EC業界の若きキーマン。ケースオクロックの三浦 孝太氏インタビュー
「忙しい」と言われるEC担当者でありながら、業務効率化をすることでプライベートを充実させている。そんな「イケてる」EC担当者にお話しを聞く【ネクストエンジンライフ】。
第一回目となる今回は26歳にしてスマホケース会社の取締役兼プロデューサーとして活躍する三浦 孝太さんのこれまでの人生&プライベートに迫った。
三浦さんは1992年生まれの26歳。ビジネスの第一線で活躍する三浦さんだが、実力は大学までは本気でプロサッカー選手を目指していた。三浦さんのこれまでの人生と、今のプライベートに密着した。
【会社プロフィール】
株式会社ケースオクロック(http://caseoclock.co.jp/)
商材:スマホケース、ハンドスピナー等
【ご本人のプロフィール】
名前:三浦 孝太
年齢:26歳
肩書:株式会社ケースオクロック取締役兼WAYLLYプロデューサー
趣味:サッカー、音楽鑑賞
子供のころからサッカー漬け。プロを目指した若かりし日々
サッカーとの出会いは、覚えていません(笑)。というのも、父が早稲田大学のサッカー部で、母は父の部活の先輩の妹です。そんな「サッカーが大好きな両親」の元に生まれたので、幼稚園に入って物心つく頃にはもうサッカーをやっていました。赤ん坊の頃から枕元にはサッカーボールが置いてあったみたいです。
「ドーハの悲劇」はまだ僕は1歳か2歳だったのですが、日本が負けた瞬間は抱っこさせられて、「この悔しさを忘れるな」とテレビを見させられていたらしいです。当然記憶はありません(笑)。
小学校は地元のクラブチームに入ってましたね。地区の選抜に選ばれたりしていました。小学校4年生の時に日韓ワールドカップがありました。イングランド代表のマイケル・オーウェン選手が好きでしたね。
地元でサッカーチームといえばFC東京だったのですが、僕は浦和レッズファンになりました。2003年のナビスコカップ決勝戦で、田中達也選手とエメルソン選手がめちゃくちゃ凄くて、虜になってしまったんです。二人とも体は小さいのに圧倒的でした。自分も体が小さいので、強く憧れました。
ポジションはこれまでフォワード、トップ下、サイドハーフなどをやっていました。中学校ではFC多摩というクラブチームに入って、高円宮杯という大きな大会に出たりしました。小学校時代はエースだったのですが、中学に入ると中々試合に出られない時期が続きました。ようやくスタメンで使われだしたのは中学3年生になってから。
この時期、サッカー人生を通しても、特に印象に残っている試合があります。相手は後に流経大柏の先輩になる大前元紀選手(現大宮アルディージャ)がいる、町田JFCという名門チームでした。その強豪との試合にスタメンで出場し、自分が点を決めてチームが勝利することができたんです。凄く自信になりましたね。自分にとって大きな成功体験になっています。腐らず努力すると良いことがあるなって。
FC多摩の先輩達は高校もサッカー推薦で行く人が多くて、自分もそうすることにしました。入った学校は流通経済大学付属柏高等学校です。全国屈指の強豪校なので、中学の頃以上にチーム内競争は激しかったですね。1学年だけでDチームくらいまでありました。
高校3年の時に全国大会に出れたんですが、そのメンバーには入れなくて、スタンドで応援しました。もちろん悔しかったけど、高校3年間一緒に頑張ってた仲間だったので自然と支える気持ちになれましたね。
チームは準決勝で負けてしまいました。最後の試合終了後、応援の下級生は先に学校に戻り、引退する3年生だけが国立競技場の外で、戦ってくれたメンバーが出てくるのを待ちました。彼らが外に出てきて、再会した瞬間に言葉を交わすことなく涙がでてきて。「負けた時は泣くな」が監督の指導だったのですが、ダメでしたね。
監督の方針で、ロッカールーム内にカメラが入る有名なTV番組の取材がNGになっていたんですが、この場面で急にサーっとテレビカメラが寄ってきて撮影していました。番組名からして、ロッカールームじゃなくて外で撮られるのは珍しいんじゃないですかね(笑)。
「プロサッカー選手」の夢を諦めた大学生時代。そしてビジネスの世界へ
大学でもサッカーを続けるつもりで、毎年10人くらいJリーガーを輩出し続けていた流通経済大学サッカー部に入りました。当時の上級生には山村和也選手(現セレッソ大阪)、比嘉祐介選手(現東京ヴェルディ1969)、増田卓也選手(現V・ファーレン長崎)がいて、「プロ集団」という感じでしたね。
そのタイミングで初めて、冷静に現実を考えました。物心ついた時からサッカーをやっていて、高校も寮、大学も寮で、サッカーしかしてこなかった。普通の大学生はバイトもして、ある程度社会的なスキルを身につけながら、将来に向けて勉強している。「置いて行かれている」と感じました。
サッカー選手になる夢を追いかけてきたんですが、サッカー選手になっても挫折して辞めていく人を沢山見てしまったということもあります。
そんな中で、「サッカー選手以外の道」への興味が芽生えて、それが抑えられなくなってしまったんです。「こうすれば試合に出れる」というのが分かりにくい世界で、それでもやり続けるという精神的な強さは既に身に付けたという自信がありました。サッカーで培ったそんな力を、他のジャンルで活かしてみたいと気持ちが変化したんです。
結果的に、サッカーに身が入らなくなってしまいました。試合に出られないと、今まではものすごく悔しかったんですが、悔しくなくなってしまったんです。「これはもうダメだな」と思いました。
まだ一年生でしたが、大学を辞め、社会人として生活することになりました。特にツテなどは無かったのですが、元々ファッションが好きだったので、古着屋で働き始めました。そこでは中古のブランド品の買い取り、値付け、販売をしました。しばらく販売員として働いたのですが、やはり中々稼げないなと感じました。そこで思ったことが「ブランドを作る側になりたい」ということです。
そこで、「まずはデザインができるようになりたい」と思い、古着屋や某ファストファッションの店で働きながらIllustratorやPhotoshopの勉強をしました。ブランドを立ち上げて失敗しても、WEBデザイン関連のスキルがあれば、何とか生活していけるだろうと。
スマホケースビジネスとの出会い。そして「ケースオクロック」誕生
そんな中、フットサルブランドを経営していた先輩から「デザイナーをやってくれないか」と声をかけてもらい、働き始めました。そこでは服のデザインから撮影ディレクション、生産管理など、幅広い経験をさせてもらいましたね。そこからまたご縁があって、スマホケース事業の新規立ち上げに企画兼デザイナーとしてジョインすることになりました。
スマホケースに印刷ができる特殊な機械を購入して、受注生産で1個からオリジナルのスマホケースを印刷して販売する、というビジネスモデルでした。OEMとか、色々なデザイナーさんと商品を作ったのですが、手帳ケース型はライバルも多くて、ビジネスとしては中々大きくなるイメージが持てない状況が続き、次第に業績も悪くなっていきました。そこで、スマホケース事業を立て直そうという事で、出資者の一人であった現代表の山本を中心に立ち上げたのがケースオクロックという会社です。今はそこで取締役兼プロデューサーとして働いています。
取締役としては、代表の山本と一緒に「ケースオクロック」を今後どうしていくかを考えるのが仕事ですね。また、「WAYLLY」についてはプロモーション、マーケティングから生産まで、プロデューサーとして幅広く見ています。
「ケースオクロック」の名前の秘密
ケースオクロックは今2期目の若い会社です。メインの商材は「WAYLLY」というスマホケースですが、それ以外にもハンドスピナー等色々な商材を扱っています。社名は「beer o’clock(ビールを飲み始めるのにちょうどいい時間)」から来ています。「スマホケースを買い替える時間だよ」ということで。
今は「ケース」の意味を「スマホケース」だけではなく「状況(case)」という風に捉えて、様々なケース、状況、トレンドに応じたプロダクトをお客様に届ける、という意味に変更しています。今後も時代の流れの一歩先を行くような商品を提供し続けたいですね。
プライベートの過ごし方。
今日みたいに、仲間とサッカーをすることも多いですよ。今日集まっているのは流経大柏高校時代の仲間です。プロサッカー選手の代理人をしていたり、モデルをしていたり、それぞれ自分の道に進んで活躍しています。今もとても仲が良いですね。
サッカーは観るのも大好きです。浦和レッズのファンなので、試合は月1回ほどスタジアムで観戦します。元々はエメルソンが好きで浦和レッズファンになりましたが、今は浦和レッズというチームが大好きです。良いプレーをしない選手には厳しくなってしまうほどですね。
選手で言うと武藤雄樹選手や宇賀神友弥選手は特に応援しています。在学期間は重なっていないですが、流経大の直属の先輩なので。現役で頑張っているJリーガーの友人もいるので、彼らの試合にも足を運びます。特に仲が良いのはロアッソ熊本の鈴木翔登選手ですね。向こうがオフの時は食事に行ったり、プライベートの話もしたりします。
サッカー以外の趣味。そして日々意識していること
基本「動いていないとイヤ」な人間なので、サッカー以外にも色々な趣味があります。音楽のライブにもよく行きますよ。最近だとTWICE、BTSやロックバンドのRIZEも行きましたね。もちろん楽しいから行くのですが、プライベートの体験が仕事における閃きに繋がると考えているので、ある意味仕事の一部と言えるかもしれません。
例えば音楽のライブなら、「このアーティストにはこういうファンがいて、こんな感じで盛り上がるんだな」とか。「浦和レッズは日本で一番サポーターが多いと言われているが、それはなぜなんだろう」と実際に試合会場で観戦しながら考えたり。常にアンテナを張っています。
10年後、どうなっていると思うか
全くわからないですね。サッカーをやめたとき、26歳で今の自分は全く想像できていなかったので。ただ、仕事をする上での軸はあります。「仕事を通して世の中の人に幸せや笑顔を与え続けたい」という考え方です。これは変えたくないし、変わらないと思います。
一方で、それ以外の部分は柔軟であり続けたいと思っています。世の中の価値観は時代と共に変化ますし、SNSの発達によって今後も加速度的に変わっていくと思っています。それに対応できない、頭の固いおじさんにはなりたくないなと思っています。
つまり、自分の軸を持つことと、世の中の変化に合わせられる柔軟性を持つこと。その2つのバランスを上手にコントロールしながら、次の10年を過ごしていけたら良いですね。
「ネクストエンジン」について
以前は結構使っていたんですが、今は担当ではなくなったので、直接触る機会はほぼ無いです。ただ、会社としてはとてもお世話になっていますよ。
去年僕らは在庫管理をアナログで対応していました。そんな中で、ハンドスピナーが想像以上に売れてしまって。「お客様から注文が来ていたのに、1週間放置してしまっていた」とか「頼んでいない商品が届いた」というようなトラブルがいくつも発生しました。
精神的にも肉体的にも非常に大変だったので、WAYLLYのローンチにあたっては絶対同じ轍を踏みたくないという思いがありました。ECの業務支援ツールの検討を進める中で、色々なモールと連携して在庫管理ができるネクストエンジンに魅力を感じ、導入を決定しました。
導入してからは非常にスムーズに在庫管理ができていて、「すごく楽になったな」というのは実感しています。サポート体制が整っているところも魅力ですね。何かわからないことがあると即対応してくれるので助かっています。
ネクストエンジンの導入はプライベートの充実にもつながっていると思いますよ。導入前は工数が今の何十倍もかかっていたので、土日も作業することはざらでしたから。そういう意味でも、導入して良かったなと思っています。
編集後記
頭頂部からつま先までサッカー漬け、プロサッカー選手を夢見た学生時代を経て、ビジネスの世界へ飛び込んだ三浦さん。サッカーで培った忍耐力、向上心を武器に、ビジネスの世界でもこれからさらに飛躍するに違いありません。ハンドスピナー、WAYLLYの次に三浦さんが仕掛けるのは何か。注目です。