ビヨンセに憧れ続ける“グラドルレスラー白川未奈”の「好き」を貫く生き方とは

ニューアキンド

「グラドルレスラー」として活躍する白川未奈さん。グラビアアイドルやプロレスラーとして活動する傍ら、自身のポートレート写真やオリジナルグッズを販売するECサイト「Powerbomb to your heart by Mina Shirakawa」オーナーとしての一面も持っています。

グラビアアイドルとして、ミスFLASHセミファイナリストや小学館ビジュアルウェブS準グランプリに輝き、プロレスラーとしてはデビュー2年目の2019年、ベストボディ・ジャパンプロレス1周年記念大会では初代BBW女子王者となりました。

日本のみならず、海外からも人気を集める白川さんのECサイトでは、毎日商品を購入するファンもいると言います。何度も訪れて、買い物したくなるECサイトにはどんな工夫がされているのでしょうか。これまでの経歴やECサイト運営の工夫についてお伺いしました。

【会社プロフィール】
ECサイト:「Powerbomb to your heart by Mina Shirakawa
商材:白川未奈が企画する商品

【ご本人のプロフィール】
名前:白川未奈 @MinaShirakawa
肩書:グラビアアイドル・プロレスラー

スカウトされるために竹下通りを7往復。親の反対を押し切って芸能界へ

─白川さんは青山学院大学卒業後、ブライダル業界に就職しています。当時の夢や目標をお聞かせください。

白川:大学に入学するまで、親に敷いてもらったレールをずっと歩いてきました。就活は、ちょうど就職氷河期の時代で、最初に内定が出たブライダル企業に就職しました。

でも本当は、小学生のときからテレビに出る人になりたくて…。ブライダル企業に勤めているときは楽しく、やりがいもありましたが、一方で悶々とした日々を送っていました。

─どこか納得のいかないところがあったんですね。芸能界挑戦の理由はそこにあったのでしょうか?

白川:「石の上にも3年」。この言葉がずっと頭にあったので、会社で3年は頑張ろうと思っていました。人の幸せのお手伝いをするブライダルの仕事は楽しかったですし、自分にとってプラスになる経験もたくさんできました。

でも芸能界デビューへの思いはずっと消えなくて。入社から2年半経った頃、やっぱり芸能界デビューを諦めきれず、挑戦しようと思ったんです。

当時すでに24歳だったので、私より若い子たちがたくさんいるオーディションを受けるよりも、スカウトされる方が早いと思って、原宿・竹下通りをひたすら往復しました。6往復した結果、7〜8枚の名刺をいただくことができたのですが、全部グラビアアイドル関係のスカウトだったんです。

─6往復で7人からスカウト! それだけでもすごいと思います。

そのときは夏でしたし、私もボディラインがはっきりわかる服を着て歩いていたので、グラドル関係ばかりから、声が掛かったのではないかと思います。本当は音楽関係の方から名刺をもらいたかったんですけど…!

デスティニーズ・チャイルドが流行った中高生の頃から、私はビヨンセにずっと憧れていて、歌手になりたかったんです。スカウトを受けたどの事務所に対しても、「歌手になりたい」と伝えましたが「グラビアのオーディションを受けてみなよ」と言われてしまって。

今になって考えれば、竹下通りを歩いてるだけじゃ、歌唱力なんてわからないですよね(笑)。まずは求められていることをやってみようと思い、グラドルとして活動を始めました。デビュー後は、未来のトップグラドルを生み出すと言われている「ミスFLASH」のオーディションを受けて、セミファイナルまで残りました。

─すごいですね。そのときは会社員を続けていたのでしょうか?

白川:はい、会社員のままでしたが、私が自分でエントリーしちゃったんです。その後、雑誌に載ることが決まり、そうなるとさすがに、会社の上司に報告しないわけにはいかないですよね(笑)。当時の上司はデビューを応援してくれて、スムーズに退職させてくれました。

─いい上司ですね。ただ、気になるのは一般の会社員だった人が、芸能界という未知の世界に挑戦するにあたり、不安はなかったのかどうか、ということです。

白川:親や親戚、友人に内緒でグラドルを始めたこともあり、孤独になっていく不安はありましたね。会社を辞めたあと1ヶ月くらいは、出勤するふりをして、マンガ喫茶などに行って家に帰るまでの時間を潰していました。親にグラビア活動のことを言えなかったので。

時間潰しの期間は長くは続きませんでした。ブライダル企業勤めなのに、土日家にいることや、明らかに早く帰ることが多いことから、「会社辞めたの?」と疑われ始めたんです。

会社員を辞めて1ヶ月経った頃、両親にグラビア活動をしていると打ち明けましたが猛反対されました。私は大学生まで、不自由のない環境で育ててもらったと思うんです。経営者の父からは「なぜ無理をしてまで、茨(いばら)の道を進むのか」と今でも言われています。

親戚は今でも、私が会社員として働いていると思っています。私が「白川未奈」として活動をしていることは知らないままです。

─これだけ明るい白川さんですが、孤独を感じていたのですね。その孤独感はどのように払拭したのでしょうか?

白川:そうはいっても、自分の意志で好きな道を歩み始めたのは初めてだったので、すがすがしい気持ちでした。孤独以上にやる気に満ち溢れていましたね。

24歳まで、私の中では親が絶対的な存在でした。「親にとってかわいい子でいよう」「親が喜ぶことをしよう」と思って生きてきたんです。でもそれは違う、と気づくことができました。

私は「全てやり尽くした、人生楽しかった!」と思って死にたいんです。やりたいことがあっても不安だから挑戦しない、という人生よりも、世間や他人の目を気にせずに、自分の好きなことをやる方が幸せだと思っています。誰に何を言われようとも、私は好きなことをしながら生きていきたい。そう考えれば不安もなくなるし、自分のことを一番大事にして生きようと思えるんですよね。

─自分を大切にするという考え方、参考にしたいです。会社員からグラドルに転身して、心境の変化はありましたか?

白川:会社員の頃も楽しくなかったわけじゃないですが、芸能界に入ってからは幸せと辛さの浮き沈みが激しくて、毎日生きている心地がします。グラビア活動を始めたばかりのときは辛いことが多かったですね。

今でも覚えているのは、昔「〇〇雑誌の表紙に起用されたい。私が起用されるためにはどうすれば…?」という相談を同業の子にしたときのこと。私はその表紙に出たいという夢があって、純粋な気持ちで相談したつもりでしたが、予想外の方向にいったんです。

後日、その雑誌の編集長には「私(白川)が起用されないなんてどうかしている。編集者がおかしいんじゃないの!」といったニュアンスが伝わっていたことを雑誌の関係者から聞かされました。裏切られたんです。同業の子はライバルでもあるので、私を蹴落とすために、悪いように編集長に伝えていたんですよね。

それ以降現在まで、その雑誌で起用されたことはないです(笑)。辛い経験をたくさんしてきましたが「うまくいかない理由は、必ず自分に原因がある」と考えて、いつも後ろと下は見ないようにしていますね。

年間60試合を見るほどの「プロレスファン白川未奈」が、「グラドルレスラー白川未奈」になった理由

─白川さんは2018年8月にプロレスデビューしています。そもそもプロレスが好きになったきっかけは何だったのでしょうか?

白川:芸能界に入った頃は元々歌手志望だったので、グラビア活動に不安を感じることもあったんですよね。そんなときに新日本プロレスの両国国技館大会に行く機会があったんです。

初めてのプロレス観戦はとにかく衝撃的で。裸一貫で、自分の命を削って戦っているレスラーを目の当たりにしました。「この試合のためにめちゃくちゃ辛い練習をして試合に臨んでいるんだろうな」と想像しちゃいましたね。

私は、両親にグラビア活動を反対されたことや、歌手を志していたのに、水着で人前に立っていることに対して疑問を感じていました。でもプロレスラーは、体を張って、命を削ってファンを楽しませている。

プロレスラーの「やられても、やられても、立ち上がる」姿に、私が水着で人前に立つことなんてちっぽけなことで、悩んでいられないと思えたんです。それがきっかけで、プロレスファンになりました。

─「“全てやり尽くした、人生楽しかった!”と思って死にたい」という考え方にもとづくアクションですね。プロレスデビューして、周りからはどんな反応がありましたか?

白川:両親にはプロレスデビュー後に報告したのですが、グラビア活動よりも応援してくれています。父は以前まで私の職業を周りの人に隠していたのに、今では私のプロレスニュースをチェックしてくれています。

先日、とてもうれしかったことがありました。久しぶりに家族で食事をしていて、そのときに父がシェフに「プロレスラー白川未奈」を紹介してくれたんです。今までは私の素性を隠していたのに、「応援してやってよ」というくらいに伝えてくれたんです。

それにはうるっときちゃいましたね(笑)。好きなことをやってきて後悔は全くないですが、そうはいっても身内には理解されたいし、応援されたかったので。少しは認めてもらえたのかな、と思えました。

ファンは世界へ拡大。ビヨンセに憧れ続ける「白川未奈」の次の挑戦はEC運営

─白川さんはご自身でECサイト運営をしています。始めたきっかけは何だったのでしょうか?

白川:ファンから「(試合)会場に行けないときでも、白川さんのグッズを買いたい」とリクエストされる機会が多かったんです。東京を中心とした大都市で試合をすることが多いので、遠方に住む方だと生観戦が難しいケースもあります。試合を見に来てくれる方には直接、グッズ販売ができていましたが、「会えないファンの声にも応えたい」とずっと考えていました。

ですが、ECサイト開設どころか、会場での物販の準備だけで精一杯で、なかなか着手できなかったんです。ただ、今年になって新型コロナウイルスの影響でずっと家にいたので、在宅時間を活用してようやく立ち上げることができました。

─在宅時間をECサイト開設に活用されたのですね! ECサイト運営にあたっての経験や知識はありましたか?

白川:全くなかったです。それどころかパソコン操作すら苦手で…。ここ1〜2ヶ月で私の周りでもサイトを立ち上げる方が増えてきましたが、私が始めたときは相談する人もおらず、独学で取り組んでいました。

最初はどんなプラットフォームがあるのか、手数料はどのくらいなのか、知識ゼロの状態からのスタートで、開設するまで2週間はかかりましたね。

─ご自身で勉強しながら、一つひとつ進めていったんですね。ECのプラットフォームを比較するとき、どんなところに着目しましたか?

白川:英語表記があって、海外発送にも対応しているところですね。プロレスを始めてから海外のファンがすごく増えたんです。世界では「グラビアアイドル×プロレスラー」がめずらしいようで、グラドル時代にはいなかったファンが増えました。

また、私には海外に出てお仕事をするという夢があります。だから世界のファンとつながりたいと思って、海外のファンが見やすいサイトをつくることが一番の条件でした。

─ビヨンセに憧れているからこそ、視点は常に世界に向いているんですね! サイト運営について、商品企画から商品発送まで、全てご自身で対応しているのでしょうか?

白川:お問い合わせのメール対応など一部だけ外注していますが、それ以外はすべて自分で行っています。例えばポートレート撮影のときは、自分で貸しスタジオやカメラマンさんを手配しています。

私は人に頼るのが苦手で、できることは自分でやってしまうタイプなんです。私がフリーで活動しているのも、その性格があるからですね。とはいえ、ECサイトに関しては、まだ1人でできる規模ですよ。

─独学でオープンしたECサイトですが、運営をする上で苦労したことはありますか?

白川: 最初はお金がかかりましたね。サイト開設や商品づくり、ポートレート印刷用にプリンターを購入するなど、準備が大変でした。今は発送時に貼る宛名シールを印刷するようになりましたが、最初は全部手書きで対応していたから、腱鞘炎になっちゃって(笑)。

海外への発送は国によって住所の書き方が異なるので、その度に調べながら発送しています。持っている英検準一級の資格をここで活かすことができました。世界で戦うための修行だと思って一生懸命頑張っています。

─ECサイトをオープンして、ファンからの反応はいかがでしょうか?

白川:とても喜んでくださっています。グラドルのイベントも、プロレスの試合も開催はほとんど東京で、都内近郊の方にしか会えていなかったのですが、ECサイトをオープンしたら全国各地にファンがいることがわかったんです。

今は新型コロナウイルスの影響で、海外への発送はストップしているのですが、当初は海外の売上が6割ほどを占めていました。海外のファンには商品の発送ができない代わりに、「デジタルポートレート」として画像にタッチペンでサインを書いたものを、メールアドレス宛に送っています。デジタルポートレートのおかげで、海外のファンともつながり続けることができていますね。

─デジタルポートレートのお話がありましたが、ECサイトで特に人気の商品は何でしょうか?

通常のポートレートですね。試合会場での物販では、目の前でサインと日付を書いてお渡ししているのですが、ECサイトの場合、代わりに一言メッセージを添えて送るようにしています。

─そうした細かい気遣いが、ファンを喜ばせているのですね。他にECサイトを運営する上で工夫していることはありますか?

白川:ファンが飽きないように、定期的に新商品を出すようにしています。プロレスもグラドルもファンがいないと成り立たないお仕事なので、常にワクワクして待ってもらえるようにしたいんです。今後はECサイト限定の商品も販売したいと考えています。

販売以外にも、ポートレートの撮影風景や、グッズの制作過程などをSNSで細かく見せるようにしています。完成した商品をいきなり見せるよりも、過程を見た方が商品に愛着を持ってくれます。

グラドル時代、ミスコン投票のために毎日ライブ配信をしていて、自分自身を全部見せることで、ファンと信頼関係を築くことができると実感したんです。

─楽しんでもらえる発信を日々行っているからこそ、世界にファンが広がっているんですね。最後に、グラドルレスラーとして、ECサイトオーナーとして今後どのようになっていきたいですか?

私は「グラビアアイドル」「プロレスラー」という型にハマりたくないんですよね。常にやりたいことを実行してきた過程で、今があるので。グラドル、プロレス、トレーニング、健康…自分がやりたいと思うさまざまなことにチャレンジする「白川未奈」というジャンルを作りたいです。

ビヨンセへの憧れもまだ捨てていません。プロレスの会見や試合時の入場で、ラップを歌っていますし(笑)。歌手でなくても、世界に挑戦したいという目標は、ビヨンセに影響されたものなので。

ECサイトを始めてから、世界のファンとつながることができました。これからも自分がやりたいと思ったことをやりきって、後悔のない人生を歩み続けたいです。そして私の活動を見て、こんなプロレスラーがいるんだと知ってもらえるきっかけになったらうれしいです!

【編集後記】

常に前向きな白川さんから、とてもポジティブなパワーが伝わってきました。取材であることを時折忘れそうになるくらい、楽しくお話を聞かせていただきました。

自分の好きな道を貫くと同時に、ファンが喜ぶ仕掛けを続々と取り組んでいて、「白川未奈」さんの今後のパフォーマンスがとても楽しみになりました。辛いときこそ自分を見つめ直し、「後ろと下は見ない」白川さんの姿勢は、私も見習っていきたいです。

伊藤 美咲

1996年生まれのフリーライター。ステキな人やモノを広めることをモットーに、インタビュー記事を中心に執筆中。特に興味関心が強いジャンルは働き方、音楽、美容。

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