Top

アキンド探訪

  大人の皆さん! 若い子の間で交わされる「かわいい」の実態、つかめていますか〜!?   最近は「インスタ映え」など、若い女の子たちにかわいいと思ってもらえるものを作ろうとありとあらゆる大人たちが奮闘していますよね。けれど、女の子たちが口にする「かわいい」ってあまりに多岐にわたると思いませんか?   私自身も先日、10代の女の子と食事に行っているときに「このお寿司かわいい!」と言われて混乱しました。寿司がかわいい。一体、今時のかわいいって何なんでしょうか……?   もはや本来の意味を飛び越えて使われている女の子の「かわいい」。今回は、その正体に迫りました。     ▼前回の記事▼ お金は使うが堅実に。JK・JD(女子高校生・女子大学生)「775人」が答えた消費の本音     ▼まずは「かわいい」好きの女子に調査を ▼女の子「かわいい」は、排他的な暗号 ▼「かわいい」は、「ダサくない」「イタくない」 ▼プリクラの「盛り」は、日本人の美意識に通じる? ▼これからの「かわいい」はより難しいナチュラル傾向に ▼結論     まずは「かわいい」好きの女子に調査 まずは毎日「かわいい」を連発している女の子に、実際にお話を聞いてみました。     めくばせ(左) 女性向けWebメディアのライター。女性たちがより幸せに生きられるよう、ことばを通してひとつでも多くの「きっかけ」を与えたい。ことばと香りと揺れるものが好き。夢は子供たちの居場所をつくること。 https://twitter.com/_____ilil_ 大澤萌音(右) (株)Candleが運営する女性向けメディアKAREN編集長。学生フリーランサーとして、ライターやスタイリスト、キャスティング等の仕事を経て、現メディアの編集長に就任。“きゅん♡”なしでは生きられない! https://twitter.com/monebuu   ——「かわいい」という言葉の実態がつかめなくて謎なんですが……。どういうときに「かわいい」を使っていますか?   大澤:え、難しいですね。いろいろな場面で使いますよね。本来の意味とは違うかもしれないけど、男性に対して「かわいい」と言うときもあるし、身につけたい!...

  さて、皆さん。   「俺は起業するんだ」と主張している友人をきっとあなたは見たことがあると思います。では、その人が実際に起業を実行して仕事をしていることを見たことはあるでしょうか。「無い」という方も結構いらっしゃると思います。   実際、起業というのは、「やろう!」と盛り上がるのはとても簡単ですが、それを実行に移すのは決して簡単ではありません。   例えばこんな話です。 あなたは29歳で、友人2名と長年温めていた起業のアイディアをついに実行に移す日がやってきました。友人A氏は営業能力を、友人B氏は実務能力を持っています。そして、あなたはA、B両方にまたがった能力をある程度持ち合わせており、加えて経理もわかるオールラウンダーです。   この三人が創業のベストメンバーだとあなたは確信していました。もちろん、あなたが代表取締役です。3人は十年来の大親友で、「いつかは俺たちで最高の会社を作ろう」と語り合ってきた仲なのです。不安はありません。   資金調達はあなたが行いました。出資者を駆け回り、あなたが調達した資金は自己資金も合わせて3000万円。そこにA氏とB氏が500万円ずつを出資し、応分の株式を受け取る予定です。   4000万という資金量は初めての創業にはなかなかの金額ですし、これは順風満帆の創業だ。そう思ったあなたは地方勤務だった会社を辞めて東京に帰り、A氏とB氏が仕事を辞めて事業にフルコミットする体制が整うまでに会社の登記や事務所の確保などの実務をこなしていました。 A氏、離脱 さて、会社登記も事務所の賃貸契約も終わり、あなたは始動前の事務に忙殺されながらも充実した日々を送っていました。社用車も買い、会社の設備もそれなりに整えました。パソコンももちろんハイスペックなものを、椅子もちょっといいものを。コーヒーメーカーも張り込みました。なにせ、我々は新進気鋭のベンチャー企業なのですから。   そこにA氏から電話が入ります。電話の内容はとてもシンプルでした。「申し訳ないが、会社を辞められない」。あなたの目の前は真っ暗になりました。A氏は家族に止められただの会社に止められただの聞いても意味の無いことをたくさん述べていましたが、とにかく離反(そもそも合流すらしていないのですが)の意思は固く、翻意はあり得そうもありません。   これはとても困ったことです。というのも、Bが作った商品をAが売る、というのがこの創業の根幹だったからです。販路を持っているのはAです。Bには技術があっても営業能力はありません。あなたにもAほどの営業能力はありません。そして、商品というのは売り込む能力と販路がなければ1つも売れないものなのです。   あなたは焦りました、慌ててB氏に電話をしました。B氏はすでに会社を退職し、最後の有給をハワイで消化しているところでした。B氏もまた困り果てました。しかし、ここで二人はひっこみがつかないことに気づきます。事務所の賃貸費用は既に敷金を差っぴいても50万以上かかっていますし、備品も50万以上揃えてしまいました。会社登記にも25万ほどかかりました。流石に出資者に、1日も仕事をしていないにも関わらず金は減ったとは報告できません。 B氏の笑顔 あなたとB氏は話し合い、「新しい営業担当を探そう」と心を決めました。出資者にはもちろんダマです。というのも、このタイミングでバレた場合、出資を引き上げられる可能性が低くないからです。   Aの図抜けた営業力と業界への見通しは、この創業の要でもありました。彼がいなくなったとあっては、出資者も黙ってはいないでしょう。「何とかAの代わりになる人材を見つけました、A以上に優秀な奴です」という形を作る以外に生き残りの目はありません。   そこで、あなたとB氏は必死に人脈を辿り、業界の見通しが利き同時に高い営業能力を持つ人間を探しました。まだ事業すら動いていない会社がこんな人材を探すのは明らかに無謀ですが、それでもやるしかありません。   こうしている間にも事務所の賃料は嵩んでいきますし、あなたとB氏の生活費だって必要です。出資者には「現在準備を進めております」と伝え、1ヶ月ほどの時間が流れました。そろそろ出資者も焦れ始めた、という時期になってB氏が一人の人間を連れてきました。   「はじめまして」。仕立ての良いスーツを着て、ピカピカに磨いた革靴を履いたC氏は穏やかにそう切り出しました。年齢はあなたやB氏より一回りほど上というところでしょうか。「私は~業に~年勤め、業界での人脈と営業力を有しており、御社のビジネスプランに強い関心を持っています」。   実際、C氏の理解度はかなり高いもので、Bの商品の優れた点をよく理解していましたし、キャリアもどうやら本物であるようです。「この人しかいない」とあなたもB氏も感じました。あなたもB氏も突然の僥倖に自然と笑みがこみあげます。   そこで、C氏はこう切り出しました。「私は自社株を要求しようとは思いません。あくまでも、この事業はあなたとB氏のものです。若い方の起業をお手伝いさせていただく立場でありたいのです。私はあくまでも最初の社員という形で入社させていただきたい。   その代わり給与は少し高めで~くらいの額を、そして入社前に契約金として300万円を給与とは別途に前払いで頂戴したい。私も会社の近くに引越しをしたいですしね、何しろこれからハードワークが始まるのですから」白い歯を見せてC氏は微笑みました。   あなたもB氏も一瞬悩みましたが、これは冷静に考えるとそれほど悪くはない条件です。自社株を持たないのであれば経営に口出しされることもありませんし、あくまで社員であればコントロールも効く。何より、起業のゴールにある大いなる実り―創業者利益―を分け与えずに済みます。   「では、出勤は一週間後から。一緒にがんばりましょう」ひとしきり書類等を書き終えると、そう言い残してC氏は去りました。あなたはC氏に提示された口座に300万円を振り込みました。その夜、あなたとB氏は久しぶりに一杯やりました。よかった、本当に良い人が見つかって良かった。   しかし、C氏が出勤してくることはありませんでした。 C氏は詐欺師 C氏は詐欺師でした。あなたの会社がどのような人材を探しているのかリサーチした上で、狙い済ましてやってきたのです。それはそう、あれだけ業界を「人材はいないか!」と叫びながら駆け回っていれば、詐欺師だって寄ってきます。   キャリアも信用もない人間が大きな声を出して呼び寄せられるのは大方の場合、詐欺師であるということを、あなたもB氏も知りませんでした。ここで、あなたは再び悩みました。被害届を出すか否かです。被害届を出すということは、この起業が終わるということだというのはほとんど間違いないことのように思えました。   あなたとB氏の給与が月20万円、既に2ヶ月、80万円が消費されました。賃貸契約も償却される敷金などを計算すると80万円近く使いました。備品だって50万は使いました。登記にも25万かかりました。社用車も80万ほどかかりました。駐車場代も月2万です。   そこに、詐欺師に持ち逃げされた300万です。あれ?既に600万強が消費されている?なんだこれは?詐欺師の分を差っぴいてもまるで金に羽根が生えたようではないか?その通りです。創業初期、金には羽根が生えるのです。まだ1円の売り上げも立っていないのに、です。   ここに至って、あなたは気づきましたこれは既にのっぴきならない場所である、と。しかし、ここでもうひとつ思いつきがありました。B氏による自社株買い資金500万円がまだ会社に入っていないのです。B氏が自社株を買うということは予定としては確定していましたが、ゴタゴタ続きで契約も金の振込みも未了でした。   あなたは気づきます、この500万で穴を埋めればいい、Cという詐欺師を連れてきたのはBなのだから、これは当然のことだ。もちろん、持ち株については後からなんらかの手段で帳尻を合わせる、しかし出資者に粉飾報告をするための見せ金として500万を拠出しろ、とあなたはB氏に迫りました。     B氏はうつむいてただ一言、「辞める」と言いました。   あなたとB氏が会うことは二度とありませんでした。そもそも雇用契約すらまともに書式にすらしていなかったのです。風の噂ですが、B氏は元の会社に頭を下げて戻り、現在は順調にサラリーマンをやっているそうです。A氏は順調に出世し、補佐の肩書きがつきました。来年には結婚の予定です。では、あなたはどうなったのでしょうか。考えたくありませんね。このお話はここで終わりますが、「あなた」の人生はまだ続きます。 「あなた」はどうするか、それだけが問題です。 これは僕の知人のエピソードに大きな脚色を加えたフィクションです。しかし、こういうことは実際に起こるのです。詐欺師にまでは遭わなかったとしても、大きな契約、例えばコンサルタントなどとの年契約をしていた場合、それも同様の結果となります。   起業というのは、往々にして「始まらない」のです。しかし、始まる寸前まで行った時には大量の金が既に消尽されている。最後に残るのは借金を抱えた無職が一人、ということになりかねません。繰り返しになりますが、1円の売り上げも立っていないのに、です。   飲食店起業でも同様のケースがよくあります。前にも書いたかもしれませんが、僕は、1日も営業せず居抜き売却された店舗を見ました、スケルトンから作りこんだ店舗でした。また、僕の住む家の近所でも内装をバッチリ作りこんだ挙句、1日も営業しなかった店舗が複数存在しました。   そういうことなのです。ある意味、売り上げが1円でも立てば起業は「成功」と呼んでもいいくらい、一定数の創業者は始まる前にくたばるのです。起業すると宣言して会社を辞めた奴が求人誌を読んでいたときは、「その程度で済んでよかったな」という目で見てあげましょう。   これは、あなたが「バンドをやろう」と仲間を集めて、実際にライブハウスで演奏出来たことがあるかについて考えてみればいいと思います。「起業」は、基本的にフルコミットが要求されるので、バンドよりも更にハードルが高い。   ギリギリになって「やっぱやめた」と言い出す人は稀ではありません。といいますか、まぁ起業した人ならわかりますよね。あてにしていた奴が逃げた、そんなことはあるあるです。しょっちゅうある。バリバリある。   僕は前回のコラムで「一人の限界」について語りましたが、今度は「複数人という怖さ」について語らせていただきました。ここで、ちょっとベタな話題を持ち出しますと「何人で起業するべきか」は諸説あり、まったく定説がありません。   ちなみに、僕自身は三人で創業しましたが、「人数」だけで考えても良し悪し両方あったと思います。次は何人で起業するか、僕も今のところイメージが固まっていません。   さて、この物語からあなたはどんな教訓を引き出したでしょうか。「誰が悪いか」という議論に意味がないことは言うまでもありません。「あなた」はどうするか、それだけが問題です。   あなたが複数人で起業しようと考えているなら、この物語をあなたは何らかの教訓に変える必要があります。あなたがなすべきことをなしましょう。僕はあなたの成功を心から祈っています。   やっていきましょう。     ...

皆さんどうですか、やっていっていますか。   僕はこれまでニューアキンドセンター様の連載では「とにかく人間は裏切る」というお話を執拗にして来ました。しかし、それでも僕は複数人数での起業を否定するわけではありません。分業というのは人間の非常に強い能力ですし、個人の力には当然限界がある。そういう立場に立ちます。本日はそういうお話になります。「一人で創業しよう」とお考えの皆様、是非ご一読いただければと思います。   ところで、「ジキルとハイド」みたいな経営者って見たことありませんか?ニコニコと感じよく喋っていると思ったら、ちょっとしたきっかけで激昂して怒鳴り散らすような人、結構いますよね。中小企業のワンマン経営者に特に多い気がします。好感を持たれる人物造詣とは到底言えませんが、あれは経営者における適応の形ではないかと僕は思っています。本日はそんなお話です。 個人の限界について 人間はしくじる生き物です。もちろん僕もしくじりますし、僕以外の皆さんも結構しくじります。部下であれ、あるいは下請けの業者であれ、誰かに命じた仕事が常に100%完遂されるなら、世の中これほど楽なことはありません。「部下がトチる」もありますし、「下請けがトチる」も非常によくあることです。   人間は完全な生き物ではないので、市場のあちらこちらでは常に大惨事が起きているといっても過言ではありません。仕事というのは絶え間なく発生するトラブルをすんでのところで乗り切っていくことの繰り返しです。   何もかもが予定通りには行きませんし、想定外の事態は常に発生します。「下請け先がトチったので、依頼人であるあなた自らが現場に急行して事態を収拾した」そんな経験は、社会人ならかなりの割合の皆さんに覚えがあるのではないでしょうか。   しかし、この「事態の収拾」において問題が起きます。というのも、「とにかく現場をなんとかする」という業務の一方、「失敗の責任を下請けに取らせる」という業務も同時に発生するからです。しかし、これを一人で同時にやろうとすると容易にそこには「人間の限界」が露呈します。 共感性と独善性 下請けと発注元の関係、あるいは上司と部下の関係においてもそうですが「叱責」と「フォロー」という二つの業務があります。失敗した下請けに、あるいは部下に共感的に振舞えば振舞うほど「フォロー」は上手くいくでしょう。   「気にするな、とにかく一緒にこの状況を何とかしよう」というやつです。誰だって炎上した現場を短期間で収集する仕事を請け負ったら、まずはフォローする対象に対して共感的に振舞う努力を試みると思います。対立を大きくして余計な時間を食うわけにもいきません。   しかし、仕事というのはそれだけでは問題があります。同じミスを繰り返されても困りますし、ミスによって損失が発生した場合などはその保障の金額なども詰めなければいけません。この場合は「共感的」に振舞うことは得策とは言えません。「おまえの責任だ、詰め腹を切れ」と要求する必要があるわけです。   「共感性」と「独善性」というのは相反する性質ですが、仕事をする上ではどちらもとても強く必要になります。「あなたにも事情は色々あるのだろうけれど、それは私の知ったことではない」と言い切るべき局面はあります。   部下に対してであれ、下請けに対してであれ、人間的共感を排して叩き切らなければいけないことはあるでしょう。その一方、余計な対立を起こしてはならないときは煮えたぎる腹を抱えて、共感的に振舞わなければならないこともあります。こうして、経営者は分裂的な性格を育てていくのだと思います。 共感と独善に人間が引き裂かれる 一般に「共感的」であるのは良いこととされています。失敗した部下に、トチった下請けに「気にするな」と常に言ってやれれば、それは本当に素晴らしいことでしょう。しかし、ちょっと考えれば無限にお金を持っているのでもない限りそんなことはできないということがわかってきます。無限にお金があるなら起業をする理由はありませんよね。   この問題に企業はどう対処しているかというとそれはとても明瞭で、「分業」することで対処しています。通常、業務上のミスが起きた時それを打開する現場部署と、事後処理や補償などの交渉を行う部署は別に設けられていますよね。   例えば、あなたの家の配管が故障してお部屋が水浸しになった時、現場の修繕にやってくる人と水浸しになった家具の賠償額を交渉する相手は別の人でしょう。これが同一の人物だった場合、とても大変なことになるからです。   現場担当者には多くの場合「共感性」が求められます。「この度は申し訳ありませんでした、本当にすいません。すぐに修理いたします。賠償につきましては弊社の別部署と交渉していただければと思います。私もなるべくお客様のご意向に沿う形になるよう、上に伝えておきます」こういうやつです。   サラリーマン経験のある方なら、大体は使った覚えのあるテクニックですよね。「それは私の仕事ではありません」と言えるだけで、仕事はとても楽になります。労働者は大体これでいいのです。それ以上の負荷を抱え込むべきではありませんし、経営者は抱えこまなくて済むようにマネジメントするべきです。そのために複数の人員がいるのですから。   しかし、その「それは私の仕事ではありません」で逃げられない立場もあります。「経営者」という立場です。会社に「経営者の仕事ではない業務」など存在しないからです。経営者が現場業務を兼任している場合、これは本当に地獄です。自分でやらかしたミスを自分で収集し、同時にその相手と賠償額の交渉をする。これは、本当に苦しく、また不利です。クライアントに寄り添いたい共感性と、少しでも交渉を有利に進めたい独善性の間で人間が二つに引き裂かれることになります。 「共感」を要求する人間と、ワンマン独裁者の合理性 人間は大抵の場合、「私に共感しろ」と要求してきます。実際、仕事というのはその多くが他者に「共感的に振舞うこと」です。接客にせよ営業にせよ、お客様への共感抜きにしては成り立ちません。しかし、「交渉」の場においては共感的に振舞ってばかりもいられません。人間というのは、大体の場合「少しでも得をしたい」という原理で行動していますので、共感し過ぎれば相手の要求を丸呑みさせられます。   「自ら現場に出る経営者」において、このジレンマは最大になります。現場のプレイヤーというのはお客様に寄り添いたいものですし、必然的に判断も共感性に寄って来るでしょう。   「社長が現場に出てくる会社の仕事は値切りやすい」。大変性格の悪いお話ですがこれありますよね。ちょっとした瑕疵をつついて値切るにも、目の前に社長がいれば非常にやりやすい。だから、大抵の会社の社長という存在はそう簡単には飛び出してこないのです。社長が「共感しないこと」に徹することが可能な形を築き上げていれば、それだけ経営判断は正確になるでしょう。   「ワンマン経営独裁者」は明確に合理的です。世間ではかなり嫌われる人物類型ですが、僕はあの状態まで会社を持っていけた経営者を心から尊敬します。あれは「共感性」に引きずられて経営判断を誤らないためのひとつの最終回答です。   「現場」はどうしても共感に引きずられ、会社の利益よりお客様へのサービスや、ことによっては自己利益を切り捨てた恭順を選択しがちです。その方が楽だからです。それにストップをかける立場である社長は、共感性の一切を切り捨てた「独裁者」であることが最も合理的なのです。 一人社長はどうすればいい? さて、経営を行い、同時に現場にも自ら出る社長。創業の際はどうしてもこの形になることが多いでしょう。僕もそうでした。そのときに我々はどうすればいいか。答えは簡単で、人員が複数いないなら、一人が複数人分の仕事をこなすしかありません。冒頭の「ジキルとハイド」はこのように生まれます。過剰な共感性と過剰な独善性、異常な人当たりのよさと強烈な酷薄さを併せ持った人間はこのようにして形作られるのです。   経営者をやっておりますと、程度の差こそあれ必然的に人間はこうなります。他者に取り入るための過剰な共感性と、いざという時に「おまえのことなど知ったことか」と切り捨てる独善性の両方を具備する以外に僕は方策を思いつけませんでした。   しかし、これは非常に精神的な負荷の大きい仕事です。この点を仕組みとしてシェア可能というだけで、複数人で創業するメリットは非常に大きいといえるでしょう。もっとも、人さえいれば上手にシェアできるとは限りませんけどね。このお話はそのまま「現場」と「経営陣」の終わりなき対立のお話でもあります。 あなたは「共感」の人ですか?「独善」の人ですか? さて、経営者に求められる資質として「共感」と「独善」という二つの言葉を使ってきましたが、これは人によって適性が大きく分かれます。「共感」が非常に苦手な人もいますし、「独善」をやることがどうしてもできない人もいます。それは人間の性質として仕方がないことです。しかし、経営者は人間ではないのでこの問題を解決しなければいけません。   自分がこのいずれに偏っているかを認識することは非常に重要です。「独善」に偏っている方は共感を求められるフェーズが苦手でしょうし、「共感」に偏っている方は他人に損をさせてでも自分が得をすることを目指すようなガチガチの交渉になるとまったくの無力です。   敏腕営業マンが自分の会社を持った途端に沈んでいくという悲劇を僕は見たことがありますが、あれは「営業」に求められる能力と「会社経営」に求められる能力の差から生まれた悲劇ではないかと思います。   部下を抱えた場合、現場はどうしても「共感」に偏ります。現場マンは自分の給料とお客様へのサービスを考えるのが手一杯で、通常会社の利益についてなど考えられません。それがむしろ普通なのです。現場が会社の利益を考えて行動してくれるなら、そもそも経営者が不要だという話になります。しかし、現場業務をこなしながら同時に会社の舵を取る経営者はそれではやっていけません。   人間やめますか?経営者やめますか?そういうお話です。   さて、「他人は裏切る」しかし「一人でできることには限界がある」この矛盾を以下に乗り越えていくか。是非、創業の前には考えてほしいと思います。僕はそれを全く考えなかったツケを今払っています。やっていきましょう。       人間やめますか?経営者やめますか?     ...

残業は悪。という考えがついに日本へ上陸してくれた。だがその背景には高橋まつりさんの死があり、さらにたくさんの判例があった。現在でも毎年のように訴訟が取りざたされる中、必ずこういうリアクションを目にする。   「残業するヤツなんて無能なだけでしょ」と。   最初に言っておくが、私はそういう意見を愚かだと思っている。そして今からこの記事でボコボコに殴るつもりだ。洗練されたロジックなんて、用意するつもりもない。それでもいいという方だけ読み進めてくれればよい。 定時退社をする人が、やっていること 書籍『  新 13歳のハローワーク』『  「会社四季報」業界地図 2018年版』を開けば、この世にはさまざまな労働があることを体感できるはずだ。そして個人しだいで早く帰れる職業も大量にある。   実際の話をしよう。ある知人が、銀行で働いている。一般的には激務と呼ばれる部門にいるが、彼は毎日きっかり17時半に帰宅する。理由は明確で「家でやりたいことがたくさんあるから」だ。彼はプライベートが確保されれば出世できなくてもいいと思っている。   彼は叱られない程度に業務をこなすため、ほとんどの作業をExcelのマクロで組みなおして部署全体の業務を効率化した。1年目のころは「先輩より早く帰るな」と指導を受けたが、彼はかたくなに定時帰宅を続けた。そして今では「あいつはそういうやつだから」と治外法権を与えられている。   彼は業務を効率化する能力の高さと、出世よりプライベートを優先する一貫した態度で帰宅する権利を得た。もしこの企業でワーク・ライフ・バランスを重視する施策が実施されたら、出世も手に入るかもしれない。   だが、彼のスタイルを維持するには最低でも下記の条件が必要だ。     <有能でさえあれば早く帰れる人材が持っている条件>   ・効率化できる業務が多い 彼は業務をマクロ化することで定時帰宅を実現した。しかし、そのためには「マクロ化できる業務」であることが必須である。効率化しやすい業務は、ルーティーンの多い作業だ。自分に割り当てられた仕事に「決まりごと」が多くなければ、効率化も難しい。   ・仕事を効率化して同僚が感謝する風土がある 仕事を効率化したら誰もが喜ぶ職場は、限られている。たとえば、子供ができたから多く働いて残業代を稼ぎたいという人にとって、効率化は「何てことしてくれたんだ」と受け止められるだろう。自分がトップならそういう人材を切ればよいが、下っ端ならどうしようもない。   ・プライベートにやりたいことがある 有能な人材ほど、仕事でほめられやすい。だからもっと仕事に精を出す……というサイクルに陥りがちだ。ホワイト企業へ転職した激務を経験した社員がプライベートに物足りなさを感じ、再び激務に戻っていくケースはまぁまぁある。残業を無くすためには、そうしたいと思わせるほどのプライベートが必要なのだ。 私が激務だったころ、私以外は有能だった 対して、私が激務だった頃を見てみる。当時の自分が激務だったのは無能なせいだった。だが、取引先の広告代理店はそうではなかった。彼らは労働集約型の仕事をしていたせいで、激務になっていたのだ。   まず、彼らは弊社から依頼を受け、広告戦略を立てていた。広告枠の購買や制作スケジュールも考えると、できれば1年前から準備をしたいところだ。しかし予算確保がギリギリまで決まらないこともある。「〇〇の広告の予算、弊社内でもらえないかもしれませんのでもう少しお待ちいただけますか?」という言葉で、簡単にスケジュールはぶっ壊れる。   そして、信じられないような納期になってようやく「やっぱり広告打ちたいです」という恐ろしいオーダーを受け取ってからが勝負だ。広告媒体に「もう広告枠に空きはないよ!」と怒鳴られ、制作会社には「こんな納期で広告を作れるわけないじゃないですか!」と泣かれ、そして弊社からは「こんな広告で売れるわけない。台本全部作り直して」とボツにされる。   それでも彼らは動くしかない。広告代理店は「人」が商材だ。もし彼らが広告を出せなかったら「じゃあもういいよ、直接媒体へウチがかけあうから」と切り捨てられてしまうだろう。ある程度のムチャを代わりに引き受けてもらえるから、彼らに価値がある。そう思われている限りは労働集約型のビジネスをやるしかないのだ。そこに無能も有能もない。むしろ無能なクライアントを抱え、有能な社員が振り回される。 激務にメスを入れられるのはトップの決断だけ 一応断っておくが「広告代理店だから」激務なのではない。たとえば「弊社は戦略立案を強みとする代理店だ。ムチャを要求するクライアントの仕事は受けない」という経営方針が徹底されていれば、こんなことにはならない。   だが経営者にとって、これは苦渋の決断だろう。売上は少なくとも短期的にガクンと落ちる。社員の給与も減る。高い給与が出せないなら「戦略立案がまともにできる優秀な社員」も自社を受けなくなるだろう。100億円、1,000億円をポンと出してくれたクライアントは、ムチャを引き受けてくれるところへカネを払う。この世から激務は無くならない。仕事の上流にいる人間が、ムチャな依頼をする限り。   業界全体の仕事のやり方が、あるいは取引先が咎を背負うべき事例はいくらでもある。だから残業をいち企業の責任、さらに言えば個人の責任にするのは愚かとしか言いようがない。どうしても残業代を減らしたいなら、利益と給与を犠牲にしてでもメスを入れるしかないのだ。   最後に、私が経営者として利益を減らしてでも残業を無くせた仕組みだけ紹介しておこう。「1日3時間以上の業務を残業とみなす」ことだ。これなら「思いっきり残業したい」人もせいぜい1日6時間しか働かない。定時はすでに「残業」扱いなのだから、誰も17:30にはオフィスへ残らない。   もしあなたが経営者で、何が何でも残業を減らすと決意したなら使ってみてほしい。実施すれば気づくはずだ。   残業は個人の能力とは全く関係ない、トップダウンのシステムで変わるものだと。     ...

  起業してやっていくと、社内から「裏切り者」が出現することはほとんど不可避だと思います。   人間の裏切り方は実に多種多様で、「横領する」「人員とノウハウぶっこぬいて他社に移籍する」「指揮系統を完全に無視して自分の王国を作る」「他社への利益誘導を行う」などなど、考えていったらキリのないほどのバリエーションがあります。   しかし、それは「横領」みたいな即座に犯罪であるものを除いては究極的「仕方のないこと」なんだと僕は思っています。人間というのは自己利益のために行動しますし、会社というのは人間が仲良くする場所ではなく、それぞれがそれぞれの自己利益を求めて集まる場所です。裏切った方が利益になるなら裏切る、それは資本主義のルールに照らして正解です。会社に忠誠を誓わねばならない理由などありません。   「裏切り者め!」と叫びながら無限に酒を飲んでいる経営者はわりといっぱいいますし、僕も人生のある時期をそのように過ごしましたが、じゃあそういう我々が他人を裏切ってこなかったか、といえばそんなこともないわけで。他者の利益と自己の利益が相反した時は、適切に「裏切る」ことが可能なのも経営者の大切な能力のひとつだと思います。起業家なんて、結構な比率が他人から奪い取った人材とノウハウで起業するものでしょう。   人間は悪い、でもそれは資本主義のルールの下で「仕方ない」ことだという割り切りは徹頭徹尾必要になります。しかし、それは「裏切り者を許す」という意味にはなりません。「俺に従えば利益になる」も大事ですが、「俺を裏切ると大変な不利益がおまえに発生するぞ」というのもとてもとても大切です。というのも、1回裏切られる人間は対策をしない限り100回でも1000回でも裏切られるからです。   これは不吉な予言ですが、あなたと未来を誓い合った人間の5人に1人はあなたを裏切ります。あなたに部下が5人いるなら、一人はあなたにとって悪魔です。あなたのチームには絶対にユダが混ざっています。あなたが信頼している人間のうち一定の割合は、数年後あなたと不倶戴天の敵になっています。それが資本主義です。   それを未然に防ぐにはどうするか。古来より方法はたった一つです。裏切りものは、首を河原に晒し、一族郎党を根絶やしにする。これしかありません。裏切りを「許す」人間は、何十回でも何百回でも裏切られるのです。最初に発生した「裏切り者」は「俺を裏切る人間はこのようなことになる」という意思を伝えるために徹底的に晒し者にして苛烈な処罰を課す必要があります。   しかし、コンプライアンスという概念もあり、現実的な問題もあり、それは容易なことではありません。考えていきましょう。 人間を処罰することの難しさ 大きな会社では、会社への背信行為を行った人間は多くの場合即座に処断されるでしょう。大手勤めの皆さんには、例えば会社の機密情報を外に流すであるとか、あるいは取引先と手を組んで請求書に小細工をするとかそういうことはあまり想像出来ないと思います。   会社には長く勤めることが前提でしょうし、会社と個人の資金やノウハウの量にも大きな差があります。「バレたらヤバい」という前提がありますよね。クビになるのも手痛い。おまけに、代わりになる人材はいくらでもいるでしょう。   しかし、創業して間もない小さな会社にはこれらの前提が一切存在しません。1年後に会社が存在するかすら疑わしいのが創業企業です。社長と部下の社会的な「強さ」には大きな差がない場合が多いでしょう。というか、労働者と経営者という立場を加味すると、往々にして部下の方が強いでしょう。   「他人の資金を引っ張って経営者になる」というのはこの世で一番弱い存在になるということに近いものがあります。社会的保護は限りなくゼロでありながら、負うべき責任は果てしなく重い。経営者は弱く、労働者は強いのです。   おまけに、「代わりの人材がいない」という状況も当たり前に起きるでしょう。「どうせあいつは俺を処罰出来ない」ということに気づいた人間は、天より高くつけあがります。「文句あるなら辞めるけど?」と社長に突きつけたことのある皆さん、僕もありますがあれは大変に心躍る愉快な話ですよね。   しかし、やられる側の身になると「最悪」としか言いようがありません。違法行為を行っていない人間を処罰するのは、とてもとても難しいことなのです。人間は自由で、悪い。社長が部下を叱れるとは限りません。 現実的な人間を処罰する方法 - 基幹人材 「事業の基幹となるスキルを持つ創業人材が資金を引っこ抜いていた」こういう極めてよくあるケースを想像してください。あなたが営業と経営を、裏切り者がプログラミング実務を担っているIT企業なんかがイメージしやすいですね。これ、クビにできますか?大抵出来ないですよね。   会社を潰す覚悟が必要になると思います。「横領」という犯罪行為を行っていても、「処罰出来ない」という事態は普通に起きます。「横領」なら会社を潰す腹を括れば刑事で処罰できますが、「ギリギリ違法ではない背信行為」の場合は完全にお手上げです。   分業は人間の最も美しい能力ですが、同時に最悪の事態の発生源でもあります。営業の天才とプログラミングの天才が組んだ事業は、どちらかが逃げ出せばそこで御仕舞いです。そして、この場合、創業資金を引っ張る主体、具体的に言うと会社の債務を連帯保証している側が圧倒的に弱いのです。「会社を潰せない」というのはとてつもなく大きいウィークポイントです。社長は弱いのです。守るべきものがあるというのは弱いということです。   創業人材は多くの場合、かなり会社が大きくなるまで兌換が効きません。当然のことですが創業の際は誰だって最強の人材を揃えたいと思うでしょう。それがネックなのです。基幹人材に関しては「裏切り」が発生してから処罰しようとしても、完全に手遅れです。「こいつは必ず裏切る」という前提の下に策を幾重にも組んでおく必要があります。   しかし、希望はあります。社長のたった一つの武器(存在するとは限らない)である「持ち株」というカードを上手に使うことで打開策が組めます。というのも、創業企業に基幹人材として入社するなら「株よこせ」という欲望を誰しももっています。また、入社時や創業時はハイになっていますので、未来の希望に満ち溢れているでしょう。このタイミングしか、皿に毒を盛る好機はありません。   具体的に言うと、「一定期間頑張ってくれたらタダで株あげるよ、というか債務をなかったことにしてあげるよ。でもまぁそんなことはないと思うけど、悪いことしたらちゃんと買い取ってもらうよ、面白い値段で。大丈夫大丈夫、そんなことはないだろうから、ホラ実質タダで株だよー」というやつです。僕の場合は、悪い弁護士がスッと契約書を作成してくれました。もちろん、同業他社への移籍を禁止する条項なども突っ込んでおきましょうね。(法的拘束力は実質的にはありませんが、入れておいて損はない)   創業当初の「俺たちは成功者になるぞォ!」と未来を誓い合っているタイミング、あそこです。毒を盛られる前に毒を盛るのです。欲を言うと、連帯保証人も取っておくのがベストです。本人だけであれば、「無い袖は振れない」で開き直られたらおしまいです。「どうにでもしろ」と床に大の字になった人間に対して出来ることは何もありません。   創業企業に入社するということは、その企業の事業に魅力を感じているということです。また、「非公開株」というのはえもいわれぬ魅力を持っています。かなり有能な人間でも、このタイミングでこの魅力に抗うのは難しいでしょう。クソ高いシャンパンなどで速度を上げてやりましょう。人間は合理的に判子など押しません。   余談ですが、僕が会社を畳む際の最後の社内闘争でこの契約書は僕の命を救いました。これがなかったら破産していたでしょう。ディティールは書けません。他にも具体的なやり方はあるでしょうが、裏切られる前に致死性の毒を盛っておく、創業のあの熱狂の中で、誰よりも早く「裏切る」ことが肝要です。裏切られる前にキッチリ裏切っておきましょう。大事な人材ほど、やるべきです。あなたはいくつ方法を思いつきますか? 現実的な人間を処罰する方法...

福島市のご当地グルメといえば円盤餃子。 見た目が空飛ぶ円盤に似ているからとか、円盤状に焼き上げているからとか名前の由来はいくつか説がある。 ▲これが円盤餃子だ!   円盤餃子は第2次大戦後、福島市の餃子専門店「満腹」から始まったとされる。 満州から引き揚げた満腹の創始者が、現地人から習ったやり方で餃子を焼き、屋台で出したら大人気に。開店当初は焼き鳥などのおつまみもあったのだが、お客さんの要望もあって餃子専門店になったそうだ。   満腹の繁盛もあって、福島市内に餃子専門店は次第に増えていった。今ではすっかりご当地グルメとして定着した。現在、市内で円盤餃子を売りにしてる専門店は10店舗ほど。   メニューの1つとして中華料理屋やラーメン屋が提供してるケースはさらに多い。それぞれのお店で円盤餃子が置かれているポジションが微妙に異なっているので、3店舗を巡って比較してみた。 円盤餃子「照井 福島駅東口店」 餃子専門店「照井」は創業60年を超える老舗店。本店は夜からの営業なので、福島駅東口店に足を運んだ。   円盤餃子は一皿22個1300円か半皿11個650円の2択。いずれにせよ数が多い。ごはんセット350円を頼めば、ごはんとみそ汁とおしんこともう1皿ついてくる。ラーメンもあるけれどメニュー表の隅っこに追いやられ、あくまで餃子がメインというスタンス。   満席の店内をざっと見渡すと、2~3人で円盤餃子一皿をシェアしてごはんセットをつけるか、1人で半皿にごはんセットという人が多いようだ。なかにはごはん無し円盤餃子だけ一皿ずつという夫婦もいて、なるほどその手もあるかと関心した。ひたすら餃子に集中したいなら、それが一番だ。 ▲円盤餃子一皿 1300円   油多めで焼かれているので揚げ餃子に近いパリパリ感がある。 22個も食べられるか不安だったが、1つ1つはそれほど大きくないし、餡も野菜多めでさっぱりしてるのでペロリとイケてしまう。主役を張れる餃子だ。 らーめん屋「石狩」 お次は「らーめん石狩」。辛味噌ラーメンやレモン入り塩ラーメンが人気のお店。こちらは基本的にはラーメン屋さんで副菜として円盤餃子も出してるというパターンである。 円盤餃子専門店は営業が夜からのお店がほとんど。それもあって、ここ石狩では昼から食べられるよって点を強くPRしている。10個単位で注文可能で、最大50個の超特大サイズも出来る。 ▲円盤餃子30個 1800円   こちらも1つ1つは小ぶり。餡もさっぱりしてるので10個ぐらいであればラーメンと合わせて食べてもなんてことはない。あっという間に2人で30個完食した。   この時、ほとんどのお客さんがラーメン系を食べていて円盤餃子を頼んでいたのは我々だけだった。あくまでラーメンがベースで円盤餃子はおかず。まさに我々がそうだったが「夜は他の場所で予定があるので、昼間に円盤餃子を食べときたい」という観光客の需要も狙える。 のみくい処「川海」 3店舗目はのみくい処「川海」。カウンターメインの居酒屋で気さくなご夫婦がひっきりなしに陽気な話しをしてくれる。店内は薄暗く、スナックじみた空気感だ。   こちらは福島市から車で50分ほど南下した郡山市内にあるお店。 たった1店舗から始まって、流行るにしたがい競合店が出来てきて、ご当地グルメとして評判になって、周辺の市町村にも広がっていく。円盤餃子もまたご当地グルメの定番の流れを辿っている。 飲みがメインなので、食事メニューはつまみに向いてる物が多い。大変味のあるイラストは店長さんが描いたもの。イメージ図と実物があまりにも違いすぎて抽象画のようだ。 ちなみにこのお店、チヂミが1枚100円と爆安価格。 円盤餃子はこちら。前2店舗と異なるサイズ感で1粒が大きい。皮も厚く、餡も主張が強い。ラーメンやごはんのお供ならこれだけの量は食べきれないかもしれないが、酒のつまみとして2~3人でつつくなら有り。おつまみとしての円盤餃子だ。   以上のように、お店によって円盤餃子のポジションはまるで違う。   ある店は主食として専門で取り組み、ある店は副菜として置き単価アップを狙う。市内を飛びだし、酒のつまみに据えるパターンもある。 人気ご当地グルメをメニュー構成のなかにどう取り込むか。そこからお店の狙いが見えてくる。     ...

起業、何人でやりますか?もちろん、「一人」という方もいらっしゃるでしょう。それは、実はとても賢明な判断です。自分は他人より信用できる、そういう原則は一般にあります。   しかし、自分に足りない能力があったり、あるいは業務領域が多分野に渡ったり、もっと単純に業務の物量が一人では捌き切れない。そうなれば早晩人を雇う必要は出てくるでしょう。そういう時にどんな人材を選ぶべきか、そういうことについて考えていきたいと思います。   さて、このコラムを読んでくださる方は、既に起業済みでなければ「起業」というものに興味を持っている方だと思います。ところで、「起業」によって利益を得たいと思った時に、本当に「起業家」になる必要があるのか、というところに僕は結構疑問を抱いています。   というのも、「絶対に必要」な会社のメンバーになれば「株を寄越せ」と要求する機会はありますし、逆に逃がしたくないと考えた経営者が「株を持たないか?」と提案してくることもあると思います。   新規創業はリスクも大きく、また代表取締役は債務の連帯保証を求められるなどの怖さがあります。しかし、創業メンバーとして入りこんで美味しいところはしっかりいただく。こういうことも、僕の経験からすれば「可能」だと思います。そういう目線で読んでいただいてもいいかもしれません。それでは、よろしくお願いいたします。 条件1. 横領しない・裏切らない・信頼出来る 「そんなの当たり前だろ」という声が聞こえてきそうですが、それは甘いです。むしろ、創業メンバーなんてものは横領して当たり前、裏切って当たり前です。というのも、創業期というのは一人一人の業務の属人性が大きく、監視機能など無に等しいため「やろうと思えば何でも出来る」環境なのです。   これは創業されればわかると思いますが、そういうことは起きます。かつては未来を誓い合った創業メンバーが裁判所で骨肉の争いをしている、なんてのはよくある話です。民事で済めばまだマシで、刑事まで行くこともザラです。   そういうわけで、創業期においては「信頼出来る人間」の価値がとてつもなく上がります。これは、心理的なものもありますが純粋なコストの問題もあります。人間を監視するにはとてもコストがかかるのです。そういうわけで裁量をポンと預けて安心して仕事を任せられる人間にはとてつもない価値が発生します。   それは「仕事が出来る」という意味ではなく、「お金を盗むことはないだろう」「会社に背信行為を働くことはないだろう」という程度のものでも、とてもとても大きな価値なのです。   例えば、想像してみてください。社長とあなた二人の会社で一定の裁量を任せられている時に、あなたがどれくらい「悪いこと」が可能かです。例えば、80万円で仕入れられる商品を他社の担当者と共謀して100万で仕入れたことにして、差額の20万を抜く。こんなことはとても簡単です。誰にでも出来ますし、一工夫すればまずバレないでしょう。   実際、僕がお仕事をしていても「会社に入れるべき金を私の個人口座に振り込んでください」というような要求をしてくる担当者は結構存在しました。飲食店なら話はもっと簡単です。あんなものは横領天国です。やろうと思えばナンボでもやれてしまうでしょう。   また、他社への利益供与などに関しては更にありますよね。僕も、自分の商品を自社の人間の手引きで他社に引き抜かれたことがあります。そういうことはとにかく起こる、人間は悪い。どうしようもない。…と言いたいところですが、僕にも「絶対にこいつはそういうことはしない」と信頼を置いていた部下がいました。   僕が彼を信頼した理由は、上手く言語化できません。結局「信頼」というのは究極的に非言語的なものなのだと思います。人間性、能力、そして「合理的に考えてやらないだろう」という観点、それらの総合です。こういう人材が一人でもいると、起業は桁違いに楽になります。なにせ、業務がスムーズにですから。いちいちチェックもいらなければ面倒な確認作業も要りません。スピード感第一の創業フェーズだと「信頼は出来ないが任せるしかない」ということも多いと思います。   「信頼を得る方法」について僕は上手く言語化できなかったので、僕を信じて数千万円のお金を預けた出資者に「何故僕を信じたんですか?」とたずねてみました。返ってきた答えは「こっそりバレないように金を盗むような賢い奴はこんなトチ狂った起業なんかしないだろ」でした。大笑いしましたが、正しいかはともかく(僕がお金を盗んでいない根拠は出資者から見て一つもありません)これは一つの真理だと思います。時に狂気は信頼につながるのでしょう。   そう考えてみると、僕が部下を信頼した理由もわかってきます。彼も、本来は僕の部下なんかに収まる程度の能力ではありませんでした。といいますか、明確に僕の10倍くらい優秀でした。しかし、「面白そう」という理由だけで給料も安く何の保障もない弊社に飛び込んで来た彼の狂気は、僕にとって信頼に値しました。それは「合理的ではない」からです。彼の狂気こそが信頼の源泉でした。   創業メンバーに関しては、「狂っている」が一つの信頼ポイントなのは間違いないと思います。それが正しいかはともかく、僕にも出資者にも同じような判断が発生していました。「こいつの狂気は合理性や銭金では計れない」そう思われると、それが正しいかはともかくとして大きな信頼が発生するのは間違いないと思います。 条件2. 話が通じる、指揮系統を理解している 「条件1.」では「狂気」が重要であると述べましたが、完全に狂っている、具体的に言うと「日本語が通じない」「契約等の概念を理解できない」「会社としての命令系統を理解出来ない」みたいな人間はダメです。というのも、こういうタイプは横領などの小ざかしい真似はしないかもしれませんが、制御不能だからです。   会社である以上、トップが命令したならば従わねばならない、さもなければ会社を去るしかない。それが実感として一切理解出来ない人というのは存在します。創業メンバーとして信頼に足る「狂気」を持ち、また同時に高い実務能力を持っている。この条件を満たしたとしても、話が通じず指揮系統を理解しない人間は、かならず暴走します。   「起業」であるからには、創業主体が存在します。それは、多くの場合、代表取締役でしょう。オーナー社長か、あるいは出資を受けての創業かなど諸々条件面での差はあるでしょうが、会社のトップは必ず存在するはずです。(理論上は株を半々で持ち合ったり、同等の権限を持つ代表取締役を複数置くなども可能ですが、絶対にお勧めしません)   仮に平時は民主主義的な前提を採用するとしても、いざというときはトップの決断が会社の意思になる。これが会社組織の前提です。しかし、この前提が一切理解出来ない人というのは存在するのです。このタイプは、契約で縛ろうがどれほど説得しようが何をしても無駄です。   そして、社内の一定の権限と職務領域を占有した人間が暴走した場合に、損失を出さずにそれを抑える手段は現実的にほとんどありません。「クビにしたいけどクビに出来ない」のような状態が発生すれば、会社の主導権すら奪われます。   人間は「俺が社長なのだからいざとなれば命令すればいいだろう」のような甘い予断を持ってしまいがちで、僕も失敗しました。ある種の人間は、何をしようと指示に従いません。そういうタイプを要職に就けた時点で失敗は目に見えているのです。   逆に言えば、平時は闊達に意見を述べるがトップが決断したとなれば粛々と従う。そのような人材はまさに宝です。 条件3. トップを立てられる 優秀な部下が大活躍して、あなたの会社は躍進を遂げました。そういう時に起こりがちな問題が、「社長よりも部下の方が社内で発言力を持ってしまう」という状態です。これは、社長にとっても部下にとってもあまりよい状態ではありません。もちろん、会社を乗っ取るであるとかそういう目的がある場合は別かもしれませんが、過去にも書かせていただきましたとおり、この状態は社内紛争へ間違いなく直結します。   会社というのは民主主義的組織ではないのですが、人間というのはやはり民主主義を好みます。「みんなが好きな人がトップに立って欲しい」というのは、人の性でしょう。しかし、それが会社経営上恐れるべき事態だということは誰しも理解できると思います。そういう時に、トップを上手に立てられる部下が存在すれば、それはもう絶対に手放してはいけない人材だと思います。あなたの給料をゼロにしてでも雇い続けるべきでしょう。   社長が出資者と従業員の間を取り持つ存在であるように、経営幹部はトップと従業員の間を取り持つ存在です。しかし、この仕事が果たせる人間はそう多くありません。多くの会社がこの点で失敗し、功績ある幹部の粛清あるいは幹部による反乱という事態を招くのです。しかし、人間の自然な心理として「俺がこの会社を支えているんだ、俺は社長よりも優秀だ」というような気持ちは発生してしまいますし、それは時に事実です。   その感情を上手くコントロールし、トップに対して評価と褒章を求めつつも部下に対してはトップを立てる姿勢を忘れない。これこそ、究極の創業人材の条件だと思います。これ、従業員100人とかの会社をイメージされるかもしれませんが、現実を言うと5人も人間がいれば問答無用でこの力学は発生します。社内で一番偉い人選挙が自然発生した時点で手遅れなのです。社内デモクラシーの発生は破滅の足音です。民主化、ダメゼッタイ。   起業家というのは、究極的にはお金を調達してお金を何らかの形で使うことで利益を出す人のことだと思います。ビジネスプランは極論すれば買ってもいいですし、自分自身に能力がないなら人材を雇えばいい。これは真理です。   しかし、会社を統治する上で会社のトッププレイヤーが社長ではない、というのは大問題を起こします。人間は「一番仕事が出来る奴がトップであるべき」と極めて自然に考えます。その時に現実のトップを上手に立てて従業員との間を取り持ってくれる幹部がいれば、これより心強いことはありません。最高の部下と言えるでしょう。 まとめ   条件1. 小賢しく金を抜くような合理性を感じさせない狂気 条件2. 話が通じて指揮系統を理解している 条件3. トップを立てられる   と3つ並びましたが、この上に更にもう一つ言うまでもない条件があります。業務遂行能力です。これは言うまでもありませんよね。しかし、これら全ての条件を満たす人材を見つける難度を想像してみてください。僕はたった一人だけ、これらを満たす人材を確保しましたが、もう一回確保出来るとはとても思えません。   そもそも、この条件はわりと矛盾しています。狂気を持ちながら会社の仕組みを理解し合理的に振舞うというのはかなり厳しい要求です。ならば、この三つの条件を部分的に満たすかどうかで判断してもいいと思います。どれを優先するかは好みもありますが、個人的には条件2>条件3>条件1の順番だと思います。でも、「起業するならある種の狂気が重要だろう」と考えるのであれば、条件1を優先してもいいと思います。勢いのある会社になるでしょう。   「こいつは金を盗むようなことは無いだろうが、指揮系統の重要性は理解出来ない」「こいつはトップを立てることは出来るが、金を抜く可能性はある」というような、生臭くうんざりするような判断を、是非ともやっていってください。人を雇うというのはそういうことだと僕は思います。実際、創業時に人間を完全に監視するのは不可能なので、個人の性向を睨みながらリスクの所在を決め打ちするしかないだろうと思います。時にはそれも出来ないかもしれませんが…。   逆に言えば、経営者に愛され重用される人材というのがどういうものか、このお話から逆算できると思います。「手放せない人材」になれば、下手をすると会社の実権すら握ることが出来ます。それを狙って創業メンバーに入り込むという選択肢、僕は「アリ」だと思います。成功率もそれなりにあるでしょう。   そして、この極めて弱い社長の立場をよく理解して行動すれば、「手放せない人材」になることはそれほど難しいことではないと僕は思います。もちろん、会社にとって必須の業務遂行能力があることが前提ですが。会社の金が消滅し、部下の暴走と反乱が発生し、従業員たちにトップとしての資質を大いに疑われた僕が言いますが、それは「出来る」と思います。   さて、この人間と人間のグチャグチャに入り混じる「起業」ですが、非常に面白いものではあります。一回やれば非常に良い経験にはなります。あなたが起業家として参加するのか、それとも創業メンバーとして参加するのか、あるいは出資者として参加するのかわかりませんが、どの立場から挑むにせよ僕はあなたの成功を心から祈っています。   そして、願わくば出資者も社長も部下も誰も彼もが信頼しあい、わかりあえる最高の会社を作り上げて欲しいと思います。僕にはそれは出来ませんでしたが、あなたにそれが出来ないと言い切ることは誰にも出来ません。やっていってください。僕ももう少ししたらまたやっていきたいと思っています。     ...

旅をすると、知らず知らずのあいだに1つ2つは食べてしまうもの。それがご当地ソフトクリーム。 それ自体が旅の目的になることはないけれど、旅に少し彩りを加えてくれる可愛い存在。   陽気なフォルムに楽しい甘さ、旅のテンションにぴったり寄り添う。小腹を充たすのにもちょうど良い。どんな土地のどんな名産品ともコラボをし、普段それほどアイスを食べない人でもなんだか手が伸びてしまう。 1990年代のソフトクリームブームを境に、日本全国で増え始めたようだ。   かくいう私もご当地ソフトクリームは好きなくち。道の駅やお土産物屋で「お、これは」というのを見つけたら、お腹が膨れていても無理して食べてしまう。ソフトクリームはたんなる食物というよりも、作る工程を見届けたり、みんなでシェアしたりするのが楽しい、一種のエンターテインメントだ。 これは伊豆のわさびソフトクリーム。 わさびが練りこまれたものはよくあるけれど、バニラソフトに擦りたてワサビがぴったりつけられているものは初めてだった。新鮮なワサビの辛さがバニラの甘さと案外マッチする。 これは高知の漁港で売ってたじゃこソフト。ソフトクリームにこれでもかと茹でたじゃこが乗っている。塩気の強いじゃこと甘いバニラが案外イケる。家でやったら家族に怒られるような組み合わせも旅のノリで許される。それでいて、ワサビもじゃこも意外に合うのが面白い。   われわれ観光会社・別視点は9月12日から10月12日までの1ヵ月間、「福島県猪苗代町1ヵ月住みます会社」と銘打って、福島県に逗留し続けていた。その間に6つのご当地ソフトクリームを食べたのでご紹介したい。 福島県のご当地ソフトクリーム6選   ◎地ビールソフトクリーム 猪苗代地ビール館で食べられるのが「地ビールソフトクリーム」だ。このビール館、地ビール羊羹なども製造していて、甘味とビールの融合になかなか積極的で攻めている。その名のとおり、猪苗代の地ビールが練りこまれたソフトクリーム。はたしてビールとアイスは合うのだろうか。 ビール特有のほろ苦さがある。ソフトクリームが口の中からなくなった後にビールの香りが鼻に抜ける。なるほど、悪くない。   ◎ひとめぼれジェラート ジェラート屋さん「モンジューいなわしろ店」。専門店だけに和栗や焼き芋、コーヒー黒豆など定番以外のメニューも豊富だ。 なかでも気になったのが、福島県産ひとめぼれを使ったジェラート。 まだ粒の状態でひとめぼれが残っている。プチプチとした食感が楽しい。   ◎和紙ソフトクリーム 道の駅「安達」の看板。和紙ソフトクリームって一体なんだ。この道の駅があるのは、手すき和紙の伝統が1000年以上あるエリア。和紙の原料であるクワ科の楮(こうぞ)という葉っぱを練りこんでいるそうだ。てっきり、ちぎった和紙が入ってるのかと思った。 お茶のような香りと味わいがほんのりしている優しいソフトクリーム。この優しさ、暖かみ、和紙と通じるものがある。   ◎桐炭ソフトクリーム 道の駅「尾瀬街道みしま宿」で売っているのが、漆黒のフォルムが心の中学生を呼び起こす桐炭ソフトクリームだ。三島町は昔から桐が名産品で、桐タンスや桐ゲタが作られていたとか。桐製品を作る過程で生じる木っ端を活用したのが桐炭で、このソフトクリームにも練りこまれている。 色彩こそ強烈だけど、味はいたってノーマルなバニラ味。とても甘い。 見た目はいかついけど接してみたら優しい山の男って感じ。   ◎甘味噌ソフトクリーム 道の駅「つちゆ」にあるのは甘味噌トッピングのソフトクリーム。見た目的にはミスマッチに思えるのだが、これもこれで悪くない。味噌のしょっぱさとソフトクリームの甘さが妙にマッチしてるのだ。ソフトクリーム、案外受け幅が広い。なんでも受け入れるその器の広さは、ここ最近のキティーちゃんを連想させる。あの猫も仕事を選ばないからね。   ◎喜多方ラーメンソフトクリーム トリをつとめるのは、喜多方ラーメン神社のソフトクリームだ。言うまでもなくラーメンでおなじみの喜多方市。ラーメン神社は観光客向けのラーメン紹介スポットで、鳥居もお箸で組まれている。 はい、喜多方ラーメンソフトクリーム。麺状に細長く盛られたソフトクリームは醤油味。なるとが乗っていて、ブラックペッパーを振りかけて出来上がり。見た目が面白いし、おもわずSNSにアップしたくなる1本だ。   ひとくちにご当地ソフトクリームと言っても、味を重視した物から名産品をむりやり組み合わせた物、SNS映えしそうな話題性狙いの物までさまざまだと分かり頂けると思う。 今後、どこかを旅するさい、各地のソフトクリームに注目してみて欲しい。     ...

ニューアキンドセンター様ではたくさんのコラムを書かせていただきましたので、皆さんもお気づきだと思います、僕は起業に向いていませんでした。それはもう、間違いないと思います。もちろん、ある部分では「向いていた」というところもゼロではないのでしょうが、トータルでは完全に向いていなかったと思います。   さて、そういった経験を踏まえて僕の独断と偏見による起業家適性チェックを考えてみました。しかし、もちろんこれで「向いていない」と出たからといって、あなたの起業が失敗するとは限りません。ただ、その面での心構えをしていないと僕と同じ失敗に嵌る可能性がそれなりにあるということです。   本質的に起業に向く人というのはわかりません。成功する起業家、それも中小企業の皆さんについて考えてみましたが、実にキャラクターはまちまちです。しかし、その中で「この傾向はあるぞ」と僕が感じたものを抜き出してみました。是非参考にしていただければと思います。 起業家適性チェック1 決断出来ない 悩ましい決断を前にした時、その場で止まってしまう人はまず間違いなく起業家に向かないと思います。起業家、あるいは経営者の仕事の第一はまず「決断すること」です。その結果がどうであれ、「決断する」ということそれ自体に価値があるのです。   経営上出会う悩ましい決断は大抵の場合、「正しい答え」の存在しない種類のものです。しかも、判断のために勘案すべき要素も無限に近くあります。しかし、最も恐ろしいのは起業家には「決断を放置する」という権利も存在します。   見てみぬふりをした問題はいつか巨大化し、あなたの経営に致命傷をもたらすでしょう。それが致命的なものであることに気づいてはいた、しかし決断の苦痛に負けて放置してしまった。僕は、これをやらかしました。   どんな決断を下そうとあなたは批判されます。トップというのはそういうものです。しかし、それでも尚その苦痛に向かっていけなければ、トップの資格はないでしょう。僕にはトップの資格がなかったということだと思います。 起業家適性チェック2 部下を処断出来ない 人間を罰するの、お好きですか?僕は大嫌いです。自分自身が欠損の多い人間ですので、誰かを責め立てたり処罰したりするのは本当に嫌いなことです。しかし、組織におけるマネジメントにおいて、それは往々にして致命傷をもたらします。   人間というのは2回やる生物です。「やらかしても許される」と感じた人間は、必ず同じ愚を繰り返します。「自分が許されたいから他人を許そう」という僕の考え方は、少なくとも経営者としては失格だったのだと思います。   「俺は許されるがおまえは許されない、当たり前だろ俺は社長だ」この傲慢さを振り回せることが、トップの一つの条件ではないかと僕は思います。僕にはそれが出来ませんでした。 起業家適性チェック3 みんなに良い顔をしたい 100の成果を出したAさん、5の成果を出したBさん。彼らの褒章が同一であれば、Aさんは必ずあなたの下を去ります。しかし、AさんにBさんの20倍の褒章を与えることは会社経営的にまず不可能でしょう。そう、その場合はBさんを冷遇することで、Aさんとの格差をつけるしかないのです。お金に限らず、裁量あるいは接し方なども含めてです。金が払えないなら金以外の何かを払うしかありません。   僕は、これが本当に嫌いです。一生懸命働いてくれた人にはその成果に関わらずありがたいという気持ちを持ちたい。そういう甘ったるさを抱えています。これは、ひいては僕が「一生懸命やったから評価して欲しい」という腑抜けであることを意味します。   しかし、Aさんの立場からはそれは許容できないでしょう。僕がAさんの立場でも退職すると思います。皆さんもそうではないでしょうか。みんなに愛されたい、好かれたい、という人間的な感情を処理出来ないとこの問題には対処できません。 起業家適性チェック4 現場とトップの立場の違いを示せない 経営トップというのは、経営上の「決断」という重責を抱えています。また、他にも資金繰りやマネジメントなど多くの業務を抱えるでしょう。しかし、その苦労は多くの場合、部下にはあまり伝わりません。わかってくれる部下がいれば、それは宝です。大抵の労働者は「経営者は働いていない」と思っています。   「俺も働いているんだ」というところを示すために、社長業を放り出して働いてしまう方は結構います。もちろん、人員が不足して社長自ら現場に飛び込む必要が出た時などは別ですが、その必然性に欠けるにも関わらず背負い込むべきではない労働を背負いこんでしまう社長は多くいます。   従業員と経営者は立場が違うのです。「仲間」ではないのです。従業員が「ウチの社長は怠けている」と感じていても、会社が上手く回っていればそれでいいのです。「わかってもらいたい」という感情は癌です。苦労をわかってもらうために更なる苦労を背負い込む必要は一切ありません。現場とトップは立場が違います、それは明確に示すべきなのです。   創業当初は仲間意識で会社が回るでしょう。しかし、組織が大きくなってくれば、それこそ3人になった時点でもうこの問題は発生します。労働者と経営者の立場の断絶を呑み込めないなら、経営者は向いていません。 起業家適性チェック5 強権を発動できない 部下に向かって「いいからやれ!」と叫ぶのが非常に苦手な方は多いのではないでしょうか。僕も完全にそのタイプで、部下が指示に対して不満を示すと「わかってもらうまで伝える」という判断をついついしてしまいます。これは時と場合によっては有益な判断になることもあるのですが、そうではないことももちろん多々あります。   「わかるまで伝える」というのは、相手が理解を向けてくれなかった時、致命的な断絶を生み出す行為ですし、また同時に部下に対して「不満があれば動かなくても良い」というメッセージを出してしまいます。   部下の意見を聞こう、自分が常に正しいとは限らないという自覚を持とうというのは、一般的には正しいことだと思います。しかし、指揮系統のトップに立ち命令する者にはそれだけでは回らなくなるときが必ず来ます。   現場からは巨大な不満が発生することを承知で「俺がトップだ!従え!」と叫べないのは、起業家としてあるいは経営者として致命的なウィークポイントになるでしょう。僕はなりました。人間を強権で従わせることは、非常に大きなストレスになります。しかし、それに耐えられないならトップは務まらないでしょう。 人間としての善さと経営者としての正しさは相反する さて、ここまで読んでわかっていただけたかと思うのですが、これらの「欠点」はある意味で人間としての美点でもあり得るものだと思います。1の「決断」はともかく、2~5は「部下に寛容で、成果の出ない者にも優しく、現場目線に立ち、強権ではなく話し合いを重視する」という解釈も出来ると思います。そういう経営者に僕もなれるものならなりたかったです。それで上手くいくのなら。   僕はわりと夢見がちな人間です。大して能力もないくせに、理想に燃えるところがあり、自分にも他人にも甘いです。そういう人間でも幸福になりたいというのは、僕の起業に向かうモチベーションそのものだったと思います。しかし、それが最大の癌となり僕の起業は失敗に終わりました。   善く生きたい、正しく生きたい、楽しく生きたい。既存の組織の中でそれが実現できないから起業をするのだ。そういう気持ちはとても理解できます。僕だってそうでした。しかし、その気持ちそれ自体が最大の弱みになってしまう、そういうこともあると思います。   この問題への処方箋は今のところ僕にはありません。どうしたらいいのかわかりません。それは、起業家一人ひとりが自分の適性や状況を見ながら考えていくことだと思います。あなたが素晴らしい答えを出してくれることを、心から祈っています。いつか、僕にこっそり教えてくれたらとても嬉しいです。   やっていきましょう。この設問によって「完全に起業に向いていない」と出た方こそ、もしかしたらその弱みを克服した時に本当に素晴らしい組織を作り出せるのかもしれない、という希望を僕は持っています。誰もが幸福になれる場所にあなたが辿り着けることを、僕は心から望んでいます。やっていきましょう。     ...

「コンサルティングしたい」「経営したい」と考えた方が真っ先に学ぶフレームワークのひとつに、SWOT分析がある。自社が置かれている状況を俯瞰するために、4つの観点で現状を切り分けるもので、S・W・O・Tはそれぞれの頭文字だ。   ダラダラと理論を並べるよりも、サンプルをご覧いただいたほうが早いので「お~いお茶」を例に簡単なSWOT分析をしてみた。 SWOT分析 こうして要素分解するだけも、ブランドの抱える現状が見えてくる。が、これだけでは経営には使えない。そこで「クロスSWOT分析」を行う。難しい要素はないので初めてご覧になる方もご安心あれ。クロスSWOTとは、4要素を組み合わせて戦略を考えることだ。これも百聞は一見に如かずなので、図をご覧いただきたい。 と、先ほどSWOT分析で切り分けた4つの要素を掛け合わせるだけで、スラスラと戦略が生まれる。実際の経営では自社や市場の現状をしっかり調べてリスト化する必要はあるが、初心者にも使いやすいフレームワークだろう。   クロスSWOT分析を行うメリットは、取りうる施策を平等に並べることで、冷静に検討できることだ。しかし現実はそうではない。「SWOT分析・クロスSWOT分析を用いて、自社がどうすべきか提案してくれ」と依頼しても、ほぼ全員3パターンの案しか出してこない。弱み×脅威を踏まえた案、つまり「撤退戦略」はおおよそ誰も選ばないのだ。 撤退を選ぶ勇気は、経営者が発揮すべし その理由は、なんとなくわかるはずだ。たとえ出来たてホヤホヤのベンチャーだって、今期の売上目標くらいある。撤退を選ぶということは、その目標へ向かって着々と工事してきた道を爆破するに等しい。じゃあどうやって売上を作るんだ? 投資額は返ってくるのか? 出資者への質疑応答を考えるだけで胃が痛むだろう。   特に多角経営を前提としていないベンチャーならなおさらだ。一攫千金を狙ってコツコツお金と時間を投資してきたのに、それをあきらめるなんて下手すりゃ倒産である。それでも冷静に見て沈没する船なら、沈む前に避難するしかない。経営者とはそういうものだ、ということは別の記事に詳しい(撤退戦は経営者の仕事。事業を畳む決断をどこでつけるか、出直しのために)ので、詳しくはこちらをご覧いただきたい。   さて、自社の状況を見るに撤退したほうがよさそうだ。となれば一番重要なのは「さっさと撤退する」ことだ。時間が経てば経つほど赤字が膨らむとわかっているなら、さっさと切って次へ進むに限る。正論だが、そうは問屋が卸さない。そこまで頑張ってきた社員がいるからである。 社員の心を折ると、ベンチャーは折れる 以前、「ベンチャーは社員が命」と書いた(スタートアップに揃えるべき4種の人材と、自社を壊す「毒になる社員」とは)。創業期にどれだけ優秀な社員がいてくれるかで、生存率は大きく変わる。前職でも活躍する優秀な社員を口説き、自社へ引き込むのも大変だったろう。そうやってようやく来てもらった社員へ「やっぱり今までの取り組みはナシにしよう」と伝えるのがどれほど危険か。   「やっぱりリスクを取るんじゃなかった」 「絶対成功するって言った、社長の言葉を信じてきたのに」 「もっとまともな会社があるんじゃないか?」   こういうムードが社内に生まれたとき、優秀な社員は真っ先に辞める。できる社員ほど去るのも早いのだ。だから撤退をするときは社員の情熱をへし折らずに説得せねばならない。ここからは、自社で撤退を繰り返したダメCEOの私から「撤退の作法」をお伝えしたい。 社員本人に、撤退を結論付けさせる まず、「この案は撤退する」と結論を告知してはならない。現場の社員は、社長より自分の方がビジネスを理解していると考える。だからトップダウンで撤退を命ずると「わかっていない人に、無理やり仕事を止められた」と感じてしまい、モチベーションが下がる。   ドストエフスキーの実体験によれば、究極の拷問とは「半日かけて穴を掘らせ、残りの半日でその穴を埋めさせる」ものだという。何の目的も感じられない労働を命じることで、精神的ダメージを与えるのだ。   これまで死ぬ気で挑ませたプロジェクトへ撤退を命ずるのは、穴を掘らせてから、また埋めさせるのと変わらない拷問だろう。だったらどうすればいいか。「この穴、埋めたほうがいいな」と自分で思えるよう、誘導するのだ。   最もたやすい誘導の作法は、社員へオープンに現状を相談することである。「あなたのプロジェクトで、こういう問題が出てきてしまった。これをどうやって乗り越えたらいいか、アドバイスしてほしい」と伝えよう。こちらが頼ることで、現場の社員は信頼されていると感じる。さらに相手を説得せねばならないので、社員は一度冷静になる。上述のSWOT・クロスSWOT分析は、撤退を意識させる道具のひとつだ。優秀な社員なら最終的に自ら撤退を結論付けてくれるだろう。 社員をフォローすることは経営者の責任 それでも無理にプロジェクトを通そうとしてくるならば、第三者の意見を入れよう。たとえば試験段階で消費者調査を導入し「こんなサービス/製品、絶対に使わない」と言われるのはかなり効く。だが、それでも話を持ってくるほど胆力のある社員はそういない。万が一それでもプロジェクトの継続をゴリ押ししてくるのなら、その社員が本当に優秀か疑ったほうがよい。   そして撤退を提案されたら、社員へ謝ってほしい。「このプロジェクトがうまくいかなかったのは、あなたのせいではない。自分の判断力不足だ」と。それが事実である必要はない。というよりも、ほとんどのプロジェクトが傾くとき、それは誰のせいでもない。   経営者の役割はただ、その社員が自分を責めすぎないようフォローすることだ。心を折りさえしなければ、優秀な社員は反省を活かした企画を出してくれる。そのためには撤退で湧き出そうな涙をぐっとこらえて、社員をフォローする。それが、経営者の責任である。     ...

長く書かせていただいてきた「起業失敗」シリーズですが、まだまだ書きたいネタもある一方で、今回はちょっと目先の違う話をさせていただきます。「起業して良かったこと」について書いてみようというちょっと明るいコラムです。   さて、そういうわけで僕は起業に失敗しましたが、「起業したことを後悔しているか」と尋ねられると、「信じてもらえないと思うけど、していない」と答えます。もちろん、後悔はたくさんあります。出資者に大損をさせてしまったこと、協力者や従業員の期待に応えられなかったこと。その辺りは本当に慙愧の念に堪えないところです。また自分の判断のミス、あるいは甘さ。そういった点への後悔も尽きません。   しかし、その一方でかつて勤めていた職場を辞して「起業」という選択をしたことそのものに後悔があるかというと、自分でもちょっと驚くくらい「無い」のです。   僕はどうせあの職場には適応出来なかっただろうし、きっとどのような流れを踏んでも「起業」を一度はしていただろうと思うのです。そして、そこからは非常に多くのものを学ぶことが出来たと今では思っています。今日はそんなお話です。 学び1. もうブラック企業は怖くない 一度起業すると、ほぼ全ての人が「ブラック企業を怖がる理由はない」と感じるようになると思います。だって、自分で経営していたのですから相手の手の内は丸わかりです。いざとなったらどう逃げればいいかもすっかり理解しているでしょう。   創業当初の会社なんて、何をどうやってもかなり「ブラック」になります。そこから従業員を逃がさないように四苦八苦していた人間にとって「逃げる」なんて本当に簡単なことです。「体調が悪くて動けません」で逃げ切れる労働者の立場など、経営の重圧に比べれば楽園のように感じられるのではないでしょうか。   また、いかに「ブラック企業」といえど、所詮は「他人の会社」です。そこで何が起ころうと責任を取るのは経営者であり、従業員ではありません。それを理解しているだけで、仕事は恐ろしく楽になります。   起業を経験している以上、トップの重責に耐えながらの一日15時間労働くらいは当然に経験してきているでしょう。そこから「責任」という重圧が解除されたのです。これは、ちょっとすごいです。羽根が生えたように心も身体も軽い。「労働者は最高だ」という気持ちをじっくりと噛み締められます。   また、起業を経験していれば労働法規から裁判での戦い方まで大体は頭に入っていることが多いと思います。だって、こないだまで追い詰められる側でしたからね…。そういうわけで、いざという時の戦闘力もバッチリです。その気になれば、他の従業員を扇動して反乱を起こすことすら出来てしまうかもしれません。僕は正直、タイミングが合えば場合によってはやれると思う。だってやられたし…。 学び2. 自社との交渉がガンガン打てる 一度経営を経験すると、会社の経営状態や利益率などがかなり明確に見えてきます。また、「どの程度自分が重要なポジションにいて、自分が抜けるとどれくらいの困りが発生するのか」も見えやすくなってきます。これはどういうことかというと、経営者に対して給与や休暇など、雇用条件についての交渉がガンガン打てるということです。   もちろん「交渉」を打つためには交渉材料を手に入れなければいけませんが、経営を一度経験していれば、どのような材料が効果的に経営者を追い詰めるものなのかは痛いほど理解しているでしょう。なにせ、こないだまで追い詰められる側だったわけですからね。   上司も社長も最早怖くはありません。上からの叱責など、パンク寸前の資金繰りを切り回すあの恐怖に比べたら物の数ではないでしょう。経営者より労働者の方が強い。それを一番よく理解しているのは元経営者です。   僕も現在はガッシガシ交渉を打つサラリーマンです。歩合率、基本給、出勤時間、全て自分の都合の良いように変えていただきました。もちろん無理のないように、「それでも自分が在籍していた方が得ですよね」という形で。この辺りの間合い感は、一度「雇う」側に回らないとなかなかピンと来ないと思います。 学び3. クソ度胸が搭載される 怒鳴る上司、叫ぶ上司。いますよね。また、精神的に追い詰めにかかってくる上司もたくさんいると思います。でも、それって月末に従業員に払う給与が足りないよりは怖くないですよね。お金が払えなくて、「すいません、一ヶ月待ってください」と取引先に頼み込むあの恐怖に比べればなんということはありません。また、「上司の思惑」や「上司の上司」までもがイメージ出来るようになっているので、社内での立ち回りも当然洗練されています。   また、仕事中に全く指示もマニュアルもない判断事項が生じた時も、自信を持って判断できるようになっているでしょう。「このやり方が一番利益になる」という価値基盤が自分の中に揺るがず存在しているからです。もちろん、わからないことがあれば上司に判断を仰ぐのはとても重要なことですが、アドリブをするしかない局面では実に素早く上質なアドリブ業務が行えるでしょう。   何せ、何のマニュアルも業務規則も無い「起業」の世界にいたのですから。起業の世界は何もかも手探りが常だったはずです。そこに慣れてしまうと、たかが一社員としての業務判断なんて怖くもなんともありません。責任を取るのはつまるところ経営者です。 学び4. 給料のありがたみがわかる 起業を経て一般企業に再就職したときの一番の感動ポイントはここだと思います。少なくとも通勤さえしていれば、毎月一定の給与が出ることを疑わなくて良い。もう資金繰りに頭を悩ませなくていいのです。必ずお金は入ってくる、これほどありがたいことは他にありません。「給料」がいかに素晴らしいものか、じっくりと感じることが出来るでしょう。   実際、いかにストレスフルな会社の従業員でも、状態の悪い会社の社長よりストレスが大きいということはあまりありません。困るのは所詮自分だけだからです。(もちろん、社長の立場を知らなければこの世で一番苦しいと感じると思いますが)かつて熱湯のように感じたであろう状況がまるでぬるま湯のように感じられ、かつては大したありがたみを感じなかった「給料」が光り輝いて見えたのは本当に感動的な経験でした。   これは本当にモチベーションに影響します。一度起業をして、食うや食わずの生活をした元社長ほど「従業員」の立場を享受出来る存在はいないでしょう。最高です。 学び5. 営業に強くなる どのような会社であれ、社長が外部との折衝をほとんどしなくて済む形で起業出来ることは稀でしょう。一度トップに立ったなら、それは絶え間なく続く交渉の連続だったはずです。他社との交渉ももとより、従業員や役員がいたのであれば自社の内部の人間たちとの交渉も延々と続いたはずです。雇用条件から裁量、業務の進め方、事業方針など他人を納得させて動かすという経験は本当にたくさん積んだのではないでしょうか。   そのうえ、ここまで書いてきた通り「会社組織」というものへの理解が深まっているので、「商品の売り込み方」はかなりピンと来るはずです。更に、「失敗しても全部経営者の責任、他人のカンバンで好き勝手にやるだけ」とでも言うような開き直りも発生しているでしょう。   他人の会社の名刺、本当に最高ですよね。自分が大粗相をしても、責任を取るのは経営者です。これまで従業員の粗相の責任を取ってきた元社長さん、本当に気が楽ですよね。自社の「代表取締役」の肩書きで営業をした経験のある皆様、あの地獄に比べればね、本当に楽ですよ。   営業に飛びこんで門前払いされる、あるいは自分の営業トークが拙くて恥をかく。でも、その恥が直撃しているのは所詮経営者です。他人の名刺で恥をかいたところで、ビールでも一杯引っ掛ければ忘れるお話です。   そういう気持ちを持っていると、どんどん営業は楽な仕事になります。また、この辺はあんまり書けないですが法には反しないちょっとした「反則技」も結構思いつくと思います。適宜やっていきましょう。 学び6. 食うには困らない トータルで僕が言いたいのはこういうことです。起業に失敗した人は実はいっぱいいます。その辺にゴロゴロしています。しかし、一部の失敗を苦に命を絶ってしまった、あるいは人生を捨ててしまった人たちを除けば、他の「元社長」どもは大体しぶとく社会の中で生き残っています。中小企業にもぐりこんでいたり、あるいはフリーランスで仕事を取っていたり、生存の手法は様々ですが、一度「起業」と「経営」を経験すると、桁違いに「生き残る」力が付きます。   「経営者目線を持った従業員」のような表現があり、通常この言葉は「経営者に都合のいい従業員」という意味で使われます。しかし、一度起業と経営を経た人間が従業員になるとそれこそが真正の「経営者目線を持った従業員」になるのです。彼らは経営者をとても深く思いやることが出来ます。その結果、経営者の最も喜ぶこと、あるいは嫌がることを的確に実行することが可能になるのです。   実際、起業を経て僕の職務遂行能力はハネ上がりました。「その仕事はよくわからないけど、とにかく理解出来る範囲で理解して飛び込んで来ます。致命的な失敗だけはしないようにします」のような、「指示されなくても動ける人間」になれたと思います。これは、従業員の経験しかなかった頃には全く無かった感覚で、自分でも驚いています。教育機能の全く無い(ややブラック寄りの)中小企業が、信じられないほど居心地が良いのです。   また、お金や仕事の流れが見えるようになっているので「仕事拾い」がとても上手になりました。「この仕事、弊社に外注しませんか?」を合言葉にした提案営業で、仕事の合間に外注仕事を拾って稼ぐという荒業も出来るようになってしまいました。経営者時代のコネクションも、事業撤退直後の厳しい状態を抜けると少しずつ回復しつつあり、出来ることの範囲も再び広がり始めています。   「僕が年収1000万のサラリーマンに返り咲けることはおそらくないだろう、しかしその一方で『食えなくなる』ことも無いだろう」という安心感が最近は生まれつつあります。起業失敗を経て、僕は間違いなく強くなりました。周囲の「元社長」たちも大体似たような感じがします。彼らは「勝ち組」まで返り咲けはしなくても、タフに目ざとく社会を生き抜いています。 色々あったけど、僕はやっていっています 起業に失敗し、経営が破綻した時は正直なところ「死ぬしかない」と思いました。実際に会社経営をしている頃は果てしなく苦しかったです。しかし、それが過ぎ去って身一つになった時、思った以上に自分に力がついている実感がやってきました。それはどういうスキルなのかと尋ねられたら答えにくいのですが、「生きるスキル」に近いものだと思います。   日本において「起業」はリスキーな選択です。新卒で入ったレベルの会社には、おそらくもう復帰出来ないでしょうし、起業期間は場合によってはキャリアの空白に近い扱いを受けるでしょう。場合によっては借金や破産暦も残るでしょう。しかし、そこから得られるものは決して小さくないと僕は感じています。   特に、僕のような「そもそも会社組織に適応性がなかった」人間にとっては、それは本当に必要な能力だった気がします。「起業に失敗した結果サラリーマンが勤まるようになった」は我ながら苦笑いをしてしまいますが、間違いなく事実です。   だから、僕は「会社勤めはもうダメだ、起業する」という方を止めません。あなたが「もうダメだ」というならそれは「もうダメ」なんでしょう。逃げの起業でも構わないと思います。僕が起業を志した動機は「僕のための楽園を作りたい」でした。起業の成功失敗にたかが動機なんてものが大きな影響を与える筈もありません。そんなもの、本当になんだっていいと思います。   起業に失敗したって生きていれば万事オーケーだ、これは半分強がりですが半分は偽らざる本音です。もう、レールに乗り続けた人たちだけがたどり着く世界には戻れないかもしれませんが、我々には我々の生きるゴチャゴチャして猥雑でエネルギーに満ちた世界があります。   中小零細企業、フリーランス、自営業者、そういった一群の人々の織り成す群れの中で生きるスキルが身に付けば、大丈夫です。死にはしません。明日はやってきます。   思うところはたくさんあり、引っかかるところもたくさんあり、後悔も山ほど積もっているけれど僕はこう言い切ります。「起業して良かった」と。そして、この手の中に残ったものと身に付いたものを大事にしながら、また戦っていきます。   起業に失敗したらもう終わりだ、ということは全くありません。いつだって「次は上手くやるさ」と強がりながら、日々をやっていきましょう。そして、起業に打って出る皆さん、何もかも失ったと思っても、経験という大いなる財産はあなたから離れてはいきません。どれほど厳しい状況に陥っても、それだけは忘れないでください。   やっていきましょう!     ...

「広告コピーの書き方」というとクリエイターに必要な能力と思われがちですが、モノを売る、知ってもらうというビジネスの基本に立ち返った時、どんな業種、職種でも必要な能力と言えます。   そこで今日は、「広告コピーの書き方」についてお話しするとともに、これからのビジネスにおける「言葉の重要性」についてもお話したいと思います。 広告とは?広告コピーとは? そもそもの話しですが、広告とは何なのでしょう?   三省堂『大辞林』によると「広告」とは以下の通り定義されています。     1)人々に関心をもたせ、購入させるために、  有料の媒体を用いて商品の宣伝をすること   2)広く世の中に知らせること     「知ってるよ、そんなこと」という声が聞こえてきそうですが、私なりに本質を考えた定義をするとこうなります。   商品に手を加えることなく、商品価値を上げること   近頃は広告会社が商品開発から入るというケースも増えてきましたが、本来的には広告はあくまで商品ありきのものであり、商品に手を加えることなく、「商品への印象」や「商品と人との関係を変える」ものなのです。   「広告」をそう定義した時、広告コピーはこうなります。   言葉で商品の価値を上げる人   冒頭の話に戻りますが、どんな業種、職種の人でも「広告コピーの書き方」を知って欲しい理由。それは・・・   思ったことを言語化し、武器にする力が、これからますます必要になってくるから   です。   デジタル技術の進化、メディアの多様化、それに伴い消費者が受け取る情報量は圧倒的に増えました。それにより、商品の認知を獲得したり、商品を売るための手口が増え、複雑化しました。   そうなると、一つのプロジェクトに関わる人数も飛躍的に増えます。その時、必要なもの、頼りになるものは何か?   「言葉」です。   その商品の課題、ターゲット、戦略、クリエイティブのコアアイデアを関わる全ての人で共有できる「シンプルで明快な言葉」が必要になってくるのです。   テレパシーなどが使えないうちは、言葉で共有するのが最も効率の良い手段となります。できるだけ解釈の誤差を生まないために。   人間はまだ、言葉でしか約束を交わせないからこそ、言語化する能力が今後クリエイターだけでなく、様々な業種、職種の方に必要になってくると言えるのです。 最も重要な広告コピー 次にコピーの種類についてお話しします。広告コピーには、誰もが「広告コピー」と聞いて頭に浮かぶキャッチコピー。商品の詳細な情報を詰め込んだ読み物である「ボディコピー」、キャッチコピーの補完的な要素を担うサブキャッチ、ブランドと消費者の関係性を定義したタグラインなど様々なものがあります。   ここでは、業種関係なく、みなさんにその重要性を知って欲しい広告コピーとしてタグラインを取り上げます。   商品を定義づけ、商品価値を上げる言葉としてのタグライン。一言でタグラインといっても表現すべきレイヤーは何層にも別れます。   社会的価値 (その商品が消費者のみならず、社会に提供している価値) ↑ 情緒的価値 (その商品を使うことで得られる「感情」の価値) ↑ 機能的価値 (その商品を使うことで得られる「性能」の価値) ↑ 物理的価値 (存在そのものの価値)   差別化が難しいブランドほど、上のレイヤーで戦うことが多くなります。   レイヤーの説明の例として「カップラーメン」を挙げます。       【カップラーメンの情報レイヤー】   社会的価値 共働き家族を応援・高齢貧困層を支援 ↑ 情緒的価値 ストレス解消・自宅で本格 ↑ 機能的価値 3分でできる・生麺 ↑ 物理的価値 カップに入ったラーメン   上記どのレイヤーでタグラインを書くか、それはその商品が置かれている市場環境、競合商品との関係、コミュニケーション戦略等を踏まえ考えなくてはいけません。 「What to...

町おこしにはさまざまな手法がある。   企業や工場を誘致するのも一つ、道の駅の充実も一つ。ゆるキャラを作ったりB級グルメを推しだすのも手法の一つだ。   福島県いわき市ではデカ盛りメニューで町おこしをしている。 ステーキや唐揚げなど7品目以上乗った重さ2.5㎏の丼メシ、高さ45cmのジャンボパフェを出してる喫茶店、直径27㎝のどら焼きがある和菓子屋さん。市内各地、数十店の飲食店がデカ盛りメニューを提供している。そんな町おこし活動が功を奏して、いわき市は「デカ盛りの聖地」と呼ばれている。   デカ盛り目指して、わざわざ県外からやってくる観光客も少なくない。 なかでも人気なのが「白土屋菓子店」のジャンボシュークリームだ。外観の写真を撮っているほんの1~2分のあいだだけでも、数名のお客さんが吸いこまれていた。   看板にもジャンボシュークリームの写真が載っている。写真を見る限りそれほどデカそうではないが、実物を覗いてみると…… なんだこの姿、形は。   横に幅広いし、半端じゃないぐらいパウダーシュガーが降りかかっている。こんなシュークリーム見たことない。姿、形が普通じゃない事は充分伝わると思うが、比較対象がなければ大きさは分からないだろう。   ちょっと引いて、他のシュークリームと比べていただこう。 ……デ、デカい!!   ジャンボシュー、中ジャンボシュー、特大ジャンボシューの3ランクを見比べれば、その巨大さがお分かりいただけると思う。あまりのデカさに中ジャンボ、特大ジャンボが自重で潰れているじゃないか。 とはいえ、見比べると言っても、ベースとなるジャンボシューがまずデカい。コンビニで売ってる一般的なシュークリームの3倍ぐらいある。   店員さんに尋ねたところ、特大ジャンボシューはジャンボシューの7個分ぐらいあるそう。   計算式にすると 『特大シュークリーム =...

  こんにちは、トイアンナです。   これまでに2回起業してパッとしない成果を出してから就職。現在は3回目の起業へ挑んでいます(懲りてない)。しかし失敗から学ぶこともあります。今回は特に私が辛酸をなめた、スタートアップ界隈でゴロゴロいる「毒になる社員」についてお話します。 スタートアップの時期に、社員は厳選できない 「スタートアップ」。いい響きですが、金も知識も足りない時期です。そんなスタートアップ時期に自社へ飛び込んでくれる社員は、はっきり言ってどこかおかしい、おかしくないといけません。そのおかしい要素別に4分類したのが、こちら。   ・ とにかくデカいことをやりたい「ビジョナリー型」 乱世の英雄です。何もかも決まっていない創業期に大活躍するリーダー。このタイプが発起人となるケースも多いんじゃないでしょうか。営業が上手で資金をバリバリ獲得する一方、なぜか私生活(≒女性問題)で問題を抱えがち。中堅企業へ進化する過程でコンプライアンスと衝突します。   ・ 好奇心でキャリアを選ぶ「キュリオシティー型」 「面白そうだから」という理由でスタートアップへ飛び込んでくれる逸材。アイディア出しや企画で重宝します。欠かせない人材である一方、本人のやる気は「この業界なんとなく分かっちゃったわ」と感じた時点で失速しがち。ようやくビジネスが軌道に乗ったかな、という時期に急な辞職をします。そしてまた次のスタートアップへ繰り出し、永久の旅人となる方も。   ・ 頑張りを褒められたい「ワーカホリック型」 何かをしていないと死んでしまう狂戦士です。元コンサル出身者にありがち。音頭をとってくれるリーダーを求めてさまようため、上記の「ビジョナリー型」リーダーにほだされ、飛び込んでくれます。大企業出身者が多いため保守的な提案をしがちですが、この社員のおかげで違法・脱法の地雷原へ突っ込まず生き延びる企業は少なくありません。   ・ スタートアップにおける守りの要「シールド型」 最後の最後でスタートアップに参加してくる慎重派。スタートアップでなおざりにされやすい総務・財務部門を立て直すバックオフィスの盾です。社長を含め初期メンを叱る役割のため、姉御肌の人材が担当しやすいです。 リスクが高いのは「前社批判に終わるタイプ」 いずれのメンバーも優秀さで厳選すべきなのは言うまでもありません。また、これらの人材どれも欠けてはならない基礎パーツ。最低人数で回すにせよ、この4タイプは欲しいものです。では、いかに優秀さをジャッジすべきでしょうか?    答えは「社会不適合だったからスタートアップへ来た」のではないことです。   一般的にスタートアップは、会社員を経験してから「いっちょやったるか」と集まり、人生を賭けてみる方が多いはず。会社員経験者はマナーや根回しを知っているため案件を受注しようにも有利であったり、投資を得やすかったりします。   ところが「社会不適合だったからスタートアップへ来た」人材はここで力を発揮できません。キャッシュがないとあっという間に死ぬのがスタートアップですから、この時期に参画してもらうのは早すぎるのです。参加してもらうとすれば、安定収益が確保できてからの拡大期でしょう。 過去の経歴を「いかに語るか」で毒になる社員を見抜く 特にスタートアップ期で「毒になる社員」の特徴を列挙します。   ・ 前職について悪口一辺倒で語る ・ 元カレ・元カノについても悪しざまに言う ・ 社交的でFacebookの友人が多い ・ 過去に有言不実行だった経歴がある ・ 挫折体験を語らせると大体「誰かのせい」で挫折している ・ 頭だけを使う成果が多く、手を動かした経歴が少ない   このタイプは「自分がこれまで成功できなかったのは、環境が悪かったからだ」といかに自分が悲惨な経験をしてきたか滔々と語ります。人情味のある社員ほどこれを信じてしまうのですが、実際に仕事を任せると信じられないほど動けません。業務改善のためフィードバックをすると、会社が悪いと言い出します。そうして自社組織を壊してからまた次の会社へ去るのです。   このタイプは、自分を上記の「キュリオシティー型」だと自称しがちです。   「好奇心旺盛なんです、だからいろいろな事業に興味を持って職歴が多いんです」 「やりたいことは全部試します。飽きっぽいと言われることも多いです」   ですが創業期に欠かせないキュリオシティー型は、興味を持ったことはある程度まで完遂します。つまらない作業も嫌だとはいいながら実行する胆力があるのです。一方、「毒になる社員」は前職やこれまで付き合ってきた人間を一方的に責め、自分を被害者にします。   スタートアップを志す人間なら誰しも、大企業に失望した経験くらいあるでしょう。だが創業期を経験することで「自分も至らない点があった」「あの会社の長所も取り入れよう」とバランス感覚を取り戻します。しかし「毒になる社員」は相手が100%悪かった、自分は被害者だと、一方的な視野を維持します。   ちなみに私がいままで聞いて一番びっくりしたのが、「みんな私に恋をしてしまうんです。ダメって言ってるのに。創業メンバーが私を奪い合うことが多くて、それでどのスタートアップも長続きしませんでした」と断言した志望者でした。ここまでくるとポジティブ過ぎてもはやあっぱれですが、採ってはいけない理由も伝わるかと思います。 面接では過去をじっくり聞き出そう では、どうすれば「毒になる社員」を見抜けるでしょうか。事例を見て「こんなんすぐに分かるでしょう」と思われるかもしれませんが、前職への義憤あってこそやり抜ける人と、自分を被害者に仕立て上げるだけで手を動かさない「毒になる社員」の識別は難しいものです。まずは前職や周囲からのリファレンスチェックを勧めます。   また、過去の経験をじっくり聞き出すことで「ずっと他責ばかり」「成果を出す前に組織を去っている」「恋人も相手が悪いとののしるばかり」と、毒になる社員ならではの特徴が浮かび上がります。   スタートアップに適した人材は4タイプ共通で、下記の要素を持っています。   ・ 頭だけでなく手足も同時に動かす ・ 成果を出すまでは意地でも踏ん張る ・ 失敗したらまずは自分を疑う ・ 承認されないシーンでもなすべきことをなす   この共通点は、たとえ飽きっぽいと言われるキュリオシティー型でも同様です。この要素が毒になる社員と未来の幹部を識別するリトマス紙となるでしょう。   「忙しすぎて面接をする時間もない」のがスタートアップではありますが、それでも毒になる社員の雇用は避けたいもの。少ない人数で回す分、メンバーは会社のブランドイメージも担います。採用を最優先にするくらいの気持ちで、自社員を厳選してください。さもなくば私と同じ穴に落ちることとなるでしょう。ご武運を。     ...

  皆さんは人間を信用出来ますか。   商売をやっていると「ひどい目」に遭わされることはわりとよくあります。信用していた人間から手酷い裏切りを受けることだってあるでしょう。一度は誰もが人間不信に陥ることだと思います。僕もそうなりました、何度となく「人間を信用してはいけないんだ…」と思いました。経験則だけで物を言えば、人間は必ず信用を裏切る生き物です。本当の意味で全幅の信頼を置ける人間なんてこの世には一人もいないと思います。   しかし、「俺は誰一人信用しない」と言い切れる経営者もおそらくこの世には一人もいないでしょう。「性善説」と「性悪説」のどちらの世界観を採用するかは個人の自由ですが、経営者が徹底した「性悪説」を前提に経営を行うのは非常に難しいことだからです。端的に言えば、それはコストの問題です。   お金の絡んだ対人関係の中で「信用する」「信用しない」の線をどう引くか。これは経営をやっていれば必ず突き当たる問題でしょう。今日はそういうことを考えてみたいと思います。 性悪説は無限のコストを要求する 実は経営者には「すれっからしの徹底した人間不信」みたいな人はあまり多くありません。少なくとも、トップに立つ人間がこの方針を採用しているのを僕は一度も見たことがありません。彼らは結構な頻度で「騙されて」いますし、懲りずにわりと何度も「騙され」ます。   経営を始めた当初は「あいつらは人間を疑うということを知らないのか?」という素朴な疑問を抱いていましたが、自分で店舗経営をするようになって疑問は氷解しました。「人間を疑う」ことを徹底すると、必要なコストは天井知らずになるのです。これはお金の面でのコストもそうですが、労力面でのコストもとんでもないことになります。   例えば、飲食店を経営して「絶対に従業員による横領が発生しない仕組みを作る」ことを考えてみてください。ちょっと考えると「不可能」もしくは「多少横領されることを前提にシステム組んだ方がマシでは?」という結論が出ると思います。結局のところ、帳簿を自分で握っていても現場の人間がお金を扱う以上、「横領」は防ぎきれないと考えた方が妥当です。実際、飲食店における横領は相当数発生しています。同業者でもうんざりするほど聞きました。多分、氷山の一角でしょう。露見していないものの方が多いと思います。   しかし、前述した通り現実的に性悪説は採用不可能です。最終的には「ここから先はコストの問題として従業員を信用するしかない」という線を引かざるを得ません。極論すれば、あなたのお店の従業員が全員グルになってあなたからお金を引っこ抜いている可能性は、常に否定しきれないのです。やろうと思えばそれはやれてしまうのです。それが今まさに起きている可能性は決して低くありません。   また、「横領」のような露見すれば即時犯罪になるようなことに限らず、他社への利益供与や出入り業者からのマージン抜きなどまで含めれば、人を雇ってしまった以上そういうことが起きるのは最早当たり前と考えるしかないことがわかってくると思います。徹底した「性悪説」を採用してこれを防ぐコストは、少なくとも中小零細企業には到底賄いきれないでしょう。おそらく、大手企業でも無理だと思います。世界というのは性悪説で回る仕組みにはなっていないのです。世界を回しているのは信用で、それは本当に救いの無い話です。 信用は常にギャンブルである 「信用できる従業員」というのは経営者にとって最大の宝です。これが存在しなければ、どんな事業も行うことは出来ないでしょう。どれほど優秀な経営者も分身の術は使えません。しかし、これはどこまでいっても一種のギャンブルです。「信用」とは「リスクを取ってコストを減らすこと」に他なりません。   しかし、起業初期ほどこの「ギャンブル」をする必要に迫られることでしょう。従業員を十分に疑うコストを払える形で起業出来る人なんて稀ですし、そんなことをしていれば事業展開のスピード感は著しく損なわれてしまいます。会社としての収益システムの完成度が低ければ低いほど、業務は属人的な性格が強くなり、そこには「委ねる」ことがどうしても必要になります。   人間は結構悪いことをしています。これは現在の営業職に勤めるようになって本当によくわかりました。上手い事やって会社に入る筈だったお金を自分のポケットに入れる人は残念ながらたくさんいます。しかし、別に他社の営業がそれを行っていても知ったことではない場合が多いので、こちらも犯罪になってしまうという形でなければそれを止める理由もありません。別に、取引が円満に成立するならいいよ、そっちの会社の内部事情なんて知らないよ。そうとしか言いようがない。   従業員による背信行為は当たり前のように起こるし、それを完全に防ぎきる手立ては存在しない。そういうところからどうするかを考えていくしかないのです。そして、それはあくまでもギャンブル。必勝法は存在しません。 リスクの存在を認識すること さて、ここまでのお話はかなり絶望的でした。「信用に値する人間は存在しない」「しかし信用するしかない」というのは、つまるところ起業の成功なんてものは所詮運だというお話になってしまうと思います。ある意味ではこれは否定しがたい真実でしょう。しかし、ギャンブルにだってコントロール可能な領域は存在します。努力の余地はゼロではありません。   「どこに幾ら賭けるか」だけはギャンブルにおいてもコントロール可能ですよね。従業員に裁量を委ねたとして、その従業員が悪意を持った場合、あるいは想定しえる最大の過失を起こした場合に発生する損失というのは、大まかには予測可能だと思います。「予測不能」という人が社内に存在する場合ですが、それは怖いですね。言うなれば、幾ら負けるかわからない勝負をしている状態です。   リスクがそこにあることさえ認識していれば、後は単なるリスクマネジメントの問題に過ぎません。時には、「この人間が背信行為を行った場合、致命的な事態が発生することは避けられない」という形で裁量を委ねなければならないこともあるでしょう。創業初期なんて大体がそんなものだと思います。しかし、そこにリスクがあると認識できているだけで話は全く別物になります。監視コストを重点的に振ることも出来るようになるでしょう。   トップが従業員の仕事に目を光らせるのは限界があります。この限界は、それほど遠い場所にはありません。ほんの少し事業が拡大すれば、トップにとっても経営上のブラックボックスが必ず出現してしまいます。「監視する仕事」を行う従業員を雇う、あるいは相互監視システムを敷くなどの解法もありますが、これだって完璧を期すことは不可能です。「監視する人間」だって疑う必要はあるのですから。監視する人を監視する人を監視する人を雇う話になりますね。 信用のポートフォリオ 「性悪説と性善説のどちらの立場が正しいか」みたいな議論は人類史上ずっと続いていると思いますが、僕はこれに関して一切の疑いなく「性悪説」が正解だと思います。しかし、それを踏まえたうえで「疑う」というコストを支払うのは限界があります。全ての従業員を一切信用しない社長は、間違いなく過労で死ぬでしょう。   ではどうするか。不確実性の高いものへの投資を行う際は基本的には分散するしかない、という原則があると思います。信用するということ自体がひとつの投資行動だと考えれば、配分はおのずから見えて来るでしょう。出来れば、創業メンバーの時点で「誰が致命的な背信行為を行っても、一人だけであれば何とかリカバー出来る」くらいの形を作れていれば理想ですね。創業メンバーが致命的に裏切った話なんてウンザリするほどありますから。   これはいわば信用のポートフォリオを組むということです。誰にどれだけ投資をするのか。そして、投資案件の一部が想定しえる最大の赤字を吐き出してもトータルでは耐えられる形を目指していく、これが重要なことだと思います。   長く仕事をしていると、「こいつが裏切るなんてあり得ない」という人間が出て来ることもあるでしょう。繰り返しになりますが信用出来るスタッフは、会社にとって最高の宝です。しかし、致命的な出来事は往々にして「本当に信用出来る人間」が起こします。そういうことは起こり得る、そういう心構えが本当に重要です。いざというときの心のダメージも最小限に済ませられます。   不信はコストフルで疲れます。信用は低コストかつ楽です。しかし、楽に流れれば損失の発生率が上昇し、かといって誰も信じなければ何も出来ません。この狭間で、投資をコントロールする。これが一番大事なことだと思います。そこには人間的な感情の入り込む余地はありません。狭間に立ち続けるのです。   今思うと、僕はこの辺が本当にハチャメチャでした。「腹を括って裁量を丸投げした結果上手くいった」という成功体験と、「裏切られた」という失敗体験がどちらもあります。リスクコントロールの観点を持っていなかったことには後悔しかありません。「こいつは信用出来る」「こいつは信用できない」といった直感的判断は、今になって振り返るとあまり正確とは言えませんでした。「こいつは信用出来る」は「この投資案件は絶対に儲かる」に近いものだと僕は思っています。   「人を見る目」に自信があるという方はこういうやり方を採用せず、「こいつは信用できる、こいつは信用できない」というやり方でもいいと思います。しかし、僕は本当に痛い目を見ましたので、絶対的な不信を持って信用と言う投資行動をコントロールすることをお勧めいたします。   起業に失敗した時に人間への憎しみが残るのはとても辛いことです。皆さまが悔いのないチャレンジが出来ることを、心からお祈りしています。 具体的なお話 さて、いつもならここで終わるのですが、今回は少し具体的なお話をさせていただきます。「裏切る」人間の類型についてです。これはあくまで僕の知る限りですが、「裏切る」人間には二種類います。「合理的に裏切る人間」と「まったく理解不能な人間」です。   「合理的に裏切る人間」を何とかする方策については、僕がグダグダ述べなくても、警戒心と余力さえあれば皆さん幾らでも思いつくでしょう。(それが実現可能かは別として)つまるところ、横領されないためには横領リスクを高くすればいい。他社にネタ持って逃げられないためには他社より待遇を良くすればいい。背信の合理性を発生させない、そういうことですね。   しかし、人間というのは必ずしも合理的に動いているわけではありません。「なんでそんなことをしたんだ」ということを、人間はやらかします。あなたの信頼しているあの人も、あなたの腹心のあの人も、やる時はやります。初めから行動の合理性を有していない人間も存在しますし、また何らかの事情で行動から合理性が失われてしまう人も存在します。   例えば、ヤミ金から身の丈に余る金を引っ張ってギャンブルで溶かした人間にはもう、人間としての判断力など残っていません。それはもう人間ではないのです。もっと卑近な例で言えば、トップであるあなたに強い憎しみを抱いた部下の行動からは往々にして合理性が消滅します。人間が、「俺はあいつにひどい目に遭わされたのだ、だから横領くらいして当然なのだ」と主張するのはよくある話です。   余談ですが、経営者には人間をわりと「肩書き」や「属性」で判断する人が多い傾向があると思うんですが、あれはおそらく切実な経験則なのです。幾度となく裏切られて来た人間が最後に辿りつくのは、「属性の悪い人間はやはりやらかす」であり「借金のある人間は信用できない」であり「社会的地位の無い人間は認めない」なのです。もっとも、零細企業の経営者に人を選ぶ余裕はないので、多少難がある人材も乗りこなさなければならないのですが…。   さて、端的に言えば、「仕事の出来るバカ」はクソ怖いということです。ナチュラルにバカなのも怖いし、何らかの事情で脳がバカになっているのもクソ怖いです。どれほど仕事が出来ようが、成果を出そうが「こいつは合理的かつ了解可能な行動原理を有していない」と判断できたら、絶対に重責につけないことが重要です。「合理的に裏切る奴」ならいざコトが起きてもなんとか交渉は成立します。しかし、バカには交渉が通じません。どこにも落としどころのない闘争の結果何もかもが破滅する。そういうことはよくあります。   「合理的に裏切られた」は経営者の実力不足です。しかし、「有能なバカにやらかされた」は信用の投資判断ミスです。結局、裁量を過大に与えていない限りは多少やらかしたところでたいしたことにはなりません。「有能なバカのやらかし」が巨大化するのは、結局のところ与えるべきでない人間に権限を与えたから。それだけです。通帳と銀行印をバカに預けたら、有り金持って行かれる可能性があるのは当たり前です。   繰り返しますが、「バカ」であることと「仕事の能力が無いこと」は必ずしもイコールではありません。凄まじく成果を出すバカも存在します。しかし、「話し合いが成立しない」「基本的な経営観念が共有できない」などの人間は、「解雇する」と腹を括って使いましょう。有能なバカほど恐ろしいものはないのです。そういう人間に過大な「信用」という投資を行ってはいけません。それはあまりにも分の悪いギャンブルです。   これは、会社のガワが小さければ小さいほど重要な判断です。大きくなれば人員の総数が増えて相対的に一人がやらかせる限度も小さくなりますが、社員数人であれば、たった一人の背信行為が簡単に経営を破綻させます。「仕事の出来るバカ」は逃げない程度に冷遇し、必要がなくなった瞬間に解雇しましょう。これは「周囲をイエスマンで固めろ」ということではありません。「判断の合理性を了解出来ない人間は切れ」という意味です。しかし、「バカ」を判別する自信がなければ、いっそイエスマンで固めてしまった方がまだマシだと思います。   実際、僕の周囲で「周囲をイエスマンで固めた社長」と「闊達な意見を部下に許す社長」ですが、僕と関わりを持つ程度の会社であれば前者の方が勝っている印象があります。もちろん母数が少ないので所詮は印象論ですが。少なくとも会社が小さいうちは、経営判断のクイックさが要求されるので、民主主義より独裁が有効な場合は多いと思います。これは非常にイヤな表現ですが、「理想に燃える若き起業家」が最も嫌悪するタイプの「中小企業の独裁者」は「正しく合理的な経営」を行っている可能性もあるのです。 判断から人間性を捨て去る トップの人間性というのは非常に重要な会社の資産です。「人間的に尊敬されている」という要素ひとつで勝っちゃう人も存在すると思います。しかし、経営判断に人間性は一切要りません。「人間性の欠如した経営判断を行っている」ということは可能ならば隠した方が良いのは間違いないですが、多少バレてしまっても経営判断に人間性を介入させるよりはよっぽどマシです。   「なんか帳簿に違和感があるけどあいつを疑うわけにはいかない」こういうことってよく起きますよね。疑ってください。その「疑いたくない」という嫌悪感こそが、あなたの人間性であり同時に弱みです。致命的な事態は往々にして水面下で進行しますが、それでも後から考えてみると「背ビレは見えていた」という場合が多いです。背後から迫り来るサメの背びれを不可視にするのは、あなたの人間性そのものです。サメに下半身を食いちぎられた僕が言うんだから間違いありません。   「全ての従業員は本質的に信用には値しない」「信用はリスクある投資」。こういった考え方に基づく判断はなるべく回避していくにせよ、心の奥底でこの決意を握り締めていて損はありません。倫理的で人間的であることは経営者の仕事ではないからです(ただし、倫理的で人間的であるように見せかけるのは経営者のとても大切な仕事です)。   人間は大体「正しくありたい」「善くありたい」という尽きざる欲求を持っています。これは僕もそうです。しかし、あなたが無借金のオーナー会社のトップでもない限り、あなたにとっての正義は「正しくあること」でも「善くあること」でもないはずです。あなたは人間である以前に経営者なのですから。僕にはこの決意があまりにも足りなかったと今では思います。   性悪説に立ち、あらゆる「信用」をリスクある投資と認識しましょう。また、明らかにリスクの高い「バカ」については厳重かつ冷徹なリスクマネジメントを徹底しましょう。(余談ですが「非常に高い能力があるのに職場を求めて市場を彷徨っている人間」は高確率で「バカ」です)どこが爆発しても全体が沈まない、上手な信用のポートフォリオを組みましょう。それは人間としてとても苦痛の伴うことですが、経営者にとっての「正義」であるはずです。   「あいつを疑いたくない」という場所で立ち止まっている経営者様、多分この文章を読まれている中にもいるのではないでしょうか。それを疑うのはとても苦しいものですが、それがあなたの仕事です。それは、あなたの下半身を食いちぎるサメの背びれかもしれません。人間性を殺し、経営者として悔いの残らない判断をしましょう。   経営者というのは「誰にどれだけ金を払うか」を常に考えている人種だと思いますが、もうひとつ「誰をどれだけ信用するか」という投資も存在しています。この二つが上手なら、経営が成功する確率はとても高いでしょう。それは純粋に技巧的な問題です。人間性を差し挟まない、あなたの考える合理性に貫かれた判断に徹してください。そうすれば、少なくとも僕よりは後悔が残らないと思います。   良い旅を祈ります。     ...