「戦略的事業撤退」村おこし事業で戦った女性が学んだこと

ニューアキンド

パーカー姿で作業する女性。多田愛(ただめぐみ)さん。
 
どこか温かみの感じることができる、村。そんな村を作りたいと、彼女は数年前に村おこしの事業を立ち上げました。しかし、現在は事業撤退をしています。事業自体は一旦撤退してしまっていますが、事業再起を企てているとのことです。事業の立ち上げに至った経緯から今後の活動について迫ります。

「戦略的事業撤退」村おこしとはどんなものなのか


 

村おこし事業ってそもそもどんなものなのでしょうか?

村おこしと言っても、村を元気にしようとか村を活性化させようというよりは、村を作ってしまおうというのが活動でした。言ってみれば、鉄腕ダッシュさんのDASH村のようなものです。村を一から作っていろんな人が足を運べる空間が作れればいいと思い、事業を行いました。
 
もともとは、ある企業がダムの建設を行う為に保持していた土地だったんですが、ダム建設自体がなくなり、その土地が不要になったために場所の確保ができました。東京ドーム20個ほどの大きさです。住む場所や寝る場所、生きる場所が心地よいものであれば人の気持ちも、もっと豊かになるのになって感じたのがきっかけで始めました。
 

村おこしな活動内容は?

活動内容自体は、米や野菜を作ったり、実際に作るような農作物の製造。木の伐採や竹のバングーハウスなどの作成などを行っていました。バングーハウスは、来てくれた方へのゲストハウスとして作ったのですが、嵐にやられて崩壊してしまいました。
 
そのほかにも、竹飯盒や燻製、イノシシ鍋なんか企画して体験してもらうなどしていました。イノシシ鍋はマッキーのような匂いがしてなかなか最初はとっつきにくかった記憶があります。集客のイベントとして都内で、無農薬の野菜を使ったイベントなどをも行っていましたが、なかなか人を集客するのも大変だったというのが正直なところでした。

村おこしを行おうとしたきっかけは

 

◆なぜ村おこしだったのか?

私が本当にやりたいことは、「教育」なんです。なので、教育をするために村を作ろうと思ったというのが正しいかもしれません。私がやりたい教育っていうのが、生きること自体の教育をしたいと思っているため、村のような場所が必要だったのです。事業のサブタイトルとして、「一人一人の存在意義を持った社会を作る」というものを掲げていました。
 
現在の社会では、都会で仕事をするのがかなり当然になっています。しかし、都会の波にのまれて自分自身の気持ちや生き方に素直になれていないのではないか、そう思ったのです。都会での生活に疲れた人は、「田舎に行きたい」「ゆっくり田舎で暮らしたい」なんてことを口にしますよね。そんな空間が都会から近い場所に作れればいいなあと思い始めました。
 

村おこし事業立ち上げは、ご自身の経験から?

私自身が都会での生活に疲れていた時期がありまして。その時期が、大学3年生の時でした。ちょうど大学で留年してしまい、友達も同学年にいなくなり、落ち込んでいました。今思えば、そんな大したことではないのですが、その時は本当に辛かったです。
 
留年して時間だけはあったため、もともと興味を持っていたよさこいソーランの各地の祭りに顔を出すようになりました。そこで、日本の伝統的なものや田舎の魅力を強く感じたのです。自分自身が励まされたのもありますが、心が弱っているときにはやっぱり田舎っていいじゃんって直感的に感じました。そこで何を思ったか、私は田舎にヒッチハイクをしようと決意しました。
 
周りからは女でヒッチハイク……なんて止められたりもしましたが、とにかく何かを実行したかったという想いがあったので、実行しました。その時の行先が高知県だったのです。高知県を選んだ理由は、「田舎なこと」「村おこしを行っている人がいる(I氏)」ということでした。実際に村おこしを行っているI氏にアポイントを取って、お話を聞かせていただいたりしました。
 
そこでのお話は、「お金はあるけど不自由な生活は幸せなのか?」というお話でした。今の自分は幸せなのか?仕事で毎日苦しんでいる人は幸せなのか?本来の幸せとは?なんてことを考えさせられました。そこで私は今までのままの社会ではだめだと決断し、村おこし事業を本格的に行うことを決断したのです。少しでもつらい思いをしている人達が減ればという思いが一番にありました。

戦略的事業撤退


 

事業撤退の理由は?

事業は撤退したわけではなく、「一時撤退」です。
 
というのも、事業を進めていく中でこのままやっていてもうまくいかないという絵が見えてしまったのです。一番の原因は「資金」です。資金に関しては国からの助成金をもらわず、完全に事業メンバーですべて出し合っていました。助成金をもらってしまうと、事業内容が自分たちの意思と違う方向に行ってしまう可能性があると考えたからです。
 
あくまで自分たちの資金だけで行いたかったが、その資金にも限界があり、一時撤退という形をとらざるを得なかったということです。トライアンドエラーを繰り返してやるのにも、今の資金では難しかったですね。
 
もう一つの原因は、個人のスキルや知識が低かったということです。やはり、事業を行っていく中でも、個人のスキルや知識が必要な場面が何度もありましたが、そこがボトルネックになって事業推進が止まる場面が何度もありました。なので、2年後に資金面もスキル・知識面も個人個人がパワーアップして集まろうと話をし、一時撤退、戦略的な撤退という流れになりました。なので、事業再起はする予定です。
 

事業再起ですか

やはり資金も、村おこしにつながらない関係ないビジネスで集めるのはあまりしたくなくて。私自身は、健康面でのヘルス系の知識やスキルを増やすためにそういった事業を現在は行っています。必ず、村おこし事業にも役立つと思うので。ほかのメンバーは、WEBや農業、教育、料理など様々な分野でスキルを高めています。

事業を進めていく中での辛さや学び

事業を行っていく中で辛かったことはありますか?

正直言ってしまうと、事業自体でつらかったということはあまりないですね。使命感というか、私が変えてやる!みたいな気持ちで出来ていたので。どちらかというと楽しくできていたほうだと思います。私の性格もあると思いますが。でも一つ上げるとすれば、一生懸命やっている仲間が自分の身を削って村おこし事業を行っていたことですかね。資金面と体調面でこのままでは見ていられないという状態が辛かったですね。
 

仲間の裏切りなどはありましたか?

面白い質問ですね。でも残念ながらないです。自分のやっていることに自信をもって取り組んでいるメンバーが多く、裏切りなどはなかったですね。ただやはりメンバー内での意識の違いや、温度感の違いを感じることはありましたね。口を出すだけで、実作業になると出来ないからやらないなんて言うメンバーがいたりなんてことはありましたが、あったとしても軽いもめごとぐらいです。
 

成功している村おこしとの違いは何だと思いますか?

私たちはあまり今回の撤退を「失敗」だとは思っていないということです。まだまだ資金やスキルが足りないということがわかったということだけで、成功につながるものを手に入れたと思っています。今回の事業撤退は希望や可能性を込めた一時的な撤退だと考えています。
 
ただ、他の村おこしに共通するもので私たちにできていなかったものは、「メディアの使い方」だとは思っています。ブランディングという面は以前は全く考えられていなかったので、そういった面は成功している村おこしと違う点かもしれません。そこに関しても2年後に集まる際には意識していく点だとは思っています。ブランディングができない事業は、いくら内容が良くてもなかなか成功するのは難しい時代になっていると思います。
 

◆次、また事業をやるとした場合にこれだけは気をつけたい、意識したいことは?

甘えた気持ちはすべて捨てて、全力で村おこし事業を行うことです。やると決めた以上、失敗を恐れず挑戦していきたいと思っています。何もしないことが一番の失敗だと思っているので。今度こそ胸を張って癒しを与えられる空間を作れればと思います。

編集後記


インタビューをしていて、とてもエネルギッシュな印象を与えてくれる女性でした。常に前を向いて事業に取り組む姿勢はとても魅力的に映りました。2年後の事業再起での活躍を陰ながら応援しております。

 
 

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1991年3月9日生まれ。25才。東京理科大学出身。
大学卒業後、大手IT企業で社会人としての経験を3年ほど経験。
その後、実績もないまま興味のあったライターとして独立を果たす。現在では、独自の人脈と経験をもとにライターとして多くの記事執筆を行っている。

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