「イノベーション」の言い出しっぺ。シュンペーターをオタクの俺が語るから聞け

ニアセ寄稿

はじめまして。ようへいです。

私はチー牛系プロレタリアート(キモくてモテない労働者)としてIT企業の末席で草を食べて生きています。大学・大学院時代は日本近現代史について研究してきました。その研究成果を生かし、スクールカースト上位の人間に対して常に厳しく”批判的視座”を持って見てきました。結果、友達はいなくなりましたし、社会からは一年目にして見放されかけています。

全ての物事を「偏見」と「嫉妬」という度が強めの色眼鏡を通して見ている私ならではの文章で、恋人や友人にも恵ることもない「社会資本の貧弱な人」のそばに寄り添いたいと思っています。

「イノベーション」を知ってから「意識」は高くしろ

 「イノベーション」

この言葉は、現在のマーケティング理論に大きな影響を与えている言葉だ。経営学者のドラッガーなどもこの概念を援用し発展させている。

 その一方で、この概念は「意識高い系大学生の鳴き声」としてあまりにも有名である。しかし、この言葉を無限に発する大学生の中で、この言葉についてちゃんと考えているものはごくわずかと言える。

 大体はSNSで、「角刈りマッチョマーケター」がつぶやいた内容をそのまま鵜呑みにして、「イノベーション!イノベーション!」とほざいているだけであろう。僕はそんな人間たちを許さない。なぜなら、この僕はイノベーションの提唱者を信奉してやまないからだ。

 そのイノベーションの提唱者の名前をヨーゼフ・シュンペーター(1883年2月8日 – 1950年1月8日)という。そんな彼が生み出した概念を、角刈りマッチョマーケターとその信者に汚されたくない。そんな思いを持っている。そこで、本記事では僕がなぜシュンペーターをここまで信奉しているかについて論じていきたいと思う。

 結論からいうと、第一は、彼の漢としての「二つ」の一貫性が俺を魅了している。流行が変わっても自分の理論を一貫して唱える点。そして、一度愛した女性が死んでも愛し続けるという点。この二つの一貫性が僕が尊敬してやまない点である。

 第二は、かれの理論の美しさである。イノベーションという概念を中心に繰り広げられる彼の経済観。魅了されることは間違いないであろう。

 本記事では、第一の点に関して論じる。また、第二の点については第二部において論じていこうと思う。

イノベーションの親「シュンペーター」の人生

ヨーゼフ・シュンペーター

先にも述べたが、イノベーションという概念を提唱した「オッサン」の名前を「ヨーゼフ・シュンペーター」という(↑のイラストのオッサン)。彼は、経済学者であり日本での人気が高い人物だ。

1883年2月8日、シュンペーターはオーストリアで生まれた。紆余曲折を経たのち、29歳の時に出版した『経済発展の理論』という書籍で、後に説明する「イノベーション(新結合)」という概念を提唱した。イノベーションという概念が広まり始めたのは、意外にも100年以上前のことなのだ。

そして、この書籍は大きな話題を持って受け入れられた。そして、優秀な経済学者としての地位を確固たるものにした。(出典:伊東光春・根井雅弘(1993)『シュンペーター:孤高の経済学者』岩波書店)

しかし、こんな彼だが、結構人生的には鳴かず飛ばずで、波乱に満ちた、それなりにツイていない人生を送っている。それは彼の「漢(オトコ)」としての一貫性ゆえである。

女性への一途な愛を持つ漢

まずは、第一の「一貫性」は、女性への一途な愛である。それはアンナという妻に対する愛であった。42歳になったシュンペーターはアンナという女性と結婚することになる。「42歳のオッサンが22歳の女性と結婚するとは…。なんだかんだモテる漢じゃないか」と思った諸君、そううまくは行かないのが彼の人生だ。この結婚生活は、長くは続かなかった。

出産を前に出血が止まらなくなりアンナは他界。そして、子供も還らぬ人となった。シュンペーターは、アンナが他界したのち彼女が記していた日記を毎日欠かすことなくそのまま「写生」し続けていたという。それも毎日欠かすことなくだ。本当に愛していたのであろう。あまりにも純情すぎる漢。彼の研究生活の支えにもなっていたアンナという女性を一途に愛する姿勢は、全男性が見習うべきなのではないだろうか。

こうした、女性への一貫性は、彼の理論にも共通している。

時代の流行に流されない漢

このように妻を失いながらも研究を続けていたシュンペーター。その頃、「新しい経済学」の潮流が現れ始めた。そこでは、その新しい潮流の経済学に若者たちは魅了され、流れていった。そうしたなかでも、意思を変えずに自分の理論を主張し続けた。

その「新しい経済学」というのが、のちに「マクロ経済学」と言われる分野のことである。創始者はジョン・メイナード・ケインズ(1883年6月5日 – 1946年4月21日)。『雇用・利子および貨幣の一般理論』という書籍を1936年に出版したことがきっかけとなり、彼の名は高まった。

ジョン・メイナード・ケインズ

当時は、ビックリするくらいの大不況が世界を襲っており、失業者が溢れかえっている状況であった。そうした時代状況に対する処方箋を出したのがケインズである。

しかし、シュンペーターのような経済学の潮流は、こうした時代状況に明確な対処法を出すことが出来なかった。そのため、彼の教え子たちはケインズに流れて行ってしまったのだ。

しかし、それでも彼は自分の考え出した理論を貫き通した。彼のこれまでのイノベーション理論を精緻化した『景気循環論』と呼ばれる書籍も出版している。そして、彼は死ぬまで自分の理論を主張しつづけたのであった。

常人なら、新しい潮流にのっかるのが「普通」だったのかもしれない。しかし、彼はそうしなかった。最期まで「イノベーション」という概念を使用し、自分の理論を主張し続けたのであった。これぞ漢って感じだ。

最後に

これまで僕がシュンペーターを信奉する理由である二つ「一貫性」について論じてきた。彼は、まず愛する妻を、終生忘れる事はなかった。彼女の記した日記を最期まで「写生」し続けていた。そして、そうした彼の一貫性は、「イノベーション」理論にも共通していた。最期まで、自分の生み出した理論を信じて主張し続けた。

男として、彼の「一貫性」に尊敬の念を抱かざるを得ない。そして、この「一貫性」ゆえに「イノベーション」という素晴らしい言葉が現在まで語り継がれているといえるであろう。第一部はこれにて終わりとさせていただく。第二部では彼の論じたこの「イノベーション理論」について僕の独断と偏見を元に論じていく。彼のイノベーション理論は、ネットであふれるものの先を行く素晴らしいものである。

それでは今回はこの辺で、さようなら。

労働者マン

チー牛系プロレタリアート(キモくてモテない労働者)としてEC企業の末席で草を食べて生きています。スクールカースト上位の人間に対して常に厳しく”批判的視座”を持っています。

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