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アキンド探訪

『婚活商売』が乱立中。婚活マニア歴6年の著者がご案内 書籍『「婚活」時代』が発売されてから10年。婚活はいまや一般用語として普及した。婚活の手段も従来のお見合いや合コンだけでなく、選べないほど多数の選択肢がある。   であるからには、そろそろ「婚活にはどんなものがあるか」網羅的に見てもいいのではないか。そこで今回は、結婚希望者からの人生相談を6年ほど受け続けてきた"婚活マニア"としての経験をもとに、婚活業界をご案内したい。   これが婚活業界マップだ 婚活業界はおおまかに11種類へ分かれている。 ▲婚活業界マップ   高単価なものでは3万円程度かかるが、低単価なものは1,000円台から参加できる。真剣度は「結婚とは限らず恋愛や友人関係を探しにくる」人の割合でマッピングした。   以下、各項目を解説する。   (1) 合コン 歴史はなんと明治時代にさかのぼる、出会いを促進する飲み会。株式会社ぐるなびの調査では婚活で選ばれる手段の3位にランクインしている。   だが実施する人の多さと対照的に、成婚率は低い。リクルートブライダル総研の『婚活実態調査2018』によると、合コンで出会った相手と結婚した人は2017年に成婚した人のわずか9.6%に過ぎない。これまで人生相談を900件近く受けてきた筆者としても、既婚者がよく混ざっている、盛り上がりを優先して個々の相手と話しづらいなど課題が見られる。楽に開催できる反面、効率はよくない婚活といえる。市場規模は不明だが、飲食店業界へ一定の割合で貢献していることは間違いない。   (2) 街コン 飲食店と提携し、多数の店舗を回ることで婚活を楽しめる合コン。従来の合コンと異なり、見知らぬ男女が集まるのが特徴。2014年の意識調査によると、合コンよりも結婚への真剣度が高いことが判明している。   街コン単体での市場規模を推察することは難しいが、大手街コン企業の株式会社リンクバルの決算資料を読み解くと、街コンよりイベント型婚活で業績を伸ばしていることからやや縮小傾向にあると思われる。 (3)...

かまぼこの未来のため、異色のレスラーが立ち上がる 武藤敬司率いるW-1で活躍するプロレスラー三富政行さん(twitter、instagram)を知っていますか? 彼は慶應義塾大学を卒業し、大手広告代理店・博報堂に就職。その後一念発起して会社を辞め、プロレスラーに転身するという、異色の経歴を持っています。   【過去記事】博報堂を辞めてプロレスラーに。三富政行が語る「好きを仕事にする」ということ   そんな三富氏、7/1に小田原アリーナで開催されたW-1の告知で弊社(小田原にあります)を訪れた際、親戚が小田原に住んでいて、かまぼこが身近な存在だったこと、かまぼこに対して人一倍熱い想いがあることを話してくれました。   ---------------- かまぼこは高たんぱく低カロリーなんです! アスリートは絶対かまぼこを食べるべき。 脂質も超低い。炭水化物も入っているから、これだけで食事として完結する、まさに『完全食』なのです!もっとかまぼこのことを知ってほしい!...

宮城県の廃墟「化女沼レジャーランド」を知っていますか? 宮城県にかつて存在した遊園地「化女沼レジャーランド」。今は廃墟となり、静かに新しい買い主を待っています。その歴史と現在、なぜ復活に向けたクラウドファンディングはとん挫してしまったのか。   持ち主の後藤孝幸氏から買主探しを依頼された「廃墟マニア」鹿取氏に語っていただきます。   夢見る若者が実現させた「化女沼レジャーランド」 戦後、焼け野原となった宮城の仙北平野を眺め、人々に希望を与える娯楽施設を築こうと夢みる若者がいた。古川商会の二代目、後藤孝幸氏だ。ガソリンスタンドや貸しビル業など、様々な事業を手広く展開するが、ずっと夢を追い続けていた。   1979年、ついに夢を実現させる。宮城県古川市(現在の大崎市)に総合レジャー施設「化女沼保養ランド」を造り上げた。観覧車やメリーゴーランド、ゴーカートなどを備えた遊園地のほか、ゴルフ場やホテル、野外コンサート場も併設した。その後、「化女沼レジャーランド」に名前を変えた。   行政や大手企業に頼ることなく、後藤氏の独力で開園に漕ぎつけたが、その苦労は生半可なものではなかった。連日銀行を駆け回り、資金を集めた。遊園地の遊具も、後藤氏が直接アメリカやヨーロッパに出向いて買い付けてきた。   ▲廃墟となったゴルフの打ちっぱなし。このほか6ホールのゴルフ場もあった。   開園後は、東北では数少ない遊園地とあって、連日多くの人で賑わった。週末にもなると家族連れが列をつくり、ランド周辺には渋滞も発生した。なかでも1,000人を収容できるそうめん流しは、化女沼レジャーランドの風物詩となった。今でも地元では「遊園地のことは覚えてないけど、そうめん流しだけは覚えている。」という人も多い。   そうめん流しとは、流しそうめんとは異なり、円卓中央の水槽の中でそうめんがグルグル回るというもの。ランド内には、専用の円卓が数百基備えられていた。   ▲そうめん流し 参考画像   野外コンサート場では、ゴダイゴなど人気歌手のコンサートも度々行われ、全国から数千人のファンが押し寄せた。あるコンサートの日、台風が接近していたため中止を決定したが、ファンの女の子に泣かれて、仕方なく数人のためだけにコンサートを行ったこともあった。その日のことを後藤氏は「大赤字でしたよ。でもね、お金のためだけじゃないですから。商売は。」と、笑顔で振り返る。   年間20~30万人が訪れ、たちまち宮城を代表する人気スポットになった。後藤氏は多忙を極め、寝る間を惜しんでイベントの準備などに追われた。   順調に動き出した化女沼レジャーランドだったが、徐々に苦戦を強いられてくる。渡り鳥の飛来地として知られる化女沼の畔にあってロケーションは最高だが、アクセスは決してよくなかった。東北新幹線の古川駅からも、東北道の古川インターからも10キロほど離れている。   また、元々人口の限られている東北では、特にリピーターの存在が大きな鍵となるが、独力で開園したため資金と時間に余裕がなく、設備の増設が出来なかった。   レジャーが多様化し、海外旅行へシフトしていった時代背景もあって、来園者は急激に減少。1990年代後半には、入場者が1ケタという日も少なくない状況に陥った。資金繰りが悪化し、持っている土地も全部担保に入れたが、2001年、ついに閉園のやむなきに至った。   戦後から追いかけ続けてきた男の夢は、20年ほどで儚く消えた。   ▲廃墟と化した化女沼レジャーランド     私と「化女沼レジャーランド」の所有者・後藤氏の関係 遊具が錆びつき、荒廃した雰囲気が漂いはじめた2010年、私は後藤氏とはじめて出会う。当時、NHKで放送されていた「熱中人」という番組で私が密着取材を受けることになり、ロケができる廃墟を探していた。   とはいえ、廃墟というのは、所有者にしてみれば不名誉な遺物で、ひっそりとしておいてほしいのが本音だろう。それをテレビで放送するなど、とても許可してくれるものではなかった。   東海地区から全国へエリアを広げ、許可の取れる廃墟を探していた時に行き着いたのが、化女沼レジャーランドだった。後藤氏は快く撮影を迎え入れてくれたのだ。   ちなみに、化女沼レジャーランドは廃墟化した後も、映画『スープオペラ』など、撮影地として度々使われてきた。なかには困ったこともあって、某テレビ局の「映っちゃった系番組」のロケに使われた際、根も葉もない事実を放送され、“心霊スポット”の汚名を着せられてしまったのだ。テレビ局の作り話、デマだというのに、信じている人も多いようだ。   「夢も一緒に引き継いでくれる人が現れるまで」 化女沼レジャーランドにかける後藤氏の想い ロケ当日、廃墟と化した化女沼レジャーランドを2日間かけて探索しながら、後藤氏の話を聞いた。   「ここにはね、遊んだ人の思い出と私の夢がギッシリ詰まってるんですよ。そのシンボルである遊具は、どうしても撤去できなかった。できればまた遊園地にしたいんです。それが無理でも、みんなが喜ぶ場所にしたい。」   遊園地の遊具は中古でも高値で取引されるため、早々に撤去されることが多いが、後藤氏の強い意志によって遊具が残されていたことを知る。こうした後藤氏の思いに触れ、胸が熱くなった。また、後藤氏はこうも語った。   「俺があと10歳若かったら、金を集めてまたやるんだけど、もう歳だから。土地は売りたいけど、切り売りはしない。夢も一緒に引き継いでくれる人が現れるまで、遊具を残しておく。」   ▲化女沼レジャーランドに対する熱い想いを語ってくれた後藤氏   私に何かできることはないか考えた こんな話を聞いて、心が動かされない人なんているのだろうか。できることなら、私がここを遊園地として再興したいと思った。閉園した当時とは、事情も大きく変わっている。   車で1分ほどの距離に東北道のスマートICが完成し、交通の便は大幅に改善された。閉園後に温泉を掘削し、源泉も湧いた。これが温泉マニアも唸るほどの良泉で、宮城県のみならず、東北随一と評されている。これは、やり方によっては何とかなるのではないか。   そんなことを思ったところで、私には先立つものがない。どう考えても億単位の買い物になるので、日々の生活にあくせくしているサラリーマンとしては、どうしようもなかった。複雑な思いを抱えて、ロケを終了した。   ▲筆者も温泉に入浴。野湯状態だが、泉質は折り紙つきだ。   「化女沼レジャーランド」が再びNHKで取り上げられる それから4年が過ぎた2014年、NHKから連絡が入った。「新日本風土記」という番組で化女沼レジャーランドを取り上げたいが、所有者と連絡がつかないので紹介してほしいという内容だった。   私は2010年のロケ以来、個人的にランドを見学させてもらうなど、後藤氏と連絡を取っていた。すぐにNHKと話を繋いだ。放送では、化女沼レジャーランドというより、後藤氏が主役になっていた。あえて廃墟を残している熱い想いや、豪快で人情味あふれる人柄に、NHKのスタッフも惚れ込んだのだろう。当の後藤氏も放送を気に入ったようで、私にまでお礼の電話をくれた。   廃墟の所有者から廃墟マニアへ、まさかの依頼が 放送後の2015年春、後藤氏が名古屋まで私に会いに来てくれた。電話ではなく、直接お礼が言いたいのだという。   当日、宮城のお土産をいただき、思い出話にも花が咲いた。そして、後藤氏がおもむろに分厚い冊子を取り出した。表紙には“化女沼レジャーランドの概要”と書かれている。   「私ももう歳だから、ランドを手放そうと思う。そこで、夢を引き継いでくれる人を、ぜひ鹿取さんに見つけほしいと思って来たんです。」   これには正直、ビックリした。敷地は45,000坪あり、温泉の源泉も付いてくる。どう考えても、高額な不動産取引だ。その売り先を、不動産と全く関係のない化学系技術職のサラリーマンである私に、依頼してきたのだ。それも、廃墟の所有者と廃墟マニアという関係でしかないのに。   無理だと思いますよ、とお伝えしたが、これまで何度も廃墟の見学を受け入れてもらい、何一つ恩返しができていない。無理と分かっていても、出来るだけのことはやってみようと心に誓った。   ▲廃墟の所有者(右)が廃墟マニア(左)に売却先探しを依頼するという前代未聞の事態に。   とはいえ、私にできることといえば、せいぜいホームページで宣伝をしたり、廃墟マニアの口コミで情報を広めることぐらいだ。土地に興味のある人も来るかと思い、見学会も催したが、何の反響もないまま1年が過ぎた。   「廃墟の買い手募集」がみるみる拡散。殺到する取材依頼 2016年9月、何気なくツイッターでつぶやいた。   宮城県古川市にある遊園地廃墟「化女沼レジャーランド」。所有者様に頼まれて、買っていただける方を探しています。東北自道・長者原スマートインターから3分、約45,000坪、閉園後に涌き出た源泉付き。自然公園に囲まれ、当地のみ建築制限なし...

かつては「安定の象徴」だった公認会計士だが… 「公認会計士」といえば、かつては安定の象徴ともいえるキャリアだった。5%ともいわれる難関資格をくぐりぬければ、あとは監査法人へ就職すればリストラもなく初任給600万と高給だ。   しかし、2006年から2010年には公認会計士バブルが発生。合格者を15,000人も出したことから、当時の公認会計士は報酬減額と就職難に見舞われた。   そのころから、公認会計士が監査法人以外のキャリアを考えるようになったと思われる。従来であれば選択肢になかったベンチャー企業の役員一覧で、公認会計士がちらほら登場するのはここからだ。   そこで今回、なぜ安定高給の象徴であった公認会計士がベンチャー企業を志すのか、実際の経験者からお話をうかがってきた。   当時最年少 で会計士資格を取得した天才の選ぶ道 お話を聞かせてくださったのは、株式会社ごちぽんで経営企画部の部長を務める井上健さんだ。井上さんは大学在学中に公認会計士試験へ当時最年少で合格した天才肌。卒業後は大手監査法人の花形部署で大手企業を中心に監査を担当していた。     ― 監査法人にお勤めのころ、ベンチャー企業をどう見ていましたか?   井上さん:クライアントとしてのかかわりはありませんでした。当時、クライアントが大手の事業会社や外資系企業の日本支社でして。そのこともあり、ベンチャー企業が話題に上ることがあまりなかったと思います。就職先も監査法人、投資銀行の監査、もしくは親の跡を継いで会計士事務所へ行くか。   ベンチャー企業へ転職したのは、20名いた仲良しの同期でも私1人だったと記憶しています。転職後も肩書に公認会計士とある方はほとんどいなくて、「起業を志す会計士で集まろう!」と顔の広い先輩が声を方々へかけても集まったのが4人だったことがあります。   ―...

世界一ゆるいバーの経営 みなさんこんにちは、「えらいてんちょう」です。飲食店経営及び経営コンサルタントをしております。私はイベントバーエデンという店を経営していまして、エデンは開店から2年で系列店が5店舗もオープンして順調です。   今日はエデンの経営手法の話をしていきます。   うるさく言わない エデンの経営手法を一言でいえば「細かいこと言わない」ということです。普通の店ならお酒のマニュアルなどいろいろあるのでしょうが、エデンはバーテンダーに丸投げです。ほっておけば儲かるから管理せずうるさく言いません。人気にあやかって稼がせてもらおう、という感じです。一番のお客さんは人気のバーテンダー。そこと繋がっていれば永久に儲かりますので。   お客さんに関してもひどいセクハラなどがなければ、お金さえ払ってくれればどんな人でもOKです。なので普通の店では言いにくいこと、宗教や政治や性、そんなイベントをしたい人も来るようになりました。   私はお金さえ貰えば宗教勧誘しようがナンパしようが全然かまわないと思っています。もちろん大きな侵害などは総合的に損になるのでNGですが。   好きなことを話して勝手にやってていいから私に儲けさせて、と言っています。そうすると普通のバーではやりにくいイベントが多くなって、人も集まるようになりました。   苦手なイベントの日は避けて別の日に行けばいいので店のお客さんも離れない。我ながらすごい仕組みだなと思います。口うるさく言わないと勝手に人は集まってくる、ということですね。   エデンの特徴 エデンにはお客さんが手伝ってくれる、という文化があります。そもそもエデンは何もない店でした。最初はビールとソフトドリンクしかなく、酒を置き始めると言ったのも私ではありません。店として成り立っておらず、店ができていないような状態でした。   しかしそれが時勢を捉えた店でした。みんなで店を作っていくというのは、文化祭のような、それ自体がエンターテイメントです。例えば開店前に店にペンキを塗るのは普通なら業者に頼んでお金を払わないといけません。しかしお客さんとみんなでやるのであれはエンターテイメントですしお金も払わなくていい。これは以前お話した正しい「やりがい搾取」ですね。   <過去記事> みんなやってる?正しい「やりがい搾取」の方法論   普通の店は勝手に改造したり持ち込んだら怒られますが、エデンは最初から何も無いので感謝されます。私は店にこだわりが無いのでどのように改造されても構いません。かなり余白を大きくしています。   バーテンダーも自分が立ちたくないので、いろんな人に投げてとにかく人に任せました。それで利益が出たらシェア、出なければシェアしないという形を徹底しました。そうしているといろんな技術者やバーテンダーが得意な人が自主的に来るようになりました。   イベントも自由なのでやりたいイベントをやって、その人がエデンで価値を高めていく。エデンに毎回いる人みたいな感じでその人自身のブランドが高まっていく。お客さん任せにするということを全体的にしてきた。   その結果としてお客さんの価値も店自体の価値も高まってきた。そのような循環ができたのは良かったですね。これからの店はそういう形態にしたほうがいいと思います。店にこだわりを持たず、完璧にせずに改造の余地を残しておくことが大切です。   ▲お客さんたちが勝手に盛り上がる店内   【まとめ】 人と売上を集める為に 2回にわたり世界一ゆるいバー「エデン」の経営について解説をしてきました。いかがでしたか?   売上が上がる段階でいろいろやってヒットした中では、フォロワーが付いてる人を呼ぶのが一番でした。   最初はイベント単体でバズったけど続かなかった。イベントが飽きられたら終わりです。次にインターネット有名人を呼びました。1日バーテンダーは1、2ヶ月に1回だと飽きられないので継続性があります。2ヶ月に1回バーテンダーをする人を60人捕まえていればこのイベントは永久にできます。インターネット有名人を呼べるようにして場を提供すると儲かります。   店を作ってSNSで宣伝するというよりは、SNS空間を店にする、というイメージですね。   エデンのシステムとしても、場所代を取るのではなく儲かったらシェアという形にしています。店に立つ敷居を下げ、人を呼ぶことができるようにする為です。   最後の飛躍は、店長がコンテンツ人間になることです。そうすると店長目当てに人が来るようになります。お客さんは人につくもので、どのような人が店にいるかに興味を持っています。ですので人の選定さえ間違えなければ繁盛します。その為にはTwitterやYouTubeを十分に活用していくべきです。   SNSというのは自分の発言を何倍にも増幅されて沢山の人に届きます。最終的に一番儲かるのは自分がネット有名人になることですね。   この手法はいくらでも応用が効くと思いますので、みなさんもやっていきましょう。 ...

  異色の経歴をもつプロレスラーの仕事論~後編~ 慶應大学⇒博報堂⇒プロレスラー⁉ 異色の経歴をもつ三富政行さん(twitter、instagram)による仕事論、後編。   ※前編はコチラ   ライフワークとライスワーク プロレスラーとしてしばらくキャリアを積んだ時、ライフワークとライスワークという言葉について考えるようになった。自分にとってプロレスは元々「好き」だし、仕事にも出来た。ある意味ライフワークとして機能している。   しかし、ひとつの指標として収入というものさしで見た場合、どうだろうか。自分の場合、博報堂を辞めた以上、将来的には残った同期と同じくらい、それ以上に稼いでやる!という気概と目標があった。そこに到達できているか。   結論、到達できていない。   今置かれている状況を客観的に考えれば、試合のギャランティや年俸だけでそこに到達するのは難しいと言わざるを得ない。プロレスラー全体を見ても、その金額を稼ぐことができるプロレスラーは氷山の一角だ。可能性があるのは、前編で書いたような「天賦の才」を持ち合わせた選手だけだと言っても過言ではない。   先述のマネジメント業務の一つとして、自身での興行を開催することで一度に多額のお金を手に入れることはあるが、一過性のものに過ぎない。安定的な収入にはつながらないのである。   プロレスラーであるからこそ出来る仕事、プロレスラーの「自分」であるからこそ出来る仕事で、永続的な収入を得るためにはどうすべきなのか。ライフワークの先のライスワークとは…。   「+α」の価値こそ "ライスワーク"...

異色の経歴をもつプロレスラーの仕事論 はじめまして。三富政行です!(twitter、instagram)   今回コラムを書かせていただくにあたって、まずは自己紹介から。   ■年表 1989年 8月東京都世田谷区喜多見に生まれる。 未熟児で生まれ、幼少期は発達も遅く両親に心配される。 その後すくすくと育ち、小学校高学年時には肥満児に。 2003年 夜更かしした深夜に、三沢光晴VS小橋建太をテレビで視聴。人生が変わる。 2008年 中堅の中高一貫校、高校を卒業。6年間プロレス好きな友人には恵まれず。 空手と水泳に勤しむ。空手では東京都ベスト8の成績を修めた。 2009年 一浪の末、慶應義塾大学文学部に入学。 UWF関東学生プロレス連盟の門を叩き、4年間を学生プロレスに捧げる。 リングネームは「潮吹豪」。 岡原正幸研究会にて感情社会学、映像社会学、パフォーマンスアートなどを学ぶ。 2013年 広告代理店「博報堂」に就職。 体育会系営業職に配属され、社会の洗礼を受ける。 同時にプロレスへの捨てきれぬ夢がふつふつと… 2013年 会社員と並行してDDTプロレスリング系列「ユニオンプロレス」に参戦。 石川修司戦でプロデビュー。 会社員とプロレスラー、二足の草鞋を履く。 2014年 一年間の会社員生活の後、プロレスへの夢を捨てきれずに「博報堂」を退社。 一足の草鞋になる。 2015年 全日本プロレスなどに定期参戦。 その後、所属していた「ユニオンプロレス」が解散。フリーランスとなる。 自身のプロデュース興行などを定期開催するようになる。 2016年 武藤敬司率いる「WRESTLE-1」にレギュラー参戦。現在も継続参戦中。   以降、プロレスラーとしての活動に加え、福山平成大学特別講師や、コラムニストとして執筆活動なども行うようになる。 NESTA-PFTの資格を取得しており、パーソナルトレーナーとしてフィットネスビジネスも展開している。 ---------------   今回はこんな偏屈な経歴の自分が、僭越ながら「好きを仕事にする」ということをテーマに、2018年に生きる、プロレスラーとしての仕事論を語らせていただけたらと思います。どうか、お付き合いください。   「好き」を仕事にしてみると… 趣味の「好き」と仕事の「好き」は全くの別物。そもそも好きなことを仕事にすると逃げ場がなくなる。会社を辞めてプロレスラーになって5年。一時は一文無しになって路頭に迷ったこともある。   そんな苦しい時、「プロレス」は会社員時代のようにストレスのはけ口や逃げ場になってはくれなかった。   「好き」を仕事にするためのマインド 仕事で追い詰められて逃げ場がない時、残念ながら選択肢は二つしかない。その仕事を「辞める」か「続ける」か。   自分の場合、博報堂を見栄張って(!?)辞めた以上、そして「好き」を仕事にした以上、「仕事としてのプロレス」から逃げたくはなかった。   とにかく“続ける”。 意地でも“続ける”。 耐えて堪えて“続ける”。   そして5年経った今、その時の選択は正しかったと思える。   「好き」を仕事にしたならば、真に生き残るのは「“続ける”ことを辞めない人」ということだ。   例えばプロレスラーでも、若い頃はブレイクしなかったが30歳半ばを過ぎてから化ける選手には、非常に多くの観客を惹きつける“人間味”がある。   才能に溢れて若い頃から活躍した選手以上に、苦労した選手が花咲く瞬間は近くで見ていても感動があるし、またその人にしか出せない色気に溢れている。   “続ける”ことを辞めなかった選手の目ヂカラは本当に強いし、リングの上でも何とも言えないオーラに圧倒される。   バックステージで発する言葉もとにかく強い。グッとくる。   そういった先輩を見ていると、今日も明日も“続ける”ことしか道はないのだとつくづく思う。   「好き」と「出来る」の狭間を見つける いざ「好き」を仕事にしてみると、その世界には本当の天才がいる。一流の中の一流でもある。 試しに、近くで見てきた天才を、二つのパターンに分類してみる。   【感覚型天才】   映像で見た動きなどをいとも簡単にやってのけてしまう選手。 どんなに複雑な動きも一発で「トレース」する能力を持ち合わせている。 そして、演者としてのオーラや、コメントのチョイスなども群を抜いて秀逸であることが多い。 自身の周りでは、武藤敬司選手や、飯伏幸太選手、黒潮イケメン二郎選手などに上記の才能をまざまざと見せつけられている。 もちろん、以下に説明するもう一つのパターンの天才でもあるのだろう。     【努力型天才】   とにかく日々同じルーティンを繰り返し続けられる人のこと。これも一つの天賦の才だと実感している。 あるプロレスラーK選手は、試合の反省を毎試合ノートに綴る。そこに先輩からのアドバイスや、突発的に生まれたアイデアも書き足し、自分というレスラーがどうやって進化していくか、という日記をデビュー以来ずっと書き残している。 ささいなことではあるが、これを年間100試合、何年も何年も続けることはなかなかに難しい。まさに努力の天才である。   また、友人のAV男優・しみけんさんは、朝起きてポカリスエットをお湯で割ったものを飲み(※体温以下のものは飲まない)、ブラックコーヒーとアミノ酸を摂取。その後エアロバイクを漕ぎ、撮影現場には毎日決まった内容のヘルシーなお弁当を持参する。 そしてこのルーティンを10年以上続けているというから驚きだ。   いずれも、同じことをずっと続けてプロとしての自身の価値を常に磨き続けている良い例である。簡単なようで簡単に出来ることではない。   このように、天才や一流と呼ばれる選手を前にした時に、「好き」だけでは乗り越えられないプロとしての壁にぶつかる。   それでも続けたい。否、生き残らなければならない。そこで、自分にしかない価値というものを考えるようになる。   自分がその世界で「出来る」ことで生き残る。そんな考えにシフトしていくようになる。   辿り着いた、「ポジショニングの重要性」 自分がこの世界で「出来る」こと……。   思えば、学生時代に打ち込んだ学生プロレスは、根底にあるモチベーションが「世間に届け、負けてたまるか」だった。誰も知らないジャンルを世間に響かせ集客する。その気概は広告の精神に通じていたのかもしれない。   クライアントが望む商品のブランディング。広告マンとして必要な精神が、自分の秘めたる才能としてあるということは、何となく実感していた。   このマインドををプロレスに生かしたい。そう思い立って考えてみると、プロレス興行をひとつの商品として捉えていけるようになった。   プロレス興行のプロデュース。   大会の企画から、協力企業とのタイアップ、選手のブッキングから大会の進行、そして自分の試合。ファンの反応を反映した次回の興行への施策、提案。これまで培ってきたキャリアが、業界で生き抜くためのパワーに変わっていった。   それから、「マネジメントに注力できる選手」という自分の価値を見出すようになった。自身が選手であることで、選手の気持ちも分かる。そして大会の企画、進行に携わることでスタッフ側の気持ちも分かる。いわばイベントの「中庸」的なポジションを担うことで、業界内での立ち位置を見つけることが出来た。   もちろん選手としてキャリアを続けたいがための選択であるし、さらに高みを目指す気持ちは変わらない。しかし、自分がオンリーワンの存在になることによって、常に「需要」がある存在にならなければいけないということは、日々危機感として抱いている。   こういった、「ポジショニング」という考え方は、他の業界でも通用することではないだろうか。自分のやりたいことと出来ること、今一度見つめ直し、Re:ポジショニングする。   そうすると、本当の意味で、「好き」が仕事になっていく。 編集後記 仕事はお金をもらう手段と割り切って、やりたいことは趣味や副業で実現していく。そんなスマートな人々がもてはやされる世の中で、三富さんの生き方は不器用に映る。でも、それがたまらなくカッコイイのだ。   スマートに生きるだけが人生ではない。「好きなこと」に本業として立ち向かうからこそ見えてくるものがあるはず。   あなたも心の奥にある「好きなこと」にもう一度光を当ててみてはどうだろうか。   全力で戦う三富さんを応援したい方は、小田原アリーナで7/1に開催される下記の大会に足を運んでみてはどうだろう。 7/1は小田原アリーナに来てください!   <W-1大会情報> ★2018年7月1日(日) 「WRESTLE-1 TOUR 2018...

えらいてんちょうによる、世界一ゆるいバーの経営 みなさんこんにちは、「えらいてんちょう」です。飲食店経営及び経営コンサルタントをしております。私はイベントバーエデンという店を経営していまして、エデンは開店から2年で系列店が5店舗もオープンして順調です。   今日はエデンの経営の話をしていきます。   エデンの初月の売上は3,000円 エデンは2年前の2016年の6月にオープンしました。当初は身内の集会所としてオープンしたので、もちろんお客さんも身内ばかり。最初の1ヶ月はの売上は3,000円でした。   そこでイベントを打っていくのを思い付きました。最初にバズったのは大卒無職バーです。当時のエデンのアカウントのフォロワーは200人くらいでしたがそれが1,000RTくらいされました。   いつもは売上が200円のお店に30人くらいお客さんが来て、売上が3万円になりました。その時に初めて儲かるかもと思いましたね。   次にバズったのは死にたいバーで、「死にたい」と言いながら飲むイベントです。こちらも1,000RTくらいされました。イベントが何回か当たっても月の売上は5万円、10万円くらいでした。イベントの時にだけお客さんは来ますが、まだ赤字でした。   ▲初期のエデン インターネット有名人をバーテンダーに起用 そんな時に私の友人のかねどーさんというインターネット有名人が、1日バーテンダーをしたいと来てくれました。そのイベントが当たって売上は4万円、何もせずにエデンに2万5,000円が入りました。   エデンのシステムは売上の1万円までは店に入れ、それを越えた分は店とバーテンダーの折半になります。場所代などは取らないため、ノーリスクでバーテンダーができます。それがウケました。 ▲かねどー期のエデン   エデンの家賃は10万円以下なので、インターネット有名人が月に4人来ればいい計算になります。なのでインターネット有名人に営業をかけていくことにしました。   例えば4万円の売上ですと4、5時間の営業でバーテンダー側の取り分は1万5,000円です。バーテンダー側にも割はよかったのでしょうね。そうしてフォロワーが5千人級の人が代わる代わる店に立ってくれるようになりました。   有名人が来る日の売上は2、3万円くらいでしたが、イベントの無い日は通常営業で売上も3,000円くらいでした。最初に売上がハネたのは8月で、それでも月の売上が10万円でした。そんな風にやっていく中で1日で10万円を上げるようなキラーコンテンツも生まれて、月に30万円くらいの売り上げで1年くらい推移していました。   ▲インフルエンサー殺到期のエデン   えらいてんちょうがインターネット有名人に エデンがそれなりに収入源になっていた中で、私は2017年6月にブログを始めました。当時はエデンのフォロワーが2,000人くらいでそこそこ有名になってきたのですが、えらいてんちょうのアカウントは400人くらいでした。   しかし、私が始めたブログがバズって私がインターネット有名人になってしまいました。するとえらいてんちょう目当てのお客さんも来るようになります。   エデンは従来のインターネット有名人が1日バーテンダーをする店に加えて、「えらいてんちょうが存在する店」になりました。月の売上も50万円くらいになり、それが半年ほど続きました。   イベントが埋まるようになり、売上が爆増 2017年12月から売上が爆増して、その月の売上は120万円でした。それまではイベントが埋まらなかったのですが、エデンが自走し始めました。   エデンでバーテンダーをするということにハクが付きだし、希望者が殺到してイベントが毎日埋まるようになりました。インターネット有名人が来ない日がない、毎日インターネット有名人が居るような世界観です。私が店に立つ日も1日の売上は6万円くらいでした。   それも1ヶ月くらいかと思ったらそこから毎月100万円くらいの売上が続きました。エデンは10万円以下の家賃だけが原価で、私の人件費除けば損する仕組みが無く、60万の利益が出ました。   年間の利回りで言うと1,000%で、すごい世界観ですよね。流行店は儲かるなと実感しました。   各地にエデンが出店 それと並行して、エデンには遠くから来るお客さんも多かったので、地方にも出店して欲しいとの意見も出てきました。それならやろうと言う話になり、2018年の1月に誰かフランチャイズやりますか、フランチャイズ費用払ってくださいと呼びかけました。   すると結構応募が来ました。その中からできそうな人を私が選別していきました。名古屋と京都は4月、大阪は5月、札幌は6月にオープンし、今は全5店舗です。福岡と西東京と横浜も計画中です。エデン本店は初月の売上が3,000円でしたが、名古屋は初月30万、2ヶ月目は50万という風に全体的に順調に儲かっています。   こちらにはライセンス料も入ってくるので更に儲かります。   ▲エデンの売り上げ推移   後編に続く   後編、公開しました!...

多田哲朗インタビュー後編 --------------- <前編はこちら> 【もはや狂気】訪ねた店舗は200以上⁉ いきなりステーキを愛しすぎた男「多田哲朗」~前編~ --------------- 前回明らかになった肉マニア「多田哲朗」の存在。後編では彼独自のこだわりや、テクニックに迫る。 「クレカ支払いルール」が生まれた悲しい理由 「いきなりステーキ」巡りをするにあたって、大事なルールがあるとか。   そう。「いきなりステーキ巡り」をするにあたって自分の中で1つだけ大事なルールがあるんです。それが「専用のクレジットカードで支払う」ということ。これだけは譲れません。   その強いこだわりはなぜ生まれたんでしょうか。   実は「いきなりステーキ巡り」の前に「スターバックス巡り」にハマっていたことがあるんです。全国のスタバを訪問して、そのレシートを集めて回っていました。   その記録を全てPC上のエクセルにまとめていたのですが、ある日パソコンが壊れてデータが全て消えた。   それはショックですね。   レシートは残りましたが、膨大な量なので流石にもう一度入力する気にならず。一応細々続けてはいますが、失ったデータは戻ってきません。   その大失敗を踏まえて、いきなりステーキ巡りでは「専用の1つのクレジットカードで支払う」ということにしたんですよ。支払うクレジットカードを決めておけば、利用明細に全てこれまでの履歴が残るので。   肉マイレージのデータが全てぶっ飛んだとしても、クレジット会社の履歴に残っているから証拠になるぞという。   よっぽどスタバのがショックだったんですね。   ▲スタバのことを思い出すと悲しい多田さん 「1日5店舗」の思い出 「1日5店舗」はよくあることなんですか?   いや、滅多にありません。1日5店はフジテレビの深夜の番組の企画の時に、「とにかく全部達成したところ撮りたいんで、なんとかしてください」って言われて。   テレビの企画だったんですね。   「年末特番で放送したいから、12月の上旬に撮影したい」と。11月の時点で10店近く残ってたんだけど、残ってるところがバラバラなわけ。金沢、愛媛、有楽町…とか。   それは大変ですね。   それで、何とか頑張って放送日までに残り5店までこぎ着けた。残った5店は大阪、鈴鹿、名古屋、浜松、有楽町。   残った店舗も距離が相当離れていますね。辛くなかったですか?   それなりに一本道だから特に問題ありませんでしたね。開店と同時に大阪のお店に入って、1日でまわり切ることができました。   メンタルも肉体も強いですね。1日に何回も食べるためのテクニックがあれば、ぜひ教えてください。   まずはキツくなってきた時に何のステーキを食べるかが重要です。序盤は好きなステーキを食べれば良いと思います。僕の場合は値段もお手頃な「乱切りカット」が多いですね。3店舗目、4店舗目になってキツくなってきたら、油が少ないヒレステーキにすれば、意外と食べられます。   あとは、味付け。ソースは満腹感を呼ぶので、序盤は塩味がオススメです。付け合わせについては先ほど出てきた「チェンブロ(チェンジブロッコリー)」も効果的ですが、自信が無ければ「付け合わせなし」もアリだと思います。   戦略的に挑む必要があるんですね。   ▲口からビームが出そうな顔で食べる多田さん     「いきなりステーキ」とネットショッピング 多田さんは店舗を回るのが中心のステーキライフだと思いますが、ネットショッピングで「いきなりステーキ」のお肉が購入できることを知っていますか?   もちろん知ってますよ。会社の年末イベントで焼いてふるまおうと思ったんですが、ちょっとタイミングが悪くて使えなかったんですよね。   今年は再チャレンジを狙ってます。自分の家でも焼いて食べたことがありますが、美味しかったですよ。   ▲多田さんがネットショッピングで買った寝台特急カシオペアの腕時計   明日も? 食べ終わったし、もうそろそろインタビュー終わりでいいですか? 明日も早いのですよ。   明日何か予定があるんですか?   明日は「イトーヨーカドー大井町店」。   明日もかい。   ▲帰り際、「小田原前川店」の開店チラシを見つけてご満悦の多田さん 「いきなりステーキ」と「ネットショッピング」 いかがでしたか。最初はただのイカれた肉マニアかと思っていましたが、「集めて回る」ことを心から楽しんでいる多田さんを見て、途中から「うらやましいなあ」と思ってしまいました。   コレクターズアイテムを人と競って手に入れるのではなく、「自分にとって思い入れのある物」を作っては集めていく。とても良い趣味だなと感じました。皆さんも何か自分なりのコレクションを始めてみてはいかがでしょうか。   さて、記事内でもお伝えしたとおり、「いきなりステーキ」を運営する「株式会社ペッパーフードサービス」では、ネットショッピングを展開中。今回多田さんが食べた「ミドルリブ」や、特製の「いきなり!バターソース」も販売しています。是非一度食べてみてはいかがでしょうか。   ネットショッピングはコチラ>>ペッパーフードサービスネットショップ ▲充実の品ぞろえ。ミドルリブももちろん購入可能   「ペッパーフードサービスネットショップ」を支える「ネクストエンジン」 その「株式会社ペッパーフードサービス」のネットショップを支えている「ネクストエンジン」というツールがあります。これは、現役でネットショップを運営しているHamee株式会社が開発、運営している『EC事業者のための業務効率化ツール』です。   「毎日のメール対応が地獄」「複数モールに出店したい」「とにかく忙しい!」というEC担当者の方は、是非一度チェックしてみてください。 無料で30日間のお試しもできますよ。   詳しくはコチラ>>ネクストエンジンとは?   Powered...

「いきなりステーキ」をこよなく愛する男、多田哲朗 初めまして。5月からニアセ編集部に加わった吉住と申します。ニアセの新センター長であるつかDさんから突然「とにかくおかしな知人がいるから取材してくれ」と依頼されました。   どうやらその方は全国255店舗のうち、なんと213店舗でステーキを食べてきた『いきなりステーキマニア』とのこと(いずれも5月24日時点)。食べた総肉量は「119,482g」。食べすぎ。   早速多田さんに連絡をしてみると、「まだ訪れたことが無い店舗に食べにいく」と、スト2のリュウみたいなことを言い出したので、同行させて頂くことに。   待ち合わせはJR東海道線の鴨宮駅。駅から出てきたのは、チリチリヘアーで恰幅の良い中年男性。   名前は「多田哲朗」。年齢は36歳。慶應大学在学中は鉄道研究会に所属。その後出版社に就職し、教科書の編集者として活躍しているらしい。   ▲溢れ出る育ちの良さ   訪れたのは「いきなりステーキ 小田原前川支店」。多田さんにとって214店目となるそう。   店の前にある株式会社ペッパーフードサービスの一瀬邦夫社長の看板を撮影するのがルーチン。無事撮影を終えたら、いよいよ入店。   ▲いざ入店   席に座ると、まずはビールを注文。美味しそうに一口飲むと、ステーキの注文にカウンターへ向かう。今日食べるのは「ミドルリブ300グラム」。そして謎の呪文が飛び出した。   「チェンブロで。」   何それ。   困惑する私に   「【チェンジブロッコリー】の略です。付け合わせのコーンをブロッコリーにチェンジするんですよ。私ほどになると1日に3店舗。多い時は5店舗ほどハシゴステーキをするので、糖質が多く、お腹に溜まりやすいコーンはご法度。その点ブロッコリーはお腹に溜まりません。私は別にダイエットをしているわけではないですが、中性脂肪の分解を助けるとも言われています。一石二鳥という寸法なのですよ。」   と、自信満々言い放つ多田さん。ちょっとカッコよく見えてきた。チェンブロ、今度使ってみよう。   ▲別にダイエットをしているわけではない多田さん   席に戻ると、今度はおもむろにカバンからマジックペンを取り出す多田さん。そして紙ナプキンに何やら書き出した。何をしているのだろうか。   「訪問日時、店舗名、注文したステーキ、何店舗目かを紙ナプキンに書いて記録して集めているのです。」   ▲手慣れた様子で紙ナプキンに書き込む多田さん   結構アナログなやり方だ。   多田さんが集めているのはこれだけではない。なんと、お店がオープンする時に配るチラシも集めているのだ。「なんでこんなものを?」と聞いても、「特に理由はありません」。   …コレクションというのはそういうものなのかもしれない。   ▲多田さんのコレクションの数々。開店チラシも大事なコレクションだ   いよいよ「いきなりステーキマニア」多田哲朗インタビュー いよいよステーキが運ばれてきた。とてもおいしそう。店員さんが肉の焼き具合などを丁寧に説明してくれる。   ▲親切な店員さん   ▲この日注文したのは「ミドルリブ300g」     多田哲朗と「いきなりステーキ」の出会い 食べながらで結構です。多田さんと「いきなりステーキ」の出会いを教えてください。   3年くらい前に、会社の近くに「いきなりステーキ」ができて、最寄り駅でチラシを配ってたんです。それを見たら「今なら肉マイレージカードが無料」って書いてあって、それを見て行ったのが最初ですね。   全国の「いきなりステーキ」を回ろうと思ったきっかけはなぜですか?   まだ3年前くらいだとまだ店舗数が少なくて、「これなら全部回れる」と思ったのが理由です。当時100店舗も無かったから。   あと、その頃、平日に家族が僕を残して旅行に行っちゃうことが多くて。そうすると会社が終わっても夜ヒマだし、家にご飯も無いから、「じゃあ今日は3店舗くらい回るか」って。   前向きさの中に悲しみがチラつくエピソードですね。   それにしても、一度に何店舗も回るのがすごい。全店制覇を達成するためには、1日1店舗なんてヌルい事は言っていられないわけですね。   仕事をしていると、「行ける日に1店舗」では全然間に合いません。僕が全店舗制覇を達成したときは177店舗。今だともっと大変ですよ。   年間200店オープンさせるって社長が言ってるから。   ▲「社長が言ってるから」と、おすまし顔   家族はなんて言ってるの? そんなに肉ばっかり食べて、家族から何にも言われないんですか?   特に言われないですね。最初の方に「全部回る!」って言ったら反対されたかもしれないけど、最初は家族に秘密でこっそり回ってたので。   「これは全店達成できる!」っていう確信を得てからカミングアウトしたから。むしろ応援してくれてますよ。   ご家族と一緒にお店に行くこともあるんですか?   ありますよ。妻もプラチナカードを持ってるし、子供もゴールドカードを持ってる。僕はもちろんダイヤモンドカード。   ▲カードを見せびらかす多田さん。お子さんも「150gくらいならペロリ」らしい   食べたお肉の量を記録できる、「肉マイレージカード」ですね。   記録上位者はインターネット上で閲覧できるのですが、多田さんでも大体220位くらい(6月14日現在)ですね。すごい人が沢山いるんだなあ。(肉マイル総合ランキング)   「物を集めて回る」ということ 全店舗制覇を始めるにあたって、普通の人間だと100店舗でも尻込みすると思うのですが、多田さんがすんなり一歩を踏み出せたのはなぜでしょう。   「何かを集めて回る」という事が自然と自分の生活の一部になっているんです。   子供の頃から電車のスタンプラリーが大好きだったので。これは性格だと思います。いきなりステーキの前にもカフェのレシートや、電車の切符を集めていました。   多田さんのコレクションを見ると、一般的に価値がある物ではなく、自分の体験や記憶を補強する物を集めているように感じます。「物」と「体験」、どちらが重要なのでしょうか。   両方ですね。片方では物足りません。自分の体験と、それを証明してくれる物がセットになっていることに魅力を感じます。逆に言うと、体験とセットになっていれば、それは「価値ある物」になるということです。世間一般的に価値があるかどうかは関係ありません。たまに限定PASMOを買ったりはしますけど(笑)。   なるほど。その考え方で何かを集めてみると、楽しいかもしれませんね。 そして後編に続く つぶらな瞳にチリチリヘアー。時おり見せる少女のような「おすましフェイス」。もはや虜です。   いきなりステーキ巡りをする上で、多田さんが執着している「あるルール」とは?   そして明かされる、悲しみの「スタバ事件」。   【NEW!】後編公開しました!...

放送作家2年目の僕が出会った、「あるブログ」  放送作家2年目のハシモトコーキです。僕は4年前に熊本から上京し、現在、事務所所属の放送作家をしています。昔からお笑いが好きで、テレビやラジオが好き。憧れの仕事に就くことができて「さぁこれから!」と意気込んでいた矢先のこと、15年先輩の放送作家である細田さんのブログ『ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。』に出会ってしまいました。読めば読むほど襲ってくる迷いのようなもの。「僕はこのまま放送作家を続けてもいいのだろうか?」。   メッセを送ったら返事が来た!  僕はその答えを求めて、Twitterを通して細田さんに連絡を取らせていただきました。すると、細田さんからの返答は「続けたいで続く仕事ではないし、頑張ればどう、ってことでもない。もっと気楽にやった方がいいですよ」。あっけらかんとそう言い放つ細田さんに、他の放送作家とは全く違う空気を感じました。「この仕事には夢がある」「儲かる」「売れたいなら頑張れ」。僕が今まで先輩たちから聞いてきた言葉とはまるで逆。なんなんだこの人は!?細田さんにもっと詳しく、お話を聞いてみたい。というわけで、今回の記事を企画しました。   お話スタート。まずは「放送作家って何をする人?」 細田さん、今日はよろしくおねがいします。 よろしくお願いします。 「放送作家」とはどんな仕事なのか。あらためて、細田さんからご説明いただけますか? ざっくりいうと、番組の「台本を作る」お仕事です。 そうなりますよね。 ざっくりとしか言いようがないんですよ。会議や打ち合わせに参加したり、企画案を考えてプレゼンをしたり、収録現場ではフロアディレクター※みたいな役割を頼まれることもあります。それらすべてが「台本を作る」ことに関連しているので「どんな仕事?」と聞かれたときは、こう答えるようにしています。 ※フロアディレクター…収録現場で、カメラの横から出演者にカンペなどで指示を送る役割。 特に細田さんの場合は、いろんな媒体でお仕事されていますよね。 レギュラーではネット番組とテレビ、ラジオもやらせていただいています。あと、最近は広告の案件にも関わっています。 すごい!それだけ幅広くやっている人は珍しいと思います。 すごくはないですよ。確かに、ラジオならラジオだけをやる、テレビならテレビだけをやるという作家さんが大半ですが。私の場合は「これ!」と未だに定まらなくて、結果的にいろいろやっている状態です。   テレビ、ラジオ、ネット…放送作家が目指すべき場所って? 現在、放送作家の主戦場がテレビ、ラジオ、ネットだとして。僕たちのような若い作家は今後、どこを目指すべきなんでしょうか? 目指す目指さないではなく、この仕事は巡り合わせです。「テレビをやりたい!」と言って、やらせてもらえるわけでもなく、オファーをくださる人がいて初めて成り立つ仕事なので。一つ言えるとすれば、依頼をいただいた時に最低限「それに応えるスキル」を備えておく必要はあると思います。要はテレビもラジオもネットもどれにでも対応できるようにしておけばいい、ということです。 それって難しくないですか? それぞれ特徴が違うだけで、基本的にはやることは同じです。私はラジオからこの業界に入った人間なので、そう感じるのかもしれませんが、ラジオの原稿が書ければテレビもネットの台本も書けると思います。ラジオの音声に映像(動き)が付いたものがテレビ、それに(視聴者との)双方向性を加えたものがネット番組と考えれば、それほど変わりはないです。   放送作家ってどうやったらなれるの? 話は少しそれますか、放送作家を目指す人は細田さんのように「ハガキ職人から放送作家」のプロセスをイメージする人が多いと思うのですが、それについてはいかがですか? 私がそれで入ったのはもう17年も前ですからね(笑)。今そのプロセスを踏もうとするのは、かなり遠回りだと思います。だって、放送作家に「なる」ということだけなら、今すぐに誰にでも出来るじゃないですか。例えば、ハシモトさんのように作家の事務所に連絡して所属させてもらうとか。この業界、基本的に的には来る者拒まずですよね? はい。僕の場合は事務所に企画書を送って、面接をして入りました。 なるのがこんなに簡単な職業は、他にないと思いますよ。名刺を作ってしまえば「はい、放送作家です」ってことだし。つまり、なれるかなれないかではなく、やるかやらないか。実際にやってみた上で向いてるかどうかを見極めて、続けるか続けないかを自分で判断する。放送作家に限らず、仕事ってそういうものだと思います。   放送作家には、先輩も後輩もない!? 細田さんは、(どこにも所属せず)ずっとフリーで活動されているんですよね? そうですね。仕事を始めてしばらくした頃、いろんな事務所さんから(所属の)お誘いがありましたけど。所属すると、どうしてもその中で先輩・後輩という関係が生まれてしまって、面倒くさそうじゃないですか(笑)。 確かに。 そもそも、放送作家に先輩・後輩の感覚って必要ないと思うんです。もちろん、長くやっている人に対してはリスペクトの気持ちはあります。しかし、仕事上で意見をぶつけ合う時、そこを気にしてモノが言えなくなってしまったとしたら、それは弊害でしかない。 それは下の人に対してもそうですか? 私は、ハシモトさんのことを「後輩だ」と思う感覚もないですよ。 やめてください(笑)、だいぶ後輩です。 例えば、私とハシモトさんが同じ会議に参加したとして。私が先輩風を吹かせてハシモトさんの意見を押さえつけてしまったら、そのアイディアの可能性が一つ消えてしまう。それって、全体から見ると損ですよね。 そこまで考えますか。 何年やっているとか、過去にどんな番組をやって来たとか全然関係なくて、今の時点で何が出来るか。案件に対して常にフラットな立場でアイディアを出せるからこそ、放送作家という立場に価値があると思います。   若手作家あるある。「雑用仕事」という名の「雑用」は断るべき? 僕ら若手作家には「修行」といった名目で、雑用仕事が回ってきます。僕は極力そこを避けたいのですが。かといって、そういった仕事を断るにも勇気が要ります そういうの、あるみたいですね。「こういう人(出演者候補)、探してきて」とか「こういうお店を探して」とかいう、いわゆるリサーチの発注がよくくると聞きます。 まさに、それです。 ハシモトさんは今「雑用仕事」と言いましたけど、雑用と仕事ってはっきりと線引きできると思うんです。ギャラが支払われるのであれば仕事だし、無いなら仕事ではない。 そういう発注には、たいていお金の話は書かれていないですね。 つまりはそういう事。発注元がリサーチ会社なりに支払う予算がないからこそ、たくさんいる若手作家たちにバーっと発注がかかるわけで。要は足元を見られているということです。「修行」に限らず「勉強になるから」とか、「コンペ」や「オーディション」もそう、立場が上の人に圧倒的な有利がある言葉に対しては、見極めが必要だと思います。 細田さんが若い時は、どうしてたんですか? 全部、断ってました。「ギャラが出ないなら、仕事じゃない」とか言って。生意気な奴ですよね(笑)。 出来ることなら、僕もそう言いたいんですけど。これを断ったら先が続かないんじゃないか、とか思ってしまいます。 そもそも、そういう発注をしてくるのは、こっちを一人の仕事相手と見なしていないわけで、今後ハシモトさんに(正式な)仕事を頼んでくるとは考えにくいですよね。「避けたい」という気持ちがはっきりしているのなら、さっさと断って、別のことに時間を割いた方がいいかもしれません。   放送作家として成功するにはどうするべきか? ずばり、放送作家として成功するには?稼げるようになるにはどうしたらいいですか? 何を持って成功とするか、だと思います。自分はまだ、自分の中で「成功」したと思える位置にはいませんし、稼げているとも思っていません。私が若手の頃は、エンタメ業界もまだこれほど縮小していなくて、放送作家は「楽で」「稼げる」仕事でした。でも今は、それなりに稼ごうとすると、それなりに大変ですよ。だからと言って、あくまで放送作家は誰かから依頼されてはじめて成立する仕事。自分であれこれしなきゃと、もがいたところでそれほど意味がない。 そんな中で、細田さんが心がけていることがあれば教えてください。 常に機嫌よくいる、ということですかね。あとは常に元気でいる、とか。 シンプルですね。 逆にいうと、それくらいしか出来る事がないんですよ。放送作家は才能やセンスが問われるような仕事じゃないし、ある程度の場数を踏むとスキルは大体みんな同じになる。そんな中で「この人と一緒に仕事がしたい」と思ってもらうには、いろんな2択で勝つしかない。例えば、見た目も技術も全く同じで「機嫌がいい人」と「機嫌が悪い人」がいたら、誰もが「機嫌がいい」方に仕事を頼みませんか? 機嫌か…。考えたこともなかったです。 最近は、日々を正しく生きることも意識しています。電車でおばあさんに席をゆずる、とか、赤信号を無視しないとか。小学校で習ったようなことを今さらになってやってますよ(笑)。放送作家の仕事の依頼って、ある日突然くるじゃないですか。私の場合はLINEやメールでくる事が多いんですけど、新しい仕事が入ってきたときに「日頃の行いがよかったから、このお仕事をいただけたのかも」とか勝手に思うと、楽しいですよ。   放送作家は「看板」が武器になる!? では、仕事の上で心がけていることは? 人を相手に仕事をする以上、「何者か」を早い段階でお伝えする努力はしています。 どういうことでしょうか? 社会の中で、仕事をするには「自分は何者か」ということを相手に伝える必要があります。初めましての時に、名刺交換をするのもその一つ。しかし、私の感覚では「放送作家」という紹介だけではまだ足りない、プラスアルファが必要だと思っています。私は、ありがたいことに「ナインティナインのオールナイトニッポンのハガキ職人から放送作家になった」という過去があって、どの現場に行っても、特に同世代の人から「ラジオ聴いてました!」「あの顔面凶器さんですか?」なんて言ってもらえるんです。 細田さんはかつて「顔面凶器」というペンネームで、ハガキ職人をされていたんですよね。 正直いうと30代前半ぐらいまでは、これがコンプレックスでしかなくて。いく先いく先で「この作家さんは元ナイナイANNのハガキ職人で…」と紹介されるたびに、「昔の話、持ち出してんじゃねーよ」と内心イラっとしたりして(笑)。 はたから見ると、とても羨ましいことですが。 去年、『ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。』というブログを書いて、自分のこれまでのことを見つめ直すことが出来て。新たな気持ちで仕事に取り組む中で、今ではとても大切なものの一つです。「この作家さんは元ナイナイANNの…」と、誰かが私のことをそう紹介してくださるだけで、紹介された側は「なら大丈夫ですね」「(この仕事を)安心してお任せできますね」となる。もちろん、言っていただいた以上、その期待に応えなければという別のプレッシャーは生まれますが。こんなにありがたく、幸せなことはないですよ。 細田さんにとって、一つの看板になっているこということですね 話を戻すと、これからは「放送作家」という肩書きにプラスして、仕事相手を安心させたり喜ばせたりする、「この人と一緒に仕事をしてみたい」と思わせる何かは必要になってくると思います。「SNSのフォロワーが10万人います」とか「並行してyoutuberやってます」とか、「お豆腐屋さんもやってます!」というのでもいいと思います。 これからは、放送作家1本じゃダメなのか… そういうものがあるに越したことない、という意味です。私自身も一つでも多く、新たな看板を見つけたいと思っています。 最後に、「放送作家2年目の僕に、17年目の細田さんから何か一言」いただけませんか? 特にないなぁ(笑)。ただ、同じエンタメ業界の端っこに関わる者として「自分以外の誰の言うことも聞くな!」ということだけはお伝えしておきます。この業界、もとよりこの世の中、本当の正解を知っている人なんて誰一人いないと思うんです。「お前は間違ってる」と上から怒られたり、批判されたりすることもあるでしょうけど、何が本当に正しいのかは誰にも分からない。これを突き詰めて行くと結局、自分が正解だと思えることをやっていくしかない。少なくとも、他人の意見に振り回されて自分の可能性を狭めてしまうことだけは、もったいない。「自分が思うまま、好きなようにやればいい!」ということですかね(笑)。 細田さん、ありがとうございました! こちらこそ、楽しかったです。   編集後記  現役の放送作家である二人の会話。いかがでしたか?放送作家とは「台本を作る人」。ただ、その働き方、自分ルールは千差万別。その中で、ベテラン作家である細田氏が心がけていることは、まず「自分は何者か」を伝えること。そして、先輩後輩関係なく相手をリスペクトし、いつも機嫌よく、日々を正しく生きる。放送作家という特殊自営業ですが、大切な事は会社で働く我々と同じということですね。ハシモトさんにはどう響いたでしょうか。新ジャンル「お豆腐屋さんの放送作家」が誕生するかもしれませんね。    細田さんはあのナインティナインのオールナイトニッポンでハガキ職人から放送作家になったというご経歴があります。番組のヘビーリスナーの1人としては、今回の企画を通してあの「顔面凶器」さんが今も放送作家として元気に活躍されていることを知ることができて非常に良かったです。...

起業家失格を乗り越えて。気づいた「成功者の特徴」3つ  失敗してきた。人生全般に…なんていうと、太宰治の追っかけになってしまう。ただ起業に関して言えば、失格もいいところだ。    私は教育と葬祭の2つの業界で起業を志し、「客が来なくて自滅」と「創業メンバーが揉めて解散」のわかりやすい失敗をした。それでも懲りずに3社目を動かしている。だがこれだけコケてきたおかげで、成功者と敗者の分かれ目は見えてきた。    ここの記事では、成功した人間だけがやっていて、私ができていなかったことを3つピックアップし、1つずつ解説する。   成功者の特徴① 「必要なアドバイス」に耳を傾ける  名だたる起業本には「人の意見ばかり聞いてはならない」とよく書かれている。ある意味では事実だ。財務知識が皆無な彼女・彼氏へ経営方針を聞くのはよろしくない。あなたが不幸になればいいと願っている同業者ははねのけたほうがよい。    一方で、自分より優れた人のアドバイスを無視するのが失敗者の典型例だ。誰から助言を聞くべきか考えるとき、冷静なときは我々も「自分より優れた人がわざわざ言ってくれてるんだから、取り入れよう」と思える。だが、いざ経営が厳しいとき、助言をしてきた相手が自分より年下ならどうか。学生ならどうか?自分よりすぐれた専門知識を持っているとわかったとき、頭を下げられるだろうか。   成功者は、頭を下げられる。敗者にはそれができない。    また、「誰のアドバイスを聞くべきか」を選別するのは最も重要なポイントだ。敗者は「好きな人」からアドバイスをもらおうとする。高校時代から尊敬している先輩。会社の元上司。親。彼らが一度も起業なんてしたことがないにも関わらず、感情で人を選んでいるのだ。    このミスを犯さず「自分よりその分野で成功している人」をアドバイザーに選べたとしよう。飲みに連れていってもらい、頂いたアドバイスをすぐに実行できるだろうか?多くの人は「はぁ」と受け流すのではないだろうか。    ある方から、起業相談をいただいた。私にできる範囲でお応えしたが、数か月たっても変化がない。「どうされてますか?」と聞いても「いやあ、ためになりました」とお礼が帰ってくるばかりだ。    そこで彼と飲みに行き、詳しく話を聞いたところ「自分は頭がいいと思ってこれまで生きてきた。だから自分がもの知らずだと指摘されるのがどうしても耐えられない」とおっしゃられた。私も決して頭がいいわけではないが、もし自分より専門性が高い人のアドバイスを同様の理由で無視するなら成功者にはなれまい。    成功者は、助言をすぐ実行する。このバーに通えばよくしてくれると言われれば通い、営業へ行けと言われれば100件電話する。どんな助言も、実行せねば成功できない。成功者はアドバイスを聞いてから実行するスピードが、とてつもなく早いのだ。   成功者の特徴② 大企業から学ぶ  私がかつて葬祭事業を立ち上げたとき「大企業の時代は終わりだ。これからはベンチャーが世界を席巻する」と思っていた。とんだ勘違いだった。    数珠、骨壷、霊柩車、卒塔婆……あらゆる道具でイノベーションを狙ったベンチャーが、葬儀場から火葬場まで全部揃える馬力のある、総合商社の参入で木っ端みじんになったのだ。私が足しげく営業をかけて広げてきた努力は水の泡となった。なにしろ、営業をかけた寺院自体が経営危機に陥ってしまったからだ。    成功者は大企業から学ぶ。彼らのもつスケールへ経緯を払う。大企業がリターンを考えると手を出しづらいゾーンから手を出していく。一流企業に登りつめたメガベンチャーを見れば一目瞭然だ。DMM.com、メルカリ……どれも最初は大企業がひるむジャンルへ打って出た。そして徐々に自浄作用を働かせ、一流企業へ転身していったのだ。   成功者の特徴③ 「誰から嫌われるか」を決めている  「いい人」が起業をすると、誰からも好かれたがる。消費者、出資者、株主、取引先。しかし思い切った施策は必ず、このどれかから反感を買う。ある社長は、経営難に陥っていた。そこでコンサルタントが入り、すぐに人件費が高すぎることに気づいた。世間の相場より1.5倍もの賃金を払っていたからだ。    だが、それを指摘すると、経営者は首を横に振った。「これまでずっとお世話になった社員だから、これくらい払わなくては」。その結果、社員の給与が足を引っ張り、研究開発へ資金を回せずにいた。そうすると良い製品は生まれない。巡り巡って人件費を払えなくなる。    「いまは苦渋を飲んでくれ。そうすればだれもが納得する成果を出せる」と、反発を抑え込み、時には悪役となるのも社長の役目だ。社員のことだけを見て会社を回すと、めぐりめぐって消費者や株主をないがしろにしてしまう。そうするとモノが売れなくなるから、最後は本丸ごと潰れてしまうだろう。    最近だと、日大の不祥事がわかりやすい。日大アメフト部が反則行為を行ったとき、とっさに日大は組織のナンバー2だったアメフト部監督を守る方へ動いた。しかし日大の資金源は助成金を出す国と学生だ。この2社へ背を向けて社員を守った結果ブランドイメージを傷つけ、売上ダウンへの道を歩んでしまった。    成功者は、好かれるべき相手へ優先順位をつけられる。取引先を怒らせてでも、圧倒的な売り上げで黙っていただくしかないこともある。株主を怒らせてでも、売りを取るべきときがある。社員に対しても然りである。   まとめ  成功者がやっていることは、とてもシンプルだ。助言をすぐ実行し、大企業へ敬意を払い、好かれたい相手を選ぶ。たったこれだけのことをするのが、いかに大変か。私自身もまずはアドバイスへ忠実に従うことで、次こそは成功への切符を掴もうと思う。...

岐阜県最大の歓楽街「柳ケ瀬」  岐阜県最大の商店街・柳ケ瀬。昼は商店街として、夜は歓楽街として、違った顔を見せる。繊維が日本の花形産業だった頃、岐阜は東京・大阪に次ぐ繊維の一大産地だった。戦後の闇市からはじまった岐阜の繊維産業は、古着商から既製服産業へと発展。岐阜アパレルが全国を席巻した。岐阜駅前には既製服を販売する繊維問屋街が形成され、どんなに仕入れても、すぐに売れた。1日の売上金で金庫があふれ、蓋が閉まらなくなった。儲けた金を握りしめ、あるいは顧客の接待で向かったのが、柳ケ瀬だった。夜の柳ケ瀬には、小料理屋からキャバレー、風俗店まで全てが揃った。    それらのうち一つでも失われてしまえば、一気に求心力が低下する。柳ケ瀬浄化運動によって風俗店が撲滅されると、遠方から訪れる客が激減。繊維産業の衰退とも相まって、柳ケ瀬から賑わいが徐々に消えていった。かつては肩をぶつけ合わないと歩けないとまで言われた大通りは、今は見る影もない。夜の柳ケ瀬は人影がまばらで、通行人よりも客引きのほうが多いほどだ。   夜の街・西柳ケ瀬。通行人の姿も少ない。    そんな柳ケ瀬で、「のんびりお酒が飲めるスナック」という業態は、幅広い層から重宝され、愛されてきた。柳ケ瀬のスナックは、表通りから1本入った横丁に集中している。横丁のひとつ、「丸川センター」では、狭い路地に20軒ほどのスナックや飲み屋がひしめいている。昭和39年に開催された東京オリンピックを記念して作られたという五輪のネオンサインが特徴的だ。   丸川センターの頭上を彩る、今から54年前に作られた五輪のネオン。   はじめての訪問。柳ケ瀬で昭和59年から続くスナック  私がはじめて訪問した2017年の時点で、営業しているのは「スナックさざめ」の一店のみになっていた。お店のドアを開けると、70歳くらいのママが迎えてくれた。時間が早かったせいか、お客さんの姿はない。水割りを飲みながら、ママに色々な話を聞いた。スナックさざめは昭和59年に開店した。丸川センターでは最も新しい店だ。以前は喫茶店で働いていたが、頼まれてこのスナックのママになったのだという。    お酒が苦手なのにスナックで働くようになり、最初は嫌で、とりあえず3日やろう、3ヶ月やろう、3年やろうと思っているうちに、30年が経っていた。お店が終わるとお客さんと一緒に飲みに行くこともあったが、貸し借りは作りたくなかったので、おごってもらうことはなかった。逆にお客さんの分まで払うこともあり、売り上げはちっとも手元に残らなかったという。    お客さんが来てくれない日は寂しかったが、常連さんに電話をかけたことは一度もない。電話したらきっと来てくれるけど、人それぞれのペースがある。困っていると思われて、気を遣わせるのも嫌だった。「やっぱり給料日にはお客さんが多いんですか?」と聞くと、意外な返事が返ってきた。「給料日はね、逆にお客さん少ないんですよ。みんな、給料を払う側になっちゃったから。」なるほど。聞けば納得の答えだ。    そんな話をしていると、お客さんが入ってきた。見慣れぬ私の姿に、早速声をかけてくれた。こうした気取らない昔ながらのスナックでは、はじめての来店でも、みんなフレンドリーに接してくれる。お客さんは80代の男性で、元々裏社会に生きていた人だった。派手な刺青を隠すため、真夏でも長袖しか着られないとのこと。引退した今でも世間の目は厳しく、転居を繰り返しているという。今住んでいるアパートも、大家が家賃を受け取ってくれなくなった。「もうすぐ追い出されるだろう」と笑う。そこへママが「こんな話してるけど、いつもニコニコしてるし、幼稚園の園長先生みたいに見えるでしょ?」とチャチャを入れてくる。どんな人であっても、何の駆け引きもなく、気兼ねなく楽しくお酒を飲める。とても心地のよい空間だ。   スナックさざめの店内は、穏やかな時間が流れている。   2回目の柳ケ瀬・さざめ訪問。ツイートした犯人発見に沸いた夜  それから半年ほどが経った頃、スナックさざめが廃業するという噂を聞いた。一度しか行ったことがないというのに、何故かとても心がざわついた。また行きたいと思っていたし、失いたくない場所となっていたのかもしれない。居ても立ってもいられず、まだ開店前だというのに、店の前まで来てしまった。スナックのドアには、2018年3月末をもって閉店するという貼り紙が張られている。閉店の噂は、本当だった。 スナックさざめが閉店すれば、東京オリンピックから続いていたネオンのアーチも消されてしまう可能性が高い。「ひっそりと消えてゆくのはもったいない」という思いから、私はネオンの画像とともに、スナックさざめの閉店情報をツイートした。   お客さんが作ってくれたという閉店を知らせる貼り紙。本当は31年間ではなく33年間だが、「大きな違いはないから」と、そのままにしていた。    3月の最終週に入り、スナックさざめを訪れた。たった2回目、しかも久々の来店だというのに、ママは覚えていてくれた。店内には常連客が数人いて、盛り上がっている。聞き耳を立てていた訳ではないが、自然と話が聞こえてくる。どうやら、あるツイートがきっかけで、インターネット上でこの店のことが話題になっているとのこと。それを見て、遠方からわざわざ来てくれる人も複数いたらしい。「発信した人は絶対お客さんだと思うけど…」と話していた。自分のほうにも話が回ってきて、見覚えのあるツイッターの画面を見せられた。   【悲報】岐阜柳ケ瀬・丸川センターで最後まで営業を続けていたスナックさざめが今月限りで閉店へ。それに伴い、1964年の東京オリンピックから灯されていた五輪のネオンサインも消灯。二度目の東京オリンピック叶わず。 pic.twitter.com/1ScIShtJoG— よごれん...

大人には想像不能⁉10代の起業家に仕事観、価値観を聞いてきた  飲食店経営及び経営コンサルタントをしております「えらいてんちょう」です。皆様こんにちは。初めましての方は初めまして。  今回お届けするのは3名の高校生起業家へのインタビューです。高校1年生の起業家3名ということで、2002~2003年生まれ、ほとんどの読者の方より年下だと思います。中には自分の息子・娘が同世代という方がいらっしゃるかも知れません。今回はスマホネイティブ世代の彼らの仕事観について、インタビューを通じて詳らかにしてまいりたいと思います。次世代の仕事観は目新しく、資金調達や雇用、事業について他の世代と全く異なった認識をもっているため、その橋渡しができれば幸いです。 ワクワクを貫いて、目指すは現代の「百姓」。いわたがくさん 1人目は、いわたがくさん(twitter) 都内の国立高校に在籍しながらも、「中高生のための一人旅」を企画し、クラウドファンディングでの資金調達も行った方です。   -今日はよろしくお願いします。簡単な自己紹介をお願いします。   いわたがく(以下いわた):こんにちは。いわたがくと申します。都内在住の高校1年生です。中高生の選択肢を増やすことを目的とした、genateという学生団体を主催しています。最近ではメディアやカフェの立ち上げにも関わっています。   -まずはいわたさんの起業や就職についての意見をお聞きしたいです。   いわた:僕は起業については肯定的な意見を持っているのですが、周囲を見ていると現実的な選択肢が就職しかないように感じています。僕は例えるならば「百姓」のように幾つもの仕事を手掛けて、人生を駆け抜けていきたいという思いがあります。その生き方を実現する手段として、現時点では「起業」を考えています。もし就職するとしても「パラレルキャリア」を体現していきたいと考えています。ただ、多くの人にとって就職はいい機会だと思います。現行の教育の仕組みでは問うことのない、「人生の目的」について自問自答する良い機会になると思うので。   -百姓というのは面白い例えですね。もう少し詳しく教えてもらってもよろしいでしょうか。   いわた:一つの仕事やプロジェクトに専門として従事するのではなく、「百の生業」を持つ百姓のように、多くのプロジェクトを仕掛けていきたいという思いがあります。   -なるほど。多くのプロジェクトを同時並行で動かせるようになりたいということですね。この考え方は堀江貴文さんの「多動力」に通じるところがありそうです。資金調達や従業員の雇用と言った点についてはどのようにお考えですか。   いわた:資金調達や従業員の雇用は、あくまで実現したいことの手段として個別に精査していくべきだと思います。会社経営についてはあまり詳しくはありませんが、従業員を雇用することよりもクラウドソーシングで外注する方が、コストが低い印象があります。   -お話を伺っていると、「上場」という起業の分野でのゴールはあまりイメージされていない印象を受けました。いわたさんにとっての仕事のゴールというのはどのようなものでしょうか。   いわた:私にとっての仕事のゴールは「自分にとってのワクワクを貫く」ことですね。同じように世の中をワクワクするようなことで溢れさせていきたい。お金についてあまり執着はないですね。美味しいご飯が食べられるくらいで丁度いいです。   -いわたさんにとって仕事というのは「遊び」や「ゲーム」の1種でリスクも少なく楽しめるものという位置づけなんですね。大変勉強になりました。本日はありがとうございました。     起業か就職課は関係ない。重要なのは「熱量」。高木俊輔さん 2人目は高木俊輔さん(twitter) 中学校の文化祭のためにpolcaというサイトを使って、スポンサーを集めてしまったという方です。     -本日はよろしくお願いします。中学生で文化祭にスポンサーを獲得したというのは凄いですよね。まずは高木さんの就職や起業についての考え方を伺いたいと思います。   高木俊輔(以下高木):起業に関しては「お金を出せばすぐ出来るもの」という認識です。難しいものではないですね。業を起こすと書いて起業ですし、世の中になじめなくてもリスクを取れる人ならどんどんやってもいいのではないのでしょうか。就職は、ある意味では、最もリスクを取らずに攻めの姿勢でいられるポジションです。結局はその人に合う場所で行動するのが1番ではないでしょうか。   -なるほど。就職してから人脈や経験を積んで起業するという考えもあると思うのですが、この点について高木さんの意見を伺いたいです。   高木:就職にこだわる必要はないように感じます。就職しなくても人脈は作れますし、就職しても作れます。しかし、自分自身の熱量が下がってしまうことや、「これは自分のやりたいことではない」と感じるような時間があるとすれば、すぐに起業するべきだと思います。   -なるほど就職していなくても人脈を構築することや、経験を積んだりすることは出来るわけですね。資金調達の方法や従業員の雇用についてはどうお考えですか。   高木:資金調達についてはネット上で募れば良いのではないでしょうか。従業員についてはSNSで自分の事業について発信して、やりたいと手を挙げる人をどんどん雇っていけばよいと考えています。   -なるほど。資金調達についてはクラウドファンディングなどのサービスを使って事業に魅力を感じてくれる人を募るというような形ですね。従業員やプロジェクトメンバーもSNS経由で募って、黒字化して利益が出るまで活動して、利益が出たらメンバーに配分していくというような形になりますかね。経営者と株主をSNSやクラウドファンディングで募るイメージでしょうか。   高木:そんなイメージです!これからは収入に依存して、仕事にいやいや取り組む人は減っていくと思うので。「このプロジェクトは潰れてもいいか」という気軽なスタンスで、仕事に臨むような人が増えるのではないのでしょうか。   -なるほど。そもそもあまりお金に執着しているわけではないのですね。今の中高生の起業家は何をゴールにしているのでしょうか。   高木:単純に勉強よりも起業している方が楽しいからですね。使いたいときに足りる程度のお金を稼げれば問題はないという考えです。   -遊びの延長線上に起業があるというわけですね。たかが遊びの一つなので、一つの商売に対して執着もしない。上手くいって楽しければ続ける。遊びは真剣にやらないと楽しくないので、姿勢は真剣そのもの。このような取り組み方でしょうか。   高木:その通りです!   -なるほど。そのような姿勢で仕事に取り組まれているんですね。大変勉強になります。最後の質問なのですが、中高生の起業家の皆さんは本名でネットの活動を行っています。匿名で活動するとは考えなかったのでしょうか。   高木:自分は人とよく会うので、顔出ししている方が安心できるんです。あとは自分の名前をブランド化することも狙っています。   -なるほど。名刺の代わりとしてネット上にある実績を使っているわけですね。本日はありがとうございました。     起業もクラウドファンディングも若いうちが有利⁉益山永遠さん 3人目は益山永遠さん(twitter) 胸の大きい女の子向けの下着ブランドを展開されています。     -簡単に自己紹介をお願いします。   益山永遠(以下益山):益山永遠(ますやまとわ)高校1年生、15歳です。胸が大きな女性のための下着ブランドEteranun(エテラナン)を立ち上げ、その資金調達としてクラウドファンディング中(5/19まで)になります。3/19に65万を目標に開始し、現時点で74%を達成しました。   (クラウドファンディングのページ)    世間一般的に贅沢な悩みとされる「大きな胸」に着目し、また私自身が当事者だったことから事業を展開することにしました。下着ブランドなのでアパレル業になりますが、日本や世界を良くしようとする起業家の方々にも影響を受け、ベトナムやバングラデシュといった発展途上国での工場開拓や生産を通し、発展途上国の工場の環境改善など社会課題解決型の事業へも広げられたらと考え動いています。   -もう既に商品をつくって販売されているのでしょうか?   益山:商品をつくるお金すら無かったので!クラウドファンディングを駆使しました! まだ法人化をしていないこともあり、お金が無い状態だとどこの工場にも相手にされなくて…。まずは商品を作るお金を集めなければならない、クラウドファンディングに全力をかけることが私の出来ることなのかなと思い動いています。   -中学生で起業をしようというのは珍しいと思うのですが、影響を受けた起業家がいれば教えてください。   益山:影響を受けた起業家は、というか起業したいという夢が起業するという決意に変わったのは、14歳からのスタートアップという番組に出演されていた八木澤玲久さん、川島康平さんがきっかけとなりました。同年代の方がここまでしているのか…(語彙力)と感銘を受けたあの瞬間のことを今でも肌感として覚えています。初めて知った、見た、学生起業家があのお二方なので私自身あのお二方を基準としている所があったりします。(※八木澤玲久・高校3年生の時起業コンテストで最優秀賞を獲得、地元那須をPRする旅行代理店「那須旅」を設立、川島康平・高校2年生の時にQRコードを使った地方創生観光ビジネスを手掛ける株式会社NEXTremeを設立。現在はNEXTreme合同会社CEO)   -なるほど。起業や資金調達をする上で、年齢が影響すると思いますか?  資金調達については、「年齢って武器になるなぁ」とクラウドファンディングを初めてより一層感じております。簡単な話、私が今やろうとしていることを30歳の人がやってもここまで集まらないと思うんですよね。まだまだガキんちょの女の子がなんか社会課題を解決するためにやってんなー、若いのにすごいなー。ってなるんですよね。事業内容より年齢を先にみられるというか。それを嫌う人もいるようですが、私はこの年齢で動いたからこそチャンスを頂いたと思っています。  起業のハードルも若ければ若いほど低いと思います。失敗しまくれるので。起業を1番学べるのって起業することだから、バンバン行動して沢山失敗してそれらを次に生かせたらいいのかなぁというのが私の考えです。   -同じ内容でも、若さがあれば応援される、応援されれば資金調達もできるし、事業でつまったときも助けてもらえる、というイメージなわけですね。 一般的に起業に失敗するとお先真っ暗、借金まみれ、堅実に就職、みたいな価値観があると思いますが、そういった価値観に対してはどう思いますか?   益山:そんな価値観あるんですか〜!もちろん事業内容や想いも前提ではありますが…若ければ若いほど得をするってイメージです!私的には失敗も失敗じゃないというか…だって…DJ社長なんか、何千万と借金あるけど幸せそうじゃないですか〜!(※人気YouTuber・DJ集団「レペゼン地球」のリーダー。ピーク時の借金は6,000万円という)その環境をどう受け止めるかは本人次第だし、いかにその状況を楽しむ力があるのかだと思うんですよね。起業関係なく。それに、みなさんだっていつリストラされてもおかしくないじゃないですか…。サラリーマンが安定とは思いません。  AIが発達してきてる今、固定概念に囚われない想像性や柔軟性、スピード感大事だと思うんですよね。時間って命なので!やりたいことやった方がいいです絶対!好きじゃない仕事なんてやらない方がいいです。私も最近苦手なことしておっきなニキビできたので。できるできないじゃなくて、やるかやらないか。使い古された言葉ですけど、「こういうことか!」って分かるのはやってからだと思います。   -起業のことは起業した人にしか分からないって感じですね…。実際起業するにあたって親御さんの意見はどうだったかについても伺いたいです。   益山:最初は周りは応援してくれてなかったですよ!両親、親戚含め。当たり前のように「子供に何が出来るんだ」って沢山言われました。けど、やってたら本気度伝わったみたいで今は応援してくれてると思いますよ!   -「親は親、自分は自分」って感じなんですね。益山さんも、ほかの中高生起業家のみなさんにインタビューしたときもそうなんですけど、お金持ちになりたい!みたいな感覚が薄いですよね。   益山:ほんまにそうすよ!ゆうて他人なんで。親であろうとも100%分かり合えることなんてないと思います。でもそれを悪いことだなんて思いません。学生起業家にとって親って大きな壁だと考えがちですが、意外とそうじゃないです。分かってくれないなんて!って思わずに、「あ〜そういう価値観なんだな〜!でも私はこういう風に思うねんなぁ」って感じで良いと思います。悟り世代って言われるじゃないですか、私たち笑。バブル世代の両親を持って、それを見てて「あ、お金を持つこと=幸せではないんだ」と気づいたんですよね。お金はより幸せになるためのものであって、「お金持ちは幸せ!貧乏は不幸!」ではないんです、決して。   -では、起業する上での目標、ゴールはどういうところになるのでしょうか?   益山:ゴールかぁ、私ないです!私、計画性めちゃくちゃなくて笑。ほんとにその時に「やりたい!」と思ったことに素直になってるだけというか…。なので、長期的なプランがあって、そこから逆算して今何をするべきかというよりその場その場での感情を大切にして動いてますー!   -その場でワクワクすることをやって、ワクワクしなくなったら切り替える、って感じですね。大変勉強になりました。最後に、中高生起業家のみなさんは本名で活動されてる方が多いですが、「ネットに個人情報を出さない」といった考えはあまりないのでしょうか?   益山:ほんまに一人の起業家として名前出してる感じですね。中高生だからどうとかじゃない気がします。   -ひとりの起業家として名前を出して売っているわけですね(私は出してない…笑) 大変勉強になりました。商売の成功をお祈りしてます!   まとめ さて、次世代のエリートの考えを紹介いたしましたが、読者の皆様はどのような感想をもたれたでしょうか。 特徴的な考えとして   ①起業を特殊なことと考えていない。会社員としての修行を経てからのような考えは皆無。 ②起業が失敗しても破滅しないことを知っている。借金をしないから。ビジョンさえ魅力的ならクラウドファンディングで大金がすぐに集まる。 ③ひとつの事業に愛着を持ってやり続ける、という意識が薄い。いろいろなことをやってみたい、常にワクワクしたい、起業はその手段である、という意識。 ④仮に失敗してもそれも一つの経験と捉える。 ⑤親の話が少ない。親は親、自分は自分といった自立心が強い。   といったものがあげられます。大学進学などを重視していないのも特徴です。SNSネイティブの彼らの価値観が主流になるのも時間の問題に思えます。読者諸賢におかれましては、新しい価値観を吸収していかれると、次世代と一緒に仕事がしやすいかも知れません。...