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ローカル新聞の雄、神静民報社に行ってきた! ニアセの本拠地は小田原にあるのですが、同じく小田原で活躍する地域新聞があると聞き、お話しを伺うことにした。   小田原駅からバスで20分。途中からはぐいぐい山道を登っていき、船原というバス停で下車。 バスを降りると、目の前には畑。その先には山が連なる。   畑の間を細い道が山へ向かって延びており、その道の入り口の電柱に「神静民報社」の看板を発見。 降りるバス停が間違っていなかったことが分かって一安心。   しばらく歩くと、神静民報社の看板を発見。そしてその先には社屋を発見。 早めに到着しすぎて、道路でウロウロしていた我々を社員の方が発見し、社屋の中に入れてくれた。 やさしい。執務室の中はこんな感じです。 設備は一般的なオフィスと同じ。でも、そこはかとなく感じる「田舎のおじいちゃんの家」感。   奥の部屋でインタビューを開始。ローカル新聞の社長ということで、頑固で高圧的な人を勝手に想像していたが、失礼な質問にもバシバシ答えてくれる気さくな社長さんでした。         神静民報の歴史   ―まず、神静民報の歴史を教えてください。   社長:創刊は1946年の2月。長く小田原の市長をしていた鈴木十郎さんが、私の祖父の田中要之助(元神奈川新聞 初代小田原支局長)に「ローカル新聞を出さんか?」と勧めたことがきっかけです。「地域を良くするには、地域紙がなければいかん」と言って。鈴木さんは読売新聞、朝日新聞で記者として働いていた人だから、郷里に新聞を作りたかったのかもしれないね。   歩いてきたの?遠かったでしょ。 前は小田原市栄町の繁華街に本社があったんです。ある時、新聞を2ページから4ページに増やすことにして、印刷機ももっと大きいのが必要になったんです。土地も高いし、どうしようかなと思ってたところで、この土地に巡り合った。ここは県西地域2市8町(小田原市・南足柄市・中井町・大井町・松田町・山北町・開成町・箱根町・真鶴町・湯河原町)の中心で、どこの取材に行くにも便利。空気も良いしね。シカ出るけど。   ―シカ出るんですね。田中社長は3代目ということで、入社した瞬間から社長だったんですか?   社長:そんなわけないでしょ。もともとは保険会社で数年間サラリーマンをしてから、28歳頃に神静民報に入社しました。記者として働いてから、父が亡くなった後に引継ぎました。36歳の時です。   ―新聞を創刊してからどのくらい経つんですか?   社長:創刊72年目に入りました。   ―歴史がありますね。   社長:いえいえ、小田原は「創業100年」など歴史ある老舗も多いから、まだまだですよ。 72年も続けられた理由と今後。電子版は?   ―なぜこんなに長く続けられることができたと思いますか?   社長:やっぱり「地域に生かされてきた」、ということに尽きますね。景気が悪い時でも広告を出してくれる中小企業さんも多くて、恐る恐る集金に行くと、「おたくの分は取ってあるよ」と1万円を渡してくれたこともあります。地元には「地域新聞は必要だから、生かすために取るよ」と言って下さる方もいる。   ―地元との結びつきが強いんですね。   社長:本当にそうだね。東日本大震災の時、ガソリンが品薄でどこにも無くなったでしょ?取材ができないと頭を抱えていたら、地元の方がまだガソリンがあるガソリンスタンドをこっそり教えてくれて。それで無事取材ができたってこともあったね。そうして生かされているから、私も「新聞を届けなくては」という使命感が湧いてくる。同じく震災の時だけど、計画停電中は自前の発電機を動かして編集から印刷までやったんだよ。印刷機は電気が来ているときに動かすから、停電中に編集作業をやらなくちゃならない。その時は、裸電球の灯りを頼りに作業したよ。   ―発電機?なんでそんなモノを自前で持ってたんですか?   社長:うちはカレンダーの赤い日(休日)以外は毎日、新聞を作っていて、とにかく新聞を届けることにこだわりがあるから。できる準備はなんでもやっておこうってことだね。この前の大雪でも、大手新聞は配達ができないところもあったけど、ウチは四駆のスタッドレスタイヤでガンガン販売店に新聞を届けることができたんだよ。ふふふ。   ―凄い執念ですね…   ―神静民報は日刊紙と「ぴ~あーる」というカラー版を発行していて、いずれも紙ですけど、電子版は出さないんですか?   社長:電子版ね。検討はしているんだけども、採算と人数の面から今のところ難しいかな。地域新聞で電子版というと、他の地域でもうまくいっていないと聞く。だから、まずはこの県西地域2市8町でしっかりと紙の発行を続けていこうと思っています。 小田原競輪はスゴイ⁉最近の小田原   ―最近の小田原の調子はどうですか?   社長:地方都市はどこもそうかもしれないけど、小田原駅も駅前はシャッターが下りたお店が目立つようになっちゃったね。 社訓に「地域社会の繁栄に尽くせ」というものがある。地域の企業や人がいなくなっちゃったら、うちの新聞も無くなっちゃう。地域活性化のために何かできないかは常に考えています。例えば、小中学校向けの俳句大会を開いたりしています。地元の子供がたくさん応募してくれて。今年は2,000人くらい応募してくれるんじゃないかな。地元の教育委員会も協力してくれています。   ―地域活性化と言えば、小田原競輪場で開催している「神静民報社杯争奪戦」って、神静民報が関係しているんですか?   社長:もちろん、関係してます。元々は2006年に日刊紙の60周年記念事業として始めて、震災のあった2011年を除いて毎年開催しています。   ―社長も車券買ってガッポリ…?   社長:買ってませんよ!小田原競輪は小田原市に収入面でかなり貢献しているんです。1949年の開設以来880億円。例えば小学校だとすると40校分になります。   ―すごい金額ですね。 新聞社ならではの「怖い体験」   ―新聞社ということは、誰かにとって都合の悪いことでも書くと思うんですが、怖い思いをしたことは無いですか?   社長:そうですね。良いことも悪いことも書くから、書いたことの反対側の主張を持った人たちから殺気のようなものは感じることがありますよ。最近は少ないけど、直接電話がかかってくることもありますね。でも、それは新聞社だったら少なからずあることですから。   ―怖いですね。   社長:初代社長の頃はもっと怖いことがあったと聞いています。鉄砲を持った若造が乗り込んで来たとか。初代社長が「俺はもう50過ぎてるし、いつ死んでもいいけど、おめえさんは20、30だろ?牢屋に何年ぶちこまれると思ってるんだ?」と諭したら、帰っていったって。   ―映画みたいなお話ですね。 〇〇から編集長というサクセスストーリー。記者兼編集長の出口さんにも聞いてみた 次に実際に日々取材に走り回って記事を書いている記者の出口さんにお話しを聞きました。   ―出口さんは記者兼編集長ということですが、元から記者志望だったんですか?   出口:いや、特に記者志望ではありませんでした。この会社にはパソコンのサポートをしに来たんです。アルバイトで。そこから色々手伝っているうちに、記事を書くようになって、今に至ります。   ―アルバイトから編集長に!サクセスストーリー。 記者の1日   ―1日はどんな感じの流れになるんですか?   出口:朝会社に来て、取材に行って、帰ってきて記事を書いて、組版をして…   ―組版までやるんですか?   出口:そうですね。小さな会社なので、1人1人が色々なことをやります。新聞が刷り終わった後の確認も仕事です。 大変だったことは?   ―大変だなと感じることはありますか?   出口:一番大変なのは印刷ミスですね。社内で印刷までやるので。そんなにしょっちゅうあるわけではないのですが、さかさまに印刷されてしまったり、日付を間違えてしまったりすることがあるんですよ。夕方印刷機を回して、出来上がったものにミスが見つかるとショックが大きいですね。そういう時はみんな無口になります。 ただ、自前の印刷機があるメリットも勿論あります。急に大きいニュースがあって載せたいときに、無理が利くんですよ。外部に委託しているとそうはいかないですよね。   ―他に大変なことはありましたか?   出口:大変なことばかり聞きたがりますね。うーん。あんまり無いですね。社長なにか言ってました?   ―震災の時に裸電球で作業して大変だったと…   出口:あー。ありましたね。震災の時は確かにそうでした。自分は震災直後に記者仲間で声を掛け合って、陸前高田で現地取材してきたんです。そこで現地の悲惨な状況を目の当たりにしたので、それを見てしまったら、うちの会社の苦労なんて苦労ではないな、と。本当に悲惨でしたから、向こうは。   ―説得力がありますね。 歴史ある印刷機を見せて頂いた 応接室で取材を終えた後、別の建物にある印刷の現場を見せて頂いた。印刷機は15年ほど使っているものの、まだまだ現役とのことこの機械を使って、毎日毎日新聞を刷っている。今の時代に自前で印刷機を持つことは、費用の面で必ずしも合理的とは言えない。「新聞を届けること」に並々ならぬ執着を持つ社長の強いこだわりを感じさせる。 編集後記 全国紙ですら販売数の減少が言われる中、地域密着で発行を続ける地域新聞。社長が何度も繰り返していたのは「地域に生かされている」ということ。地域の人が神静民報を生かし続けたいと思う理由は、「地域の人たちのために毎日新聞を届ける」という地道な活動と努力を知っているからだ。72年もの長きに渡ってこの新聞が続いてきたのは、この「地域との相思相愛の関係」が理由に他ならない。「地域密着」と言うのは簡単だが、実際に実現できている会社は多くは無い。まずはその地域のことを知り、誠実に向き合うことが大切ということを教えられた。     ---------------- 神静民報の facebookページはこちら...

  公園に歩行者天国、デパートの屋上、ロックフェスまで、さまざまな場所でパフォーマンスを見せ、人々を楽しませる大道芸。その大道芸の収入だけで生活している「プロ大道芸人」のジョー次。                     日本では数少ない「プロ大道芸人」のジョー次にインタビューをおこなった、柔道場で。           大道芸人になろうと思った理由   ―プロの大道芸人をやってらっしゃるということで、他に仕事はせずにこれ一本で生計を立てているということでしょうか?   ジョー次:そうです。数年前まではアルバイトもしていたのですけど、最近は全くそういうのやらずに、パフォーマー1本でやってます。地元の静岡を中心に活動しています。   ―大道芸に興味を持ったきっかけは?   ジョー次:毎年、「大道芸ワールドカップ」というイベントを地元の静岡でやってるんですよ。中学2年生の時にそれを友達に誘われて見に行ったんです。そのイベントにジャグリング専門ショップが出店していて、その体験コーナーで初めて中国ゴマに触りました。   当たり前ですけど、全然できなくて。でも、お店の人が親切にやり方を教えてくれて、それがすごく楽しかったんです。その場で思わず一番小さいのを一つ買っちゃいました。小さいのは扱いにくいんですが、それが一番安くて。それで頑張って練習し始めたのが最初ですね。   人前で披露することにハマったのは高校生のときです。学校内でやったパフォーマンス大会にジャグリングで出て、すごく盛り上がったんですね。自分が何かをやって盛り上がるって状況にハマっしまいました。   ―学校を卒業してすぐ大道芸人になったんですか?   ジョー次:いや、中学、高校、専門行って就職して、2年少しやってから、こっちにきましたね。自分が好きなもので生活できたら一番それがいいんだけど、そこに向けて努力してこなかった自分に気づいてしまって。ジャグリングが上手な人たちが陰でものすごく努力していることも知って、自分もちゃんとやってみようと向き合ったのが7年前ぐらいです。 大道芸人の数   ―今静岡で大道芸人だけを商売にしている人ってどのくらいいるんですか?   ジョー次:全国だと1,000人くらい、静岡だけだととても少ないですね。10人はいないと思います。静岡の大道芸ワールドカップ出演者も、ほぼ県外の人ですね。働きながら土日だけパフォーマンスやるっていう人であれば、もう少し増えますが。   ―何県の人が多いんですか?   ジョー次:東京、神奈川が多いですね。あとは名古屋とか愛知県、大阪。ライセンスがあるところは盛り上がってる感じがしますね。   ―ライセンスって?   ジョー次:自治体が発行する「大道芸ができるライセンス」というのがあるんです。例えば東京都公認の「ヘブンアーティスト」。都内には上野公園や葛西臨海公園、お台場とかいろいろポイントがあって、そのライセンスを取得するとそこで大道芸ができるようになります。仙台の「まちくるパフォーマーズ仙台」、大阪の「大阪パフォーマーライセンス」とかも有名ですね。いずれも審査があるので、それをパスする必要があります。 大道芸人の日常   ―普段はどこでパフォーマンスをしているんですか?   ジョー次:メインは静岡県内ですけど、県外も。北は北海道で南は愛媛県まで。少し中途半端ですね(笑)。海外も合わせると2016年に台湾とイタリアに行きました。台湾ではアジアカップというのに出たり、マジックのコンベンションのゲストステージに出させていただいたりしました。イタリアでは大道芸のフェスティバルに出演をしました。土日でイベントが入ってないときは、投げ銭でできる場所で大道芸をしてますね。   ―イベントはオファーが来るんですか?   ジョー次:オファーを頂くときもあれば、自分から申し込むこともあります。オファーを頂くのは静岡とかその近県が多くて、遠方からはあんまり無いですね。交通費とか高くなっちゃうからだと思います。   ―厳しい世界ですね…。ゲリラ的にパフォーマンスを行うことはあるんですか?   ジョー次:ゲリラでやっている方もいますが、僕の場合はきちんと許可を取っています。静岡市には昔から「しずおか大道芸のまちをつくる会(通称「しまる会」)」っていうNPOがあるんです。その会では静岡の伊勢丹前の十字路と、商業施設のエスパルスドリームプラザ、日本平動物園。その3カ所で許可を取ってパフォーマーが大道芸できるように、予約を受け付けているんです。今僕はその会の代表もやらせてもらってます。   ー話全然変わるんですが・・・そのバッグ、かっこいいですね?   ジョー次:あぁ、これ使い勝手すごく良いですね。     道具も入るんです。   ...

モデルでタレントで下着ブランドの社長「原田 奈津美」。   芸能活動をしながら会社社長をやっている。実際に芸能活動をしている人間がどんな商いをしているのか、ランジェリーを扱う原田奈津美の商い戦術はうまくいっているのか・・・。   原田奈津美と番組で共演し、下着ブランド「ivyy(アイヴィー)」のPRにも協力している「RIEKO」をインタビュアーに据え、なぜランジェリーなのか、ivyyってそもそも知られているのか、どんな活動をしているのか、「原田奈津美」にいろいろ聞いてもらった。           ただ話を聞くだけではおもしろくないので、ivyyを着用して、ランジェリー姿で対談してもらった。 左:原田 奈津美 右:RIEKO ランジェリー商い「ivyy(アイヴィー)」で勝負する原田奈津美 ―今日はよろしくね。なっちゃんの商い話について教えて!   原田:はい!   ―なんでランジェリーを扱うことにしたの?   原田:芸能活動を続けるっていう未来を考えた時に、いつまで芸能で続けていけるのかなと考えて、芸能を辞めて、芸事が何もなくなって、そのあと私に何が残るのだろうと思った時に、男にすがって生きるしかないのかな?   芸能人を辞めて、その時、相手もいない最悪の状態だったら、また親に頼って生きなきゃいけない。そんな格好悪いことしたくないなと思って。   元々小学生の頃からビックスターになるという夢があって(笑)プラス、「人にありがとうと言われる仕事をしたい」っていうのもあったので、芸能活動以外で何かやりたいことがないか考えた。   モデルをやっていたので、服をたくさん持っていて、自分のクローゼットに入らない服を処分するか保存する場所として、貸出クローゼットみたいなビジネスを思いついたんだけど、それは既にあったんだよね。   既にあるものをやってもしょうがないし、そもそもつまらないなと思って、いろいろ考えた時に、自分が欲しいもので、他の人も欲しいなと思うようなものを作りたいと。そこで、自分って下着は海外に行った時にしか買わないなっていうのに気づいて。毎日着けるものなのに、海外に行った時にしか買えないのは、日本には胸のサイズが大きい人向けの下着の選択肢が少ないからだなって。 そう感じている人はたくさんいると思って、「下着作ろう、ないなら作ろう」っていう感じで。そもそも日本の下着メーカーさんの下着は着たくなかったんだよね。可愛いと思える下着が少ないし、ちょっと高くて。     「ivyy」のコンセプトのひとつは「買える値段でかわいいもの」。私と同じ年代ぐらい、20代の人でも買えるぐらいの値段設定にしたくて、原価から考えるとあり得ない値段設定にしてる。   海外には、かわいい下着がいっぱいあるし、選択肢がたくさんあって楽しいし、なんで日本にはないんだろうって。そういう女の子たちに選択肢を増やしたいっていうのでivyyをはじめたんだよね。   ―どんなことやってるの?   原田:ほぼすべての工程を自分でやってるよ。   ただ、デザインのパターン起こしっていう、パターンを起こすところに関しては、ちゃんとプロの方にお願いして、形にしてもらってる。デザインとどういう素材を使うかとか、そういうのはパタンナーさんと相談しながら作って、それを工場の方にお願いする形。   パタンナーさんがいないと、この工程はできないけど、私もイメージでしか分からないから、、とりあえずサンプル作ってくださいとお願いしてる。自分のサイズで作ってもらって、着用感を大事にしたいから「ここがおかしいです」みたいに言うと、原因を一緒に考えて修正してくれる。いろいろな人に助けられてもらって、やっている感じ。1人でやっているとは言ってるけど、周りの人がいないとできない。     私はアパレル業界も知らないし、下着業界も知らないまま業界に飛こんだというところもあるんだけど、下着って、ストラップとカップ、レース、後ろのホック、ワイヤーを保護するワイヤーループとか副資材が多くて、1個作るのにだいぶお金がかかる。   だから工賃もすごく高いし、ロットを積まないと縫ってくれない。繊細なものだからお金はかかるのは仕方ないけど、安く売るってなると、だいぶ会社の規模が大きくならないと利益が出てこないっていう厳しい現状はあるよ。 ivyy(アイヴィー)のプロモーションはやっぱりインスタ?   ―売ってるところって、ネット通販だけ?   原田:基本はネット通販。ただネットだけだと商品の良さが伝わりづらかったり、サイズ感もわかりづらいから、不定期でイベントを開催して私がお客様に直接説明をしたり試着ができたりする機会を設けてる。   購入率は当然といえば当然だけど試着した人の方が高い。リアルで接触して試着して、その後購入までしてくれるとリピーターになってくれる人が多くて、リピーターの方は基本ネットで購入してるね。地道な活動だけど、リアルなコミュニケーションも行った結果、認知度も上がってきて、安定して売れるようになってきてる。     ―リアルな接触以外で、認知度を上げる仕掛けはどんなことをやってるの?   原田:広告が多いかな。主にinstagram広告(以下、インスタ)とFacebook広告かな。   インスタ広告が一番インプレッションがあって、ターゲットとかも絞れるし、拡散力でいったらTwitterの方があるけど、商品を見せるという場ではインスタが一番、世界観も伝えやすくて。   あとは、私のもう1つの仕事がタレント業で、「社長」としての露出が増えてきているかな。メディアに出演すると認知度が上がって、インスタやTwitterのフォロワーがすごく増えるんだよね。やっぱり1番はテレビかな。すごい。サイトのアクセスもすごい延びる。みんな見てるよね、割と。   地道にポップアップストアに出店したり、百貨店でイベントに参加することも1つ認知度を上げるにはいい仕掛けとは思ってるけど、お金もかかる場合があるからivyyの認知度を上げるには私のタレント業を上手く絡めてPRしていく形が効率が良い。 芸能人より身近で親近感の湧く人   ―広告に芸能人を起用する?   原田:費用対効果を見ると芸能人より一般の方を起用させていただくことが多いかな。親近感がある人がよくて、加えてフォロワーが多い人。でもフォロワーが多いだけではダメで、やっぱり、いいね!やコメントが付いている人にお願いしてる。コメントみるのが一番大事。   フォロワー数が1万人以上いるのに、10人しかコメントが付いていないと、リアルなファンはついていないってこと。売りたい商品をPRしてもらって、購買まで繋げたいなら、フォロワー数より、コメント数が多い人の方が効果的。   広告予算をたくさんフォロワーを持っている人にドカンと使うんじゃなくて、コメントやいいね!が多い人たちをリストアップして、PRするのがいい。   ―やっぱりスタイルが良い人がいいのかな?   現実離れしていない身近に感じる、少し一般人寄りの体形が一番いいのかもしれない。自分(購入者)と比べてさほど遠くない、という距離感がいいかな。モデルさんよりも、親近感わく子のほうが今は売れるってこともあるし。     親近感っていっても外見クオリティはやっぱり大事で、自分がかわいいと思わない人から買おうとは思わないし、興味も湧かないから、外見クオリティも大切。きれいな子が載っていたほうが、こうなれるのかなって思ってもらえるし。   ―やっぱり見た目は大切ってことだよね。   うん。でも、外見クオリティの高い子って、立ち振る舞いから違うと思うんだよね。私は口が悪い方だけど、顔だけ良くても言葉遣いだったりとか、動きだったりとか、そういう所作が悪いと外見クオリティは高められないし、美女にはなれないと思う。   顔はぱっと見で美女だと思われないけど雰囲気がかわいい子で、所作が綺麗な子だったら美女って言われるかもしれない。やっぱり中身は大事かな。努力でちゃんと自分を磨いていないと、美女と言われないと思うし。努力していて諦めない子は外見クオリティを高めていけるんじゃないかな。   早々に諦めて、「自分にはこういうの似合わないし」とか、「努力しているのに」みたいに思っている子は性格も良くなくなっていく。荒んだ感じになっていっているなと思う。生まれながらに美女といわれる子も、向上心を持って努力をしないと女の子は輝けないよ。     ―宣伝してくれる人探すの大変じゃない?   原田:かなり大変だよ。インスタ見てるだけだと、何カップか分からない。だから、希望するカップサイズだと思われる人たちを集めてくれる方に頼んだり、周りのインフルエンサーの友達に頼んだりしてEカップ以上の人を探す。   「ivyy」の商品でいうと、女の子に対して女の子のファンがついていないと、効果的ではないんだよね。RIEKOちゃんみたいに女性のファンもついていて、女性からのコメントもついている、憧れの存在というか、「何の下着を着けているんですか」って質問される人じゃないと、認知度をあげるためのPR効果は薄いかな。   Iカップにサイズ展開増やした時、RIEKOちゃんに協力してもらったけど、費用対効果は、かなりある。RIEKOちゃんが上げてくれると、アクセス数もすごく増えるし、買ってくれる子も増えるので、RIEKOちゃんは女性から憧れの存在なんだなって思う。   ―実際「ivyy」で芸能人を使ったパターンと、一般の人を使ったバターンと両方試したことはある?   原田:あるよ。でも、胸が大きい子に特化しているので、芸能人となると、どうしてもグラビアアイドルの方になっちゃうんだよね。グラビアアイドルの方って男性のファンが多くて、認知度としては広がるけど、購入率としては一般の方のほうが費用対効果はあるのが現状かな。だからファン、フォロワーの男女比率層も考えてプロモーション依頼する人を決めてる。 「ivyy(アイヴィー)」の今後の作戦   ―「ivyy」の次の仕掛けは?   原田:新作からのモデルも私が主に広告塔になっていきたいと思っているんだけど、今までとは違うカテゴリの子にも協力してもらいたいなぁって思ってるの。   例えば、ゴーゴーダンサーの方に下着を着用してもらって、費用対効果はどれぐらいあるとか試してみたい。広告宣伝費使ったけど、全然リターンなかったですってなるかもしれないけど、それも1つの勉強だと思ってる。   今流行りのインスタやインフルエンサーマーケティングじゃなくて、原点に戻って手売りという手法もやってみたいと思ってる。商品に対する思いも話せるし、直接会って伝えたほうがやっぱり伝わりやすい。商品渡さなくてもチラシ作って、渡しながら説明するとか、いろいろなやり方があるかな。それはまだ模索中だね。         限定企画!「ニューアキンドセンター...

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  インターネットが普及していない時代、パソコンの使い方もわからなったひとりの建築士がネットショップを開店。ネットで「蟹」を売り、楽天市場で蟹ブームを起こした「北国からの贈り物」。 しかし、一大ブームを引き起こした北海道発の「インターネットの蟹屋さん」は、決して右肩上がりに成長したわけではありませんでした。10年間勤めていた建築設計事務所を辞めて始めた株式会社北国からの贈り物。 代表取締役社長「加藤敏明」氏にこれまでの歴史を交えながら、商売の難しさ厳しさのお話を伺いました。 「北国からの贈り物」立ち上げた、けど売れない   -最初から売れました?   加藤社長:最初は建築設計事務所で働きながらネットショップをはじめました。まぁ、案の定全然売れなかったですね。オープンして1カ月後にようやく1件、初めて注文がありました。ネットショップしている方なら誰でも経験があると思うんですが、初めて注文来たとき「本当に注文がくるものなんだ」と驚きました。東京のお客様から毛蟹を1尾注文もらって、それを届けたんですよ。   1年位やって月に10件程度は注文が入るようになって、リピーターさんも増えてきたので、いよいよ勝負を賭けようと楽天市場に出店したんです。当時は楽天市場に出店するには初期費用30万円を払わないとダメなのですが、今まで貯めた貯金を切り崩して出店しました。僕が32歳位の頃で収入も多くなかったので、勝負ですよね。   実際楽天市場に出店してみたら、なんと11月12月の売り上げが400万円程度。11月12月がちょうど蟹の売れるシーズンだったというのもあるのですが、これだけ売れるならいけるぞと、改めて確信して妻と会社とも相談して会社を辞めることになりました。98年にネットショップを始めて2000年の4月に独立して、蟹屋の店長さんとして「北国からの贈り物」という会社を立ち上げました。     ―よくご家族が独立を認めましたね。   加藤社長:家族の説得はかなり苦労しました。子供が2人目産まれたタイミングで会社辞めたので、妻や妻の両親からは会社辞めるなんてどういうことだと、詰められました。会社辞めて何するんだと言われて、インターネットで蟹売るんですと説明しても、何だインターネットって、蟹売るのかって険悪で、妻からは「建築家のあなたと結婚したのであって蟹屋のあなたと結婚したわけじゃないわ」、みたいな話もされて・・・でも「俺はこれで生きて行くんだ、起業家として会社を大きくしていくんだ」、と話しても通じないわけですよ。   子供産まれたばかりでしたしね。その時僕が言ったのは、「不安な気持ちもわかるけど、これで俺生きてくと決めたから、やらせてくれ」って、その代わり月の売り上げが1千万にならなかったら、諦めて会社員に戻るから1年間やらせてくれっていう覚悟を伝えたんです。それでようやく納得してもらえました。   独立後は売り上げを上げる為にメルマガやページ作りを今まで出来なかった分、一生懸命やっていました。しかし、売り上げが上がらなかったんです。楽天広告も出したのですがそれでも売れなくて。というのも4月から6月って蟹の売れる時期ではなかったんですよ。蟹の売れる時期は10~12月なんですが、僕の中では12月までに月1千万の売上げが目標だったので、もっと売らなくては月に最低100万円売らなくてはという意気込みでメルマガを書いて、サイトのページも作って。広告を買うほど売り上げが下がってくるので、5千円だったタラバガニをセールで3千円や3割引で出すようになりました。   注文0の日が続く   加藤社長:そうすると、いよいよアクセスもなくなって最後は注文0の日が1週間続いた事が楽天でありましたね。その時は楽天の担当に電話して、「今まで注文が来ていたのに1週間注文が来ないなんて、おかしいじゃないか楽天のシステムが壊れているんじゃないか」と聞いたんです。そしたら「お調べします」と言われて、3分後に楽天の担当者から注文メールが来て、「今テスト注文しましたけどどうですか」と。壊れてなかったんですよ。ただ単に、「売れていない」だけでした。   売り上げ0の日が続くというのは今思い出しても、恐ろしいことですよ。これから子供2人育てていくのに売り上げ1週間無いけどどうしよう、と悩みましたね。   そこで売り上げが上がらない理由を考え抜きました。その時初めて、自分が売り上げ上げたいから商品安く売ったり、メルマガ出してセールしたりしていたけど、お客さんの立場は違うと気付いたんですね。   お客さんってどういう時に蟹が欲しいんだろうと考えて、それは誕生日や家族が集まる時、年末のお歳暮のシーズンに贈ったり、年越し蕎麦とかお正月に食べたりとか、晴れの舞台だったりするから、こっちが売りたいと思っても、お客さんの都合もあるから無理だなと気がついたんです。   それで焦るのをやめて、12月までに目標達成すればいいから、それまでは売ることよりも自分がどうしてこの商売を始めたのか、うちの商品はどうやって食べたら美味しいのか、自分の商売に対する思いを12月までお客さんに伝えようと今までとは間逆のスタンスで、売れなくてもいい、ただ商品のことを伝えたり、自分の思いや会社がどんなことやっているのかを伝えることに集中しようと思ったんですよ。   売ることよりも、インターネットを通じて商品をお客さんに知ってもらうことが大事だと切り替えて、リラックスしながらメルマガ書いて子育てして。メルマガの内容も商売寄りの内容から切り替えて、今日は子供達とお風呂はいったとか、下の子が寝返りうったとか、上の子がこんな言葉を喋ったという話を書いてみたんです。   そうするとお客さんから、メルマガほのぼのしてていいよね、うちも同じぐらいの子供がいて苦労わかるよ店長さん、とメールがきたんですよね。あとは子育てが終わった僕より上の世代の人達からも、俺にも私にも子育て苦労した時期があった、そんな問い合わせメールがくるようになって。   そうするとついでに「お薦めの商品は何ですか?」と聞かれるんですね。ページを見たらタラバガニがあるけど、「この商品はどうやって食べるのか」と、商品の質問も一緒にくるんですよ。「このタラバはボイルしてあるので、届いたら直ぐに食べられますよ」と、やりとりしていると注文が増え始めてきました。そういったお客さんとの素のコミュニケーションや、あとは蟹の仕入れ日記のようなものをメルマガでやっていると、それを見てお客さんが、面白そうだと安心して注文してくれたりしました。そうして7~9月に少しずつ注文が増えてきたって言うのが、商売面白いなっと思った時のステージでしたね。   ―半年位は何もなくて、きつかったと思いますが、やはり大事なことはファン作りですか?   加藤社長:ファン作りですね。お店をはじめると、どうしても肩に力が入って、これだけ売り上げ目標ってなるじゃないですか。そうしてプッシュするとやはりお客さんも引いてしまうんですよね。余裕を持つというか、信頼関係を作るとか、どんな商売でも一緒です。売りたいから安売り、はやっぱりダメですね。時代は違うけどそう言った商売の根幹は、今も同じだと思っています。 ワケありカニに火がついて蟹ブームに   ーその後、楽天市場で蟹ブームを作られたと思うのですが、その時の話を教えてください   加藤社長:当時はタラバガニの姿とか、立派な蟹が贈り物で売れるんですよね。でも、中には仕入れると足が1本折れたり黒ずんでる商品も出て来るんですよ。折れていたり黒ずんでいるだけで、中身は変わらない。どんどん注文が増えてきて仕入れが増えると、その内の2杯3杯は足折れの蟹が出て来たので、そういったものはギフト商品としては売らず、ワケあり蟹で半額で売りました。そしたらそれが人気になった。いわゆる「ワケあり商品」ですね。ワケあり商品はうちがはしりなんです。   最初はワケあり商品の蟹を買って、美味しかったから今度は贈答用に綺麗な蟹を買う、というお客さんが増えてきたんです。北国の商品は安くて美味いし、贈答にも使えると注文が増えて、12月には売り上げが、2千万円まで増えたんです。始めてから1年くらいの話ですが、びっくりするぐらい売れて、半端なかったですね。楽天もビックリ、僕もビックリしました。   ―2千万円はすごいですね。   加藤社長:売上の要因の一つは、ファンが増えていたからだと思います。僕はメルマガ書くのが好きでしたから、どうしたら沢山の人に読んでもらえるかを考えて、メルマガの中に自分の家族ネタやクイズを入れたり、メルマガ購読者向けのプレゼント提供や、色々な企画やオークションをして会員を増やしたんですね。その時のメルマガ会員は1万人位いたんですけど、そのお客様が年末に購入してくれたということですね。   加藤社長:自分の中ではメルマガ会員を10万人集めた段階でパートスタッフ雇用して組織としてやろうと思っていました。10万人会員あれば商売になるだろうって自分の中で思ったんですよ。メルマガ会員を10万人にするまで1年位かかりましたね。   翌年、メルマガ会員が10万人になったのでアルバイトスタッフ採用して3人位でやり始めました。売り上げが2億3億になって、毎年1.5から2倍位売り上げが伸びていく楽しい時代でしたね。その3年後にYahoo!オークションに出店しました。ずっと1人だったので今までは1店舗しか見きれませんでしたけど、売り上げは増えてメルマガ会員も増えてきたので、1店舗1店長制で多店舗展開をやっていくと、また売り上げが伸びてきてという循環を作る事ができました。   まずはワケあり商品を買っていただいて、今度はギフトで買っていただく、というリピーターのお客様が増えて、お客様単価も高くなっていきました。売上が上がっていくのはいいのですが、受注がパンクしましてね。   1年間積み上げてきたお客様が年末に爆発して、受注業務がパンクしたり、人が足りなくなったり、出荷場がパンクしたり、ものが売れすぎて無くなったり・・・毎年何かしらの試練があってそれを乗り越えながら何とかやっていました。   初期の楽天RMSは月50万円程度しか売れる想定をしていない仕組みだったので、受注処理がすごい大変だったんですよ。僕もやっていましたが1日300件注文がきて、それを手作業で1件1件メールを書いて、3日間で合計3~4時間しか寝れないような状況で商売をやっていました。1月の繁忙期が終わった時に、すごく嬉しかったんだけど死ぬかと思ったんですよ。今回はトラブルもなくお客さんに迷惑もかけず商品届けられて良かったけど、受注業務を効率化しないと翌年はこの3倍注文がくるから間違いなく死ぬと思ったんですよ。   当時はネットショップの一元管理システムもなかったので、ネットショップの受注業務を管理するシステムを自前で作って、翌年の12月にはそれを活用しながら乗り越えました。   当時はネットショップで爆発的に売れる事を想定したインフラが無かったんです。楽天市場でさえ、受注ソフトも物流の考え方もありませんでした。 それを1つ1つ、無いものは作ろうと受注管理システムを作って、バックヤードも倉庫さんと相談して何回かパンクしながらその度にやり直して整備しました。 よかれと思った「安売り」で3年売上が伸び悩む   ―これは失敗したな、というお話はありますか。   加藤社長:そうですね、結構あります。リーマンショックの頃なんですが、確か2008年9月位でこれから蟹のシーズンだぞという時にリーマンショックが起こったので、蟹も3億位仕入れていたのに、景気が下がったので例年に比べて3割位落ちましたね。蟹はグルメの中でも高い商品だったので、買わない人が多かったんだと思います。   これは大変なことになるなと、広告を出してもメルマガで商品を紹介しても、売れなかった。お客様も12月にボーナスが出るかわからない状態で、贅沢に高価な蟹は買えない、と買い控えている状況だったんですよね。自分もそうでしたしね。11月後半にもう今年は世の中的に仕方がないから、利益を諦めようと決断しました。景気悪いけど、でもお客さん蟹食べたいよねって事で、思いっきり安売りしたんです。   リーマンショックで景気がすごい悪くなったけど、年に1度楽しみにしているお客さんもいて、ずっと買ってもらっているお客さんに買ってもらえない方が寂しいと思ったので、原価でもいいから、食べて欲しいなって思いでメッセージを書いて販売したんです。   今年はこういう時勢で景気も悪いし、毎年買っているお客さんに食べてもらいたいので赤字覚悟で販売するので良かったら年末蟹食べて、今年は楽しかった話題も少なかったけど最後に蟹食べてハッピーになろう、とメルマガを出したんです。それで一気に売れて、昨年の1.3倍売れたんです。利益を諦めてもお客さんに買ってもらえれば翌年に繋がるし、僕の中では年に1度のお客さんとのご縁を繋げたと安堵感と達成感があって、お客さんにしても例年よりも安く蟹が買えたという喜びもあったと思います。   1年に1度の書き入れ時の12月から2月まで安売りしたので、経営的なダメージは大きくてですね。あの時は良かれと思ったけど、1度安売りをするとなかなか値段も戻らないし、安売りのしすぎも失敗したなと思ったのは終わった後ですね。景気が普通の時に安売りをしたのではなく、景気が下がっている中での安売りをしてしまったので、戻そうと思ったものが戻せなかったと、そこを読みきれなかったところもあるし、通常の時とは違う状況だったと不可効力だったという思いもありながら、安売りしないと売り上げも上がらないという状況が2008年から2010年まで続きました。   ―その翌年も安売りしたんですか?   加藤社長:価格のプライスリーダーになってしまったので、他の蟹屋さんも引きずられて、蟹を安くしないと売れなくなってしまったんです。どこかのタイミングで価格を戻すところはあったのかもしれないけど、戻しきれなかったのが自分の中でありましてね。2010年の後半から仕入価格を工夫して、値段も上げながら利益率も元に戻すようにしました。結果的には2010年の12月は良い数字が取れたんです。   ー今は蟹以外も色々と販売されていますが、どのタイミングで商材を広げたのでしょうか。   加藤社長:2011年の震災がきっかけですね。あの時はどこも厳しかったと思いますが、蟹屋も相当厳しかったと思います。祭り事が一切ダメみたいな風潮になりましたよね。単価の高いものが売れなくなってですね、半年位売り上げ半分に下がりました。   その時は・・・本当にしんどかったですね。4月~6月売り上げが下がる時期だったのですが、そこは生きてく為に仕方ないと色々なものを売りました。北海道の水を売ったり、カンパンを売ったり、北海道の商材で被災地向けの常温商品増やして売っていこうと、色々なメーカーさん、取引先を増やしてあらゆる商品を売りながら、今どんなものがお客さんに求められているのだろうと商材を増やした時期でしたね。   ―それがきっかけで、今の形があるんですね。   加藤社長:商材を増やすタイミングで、「北国からの贈り物」は何屋なのか、僕達の売りたいものは何だと改めて話合いしまして、蟹をメインにしながら売って、北海道色を強くした北海道の美味しい物をもっと広げて売っていこうと決めました。 「北国からの贈り物」というブランドはどうあるべきかを考えて、見直しながら今に至っています。   「北国からの贈り物」で北海道を活性化する   ーしかしネットショップが全くない時期に建築士を辞めてネットショップを始めるなんて、よく奥様が了解しましたね。   加藤社長:その時は了解していないんですがね。会社を辞めて、その年の12月に僕がずっと働いて3日で3時間しか寝ていないのを分かっていて、「そんなに無理してどうするの」って、最後に手伝ってくれたんですよ。それまではずっと独立に反対だったから、声も掛けてくれないし、手伝ってくれることもありませんでした。12月の10日過ぎたぐらいかな、もう死ぬかと思うくらいヘロヘロになっていたら、そこで手伝ってくれて。   「そんなに頑張ってどうするの」と声掛けてくれて「死んじゃうよ、あなた」と。その時、妻に「大変で死にそうなんだけど見てくれ、こんなにお客さんから注文が来ているんだ」といって初めて売上を見せたんです。「約束しただろう、もうすぐ1千万円超えるんだ。お前との約束はこれで果せるから、これで我家は安泰だ、ようやく売り上げも上がってお客さんもこれだけ来ているから、これから先は子供達を育てていけるから安心して」と僕も泣きながら本音で話したんです。   妻も「分かっている」と、「出来ることがあったら手伝う」と言ってくれて、2人で夜中にFAX送ったり紙切ったり、パソコン使えませんでしたからね。手作業の部分を手伝ってもらいながら乗り切りました。妻には感謝というか苦労ばかりかけているんですよ。(笑)   ー最後に一言お願いします。   僕の中では、軸が今でも建築家なんですよ。事業を始めたきっかけが北海道の経済の活性化というところで、僕の中ではもともとそれを建築家としてやりたかったんです。ネットの事業で北海道の魅力ある商品を日本全国、世界へ届ける中で自分も経営者として起業家として雇用して、収益上げて地域社会へ貢献して、町が良くなって北海道が良くなっていく、というのが僕のゴールです。蟹屋って小売をやる楽しみがあるし、海外でやる楽しみもあって、苦労も多いけど1個1個をすごく楽しみながらチャレンジしています。   続けているとお客さんもついてくるし、販売の仕方も分かって来る。商売って継続なんですよね。     ...

  通勤時間、無駄だと思いませんか。 というか、あの時間って会社のための時間なのに、給料は発生していないんですよね。どういう事ですか!   すみません。突然熱くなってしまって。 しかし片道2時間の通勤中、ふと「何だこの時間は」と思ってしまったんです。しかも毎日のように電車遅延するし、すし詰め状態の満員電車だし、お腹の調子は悪いし。そしてふと、「毎日何やってるんだ!」と思ってしまったんです。   度々すみません。 しかしみなさん、在宅勤務とかリモートワークとか、通勤時間の存在しない働き方がしたいと思いませんか。毎日頑張って会社に出社している企業戦士のみなさんなら、一度はリモートワークという働き方を夢見たことがあるはずです。   わざわざ会社に行かなくても自宅やカフェ、海でも川でも山でも正直どこでも仕事はできる!リモートワークさせて欲しい!   とは言いつつも実際リモートワークって、しっかり仕事できるのかわからない・・・。リモートワークだと部下やチームメンバーの顔が見えないし、サボってる可能性もある・・・。対面じゃない分、相手とのコミュニケーションが上手くいかなくて仕事しずらいかも・・・。   なんか不安や疑問など懸念材料ばかり出てきますね。そんな中、Hamee株式会社の開発部約30名が一斉にリモートワークを実践したようです。2週間以上前に開催の旨を告知して、Wi-Fi環境や問題があった時に集まれる場所等、考えうる最低限の準備をした上で実施されたそうです。   その内、はじめてリモートワークを実践した方と既に週1リモートワーク中のエンジニア2名にお話を伺いました。       ▼リモートワーク初めて!マドンナエンジニア:甲斐氏の場合 ▼週1でリモートワーク。ハブられてるわけではないエンジニア:瀬尾氏の場合 ▼リモートワーク全面導入!ソニックガーデン代表取締役:倉貫義人氏の評価       集中力と作業効率は通常の2倍。甲斐愛佳氏の場合 ▲甲斐愛佳氏...

  フェリス女学院出身のお嬢様芸人で「お笑い界の池上彰」を目指すたかまつなな氏。   正真正銘の箱入り娘で、お嬢様。なんといっても家系に驚く。ご先祖が新宿を開拓した高松嘉六氏、曾祖父は東京ガス社長で日本工業化学界の元老・高松豊吉氏。   まさにお嬢様。   お嬢様芸人「たかまつなな」氏は芸能活動をする一方、慶應義塾大学大学院政策メディア研究科と東京大学大学院情報学環教育部に通い、学業にも励んでいる。さらに、18歳選挙権導入をきっかけに、株式会社笑下村塾を設立。代表取締役として会社を経営し、講演会やシンポジウム、ワークショップ、イベントなどを手掛けており、社長「たかまつなな」という顔も持ち合わせている。   「芸人」「学生」「社長」「ジャーナリスト」   何不自由無い生活を送っているのだろうと思いきや、クラウンドファンディングで学費を集めていた。彼女は一体何者なのか、「お笑い界の池上彰」とは何なのか、「お笑いを通して社会問題を発信したい?」、いろんな疑問を伺うべく、本人に直接会って話を伺った。 「たかまつなな」についての素朴な疑問   - 学生?芸人?社長?ジャーナリスト?メインは何をやられているのでしょうか?   たかまつなな氏:そうですね。全部メインといえばメインです。あまりガッツリ自分がココだ、とか、ここにいたいんだって、思わないようにしています。両立といえば両立をしています。   平日は毎日、大学に通っています。東大の方は夜の授業が多いです。TVの収録や講演会、出張授業、お笑いライブなどの仕事が入ったりしますが、ギリギリまで授業を受けてTVの入り時間をちょっとだけ遅らせてもらったりしてうまくやっています。   - なぜ2つ、東大と慶応両方行かれているのですか?   たかまつなな氏:慶応でいくつか勉強したいことがあって、メディアと教職など。教職を取りながら、メディアのことを勉強をするということが慶応は結構厳しくて。私が通っている藤沢キャンパスだと、メディアというと報道ではなく、プログラミングやインターネットが多いんです。   どうしたら勉強できるかなって考えていて、三田の方にメディアコミュニケーション研究所に話を聞きにいったのですが、教職課程と並行するのは難しいと言われました。どうしようか考えていたのですが、大学3年生の時に、教職の単位をほとんど取り終わっていました。あと1年、何か勉強ができると思い、学部4年生の時から慶応と東大のダブルスクールを始めました。   -...

最近、起業家が少ないという声をよく耳にします。   5年で85%は倒産するということも聞いたことがあります。しかし、失敗のことばかり考えて、チャレンジしないというのも何か違う。やりたいことがあるならどんどん自分で事業を興して、商売をはじめればいいという考えもあるわけです。自分が挑戦したいこと、成し遂げたい夢があれば人は起業という選択をすることができるのです。   そんな起業に関する情報を見聞きしていた時、「横路一樹」という男と知り合い、話を聞くことになったのです。彼は22歳で自分の店を持ち、一度は事業売却という形を取ったが、大きな志を抱き2回目の起業をした、かなりチャレンジングな起業家でした。 リアル店舗ではじめたブランド古着のリサイクルビジネス   -1回目の起業は何をやられていたのですか?   横路氏:最初、大学を中退し学生時代から始めていた衣料品のネット販売と卸業、ブランド古着のリサイクル事業を個人事業として横浜でスタートさせました。最初のチャレンジは22歳で名古屋の駅前のファッションビル内のテナントでお店を出すチャンスが訪れて、思いきってやってみたのです。その後、拠点を横浜から恵比寿に移し、24歳の時に有限会社を資本金300万円で設立しました。   同時期に新潟大学を卒業してフリーターをしていたスニーカーマニアの仲間と買取リサイクルのブランド古着「DIGRAG(ディグラグ)」を2003年6月にOPENさせました。市内で一番のメインストリート一階路面店でサーフショップの居ぬき物件を見つけ、直感で『これはいける!』と感じ、すぐに物件取得の保証金を用意して、物件を抑えたのを覚えています。   このお店は敢えて内装を作っている様子をフルオープンにして、商店街を通る一般の方に見せた状態にして『なにができるんだろ!?』という期待感を煽ったりもしました。地元に根付いているファッション情報誌『Pas magazine』に開店前の月と開店月の2回ドカンとTOPページに広告をだす戦略が功を奏してOPEN時には大行列でした。スタートした土日2日間で300万円近くの売上を達成して、立ち上げた自分たちが一番びっくりしました。   内装は一緒に立ち上げた仲間の新潟大学繋がりで、建築学部出身の人物に店舗内装なんかやったこと無いのに、内装イメージの模型を作ってもらいました。郊外の大型ホームセンターで資材を調達し、その彼を中心に自分達で床張りから什器作成など全て作りましたね。 50坪のお店の内装費用はその彼への報酬と材料費を合わせても100万円以内と言う内装業者からしたら信じられない価格で立ち上げたのは今でも自慢できると思います。   商品は、今では古着といったらブランド品のリサイクルが主流ですが、当時はまだアメカジ古着がまだ全盛でした。僕が18歳からフリマで商売を始めてずっと得意としていた『ブランド古着』で全ていくことにして、当時まだ大人気だった裏原宿系やストリート系、モード系など何が今一番売れるかを我武者羅に追求していってましたね。 限界を感じたリアル店舗ビジネス 横路氏:元々バスケットを中学高校と部活でやっていて、バッシュやスニーカー好きが影響してファッションに目覚めた感じです。商売にハマっていったきっかけが、スニーカーを自分の目利きで購入して、それが雑誌にプレミアム価格で載っていたりするだけでとても興奮していました。   18歳から代々木公園のフリーマーケットから商売をはじめて、雑誌に広告をだして通信販売、当時まだ始まったばかりのヤフオク!を使ったネット通販、全国の小売店への卸業、ドメスティックブランド(国内ブランド)の代理店を20歳そこそこの若造がやっていました。   22歳からは実店舗を立ち上げて6店舗まで広げ、同時に東京の恵比寿でドメスティックブランド(国内ブランド)を展開していってMAXで年商2億8000万円程まで会社を成長させていきました。   一度も会社勤めをしたことが無く、ビギナーズラック的な成功が続き順風満帆で、運転資金も特に困ったことはありませんでした。その中でブランドを立ち上げて、WRATTLE(ラトル)と言うブランドの生産を国内のショーロット生産から商社を通じて大きな資金の枠を確保してもらいました。調子に乗って中国生産に切り替えていったのですが深く考えていなかった戦略が思いっきり裏目に出てしまいました。。。   徐々に過剰在庫が増えていき、最終的にブランドを完全に閉鎖し、在庫を二束三文で知り合いの業者に全て買ってもらいました。事業を撤退したときのブランド事業の負債が約5000万円ほどに膨れていました。ブランドリサイクルの古着ビジネスを地道にコツコツ続けて大きな利益を出していたので、なんとか持ち直し、会社の倒産まではしないで済みました。   —その5千万円の負債を抱えたとき、在庫不良が原因ですか?   横路氏:そうでうすね。売れないアイテムを無理に作り過ぎたのが原因ですね。国内の小ロットで展示会の受注発注で在庫リスクを無くしていくのではなく、海外生産って1枚単価はグっと安くなるんですがロットを積まなくてはいけないんです。   スウェット、パーカー各5色で○百万円、ジャケット3型で○百万円、パンツ、鞄・・・とアイテムが増えるだけ金額が増えていき、あっと言う間に何千万円っていっちゃうんですよ。   ブランドを立ち上げて大きく展開するって金銭面もそうですが、やらなくてはいけないことが果てしないくらいあって、正直もう一度やりたいか?と言われても『1億円無くす気があったらブランド展開も有りだと思います!』と言えますね。   でもファッションの業界にいるとやっぱり自分でブランドを立ち上げて成功させたくなっちゃうんですよね。   今考えてもよく会社を倒産させずに残って、連鎖で個人的にも自己破産しなかったなと思います。当時、僕が恵比寿でブランドをやっていた時に、新潟、長岡、上越で僕が立ち上げたお店を堅実に運営し、利益を出して会社を支えてくれていたメンバーには感謝の言葉しか言えません。衣料品の買取リサイクル事業というドル箱を地方都市で地道にやっていたから、なんとかなったと思います。   —5千万円の負債を抱えたけども、なんとかなるなっていう心境ですか?   横路氏:そうですね。在庫を全て処分し、ブランド事業を全て清算し、中途半端ではなく損切りできたのが良かったですね。あのままズルズルやっていたらと思うと。。。そして調子がよく確実に利益を出していた買取ブランドリサイクルの事業に経営資源をすべて注力できたのが良かったと思います。   その後、私個人は自社ブランドに投資していた自分の時間を株の勉強に費やすようになります。朝から株式相場に張り付き、モニター8台並べてデイトレードをやっていました。それが20代後半ですね。   自分が18歳から商売をはじめて会社を作り、中小企業をなんとか運営していく中で自分の事業の限界を感じ、一度すべてリセットすることを決心したんです。最終的には外部コンサルとして僕を支えてくれていた今でも縁が深いパートナーに新潟での店舗5店舗と東京のネット販売事業部を売却したのが30歳の時でした。その当時はまだトータルで月商2千万円はありましたので年商2億5千万円ほどを全て売却したのです。   自分の中であと10年頑張って40歳の時にどう考えても年商のMAX10億円にたどり着くかどうか。株など経済を勉強していく中でIT企業で自分よりも後から事業をスタートさせた起業家が成功を収め時価総額10億、100億と成長させていくスピードを見ていく中でリアル店舗商売の限界を感じてしまったのですね。   ただ幸いなことに僕が事業を売却してからもう8年が過ぎているのですが、立ち上げた新潟の『DIGRAG』も現在も4店舗続いています。本店の古町店に関しては15年目、東京のネット販売の事業部もネットだけでなくリアル買い取り店舗もオープンし、楽天での店舗もスタートさせ売上が安定している状態です。   僕が立ち上げた店舗と事業部、そして自分が引っ張って育てたメンバーがまだ頑張っていてくれてることが誇りです。 リアル店舗は持たない。2回目の起業   —事業売却後は何をされていたのですか?   横路氏:古着屋リサイクルビジネスを売却した後、「快適トレイナビ」という食べログとトイレ版の口コミサイトをやろうとして、東大生のプログラマーを紹介してもらい、一緒に立ち上げようとしました。私自身がIT/Web業界にいたわけではないので立ち上げの経験がなく、優秀なプログラマーの彼をうまく活かすことができず、結局サービスは立ち上がらないで頓挫しました。   お店や洋服は作ってきたのだけれど、IT/Webサービスを作る経験は全く無く、IT/Webの世界をあまり知らない自分では、宝の持ち腐れでした。優秀な人材がいても、活かしきれなかった。今思うと苦い失敗ですがそれが今に確実に生きています。   もう失敗経験なんて腐るほどありますね。あと、パンとスイーツの事業で5年で100店舗、年商100億円の事業プランを計画し上場企業に提案をしにいったりもしましたね。   代表取締役と書かれた名刺持っている人でたまに思うことがあって、代表取締役と書かれていても自分一人の会社では厳密に言ったら代表じゃなくない?会社って2人以上いて代表だよね。そんな風に思ってしまいます。   月給をちゃんと払っている社員が1人でもいるってことは、その人と家族の人生を背負っているってことなので、僕的にはとってもリスペクトなのです。有限会社の名刺を持っていたら、15年前、20年前から商売やっているんですか!すごいですね!って僕はなります。今は会社を1円で作れてしまいますし、実態はなくても名乗ったもの勝ちで、CEOや代表取締役も経験した自分にとっては逆になんか薄いなぁと思ってしまいます。   昔は僕も代表やってるぜとか、代表取締役という響きに酔いしれたり、ブランドをやっていたときも恵比寿に事務所を構えて格好つけてたんですよ。その気持もすごく分かるのですが、今は一度経験して通ってきたので、正直そこには全くこだわらないですね。固定の事務所もリモートワークで仕事もできますし今はいらないと思ってます。   資金調達もIT/Webの方たちは最初から念頭にあり、まず事業を回ることよりも先に調達することを考えている方が多いように思います。僕は幸いとしてIT/Web業界にずっといたわけではなく真逆のリアル店舗商売からスタートしてきたので、そのような感覚がないのです。基本的に物を安く仕入れて、利益を乗せて売る。差額が利益で現金を回す商売をやってきたので、まだ商売が回っていない段階で人様にお金を投資してもらって商売するって感覚がありません。   まず現金ありきというか、自らお金を作る、回すということを意識しています。お金ないんだったら徹底的にお金かけないんですよ。 ファッションアテンダント 僕が現在運営しているサービスが「ファッションアテンダント」というサービスになるのですが、実はサービスを正式スタートさせてから2年半近く経つのですが、今でも月の固定費はサーバー代が月額1,500円弱、事務所としている場所も神宮前にあるファッション関係者が利用するコワーキングスペースの月額利用料の1万円弱のみです。   売上がまだ回っていないので徹底的にお金かけてないんですよ。関わるメンバーのほとんどが月~金の本業をちゃんと持っています。有志メンバーによる開発、グロースの施策を行っています。(一部クラウドソーシングを使って報酬を払いアウトソースもしています)   お金ないんだったら、無いなりにやるんです。無いなら、無いなりに試行錯誤してどうにかするんですよね。不思議と人って、努力するんですよね。元々、僕の商売が安く仕入れて、なるべく高く売って現金化するリサイクルの商売から入っているので、そういったコスト意識は特に敏感で人一倍厳しいと思います。まずお金は無いものと思ってなんでもするのを心掛けています。   今仕掛けているファッションアテンダントは20代ずっとやってきた「形ある物を売るのではなく、目に見えない人の経験と時間を売る。」サービスなのです。僕自身が、『物バイヤーから人バイヤー』に完全に変化しています。   ローンチまでの苦労   ローンチするまでは、ほんと大変でしたね。最初に構想を思い浮かんでやるぞ!!と決めてから1年半近くかかりました。   最初、僕の頭に描くマッチングサービスに興味があるIT企業でバリバリ働く優秀なメンバー10人ほどを集めてミーティングしたんですよ。今思べばよく集まったなぐらいなメンバーでしたね。そしたら、みんなが自分の理想を好き勝手言い出すんですよね。   フレームワークを組んで、サービスをゼロから設計し、それを実際に形にしていくエンジニアを各チームに振り分けていきました。しかし全員が完全ボランティアの有志の集まりで、1人のモチベーションが下がって進行が遅れると全員のモチベーションが下がっていく負の連鎖が起こったんです。   1人フェードアウトしていくと開発が2ヶ月3ヶ月と遅れ、どんどん空中分解していくんですよね。1年半たってもサービスはテスト版しか立ち上がらず、という状況でした。   最終的には元々の私の知り合いで、飲食店や中小企業、美容院等のサイト制作をしていたWebデザイナーの方がWordPressのECサイトの仕組みを使い、1ヶ月半で今まで作ったものを組み込んでサービスローンチできる状態まで持っていってくれました。今でもその土台を改善していきながら運営しています。   『Rubyならやりたいです!』『Pythonで開発しましょう!』と声を上げていた優秀なメンバーの集まりは今となっては何だったんだろうか?!と言った感じですよね。   その経験からいくら優秀なメンバーを集めたとしてもゼロ~1のサービス立ち上げることは難しい。結局のところ「やる!」と言ったら途中で投げ出さない有言実行できるメンバー少数でいい。関わるメンバーが『どれだけ自分事で考えられるか?!』に尽きると身を持って学ぶことができました。   夢の事業に挑戦している最中   現状、ファッションアテンダントの売上は専業で関わるメンバーを1人雇い入れるだけの売上も無い状態です。   『人の経験と知見、センスと時間は買うべきだ!』 『目に見えない経験とセンスに価値をつけて、個人の時間を売るという新しい価値観のサービス』   こんな突拍子もない発想と考えが一般の方まで浸透させていくのはとても時間がかかると思っています。だって今までセンスと言う、良くわからない、目に見えない価値に明確な貨幣価値をつけようとした人物がいなかったのですから。地道にコツコツと普及させていくしか無いと思っています。   僕は目の前の木だけを見ているのでもなく、木々が集まる森でもなく、その先の町や都市、大陸を見ているつもりです。5年後、10年後は人の価値観はこうなっていると。   その時にはきっと物だけでなく、『人の経験と知見、センスと時間は買うべきだ!』という目に見えない体験にもお金を出すのが当たり前の世界になっていると考えています。僕の壮大な夢なんですよ。新しい価値観を作るという夢と野望なのでコツコツと地道にやっていくしかないんです。今や時価総額3兆円規模になっている民泊で話題のAirbnbのように。   しかし利用者が中々、思っていたように増えない中で地道にやっているのですが光も見えてくるんですよね。構想から4年もやっていると。実際にサービスをローンチして、2年も特に大きなトラブルなく地道に運営していると、思わぬところから面白い話が飛び込んできたりと日々ワクワクする何か?が生まれる予感がしますね。   商売をするなら、失敗を恐れちゃダメ   サービスを立ち上げるのはなんとか出来たりするんです。そこをクリアして地道にお金を払って利用してくれる方を増やしながら我慢比べのように継続していくことはもっともっと大変なんです。   あと恋愛もそうですが、ビジネスもチャレンジからの失敗をしないと駄目だと思います。みんな失敗を怖がり過ぎている。失敗が怖くてチャンスかもしれないのに飛び込めない。でもその失敗を最低限のリスクにするっていうのを徹底しないといけないですよね。誰もがそうかもしれませんが、今まで生きてきた中での小さなプライドがやっぱりみんなあるんですよね。   僕もこの歳までに極力そぎ落としてきたつもりですが、小さなプライドを完全に捨てきっている謙虚で素直な人にはやっぱり勝てないですよね。   まあ失敗を失敗と思わない。不真面目じゃないが真面目過ぎない。そんなメンタルの強さがとても大事なんじゃないかと思っています。逆に僕は失敗をラッキーぐらいの感じでとっています。無傷でリスクを抱えずに失敗させてくれるんだったら、喜んで、何度でも失敗したいですもん。失敗したもん勝ちですよ。   日本は守り文化、右へならえ、など周りのみんなと一緒が良しとする文化ですよね。それって本当にいいのかなぁ、と強く思っています。新しいチャレンジを成功させるなら、失敗を恐れちゃダメなんですよ。   僕は自分がまず第一歩を踏み出して、旗を立てて、新しい価値観、面白い事業を作っていくことにブレずに突き進んでいるつもりでいます。しかし周りを見渡すと、実際にほんの小さなアクションができる人って案外少ないんですよね。   『口では応援します!』『協力することがあったらなんでも言ってくださいね!』と言うのですが、Facebookページヘのいいね!やTwitterアカウントのフォローでさえもしてくれない方ばかりなのですよ。   なかなか実際に小さなアクションまで起こす方がほとんどいないので、僕は新しく出会った相手が店舗やクリエイター、何かしらのサービスのオーナー等であればFacebookへの『いいね!』(クリエイターならインスタのフォロー)ボタンをその場で押すようにしています。   この記事を読んでくれている方も口だけではなく小さなアクションを実際に実行していますか?僕もまだまだ成功もしていないし、夢と目標の途中ですが、これからも失敗を恐れずに自分がボケるまではアクションし続けようと思っています(笑)     取材協力:ファッションアテンダント 横路一樹    ...

株式会社メディアインキュベート代表取締役 浜崎正己が経験してきた「チーム崩壊」について独占インタビュー!   スタートアップ、会社経営で経験した「チーム崩壊」。積極的に事業を興し、チャレンジする背景で経験したチーム運営の難しさ、もがき苦しみ数多くのことを学び、今に活かしている起業家・浜崎氏に「チーム崩壊」についてお話を伺いました。 これまで経験したチーム崩壊 スタートアップのチーム崩壊 いくつか「チーム崩壊」を経験してきているのですが、数年前に外資の会社でスタートアップの日本支社立ち上げをやっていたんですね。すごく意気込んで取り組んでいたのですが、いわゆる外資系特有の「本社の意思」とか「日本での繁栄が」とか、そういうところでチーム内で衝突があって。   3人で立ち上げたのですが、全員初めて会った人たちで、それぞれの意思統一ができておらず、方向性とか色々すり合わないままでスタートしていました。 当然ではあるんですがチームを作る時には、気が合うとか方向性が一緒でないとチームは崩壊する、というところを痛感しました。その時の「チーム崩壊」はそれだけが原因ではないんですけども、正直そういう面はあったなと思います。   チームでうまくやっていくには、理由付けが重要 起業して、チームとして一緒にうまくやっていく上で重要な点は、やはり個々人の「なぜそれをやっているか」とかの理由付けですね。今やろうとしているものがどういう所につながっているか、その人たちがどういう所にモチベーションを感じているかをちゃんと把握してあげて、そこに導いてあげるとか。そこにはこういう理由があるし、君がやろうとしていることはこういうことにつながるし、叶うよね、とゴールを見据えられるという点は重要だと思います。   その人が叶えたいもの・・・ある種お金じゃなくても、例えば経験が欲しいのであれば、それを提供できれば充足すると思うんですよね。なので相手が何が欲しいかをちゃんと把握して、相手がそれを充足できるような目標設定とか目線設定とか、もしくは実際に業務をお渡しするとか、ということは心掛けています。 チーム崩壊から学んで活かしていること   まず相手のメリットを意識する 色々な失敗を経て、学んだというか心掛けているのは、「相手に損をさせない」ということですね。儲ければいいや、で相手に損をさせてしまうと、関係性も悪くなって今後一緒にお仕事できなくなったり、と結果的にデメリットしかない。相手に得をしてもらって、かつ自分が得をする、そういったポイントで仕事をできるようにする、ということは心掛けていますね。   例えば、僕がメディアの立ち上げの支援をしているときに、お客さんに「流行っているメディアを作りたいんです」と言われても、お客さんにメリットがなければやらないですし、「こっちの施策がいいと思いますよ」と逆にお客さんに提案、紹介したりとか。お客さんがお金がなくても、面白そうだなと思えば成功報酬型でやりましょうかとか。そういう話はしたりしますね。   やってはいけないことは、出来ないことを出来ると言ってしまうことですね。弊社みたいなベンチャーだと自分を大きく見せたくて、大きなことを言いがちになっちゃいますけど、結局相手にとっても時間とか納期とか色んな選択肢の条件があったうえでお願いするかしないかを悩んでいるわけなので、正直であった方がいいかなと思います。   きついとか、厳しい状況であるとか、開発バグが出たとか、あればそれは逐一報告をしてちゃんと正直で、嘘をつかないことをなるべく心掛けた方がいいと思っています。 メディアインキュベートについて メディア支援 メディアインキュベートではメディア支援を行っています。 もともとWebメディアのウェブディレクションとか、ポータルサイトの編集ディレクターみたいなことをやっていて、一通りメディアについてはやってきた、という自負があるので、やはりビジネスとしての価値を提供できるのはメディアの領域かなと思ってやっています。   メディアはどうあるべきか 去年あったWELQ騒動で言うと、様々なメディアが影響を受けてますよね。でもちゃんとオリジナルコンテンツを作って、コミュニティとかも作って、メディアのファンを作っている、ちゃんとポリシーを持ってやっているようなメディアというのは、広告などの注文数が上がってきています。 今回の騒動で相当数のメディアが影響を受けている、と言うのを見ると本来メディアに関わりたいという熱を持っていない人たちも結構メディアをやっていたんじゃないかな、と思います。   オリジナルの重要性 ウェブメディアの作り方で言うと、僕は雑誌の作り方にすごく似ていると思っています。   コンセプトを決めて誰に届けるか。普通にサービスを作るのと同じかもしれないですけど、メディアも一緒だなと思っていて。なので誰に届けるかということを考えてオリジナリティをもって作るというのは大切だと思っています。   コストはかかるんですけども。それでもお金が回るとか、ファンにちゃんと届けられて事業として回るという仕組み作りに力を注ぐことが本質だと思います。それで実際にうまく行っている会社もあるんですよね。   例えば30万PVでも年商3000万あるメディアがあります。そこはファン作りをちゃんとうまくやって、そこに届ける人たちがどういう情報を欲しているか、どういう広告商品を設計すれば、という風にちゃんとビジネスとして回るというモデルを作っているんです。   これからのメディア これから、「北欧の暮らし」さんや「ほぼ日」さんのようなメディアは増えていくと思います。メディアECと言われていますけど、それだけじゃなくてコミュニティ、イベント、リアルまで含めた販売など、情報を発信するだけでないメディアの形ですね。 さいごに お恥ずかしながら、今回の取材で色々整理してみたら、これまで結構「チーム崩壊」してきているな、と。 そこから学んで気を付けているのが、まず「相手にメリット・成果をお渡しする、利益を得ていただく」ことは確実に考えています。ビジョンとかもすごく大切ですけど、人間ご飯を食べないといけないので、「これいつ返ってくるのかな」と絶対に不安になるんです。そこで、まず少しでも利益を返せるようなモデルでビジネスを回す、ということをすごく心掛けています。   なので、「無償で働きたいんです、お勉強させてください、なんでもやります」みたいな人がたまに来るんですけど、僕そういう人はお断りしていて。「無理です、やめたほうがいいです」と。僕もそういう時期があったからわかるんですけど、絶対に続かない。   最初はいいんですけど、テンションがシュッと下がってくるのを何度も見てきているので。ちゃんと適切な対価をお支払いするモデルをいち早く作るのは心掛けています。 「チーム崩壊」は決してよいものではないですし、何度しても辛いことです。その度に学んで、同じことは繰り返さない、ということを胸に刻んで改善しています。その一つの答えが少しでも利益を返せるようなモデルでビジネスを回すことだと今は考えています。     ▼取材協力▼ 株式会社メディアインキュベート     ▼現在、廃業・倒産・事業撤退・チーム崩壊などから這い上がった方を取材しております▼ 取材してほしい方は、ぜひご連絡ください!     ...

          フットサル日本代表応援団団長の山川太郎は煩わしい毎日を送っている。           あー、喉乾いたぁ。水、水、水ー!           あっ、キャップ落としちゃった。暗いなぁ。よく見えねぇ。           iPodで音楽でも聴こうかな・・・・           ・・・           あぁ、なんでこんな絡まってんだよ!!!           イライラしている間にスマホの充電切れちゃった。充電器なかったかなぁ。あれぇ・・・ないなぁ。           なんでこんなに物がいっぱいなんだよ!           あぁ!!!           とにかく持ち物が多く、生活する上で大変煩わしく、そして、イライラする山川太郎。           煩わしい生活から脱却したい。 フットサルの応援の時や趣味のアウトドアの時にも活用できる 水もライトもスピーカーも充電器も一緒になってるものってないかなぁ?           と、ネットで検索をしていたところ。           !!! ROOT CO.「PLAYFULLBASE」音と光で、アウトドアをもっと楽しくする多機能スピーカー おぉぉ!!!?           「音と光で、アウトドアをもっと楽しくする多機能スピーカー」   『ランタンスピーカーボトル』は、防水性能を保ちながら   ・Bluetoothスピーカー ・LEDランタン ・LEDライト(懐中電灯) ・モバイルバッテリー(別売りオプション使用時) ・ドリンクボトル   などの、多機能な性能をひとつにしたオールインワンスピーカーです。   キャンプやバーベキュー、テント内など、あらゆるアウトドアシーンでマルチに活躍するランタンスピーカーボトル。持ち運びも便利なので、野遊びやファミリーアウトドアにもピッタリです。           すっ、すげー!!!めちゃくちゃカッコいい!!!ほしいものが全部ひとつになってる!!!   いろんな利用シーンで使えるんだ!!!           ROOT CO....

2016年11月2日に「検索刑事(デカ)」を発売した竹内謙礼氏。   SEO対策本ということでしたが、なんとSEOを舞台とした検索エンジンミステリー小説とのこと。話題の最新刊「検索刑事」について伺うべく、竹内謙礼氏を独占インタビューしてきました。 竹内謙礼氏に聞いた1:検索刑事ができた背景 竹内氏:2016年11月2日の「検索刑事」という本を出版しました。SEOをテーマにした物語なんですよ。これが無茶が色々あったんです。私自身『会計天国』という共著の本があって。そのシリーズがPHPさんから出ています。シリーズが今5冊目で、ビジネス書小説はこれで9冊くらいなんですよね。   ▼最新刊:検索刑事(デカ) (日経ビジネス人文庫) ▼ ...

小学校の校庭で見かけた事がある二宮金次郎の銅像。   勤勉の象徴として知っている人は多いと思いますが、どんなことをして、どんな教えしたかを知る人はあまりいないのではないでしょうか。本日は「二宮尊徳翁(二宮金次郎)」が祀られている報徳二宮神社さんに地域貢献の極意を学びに伺いました。 「報徳二宮神社」そもそも二宮金次郎とは 報徳二宮神社の宮司 草山明久氏   草山氏:ここの社(やしろ)は二宮尊徳(二宮金次郎)翁をお祀りしている神社です。実在した歴史上の人物を祀っている神社って、そんなに多くありません。まして農民から神さまになったのですから本当に偉大な方なのですが、幼少のころはたいへんな苦労をしているのです   翁はもともと相模国栢山村(今の小田原市栢山)の比較的豊かな農家に生まれたのですが、度重なる酒匂川の氾濫で田畑を流されてしまい、家は没落、過労により両親は亡くなって、兄弟はばらばらに親戚の家に預けられました。   翁は、朝早くから夜遅くまで一生懸命働いて、その合間を縫って勉強をしました。そして荒地を開墾してお金を貯め、質に入れていた田畑を少しずつ買い戻して、24歳までに一家を再興したのです。小さな努力でも、積み重ねることで一家再興という大きな事が為せる(積小為大)という事を学び、これは二宮金次郎の後の行いや考え方の基礎になりました。 草山氏:そのときの経験でいろんな目に遭いながらも、独学でたくさんの勉強し、多くの気づきを得たり、物事を習得して、後に自分の中で行き着いた教えを実践していきます。   何をしたかと言うと、当時疲弊していた、のべ600にも及ぶ村々の農村復興とか、借金で苦しんでた武家の再興とか。彼の生涯の後半生、時代にして江戸時代の末期くらいの話です。   70歳でお亡くなりになってからまもなく明治維新となりました。明治時代、幕末の方から明治の頃にかけて生きていた方には二宮尊徳さんを知っている方が多く、お弟子さんが書いた『報徳記』は有名ですね。あとお伝えしておきたい翁の教えのひとつに『分度』という言葉があって、身の丈を知るというか、要は何をやるにしてもきちっとそのラインを決めるということを大切にしました。 報徳二宮神社が地域貢献のために仕掛けていること 草山氏:現在、報徳二宮神社が発起人となり『小田原柑橘倶楽部』という屋号で農家さんを応援しながら、農商工連携による地域活性を目的とした活動を行っています。   具体的には江戸時代に二宮尊徳翁が実践した手法をお手本に、この神社で出資したお金を元手に、農家さんから柑橘類などを高値で仕入れ、サイダーやドロップ・ジェラートなどの加工品を製造販売しています。昨年には地元の14社と連携して農業法人を設立し、耕作放棄地の開墾にも着手しはじめました。これらはすべて、次世代を担う農家さんたちや地元で商いをする方々の応援につながるものです。   この時代に小田原で生きる私たちは、今後ますます消費や労働人口の減少が顕著になる未来を見据えて、右肩上がり・経済一辺倒の考え方から、今まで以上に「人・物・お金」を地域に循環させながら、持続可能な社会づくりへの発想・業態の転換が求められていると考えます。 天地の中で生かされているという、人間の分度をわきまえながら、天地の恵みに感謝し、四季の彩りに心を和ませ、自然環境とも調和しながら、人と人との絆を大切にした心豊かな社会づくりを目指して、今後も小田原柑橘倶楽部は活動していきます。 引用元:偉大な功績 草山氏:報徳二宮神社では報徳会館という施設も運営しており、結婚式のご披露宴や記念日のご宴席など幅広くご利用いただいておりますが、昨年から境内に「杜のひろば」という空間を設け、新たに『きんじろうカフェ』も運営しています。   これは参拝客や観光客の方に神社の良さや尊徳翁の偉大さをもっと知っていただくためにはじめたものです。カフェでは翁の語録や格言などが入ったオリジナルグッズを販売し、Hameeさんにもご協力いただいて二宮金次郎像のスマホスタンドも扱っています。このひろばは今後も、もっと人が集まる場所、地域の方に使われる場所にしたいと思っています。 杜のひろば きんじろうカフェ   二宮金次郎像のスマホスタンド   ▼「二宮金次郎像のスマホスタンド」がこちらから購入できます▼ >> Motif. SMART...

皆さんはアウトドアの遊びに行くとき、スマートフォンケースをちゃんと耐衝撃のものにしていますか?していないのなら、買った方がいいです。外ではしゃいだ瞬間にスマホがポケットから滑落、粉微塵に砕けてテンションガタ落ちなんてのはよくある話です。   今回は「アウトドアモバイルギアブランド」ROOT CO.を企画開発するROOT株式会社の代表 三尋木準さんに立ち上げのきっかけや、激しいアウトドアスポーツなどでも耐えられるような商品へのこだわりなど聞いてきました。 モバイルギアブランド「ROOT...

      ある日のお昼休み。       四角メガネ:ちょっとフュージョンやろうぜ!   丸メガネ:うん、いいよ。           ※1フュージョンとは 2人の人物が一定の距離を取って立ち、左右対称に同じタイミングでダンスにも似た一連の特定のポーズをして、最後に人差し指同士を合わせることにより達成される融合。 引用元:wikipedia 融合 (ドラゴンボール)>フュージョン   ※2本編のフュージョンはストーリー構成上、本来のフュージョンとは違う方法をしています           四角メガネ:息を整えて。   丸メガネ:うん。           四角メガネ:人差し指を出して。   丸メガネ:うん。           四角メガネ:フューーージョン!!!   丸メガネ:・・・   四角メガネ:ハッ。   丸メガネ:・・・ハッ。                                       ドンッ!!!!!                               センター長:!!!!!!!!!!!!!!           センター長:だ、だ、誰、、、   インド人:僕だよ。サントッシュだよ。           インド人:驚いているみたいだから、僕の格言教えてあげるよ。   センター長:はへっ?                     インド人:うーん。           サントッシュの格言 1. 居心地のいい場所から離れる勇気が、人生の大きなチャンスをつかむ           2....

          悩みを抱える一人の青年がいる。           フットサル日本代表応援団団長の「山川太郎」           太郎:はぁ。           そう。彼は・・・ダサい。           服装がとてもダサいのである。ファッションセンスはないに等しい。                     靴下に・・・・・・・・・・・・サンダル。           太郎:ちくしょう。なんで俺は。(こんなにダサいんだ)                     「・・・」           ん?           太郎:ファッションコーディネート「WEAR」?           http://wear.jp/hidekoba/           太郎:・・・おぉぉお!?ひでかつ!?※1           ※1ひでかつとは:山川太郎のライバル           太郎:・・・おぉぉお、おしゃれ。おしゃれじゃねーか!!!           太郎:・・・くそぉ。なんか負けた気がする(怒怒怒)           太郎:負けられねぇ。ひでかつにはゼッテェ負けられねぇ。           おしゃれになると決め、一念発起する山川太郎。 ファッションスタイリストの親友のところにファッションコーディネートを懇願しに来た。           太郎:ふぅ・・・(緊張)           太郎:陽平ちゃーーーん!           陽平ちゃん:へい。どうした太郎ちゃん。           彼が陽平ちゃん。山川太郎の親友である。 超おしゃれでファッションスタイリストをしている。イケメン過ぎて辺りが霞んで見える。           くっくっく・・・           陽平ちゃん:ギャッハッハッハハッハッハ、ギャッハッハッハハッハッハ、、ダッセぇ!ギャッハッハッハハッハッハ、相変わらずだな!           太郎:頼む!僕をおしゃれにしてください!僕だって負けたくないんだ!           陽平ちゃん:「・・・」           陽平ちゃん:「・・・うーん。」         太郎にかけよる陽平ちゃん。           陽平ちゃん:いいに決まってるじゃないか。俺たち親友だろ?           太郎:ありがとう。           陽平ちゃん:くっくっく・・・・           早速ファッションコーディネートしてもらう山川太郎。           太郎:どうかな?                     陽平ちゃん:超おしゃれだよ。カッカッカッカッ           コーディネートその①:アメカジ王道 ヴィンテージレプリカ   ▼商品アイテムはこちら▼   ・FULLCOUNT フルカウント...