元プロボクサーで、現在はボクシングジムの会長を務める石田順裕さん。現役時代は主にスーパーウェルター級で活躍し、暫定世界王者に。2011年からは、当時としては異例ながら本場アメリカに主戦場を移しました。
そのアメリカでの初戦、当時KOを量産していた強豪ジェームス・カークランド相手に大番狂わせの初回KO勝ちを収めた石田さん。世界の強者たちと試合が組まれ、数々の激闘を繰り広げます。帰国後には体重を大幅に増やしてヘビー級にも挑戦。ボクシングファンの記憶に強い印象を残しました。
ジムの経営者となった今、日本のボクシング界について思うこと、これからの野望、そして注目のビッグマッチ「村田諒太VSゲンナジー・ゴロフキン」について、お話を伺いました。
【ご本人のプロフィール】
石田順裕
「寝屋川石田ボクシングクラブ」会長。1975年生まれ・熊本県出身。2000年、プロデビュー。2001年に東洋太平洋スーパーウェルター級王座、2006年に同級日本王座、2009年に同級暫定世界王座を獲得。2011年、27戦全勝だったジェームス・カークランドとラスベガスで対戦し、初回KO勝ち。一躍脚光を浴び、ポール・ウィリアムスやディミトリー・ピログ、ゲンナジー・ゴロフキンら実力派のボクサーと試合を重ねた。2013年に帰国し、ヘビー級に転向。2015年に現役を退き、「寝屋川石田ボクシングクラブ」を開設した。
異色なメニューが盛りだくさん! ジムは“もうひとりの自分”を見つける場所
―現役引退後の2015年にジムを設立してから7年目に入りました。経営状況はいかがですか?
石田:このコロナ禍でも、退会される方はそれほど多くなくて。むしろ会員数は増えているぐらいです。選手も、今はプロボクサーが20人います。関西でも多いほうやと思いますよ。
2年前に移転して、カリフォルニアをイメージしたおしゃれな内装にしました。女性会員さんたちにも体を楽しく動かしてもらえるような雰囲気にしたいなあと。とはいえ同じ場所でプロ選手たちが叫びながら練習しているので、思い通りの空間にはなっていないですね(笑)。
―石田さんは、早い段階から海外に活躍の場を求めたり、体重を20kg増やしてヘビー級に挑戦したりと、異色にも見えるキャリアを築いた選手でした。そうした現役時代のスピリットはジムの経営にも生きていますか?
そうですね。ジムを経営するうえでもいろいろなことにチャレンジするようにしています。女性向けのキックボクシングや、ダンス・エクササイズ「ズンバ」のレッスン、あとはインターバル・トレーニングの一種である「タバタ式トレーニング」だとか、ボクシングジムとしては異色なメニューを取り入れています。ジムがボクシングをするためだけの場ではなく、会員さん同士が交流を深められるようなコミュニティの場になればいいな、と。
昼間は仕事に一生懸命でも、夜になってジムに来てからは“スーパーマン”になってボクシングをする。そうやって、もうひとりの自分を見つけてほしいんです。70歳になってからボクシングを始めた方もいます。皆さん、本当にいきいきしていますよ。
―経営は、選手時代とはまったくの別世界だと思います。ご苦労も多かったのでは?
石田:そういう質問をよくいただくんですけど、僕は苦労を苦労と思わないんですよ。何でも楽しむタイプなので、「大変やったな」という感覚がなくて……あ、ありました! 選手の頃みたいに、試合をしたら自然とお金が入ってくると思っていました。でも実際は、例えば東京から対戦相手を呼べば(選手とトレーナーなど)3人分の交通費や宿泊代を工面しないといけないし、会場費もかかる。運営側に回ると、こんなに経費がかかるんやとびっくりしましたね。チケット営業にも予想以上に苦労しています。
―試合のチケットを売るのはやはり大変ですか?
石田:難しいですね。世の中の99%の人はボクシングをしたことがない人だと思うので。そういう人たちに認知してもらわないといけない。知り合いに声をかけたりSNSで選手の様子を伝えたりもしていますけど、まだまだ。ブランディングといいますか、ボクサーの価値をもっともっと上げていくためにはどうしたらいいのか、それをずっと考えています。
YouTubeチャンネル「石田順裕/のぶちゃんねる」をやっているのも、うちの選手たちを知ってほしいから。大手のジムであればテレビ局とのコネクションもあると思いますけど、僕らみたいな地方の小さいジムは選手をメディアに取り上げてもらうのは難しい。今はまだ底辺YouTuberなので(笑)、チャンネル登録者数をもっと増やさないとダメですね。
―横浜光ボクシングジムの石井一太郎会長と、弟の六大さんが運営している「A-SIGN」というプロモーション活動なども参考になりそうです。その一環として開設されているYouTubeチャンネルは4万6000人以上の登録者を集めています。
石田:編集も凝っていますし、4回戦の負け越している選手を取り上げたり、着眼点も面白いですよね。うちの選手を取り上げてもらったこともあります。選手たち自身、自分のことを知ってもらいたいという思いがありますから、そういったものはどんどん活用していきたいですね。
知名度向上の仰天プラン。観客が勝敗予想を的中させたら車が当たる?
―いかに人気、注目度を高めていくか。日本のボクシング界が長らく抱えている課題でもありますね。
石田:一般の人に「ボクシングの世界チャンピオンの名前を挙げてみて」と言っても、ほとんど出てこないですよ。井上尚弥や村田諒太、亀田兄弟、あとは辰吉(丈一郎)さんだったり。ボクシング選手がもっとメジャーにならないとダメやなと思います。
僕自身、アメリカで(当時27戦全勝だった)ジェームス・カークランドに勝ったり、たくさん強い選手と試合をしたりして自信満々で帰国してきましたけど、日本ではニュースになっていなかったし、ボクシングをやっている高校生にも知られていませんでした。当時は、K-1で活躍していた中迫剛選手や富平辰文選手のほうが名前が知られていて、僕としては悔しい思いがありました。その後、ヘビー級に挑戦したらメディアに取り上げられて、それがきっかけで昔のことを知ってもらえた。アメリカで活動していた頃から、もう何年も経っていましたね。
―打開策として、どんなプランを思い描いていますか?
石田:ジムの会長として、いろんな興行をしていきたいと考えています。例えばフットサル場のような屋外で試合をするとか、ショッピングモールのイベントスペースで試合をするとか。お客さんに選手の勝敗、何ラウンドでKOするかといったことを予想してもらって、当たった人にはスポンサーからの賞品をあげたり。もしカーディーラーさんがスポンサーになってくれて、予想を当てたら抽選で車が1台もらえるとなれば、みんな熱狂すると思うんですよ。来年にはプロモーターのライセンスを取る予定なので、そういったアイデアを実現させていきたいですね。
ズバリ質問! 村田諒太VSゴロフキンの勝負の行方は?
―年末に、WBA世界ミドル級王者の村田諒太選手とIBF同級王者ゲンナジー・ゴロフキン選手との統一戦が行われることが決まりました。ボクシングファンであるかどうかにかかわらず、世間の注目が集まるビッグマッチです。ゴロフキン選手と対戦したこともある石田さんとしては、試合の展開をどう読んでいますか。
石田:村田くんはプロに転向した当初、プロに合わせた戦い方に変えていたように見えましたけど、試合を重ねていくうちにアマチュアの頃のストロングスタイルを取り戻して、いい形になってきていると思います。ゴロフキンのほうは、年齢による衰えを指摘する声がよく聞かれますが、僕はそれほど衰えたとは思わないですね。カネロ(サウル・アルバレス)と再戦して負けた試合もほとんど差はなかったし、(ゴロフキンの母国)カザフスタンでやっていたらどうなっていたかわからない試合でした。
僕はカネロとスパーリングをしたこともありますし、ゴロフキンも含めて数多くの世界チャンピオンと戦いました。そうすると、一口に世界チャンピオンと言っても、その中に実力差があることが分かってくるんですよ。僕の経験から言わせてもらうと、カネロとゴロフキンの実力は特に突き抜けていましたね。
―なるほど。その2人の勝負の行方は……?
石田:村田くんもゴロフキンも倒れるところはイメージできないので、判定まで行くのでは。僕が指導者なら、村田くんの持ち味であるプレスで距離をつぶしていく戦法を採ります。自分がゴロフキンと対戦したときも、そういった形で泥仕合に持ち込もうと思ったんですが、パンチもフィジカルもあって難しかった。村田くんにとって厳しい戦いになるのは間違いないけど、勝機はあると思います。
―この一戦を機に、石田さんがゴロフキン選手と対戦した過去がまた掘り起こされるかもしれません。海外ではマイク・タイソンやフロイド・メイウェザーといったレジェンドがエキシビションマッチを戦って話題になりました。もしそういうオファーがあったら、石田さんはどうしますか?
石田:めっちゃやりたいです(笑)。やるなら、日本王座5階級制覇の湯場(忠志)くんとがいい。現役の頃に「対戦したい」と言われていたけど、僕はもう世界のほうに目を向けていたというのもあって実現しなかった。
うちのジムに石脇麻生という選手がいるんです。スーパーライト級で、湯場くんの息子、湯場海樹選手と同じ階級。2人が試合をすることになれば、そのタイミングで僕と湯場くんの試合も一緒にやりたいですね。今はもう体をほとんど動かしてないけど、やるとなれば火はつきますよ。
「自分で決めたことは全部叶っちゃう」石田さんの次なる目標とは
―ジムの会長としての、これからの展望を教えてください。
石田:やっぱり、日本の誰もが知っているようなジムにしたいですね。大阪で言うと、グリーンツダボクシングジム(赤井英和や井岡弘樹らを輩出)、大阪帝拳ボクシングジム(渡辺二郎や辰吉丈一郎らを輩出)といった名前が挙がりますけど、そこに並んで加わりたい。そのために今、「寝屋川石田ボクシングクラブ」というジムの名前を「石田ボクシングジム」に変えようと考えています。寝屋川がどうこうということじゃなくて、地域名がジムの名前に入っていることで、日本一、世界一というイメージが湧きにくくなるかな、と。
そして、ボクシングをメジャーなスポーツにすること、ボクサーの価値を上げていく取り組みをしたい。僕としては、石田ジムから世界チャンピオンを輩出することは絶対に必要だと思ってます。
―その目標を達成するまで、どのくらいのスパンで考えていますか?
石田:今のペースで行ったら10年経っても無理やなと思っていて、いろいろと考えているところですね。うちの選手たちはアマチュア経験がない子ばかりですし、よそのジムと同じことをしているようでは追いつけない。アメリカにトレーニングに行かせたり、海外で試合をしたり、世界に出て行くことを積極的にやっていかなくちゃいけない。今すでに日本ランカーの選手もいますし、マッチメイクも含めてうまく育てていけば可能性はあると思っています。
―苦労を苦労と思わない石田さんなら、やってくれそうな気もします。
石田:なんかね、自分で決めたことは叶っちゃうんです。たぶん、何かを持ってるんやと思います。
デビュー前、「(THE BLUE HEARTSの)『TRAIN-TRAIN』をかけながらラスベガスのリングに入場する」という話をしていたら、本当に実現しました。ジムをつくったときも「3年以内に世界の舞台に上がる」と言っていたら、元4団体世界チャンピオンの高山勝成が移籍してきてくれて、予定より1年遅れになりましたけどアメリカでの世界戦が実現したんです。
次は絶対に世界チャンピオンを石田ジムから輩出します。自分が思ったことは全部叶えてきたので、自信はありますよ。
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