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  学生時代の、思い出のお店があるだろうか?僕にとって、「みよし」という京都のラーメン屋がそれにあたる。今からそのラーメン屋の話をしたい。何の宣伝も、何のオチもない。     高校3年生まで神奈川県で過ごし、大学生になる時に京都に来た。わざわざ関東から京都の大学を受験した理由は言うまでもなく「一人暮らしがしたいから」であり、加えて「関西弁の女子にモテまくってブイブイいわせたいから」である。   実家を離れ京都に向かう途中のことを、鮮明に覚えている。期待と不安に胸を膨らませて、という表現があるがまさに文字通りのそれだった。関西に住むのは人生で初めて。   阪神タイガースのユニホームを着たゴリゴリの関西弁の男達が自慢のタコ焼きを振りかざしながら「ナンデヤネンっっt!」と叫びながらとんでもなく鋭いツッコミをいれてくる。   ヒョウ柄の衣装に身を包んだゴリゴリの関西弁のオバハン達がヒョウ柄のカバンから取り出したヒョウ柄のアメちゃんをマシンガンの如く乱射し「カメヘンっ、カメヘンっっっっt!!カメハメハっっぁっっっtああああゔぁあwぽえkp〜!!!」と絶叫している。   そんなスラム街を想像し、興奮しつつ身構えていた。   標準語は、嫌われてしまうかもしれない。     蓋を開けてみると関西の人達はオープンで暖かく、標準語の男性も直ぐに輪に入れてもらえた。タコ焼きを振りかざす魔人もアメちゃんをブッ放つ狂人もいない。会話のテンポが多少違うだけだ。   まだ桜の残る大学生活の始まりの頃、「京都はとにかくラーメンがウマいんだ」と言われて大学の先輩に連れて来られたラーメン屋。それが「みよし」である。   まず当時の僕が何に衝撃を覚えたかと言うと、京都はラーメンが美味い、という説明の元、満を持して連れて来られたラーメン屋が、「長浜ラーメン」だったこと。京都の一押し料理が、博多ラーメンだった。え?京都ラーメンじゃないの?   「いや、京都と言えばラーメンが最高なんだが、“京都ラーメン”なんてものは、ない。京都のラーメンは全て輸入品だ。でも京都のラーメンは最高。だから大丈夫だ。最高だから大丈夫。」そんな、よく分からない雑な説明を受けたのを覚えている。輸入品って何だ。   店の床は油っぽくて、お世辞にも清潔とはいえない。店主の小柄な金髪のオバちゃんが印象的だった。そして「みよし」のラーメンは死ぬほどウマかった。   ウマい。あれ。恐ろしい程ウマいぞ。余りにウマかったので、それが京都じゃなくて博多のラーメンだとか何だとか、そんなことは一瞬でどうでも良くなった。ウマ過ぎる。   どこ発祥のラーメンだとか何だとか、そんなつまらないことに拘っていた数分前の自分を撲殺したい。輸入品って何だ、って何だ。最高。一気食い。替玉。そんな感じで見知らぬ土地での生活は始まった。     昼に友達と「みよし」を食ってから学校に行き、授業を切り上げて酒を飲み始める。金がなくなっては親に仕送りをせがみ、その仕送りで「みよし」を食う。金が二進も三進もいかなくなると渋々バイトを始めるが、当日になるとバイトに行くのがダルいと項垂れる。   皆で勉強しようぜと学校で集まっては勉強などせずにダラダラし、とりあえず「みよし」を食う。単位が足りないと嘆き、そして足りない単位を忘れるために飲み会へ。   飲んだ後はベロベロで「みよし」を食ってから帰って爆睡し、次の日の授業は寝ブッチする。寝ブッチしてやることがないので、とりあえず「みよし」を食う。   その生活はと言えば、まさにどこにでもいる典型的な阿呆な大学生のそれである。一つ他の学生との違いがあるとすれば、「みよし」を食い過ぎているところくらいだ。「みよし」を、ラーメンを食べる回数が、異次元過ぎる。     あれ?さすがにラーメンばかり食い過ぎているんじゃないか?ラーメンばかり食べて、栄養が偏ってるんじゃないか?   ある日、突如として自らの健康面が不安になってきた自分は、野菜を摂取するために思い詰めた表情で再び「みよし」へと歩みを進めた。   食べ慣れたラーメンの上に、普段とは比べ物にならいほどの「ネギ」と想像を絶する量の「高菜」を乗せ、それをムシャムシャと食べる。むふふふふ。これだけネギと高菜を食べれば、野菜に関しては一切問題ないだろう。ラーメン健康法。これが当時の私の理論だ。   ネギと高菜を増やせば大丈夫。この、ラーメンの上に乗っている具材だけで自らの栄養バランスを軒並みコントロールしようとする強引な姿勢は、ベロを出しながらハァハァする活動だけで身体全体の体温を軒並みコントロールしようとする「犬」に通ずるところがあるだろう。ん?   例えが独特過ぎてよく分からない。     歌手のGacktは炭水化物をほとんど食べないが、年に一度だけ特別に炭水化物を摂取する時がある、それは「みよし」のラーメンを食べる時だ。こんな噂があった。   店の人に聞いてみると、実際にGacktが時々来るらしい。あの美食家のGacktも認めたラーメン屋。Gacktが時々来るラーメン屋。「みよし」を知らない人に「みよし」の説明をする時には、度々、Gacktの名前が出て来た。   みよしとGacktの関係性は、噂で広まるほどに誇張されていき、「Gacktが定期的に来るラーメン屋」になったかと思えば「Gacktが毎週のように来るラーメン屋」と語る人間まで現れた。   このまま噂が捻れていくと、いつか「みよし」は「Gacktが毎日いるラーメン屋」になり、やがて「Gacktの立ち上げたラーメン屋」になり、いつしか「Gacktの実家」になるだろう。そしてやがて「Gacktの認めたケーキ屋さん」になり、最終的に「CHAGEとASKAが出会った喫茶店」になる。間違いない。噂とはそういうもんだ。ああ恐ろしい。   ちなみに相当回数「みよし」を食べたが、残念ながらGacktは一度も見た事がない。     平和な時間が、ダラダラと流れた。標準語だったその男性もいつからか立派なエセ関西弁を使いこなすようになっていた。関西にかぶれたのである。気付けば、大学4年生になっていた。   毎日、授業がダルい、バイトがダルい、単位が足りない、と言いながら皆で飲み、ダベり、遊び、ただ漫然と時間を過ごしてきただけ。特に何も学んでいないし、何も成し遂げていない。そんな非生産的な大学生活は、悪くなかった。いや、控えめに言っても最高だった。たくさん友達が出来た。   社会人を目前にして、京都を離れて関東に戻るのが寂しくなった。京都最期の日は、「みよし」を食べようと決めていた。   関西の思い出は常に「みよし」と共にあった。最終日は友達が送別会を開いてくれる予定になっていたので、その飲み会の後に来るよと、「みよし」のオバちゃんに伝えておいた。     迎えた最終日、送別会で盛大に酒を飲んだ自分は、見事に潰れてしまった。飲み会の後に「みよし」に行くはずが、居酒屋で眠ってしまったらしい。   飲み会は夜通し続き、朝方に目覚めた。起きた瞬間、「みよし」に行きそびれたことに気付いた。営業時間を過ぎている。   せめて謝りたい、まだ誰かいるかもしれないと思い半泣きの千鳥足で「みよし」に向かった。店に着くと、バイト全員を帰したオバちゃんが、一人で店を開けて、自分のことを待っていた。   ずいぶん遅かったじゃないの、待ちくたびれたわよ。ネギと高菜が鬼のように乗った、いつもの健康そうなラーメンが出てきた。オバちゃんは、お金はいらないと言った。東京に行っても頑張りなさいと言った。涙が出た。   オンオンと泣きながらラーメンをすすり、自分の鼻水をスープにドバドバと垂らしてはそれをグイグイと飲むベロベロの青年は、そうとう気持ち悪かっただろうと思う。オンオン、ドバドバ、グイグイ、ベロベロ。   有難う有難うと言い、嗚咽を洩らしながら替玉まで食べ切った。スープが五臓六腑に染み渡って、それが至高の満足感をもたらした。大学生活が終わった。     それから随分と時間が流れ、先日、実に7年ぶりに「みよし」に行った。京都の最終日に食べて以来。   店に入ると、当時と変わらず小柄なオバちゃんがラーメンを作っていた。「みよし」に通っていたのは二十歳前後。   もうアラサーになった自分にはさすがに気付かないだろうと思いラーメンをシレっと注文すると、ネギと高菜が恐ろしいほど乗った、いかにも健康そうなラーメンがシレっと出てきた。「ずいぶん久しぶりじゃないの」。ああ、あの頃のままだ。   昔を思い出しながら、ラーメンをすすると、懐かしい味がする。「オバちゃん、俺の最終日に店を開けてくれていたのは、本当に感動したよ」   遠い目をしながらとうとうと思い出話に浸り始めた私に対して、オバちゃんは間髪入れず、「え?そんなことあったっけ?」と言った。辺り一面に、不穏な空気が流れた。え?なに?あの感動のエピソードを…覚えてないの!?!?   自分の中で美しい思い出となっているそれが相手と共有出来なかった時のシュールさは、物凄い。てっきり相手にとっても美しい思い出になっていると思い込んでいた。「勘違い野郎」である。   感動的なエピソードであるという自負からトンでもなくドヤ顔で語っていた自分は、何とも言えない恥ずかしさを覚えた。どうも自分の中で記憶が美化され過ぎたみたいだ。あれ?おかしいな。こんな筈じゃなかった。あれ?まあ、いいや。もう今さら、何でも良いや。   ラーメンが、相変わらずクソほどウマかった。細い麺が汁に絡んで、タマらない。スープが胃に染み渡って仕方が無い。京都のラーメンは最高だ。一気食いして、替玉を頼んだ。京都のラーメンは最高。       京都のラーメンは、最高だ。       ...

  商人のバイブルとも言われている、「マッチ売りの少女」という物語をご存知でしょうか?少女がマッチを売ろうにも中々売れないという、あの物語です。       この物語のタイトルを一文字ずつ変えていき、変えたタイトルから物語の全貌を想像して強引に文章にすると一体何がどうなるのか、気になったことはないでしょうか?ありませんよね?私はありません。というか、意味がよく分かりません。       それでは原作から順にご覧頂きましょう。   マッチ売りの少女   「マッチはいりませんか。」       大晦日、寒空の下で少女が通行人にマッチを売っている。父親に怒られるので、マッチが売れるまでは家に戻ることは出来ない。寒さと空腹に震えながら歩き回るも、少女からマッチを買う者は、一人もいない。       *       やがて少女は座り込み、寒さを凌ぐために自分のマッチに火をつけ始めた。       マッチに火がついた瞬間、少女の目の前に暖かいストーブや七面鳥、飾られたクリスマスツリーといった幻影が出現する。それらの幻影は火が消えると共に、彼女の前から消えてしまう。       *       ふと空を見上げた少女は流れ星をみつけ、その昔、自分を可愛がってくれた祖母のことを思い出す。       「流れ星が流れる時、誰かの魂が神様の元に引き上げられる」昔、祖母は言った。次に少女がマッチに火をつけると、目の前に祖母の幻影が現れる。       少女は祖母の幻影が消えないように夢中で全てのマッチに火をつける。幻影の祖母はマッチの光の中で少女を優しく抱き、少女はとても幸せな気持ちになる。       *       翌朝、凍え死んでしまった少女を見つけ、人々は可哀想な子だと思う。少女がどれだけ美しいものを見たのか想像する者は、一人もいない。   マッチョ売りの少女   「マッチョはいりませんか。」   大晦日、寒空の下でムキムキの少女が通行人に発達した高背筋を見せつけている。マッチョだけが、彼女の売りなのだ。しかし父親に怒られるので、家の中で披露することは出来ない。       寒さと空腹に震えながら見せつけるも、通行人は、ただただ怯えるばかり。       *       やがて少女は座り込み、寒さを凌ぐために想像を絶するトレーニングを始めた。地面に寝そべり、仰向けになって両腕で近くのベンチの脚を握りしめる。       そして肩甲骨を地面につけた状態で、身体の他の部分を全て宙に浮かせた。「ドラゴン・フラッグ」       そう、これはブルース・リーが究極の肉体を手に入れるために実践したトレーニング法だ。幼くしてこのトレーニングに着手する強者は、そういない。       少女の身体が宙に浮いたままピタリと止まる。両腕の筋肉が悲鳴を上げる。腹筋が悲鳴を上げる。刹那、悲鳴をあげているのは筋肉だけでないことに気付く。通行人もだ。       *       ふと空を見上げた少女は、流れ星をみつけ、その昔、自分を可愛がってくれたムキムキの祖母のことを思い出す。       「流れ星が流れる時、誰かの魂が神様の元に引き上げられる」昔、祖母は言った。少女が腹筋にさらなる力を込めると、目の前に祖母の幻影が現れる。       少女は祖母の幻影が消えないよう、張り裂けそうな全身の痛みを押し殺し、無我夢中で全身の筋肉を酷使する。フルパワー、100%中の100%!       やがて地面についていたはずの彼女の肩甲骨も宙に浮き、うつ伏せの少女が触れているのはベンチの椅子の脚のみとなる。幻影の祖母は少女を優しく抱き、少女はとても幸せな気持ちになる。       *       翌朝、強靭な肉体を手に入れ見違える程成長した少女を見つけ、人々は恐ろしい格闘家だなと思う。その格闘家が、昨日トレーニングをつんでいた少女と同一人物だと想像する者は、一人もいない。   マッチョ牛の少女   「モオオオオオオ〜ン。」       大晦日、寒空の下で少女が重低音の唸り声をあげている。その姿は、胴回り・足回りの筋肉が異常な程発達した牛、すなわち「マッチョ牛」である。       茶色い皮膚、小振りな角、堂々たる四足歩行。寒さと空腹に震えながら歩き回るも、マッチョ牛からマッチを買う者は、一人もいない。というか、別にその牛はマッチを売ってはいない。       *       やがてマッチョ牛の少女は座り込み、寒さを凌ぐために「反芻(はんすう)」をすることにした。       昼に食べ、既に噛み砕いて飲み込んだ食べ物を、胃から口に戻し、改めて噛み、また飲み込む。これは食物を昇華するための活動であり、反芻動物にとっては日常的な出来事である。       マッチョ牛の胃から、昼に食べた七面鳥や、昼に食べた暖かいストーブや、昼に食べたクリスマスツリーといった物体が出現する。それらの物体を充分に噛み砕き、そしてマッチョ牛の少女は改めてそれらを飲み込んでいく。まさに反芻だ。       *       ふと空を見上げたマッチョ牛の少女は流れ星をみつけ、その昔、自分を可愛がってくれた祖母のことを思い出す。       「流れ星が流れる時、誰かの魂が神様の元に引き上げられる」昔、祖母は言った。次にマッチョ牛が反芻をしようとすると、彼女の胃から祖母が現れる。       マッチョ牛の少女は、祖母の幻影が消えないように夢中で反芻を続ける。幻影の祖母はマッチョ牛の少女を優しく抱き、マッチョ牛の少女はとても幸せな気持ちになる。       *       翌朝、寒さに耐え引き続き堂々と闊歩しているマッチョ牛を見つけ、人々はさすが牛だな、と大いに感心する。       今日もミュンヘンの朝は平和だ。   マッチョ牛のShow Time   「ladies and...

  商売に長けているわけでも商売への情熱が凄いわけでも商売人としての実績があるわけでもない凡夫の極みである私は、過去に一度だけ「商売人」になったことがある。今からその人生で唯一の成功体験を、ドヤ顔ベースで自慢させて頂きたい。小学生の時だ。       それは神奈川県の外れ足柄上郡というハイパード田舎に存在する大井町という小さな町(東京の大井町とは関係無い)にそそり立つ、上大井小学校というこれまた小さな学校での出来事。小学校の高学年だった我々は、遊戯王というカードゲームにのめり込んでいた。一学年に25人くらいしかいない男子生徒の全員が、授業の時間以外は常にデュエル、デュエル、デュエル。朝から昼から放課後まで、男達の戦いは熾烈を極めた。       それまで足の速さや身体の大きさがスクールカーストを規定してきた空間に、突如として現れた「遊戯王」という新たな価値基準。私はこのチャンスを逃すまいと必死に戦った。メカ・ハンターを生け贄に捧げてデーモンの召喚を繰り出し、相手のヂェミナイ・エルフを攻撃!!相手の万能地雷グレイモヤに対して盗賊の七つ道具ゥゥゥゥうう!!!!       血で血を洗う遊戯王の争いは、喧嘩の元にすらなった。ズルをしたと言って殴り掛かる者。聖なるバリアーミラーフォースを盗まれたと言って殴り掛かる者。負けそうになって殴り掛かる者。何せ、そこでは遊戯王の強さこそが人間の価値なのである。意地とプライドの交錯する教室。デッキを突き合せて戦う男達を、尋常ではない真剣さと想像を絶する緊張感が支配していた。       そんなある日、様々なトラブルの元になるという理由で、遊戯王カードを学校に持ち込むことが禁止された。小林先生からの突然の発表に男達は俯き、教室に沈黙が流れた。       遊戯王で確固たる地位を固めつつあった私は、教室の誰よりも焦っていた。ついに訪れた、人生で初めての栄光時代。それがこんな形で、こんな形で突然終わってしまうなんて。なんでだ。あんまりだ。       その日、絶望に暮れながら千鳥足で家に帰った私は、深い思案の末、紙とペンを取り出して独自のカードゲームの作成を始めた。遊戯王が禁止されてしまった今、遊戯王に変わるカードゲームを作り出さないといけない。何十枚も紙を切り抜き、一心不乱に名前と強さを書いていった。それは当時の私に言わせれば、「自分で考えた独自のカードゲーム」。カードには名前と星と攻撃力と守備力が書いてあった。星がある程度の数以上あると、生け贄のモンスターが必要、そんなルールにした。誰がどう見ても完全なる遊戯王のパクリだ。むしろ紙質以外の違いが全く分からない。著作権ガン無視のド犯罪野郎である。       ある程度の枚数が完成した後これを試験的に学校に持ち込み、小林先生に「これは遊戯王でない」旨を丹念に伝えた。先生は少し考えてから渋々了承した。試作品を、遊戯王でエース格だった数人に渡し、それで何回か遊んだ。予想を超える好感触。そこで一気にアクセルを踏み、家に閉じこもって何百枚単位でカードを作った。それを学校に持ち込み、満を持して学年の男達を全員呼び出し、盛大にカードゲームをおっぱじめる。1週間ぶりのカードゲーム解禁。大井町立上大井小学校の男達は狂喜乱舞した。想像以上の反響、教室は再び男達の熱気に包まれた。待ち望んだ戦いが始まった。最高。これは最高だ。       すぐさま、カードの供給が問題になった。カードの強さを決められるのは私だけという傲慢な神ルールになっていたので、友人がもっと強いカードを自分に渡せと次々に迫ってきた。全員の納得感を保つにはどうすれば良いのか。加えて、労働量的にも1人で絵を描いて、字を書いて、とすることに限界を感じていた。そこで、ルールを変えた。       カードの基本的なデザインやコンセプトは、各人で自由に作って良い。絵を描いて、名前を決めて、テーマを持って私というルール神の元へ、持って来る。各自が起案したコンセプトに対して、全体のバランスを見ながら私が攻撃力・守備力・効果を最終決定して記入。こういう運用になった。これが上手く回った。毎朝、皆の主張を聞きながら「ん〜じゃあ攻撃力2200で。」とコメントしていく。なにが「2200で」だ。ワケが分からない。ただ、人生で初めて帝王になったような気持ちにはなった。私は皆の納得感を保つ為に敢えて自分のデッキを弱くした。謎のバランスが保たれた。       クラスにチョウ君と言う恐ろしく絵が上手い男の子が居て、その子が書くイラストが人気になった。色んな人が、チョウ君にイラストを依頼し始めた。チョウ君も喜んで描いていた。毎朝、紙を切り分けて白紙のカードを大量に作成して皆に配る人もいた。戦績をメモしていく人もいた。何となく作業が分担されていった。よく分からないまま、カードゲームの世界がシステマティックになっていく。カードゲーム自体の楽しさもさることながら、その「カードゲームごっこ」みたいな全員プレーの一体感が楽しかったというのもあったかもしれない。言いようの無い、一つの“世界”みたいなものが出来上がった。それに全員で浸った。       遊戯王カードとしか言いようのないそのパクりゲームは流行り続け、いつしか本家「遊戯王カード」自体は完全に忘れ去られた。ある休みの日に、友人が遊戯王カードをたくさん渡すから自分にこっそり強いカードを作って渡して欲しい、と持ちかけてきた。この極めてグレーな取引を、モラル無き私は秒で快諾した。       何せ私から見ると、紙に絵を描いて数値を記入して渡すだけ。オウケイと言って「アルティメット・ファイヤー・マシーン」と言う名の常識はずれの実力を持つカードを作成し、彼に手渡す。生け贄無しで召喚出来る攻撃力2800のモンスターは、ゲームバランスを崩壊させるポテンシャルを持つ程の強さだ。そして彼からは随分と質感の違う、明らかに一般的な価値が高いと思われる遊戯王カードの束を受け取った。「死者への手向け」や「死者蘇生」を手放した彼は、とても満足気だった。恐ろしい取引。典型的なヤクザである。       さて、このグレーな取引を何回かしたおかげで、私の手元には恐ろしいほどの遊戯王カードがたまった。遊戯王カードは小学校ではもう流行っていなかったが、一方塾では流行っていたので、塾という戦場においてそれらグレーなカード達が火を噴いた。自分にとっては、まだ遊戯王カードにも価値がある。       私は自分で作ったカードのゲームバランスを無視して恐ろしいカードをせっせと供給し、遊戯王カードを次々手に入れた。持続可能な発展をガン無視し、せっかく作り上げたカードゲームの世界をパワーインフレのリスクに晒し、自らの手で積極的に崩壊へと推し進めていくモラル無き強欲人間。強欲な壷。全ては、遊戯王カードを手に入れる為に。       そして物語も最終章、こうして手に入れた遊戯王カードはある日、カードゲームばかりして一向に宿題をやらない私にブチ切れた母親が、纏めて捨てることになる。こんなゴミでいつまでも遊んでいるんじゃないと怒鳴られた末、ゴミ箱にポイ。血のにじむような努力の末、イノベーティブな発想を駆使して手に入れた遊戯王カード達は、目の前に立ちすくむ「レイジング・モンスターマザー」攻撃力8200に一撃で粉砕されてしまった。何という強さなんだ。       こちらのトラップカード「泣きわめく」「暴れ散らかす」も虚しく空を切り、明らかにゲームバランスを逸脱した理不尽な能力を持つ魔人が、「真の強者」の何たるかを見せつけて来る。搾取。これは搾取だ。あんまりだ。と言うか、捨てられたカードは、元はと言えば皆のカードだ。ごめん。ほんとうにごめん。       こうして私の時代はあっけなく終わってしまった。その後何年も経ち、社会人になって商社でトレーディングの仕事をするようになった時、「アルティメット・ファイヤー・マシーン」を差し出したあの伝説の交渉をふと思い出して、我ながら常識外れのビッグディールだったなと心底感服するのであります。トレーディングの常識を覆す、価値の錬金術。一体なんだったんだろう、アレは。(完)             ライター「熊谷真士」に関連するリンク: ブログ「もはや日記とかそういう次元ではない」 Twitter Facebook      ...