないことでもあります。インターネットを開けば、そこは日本のみならず世界中の情報やトレンドなどすぐにキャッチすることができます。   それが、ただ受け手としてだけでなく自らもブログやSNSなどで発信することができるので、正しい情報ソースを経由していないと、誤った情報が広がってしまう危険性も十分にありうるのです。   誰でも発信できてしまうというのは、やはり一定のマナーだったり、メディアを作る上でのリテラシーがとても大事になります。 キュレーションメディアの現状 キュレーションメディアは真っ向から否定するものなのか。答えはノーだと思います。実際にキュレーションメディアのメリットはインターネット上に無数の情報が溢れかえっており、大海原の中から適切な情報にたどり着くのはやはりそれなりの検索力も必要になっていきます。   しかし、Webに精通した人は限られているので、キュレーションメディアがまとめてくれている情報はある意味、とても便利で有効活用できるのです。   ここで、情報の受け手として注意しなければその情報が正しいかどうかの判断です。Webメディアによっては、記事下部に現在の状況は異なっている可能性もありますので記事の信ぴょう性の判断につきましてはご自身で判断してくださいなどと書かれているのもあります。   つまり、キュレーションメディアを筆頭に2次、3次コンテンツは必ずしも情報を鵜呑みにせず、真実は実際に目でみて確かめることが重要であるわけです。ネットサーフィンすれば、いうなれば無料で情報が見られ、トレンドが知れ、なんでも分かった気がしそうでもありますが、従来の雑誌や新聞など取材を通してコンテンツ化してお金を払って得られる情報も考えると、ネット全てに情報ソースを頼るのは危険すぎるわけです。   これは経営者目線でもいえることです。新たに販路開拓やパートナー、採用を考えたときに、Webメディアが伝える情報や検索上位にくる企業を信じてもいいのでしょうか。全てはイエスとはいえませんよね。実際の肌感や現場に来たことでわかることなど、アクションを起こすことで得られる情報とネットサーフィンで得られる情報は違います。   あくまでもインターネット上の情報は参考程度に、自らの行動で得られる情報を一番に信頼しましょう。 メディア事業を運営していくために大切なこと webメディアを情報ソースとして取り入れるのではなく、もし事業として運営していくのはどうしたらいいでしょうか。   これは零細、中小企業から大手に至るまで一貫としていえることがあります。それは自社のナレッジを生かしたメディアを作ることです。キュレーションメディア事業だけで今後事業を成り立たせるのは厳しくなっていくでしょう。まずはECなり、サービスなり、他の事業をのばすことが最優先となると思います。   他の事業で得られた知見やWebコンテンツを、メディアとしてわかりやすく顧客や顕在層に伝えていく、いわばブランディングとしてのオウンドメディアがこれからさらにニーズが高まるといえるでしょう。メディア型ECや、自社サービスを他社サービスと比べてみたり、ブログ調に書いてみてもいいですし、受け手がどう感じるかを意識して、自社の持つ魅力を最大限に伝えられるメディア作りを心がけたいものです。   また、メディアを持つことにより、自然と営業ツールの側面もあると思います。取材ついでに現状のニーズ把握もできますし、新規開拓の際にも取材ならば受けてくれる場合もあるからです。   こうしたメディア作りで一番大事なのは発信する上での責任です。見るべき人にしっかりと正しい情報が行き渡るか、このことを意識して今後のwebメディア作りを私も含め、行っていきたいと思います。     ...

こんにちわ。今回は日頃見かける鳥について考えてみたいと思います。   実はそれほど、鳥について考えることはないほど、ごく一般的に街中で見ることのできる鳥たち。人が日常を送ることと同じように、鳥たちも一日を精一杯生きています。野生で生きることは、想像以上に大変だからこそ、生きる知恵を持って日々鳥たちは暮らしています。   そこに注目して、鳥の行動からみてとれる、ビジネスに応用できそうなことをご紹介します。 戦略的な頭の使い方をする鳥の行動 鳥は、えさをどのように探しているのでしょうか?えさがありそうな場所を探したり、人と持ちつ持たれつのハトなどは人が集まる公園や商店街に出没し、えさが欲しいようにアピールしたり色々と工夫しています。   つまり、空からえさが降ってくるわけではないので、どうしたらえさにありつけるかを考えるわけです。むしろ、このあたりは鳥の本能として生きるために意識しなくても無意識にえさを探しているかもしれません。   これをビジネス的観点から考えると、フリーランサーや営業マンにとって、空からえさ=仕事・案件は降ってこないので自らえさがありそうな場所=ビジネス交流会やアドワーズ、メディアでの告知などをする必要があります。 また、えさが欲しそうなしぐさと=エージェント登録やブログなどに投稿し、常に自分のポートフォリオを用意し、仕事が舞い込んでくる状況を自ら作り込むことも大事になってきます。   このように鳥の行動を実際に観察していると、人の行動に似たものがあると気づくことができます。とりわけ、えさを遠慮かまわずえさを取りに行ったり、何度も小さいえさを拾っては、腹が満たされるまでえさを探し続けるあきらめない執念。   このことは、自然界で生きるのに当たり前な鳥の行動だとは思いますが、人に例えると、月末まで目標達成する際に、とにかく手当たり次第、営業リストを当たったり、何とか新規開拓しようとする姿勢と似ているので、参考にするべき行動だといえましょう。 鳥の習性から学ぶ「アイデアの出し方」 ハトやカラスは、人間界とうまく共存するために、色々頭を使って、えさを探したり、巣を作ったりします。そう、ものごとを鳥のように俯瞰的に見る、ということがあります。この俯瞰的に見るということについて触れていきましょう。   まず、よくハトが電線や高い建物にぼけっとして止まっている場合がありますが、実は見るところは見ていて、えさが周辺にあるかどうか、また、まだ巣を作っていないときは、どこに作れば外的から見つからず安全に子育てできるかを考えています。   マンションの片隅にハトの巣ができて、ハトによる公害が報告されることがありますが、ハトは巣を作る前に、事前に下調べをしにマンション近くを見るそうです。   人間と比べ、鳥の視力は格段にいいとされ、人間のおよそ3〜4倍見えているといいます。また、視野に至ってはおよそ300°以上といわれており、ほぼ後ろまで見えているということになります。   また、三原色以外に紫外線まで鳥の目は見えています。これだけ、優れた目を生かすためになるべく空から見極め、次の行動に生かしていると考えられます。   どうしても、集中しすぎてしまうと、一点ばかりに目がいってしまい、幅広い考え方ができなくなります。そのため、鳥のように、俯瞰的に物事を見ること、例えば、ひとつの業界だけ見るのではなく他の業界のことなども視野に入れ、知識を入れるようにすると、新たな発見が見つかるものです。常に頭をニュートラルに日頃から俯瞰的に考えることを意識しましょう。 かもめのジョナサン 現状維持や、希薄な日常生活がつまらないという考えから起業したり、フリーランスになって、バリバリ活躍する人は、イノベーターだといえます。鳥にもイノベーターがいるのでしょうか。   ここで、一冊の本を例にとってみます。「かもめのジョナサン」という本をご存知でしょうか?今から約45年前にアメリカのリチャード・バックにより書かれた小説でありますが、ビジネスの考え方のヒントになる本として、取り上げられるほど、根強い人気のある本でもあります。 かもめのジョナサン【完成版】(新潮文庫)   そこに登場する主人公ジョナサン・リビングストーン。おおまかに要約すると、他のかもめが生きるために飛んでいるのに対し、もっと飛ぶことを再解釈して、他のかもめがやらないような飛行や飛ぶことが好きで、ひたすら飛行を研究し続けたことで、唯一無二の飛行術を身につけ、高みの世界へ行くことができ、そこで通常では出会わない鳥やかもめとともに飛行するようになる内容です。   つまり、ものごとを違う視点で考え、自分が好きなことを追求していけば、必ず人が到達していないレベルまで行くことが可能ということを暗示させてくれる本の内容となっています。周りの環境に流されないで、自分の確固たる道に突き進む、そういったメンタルが世の中を変えていくイノベーターには必要なのかもしれません。 まとめ 鳥は、恐竜の子孫といわれているほど、飛ぶことがライフスタイルになっています。群れをなして飛ぶ鳥や必死にえさを探している姿など鳥を観察していると人の行動にも応用できそうな部分もたくさんあります。   足がないのに平気な顔をして歩いているハトや頭を使って工夫を凝らしえさを採ろうとするカラスなど、明日死ぬかもしれないという厳しい自然界だからこそ、強いメンタルとアイデアが必要なのかもしれません。   それは、ビジネスでも一緒だと思いますので、鳥から学べることはきっとあるはずです。ぜひ日頃、あまり気にかけなかった鳥を少し観察してみることをおすすめします。 ...

こんにちわ。最近、AI(人工知能)という言葉を多く耳にする機会が増えてきました。とりわけ、ソフトバンクの開発したペッパーは、大衆をAI(人工知能)が可能にする近未来を想像するようなプロダクトに感動をおぼえた方も多いのではないでしょうか。   AI(人工知能)についてどうビジネスに生かしたり、サービスと連携されるかについて多くの企業が頭を悩ませたり、試行錯誤を繰り返しているなか、カラフル・ボード株式会社の代表取締役CEO/人工知能科学者・渡辺祐樹氏は、そのAI(人工知能)について大学院時代から学んでおり、常に最先端のAI(人工知能)について大学機関と連携して、研究を重ねています。今日は、渡辺社長にずばり、今後のAI(人工知能)の可能性について伺ってきました。 人工知能アプリ「SENSY(センシー)」を開発した理由   -まず、人工知能アプリ「SENSY(センシー)」の立ち上げについて教えてください   渡辺氏:はい。まず私たち人工知能アプリ「SENSY(センシー)」は、いきなりこのサービスを始めたわけではなく、最初はデザインのクラウドソーシングプラットフォームであるCOLORFUL BOARDを始めました。   -デザイン系とは今のファッション系とはまた違いますね   渡辺氏:まあ、そうですね。デザイン系といっても、エンジニアやフロントエンドのデザイナーではなく、どちらかというとアーティスト系ですね。たとえば、趣味でイラストを描いていたり、企業に勤めながら、傍らでグラフィックデザインをしている人、フリーランスで活躍の場を探しているアーティストを、COLORFUL BOARD上で業やアーティストのデザインを必要としている人とのマッチングを行っていました。   サッカーチームのロゴTシャツのデザインなど、全国からクリエイター・アーティストがオンライン上にて毎月デザインが投稿され、Facebookなどソーシャルメディアと連携したスコアリング(投票)により、人気が出たデザインを実際に製品化、販売する仕組みです。   -すごい良いサービスですね。アーティストの活躍の場を広げるというか…   渡辺氏:実はCOLORFUL...