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アキンド探訪

  起業しよう。   そう考えたあなたは、すぐに自分ひとりでできることの限界に気づくだろう。営業は得意だが経理に疎い。法的知識はあってもプレゼンがド下手。誰だって得手不得手はある。ワンピースのルフィだって、仲間がいなければすぐに夢破れるはずだ。   だから事業が黒字化する前の段階で、あなたは仲間を募るのは自然な流れだ。   しかし、ふわっとしたアイディアしかない段階で労力を割いてくれる人、仲間になってくれる人は少ない。もとい皆無に近い。愛しの彼氏・彼女ですら「その起業、やめたら?」とやんわり制止するだろう。数少ない友人だけが「それ面白いじゃん」と寄ってきてくれる。かくしてあなたの孤独な起業プランは、仕事仲間となった友人とともに描く壮大な夢となる。 友情か、成功かを問われる日がくる そして労力の末に、売上は伸びる。仲間は有頂天になる。会社を辞めてよかった。お前を信じて良かったよ。チームは互いを褒めあい、さらにハードワークをこなす。   だが夢の楽園は続かない。   あなたはより大きな社会的成功を夢見て、事業の規模をどんどん大きくしたくなる。もっと人を雇おう。経営を多角化しよう。今の儲けを投資しよう。そして仲間の反対に出会うだろう。「何で今のままじゃだめなんだ?もうこんなに儲かってるのに」「IPOがそんなに大事か?いまのうちに事業売却する方が賢いんじゃないか?」   あなたは愕然とするだろう。「共に成功しよう」と語り合ったはずなのに、成功の定義が仲間と大きく違っていたことを思い知るからだ。あなたは年商100億円がほしい。でも仲間は5,000万円あればいいと言う。そこであなたは選ばなくてはならない。仲間を全員切り捨てて大きな成功を目指すか?それとも小さなビジネスで満足するか。 人を切り捨てる痛みに耐えられるリーダーは少ない これは私の話だ。かつてうまくいった起業があった。といっても個人事業主に毛が生えるくらいの売上を作っただけだが、学生起業にしては軌道に乗った方だと思う。しかし社員を何人も食べさせられるほどの儲けではなかった。売上がその程度だった理由は、単なるサービスの知名度不足だった。つまりここでVCからの投資や借金をしてでも営業・広告へ予算を割けば、れっきとしたビジネスになる可能性は大きかった。   けれど仲間は満足してしまった。「このまま会社員として就職すれば、この副収入で幸せに暮らせるぞ」と。そんなものは私の望んだ未来ではなかった。   そこで私は仲間を全員リストラし、事業を拡大できる人材を求め……はしなかった。残念ながらやる気が失せてしまった。年商1,000万円を切る段階で満足してしまうチームに失望しながらも、全員に裏切り者とののしられてまで友人達を切り捨てる勇気はなかった。だから事業ごと手放すことにした。「じゃあ好きにやっていいよ」と放流したプロジェクトは、いまもどこかで「副業」にふさわしい売上を作っているのかもしれない。私の知ったことではないが。   かつて「結局、皆で和気あいあい仲良くを目指すのか、厳しくとも成長する会社を選ぶのかって話になってくる」と堀江貴文氏は語っていた。(参考記事:スタートアップの会社に優秀な人材を集める方法?ふざけたことぬかすな)この指摘は、痛いほど真実だ。そして、長年培った友情と成功を天秤にかけて、それでも成功を取れる人間は少ない。   ほとんどの人にとって「なぜ成功したいか」という疑問の答えは「家族や友達を幸せにする力が欲しい」からである。目的となる周りの人を不幸にしてまで、成功をつかみ取りたい人はそういない。私だって違う。だから私は成功しなかった。シンプルな話だ。 憎まれてもいい仲間を、あらかじめ選ぶしかない そしていま、私は起業家をしている。「仲間」を失うことに怯えた起業から数年。また起業にチャレンジできたのは、友達や家族を起業「仲間」として巻き込むのをやめたからだ。私は「仲間」とミーティングをしない。代わりに従業員を雇い、彼らを信頼している。   従業員へは、仲間と同じような待遇を心がける。けれど「仲間」とは本質的に違う相手だ。彼らが私と一緒にいてくれるのは給料が支払われるからで、私が好きだからではない。もしかすると好いてくれているかもしれないが、だからといって余計に働いてもらったり、進んでタダ残業してくれたりするわけでもない。だから従業員は根本的に「仲間」とは違う相手だ。   そして従業員は「仲間」ではないからこそ、安心して起業の一翼を任せられる。ビジョンを少し違えただけであなたを憎んで裏切り、会社のカネや人を持っていきかねない「仲間」と比べて、給与を目当てに働いてくれる従業員のなんと頼もしいことだろう。起業家に必要なのは「私たち、ズッ友だよね☆」とビール缶片手に語り合う友ではない。給与の関係で結ばれた、ドライな仕事の同僚たちなのである。   いつか仲間を憎み、切り捨てる結果を迎えるくらいなら――雇用関係ほど信頼できるものも、そうないのだ。もちろん従業員だって、あなたに反旗を翻すことは多々ある。だが、そのときあなたは、相手を躊躇なく切り捨てられるのだから。     ...

業務の効率化を阻んでいるものとは?   「女性の労働参加率を高めろ」「残業時間を減らせ」など、働き方改革では様々な業務の見直しが叫ばれている。だが、その中でも一番の見直しポイントは「労働生産性を高めること」ではないだろうか。   日本は先進国の中で、労働生産性がすこぶる悪い。もちろん、生産性を高めるために様々な策を講じている企業も多いと思われるが、なかなか結果に結びついていないのが現状だろう。   それでは、なぜ日本の労働生産性は低いのだろうか?私は、日本人が労働時間に対して報酬をもらう“時給制”が当然だと認識していることが問題なのではないかと考えた。   アルバイトをしたことがある人ならわかってもらえると思うが、時給制で働くと「早く終わらないかな」「ちゃんとやっても時給は10円くらいしか上がらないし適当にやろう」と怠けてしまいやすく「生産性を高めよう」という気持ちは起きにくい。   そのため、報酬を受け取る態度が「拘束されてやったんだからお金をくれ」となり、生産性を高めて結果を出すことに、日本人はそこまで意識が向かないのではないだろうか?   そこで、結果や成果に対してのみ報酬を支払う“脱時給制”にすれば、労働生産性は上がるのでは考えた。今回は、脱時給制のメリットやそれを実現することの難しさなどについて語らせていただきたい。 脱時給制の3つのメリット まず、脱時給制にするメリットを紹介していきたい。   メリット1:効率や生産性を意識しながら働ける   クレーム処理やよくわからない会議など、生産性の低い仕事に時間を奪われてしまうケースは多い。   脱時給制にすれば、「1秒でも生産性の高い業務に取り組まなければ」と労働時間への認識がかなりシビアになり、生産性が低く成果に結びつきにくい業務に時間を取られることに激しいストレスを感じるようになる。   そのため、「それはやるべき業務なのか?」「もっと効率的にできないか?」と業務の効率や生産性を常に高い水準で意識するはずだ。   また、“生産性は低いけど必要な業務”があれば、丸ごと外注するのはどうだろうか?外注すれば全体の仕事量は減り、わざわざ人員を足す必要はなくなり、人手不足も解消され、生産性の高い仕事にのみ意識を注げられる。   人手不足を叫ぶ企業も多いが「業務が多いから人を足す」と考えるのではなく、「業務を人任せにする」という発想も今後ますます大事になっていくだろう。   メリット2:残業代目的に残業する必要がなくなる   仕事が終わらないために残業する人は多いが、残業代をもらうために意図的に残業する人も少なくない。そういう人は日中にキチンと取り組めば終わるような仕事を、夜までダラダラ引き延ばして終わらせようとする、まさに“労働生産性を下げる”最低な働き方をしていると言える。   しかし、脱時給制にすれば、残業代目当てに残業をしても報酬は上がらない。ダラダラ仕事をするほうが無駄に時間を消費することになるので、自分の与えられた仕事をさっさと終わらせようと、効率的かつ生産性の高い働き方をせざるを得なくなる。   また、基本給が少ないために残業代という“プラスα”を求めて残業していた人も、働き方次第では残業代をもらっていた時よりも高い報酬を獲得できるかもしれない。無理やり会社に残業を減らされた結果、「残業代が減ってしまい以前より苦しい生活を強いられた」ということもなくなるだろう。   メリット3:公平な給与システムになる 現在、日本の多くの企業は、年功序列で報酬が上がるシステムを採用している。もちろん、年功序列型を否定する気はない。年功序列型にすれば社員は長く会社に勤めてくれるので、戦力が流出するというリスクを減らすことができる良いシステムだと思う。   だが、年功序列型が機能するのは景気が上向いている時に限った話。「人手不足だ」「生産性が上がらない」と叫ばれている現代で、悠長に勤続年数で報酬を決めているようでは、「どれだけ頑張っても意味ないじゃん」「俺のほうが結果を出してるのに何で先輩のほうが高いんだ」と社員のモチベーションは上がらない。   脱時給制では、年齢や勤続年数に報酬が影響しないので、公平な給与システムを提供できるだろう。   そもそも、海外では“能力”や“結果”ではなく“年齢”で報酬を決めるのは差別だと考える傾向がある。イギリスでは、2009年に「年功序列は差別だ」という訴えが80件以上起きており、私たち日本人は「なぜ給料の高さに年齢が関係するのか?」という根本的な部分に疑問を持つ必要がありそうだ。 結果よりプロセスが大好きな日本人 脱時給制のメリットについて語ったが、正直、脱時給制を導入するのは様々な障壁がある。その中でも私が一番のネックだと考えているのが日本人のある特性だ。   日本人はとにかく結果ではなくプロセスを重んじる人種である。例えば、毎日素振りを1000回している生真面目な高校球児が内野安打を打つのと、全然練習に参加していない不真面目な高校球児がホームランを打つのでは前者の方が日本人ウケするだろう。   もちろん極端な例だが、日本人は結果よりも「頑張っている過程」「努力の量」と意識しすぎる傾向がある。脱時給制は、そういった努力や過程を一切鑑みずに結果のみで評価するシステムだ。   日本企業はすぐにでも結果がほしい状況に置かれているが、そういったシビアな視点で判断を下せるのかは疑問が残る。 みなし残業とかいう制度は最低 また、多少話が脱線してしまうと思うが語らせてほしい。私は、みなし残業は労働生産性を押し下げる最悪の制度だと考えている。   「みなし残業」とは、正式には「みなし労働時間制」といいます。あらかじめ月給の中に、一定時間分の残業代が含まれている賃金体系を指します。例えば月給額に月20時間分の残業代が含まれている場合は、月の残業時間が20時間以内の場合は残業手当はつきません。20時間を超えた場合に、21時間であれば1時間分、30時間であれば10時間分の残業手当がつきます。   つまり、残業代が基本給に含まれているため、規定時間内に残業しても残業代が出ない「サービス残業」になってしまうわけだ。   みなし残業を採用すると、残業することが当たり前になり、残業をイレギュラーな行為として捉えられなくなってしまう。その結果、業務の効率化や生産性に疑問が持ちにくくなり、労働生産性は一向に改善しない。   また、みなし残業として月20時間分の残業代が基本給に含まれている職場で働いている人がいるとする。その人が15日現在で、すでに18時間の残業をしていたらどうだろうか?あと、2時間残業すればそれ以降残業代が発生するので、「もう今月は残業しないぞ」というモチベーションは消えてしまう恐れがある。   みなし残業を「残業しなくても残業代が入ってくるなんてラッキーじゃん」と考える人もいるかもしれない。確かにその通りだ。だが、みなし残業を設ける会社がそんなホワイトな労働環境であるケースは少ない。   みなし残業は、残業を常態化させ、社員のモチベーションを奪い、サービス残業を合法化しただけの最低な制度と言って良い。と私は思う。 まとめ 「自分の時給がいくらなのか」「今日どれだけの価値を生み出したのか」を真剣に考えて働いている人は少ないだろう。そういった意識が欠如していることが労働生産性の低さに強くつながっている。   “時間”で働くのではなく、“結果”で働くようになれば、今よりもっと報酬がもらえるかもしれないし、自分の仕事の価値をより感じることができるようになるだろう。   労働時間で報酬をもらうほうが、確かに安心感はあるが、脱時給制は決して悲観するアイデアではないと思う。   引用:https://employment.en-japan.com/tenshoku-daijiten/9838/    ...

僕はライター業の傍ら零細企業の営業マンをやっているわけですが、最近僕の勤める会社では大変動が起こり、具体的に言うと新卒入社の正社員が全員いなくなりました。零細ベンチャーのスピード感というものを肌で感じる昨今です。   そういうわけで、日本は若年人口の減少に伴う大変な人材難にあります。これはもう僕が会社を経営していた頃から感じていたのですが、優秀な労働者がとにかく不足しております。   しかし、労働者が育つには訓練が必要です。残念ながら弊社のような零細企業には人員育成ノウハウもなければ、投下する資金もありません。結果として、「プロパー社員を育てて安定した会社の土台を作ろう」という弊社社長の目論見は失敗に終わりました。   中小零細企業の経営者は「金がない」「人が足りない」のどちらかで常に悩んでいるものですが、最近は「人が足りない」という悩みが特に増えています。僕も「誰か紹介してくれ」とよく頼まれますが、紹介出来る人材が身近におらずなかなか心苦しい思いをしております。   本日は創業間もない企業、あるいは中小零細企業の「人材不足」という問題について語っていこうと思います。 新興零細企業に人材育成環境など存在しない 僕が起業を経験して感じたことは、「人を育てるのは本当に難しい」ということです。「人材育成」というのはそれ自体がお金を取れるノウハウと言えるでしょう。資金も時間もカツカツの新興零細企業において、「人を育てる」ということは、まさに至難の業と言えます。   新入社員にとって大手企業と新興零細企業であれば、新興零細企業の方が仕事は難しいのです。業務は定型化されておらず、ケースバイケースの対応が求められ、また「誰もやったことのないこと」に挑むのが日常の新興企業において求められる人材の質は、大手企業の1年目に求められる人材よりかなり高いと言えます。   おまけに、丁寧な業務指導を行う時間的余裕もあるいは資金的余裕も通常ありません。この負担は全て、新入社員に押し付けられることになるでしょう。多くの零細企業にとって人員育成とは「現場に投げ込んであとは祈る」くらいのものだと思います。   結果として「とにかく人が育たない」という現象が起きます。当たり前です、こんな環境で人が育つわけがない。これが新興零細企業の最も辛いところです。もちろん、零細企業に『人を育てよう』という意欲が無いわけではありません。   むしろ、零細企業の経営者は「人さえ育てば」といつも思っています。果敢に挑む人も多いです、しかしその多くは残念ながら失敗に終わります。高確率で狙ったとおり人材育成が出来るなら、それを商売にすればいいわけです。   新興零細企業において、「人材育成」とはまず「金を横領しない」「毎朝ちゃんと出勤してくる」「客に暴言を吐かない」辺りから始まります。   大手企業と違って、「この会社に意地でもしがみつくぞ」というモチベーションのある人材も多くはありません。社会常識の乏しい方も多いです。その状態で臨機応変にハードな業務をこなせる人材を育成するなんて、土台不可能なのです。これを解決するために「それはもはや会社法人ではなく宗教法人では?」みたいなメソッドを導入するところもあります。   もちろん、現場に投げ込んだら勝手にモリモリ成長する人もいます。しかし、それは「たまたま」なのです。人材育成ノウハウが確立していない以上、再現性はありません。こうして人材は使い潰され、「まとなな人材がいない」という経営者の嘆きが市場に木霊することになります。何のスキルも身につけないまま、短期の職歴で職場を去っていく労働者もとても辛いことになります。   誰も幸せにならない、まさに地獄です。 現代の「読み・書き・そろばん」、そして人材の二極化 最近僕の勤める会社は非正規事務職員の募集を行いましたが、キーボードで「ェ」の文字が打てない、エクセルの罫線が引けない、ググるという概念を知らないなどかなり難しい人材が押し寄せました。   最近はスマートフォンの普及のせいか、若い方でもPCスキルが極端に低い方も増えています。何故それで事務職を志望するのかは謎ですが・・・。事務職の求人は人気があり、また弊社の給与設定は高めなのでいつも応募数自体は多いのですが、その中で「事務」の基礎スキルがある人は決して多い比率ではありません。   僕が非常に強く感じるのは人材の「二極化」です。社会人としての基礎スキルを一通り身につけた人材と一切身につけていない人材に見事に分化しているように思えてなりません。   Excelを「まったく」使えない、あるいはWordで文章の体裁を整えられない人に事務をやらせるのはほとんど不可能です。また、基本的なビジネスマナー、「敬語」や「電話応対」をこなせない人も当然に厳しい。もっと言うと、四則演算が怪しい人もたくさんいます。「3割引で請求書切っておいて」を電卓で計算できない人も、かつての僕の部下に存在しました。また、必要な情報をインターネットや書籍から探すという能力が「全くない」人も多いです。   僕が新卒で就職した際は、3週間ほどかなり厳しいビジネス研修に放り込まれ、座学からロールプレイまで一通りを教わりましたが、あの経験は今でも非常に役立っています。僕も社会常識が豊かな方ではありませんでしたが、朝から晩まで軍隊のような厳しさで叩き込まれる研修によって多少は社会人としての基礎スキルを習得できました。「仕事の基本的な進め方」は習わなければ普通はわかりません。   しかし、新興零細企業にこのような指導環境は通常存在しません。「自力でやる」しかないのです。かといって、自力で業務に必要なスキルを身につける能力のある人材を採用するのは、本当に難しい・・・。中卒だろうが高校中退だろうが出来る人は出来ますが、出来ない人の方が圧倒的に多いのです。   人材の定着率が低い新興零細企業では身銭を切って高価な外注研修を受けさせるのも難しく、3年会社にいてくれる人材なんてむしろ稀なのです。そのうえ、こういった社会人の基礎スキルを「教える」のはそれ自体簡単なことではありません。だから、外注の研修屋が商売になっているのです。   こうして、人材の格差はどんどん開いていきます。当然ですが、起業される方が採用できる人材は多くの場合、二極化の下の側になることが多いでしょう。「読み書きそろばんが出来ない」人材をゼロから育てるのは、本当に大変なことです。「何が出来ないのか」を把握するだけで一苦労ですし、仕事の合間にそれらを一つ一つ教えていたらあっという間に赤字です。   「いない方がマシ」ということにはどうしてもなってしまいます。皆さんも創業されて、月給22万円くらいで人を雇ったら体感的に理解できると思います。社会人の基礎としての現代版「読み書きそろばん」を教えられる環境こそが切実に求められている。僕は人を雇った経験から、それを非常に強く感じました。 2つの提案 僕から2つ提案があります。   ① 行政は基礎的なビジネス研修に助成金を出せ   社会人の基礎スキル指導を外注できる業者は存在するのですから、労働者が研修を受けるための助成金を行政には出してもらいたいのです。「人材開発支援助成金」というものが一応現状でも存在していますが、これは要件が複雑であまり知られているとも言えません。適用されない会社や事業主が非常に多いです。「創業したばかりの零細企業でこれ使えるところどれくらいあるの?」という感じです。   そういうものではなく、業種によってある程度バリエーションをもたせた現代の「読み書きそろばん」を教える研修を受けるための資金を、会社を通じて「労働者個人に」支給して貰いたいのです。それこそ、フリーターでも受けられるようにして欲しい。社員研修を外注できる業者はたくさんあるのですから、金だけくれればいいんです。助成金が出るようになれば、更に外注できる業者も増えるでしょう。   これである程度、労働者の基礎スペックは底上げが可能になると思います。実質的に「繁忙期に安く人を確保する」用途でしか使われていることのないトライアル雇用助成金より、余程効果的だと思いませんか?   3週間で20万円。各社から30人集めてやれば600万円です。これだけの額であれば、それなりに質の高い研修を行うことが可能でしょう。情報化社会の高度化と長い不況による疲弊で、中小零細企業には人材育成を行う体力が完全になくなっています。また、創業したばかりの企業なども同様です。ここは、行政が下駄を履かせてやるべきだと僕は思います。   ② 大企業の雇用流動性を高めろ   これはかなり怒られそうな意見ですが、僕は大企業こそどんどん解雇を行うべきだと思います。そうすれば、中小零細企業に大企業での労働経験を持つ人材が流れ込みます。逆に、中小企業で叩き上げた人材が大企業に登っていくことも必要でしょう。   僕がかつて勤めていたところもそうでしたが、日本企業はなかなか人を切りません。結果として、飼い殺しになっている人材がそれなりにいるでしょう。僕自身もあの組織に残っていたら、今頃立派な飼い殺しサラリーマンだったと思います。   あの人材を中小零細企業に向かってリリースするべきです。大企業に入社できるだけの学力や基礎スペックを持ち、基本的なビジネス研修を受けた人材は、中小零細企業経営者からすれば「飼い殺しにするならくれ!」というところでしょう。   雇用流動性の乏しさが日本の労働者に格差を生み出しているように僕には思えてなりません。過激な発言ですが、大企業には毎年一定割合の解雇を行うインセンティブを与えるくらいで丁度良いと思います。これは同時に新卒一括採用批判でもありますが、これはたくさんの人が論じているので割愛させていただきます。 人材こそ会社の宝 現実問題として、僕の提案が現実になることは少なくともしばらくは無いでしょう。大企業は相変わらず人をあまり切らないでしょうし、中小企業から大手企業に転職できる時代はそうそう来ないでしょう。零細企業では相変わらず人材が育たず、何のスキルもない労働者と十分なスキルを獲得した労働者の二極化現象はどんどん悪化していくだろうと思います。   その中で起業を志す皆さんは「いかに良質な人材を確保するか」という難題と常に戦っていく必要があります。あるいは、「人材の質が低くても利益を出せる事業をデザインする」という方向もあるかもしれません。もしくは、人材育成スキルを獲得して起業に打って出るという方向もあるかもしれません。   利益は人材が生み出すものです。良質な人材さえ確保できれば、後は利益なんて勝手に出ると言っても過言ではありません。あまりにもクサい台詞なので言いたくないですが、人材こそ会社の宝です。しかし、宝は磨かなければ光りません。磨いても光らないのもいますが、磨かれていないから光れていない人材もたくさんいます。もう少しこれ何とかならねえのかよ!といつも思います。   しかし、僕自身も創業期に人材育成に大きなリソースを割くことは不可能でした。本当に忸怩たる思いがあります。これはもちろん僕の能力と努力不足によるものも大きいので、社会にばかり責任を預けるわけにはいかないのですが。   僕の意見は経験に拠っているので大いに偏っていると思います。しかし、一面的な事実ではあるでしょう。現代版「読み書きそろばん」を身につけていない人材は、たくさんいるのです。そういった皆さんをなんとか戦力化していく必要はあるのです。起業を志す皆さん、あるいはこれから職に就く皆さん、あるいは企業で既に働いている皆さん、あなたはこの問題とどう向き合いますか?   やっていきましょう。     ...

就活業界にいると「ダイバーシティ」という単語を腐るほど聞くことになる。   ところが実際にトップ企業へヒアリングをすると、驚くほど多様性とはかけ離れた現場に遭遇するだろう。   就職活動を始めたばかりの学生はよく「女性が男性と同じように働く」のは当たり前だと考える。学生にとってわざわざ取り組むべきダイバーシティとはLGBTQ(性的マイノリティ)や外国人、障がい者採用を指すものだ。   そして説明会やOBG訪問で「ダイバーシティについてどうお考えですか?」と気軽に質問し、まさかの「総合職女性の採用を頑張っています」発言に衝撃を受ける。この国は女すらまともに採用していなかったのだと、初めて知ることになるからだ。 世界3位のGDPを支えるモノカルチャー 管理職女性比率は、驚くほど低い。三菱商事は「東大卒、男性、体育会系、留学経験者」という超マイノリティで固められた企業だ。近年はダイバーシティの一環として各業界で女性の採用を推進しているが、いまだに女性管理職比率は6.4%(参照:女性が管理職として活躍できる会社を探そう)。ライバルの住友商事にいたっては2.2%に留まる。   たかが女性すら活用できていない社会で、まして他のマイノリティやいかん。同じく総合商社に就職したゲイの男性は、女性と結婚した。「いい年して結婚していないと、出世に関わるから」だそうだ。婚姻制度を使えないジェンダーなど、はなから想定されていない。   だが……ここで逆転の発想をしたい。ダイバーシティとはそれほど「よい」ものなのだろうか?    西欧倫理的には「よい」だろう。反差別。自由。平等。いい言葉だ。だが、コテコテの反ダイバーシティ企業が立ち並ぶにもかかわらず、世界3位のGDPを生む国がここにある。   かつて、「ジェンダーギャップ指数」と「GDP」が相関するか試算したことがある。もしダイバーシティに経済的なメリットがあるなら「ジェンダーが平等な国であればあるほど、GDPが高くなる」はずだと仮定して。   しかし、結果は違った。まったくの無相関。グラフには点が散らばった。ジェンダーギャップと、GDPには何の関係もなかったのだ。 ダイバーシティがありそうに見せている米系企業 そして一見、ダイバーシティがありそうな海外企業においてもそれは虚像だとわかる。たとえばプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)は女性管理職比率が2014年時点で34.0%(参照:P&Gが役員の女性比率No.1に週刊朝日-女性が活躍できる会社)と、先述の総合商社を圧倒する。障がい者雇用にも熱心であり、日本支社にも外国人比率が高い。   しかしその一方で、採用時には心理テストによる厳正なふるいわけを行う。ウェブサイトへ社員のあるべき姿として「誠実さ」「リーダーシップ」「責任感」「勝利への情熱」「信頼」を明記する(参照:目的、価値観と原則)。   ただ標榜するだけではない。採用プロセスでは明確にこれらの素養を持っているか、具体的な過去の経験から深堀りされる。特殊な5つの性質を兼ね備えた人間しか生き残れない会社であるならば、たとえ人種やジェンダーが何であれ、それは立派な「モノカルチャー」だろう。   これはP&Gだけの特徴ではない。むしろ、時代を超えて存続する企業の共通項として「宗教じみた文化の統一」は挙げられている。   IBMは社歌を歌わせた。マッキンゼー・アンド・カンパニーはメールの作り方にまで「お作法」を用意した。日本の総合商社は外面の属性で、同じようなメンタリティを持つ人間を集めている。海外企業は宗教的な型でふるいわける。ただそれだけの差だ。 ダイバーシティによる失敗と、そこからの学び そして私は、ダイバーシティを誤解して一度失敗した。まったく共通点のない、異なる人材を集めて会社を作ったのだ。「違う強みを各メンバーが発揮すれば、チームが強くなる」と信じて。戦略立案が得意な私、ビジョンを掲げるのが得意なBさん、細かいところに気が回るCさん。   結果は惨憺たるものだった。「〇日までに売上を出すなら今から準備しないと」と言い出す私。そんなこと気にすんな、いつか俺たちは成功すると夢を語るB。メールの誤字脱字ばかり気にして前に進めないC。全員が自分の正しさを主張し、起業チームはバラバラに砕け散った。ほとんどの起業はそもそも日の目を見ない。なぜならモノが世に出る前の段階で、チームが崩壊しているからである。   そこから初めて愚かな私は本を読み、学んだ。この世に純粋なダイバーシティなどない。   ただし、参与しているメンバーに「ダイバーシティがある」と思わせることが大事なのだと。   誰だって閉塞感よりは多様性に惹かれる。だから今回の起業で、異なる強みを持つ人は集めた。ただし今回はエニアグラムと呼ばれる心理テストを導入し、性根は全く同じ人だけで固めることにした。そして今のところ、仕事はうまく回っている。   純粋なダイバーシティなんて、ただの無秩序だ。   経営者に求められているのは「あたかも自由があるかのように信じさせ、従業員のストレスを減らす」ことだけである。そのためにダイバーシティという単語がふさわしいなら、喜んで使おう。たとえその舞台裏には、緻密に計算されたモノカルチャーが控えているのだとしても。   参照 ワンキャリア編集部『一流内定』プレジデント社、2017年 ジム・コリンズ『ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則』日経BP社、1995年     ...

  2018年1発目の記事です。本年もよろしくお願いします。   本日は「発達障害」の話をします。もちろん、本日も「起業」の話もします。そして、本日は僕以外の人の話をします。同じ時代に同じ困難を抱え、同じような人生をもがく同胞の話をさせていただこうと思います。   さて、ご存知の方も多いと思いますが、僕は発達障害者です。診断はADHDですが、ASDの要素も多分にあります。そして、発達障害に由来する問題でそれなりに人生を苦労して来ました。僕のアップダウンの激しい、登った角度で落ちることを繰り返す人生にADHDという障害が大きく影響していることは間違いないと思います。   さて、今回取材させていただいたのは同じくADHDの起業家、若月雅奈さんです。若月さんは僕より一つ上、33歳の男性です。GIFTED AGENT社にプログラマーとして勤務する傍ら、その軒先を借りてメイドプログラミングスクール事業を営まれています。   はい、ここまで説明して理解が発生しましたか?しないですよね。僕も最初「この人取材して」って言われたときは「はい?」って言った。「1ミリもわかんねぇ…」って思った。でも、取材してみたら最高だった。 メイドプログラミングスクールって何? >> メイドプログラミングスクール「MaidInMaidFamily」 ...

日馬富士事件の根本的な原因はなにか?   2017年年末のニュース番組は、日馬富士の起こした事件の話題で持ちきりだ。しかし、私は「横綱の品格」や「相撲協会の闇」など、正直どうでもいい。   私が今回の騒動で感じたことは、「飲み会なんてやらなければこんな事態に発展することはなかったのではないか?」ということだ。お酒が入ると、自分が大きくなったように錯覚してしまう。そのため、貴ノ岩は生意気な態度をとってしまったのだろう。お酒が入ったことで衝動性が高まり、日馬富士は過激な暴力を振るってしまったのかもしれない。   日常生活でも飲み会の“弊害”を経験したことのある人は多いだろう。さすがに重傷を負わせるレベルの暴力はそうそうないと思うが、「後輩が上司にキレて、社内の雰囲気が気まずくなった」「上司に人格否定まがいの説教をされた」などはよく聞く話だ。   私も以前会社勤めをしていた時、「男の新入社員は飲み会に強制参加」という理不尽なルールを課せられ、会社の飲み会に何度も参加させられた。しかし、話題はそこにいない同僚の悪口や毒にも薬にもならない世間話ばかりで、生産性のある話は一切ナシ。しかも、お会計もワリカンでまさに「お金と時間をドブに捨てた」だけの不毛なものだった。   私のように飲み会をストレスに感じている人は少なくないはず。そこで今回は、飲み会をなくし働きやすい職場を手に入れるための考えをまとめたのでご確認いただきたい。 なぜ会社の飲み会は当たり前とされていたのか まず、なぜ会社の飲み会が当たり前とされていたのかを私なりに考えてみた。   一昔前は、飲み会を通して社員同士が仲を深めるのは当然だった。その背景には、終身雇用が就職の大前提にあったため、入社してから定年までの約40年間、同じ会社で過ごす必要がある。そのため、長く会社にいやすいよう、同僚とコミュニケーションをとらなくてはいけなかったからではないだろうか。   会社の飲み会はいずれなくなる しかし、今の時代に終身雇用はあってないような制度。   現在、日本は働き方改革の真最中で、特に「労働者の流動性を高めること」の必要性は声高に叫ばれており、1つの会社で40年も勤め続ける働き方は改められ、職場を転々としながらさまざまなスキルを身につけ、あらゆる業界で柔軟に活躍するモデルが推奨され始めている。   つまり、飲み会をして同僚と良好な関係を築く必要性はなくなり、近い将来、仕事の飲み会は淘汰されていくだろう。   そのため、「飲み会をなくし働きやすい職場を手に入れるための考えをまとめたのでご確認いただきたい」と威勢よく書いたが、時代が“仕事の飲み会”という不毛な集会を終わらせてくれるので、「私が何かをすることはない」という結論にたどり着いた。   現在「飲み会行きたくねー」と思っている人は、無理して空気を読む必要はない。また、「NO」と言えない人は、いずれなくなるものと思って、それまで耐え忍んでほしい。   飲み会がなくなればオールOK? だが、ここで一つ疑問が浮かんでくる。本当に飲み会がなくなれば、労働者のストレスは軽減されるのだろうか?   たまにアルバイトの求人誌なんかを見ると「アットホームな職場です(^◇^)」「スタッフ同士、いつも和気あいあいとしています(*^-^*)」などなど、職場のコミュニケーションの質の高さをアピールする文言がよく見られる。   しかし、私はアルバイトを探すのであれば、「立地」や「時給」を重点的に注目し、職場の雰囲気はあまり気にしない。むしろ、「会話が一切ない殺伐とした職場です」「友だちや恋人を探している人には向いてません」と書かれている職場のほうが魅力的に感じてしまう。   もちろん、私が陰湿な性格であるため、そのように考えてしまうわけだが、「職場で友だちを作る気はない」「ビジネスライクな職場で働きたい」と、職場で必要以上のコミュニケーションを望まない人も多くいると思われる。   つまり、“飲み会どうこう”を議論するのではなく、それ以前に、職場でのコミュニケーションのあり方に注目する必要があったのではないのだろうか?   コミュニケーションは必要なのか? 就活では「コミュニケーション能力」の高さが、評価のウエイトを大部占めている。しかし、キチンと“報連相”ができれば、必要なコミュニケーション能力は十分満たしていると私は思う。   イジってイジられて、キャラをあてがい演じて…そんなバラエティー番組で求められるようなコミュニケーション能力は、職場でなんの役にも立たないように思える。(営業職は多少必要かもしれないが)   そこで、いっそのこと「職場で業務に関係ないコミュニケーションは一切禁止する」というのはどうだろうか?一見、破天荒なアイデアかもしれないが、このアイデアを考えれば考えるほど、メリットがとても多いことに気づいた。 業務に関係ないコミュニケーションを禁止する3つのメリット   1.転職しやすくなる 「自分の力を他の業界で試してみたいけど、これまでお世話になった人を裏切りたくない…」「こんなブラック企業辞めたいけど、俺が辞めたら同僚にしわ寄せが…」と考えてしまい、転職に踏み切れない人は少なくない。   なぜこのように考えてしまうのかというと、同僚に対して“情”を抱いているため、「申し訳ない」「裏切れない」などの情が邪魔をし、転職に踏み切れないのだ。   だが、余計なコミュニケーションをしなければ、情は生まれにくく「さっさと辞めてしまおう」という気持ちになれ、自分の可能性を試すことや、ブラック企業をスッパリ辞めることも簡単にできる。   2.パワハラやセクハラを減らせる もし、部下が仕事でミスをした時に上司が「そういうミスをされたら困るな」と注意するのはセーフだ。しかし、「そんなんだからお前はダメなんだ」と続けた場合、これは業務以外の会話になるのでアウトになる。つまり、上司のパワハラ的な言動を封じ、パワハラの芽を摘むことができるのだ。   また、セクハラ的な言動なんてものは、まさに業務と一切関係ない会話なので即アウト。現在パワハラやセクハラに悩まされ、ひどい場合には自殺してしまったケースもある。余計なコミュニケーションがなくなれば、パワハラやセクハラに苦しむ人はかなり減らせるだろう。   3.正確な評価ができる 現在、多くの会社が名ばかりの成果主義を導入している。評価する側も人間なので、ついつい自分と仲の良い社員を高く評価してしまう気持ちも仕方ないことだ。   しかし、余計なコミュニケーションを廃止すれば、「業績は悪いけど太鼓持ちが上手いため評価されている人」や「業績は良いけど人付き合いが悪いため評価されていない人」をよりフラットな視点で、適切に評価することが可能になる。 まとめ 思ったことを端的に相手に伝えることや、相手の言ってることを理解したうえで反論することなどのビジネス的なコミュニケーションは、空気を読み合い思ったことをなかなか伝えられない日本人には難しいように思える。   そのため、業務に関係ないコミュニケーションを一切廃止し、空気を読む余地を与えなければ、ビジネス的なコミュニケーションをとることは可能になるはず。   業務に関係ないコミュニケーションを廃止することも、「働き方改革」の一つのアイデアとして、とても有効なのではないだろうか。 最後に一言 過去に私を無理やり飲み会に誘った上司に言いたいことがあるので、この場を借りて勝手に言わせていただきたい。   飲み会は行きたいもの同士で勝手に行ってくれ。飲み会に来てほしいなら、「この人と話したい」と思われるような魅力的な人間になれ。人の時間やお金を奪う権利は誰にもない。   飲み会が好きな人にはぜひ覚えておいてほしい。   ・   ・   ・   ・   ・   ニアセ編集部のあとがき 飲み会は苦手、そもそも業務に関係のないことを会社の人に話したくないと思っている人は多くいると思います。今回の記事とは逆の意見ですが、仕事をする上で飲み会や業務に関係のないことを話すことは非常に重要です。   気心知れた仲間をつくり人間関係を良好にした方が仕事がしやすくありませんか?人間関係が悪かったら報連相も成り立たないので、生産性は落ちますし、パフォーマンスも落ちます。業務に関係のあることだけしかコミュニケーションを取らないとなると無機質な組織、職場になり、アイデアは生まれず、イノベーションも起きず、時代に取り残されていずれ消えてしまうという結末を迎えるでしょう。そんな環境で仕事をする時間は人生の無駄になります。   無駄な時間を過ごしている暇なんてありません。生産性を落としている場合ではありません。仕事でパフォーマンスを出すために、仲間との信頼関係や意思疎通ができる関係性を構築していくことはビジネスをする上で必須です。   コミュニケーションのない仕事は存在しません。コミュニケーションを拒絶する前にコミュニケーションスキルを高めましょう。相談がしやすい関係を構築しましょう。仕事では、いろんな壁、課題にぶちあたります。課題を解決するには仲間の力が必要です。   ひとりでできることなんて限界があるのです。力を合わせましょう。業務に関係あるなしに関わらずコミュニケーションを積極的に取って高い壁を仲間と乗り越えましょう。乗り越えた先には今見えていない景色が見えるはずです。           業務に関係のないコミュニケーションは禁止するべきか、それとも業務内容問わずコミュニケーションを活発に行っていくべきか。   ダイバーシティ(多様性)を重んじる現代、あなたはどちらですか?     ...

あなたは時給いくらだろうか?   私も大して稼いでいるわけではないので偉そうなことは言えない。だが自分が経営者となって驚かされた。この世には「最安値で働きたい人材」がいくらでもいるということを。 承認欲求で労働する人間 「最安値で働きたい人がいる」ことを知るきっかけとなったのは、ライター・編集者のオンラインコミュニティ。数千人規模でライターが集う掲示板には、記事の告知とライター募集が飛び交う。そして、そのフィーは驚くほど安い。たとえばグルメライターは食費込み1記事1,500円で募集されていた。   平均的な情報記事の原稿は筆が速い人でも執筆に1~2時間かかる。さらに店の取材で短くとも1時間。そして経費が追加される。おそらくこの原稿は赤字になるだろう。つまり「金を払って仕事をする」のだ。正気ならば、こんな仕事を受けるはずはない。   しかし、現実には応募者が殺到している。なぜなら「媒体へ寄稿できるライター」「グルメに詳しい人」という承認を得られるからだ。   募集している媒体がぐるなびやRetty、あるいはグルメ雑誌だったら私もまだ納得しただろう。有名媒体で働いた実績があれば、単価が上がる。単価が上がれば、その仕事は赤字でも間接的に将来の時給を上げられるからだ。しかし、募集媒体には無名のブログもどきも大量にあった。   承認欲求で労働する人間は、金を払ってでも働きたがる。それが、私の結論である。 金を要求してこない人間は信頼できない だが、経営者になってわかった。承認のために安く働く人材に、ろくなやつはいない。彼らは無能というわけではない。身を粉にして働いてくれるため、むしろ優秀なことも多い。だが彼らは賃金以外の報酬として「承認」を常に求めてくる。   承認欲求で働く人材は、根本的に自分を承認できていない。だからマネージャーへ承認を要求する。それが満たされなければ、   「トイアンナさんは、私のことが嫌いなんですか?」 「どうせ私は、そろそろクビになるような人材ですよね?」   とメンヘラも驚く批判が飛んでくるのだ。   褒めるのはやぶさかではないが、毎日「今日はこれができたね」「この才能があるよね」「●●さんがいてくれて嬉しい」とコンスタントにチヤホヤできるマネージャーは少ない。マネージャーにだって忙しい日もあれば、余裕のない状況もある。   だが承認欲求をモチベーションにする人材は、そこで不満を抱く。「私はこの職場で愛されていない」という感情は、やがて上司への憎しみにもつながる。そして彼らは退職を検討し始める。そのため、承認欲求をベースに働く人材は自己都合で会社を転々とする傾向にある。 承認欲求オバケを手懐ける人間 だが、この承認欲求オバケを手懐ける人間もいる。ブラック企業だ。ブラック企業では頻繁に社員を貶める。貶めぬいた上で「そんなお前を雇ってやれるのは、弊社しかない」と洗脳するためだ。承認欲求に振り回されている人ほど、その誘惑に弱い。   だからこそ資金力のないスタートアップや、自転車操業の薄利企業ほど「承認」を売りにする。表向きの言葉に言い換えれば「やりがい」「成長」だ。「承認さえ与えれば、タダでも働く人がいる」と知った企業が、承認を「福利厚生」として与える代わりに最安値で買いたたくのをどう責められようか。承認欲求オバケへ代わりに給与を与えても「ここではやりがいが感じられない」と転職してしまうのだから、企業も欲するものを与えているだけである。   私も、承認を餌にファーストキャリアを選択してしまった同じ穴のムジナだ。短期間で「世界のどこでも働ける人材になれる」という言葉が好きだった。厳しい上司がプロジェクト明けに「Well Done(よくやった)」と一言メールしてくれたときは、印刷して手帳に挟んだ。いまだって、ブログやTwitter廃人をするような承認オバケである。   だから、あえて発信している。承認をモチベーションにすると買いたたかれるぞ、と。 承認とカネは、どちらも手に入る そもそも、承認欲求で動く人間は「認められたいなら、タダででも労働しなければ」と思い込みがちだ。しかし承認とカネは同時に手に入る。正当な対価をもらい、きちんと仕事を納品する。その積み重ねが信頼になり、承認となる。「私は有名媒体のライターだ」というのと同じくらい「私は一度も原稿を落としたことがない」という言葉は価値がある。   承認をモチベーションにするのは一向にかまわない。むしろ、カネがもらえるからと常に人格否定されたり、殴られたりする職場なんかにいてはいけない。「カネも」手に入れるべきなのだ。承認のために自分を値切ってはいけない。あなたは正当な承認とカネ、両方を手にすべきだからである。   この原稿は、ある学生から「タダでもいいので弟子入りさせてくれ」と言われたことがきっかけとなった。個人的なメッセージかもしれないが、たとえ学生で、未経験であっても身銭を切って働いてはいけない。なぜなら自分が値切ったつもりでつけた時給が、いずれはあなたの固定給になるからである。     ニアセ編集部からのコメント 承認されることだけに意味はありません。承認されることに満足することはやめてください。自分の価値を高めることが重要です。この人だから頼みたい、相談したいと思ってもらえるよう努力していきましょう。     ...

  大人の皆さん! 若い子の間で交わされる「かわいい」の実態、つかめていますか〜!?   最近は「インスタ映え」など、若い女の子たちにかわいいと思ってもらえるものを作ろうとありとあらゆる大人たちが奮闘していますよね。けれど、女の子たちが口にする「かわいい」ってあまりに多岐にわたると思いませんか?   私自身も先日、10代の女の子と食事に行っているときに「このお寿司かわいい!」と言われて混乱しました。寿司がかわいい。一体、今時のかわいいって何なんでしょうか……?   もはや本来の意味を飛び越えて使われている女の子の「かわいい」。今回は、その正体に迫りました。     ▼前回の記事▼ お金は使うが堅実に。JK・JD(女子高校生・女子大学生)「775人」が答えた消費の本音     ▼まずは「かわいい」好きの女子に調査を ▼女の子「かわいい」は、排他的な暗号 ▼「かわいい」は、「ダサくない」「イタくない」 ▼プリクラの「盛り」は、日本人の美意識に通じる? ▼これからの「かわいい」はより難しいナチュラル傾向に ▼結論     まずは「かわいい」好きの女子に調査 まずは毎日「かわいい」を連発している女の子に、実際にお話を聞いてみました。     めくばせ(左) 女性向けWebメディアのライター。女性たちがより幸せに生きられるよう、ことばを通してひとつでも多くの「きっかけ」を与えたい。ことばと香りと揺れるものが好き。夢は子供たちの居場所をつくること。 https://twitter.com/_____ilil_ 大澤萌音(右) (株)Candleが運営する女性向けメディアKAREN編集長。学生フリーランサーとして、ライターやスタイリスト、キャスティング等の仕事を経て、現メディアの編集長に就任。“きゅん♡”なしでは生きられない! https://twitter.com/monebuu   ——「かわいい」という言葉の実態がつかめなくて謎なんですが……。どういうときに「かわいい」を使っていますか?   大澤:え、難しいですね。いろいろな場面で使いますよね。本来の意味とは違うかもしれないけど、男性に対して「かわいい」と言うときもあるし、身につけたい!...

  さて、皆さん。   「俺は起業するんだ」と主張している友人をきっとあなたは見たことがあると思います。では、その人が実際に起業を実行して仕事をしていることを見たことはあるでしょうか。「無い」という方も結構いらっしゃると思います。   実際、起業というのは、「やろう!」と盛り上がるのはとても簡単ですが、それを実行に移すのは決して簡単ではありません。   例えばこんな話です。 あなたは29歳で、友人2名と長年温めていた起業のアイディアをついに実行に移す日がやってきました。友人A氏は営業能力を、友人B氏は実務能力を持っています。そして、あなたはA、B両方にまたがった能力をある程度持ち合わせており、加えて経理もわかるオールラウンダーです。   この三人が創業のベストメンバーだとあなたは確信していました。もちろん、あなたが代表取締役です。3人は十年来の大親友で、「いつかは俺たちで最高の会社を作ろう」と語り合ってきた仲なのです。不安はありません。   資金調達はあなたが行いました。出資者を駆け回り、あなたが調達した資金は自己資金も合わせて3000万円。そこにA氏とB氏が500万円ずつを出資し、応分の株式を受け取る予定です。   4000万という資金量は初めての創業にはなかなかの金額ですし、これは順風満帆の創業だ。そう思ったあなたは地方勤務だった会社を辞めて東京に帰り、A氏とB氏が仕事を辞めて事業にフルコミットする体制が整うまでに会社の登記や事務所の確保などの実務をこなしていました。 A氏、離脱 さて、会社登記も事務所の賃貸契約も終わり、あなたは始動前の事務に忙殺されながらも充実した日々を送っていました。社用車も買い、会社の設備もそれなりに整えました。パソコンももちろんハイスペックなものを、椅子もちょっといいものを。コーヒーメーカーも張り込みました。なにせ、我々は新進気鋭のベンチャー企業なのですから。   そこにA氏から電話が入ります。電話の内容はとてもシンプルでした。「申し訳ないが、会社を辞められない」。あなたの目の前は真っ暗になりました。A氏は家族に止められただの会社に止められただの聞いても意味の無いことをたくさん述べていましたが、とにかく離反(そもそも合流すらしていないのですが)の意思は固く、翻意はあり得そうもありません。   これはとても困ったことです。というのも、Bが作った商品をAが売る、というのがこの創業の根幹だったからです。販路を持っているのはAです。Bには技術があっても営業能力はありません。あなたにもAほどの営業能力はありません。そして、商品というのは売り込む能力と販路がなければ1つも売れないものなのです。   あなたは焦りました、慌ててB氏に電話をしました。B氏はすでに会社を退職し、最後の有給をハワイで消化しているところでした。B氏もまた困り果てました。しかし、ここで二人はひっこみがつかないことに気づきます。事務所の賃貸費用は既に敷金を差っぴいても50万以上かかっていますし、備品も50万以上揃えてしまいました。会社登記にも25万ほどかかりました。流石に出資者に、1日も仕事をしていないにも関わらず金は減ったとは報告できません。 B氏の笑顔 あなたとB氏は話し合い、「新しい営業担当を探そう」と心を決めました。出資者にはもちろんダマです。というのも、このタイミングでバレた場合、出資を引き上げられる可能性が低くないからです。   Aの図抜けた営業力と業界への見通しは、この創業の要でもありました。彼がいなくなったとあっては、出資者も黙ってはいないでしょう。「何とかAの代わりになる人材を見つけました、A以上に優秀な奴です」という形を作る以外に生き残りの目はありません。   そこで、あなたとB氏は必死に人脈を辿り、業界の見通しが利き同時に高い営業能力を持つ人間を探しました。まだ事業すら動いていない会社がこんな人材を探すのは明らかに無謀ですが、それでもやるしかありません。   こうしている間にも事務所の賃料は嵩んでいきますし、あなたとB氏の生活費だって必要です。出資者には「現在準備を進めております」と伝え、1ヶ月ほどの時間が流れました。そろそろ出資者も焦れ始めた、という時期になってB氏が一人の人間を連れてきました。   「はじめまして」。仕立ての良いスーツを着て、ピカピカに磨いた革靴を履いたC氏は穏やかにそう切り出しました。年齢はあなたやB氏より一回りほど上というところでしょうか。「私は~業に~年勤め、業界での人脈と営業力を有しており、御社のビジネスプランに強い関心を持っています」。   実際、C氏の理解度はかなり高いもので、Bの商品の優れた点をよく理解していましたし、キャリアもどうやら本物であるようです。「この人しかいない」とあなたもB氏も感じました。あなたもB氏も突然の僥倖に自然と笑みがこみあげます。   そこで、C氏はこう切り出しました。「私は自社株を要求しようとは思いません。あくまでも、この事業はあなたとB氏のものです。若い方の起業をお手伝いさせていただく立場でありたいのです。私はあくまでも最初の社員という形で入社させていただきたい。   その代わり給与は少し高めで~くらいの額を、そして入社前に契約金として300万円を給与とは別途に前払いで頂戴したい。私も会社の近くに引越しをしたいですしね、何しろこれからハードワークが始まるのですから」白い歯を見せてC氏は微笑みました。   あなたもB氏も一瞬悩みましたが、これは冷静に考えるとそれほど悪くはない条件です。自社株を持たないのであれば経営に口出しされることもありませんし、あくまで社員であればコントロールも効く。何より、起業のゴールにある大いなる実り―創業者利益―を分け与えずに済みます。   「では、出勤は一週間後から。一緒にがんばりましょう」ひとしきり書類等を書き終えると、そう言い残してC氏は去りました。あなたはC氏に提示された口座に300万円を振り込みました。その夜、あなたとB氏は久しぶりに一杯やりました。よかった、本当に良い人が見つかって良かった。   しかし、C氏が出勤してくることはありませんでした。 C氏は詐欺師 C氏は詐欺師でした。あなたの会社がどのような人材を探しているのかリサーチした上で、狙い済ましてやってきたのです。それはそう、あれだけ業界を「人材はいないか!」と叫びながら駆け回っていれば、詐欺師だって寄ってきます。   キャリアも信用もない人間が大きな声を出して呼び寄せられるのは大方の場合、詐欺師であるということを、あなたもB氏も知りませんでした。ここで、あなたは再び悩みました。被害届を出すか否かです。被害届を出すということは、この起業が終わるということだというのはほとんど間違いないことのように思えました。   あなたとB氏の給与が月20万円、既に2ヶ月、80万円が消費されました。賃貸契約も償却される敷金などを計算すると80万円近く使いました。備品だって50万は使いました。登記にも25万かかりました。社用車も80万ほどかかりました。駐車場代も月2万です。   そこに、詐欺師に持ち逃げされた300万です。あれ?既に600万強が消費されている?なんだこれは?詐欺師の分を差っぴいてもまるで金に羽根が生えたようではないか?その通りです。創業初期、金には羽根が生えるのです。まだ1円の売り上げも立っていないのに、です。   ここに至って、あなたは気づきましたこれは既にのっぴきならない場所である、と。しかし、ここでもうひとつ思いつきがありました。B氏による自社株買い資金500万円がまだ会社に入っていないのです。B氏が自社株を買うということは予定としては確定していましたが、ゴタゴタ続きで契約も金の振込みも未了でした。   あなたは気づきます、この500万で穴を埋めればいい、Cという詐欺師を連れてきたのはBなのだから、これは当然のことだ。もちろん、持ち株については後からなんらかの手段で帳尻を合わせる、しかし出資者に粉飾報告をするための見せ金として500万を拠出しろ、とあなたはB氏に迫りました。     B氏はうつむいてただ一言、「辞める」と言いました。   あなたとB氏が会うことは二度とありませんでした。そもそも雇用契約すらまともに書式にすらしていなかったのです。風の噂ですが、B氏は元の会社に頭を下げて戻り、現在は順調にサラリーマンをやっているそうです。A氏は順調に出世し、補佐の肩書きがつきました。来年には結婚の予定です。では、あなたはどうなったのでしょうか。考えたくありませんね。このお話はここで終わりますが、「あなた」の人生はまだ続きます。 「あなた」はどうするか、それだけが問題です。 これは僕の知人のエピソードに大きな脚色を加えたフィクションです。しかし、こういうことは実際に起こるのです。詐欺師にまでは遭わなかったとしても、大きな契約、例えばコンサルタントなどとの年契約をしていた場合、それも同様の結果となります。   起業というのは、往々にして「始まらない」のです。しかし、始まる寸前まで行った時には大量の金が既に消尽されている。最後に残るのは借金を抱えた無職が一人、ということになりかねません。繰り返しになりますが、1円の売り上げも立っていないのに、です。   飲食店起業でも同様のケースがよくあります。前にも書いたかもしれませんが、僕は、1日も営業せず居抜き売却された店舗を見ました、スケルトンから作りこんだ店舗でした。また、僕の住む家の近所でも内装をバッチリ作りこんだ挙句、1日も営業しなかった店舗が複数存在しました。   そういうことなのです。ある意味、売り上げが1円でも立てば起業は「成功」と呼んでもいいくらい、一定数の創業者は始まる前にくたばるのです。起業すると宣言して会社を辞めた奴が求人誌を読んでいたときは、「その程度で済んでよかったな」という目で見てあげましょう。   これは、あなたが「バンドをやろう」と仲間を集めて、実際にライブハウスで演奏出来たことがあるかについて考えてみればいいと思います。「起業」は、基本的にフルコミットが要求されるので、バンドよりも更にハードルが高い。   ギリギリになって「やっぱやめた」と言い出す人は稀ではありません。といいますか、まぁ起業した人ならわかりますよね。あてにしていた奴が逃げた、そんなことはあるあるです。しょっちゅうある。バリバリある。   僕は前回のコラムで「一人の限界」について語りましたが、今度は「複数人という怖さ」について語らせていただきました。ここで、ちょっとベタな話題を持ち出しますと「何人で起業するべきか」は諸説あり、まったく定説がありません。   ちなみに、僕自身は三人で創業しましたが、「人数」だけで考えても良し悪し両方あったと思います。次は何人で起業するか、僕も今のところイメージが固まっていません。   さて、この物語からあなたはどんな教訓を引き出したでしょうか。「誰が悪いか」という議論に意味がないことは言うまでもありません。「あなた」はどうするか、それだけが問題です。   あなたが複数人で起業しようと考えているなら、この物語をあなたは何らかの教訓に変える必要があります。あなたがなすべきことをなしましょう。僕はあなたの成功を心から祈っています。   やっていきましょう。     ...

皆さんどうですか、やっていっていますか。   僕はこれまでニューアキンドセンター様の連載では「とにかく人間は裏切る」というお話を執拗にして来ました。しかし、それでも僕は複数人数での起業を否定するわけではありません。分業というのは人間の非常に強い能力ですし、個人の力には当然限界がある。そういう立場に立ちます。本日はそういうお話になります。「一人で創業しよう」とお考えの皆様、是非ご一読いただければと思います。   ところで、「ジキルとハイド」みたいな経営者って見たことありませんか?ニコニコと感じよく喋っていると思ったら、ちょっとしたきっかけで激昂して怒鳴り散らすような人、結構いますよね。中小企業のワンマン経営者に特に多い気がします。好感を持たれる人物造詣とは到底言えませんが、あれは経営者における適応の形ではないかと僕は思っています。本日はそんなお話です。 個人の限界について 人間はしくじる生き物です。もちろん僕もしくじりますし、僕以外の皆さんも結構しくじります。部下であれ、あるいは下請けの業者であれ、誰かに命じた仕事が常に100%完遂されるなら、世の中これほど楽なことはありません。「部下がトチる」もありますし、「下請けがトチる」も非常によくあることです。   人間は完全な生き物ではないので、市場のあちらこちらでは常に大惨事が起きているといっても過言ではありません。仕事というのは絶え間なく発生するトラブルをすんでのところで乗り切っていくことの繰り返しです。   何もかもが予定通りには行きませんし、想定外の事態は常に発生します。「下請け先がトチったので、依頼人であるあなた自らが現場に急行して事態を収拾した」そんな経験は、社会人ならかなりの割合の皆さんに覚えがあるのではないでしょうか。   しかし、この「事態の収拾」において問題が起きます。というのも、「とにかく現場をなんとかする」という業務の一方、「失敗の責任を下請けに取らせる」という業務も同時に発生するからです。しかし、これを一人で同時にやろうとすると容易にそこには「人間の限界」が露呈します。 共感性と独善性 下請けと発注元の関係、あるいは上司と部下の関係においてもそうですが「叱責」と「フォロー」という二つの業務があります。失敗した下請けに、あるいは部下に共感的に振舞えば振舞うほど「フォロー」は上手くいくでしょう。   「気にするな、とにかく一緒にこの状況を何とかしよう」というやつです。誰だって炎上した現場を短期間で収集する仕事を請け負ったら、まずはフォローする対象に対して共感的に振舞う努力を試みると思います。対立を大きくして余計な時間を食うわけにもいきません。   しかし、仕事というのはそれだけでは問題があります。同じミスを繰り返されても困りますし、ミスによって損失が発生した場合などはその保障の金額なども詰めなければいけません。この場合は「共感的」に振舞うことは得策とは言えません。「おまえの責任だ、詰め腹を切れ」と要求する必要があるわけです。   「共感性」と「独善性」というのは相反する性質ですが、仕事をする上ではどちらもとても強く必要になります。「あなたにも事情は色々あるのだろうけれど、それは私の知ったことではない」と言い切るべき局面はあります。   部下に対してであれ、下請けに対してであれ、人間的共感を排して叩き切らなければいけないことはあるでしょう。その一方、余計な対立を起こしてはならないときは煮えたぎる腹を抱えて、共感的に振舞わなければならないこともあります。こうして、経営者は分裂的な性格を育てていくのだと思います。 共感と独善に人間が引き裂かれる 一般に「共感的」であるのは良いこととされています。失敗した部下に、トチった下請けに「気にするな」と常に言ってやれれば、それは本当に素晴らしいことでしょう。しかし、ちょっと考えれば無限にお金を持っているのでもない限りそんなことはできないということがわかってきます。無限にお金があるなら起業をする理由はありませんよね。   この問題に企業はどう対処しているかというとそれはとても明瞭で、「分業」することで対処しています。通常、業務上のミスが起きた時それを打開する現場部署と、事後処理や補償などの交渉を行う部署は別に設けられていますよね。   例えば、あなたの家の配管が故障してお部屋が水浸しになった時、現場の修繕にやってくる人と水浸しになった家具の賠償額を交渉する相手は別の人でしょう。これが同一の人物だった場合、とても大変なことになるからです。   現場担当者には多くの場合「共感性」が求められます。「この度は申し訳ありませんでした、本当にすいません。すぐに修理いたします。賠償につきましては弊社の別部署と交渉していただければと思います。私もなるべくお客様のご意向に沿う形になるよう、上に伝えておきます」こういうやつです。   サラリーマン経験のある方なら、大体は使った覚えのあるテクニックですよね。「それは私の仕事ではありません」と言えるだけで、仕事はとても楽になります。労働者は大体これでいいのです。それ以上の負荷を抱え込むべきではありませんし、経営者は抱えこまなくて済むようにマネジメントするべきです。そのために複数の人員がいるのですから。   しかし、その「それは私の仕事ではありません」で逃げられない立場もあります。「経営者」という立場です。会社に「経営者の仕事ではない業務」など存在しないからです。経営者が現場業務を兼任している場合、これは本当に地獄です。自分でやらかしたミスを自分で収集し、同時にその相手と賠償額の交渉をする。これは、本当に苦しく、また不利です。クライアントに寄り添いたい共感性と、少しでも交渉を有利に進めたい独善性の間で人間が二つに引き裂かれることになります。 「共感」を要求する人間と、ワンマン独裁者の合理性 人間は大抵の場合、「私に共感しろ」と要求してきます。実際、仕事というのはその多くが他者に「共感的に振舞うこと」です。接客にせよ営業にせよ、お客様への共感抜きにしては成り立ちません。しかし、「交渉」の場においては共感的に振舞ってばかりもいられません。人間というのは、大体の場合「少しでも得をしたい」という原理で行動していますので、共感し過ぎれば相手の要求を丸呑みさせられます。   「自ら現場に出る経営者」において、このジレンマは最大になります。現場のプレイヤーというのはお客様に寄り添いたいものですし、必然的に判断も共感性に寄って来るでしょう。   「社長が現場に出てくる会社の仕事は値切りやすい」。大変性格の悪いお話ですがこれありますよね。ちょっとした瑕疵をつついて値切るにも、目の前に社長がいれば非常にやりやすい。だから、大抵の会社の社長という存在はそう簡単には飛び出してこないのです。社長が「共感しないこと」に徹することが可能な形を築き上げていれば、それだけ経営判断は正確になるでしょう。   「ワンマン経営独裁者」は明確に合理的です。世間ではかなり嫌われる人物類型ですが、僕はあの状態まで会社を持っていけた経営者を心から尊敬します。あれは「共感性」に引きずられて経営判断を誤らないためのひとつの最終回答です。   「現場」はどうしても共感に引きずられ、会社の利益よりお客様へのサービスや、ことによっては自己利益を切り捨てた恭順を選択しがちです。その方が楽だからです。それにストップをかける立場である社長は、共感性の一切を切り捨てた「独裁者」であることが最も合理的なのです。 一人社長はどうすればいい? さて、経営を行い、同時に現場にも自ら出る社長。創業の際はどうしてもこの形になることが多いでしょう。僕もそうでした。そのときに我々はどうすればいいか。答えは簡単で、人員が複数いないなら、一人が複数人分の仕事をこなすしかありません。冒頭の「ジキルとハイド」はこのように生まれます。過剰な共感性と過剰な独善性、異常な人当たりのよさと強烈な酷薄さを併せ持った人間はこのようにして形作られるのです。   経営者をやっておりますと、程度の差こそあれ必然的に人間はこうなります。他者に取り入るための過剰な共感性と、いざという時に「おまえのことなど知ったことか」と切り捨てる独善性の両方を具備する以外に僕は方策を思いつけませんでした。   しかし、これは非常に精神的な負荷の大きい仕事です。この点を仕組みとしてシェア可能というだけで、複数人で創業するメリットは非常に大きいといえるでしょう。もっとも、人さえいれば上手にシェアできるとは限りませんけどね。このお話はそのまま「現場」と「経営陣」の終わりなき対立のお話でもあります。 あなたは「共感」の人ですか?「独善」の人ですか? さて、経営者に求められる資質として「共感」と「独善」という二つの言葉を使ってきましたが、これは人によって適性が大きく分かれます。「共感」が非常に苦手な人もいますし、「独善」をやることがどうしてもできない人もいます。それは人間の性質として仕方がないことです。しかし、経営者は人間ではないのでこの問題を解決しなければいけません。   自分がこのいずれに偏っているかを認識することは非常に重要です。「独善」に偏っている方は共感を求められるフェーズが苦手でしょうし、「共感」に偏っている方は他人に損をさせてでも自分が得をすることを目指すようなガチガチの交渉になるとまったくの無力です。   敏腕営業マンが自分の会社を持った途端に沈んでいくという悲劇を僕は見たことがありますが、あれは「営業」に求められる能力と「会社経営」に求められる能力の差から生まれた悲劇ではないかと思います。   部下を抱えた場合、現場はどうしても「共感」に偏ります。現場マンは自分の給料とお客様へのサービスを考えるのが手一杯で、通常会社の利益についてなど考えられません。それがむしろ普通なのです。現場が会社の利益を考えて行動してくれるなら、そもそも経営者が不要だという話になります。しかし、現場業務をこなしながら同時に会社の舵を取る経営者はそれではやっていけません。   人間やめますか?経営者やめますか?そういうお話です。   さて、「他人は裏切る」しかし「一人でできることには限界がある」この矛盾を以下に乗り越えていくか。是非、創業の前には考えてほしいと思います。僕はそれを全く考えなかったツケを今払っています。やっていきましょう。       人間やめますか?経営者やめますか?     ...

残業は悪。という考えがついに日本へ上陸してくれた。だがその背景には高橋まつりさんの死があり、さらにたくさんの判例があった。現在でも毎年のように訴訟が取りざたされる中、必ずこういうリアクションを目にする。   「残業するヤツなんて無能なだけでしょ」と。   最初に言っておくが、私はそういう意見を愚かだと思っている。そして今からこの記事でボコボコに殴るつもりだ。洗練されたロジックなんて、用意するつもりもない。それでもいいという方だけ読み進めてくれればよい。 定時退社をする人が、やっていること 書籍『  新 13歳のハローワーク』『  「会社四季報」業界地図 2018年版』を開けば、この世にはさまざまな労働があることを体感できるはずだ。そして個人しだいで早く帰れる職業も大量にある。   実際の話をしよう。ある知人が、銀行で働いている。一般的には激務と呼ばれる部門にいるが、彼は毎日きっかり17時半に帰宅する。理由は明確で「家でやりたいことがたくさんあるから」だ。彼はプライベートが確保されれば出世できなくてもいいと思っている。   彼は叱られない程度に業務をこなすため、ほとんどの作業をExcelのマクロで組みなおして部署全体の業務を効率化した。1年目のころは「先輩より早く帰るな」と指導を受けたが、彼はかたくなに定時帰宅を続けた。そして今では「あいつはそういうやつだから」と治外法権を与えられている。   彼は業務を効率化する能力の高さと、出世よりプライベートを優先する一貫した態度で帰宅する権利を得た。もしこの企業でワーク・ライフ・バランスを重視する施策が実施されたら、出世も手に入るかもしれない。   だが、彼のスタイルを維持するには最低でも下記の条件が必要だ。     <有能でさえあれば早く帰れる人材が持っている条件>   ・効率化できる業務が多い 彼は業務をマクロ化することで定時帰宅を実現した。しかし、そのためには「マクロ化できる業務」であることが必須である。効率化しやすい業務は、ルーティーンの多い作業だ。自分に割り当てられた仕事に「決まりごと」が多くなければ、効率化も難しい。   ・仕事を効率化して同僚が感謝する風土がある 仕事を効率化したら誰もが喜ぶ職場は、限られている。たとえば、子供ができたから多く働いて残業代を稼ぎたいという人にとって、効率化は「何てことしてくれたんだ」と受け止められるだろう。自分がトップならそういう人材を切ればよいが、下っ端ならどうしようもない。   ・プライベートにやりたいことがある 有能な人材ほど、仕事でほめられやすい。だからもっと仕事に精を出す……というサイクルに陥りがちだ。ホワイト企業へ転職した激務を経験した社員がプライベートに物足りなさを感じ、再び激務に戻っていくケースはまぁまぁある。残業を無くすためには、そうしたいと思わせるほどのプライベートが必要なのだ。 私が激務だったころ、私以外は有能だった 対して、私が激務だった頃を見てみる。当時の自分が激務だったのは無能なせいだった。だが、取引先の広告代理店はそうではなかった。彼らは労働集約型の仕事をしていたせいで、激務になっていたのだ。   まず、彼らは弊社から依頼を受け、広告戦略を立てていた。広告枠の購買や制作スケジュールも考えると、できれば1年前から準備をしたいところだ。しかし予算確保がギリギリまで決まらないこともある。「〇〇の広告の予算、弊社内でもらえないかもしれませんのでもう少しお待ちいただけますか?」という言葉で、簡単にスケジュールはぶっ壊れる。   そして、信じられないような納期になってようやく「やっぱり広告打ちたいです」という恐ろしいオーダーを受け取ってからが勝負だ。広告媒体に「もう広告枠に空きはないよ!」と怒鳴られ、制作会社には「こんな納期で広告を作れるわけないじゃないですか!」と泣かれ、そして弊社からは「こんな広告で売れるわけない。台本全部作り直して」とボツにされる。   それでも彼らは動くしかない。広告代理店は「人」が商材だ。もし彼らが広告を出せなかったら「じゃあもういいよ、直接媒体へウチがかけあうから」と切り捨てられてしまうだろう。ある程度のムチャを代わりに引き受けてもらえるから、彼らに価値がある。そう思われている限りは労働集約型のビジネスをやるしかないのだ。そこに無能も有能もない。むしろ無能なクライアントを抱え、有能な社員が振り回される。 激務にメスを入れられるのはトップの決断だけ 一応断っておくが「広告代理店だから」激務なのではない。たとえば「弊社は戦略立案を強みとする代理店だ。ムチャを要求するクライアントの仕事は受けない」という経営方針が徹底されていれば、こんなことにはならない。   だが経営者にとって、これは苦渋の決断だろう。売上は少なくとも短期的にガクンと落ちる。社員の給与も減る。高い給与が出せないなら「戦略立案がまともにできる優秀な社員」も自社を受けなくなるだろう。100億円、1,000億円をポンと出してくれたクライアントは、ムチャを引き受けてくれるところへカネを払う。この世から激務は無くならない。仕事の上流にいる人間が、ムチャな依頼をする限り。   業界全体の仕事のやり方が、あるいは取引先が咎を背負うべき事例はいくらでもある。だから残業をいち企業の責任、さらに言えば個人の責任にするのは愚かとしか言いようがない。どうしても残業代を減らしたいなら、利益と給与を犠牲にしてでもメスを入れるしかないのだ。   最後に、私が経営者として利益を減らしてでも残業を無くせた仕組みだけ紹介しておこう。「1日3時間以上の業務を残業とみなす」ことだ。これなら「思いっきり残業したい」人もせいぜい1日6時間しか働かない。定時はすでに「残業」扱いなのだから、誰も17:30にはオフィスへ残らない。   もしあなたが経営者で、何が何でも残業を減らすと決意したなら使ってみてほしい。実施すれば気づくはずだ。   残業は個人の能力とは全く関係ない、トップダウンのシステムで変わるものだと。     ...

  起業してやっていくと、社内から「裏切り者」が出現することはほとんど不可避だと思います。   人間の裏切り方は実に多種多様で、「横領する」「人員とノウハウぶっこぬいて他社に移籍する」「指揮系統を完全に無視して自分の王国を作る」「他社への利益誘導を行う」などなど、考えていったらキリのないほどのバリエーションがあります。   しかし、それは「横領」みたいな即座に犯罪であるものを除いては究極的「仕方のないこと」なんだと僕は思っています。人間というのは自己利益のために行動しますし、会社というのは人間が仲良くする場所ではなく、それぞれがそれぞれの自己利益を求めて集まる場所です。裏切った方が利益になるなら裏切る、それは資本主義のルールに照らして正解です。会社に忠誠を誓わねばならない理由などありません。   「裏切り者め!」と叫びながら無限に酒を飲んでいる経営者はわりといっぱいいますし、僕も人生のある時期をそのように過ごしましたが、じゃあそういう我々が他人を裏切ってこなかったか、といえばそんなこともないわけで。他者の利益と自己の利益が相反した時は、適切に「裏切る」ことが可能なのも経営者の大切な能力のひとつだと思います。起業家なんて、結構な比率が他人から奪い取った人材とノウハウで起業するものでしょう。   人間は悪い、でもそれは資本主義のルールの下で「仕方ない」ことだという割り切りは徹頭徹尾必要になります。しかし、それは「裏切り者を許す」という意味にはなりません。「俺に従えば利益になる」も大事ですが、「俺を裏切ると大変な不利益がおまえに発生するぞ」というのもとてもとても大切です。というのも、1回裏切られる人間は対策をしない限り100回でも1000回でも裏切られるからです。   これは不吉な予言ですが、あなたと未来を誓い合った人間の5人に1人はあなたを裏切ります。あなたに部下が5人いるなら、一人はあなたにとって悪魔です。あなたのチームには絶対にユダが混ざっています。あなたが信頼している人間のうち一定の割合は、数年後あなたと不倶戴天の敵になっています。それが資本主義です。   それを未然に防ぐにはどうするか。古来より方法はたった一つです。裏切りものは、首を河原に晒し、一族郎党を根絶やしにする。これしかありません。裏切りを「許す」人間は、何十回でも何百回でも裏切られるのです。最初に発生した「裏切り者」は「俺を裏切る人間はこのようなことになる」という意思を伝えるために徹底的に晒し者にして苛烈な処罰を課す必要があります。   しかし、コンプライアンスという概念もあり、現実的な問題もあり、それは容易なことではありません。考えていきましょう。 人間を処罰することの難しさ 大きな会社では、会社への背信行為を行った人間は多くの場合即座に処断されるでしょう。大手勤めの皆さんには、例えば会社の機密情報を外に流すであるとか、あるいは取引先と手を組んで請求書に小細工をするとかそういうことはあまり想像出来ないと思います。   会社には長く勤めることが前提でしょうし、会社と個人の資金やノウハウの量にも大きな差があります。「バレたらヤバい」という前提がありますよね。クビになるのも手痛い。おまけに、代わりになる人材はいくらでもいるでしょう。   しかし、創業して間もない小さな会社にはこれらの前提が一切存在しません。1年後に会社が存在するかすら疑わしいのが創業企業です。社長と部下の社会的な「強さ」には大きな差がない場合が多いでしょう。というか、労働者と経営者という立場を加味すると、往々にして部下の方が強いでしょう。   「他人の資金を引っ張って経営者になる」というのはこの世で一番弱い存在になるということに近いものがあります。社会的保護は限りなくゼロでありながら、負うべき責任は果てしなく重い。経営者は弱く、労働者は強いのです。   おまけに、「代わりの人材がいない」という状況も当たり前に起きるでしょう。「どうせあいつは俺を処罰出来ない」ということに気づいた人間は、天より高くつけあがります。「文句あるなら辞めるけど?」と社長に突きつけたことのある皆さん、僕もありますがあれは大変に心躍る愉快な話ですよね。   しかし、やられる側の身になると「最悪」としか言いようがありません。違法行為を行っていない人間を処罰するのは、とてもとても難しいことなのです。人間は自由で、悪い。社長が部下を叱れるとは限りません。 現実的な人間を処罰する方法 - 基幹人材 「事業の基幹となるスキルを持つ創業人材が資金を引っこ抜いていた」こういう極めてよくあるケースを想像してください。あなたが営業と経営を、裏切り者がプログラミング実務を担っているIT企業なんかがイメージしやすいですね。これ、クビにできますか?大抵出来ないですよね。   会社を潰す覚悟が必要になると思います。「横領」という犯罪行為を行っていても、「処罰出来ない」という事態は普通に起きます。「横領」なら会社を潰す腹を括れば刑事で処罰できますが、「ギリギリ違法ではない背信行為」の場合は完全にお手上げです。   分業は人間の最も美しい能力ですが、同時に最悪の事態の発生源でもあります。営業の天才とプログラミングの天才が組んだ事業は、どちらかが逃げ出せばそこで御仕舞いです。そして、この場合、創業資金を引っ張る主体、具体的に言うと会社の債務を連帯保証している側が圧倒的に弱いのです。「会社を潰せない」というのはとてつもなく大きいウィークポイントです。社長は弱いのです。守るべきものがあるというのは弱いということです。   創業人材は多くの場合、かなり会社が大きくなるまで兌換が効きません。当然のことですが創業の際は誰だって最強の人材を揃えたいと思うでしょう。それがネックなのです。基幹人材に関しては「裏切り」が発生してから処罰しようとしても、完全に手遅れです。「こいつは必ず裏切る」という前提の下に策を幾重にも組んでおく必要があります。   しかし、希望はあります。社長のたった一つの武器(存在するとは限らない)である「持ち株」というカードを上手に使うことで打開策が組めます。というのも、創業企業に基幹人材として入社するなら「株よこせ」という欲望を誰しももっています。また、入社時や創業時はハイになっていますので、未来の希望に満ち溢れているでしょう。このタイミングしか、皿に毒を盛る好機はありません。   具体的に言うと、「一定期間頑張ってくれたらタダで株あげるよ、というか債務をなかったことにしてあげるよ。でもまぁそんなことはないと思うけど、悪いことしたらちゃんと買い取ってもらうよ、面白い値段で。大丈夫大丈夫、そんなことはないだろうから、ホラ実質タダで株だよー」というやつです。僕の場合は、悪い弁護士がスッと契約書を作成してくれました。もちろん、同業他社への移籍を禁止する条項なども突っ込んでおきましょうね。(法的拘束力は実質的にはありませんが、入れておいて損はない)   創業当初の「俺たちは成功者になるぞォ!」と未来を誓い合っているタイミング、あそこです。毒を盛られる前に毒を盛るのです。欲を言うと、連帯保証人も取っておくのがベストです。本人だけであれば、「無い袖は振れない」で開き直られたらおしまいです。「どうにでもしろ」と床に大の字になった人間に対して出来ることは何もありません。   創業企業に入社するということは、その企業の事業に魅力を感じているということです。また、「非公開株」というのはえもいわれぬ魅力を持っています。かなり有能な人間でも、このタイミングでこの魅力に抗うのは難しいでしょう。クソ高いシャンパンなどで速度を上げてやりましょう。人間は合理的に判子など押しません。   余談ですが、僕が会社を畳む際の最後の社内闘争でこの契約書は僕の命を救いました。これがなかったら破産していたでしょう。ディティールは書けません。他にも具体的なやり方はあるでしょうが、裏切られる前に致死性の毒を盛っておく、創業のあの熱狂の中で、誰よりも早く「裏切る」ことが肝要です。裏切られる前にキッチリ裏切っておきましょう。大事な人材ほど、やるべきです。あなたはいくつ方法を思いつきますか? 現実的な人間を処罰する方法...

福島市のご当地グルメといえば円盤餃子。 見た目が空飛ぶ円盤に似ているからとか、円盤状に焼き上げているからとか名前の由来はいくつか説がある。 ▲これが円盤餃子だ!   円盤餃子は第2次大戦後、福島市の餃子専門店「満腹」から始まったとされる。 満州から引き揚げた満腹の創始者が、現地人から習ったやり方で餃子を焼き、屋台で出したら大人気に。開店当初は焼き鳥などのおつまみもあったのだが、お客さんの要望もあって餃子専門店になったそうだ。   満腹の繁盛もあって、福島市内に餃子専門店は次第に増えていった。今ではすっかりご当地グルメとして定着した。現在、市内で円盤餃子を売りにしてる専門店は10店舗ほど。   メニューの1つとして中華料理屋やラーメン屋が提供してるケースはさらに多い。それぞれのお店で円盤餃子が置かれているポジションが微妙に異なっているので、3店舗を巡って比較してみた。 円盤餃子「照井 福島駅東口店」 餃子専門店「照井」は創業60年を超える老舗店。本店は夜からの営業なので、福島駅東口店に足を運んだ。   円盤餃子は一皿22個1300円か半皿11個650円の2択。いずれにせよ数が多い。ごはんセット350円を頼めば、ごはんとみそ汁とおしんこともう1皿ついてくる。ラーメンもあるけれどメニュー表の隅っこに追いやられ、あくまで餃子がメインというスタンス。   満席の店内をざっと見渡すと、2~3人で円盤餃子一皿をシェアしてごはんセットをつけるか、1人で半皿にごはんセットという人が多いようだ。なかにはごはん無し円盤餃子だけ一皿ずつという夫婦もいて、なるほどその手もあるかと関心した。ひたすら餃子に集中したいなら、それが一番だ。 ▲円盤餃子一皿 1300円   油多めで焼かれているので揚げ餃子に近いパリパリ感がある。 22個も食べられるか不安だったが、1つ1つはそれほど大きくないし、餡も野菜多めでさっぱりしてるのでペロリとイケてしまう。主役を張れる餃子だ。 らーめん屋「石狩」 お次は「らーめん石狩」。辛味噌ラーメンやレモン入り塩ラーメンが人気のお店。こちらは基本的にはラーメン屋さんで副菜として円盤餃子も出してるというパターンである。 円盤餃子専門店は営業が夜からのお店がほとんど。それもあって、ここ石狩では昼から食べられるよって点を強くPRしている。10個単位で注文可能で、最大50個の超特大サイズも出来る。 ▲円盤餃子30個 1800円   こちらも1つ1つは小ぶり。餡もさっぱりしてるので10個ぐらいであればラーメンと合わせて食べてもなんてことはない。あっという間に2人で30個完食した。   この時、ほとんどのお客さんがラーメン系を食べていて円盤餃子を頼んでいたのは我々だけだった。あくまでラーメンがベースで円盤餃子はおかず。まさに我々がそうだったが「夜は他の場所で予定があるので、昼間に円盤餃子を食べときたい」という観光客の需要も狙える。 のみくい処「川海」 3店舗目はのみくい処「川海」。カウンターメインの居酒屋で気さくなご夫婦がひっきりなしに陽気な話しをしてくれる。店内は薄暗く、スナックじみた空気感だ。   こちらは福島市から車で50分ほど南下した郡山市内にあるお店。 たった1店舗から始まって、流行るにしたがい競合店が出来てきて、ご当地グルメとして評判になって、周辺の市町村にも広がっていく。円盤餃子もまたご当地グルメの定番の流れを辿っている。 飲みがメインなので、食事メニューはつまみに向いてる物が多い。大変味のあるイラストは店長さんが描いたもの。イメージ図と実物があまりにも違いすぎて抽象画のようだ。 ちなみにこのお店、チヂミが1枚100円と爆安価格。 円盤餃子はこちら。前2店舗と異なるサイズ感で1粒が大きい。皮も厚く、餡も主張が強い。ラーメンやごはんのお供ならこれだけの量は食べきれないかもしれないが、酒のつまみとして2~3人でつつくなら有り。おつまみとしての円盤餃子だ。   以上のように、お店によって円盤餃子のポジションはまるで違う。   ある店は主食として専門で取り組み、ある店は副菜として置き単価アップを狙う。市内を飛びだし、酒のつまみに据えるパターンもある。 人気ご当地グルメをメニュー構成のなかにどう取り込むか。そこからお店の狙いが見えてくる。     ...

起業、何人でやりますか?もちろん、「一人」という方もいらっしゃるでしょう。それは、実はとても賢明な判断です。自分は他人より信用できる、そういう原則は一般にあります。   しかし、自分に足りない能力があったり、あるいは業務領域が多分野に渡ったり、もっと単純に業務の物量が一人では捌き切れない。そうなれば早晩人を雇う必要は出てくるでしょう。そういう時にどんな人材を選ぶべきか、そういうことについて考えていきたいと思います。   さて、このコラムを読んでくださる方は、既に起業済みでなければ「起業」というものに興味を持っている方だと思います。ところで、「起業」によって利益を得たいと思った時に、本当に「起業家」になる必要があるのか、というところに僕は結構疑問を抱いています。   というのも、「絶対に必要」な会社のメンバーになれば「株を寄越せ」と要求する機会はありますし、逆に逃がしたくないと考えた経営者が「株を持たないか?」と提案してくることもあると思います。   新規創業はリスクも大きく、また代表取締役は債務の連帯保証を求められるなどの怖さがあります。しかし、創業メンバーとして入りこんで美味しいところはしっかりいただく。こういうことも、僕の経験からすれば「可能」だと思います。そういう目線で読んでいただいてもいいかもしれません。それでは、よろしくお願いいたします。 条件1. 横領しない・裏切らない・信頼出来る 「そんなの当たり前だろ」という声が聞こえてきそうですが、それは甘いです。むしろ、創業メンバーなんてものは横領して当たり前、裏切って当たり前です。というのも、創業期というのは一人一人の業務の属人性が大きく、監視機能など無に等しいため「やろうと思えば何でも出来る」環境なのです。   これは創業されればわかると思いますが、そういうことは起きます。かつては未来を誓い合った創業メンバーが裁判所で骨肉の争いをしている、なんてのはよくある話です。民事で済めばまだマシで、刑事まで行くこともザラです。   そういうわけで、創業期においては「信頼出来る人間」の価値がとてつもなく上がります。これは、心理的なものもありますが純粋なコストの問題もあります。人間を監視するにはとてもコストがかかるのです。そういうわけで裁量をポンと預けて安心して仕事を任せられる人間にはとてつもない価値が発生します。   それは「仕事が出来る」という意味ではなく、「お金を盗むことはないだろう」「会社に背信行為を働くことはないだろう」という程度のものでも、とてもとても大きな価値なのです。   例えば、想像してみてください。社長とあなた二人の会社で一定の裁量を任せられている時に、あなたがどれくらい「悪いこと」が可能かです。例えば、80万円で仕入れられる商品を他社の担当者と共謀して100万で仕入れたことにして、差額の20万を抜く。こんなことはとても簡単です。誰にでも出来ますし、一工夫すればまずバレないでしょう。   実際、僕がお仕事をしていても「会社に入れるべき金を私の個人口座に振り込んでください」というような要求をしてくる担当者は結構存在しました。飲食店なら話はもっと簡単です。あんなものは横領天国です。やろうと思えばナンボでもやれてしまうでしょう。   また、他社への利益供与などに関しては更にありますよね。僕も、自分の商品を自社の人間の手引きで他社に引き抜かれたことがあります。そういうことはとにかく起こる、人間は悪い。どうしようもない。…と言いたいところですが、僕にも「絶対にこいつはそういうことはしない」と信頼を置いていた部下がいました。   僕が彼を信頼した理由は、上手く言語化できません。結局「信頼」というのは究極的に非言語的なものなのだと思います。人間性、能力、そして「合理的に考えてやらないだろう」という観点、それらの総合です。こういう人材が一人でもいると、起業は桁違いに楽になります。なにせ、業務がスムーズにですから。いちいちチェックもいらなければ面倒な確認作業も要りません。スピード感第一の創業フェーズだと「信頼は出来ないが任せるしかない」ということも多いと思います。   「信頼を得る方法」について僕は上手く言語化できなかったので、僕を信じて数千万円のお金を預けた出資者に「何故僕を信じたんですか?」とたずねてみました。返ってきた答えは「こっそりバレないように金を盗むような賢い奴はこんなトチ狂った起業なんかしないだろ」でした。大笑いしましたが、正しいかはともかく(僕がお金を盗んでいない根拠は出資者から見て一つもありません)これは一つの真理だと思います。時に狂気は信頼につながるのでしょう。   そう考えてみると、僕が部下を信頼した理由もわかってきます。彼も、本来は僕の部下なんかに収まる程度の能力ではありませんでした。といいますか、明確に僕の10倍くらい優秀でした。しかし、「面白そう」という理由だけで給料も安く何の保障もない弊社に飛び込んで来た彼の狂気は、僕にとって信頼に値しました。それは「合理的ではない」からです。彼の狂気こそが信頼の源泉でした。   創業メンバーに関しては、「狂っている」が一つの信頼ポイントなのは間違いないと思います。それが正しいかはともかく、僕にも出資者にも同じような判断が発生していました。「こいつの狂気は合理性や銭金では計れない」そう思われると、それが正しいかはともかくとして大きな信頼が発生するのは間違いないと思います。 条件2. 話が通じる、指揮系統を理解している 「条件1.」では「狂気」が重要であると述べましたが、完全に狂っている、具体的に言うと「日本語が通じない」「契約等の概念を理解できない」「会社としての命令系統を理解出来ない」みたいな人間はダメです。というのも、こういうタイプは横領などの小ざかしい真似はしないかもしれませんが、制御不能だからです。   会社である以上、トップが命令したならば従わねばならない、さもなければ会社を去るしかない。それが実感として一切理解出来ない人というのは存在します。創業メンバーとして信頼に足る「狂気」を持ち、また同時に高い実務能力を持っている。この条件を満たしたとしても、話が通じず指揮系統を理解しない人間は、かならず暴走します。   「起業」であるからには、創業主体が存在します。それは、多くの場合、代表取締役でしょう。オーナー社長か、あるいは出資を受けての創業かなど諸々条件面での差はあるでしょうが、会社のトップは必ず存在するはずです。(理論上は株を半々で持ち合ったり、同等の権限を持つ代表取締役を複数置くなども可能ですが、絶対にお勧めしません)   仮に平時は民主主義的な前提を採用するとしても、いざというときはトップの決断が会社の意思になる。これが会社組織の前提です。しかし、この前提が一切理解出来ない人というのは存在するのです。このタイプは、契約で縛ろうがどれほど説得しようが何をしても無駄です。   そして、社内の一定の権限と職務領域を占有した人間が暴走した場合に、損失を出さずにそれを抑える手段は現実的にほとんどありません。「クビにしたいけどクビに出来ない」のような状態が発生すれば、会社の主導権すら奪われます。   人間は「俺が社長なのだからいざとなれば命令すればいいだろう」のような甘い予断を持ってしまいがちで、僕も失敗しました。ある種の人間は、何をしようと指示に従いません。そういうタイプを要職に就けた時点で失敗は目に見えているのです。   逆に言えば、平時は闊達に意見を述べるがトップが決断したとなれば粛々と従う。そのような人材はまさに宝です。 条件3. トップを立てられる 優秀な部下が大活躍して、あなたの会社は躍進を遂げました。そういう時に起こりがちな問題が、「社長よりも部下の方が社内で発言力を持ってしまう」という状態です。これは、社長にとっても部下にとってもあまりよい状態ではありません。もちろん、会社を乗っ取るであるとかそういう目的がある場合は別かもしれませんが、過去にも書かせていただきましたとおり、この状態は社内紛争へ間違いなく直結します。   会社というのは民主主義的組織ではないのですが、人間というのはやはり民主主義を好みます。「みんなが好きな人がトップに立って欲しい」というのは、人の性でしょう。しかし、それが会社経営上恐れるべき事態だということは誰しも理解できると思います。そういう時に、トップを上手に立てられる部下が存在すれば、それはもう絶対に手放してはいけない人材だと思います。あなたの給料をゼロにしてでも雇い続けるべきでしょう。   社長が出資者と従業員の間を取り持つ存在であるように、経営幹部はトップと従業員の間を取り持つ存在です。しかし、この仕事が果たせる人間はそう多くありません。多くの会社がこの点で失敗し、功績ある幹部の粛清あるいは幹部による反乱という事態を招くのです。しかし、人間の自然な心理として「俺がこの会社を支えているんだ、俺は社長よりも優秀だ」というような気持ちは発生してしまいますし、それは時に事実です。   その感情を上手くコントロールし、トップに対して評価と褒章を求めつつも部下に対してはトップを立てる姿勢を忘れない。これこそ、究極の創業人材の条件だと思います。これ、従業員100人とかの会社をイメージされるかもしれませんが、現実を言うと5人も人間がいれば問答無用でこの力学は発生します。社内で一番偉い人選挙が自然発生した時点で手遅れなのです。社内デモクラシーの発生は破滅の足音です。民主化、ダメゼッタイ。   起業家というのは、究極的にはお金を調達してお金を何らかの形で使うことで利益を出す人のことだと思います。ビジネスプランは極論すれば買ってもいいですし、自分自身に能力がないなら人材を雇えばいい。これは真理です。   しかし、会社を統治する上で会社のトッププレイヤーが社長ではない、というのは大問題を起こします。人間は「一番仕事が出来る奴がトップであるべき」と極めて自然に考えます。その時に現実のトップを上手に立てて従業員との間を取り持ってくれる幹部がいれば、これより心強いことはありません。最高の部下と言えるでしょう。 まとめ   条件1. 小賢しく金を抜くような合理性を感じさせない狂気 条件2. 話が通じて指揮系統を理解している 条件3. トップを立てられる   と3つ並びましたが、この上に更にもう一つ言うまでもない条件があります。業務遂行能力です。これは言うまでもありませんよね。しかし、これら全ての条件を満たす人材を見つける難度を想像してみてください。僕はたった一人だけ、これらを満たす人材を確保しましたが、もう一回確保出来るとはとても思えません。   そもそも、この条件はわりと矛盾しています。狂気を持ちながら会社の仕組みを理解し合理的に振舞うというのはかなり厳しい要求です。ならば、この三つの条件を部分的に満たすかどうかで判断してもいいと思います。どれを優先するかは好みもありますが、個人的には条件2>条件3>条件1の順番だと思います。でも、「起業するならある種の狂気が重要だろう」と考えるのであれば、条件1を優先してもいいと思います。勢いのある会社になるでしょう。   「こいつは金を盗むようなことは無いだろうが、指揮系統の重要性は理解出来ない」「こいつはトップを立てることは出来るが、金を抜く可能性はある」というような、生臭くうんざりするような判断を、是非ともやっていってください。人を雇うというのはそういうことだと僕は思います。実際、創業時に人間を完全に監視するのは不可能なので、個人の性向を睨みながらリスクの所在を決め打ちするしかないだろうと思います。時にはそれも出来ないかもしれませんが…。   逆に言えば、経営者に愛され重用される人材というのがどういうものか、このお話から逆算できると思います。「手放せない人材」になれば、下手をすると会社の実権すら握ることが出来ます。それを狙って創業メンバーに入り込むという選択肢、僕は「アリ」だと思います。成功率もそれなりにあるでしょう。   そして、この極めて弱い社長の立場をよく理解して行動すれば、「手放せない人材」になることはそれほど難しいことではないと僕は思います。もちろん、会社にとって必須の業務遂行能力があることが前提ですが。会社の金が消滅し、部下の暴走と反乱が発生し、従業員たちにトップとしての資質を大いに疑われた僕が言いますが、それは「出来る」と思います。   さて、この人間と人間のグチャグチャに入り混じる「起業」ですが、非常に面白いものではあります。一回やれば非常に良い経験にはなります。あなたが起業家として参加するのか、それとも創業メンバーとして参加するのか、あるいは出資者として参加するのかわかりませんが、どの立場から挑むにせよ僕はあなたの成功を心から祈っています。   そして、願わくば出資者も社長も部下も誰も彼もが信頼しあい、わかりあえる最高の会社を作り上げて欲しいと思います。僕にはそれは出来ませんでしたが、あなたにそれが出来ないと言い切ることは誰にも出来ません。やっていってください。僕ももう少ししたらまたやっていきたいと思っています。     ...

旅をすると、知らず知らずのあいだに1つ2つは食べてしまうもの。それがご当地ソフトクリーム。 それ自体が旅の目的になることはないけれど、旅に少し彩りを加えてくれる可愛い存在。   陽気なフォルムに楽しい甘さ、旅のテンションにぴったり寄り添う。小腹を充たすのにもちょうど良い。どんな土地のどんな名産品ともコラボをし、普段それほどアイスを食べない人でもなんだか手が伸びてしまう。 1990年代のソフトクリームブームを境に、日本全国で増え始めたようだ。   かくいう私もご当地ソフトクリームは好きなくち。道の駅やお土産物屋で「お、これは」というのを見つけたら、お腹が膨れていても無理して食べてしまう。ソフトクリームはたんなる食物というよりも、作る工程を見届けたり、みんなでシェアしたりするのが楽しい、一種のエンターテインメントだ。 これは伊豆のわさびソフトクリーム。 わさびが練りこまれたものはよくあるけれど、バニラソフトに擦りたてワサビがぴったりつけられているものは初めてだった。新鮮なワサビの辛さがバニラの甘さと案外マッチする。 これは高知の漁港で売ってたじゃこソフト。ソフトクリームにこれでもかと茹でたじゃこが乗っている。塩気の強いじゃこと甘いバニラが案外イケる。家でやったら家族に怒られるような組み合わせも旅のノリで許される。それでいて、ワサビもじゃこも意外に合うのが面白い。   われわれ観光会社・別視点は9月12日から10月12日までの1ヵ月間、「福島県猪苗代町1ヵ月住みます会社」と銘打って、福島県に逗留し続けていた。その間に6つのご当地ソフトクリームを食べたのでご紹介したい。 福島県のご当地ソフトクリーム6選   ◎地ビールソフトクリーム 猪苗代地ビール館で食べられるのが「地ビールソフトクリーム」だ。このビール館、地ビール羊羹なども製造していて、甘味とビールの融合になかなか積極的で攻めている。その名のとおり、猪苗代の地ビールが練りこまれたソフトクリーム。はたしてビールとアイスは合うのだろうか。 ビール特有のほろ苦さがある。ソフトクリームが口の中からなくなった後にビールの香りが鼻に抜ける。なるほど、悪くない。   ◎ひとめぼれジェラート ジェラート屋さん「モンジューいなわしろ店」。専門店だけに和栗や焼き芋、コーヒー黒豆など定番以外のメニューも豊富だ。 なかでも気になったのが、福島県産ひとめぼれを使ったジェラート。 まだ粒の状態でひとめぼれが残っている。プチプチとした食感が楽しい。   ◎和紙ソフトクリーム 道の駅「安達」の看板。和紙ソフトクリームって一体なんだ。この道の駅があるのは、手すき和紙の伝統が1000年以上あるエリア。和紙の原料であるクワ科の楮(こうぞ)という葉っぱを練りこんでいるそうだ。てっきり、ちぎった和紙が入ってるのかと思った。 お茶のような香りと味わいがほんのりしている優しいソフトクリーム。この優しさ、暖かみ、和紙と通じるものがある。   ◎桐炭ソフトクリーム 道の駅「尾瀬街道みしま宿」で売っているのが、漆黒のフォルムが心の中学生を呼び起こす桐炭ソフトクリームだ。三島町は昔から桐が名産品で、桐タンスや桐ゲタが作られていたとか。桐製品を作る過程で生じる木っ端を活用したのが桐炭で、このソフトクリームにも練りこまれている。 色彩こそ強烈だけど、味はいたってノーマルなバニラ味。とても甘い。 見た目はいかついけど接してみたら優しい山の男って感じ。   ◎甘味噌ソフトクリーム 道の駅「つちゆ」にあるのは甘味噌トッピングのソフトクリーム。見た目的にはミスマッチに思えるのだが、これもこれで悪くない。味噌のしょっぱさとソフトクリームの甘さが妙にマッチしてるのだ。ソフトクリーム、案外受け幅が広い。なんでも受け入れるその器の広さは、ここ最近のキティーちゃんを連想させる。あの猫も仕事を選ばないからね。   ◎喜多方ラーメンソフトクリーム トリをつとめるのは、喜多方ラーメン神社のソフトクリームだ。言うまでもなくラーメンでおなじみの喜多方市。ラーメン神社は観光客向けのラーメン紹介スポットで、鳥居もお箸で組まれている。 はい、喜多方ラーメンソフトクリーム。麺状に細長く盛られたソフトクリームは醤油味。なるとが乗っていて、ブラックペッパーを振りかけて出来上がり。見た目が面白いし、おもわずSNSにアップしたくなる1本だ。   ひとくちにご当地ソフトクリームと言っても、味を重視した物から名産品をむりやり組み合わせた物、SNS映えしそうな話題性狙いの物までさまざまだと分かり頂けると思う。 今後、どこかを旅するさい、各地のソフトクリームに注目してみて欲しい。     ...