「落ち込む」ってナニ?不死身の男・仁井谷正充という生き方

ニューアキンド

 ゲームクリエイターの仁井谷正充さん。ゲーム史上に残る名作「ぷよぷよ」を開発したゲームメーカー「コンパイル」の創業者です。コンパイルは年商70億円規模にまで成長しますが、事業拡大の途上でつまずき、2002年に破産。仁井谷さん自身も約90億円の負債を抱え、自己破産します。

紆余曲折を経て、2010年代半ばから「家賃5万円のアパートでアルバイトをしながらソフト開発に取り組む」仁井谷さんの姿がメディアで取り上げられるようになりました。さらにYouTubeでは、夕食のメニュー紹介やギターの弾き語りなど、赤裸々な私生活を自宅から中継。「年商70億からアパート暮らし」という衝撃。「その顛末を隠さない」という驚き。

いったいどういうつもりなんだろう?そんな疑問を持ちつつ、千葉県のご自宅近くのカフェにお伺いしました。

ぷよぷよの生みの親、仁井谷正充氏

仁井谷正充さん(twitterYouTube
ゲームクリエイター、コンパイル○(まる)株式会社代表。1950年広島県生まれ。1982年ソフトメーカー「コンパイル」を設立。1991年、ゲーム「ぷよぷよ」の大ヒットによって年商70億を達成するものの、1998年に会社は倒産。その後クリエイター系専門学校の講師や有限会社アイキの代表などを経て、2016年にコンパイル○株式会社を設立。

自己破産して負債も残り…それでも落ち込まないワケ

─仁井谷さんはずいぶんパワフルに活動されていますよね。破産をされて個人の負債もある(※2022年5月現在)という状況なのに、落ち込まれることはありませんか?

僕、「落ち込む」ってどういう意味かわからないんです。落ち込んだことがないから。常に「楽しい」の塊になっています。僕にとっては、これが普通なんです。

─素晴らしいですね。今日はその強靭なメンタルの秘密を探りたいと思います。幼い頃はどんな子供でしたか?

ぴょんぴょん飛んでた(笑)。小学生時代の8ミリフィルムを見ていたら、一人だけ輪からはずれてずっとジャンプしている子がいるんです。「誰だ、あのバカは」と思ったら、まさかの自分。それと、幼稚園の頃からIQが高かかった。2000人にひとりと言われました。自分で言うのも何だけど、周囲の人と話していても、会話のテンポは10:1くらいに感じます。

─それはすごいことですが、正直、孤独を感じませんでしたか?

ある日突然、「なぜ自分は友達がいないんだろう?」と気づいて、ちょっとだけ悩みました。でも、気にしていません。そもそも周囲と話題が違いますから。一番苦手なのは、誰と誰がくっついたとかいう噂話。それよりも、宇宙がどうなっているかとか、あのデザインをもっと良くするにはとか、そんな話がしたいんです。なにを見ても常に分析しながら「自分だったら」と考えています。

楽しかったゲーム制作。しかし経営は…

─80年代初期にゲーム開発を手掛けられたのは、かなり早い方ですよね。そもそもなぜ「ゲーム」だったのですか。

ビジネス系ソフトは制作費が高いのですが、ゲームならアイデア次第で低予算でできました。それと、僕はそもそも、人にいたずらを仕掛けたかったんです。たとえば、以前リクルートさんから執筆依頼を受けたときも、僕は原稿にドット絵を書いたりしました。社長さんは驚いて「ちゃんと文章を書いてほしい」と言ったけれど、僕は「なぜドット絵ではダメなの? ドット絵と文章の違いを説明できますか?」と返した(笑)。人が笑ったりびっくりしたり、そういう反応を見るのが好きなんです。そんないたずらを集めたら、ゲームになっちゃった。

─人並み外れた発想力ですね。そんな仁井谷さんにとって、ゲーム開発はどうでしたか?

人生で一番楽しかったです。自分で作った物が店に並んで、たくさんの人に売れて、「これよかったよ」と言ってもらったり、お金が入ったり。そりゃ毎日「楽しい!」しかないですよ。インターネットのない時代、IT系の最先端はゲームです。一番尖った業界でした。

─最先端の業界で楽しく働いて年商70億。のちの倒産が想像できない夢のような日々ですね。

でも、急成長すぎてつまずきました。もともと社長という意識がなく、普通のサラリーマンと同じ感覚で社長をやっていたんです。どこかで経営について鍛えられているわけではないから、事業を拡大するときの流れがわからないんですよ。よく急成長した会社が頂点でいきなりコケるのは、そういうことです。

─当時を振り返って、後悔することはありますか?

当時、会社の規模を100億から1000億単位にするには、次にどう展開するかを考えていました。それでディズニーランドに倣って、ぷよぷよランドを作ろう、と。でも、ゲームのことを知っている人がほとんどいない時代です。イベントも新事業も、自分たちで人材や体制のすべてを整えなければならない。当然手間と莫大な費用がかかります。年商1000億ありきで動き、人件費が膨らんでいった。本来なら、その前に会社のスケールを大きくするための仕組み、そして万が一失敗しても、会社が潰れない仕組みを作るべきでした。

─「会社のスケールを大きくする仕組み」とは?

猿山でも同じなのですが、1人のボスが統率できるのは、30〜50人だそうです。それ以上メンバーが増えるのであれば、サブボスを増やして階層を作り、組織化します。サブボスは会社で言えば部長、つまりプロデューサーの立場ですね。ところが世の中、プロデューサー的な能力を持つ人は非常に少ない。加えて、当時コンパイルがあった広島県は、東京都に比べるとかなり人材が乏しかったんです。適した人材を探す時間がないまま会社が急成長してしまい、組織の基礎が作れませんでした。

─なるほど。爆発的な成長を遂げた企業ならではの悩みですね。

また、経理の面でも問題がありました。「お金まわりはふんどしを貸し借りできるくらいの(仲のいい)人に任せろ」と言われましたが、僕はそんなの気にしていませんでした。しかし、結果的には横領したり裏リベートを受け取る社員が出てきた。イベントの売上が100万円も行方不明になったり、新品のグッズが大量にオークションに出品されたり。極めつけは、ぷよぷよランドの企画書(作成費1,000万円)の流出。そのような事態になっても、経理や総務のチェック機能を作る暇もありませんでした。

─それは痛手でしたね……。では、「万が一失敗しても、会社が潰れない仕組み」とは?

プロデューサー集団を作り、小規模な別会社として独立させる。新事業はその別会社に任せれば、たとえ失敗しても、その会社を解散させるだけで本体は無傷です。工場も会社本体から切り離し、工場として採算の取れる経営をしてもらう。ソニーやポケモンがそうですよね。ゲームソフトメーカーの基本です。ほかにも失敗から生まれた企業運営の戦略は、たくさんあるんですよ。いずれ「失敗から学ぶ経営戦略」のような本を出そうと思っています。

─小規模であれば経理や総務のチェックもしやすいですしね。失敗から学ぶ、これはすごい本になりそうです。でも、仁井谷さんからは、やはり成功の法則もお伺いしたいです。ぷよぷよのような大ヒットゲームを生み出せた秘密は?

当時、テトリスが世界中でブームになっていたのですが、あれはシステムが単純で、1人のプログラマーだけで組めます。それで僕も「落ちゲー」を、しかもテトリスより面白いものを作ろう、と。テトリスは優れたゲームですが、対戦には向きません。一方、ぷよぷよは相手との駆け引きもできるし、連鎖を取り入れたことで、逆転もあり得る。これが面白いんです。

─ヒット作品を土台にご自身のアイデアを盛り込んだのですね。

それがゲームの作り方なんです。基本はパクリ、でもそのままでは本家に負ける。面白いゲームの要素を全部集めて、スタッフ全員でアイデアを出し合って、一番尖って面白いアイデア加えてみると、それがオリジナルになるんです。アイデアは出し惜しみしちゃいけない。使えば使うほど湧いてきますから。そんなもんです。

ここで一旦話を切り上げカフェを出て、ご自宅を撮影させていただくことに。しかし会計時、カフェの店主に仁井谷さんがある提案を。
「壁に飾ってある絵、カッコいいね。この画家さん、 NFTやった方がいいですよ!」
3分後には店主と連絡先を交換し、イラストの作者にNFT関連の人脈を紹介するという結果に。

─展開が早いですね。しかも初対面の方に気軽に情報をシェアすることに驚きました。

あの絵がカッコいいと思ったからです。なんでもつなげていっちゃう。楽しいと思ったらやる、いいことは人に勧める。善は急げ、鉄は熱いうちに打て。それがビジネスチャンス。このスピード感が大事なんです。

圧倒されたまま、ご自宅のアパートへ。入るとすぐに、YouTube配信用の三脚。寝室には天井に届くほど積み上げられた段ボール。そして部屋には7台のモニターが。

テーブルの上に置かれた三脚
天井に届くほどの段ボール箱は積み上げても消えることは無い
大小のモニターに囲まれている

介護のアルバイトにNFT。現在の暮らしについて

─今は、介護のアルバイトをされていると聞きましたが、どのような毎日ですか?

普通の暮らしです。普通にお金を稼いでご飯を食べて、寝る。その中で楽しみを見つける。例えば映画を見るとか楽器を弾くとか、それでいい。介護は週イチまで減らしました。あとはYouTube配信、それから、僕もNFT用の絵を書いています。NFTではぼちぼち稼ぎが出ていますが、まだまだ。

─楽器(ギター)はYouTubeでも披露されていますね。音楽はいつから?

高校時代にフォークソングが流行っていて、兄貴と一緒にギターを買ったのが始まりです。大学時代は学園紛争で休校が多かったので、ほかにやることもなくて1日の半分はギターを弾いていました。そのうち「スタジオミュージシャンになれよ」と言われるほどになりました。今はYouTubeのコメント欄にリクエストがきた中から、ピックアップした曲を演奏・配信しています。

最近はイラストの勉強もしている仁井谷さん

─日々楽しまれているんですね。ただ、仁井谷さんにはやはりゲームソフトの開発に携わっていただきたいのですが。

今は新しいゲームではなく、「にょきにょき」のNintendo Switch版を作りたいんです。でも開発費が4〜5千万円はかかるので、ストップしています。ニンテンドー3DS版も2022年3月で終わってしまったので、そろそろ動きたいのですが。

─新たなゲームのプロデュースは、されないのですか。

ゲームは、予算さえあれば絶対ヒットさせるアイデアがあります。今はそれしか言えない。5年以内、確実に大ヒット。でもね、それを誰も信用してくれない。72歳のジジイだから(笑)。明日死ぬかもしれないと思われているんですよ。例えば予算が20億あったとして……(以下、ヒットゲームを生み出す仕掛けを説明)。

─なるほど! それは確実にヒット作のできるノウハウですね。任天堂さんに売り込みたいくらいです。では、具体的にどのような展開を考えているか、教えてください。

今YouTubeの視聴者の8〜9割が韓国人です。1996年、韓国にコンパイルの子会社「コンパイルコリア」を作って以降、ファンが増えました。コンパイルのゲーム「幻世酔虎伝」にはファンクラブまであるんですよ。それで韓国での展開を考え、韓国語を勉強しています。それと、ゲームを作るための、新しい仕組みを作りたい。もっと言えば、新しいゲームシステムを作る人を育てたいんです。経営塾のような場をつくり、かつての僕のように事業拡大をしたい経営者を集める。僕には失敗から学ぶ経営戦略がある。確実に失敗しない事業拡大の仕方を教えられます。

その他、にょきにょきの新たな展開、売れるゲームソフトの見分け方、広告ヴィジュアルの良し悪しなど、成功へのアイデアなど話が尽きることはなく…。

─貴重なお話をありがとうございました。我々が「仁井谷経営塾」の生徒第一号となった気分です。では、最後に皆さんにメッセージを。

とにかくストレスになることは避ける。嫌いな人とは付き合わない。やりたくないことはやらない。押し付けられたら逃げればいい。それだけ。とにかく僕、ストレスゼロなんです。毎日その日の物事を消化していくので。会社が倒産したときも、単に「目の前にあった大きなステーキを食べ終えちゃった」っていう感じ。その程度です。ゼロになってもまたイチからやればいい。七転び八起きですよ。

─70億がステーキ1枚感覚! 最強ですね。その精神、ぜひ真似したいと思います。ありがとうございました!

自宅アパートの建物名に「102」と入っているのが部屋番号と紛らわしいと語る仁井谷さん
長谷川 京子

東京生まれ、横浜育ちのライター。サブカル書店員、旅館の仲居、夜の蝶、キャンギャル、大手広告会社(の窓なし室で資料を番号順に並べる係)勤務、芸能学校ワークショップ講師・脚本家などを経て、2008年より広告ライターに。超大御所コピーライターのゴーストライター、某企業代表のゴーストライター、某高級料亭ブログのゴーストライター、某お父さん川柳のゴーストライター、ダイエット食品の広告モデル(ビフォーの役)などで活躍し、現在はカルチャー誌、女性誌、Webなどで執筆。

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