脱時給制のススメ。「時間」で働かないで、「結果」で働きませんか?

ニアセ寄稿

業務の効率化を阻んでいるものとは?
 
「女性の労働参加率を高めろ」「残業時間を減らせ」など、働き方改革では様々な業務の見直しが叫ばれている。だが、その中でも一番の見直しポイントは「労働生産性を高めること」ではないだろうか。
 
日本は先進国の中で、労働生産性がすこぶる悪い。もちろん、生産性を高めるために様々な策を講じている企業も多いと思われるが、なかなか結果に結びついていないのが現状だろう。
 
それでは、なぜ日本の労働生産性は低いのだろうか?私は、日本人が労働時間に対して報酬をもらう“時給制”が当然だと認識していることが問題なのではないかと考えた。
 
アルバイトをしたことがある人ならわかってもらえると思うが、時給制で働くと「早く終わらないかな」「ちゃんとやっても時給は10円くらいしか上がらないし適当にやろう」と怠けてしまいやすく「生産性を高めよう」という気持ちは起きにくい。
 
そのため、報酬を受け取る態度が「拘束されてやったんだからお金をくれ」となり、生産性を高めて結果を出すことに、日本人はそこまで意識が向かないのではないだろうか?
 
そこで、結果や成果に対してのみ報酬を支払う“脱時給制”にすれば、労働生産性は上がるのでは考えた。今回は、脱時給制のメリットやそれを実現することの難しさなどについて語らせていただきたい。

脱時給制の3つのメリット

まず、脱時給制にするメリットを紹介していきたい。
 

メリット1:効率や生産性を意識しながら働ける

 
クレーム処理やよくわからない会議など、生産性の低い仕事に時間を奪われてしまうケースは多い。
 
脱時給制にすれば、「1秒でも生産性の高い業務に取り組まなければ」と労働時間への認識がかなりシビアになり、生産性が低く成果に結びつきにくい業務に時間を取られることに激しいストレスを感じるようになる。
 
そのため、「それはやるべき業務なのか?」「もっと効率的にできないか?」と業務の効率や生産性を常に高い水準で意識するはずだ。
 
また、“生産性は低いけど必要な業務”があれば、丸ごと外注するのはどうだろうか?外注すれば全体の仕事量は減り、わざわざ人員を足す必要はなくなり、人手不足も解消され、生産性の高い仕事にのみ意識を注げられる。
 
人手不足を叫ぶ企業も多いが「業務が多いから人を足す」と考えるのではなく、「業務を人任せにする」という発想も今後ますます大事になっていくだろう。
 

メリット2:残業代目的に残業する必要がなくなる

 
仕事が終わらないために残業する人は多いが、残業代をもらうために意図的に残業する人も少なくない。そういう人は日中にキチンと取り組めば終わるような仕事を、夜までダラダラ引き延ばして終わらせようとする、まさに“労働生産性を下げる”最低な働き方をしていると言える。
 
しかし、脱時給制にすれば、残業代目当てに残業をしても報酬は上がらない。ダラダラ仕事をするほうが無駄に時間を消費することになるので、自分の与えられた仕事をさっさと終わらせようと、効率的かつ生産性の高い働き方をせざるを得なくなる。
 
また、基本給が少ないために残業代という“プラスα”を求めて残業していた人も、働き方次第では残業代をもらっていた時よりも高い報酬を獲得できるかもしれない。無理やり会社に残業を減らされた結果、「残業代が減ってしまい以前より苦しい生活を強いられた」ということもなくなるだろう。
 

メリット3:公平な給与システムになる

現在、日本の多くの企業は、年功序列で報酬が上がるシステムを採用している。もちろん、年功序列型を否定する気はない。年功序列型にすれば社員は長く会社に勤めてくれるので、戦力が流出するというリスクを減らすことができる良いシステムだと思う。
 
だが、年功序列型が機能するのは景気が上向いている時に限った話。「人手不足だ」「生産性が上がらない」と叫ばれている現代で、悠長に勤続年数で報酬を決めているようでは、「どれだけ頑張っても意味ないじゃん」「俺のほうが結果を出してるのに何で先輩のほうが高いんだ」と社員のモチベーションは上がらない。
 
脱時給制では、年齢や勤続年数に報酬が影響しないので、公平な給与システムを提供できるだろう。
 
そもそも、海外では“能力”や“結果”ではなく“年齢”で報酬を決めるのは差別だと考える傾向がある。イギリスでは、2009年に「年功序列は差別だ」という訴えが80件以上起きており、私たち日本人は「なぜ給料の高さに年齢が関係するのか?」という根本的な部分に疑問を持つ必要がありそうだ。

結果よりプロセスが大好きな日本人

脱時給制のメリットについて語ったが、正直、脱時給制を導入するのは様々な障壁がある。その中でも私が一番のネックだと考えているのが日本人のある特性だ。
 
日本人はとにかく結果ではなくプロセスを重んじる人種である。例えば、毎日素振りを1000回している生真面目な高校球児が内野安打を打つのと、全然練習に参加していない不真面目な高校球児がホームランを打つのでは前者の方が日本人ウケするだろう。
 
もちろん極端な例だが、日本人は結果よりも「頑張っている過程」「努力の量」と意識しすぎる傾向がある。脱時給制は、そういった努力や過程を一切鑑みずに結果のみで評価するシステムだ。
 
日本企業はすぐにでも結果がほしい状況に置かれているが、そういったシビアな視点で判断を下せるのかは疑問が残る。

みなし残業とかいう制度は最低

また、多少話が脱線してしまうと思うが語らせてほしい。私は、みなし残業は労働生産性を押し下げる最悪の制度だと考えている。
 
みなし残業」とは、正式には「みなし労働時間制」といいます。あらかじめ月給の中に、一定時間分の残業代が含まれている賃金体系を指します。例えば月給額に月20時間分の残業代が含まれている場合は、月の残業時間が20時間以内の場合は残業手当はつきません。20時間を超えた場合に、21時間であれば1時間分、30時間であれば10時間分の残業手当がつきます。
 
つまり、残業代が基本給に含まれているため、規定時間内に残業しても残業代が出ない「サービス残業」になってしまうわけだ。
 
みなし残業を採用すると、残業することが当たり前になり、残業をイレギュラーな行為として捉えられなくなってしまう。その結果、業務の効率化や生産性に疑問が持ちにくくなり、労働生産性は一向に改善しない。
 
また、みなし残業として月20時間分の残業代が基本給に含まれている職場で働いている人がいるとする。その人が15日現在で、すでに18時間の残業をしていたらどうだろうか?あと、2時間残業すればそれ以降残業代が発生するので、「もう今月は残業しないぞ」というモチベーションは消えてしまう恐れがある。
 
みなし残業を「残業しなくても残業代が入ってくるなんてラッキーじゃん」と考える人もいるかもしれない。確かにその通りだ。だが、みなし残業を設ける会社がそんなホワイトな労働環境であるケースは少ない。
 
みなし残業は、残業を常態化させ、社員のモチベーションを奪い、サービス残業を合法化しただけの最低な制度と言って良い。と私は思う。

まとめ

自分の時給がいくらなのか」「今日どれだけの価値を生み出したのか」を真剣に考えて働いている人は少ないだろう。そういった意識が欠如していることが労働生産性の低さに強くつながっている。
 
“時間”で働くのではなく、“結果”で働くようになれば、今よりもっと報酬がもらえるかもしれないし、自分の仕事の価値をより感じることができるようになるだろう。
 
労働時間で報酬をもらうほうが、確かに安心感はあるが、脱時給制は決して悲観するアイデアではないと思う。
 
引用:https://employment.en-japan.com/tenshoku-daijiten/9838/
 
 

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