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  さて、皆さん。   「俺は起業するんだ」と主張している友人をきっとあなたは見たことがあると思います。では、その人が実際に起業を実行して仕事をしていることを見たことはあるでしょうか。「無い」という方も結構いらっしゃると思います。   実際、起業というのは、「やろう!」と盛り上がるのはとても簡単ですが、それを実行に移すのは決して簡単ではありません。   例えばこんな話です。 あなたは29歳で、友人2名と長年温めていた起業のアイディアをついに実行に移す日がやってきました。友人A氏は営業能力を、友人B氏は実務能力を持っています。そして、あなたはA、B両方にまたがった能力をある程度持ち合わせており、加えて経理もわかるオールラウンダーです。   この三人が創業のベストメンバーだとあなたは確信していました。もちろん、あなたが代表取締役です。3人は十年来の大親友で、「いつかは俺たちで最高の会社を作ろう」と語り合ってきた仲なのです。不安はありません。   資金調達はあなたが行いました。出資者を駆け回り、あなたが調達した資金は自己資金も合わせて3000万円。そこにA氏とB氏が500万円ずつを出資し、応分の株式を受け取る予定です。   4000万という資金量は初めての創業にはなかなかの金額ですし、これは順風満帆の創業だ。そう思ったあなたは地方勤務だった会社を辞めて東京に帰り、A氏とB氏が仕事を辞めて事業にフルコミットする体制が整うまでに会社の登記や事務所の確保などの実務をこなしていました。 A氏、離脱 さて、会社登記も事務所の賃貸契約も終わり、あなたは始動前の事務に忙殺されながらも充実した日々を送っていました。社用車も買い、会社の設備もそれなりに整えました。パソコンももちろんハイスペックなものを、椅子もちょっといいものを。コーヒーメーカーも張り込みました。なにせ、我々は新進気鋭のベンチャー企業なのですから。   そこにA氏から電話が入ります。電話の内容はとてもシンプルでした。「申し訳ないが、会社を辞められない」。あなたの目の前は真っ暗になりました。A氏は家族に止められただの会社に止められただの聞いても意味の無いことをたくさん述べていましたが、とにかく離反(そもそも合流すらしていないのですが)の意思は固く、翻意はあり得そうもありません。   これはとても困ったことです。というのも、Bが作った商品をAが売る、というのがこの創業の根幹だったからです。販路を持っているのはAです。Bには技術があっても営業能力はありません。あなたにもAほどの営業能力はありません。そして、商品というのは売り込む能力と販路がなければ1つも売れないものなのです。   あなたは焦りました、慌ててB氏に電話をしました。B氏はすでに会社を退職し、最後の有給をハワイで消化しているところでした。B氏もまた困り果てました。しかし、ここで二人はひっこみがつかないことに気づきます。事務所の賃貸費用は既に敷金を差っぴいても50万以上かかっていますし、備品も50万以上揃えてしまいました。会社登記にも25万ほどかかりました。流石に出資者に、1日も仕事をしていないにも関わらず金は減ったとは報告できません。 B氏の笑顔 あなたとB氏は話し合い、「新しい営業担当を探そう」と心を決めました。出資者にはもちろんダマです。というのも、このタイミングでバレた場合、出資を引き上げられる可能性が低くないからです。   Aの図抜けた営業力と業界への見通しは、この創業の要でもありました。彼がいなくなったとあっては、出資者も黙ってはいないでしょう。「何とかAの代わりになる人材を見つけました、A以上に優秀な奴です」という形を作る以外に生き残りの目はありません。   そこで、あなたとB氏は必死に人脈を辿り、業界の見通しが利き同時に高い営業能力を持つ人間を探しました。まだ事業すら動いていない会社がこんな人材を探すのは明らかに無謀ですが、それでもやるしかありません。   こうしている間にも事務所の賃料は嵩んでいきますし、あなたとB氏の生活費だって必要です。出資者には「現在準備を進めております」と伝え、1ヶ月ほどの時間が流れました。そろそろ出資者も焦れ始めた、という時期になってB氏が一人の人間を連れてきました。   「はじめまして」。仕立ての良いスーツを着て、ピカピカに磨いた革靴を履いたC氏は穏やかにそう切り出しました。年齢はあなたやB氏より一回りほど上というところでしょうか。「私は~業に~年勤め、業界での人脈と営業力を有しており、御社のビジネスプランに強い関心を持っています」。   実際、C氏の理解度はかなり高いもので、Bの商品の優れた点をよく理解していましたし、キャリアもどうやら本物であるようです。「この人しかいない」とあなたもB氏も感じました。あなたもB氏も突然の僥倖に自然と笑みがこみあげます。   そこで、C氏はこう切り出しました。「私は自社株を要求しようとは思いません。あくまでも、この事業はあなたとB氏のものです。若い方の起業をお手伝いさせていただく立場でありたいのです。私はあくまでも最初の社員という形で入社させていただきたい。   その代わり給与は少し高めで~くらいの額を、そして入社前に契約金として300万円を給与とは別途に前払いで頂戴したい。私も会社の近くに引越しをしたいですしね、何しろこれからハードワークが始まるのですから」白い歯を見せてC氏は微笑みました。   あなたもB氏も一瞬悩みましたが、これは冷静に考えるとそれほど悪くはない条件です。自社株を持たないのであれば経営に口出しされることもありませんし、あくまで社員であればコントロールも効く。何より、起業のゴールにある大いなる実り―創業者利益―を分け与えずに済みます。   「では、出勤は一週間後から。一緒にがんばりましょう」ひとしきり書類等を書き終えると、そう言い残してC氏は去りました。あなたはC氏に提示された口座に300万円を振り込みました。その夜、あなたとB氏は久しぶりに一杯やりました。よかった、本当に良い人が見つかって良かった。   しかし、C氏が出勤してくることはありませんでした。 C氏は詐欺師 C氏は詐欺師でした。あなたの会社がどのような人材を探しているのかリサーチした上で、狙い済ましてやってきたのです。それはそう、あれだけ業界を「人材はいないか!」と叫びながら駆け回っていれば、詐欺師だって寄ってきます。   キャリアも信用もない人間が大きな声を出して呼び寄せられるのは大方の場合、詐欺師であるということを、あなたもB氏も知りませんでした。ここで、あなたは再び悩みました。被害届を出すか否かです。被害届を出すということは、この起業が終わるということだというのはほとんど間違いないことのように思えました。   あなたとB氏の給与が月20万円、既に2ヶ月、80万円が消費されました。賃貸契約も償却される敷金などを計算すると80万円近く使いました。備品だって50万は使いました。登記にも25万かかりました。社用車も80万ほどかかりました。駐車場代も月2万です。   そこに、詐欺師に持ち逃げされた300万です。あれ?既に600万強が消費されている?なんだこれは?詐欺師の分を差っぴいてもまるで金に羽根が生えたようではないか?その通りです。創業初期、金には羽根が生えるのです。まだ1円の売り上げも立っていないのに、です。   ここに至って、あなたは気づきましたこれは既にのっぴきならない場所である、と。しかし、ここでもうひとつ思いつきがありました。B氏による自社株買い資金500万円がまだ会社に入っていないのです。B氏が自社株を買うということは予定としては確定していましたが、ゴタゴタ続きで契約も金の振込みも未了でした。   あなたは気づきます、この500万で穴を埋めればいい、Cという詐欺師を連れてきたのはBなのだから、これは当然のことだ。もちろん、持ち株については後からなんらかの手段で帳尻を合わせる、しかし出資者に粉飾報告をするための見せ金として500万を拠出しろ、とあなたはB氏に迫りました。     B氏はうつむいてただ一言、「辞める」と言いました。   あなたとB氏が会うことは二度とありませんでした。そもそも雇用契約すらまともに書式にすらしていなかったのです。風の噂ですが、B氏は元の会社に頭を下げて戻り、現在は順調にサラリーマンをやっているそうです。A氏は順調に出世し、補佐の肩書きがつきました。来年には結婚の予定です。では、あなたはどうなったのでしょうか。考えたくありませんね。このお話はここで終わりますが、「あなた」の人生はまだ続きます。 「あなた」はどうするか、それだけが問題です。 これは僕の知人のエピソードに大きな脚色を加えたフィクションです。しかし、こういうことは実際に起こるのです。詐欺師にまでは遭わなかったとしても、大きな契約、例えばコンサルタントなどとの年契約をしていた場合、それも同様の結果となります。   起業というのは、往々にして「始まらない」のです。しかし、始まる寸前まで行った時には大量の金が既に消尽されている。最後に残るのは借金を抱えた無職が一人、ということになりかねません。繰り返しになりますが、1円の売り上げも立っていないのに、です。   飲食店起業でも同様のケースがよくあります。前にも書いたかもしれませんが、僕は、1日も営業せず居抜き売却された店舗を見ました、スケルトンから作りこんだ店舗でした。また、僕の住む家の近所でも内装をバッチリ作りこんだ挙句、1日も営業しなかった店舗が複数存在しました。   そういうことなのです。ある意味、売り上げが1円でも立てば起業は「成功」と呼んでもいいくらい、一定数の創業者は始まる前にくたばるのです。起業すると宣言して会社を辞めた奴が求人誌を読んでいたときは、「その程度で済んでよかったな」という目で見てあげましょう。   これは、あなたが「バンドをやろう」と仲間を集めて、実際にライブハウスで演奏出来たことがあるかについて考えてみればいいと思います。「起業」は、基本的にフルコミットが要求されるので、バンドよりも更にハードルが高い。   ギリギリになって「やっぱやめた」と言い出す人は稀ではありません。といいますか、まぁ起業した人ならわかりますよね。あてにしていた奴が逃げた、そんなことはあるあるです。しょっちゅうある。バリバリある。   僕は前回のコラムで「一人の限界」について語りましたが、今度は「複数人という怖さ」について語らせていただきました。ここで、ちょっとベタな話題を持ち出しますと「何人で起業するべきか」は諸説あり、まったく定説がありません。   ちなみに、僕自身は三人で創業しましたが、「人数」だけで考えても良し悪し両方あったと思います。次は何人で起業するか、僕も今のところイメージが固まっていません。   さて、この物語からあなたはどんな教訓を引き出したでしょうか。「誰が悪いか」という議論に意味がないことは言うまでもありません。「あなた」はどうするか、それだけが問題です。   あなたが複数人で起業しようと考えているなら、この物語をあなたは何らかの教訓に変える必要があります。あなたがなすべきことをなしましょう。僕はあなたの成功を心から祈っています。   やっていきましょう。     ...

皆さんどうですか、やっていっていますか。   僕はこれまでニューアキンドセンター様の連載では「とにかく人間は裏切る」というお話を執拗にして来ました。しかし、それでも僕は複数人数での起業を否定するわけではありません。分業というのは人間の非常に強い能力ですし、個人の力には当然限界がある。そういう立場に立ちます。本日はそういうお話になります。「一人で創業しよう」とお考えの皆様、是非ご一読いただければと思います。   ところで、「ジキルとハイド」みたいな経営者って見たことありませんか?ニコニコと感じよく喋っていると思ったら、ちょっとしたきっかけで激昂して怒鳴り散らすような人、結構いますよね。中小企業のワンマン経営者に特に多い気がします。好感を持たれる人物造詣とは到底言えませんが、あれは経営者における適応の形ではないかと僕は思っています。本日はそんなお話です。 個人の限界について 人間はしくじる生き物です。もちろん僕もしくじりますし、僕以外の皆さんも結構しくじります。部下であれ、あるいは下請けの業者であれ、誰かに命じた仕事が常に100%完遂されるなら、世の中これほど楽なことはありません。「部下がトチる」もありますし、「下請けがトチる」も非常によくあることです。   人間は完全な生き物ではないので、市場のあちらこちらでは常に大惨事が起きているといっても過言ではありません。仕事というのは絶え間なく発生するトラブルをすんでのところで乗り切っていくことの繰り返しです。   何もかもが予定通りには行きませんし、想定外の事態は常に発生します。「下請け先がトチったので、依頼人であるあなた自らが現場に急行して事態を収拾した」そんな経験は、社会人ならかなりの割合の皆さんに覚えがあるのではないでしょうか。   しかし、この「事態の収拾」において問題が起きます。というのも、「とにかく現場をなんとかする」という業務の一方、「失敗の責任を下請けに取らせる」という業務も同時に発生するからです。しかし、これを一人で同時にやろうとすると容易にそこには「人間の限界」が露呈します。 共感性と独善性 下請けと発注元の関係、あるいは上司と部下の関係においてもそうですが「叱責」と「フォロー」という二つの業務があります。失敗した下請けに、あるいは部下に共感的に振舞えば振舞うほど「フォロー」は上手くいくでしょう。   「気にするな、とにかく一緒にこの状況を何とかしよう」というやつです。誰だって炎上した現場を短期間で収集する仕事を請け負ったら、まずはフォローする対象に対して共感的に振舞う努力を試みると思います。対立を大きくして余計な時間を食うわけにもいきません。   しかし、仕事というのはそれだけでは問題があります。同じミスを繰り返されても困りますし、ミスによって損失が発生した場合などはその保障の金額なども詰めなければいけません。この場合は「共感的」に振舞うことは得策とは言えません。「おまえの責任だ、詰め腹を切れ」と要求する必要があるわけです。   「共感性」と「独善性」というのは相反する性質ですが、仕事をする上ではどちらもとても強く必要になります。「あなたにも事情は色々あるのだろうけれど、それは私の知ったことではない」と言い切るべき局面はあります。   部下に対してであれ、下請けに対してであれ、人間的共感を排して叩き切らなければいけないことはあるでしょう。その一方、余計な対立を起こしてはならないときは煮えたぎる腹を抱えて、共感的に振舞わなければならないこともあります。こうして、経営者は分裂的な性格を育てていくのだと思います。 共感と独善に人間が引き裂かれる 一般に「共感的」であるのは良いこととされています。失敗した部下に、トチった下請けに「気にするな」と常に言ってやれれば、それは本当に素晴らしいことでしょう。しかし、ちょっと考えれば無限にお金を持っているのでもない限りそんなことはできないということがわかってきます。無限にお金があるなら起業をする理由はありませんよね。   この問題に企業はどう対処しているかというとそれはとても明瞭で、「分業」することで対処しています。通常、業務上のミスが起きた時それを打開する現場部署と、事後処理や補償などの交渉を行う部署は別に設けられていますよね。   例えば、あなたの家の配管が故障してお部屋が水浸しになった時、現場の修繕にやってくる人と水浸しになった家具の賠償額を交渉する相手は別の人でしょう。これが同一の人物だった場合、とても大変なことになるからです。   現場担当者には多くの場合「共感性」が求められます。「この度は申し訳ありませんでした、本当にすいません。すぐに修理いたします。賠償につきましては弊社の別部署と交渉していただければと思います。私もなるべくお客様のご意向に沿う形になるよう、上に伝えておきます」こういうやつです。   サラリーマン経験のある方なら、大体は使った覚えのあるテクニックですよね。「それは私の仕事ではありません」と言えるだけで、仕事はとても楽になります。労働者は大体これでいいのです。それ以上の負荷を抱え込むべきではありませんし、経営者は抱えこまなくて済むようにマネジメントするべきです。そのために複数の人員がいるのですから。   しかし、その「それは私の仕事ではありません」で逃げられない立場もあります。「経営者」という立場です。会社に「経営者の仕事ではない業務」など存在しないからです。経営者が現場業務を兼任している場合、これは本当に地獄です。自分でやらかしたミスを自分で収集し、同時にその相手と賠償額の交渉をする。これは、本当に苦しく、また不利です。クライアントに寄り添いたい共感性と、少しでも交渉を有利に進めたい独善性の間で人間が二つに引き裂かれることになります。 「共感」を要求する人間と、ワンマン独裁者の合理性 人間は大抵の場合、「私に共感しろ」と要求してきます。実際、仕事というのはその多くが他者に「共感的に振舞うこと」です。接客にせよ営業にせよ、お客様への共感抜きにしては成り立ちません。しかし、「交渉」の場においては共感的に振舞ってばかりもいられません。人間というのは、大体の場合「少しでも得をしたい」という原理で行動していますので、共感し過ぎれば相手の要求を丸呑みさせられます。   「自ら現場に出る経営者」において、このジレンマは最大になります。現場のプレイヤーというのはお客様に寄り添いたいものですし、必然的に判断も共感性に寄って来るでしょう。   「社長が現場に出てくる会社の仕事は値切りやすい」。大変性格の悪いお話ですがこれありますよね。ちょっとした瑕疵をつついて値切るにも、目の前に社長がいれば非常にやりやすい。だから、大抵の会社の社長という存在はそう簡単には飛び出してこないのです。社長が「共感しないこと」に徹することが可能な形を築き上げていれば、それだけ経営判断は正確になるでしょう。   「ワンマン経営独裁者」は明確に合理的です。世間ではかなり嫌われる人物類型ですが、僕はあの状態まで会社を持っていけた経営者を心から尊敬します。あれは「共感性」に引きずられて経営判断を誤らないためのひとつの最終回答です。   「現場」はどうしても共感に引きずられ、会社の利益よりお客様へのサービスや、ことによっては自己利益を切り捨てた恭順を選択しがちです。その方が楽だからです。それにストップをかける立場である社長は、共感性の一切を切り捨てた「独裁者」であることが最も合理的なのです。 一人社長はどうすればいい? さて、経営を行い、同時に現場にも自ら出る社長。創業の際はどうしてもこの形になることが多いでしょう。僕もそうでした。そのときに我々はどうすればいいか。答えは簡単で、人員が複数いないなら、一人が複数人分の仕事をこなすしかありません。冒頭の「ジキルとハイド」はこのように生まれます。過剰な共感性と過剰な独善性、異常な人当たりのよさと強烈な酷薄さを併せ持った人間はこのようにして形作られるのです。   経営者をやっておりますと、程度の差こそあれ必然的に人間はこうなります。他者に取り入るための過剰な共感性と、いざという時に「おまえのことなど知ったことか」と切り捨てる独善性の両方を具備する以外に僕は方策を思いつけませんでした。   しかし、これは非常に精神的な負荷の大きい仕事です。この点を仕組みとしてシェア可能というだけで、複数人で創業するメリットは非常に大きいといえるでしょう。もっとも、人さえいれば上手にシェアできるとは限りませんけどね。このお話はそのまま「現場」と「経営陣」の終わりなき対立のお話でもあります。 あなたは「共感」の人ですか?「独善」の人ですか? さて、経営者に求められる資質として「共感」と「独善」という二つの言葉を使ってきましたが、これは人によって適性が大きく分かれます。「共感」が非常に苦手な人もいますし、「独善」をやることがどうしてもできない人もいます。それは人間の性質として仕方がないことです。しかし、経営者は人間ではないのでこの問題を解決しなければいけません。   自分がこのいずれに偏っているかを認識することは非常に重要です。「独善」に偏っている方は共感を求められるフェーズが苦手でしょうし、「共感」に偏っている方は他人に損をさせてでも自分が得をすることを目指すようなガチガチの交渉になるとまったくの無力です。   敏腕営業マンが自分の会社を持った途端に沈んでいくという悲劇を僕は見たことがありますが、あれは「営業」に求められる能力と「会社経営」に求められる能力の差から生まれた悲劇ではないかと思います。   部下を抱えた場合、現場はどうしても「共感」に偏ります。現場マンは自分の給料とお客様へのサービスを考えるのが手一杯で、通常会社の利益についてなど考えられません。それがむしろ普通なのです。現場が会社の利益を考えて行動してくれるなら、そもそも経営者が不要だという話になります。しかし、現場業務をこなしながら同時に会社の舵を取る経営者はそれではやっていけません。   人間やめますか?経営者やめますか?そういうお話です。   さて、「他人は裏切る」しかし「一人でできることには限界がある」この矛盾を以下に乗り越えていくか。是非、創業の前には考えてほしいと思います。僕はそれを全く考えなかったツケを今払っています。やっていきましょう。       人間やめますか?経営者やめますか?     ...

  起業してやっていくと、社内から「裏切り者」が出現することはほとんど不可避だと思います。   人間の裏切り方は実に多種多様で、「横領する」「人員とノウハウぶっこぬいて他社に移籍する」「指揮系統を完全に無視して自分の王国を作る」「他社への利益誘導を行う」などなど、考えていったらキリのないほどのバリエーションがあります。   しかし、それは「横領」みたいな即座に犯罪であるものを除いては究極的「仕方のないこと」なんだと僕は思っています。人間というのは自己利益のために行動しますし、会社というのは人間が仲良くする場所ではなく、それぞれがそれぞれの自己利益を求めて集まる場所です。裏切った方が利益になるなら裏切る、それは資本主義のルールに照らして正解です。会社に忠誠を誓わねばならない理由などありません。   「裏切り者め!」と叫びながら無限に酒を飲んでいる経営者はわりといっぱいいますし、僕も人生のある時期をそのように過ごしましたが、じゃあそういう我々が他人を裏切ってこなかったか、といえばそんなこともないわけで。他者の利益と自己の利益が相反した時は、適切に「裏切る」ことが可能なのも経営者の大切な能力のひとつだと思います。起業家なんて、結構な比率が他人から奪い取った人材とノウハウで起業するものでしょう。   人間は悪い、でもそれは資本主義のルールの下で「仕方ない」ことだという割り切りは徹頭徹尾必要になります。しかし、それは「裏切り者を許す」という意味にはなりません。「俺に従えば利益になる」も大事ですが、「俺を裏切ると大変な不利益がおまえに発生するぞ」というのもとてもとても大切です。というのも、1回裏切られる人間は対策をしない限り100回でも1000回でも裏切られるからです。   これは不吉な予言ですが、あなたと未来を誓い合った人間の5人に1人はあなたを裏切ります。あなたに部下が5人いるなら、一人はあなたにとって悪魔です。あなたのチームには絶対にユダが混ざっています。あなたが信頼している人間のうち一定の割合は、数年後あなたと不倶戴天の敵になっています。それが資本主義です。   それを未然に防ぐにはどうするか。古来より方法はたった一つです。裏切りものは、首を河原に晒し、一族郎党を根絶やしにする。これしかありません。裏切りを「許す」人間は、何十回でも何百回でも裏切られるのです。最初に発生した「裏切り者」は「俺を裏切る人間はこのようなことになる」という意思を伝えるために徹底的に晒し者にして苛烈な処罰を課す必要があります。   しかし、コンプライアンスという概念もあり、現実的な問題もあり、それは容易なことではありません。考えていきましょう。 人間を処罰することの難しさ 大きな会社では、会社への背信行為を行った人間は多くの場合即座に処断されるでしょう。大手勤めの皆さんには、例えば会社の機密情報を外に流すであるとか、あるいは取引先と手を組んで請求書に小細工をするとかそういうことはあまり想像出来ないと思います。   会社には長く勤めることが前提でしょうし、会社と個人の資金やノウハウの量にも大きな差があります。「バレたらヤバい」という前提がありますよね。クビになるのも手痛い。おまけに、代わりになる人材はいくらでもいるでしょう。   しかし、創業して間もない小さな会社にはこれらの前提が一切存在しません。1年後に会社が存在するかすら疑わしいのが創業企業です。社長と部下の社会的な「強さ」には大きな差がない場合が多いでしょう。というか、労働者と経営者という立場を加味すると、往々にして部下の方が強いでしょう。   「他人の資金を引っ張って経営者になる」というのはこの世で一番弱い存在になるということに近いものがあります。社会的保護は限りなくゼロでありながら、負うべき責任は果てしなく重い。経営者は弱く、労働者は強いのです。   おまけに、「代わりの人材がいない」という状況も当たり前に起きるでしょう。「どうせあいつは俺を処罰出来ない」ということに気づいた人間は、天より高くつけあがります。「文句あるなら辞めるけど?」と社長に突きつけたことのある皆さん、僕もありますがあれは大変に心躍る愉快な話ですよね。   しかし、やられる側の身になると「最悪」としか言いようがありません。違法行為を行っていない人間を処罰するのは、とてもとても難しいことなのです。人間は自由で、悪い。社長が部下を叱れるとは限りません。 現実的な人間を処罰する方法 - 基幹人材 「事業の基幹となるスキルを持つ創業人材が資金を引っこ抜いていた」こういう極めてよくあるケースを想像してください。あなたが営業と経営を、裏切り者がプログラミング実務を担っているIT企業なんかがイメージしやすいですね。これ、クビにできますか?大抵出来ないですよね。   会社を潰す覚悟が必要になると思います。「横領」という犯罪行為を行っていても、「処罰出来ない」という事態は普通に起きます。「横領」なら会社を潰す腹を括れば刑事で処罰できますが、「ギリギリ違法ではない背信行為」の場合は完全にお手上げです。   分業は人間の最も美しい能力ですが、同時に最悪の事態の発生源でもあります。営業の天才とプログラミングの天才が組んだ事業は、どちらかが逃げ出せばそこで御仕舞いです。そして、この場合、創業資金を引っ張る主体、具体的に言うと会社の債務を連帯保証している側が圧倒的に弱いのです。「会社を潰せない」というのはとてつもなく大きいウィークポイントです。社長は弱いのです。守るべきものがあるというのは弱いということです。   創業人材は多くの場合、かなり会社が大きくなるまで兌換が効きません。当然のことですが創業の際は誰だって最強の人材を揃えたいと思うでしょう。それがネックなのです。基幹人材に関しては「裏切り」が発生してから処罰しようとしても、完全に手遅れです。「こいつは必ず裏切る」という前提の下に策を幾重にも組んでおく必要があります。   しかし、希望はあります。社長のたった一つの武器(存在するとは限らない)である「持ち株」というカードを上手に使うことで打開策が組めます。というのも、創業企業に基幹人材として入社するなら「株よこせ」という欲望を誰しももっています。また、入社時や創業時はハイになっていますので、未来の希望に満ち溢れているでしょう。このタイミングしか、皿に毒を盛る好機はありません。   具体的に言うと、「一定期間頑張ってくれたらタダで株あげるよ、というか債務をなかったことにしてあげるよ。でもまぁそんなことはないと思うけど、悪いことしたらちゃんと買い取ってもらうよ、面白い値段で。大丈夫大丈夫、そんなことはないだろうから、ホラ実質タダで株だよー」というやつです。僕の場合は、悪い弁護士がスッと契約書を作成してくれました。もちろん、同業他社への移籍を禁止する条項なども突っ込んでおきましょうね。(法的拘束力は実質的にはありませんが、入れておいて損はない)   創業当初の「俺たちは成功者になるぞォ!」と未来を誓い合っているタイミング、あそこです。毒を盛られる前に毒を盛るのです。欲を言うと、連帯保証人も取っておくのがベストです。本人だけであれば、「無い袖は振れない」で開き直られたらおしまいです。「どうにでもしろ」と床に大の字になった人間に対して出来ることは何もありません。   創業企業に入社するということは、その企業の事業に魅力を感じているということです。また、「非公開株」というのはえもいわれぬ魅力を持っています。かなり有能な人間でも、このタイミングでこの魅力に抗うのは難しいでしょう。クソ高いシャンパンなどで速度を上げてやりましょう。人間は合理的に判子など押しません。   余談ですが、僕が会社を畳む際の最後の社内闘争でこの契約書は僕の命を救いました。これがなかったら破産していたでしょう。ディティールは書けません。他にも具体的なやり方はあるでしょうが、裏切られる前に致死性の毒を盛っておく、創業のあの熱狂の中で、誰よりも早く「裏切る」ことが肝要です。裏切られる前にキッチリ裏切っておきましょう。大事な人材ほど、やるべきです。あなたはいくつ方法を思いつきますか? 現実的な人間を処罰する方法...

起業、何人でやりますか?もちろん、「一人」という方もいらっしゃるでしょう。それは、実はとても賢明な判断です。自分は他人より信用できる、そういう原則は一般にあります。   しかし、自分に足りない能力があったり、あるいは業務領域が多分野に渡ったり、もっと単純に業務の物量が一人では捌き切れない。そうなれば早晩人を雇う必要は出てくるでしょう。そういう時にどんな人材を選ぶべきか、そういうことについて考えていきたいと思います。   さて、このコラムを読んでくださる方は、既に起業済みでなければ「起業」というものに興味を持っている方だと思います。ところで、「起業」によって利益を得たいと思った時に、本当に「起業家」になる必要があるのか、というところに僕は結構疑問を抱いています。   というのも、「絶対に必要」な会社のメンバーになれば「株を寄越せ」と要求する機会はありますし、逆に逃がしたくないと考えた経営者が「株を持たないか?」と提案してくることもあると思います。   新規創業はリスクも大きく、また代表取締役は債務の連帯保証を求められるなどの怖さがあります。しかし、創業メンバーとして入りこんで美味しいところはしっかりいただく。こういうことも、僕の経験からすれば「可能」だと思います。そういう目線で読んでいただいてもいいかもしれません。それでは、よろしくお願いいたします。 条件1. 横領しない・裏切らない・信頼出来る 「そんなの当たり前だろ」という声が聞こえてきそうですが、それは甘いです。むしろ、創業メンバーなんてものは横領して当たり前、裏切って当たり前です。というのも、創業期というのは一人一人の業務の属人性が大きく、監視機能など無に等しいため「やろうと思えば何でも出来る」環境なのです。   これは創業されればわかると思いますが、そういうことは起きます。かつては未来を誓い合った創業メンバーが裁判所で骨肉の争いをしている、なんてのはよくある話です。民事で済めばまだマシで、刑事まで行くこともザラです。   そういうわけで、創業期においては「信頼出来る人間」の価値がとてつもなく上がります。これは、心理的なものもありますが純粋なコストの問題もあります。人間を監視するにはとてもコストがかかるのです。そういうわけで裁量をポンと預けて安心して仕事を任せられる人間にはとてつもない価値が発生します。   それは「仕事が出来る」という意味ではなく、「お金を盗むことはないだろう」「会社に背信行為を働くことはないだろう」という程度のものでも、とてもとても大きな価値なのです。   例えば、想像してみてください。社長とあなた二人の会社で一定の裁量を任せられている時に、あなたがどれくらい「悪いこと」が可能かです。例えば、80万円で仕入れられる商品を他社の担当者と共謀して100万で仕入れたことにして、差額の20万を抜く。こんなことはとても簡単です。誰にでも出来ますし、一工夫すればまずバレないでしょう。   実際、僕がお仕事をしていても「会社に入れるべき金を私の個人口座に振り込んでください」というような要求をしてくる担当者は結構存在しました。飲食店なら話はもっと簡単です。あんなものは横領天国です。やろうと思えばナンボでもやれてしまうでしょう。   また、他社への利益供与などに関しては更にありますよね。僕も、自分の商品を自社の人間の手引きで他社に引き抜かれたことがあります。そういうことはとにかく起こる、人間は悪い。どうしようもない。…と言いたいところですが、僕にも「絶対にこいつはそういうことはしない」と信頼を置いていた部下がいました。   僕が彼を信頼した理由は、上手く言語化できません。結局「信頼」というのは究極的に非言語的なものなのだと思います。人間性、能力、そして「合理的に考えてやらないだろう」という観点、それらの総合です。こういう人材が一人でもいると、起業は桁違いに楽になります。なにせ、業務がスムーズにですから。いちいちチェックもいらなければ面倒な確認作業も要りません。スピード感第一の創業フェーズだと「信頼は出来ないが任せるしかない」ということも多いと思います。   「信頼を得る方法」について僕は上手く言語化できなかったので、僕を信じて数千万円のお金を預けた出資者に「何故僕を信じたんですか?」とたずねてみました。返ってきた答えは「こっそりバレないように金を盗むような賢い奴はこんなトチ狂った起業なんかしないだろ」でした。大笑いしましたが、正しいかはともかく(僕がお金を盗んでいない根拠は出資者から見て一つもありません)これは一つの真理だと思います。時に狂気は信頼につながるのでしょう。   そう考えてみると、僕が部下を信頼した理由もわかってきます。彼も、本来は僕の部下なんかに収まる程度の能力ではありませんでした。といいますか、明確に僕の10倍くらい優秀でした。しかし、「面白そう」という理由だけで給料も安く何の保障もない弊社に飛び込んで来た彼の狂気は、僕にとって信頼に値しました。それは「合理的ではない」からです。彼の狂気こそが信頼の源泉でした。   創業メンバーに関しては、「狂っている」が一つの信頼ポイントなのは間違いないと思います。それが正しいかはともかく、僕にも出資者にも同じような判断が発生していました。「こいつの狂気は合理性や銭金では計れない」そう思われると、それが正しいかはともかくとして大きな信頼が発生するのは間違いないと思います。 条件2. 話が通じる、指揮系統を理解している 「条件1.」では「狂気」が重要であると述べましたが、完全に狂っている、具体的に言うと「日本語が通じない」「契約等の概念を理解できない」「会社としての命令系統を理解出来ない」みたいな人間はダメです。というのも、こういうタイプは横領などの小ざかしい真似はしないかもしれませんが、制御不能だからです。   会社である以上、トップが命令したならば従わねばならない、さもなければ会社を去るしかない。それが実感として一切理解出来ない人というのは存在します。創業メンバーとして信頼に足る「狂気」を持ち、また同時に高い実務能力を持っている。この条件を満たしたとしても、話が通じず指揮系統を理解しない人間は、かならず暴走します。   「起業」であるからには、創業主体が存在します。それは、多くの場合、代表取締役でしょう。オーナー社長か、あるいは出資を受けての創業かなど諸々条件面での差はあるでしょうが、会社のトップは必ず存在するはずです。(理論上は株を半々で持ち合ったり、同等の権限を持つ代表取締役を複数置くなども可能ですが、絶対にお勧めしません)   仮に平時は民主主義的な前提を採用するとしても、いざというときはトップの決断が会社の意思になる。これが会社組織の前提です。しかし、この前提が一切理解出来ない人というのは存在するのです。このタイプは、契約で縛ろうがどれほど説得しようが何をしても無駄です。   そして、社内の一定の権限と職務領域を占有した人間が暴走した場合に、損失を出さずにそれを抑える手段は現実的にほとんどありません。「クビにしたいけどクビに出来ない」のような状態が発生すれば、会社の主導権すら奪われます。   人間は「俺が社長なのだからいざとなれば命令すればいいだろう」のような甘い予断を持ってしまいがちで、僕も失敗しました。ある種の人間は、何をしようと指示に従いません。そういうタイプを要職に就けた時点で失敗は目に見えているのです。   逆に言えば、平時は闊達に意見を述べるがトップが決断したとなれば粛々と従う。そのような人材はまさに宝です。 条件3. トップを立てられる 優秀な部下が大活躍して、あなたの会社は躍進を遂げました。そういう時に起こりがちな問題が、「社長よりも部下の方が社内で発言力を持ってしまう」という状態です。これは、社長にとっても部下にとってもあまりよい状態ではありません。もちろん、会社を乗っ取るであるとかそういう目的がある場合は別かもしれませんが、過去にも書かせていただきましたとおり、この状態は社内紛争へ間違いなく直結します。   会社というのは民主主義的組織ではないのですが、人間というのはやはり民主主義を好みます。「みんなが好きな人がトップに立って欲しい」というのは、人の性でしょう。しかし、それが会社経営上恐れるべき事態だということは誰しも理解できると思います。そういう時に、トップを上手に立てられる部下が存在すれば、それはもう絶対に手放してはいけない人材だと思います。あなたの給料をゼロにしてでも雇い続けるべきでしょう。   社長が出資者と従業員の間を取り持つ存在であるように、経営幹部はトップと従業員の間を取り持つ存在です。しかし、この仕事が果たせる人間はそう多くありません。多くの会社がこの点で失敗し、功績ある幹部の粛清あるいは幹部による反乱という事態を招くのです。しかし、人間の自然な心理として「俺がこの会社を支えているんだ、俺は社長よりも優秀だ」というような気持ちは発生してしまいますし、それは時に事実です。   その感情を上手くコントロールし、トップに対して評価と褒章を求めつつも部下に対してはトップを立てる姿勢を忘れない。これこそ、究極の創業人材の条件だと思います。これ、従業員100人とかの会社をイメージされるかもしれませんが、現実を言うと5人も人間がいれば問答無用でこの力学は発生します。社内で一番偉い人選挙が自然発生した時点で手遅れなのです。社内デモクラシーの発生は破滅の足音です。民主化、ダメゼッタイ。   起業家というのは、究極的にはお金を調達してお金を何らかの形で使うことで利益を出す人のことだと思います。ビジネスプランは極論すれば買ってもいいですし、自分自身に能力がないなら人材を雇えばいい。これは真理です。   しかし、会社を統治する上で会社のトッププレイヤーが社長ではない、というのは大問題を起こします。人間は「一番仕事が出来る奴がトップであるべき」と極めて自然に考えます。その時に現実のトップを上手に立てて従業員との間を取り持ってくれる幹部がいれば、これより心強いことはありません。最高の部下と言えるでしょう。 まとめ   条件1. 小賢しく金を抜くような合理性を感じさせない狂気 条件2. 話が通じて指揮系統を理解している 条件3. トップを立てられる   と3つ並びましたが、この上に更にもう一つ言うまでもない条件があります。業務遂行能力です。これは言うまでもありませんよね。しかし、これら全ての条件を満たす人材を見つける難度を想像してみてください。僕はたった一人だけ、これらを満たす人材を確保しましたが、もう一回確保出来るとはとても思えません。   そもそも、この条件はわりと矛盾しています。狂気を持ちながら会社の仕組みを理解し合理的に振舞うというのはかなり厳しい要求です。ならば、この三つの条件を部分的に満たすかどうかで判断してもいいと思います。どれを優先するかは好みもありますが、個人的には条件2>条件3>条件1の順番だと思います。でも、「起業するならある種の狂気が重要だろう」と考えるのであれば、条件1を優先してもいいと思います。勢いのある会社になるでしょう。   「こいつは金を盗むようなことは無いだろうが、指揮系統の重要性は理解出来ない」「こいつはトップを立てることは出来るが、金を抜く可能性はある」というような、生臭くうんざりするような判断を、是非ともやっていってください。人を雇うというのはそういうことだと僕は思います。実際、創業時に人間を完全に監視するのは不可能なので、個人の性向を睨みながらリスクの所在を決め打ちするしかないだろうと思います。時にはそれも出来ないかもしれませんが…。   逆に言えば、経営者に愛され重用される人材というのがどういうものか、このお話から逆算できると思います。「手放せない人材」になれば、下手をすると会社の実権すら握ることが出来ます。それを狙って創業メンバーに入り込むという選択肢、僕は「アリ」だと思います。成功率もそれなりにあるでしょう。   そして、この極めて弱い社長の立場をよく理解して行動すれば、「手放せない人材」になることはそれほど難しいことではないと僕は思います。もちろん、会社にとって必須の業務遂行能力があることが前提ですが。会社の金が消滅し、部下の暴走と反乱が発生し、従業員たちにトップとしての資質を大いに疑われた僕が言いますが、それは「出来る」と思います。   さて、この人間と人間のグチャグチャに入り混じる「起業」ですが、非常に面白いものではあります。一回やれば非常に良い経験にはなります。あなたが起業家として参加するのか、それとも創業メンバーとして参加するのか、あるいは出資者として参加するのかわかりませんが、どの立場から挑むにせよ僕はあなたの成功を心から祈っています。   そして、願わくば出資者も社長も部下も誰も彼もが信頼しあい、わかりあえる最高の会社を作り上げて欲しいと思います。僕にはそれは出来ませんでしたが、あなたにそれが出来ないと言い切ることは誰にも出来ません。やっていってください。僕ももう少ししたらまたやっていきたいと思っています。     ...

ニューアキンドセンター様ではたくさんのコラムを書かせていただきましたので、皆さんもお気づきだと思います、僕は起業に向いていませんでした。それはもう、間違いないと思います。もちろん、ある部分では「向いていた」というところもゼロではないのでしょうが、トータルでは完全に向いていなかったと思います。   さて、そういった経験を踏まえて僕の独断と偏見による起業家適性チェックを考えてみました。しかし、もちろんこれで「向いていない」と出たからといって、あなたの起業が失敗するとは限りません。ただ、その面での心構えをしていないと僕と同じ失敗に嵌る可能性がそれなりにあるということです。   本質的に起業に向く人というのはわかりません。成功する起業家、それも中小企業の皆さんについて考えてみましたが、実にキャラクターはまちまちです。しかし、その中で「この傾向はあるぞ」と僕が感じたものを抜き出してみました。是非参考にしていただければと思います。 起業家適性チェック1 決断出来ない 悩ましい決断を前にした時、その場で止まってしまう人はまず間違いなく起業家に向かないと思います。起業家、あるいは経営者の仕事の第一はまず「決断すること」です。その結果がどうであれ、「決断する」ということそれ自体に価値があるのです。   経営上出会う悩ましい決断は大抵の場合、「正しい答え」の存在しない種類のものです。しかも、判断のために勘案すべき要素も無限に近くあります。しかし、最も恐ろしいのは起業家には「決断を放置する」という権利も存在します。   見てみぬふりをした問題はいつか巨大化し、あなたの経営に致命傷をもたらすでしょう。それが致命的なものであることに気づいてはいた、しかし決断の苦痛に負けて放置してしまった。僕は、これをやらかしました。   どんな決断を下そうとあなたは批判されます。トップというのはそういうものです。しかし、それでも尚その苦痛に向かっていけなければ、トップの資格はないでしょう。僕にはトップの資格がなかったということだと思います。 起業家適性チェック2 部下を処断出来ない 人間を罰するの、お好きですか?僕は大嫌いです。自分自身が欠損の多い人間ですので、誰かを責め立てたり処罰したりするのは本当に嫌いなことです。しかし、組織におけるマネジメントにおいて、それは往々にして致命傷をもたらします。   人間というのは2回やる生物です。「やらかしても許される」と感じた人間は、必ず同じ愚を繰り返します。「自分が許されたいから他人を許そう」という僕の考え方は、少なくとも経営者としては失格だったのだと思います。   「俺は許されるがおまえは許されない、当たり前だろ俺は社長だ」この傲慢さを振り回せることが、トップの一つの条件ではないかと僕は思います。僕にはそれが出来ませんでした。 起業家適性チェック3 みんなに良い顔をしたい 100の成果を出したAさん、5の成果を出したBさん。彼らの褒章が同一であれば、Aさんは必ずあなたの下を去ります。しかし、AさんにBさんの20倍の褒章を与えることは会社経営的にまず不可能でしょう。そう、その場合はBさんを冷遇することで、Aさんとの格差をつけるしかないのです。お金に限らず、裁量あるいは接し方なども含めてです。金が払えないなら金以外の何かを払うしかありません。   僕は、これが本当に嫌いです。一生懸命働いてくれた人にはその成果に関わらずありがたいという気持ちを持ちたい。そういう甘ったるさを抱えています。これは、ひいては僕が「一生懸命やったから評価して欲しい」という腑抜けであることを意味します。   しかし、Aさんの立場からはそれは許容できないでしょう。僕がAさんの立場でも退職すると思います。皆さんもそうではないでしょうか。みんなに愛されたい、好かれたい、という人間的な感情を処理出来ないとこの問題には対処できません。 起業家適性チェック4 現場とトップの立場の違いを示せない 経営トップというのは、経営上の「決断」という重責を抱えています。また、他にも資金繰りやマネジメントなど多くの業務を抱えるでしょう。しかし、その苦労は多くの場合、部下にはあまり伝わりません。わかってくれる部下がいれば、それは宝です。大抵の労働者は「経営者は働いていない」と思っています。   「俺も働いているんだ」というところを示すために、社長業を放り出して働いてしまう方は結構います。もちろん、人員が不足して社長自ら現場に飛び込む必要が出た時などは別ですが、その必然性に欠けるにも関わらず背負い込むべきではない労働を背負いこんでしまう社長は多くいます。   従業員と経営者は立場が違うのです。「仲間」ではないのです。従業員が「ウチの社長は怠けている」と感じていても、会社が上手く回っていればそれでいいのです。「わかってもらいたい」という感情は癌です。苦労をわかってもらうために更なる苦労を背負い込む必要は一切ありません。現場とトップは立場が違います、それは明確に示すべきなのです。   創業当初は仲間意識で会社が回るでしょう。しかし、組織が大きくなってくれば、それこそ3人になった時点でもうこの問題は発生します。労働者と経営者の立場の断絶を呑み込めないなら、経営者は向いていません。 起業家適性チェック5 強権を発動できない 部下に向かって「いいからやれ!」と叫ぶのが非常に苦手な方は多いのではないでしょうか。僕も完全にそのタイプで、部下が指示に対して不満を示すと「わかってもらうまで伝える」という判断をついついしてしまいます。これは時と場合によっては有益な判断になることもあるのですが、そうではないことももちろん多々あります。   「わかるまで伝える」というのは、相手が理解を向けてくれなかった時、致命的な断絶を生み出す行為ですし、また同時に部下に対して「不満があれば動かなくても良い」というメッセージを出してしまいます。   部下の意見を聞こう、自分が常に正しいとは限らないという自覚を持とうというのは、一般的には正しいことだと思います。しかし、指揮系統のトップに立ち命令する者にはそれだけでは回らなくなるときが必ず来ます。   現場からは巨大な不満が発生することを承知で「俺がトップだ!従え!」と叫べないのは、起業家としてあるいは経営者として致命的なウィークポイントになるでしょう。僕はなりました。人間を強権で従わせることは、非常に大きなストレスになります。しかし、それに耐えられないならトップは務まらないでしょう。 人間としての善さと経営者としての正しさは相反する さて、ここまで読んでわかっていただけたかと思うのですが、これらの「欠点」はある意味で人間としての美点でもあり得るものだと思います。1の「決断」はともかく、2~5は「部下に寛容で、成果の出ない者にも優しく、現場目線に立ち、強権ではなく話し合いを重視する」という解釈も出来ると思います。そういう経営者に僕もなれるものならなりたかったです。それで上手くいくのなら。   僕はわりと夢見がちな人間です。大して能力もないくせに、理想に燃えるところがあり、自分にも他人にも甘いです。そういう人間でも幸福になりたいというのは、僕の起業に向かうモチベーションそのものだったと思います。しかし、それが最大の癌となり僕の起業は失敗に終わりました。   善く生きたい、正しく生きたい、楽しく生きたい。既存の組織の中でそれが実現できないから起業をするのだ。そういう気持ちはとても理解できます。僕だってそうでした。しかし、その気持ちそれ自体が最大の弱みになってしまう、そういうこともあると思います。   この問題への処方箋は今のところ僕にはありません。どうしたらいいのかわかりません。それは、起業家一人ひとりが自分の適性や状況を見ながら考えていくことだと思います。あなたが素晴らしい答えを出してくれることを、心から祈っています。いつか、僕にこっそり教えてくれたらとても嬉しいです。   やっていきましょう。この設問によって「完全に起業に向いていない」と出た方こそ、もしかしたらその弱みを克服した時に本当に素晴らしい組織を作り出せるのかもしれない、という希望を僕は持っています。誰もが幸福になれる場所にあなたが辿り着けることを、僕は心から望んでいます。やっていきましょう。     ...

長く書かせていただいてきた「起業失敗」シリーズですが、まだまだ書きたいネタもある一方で、今回はちょっと目先の違う話をさせていただきます。「起業して良かったこと」について書いてみようというちょっと明るいコラムです。   さて、そういうわけで僕は起業に失敗しましたが、「起業したことを後悔しているか」と尋ねられると、「信じてもらえないと思うけど、していない」と答えます。もちろん、後悔はたくさんあります。出資者に大損をさせてしまったこと、協力者や従業員の期待に応えられなかったこと。その辺りは本当に慙愧の念に堪えないところです。また自分の判断のミス、あるいは甘さ。そういった点への後悔も尽きません。   しかし、その一方でかつて勤めていた職場を辞して「起業」という選択をしたことそのものに後悔があるかというと、自分でもちょっと驚くくらい「無い」のです。   僕はどうせあの職場には適応出来なかっただろうし、きっとどのような流れを踏んでも「起業」を一度はしていただろうと思うのです。そして、そこからは非常に多くのものを学ぶことが出来たと今では思っています。今日はそんなお話です。 学び1. もうブラック企業は怖くない 一度起業すると、ほぼ全ての人が「ブラック企業を怖がる理由はない」と感じるようになると思います。だって、自分で経営していたのですから相手の手の内は丸わかりです。いざとなったらどう逃げればいいかもすっかり理解しているでしょう。   創業当初の会社なんて、何をどうやってもかなり「ブラック」になります。そこから従業員を逃がさないように四苦八苦していた人間にとって「逃げる」なんて本当に簡単なことです。「体調が悪くて動けません」で逃げ切れる労働者の立場など、経営の重圧に比べれば楽園のように感じられるのではないでしょうか。   また、いかに「ブラック企業」といえど、所詮は「他人の会社」です。そこで何が起ころうと責任を取るのは経営者であり、従業員ではありません。それを理解しているだけで、仕事は恐ろしく楽になります。   起業を経験している以上、トップの重責に耐えながらの一日15時間労働くらいは当然に経験してきているでしょう。そこから「責任」という重圧が解除されたのです。これは、ちょっとすごいです。羽根が生えたように心も身体も軽い。「労働者は最高だ」という気持ちをじっくりと噛み締められます。   また、起業を経験していれば労働法規から裁判での戦い方まで大体は頭に入っていることが多いと思います。だって、こないだまで追い詰められる側でしたからね…。そういうわけで、いざという時の戦闘力もバッチリです。その気になれば、他の従業員を扇動して反乱を起こすことすら出来てしまうかもしれません。僕は正直、タイミングが合えば場合によってはやれると思う。だってやられたし…。 学び2. 自社との交渉がガンガン打てる 一度経営を経験すると、会社の経営状態や利益率などがかなり明確に見えてきます。また、「どの程度自分が重要なポジションにいて、自分が抜けるとどれくらいの困りが発生するのか」も見えやすくなってきます。これはどういうことかというと、経営者に対して給与や休暇など、雇用条件についての交渉がガンガン打てるということです。   もちろん「交渉」を打つためには交渉材料を手に入れなければいけませんが、経営を一度経験していれば、どのような材料が効果的に経営者を追い詰めるものなのかは痛いほど理解しているでしょう。なにせ、こないだまで追い詰められる側だったわけですからね。   上司も社長も最早怖くはありません。上からの叱責など、パンク寸前の資金繰りを切り回すあの恐怖に比べたら物の数ではないでしょう。経営者より労働者の方が強い。それを一番よく理解しているのは元経営者です。   僕も現在はガッシガシ交渉を打つサラリーマンです。歩合率、基本給、出勤時間、全て自分の都合の良いように変えていただきました。もちろん無理のないように、「それでも自分が在籍していた方が得ですよね」という形で。この辺りの間合い感は、一度「雇う」側に回らないとなかなかピンと来ないと思います。 学び3. クソ度胸が搭載される 怒鳴る上司、叫ぶ上司。いますよね。また、精神的に追い詰めにかかってくる上司もたくさんいると思います。でも、それって月末に従業員に払う給与が足りないよりは怖くないですよね。お金が払えなくて、「すいません、一ヶ月待ってください」と取引先に頼み込むあの恐怖に比べればなんということはありません。また、「上司の思惑」や「上司の上司」までもがイメージ出来るようになっているので、社内での立ち回りも当然洗練されています。   また、仕事中に全く指示もマニュアルもない判断事項が生じた時も、自信を持って判断できるようになっているでしょう。「このやり方が一番利益になる」という価値基盤が自分の中に揺るがず存在しているからです。もちろん、わからないことがあれば上司に判断を仰ぐのはとても重要なことですが、アドリブをするしかない局面では実に素早く上質なアドリブ業務が行えるでしょう。   何せ、何のマニュアルも業務規則も無い「起業」の世界にいたのですから。起業の世界は何もかも手探りが常だったはずです。そこに慣れてしまうと、たかが一社員としての業務判断なんて怖くもなんともありません。責任を取るのはつまるところ経営者です。 学び4. 給料のありがたみがわかる 起業を経て一般企業に再就職したときの一番の感動ポイントはここだと思います。少なくとも通勤さえしていれば、毎月一定の給与が出ることを疑わなくて良い。もう資金繰りに頭を悩ませなくていいのです。必ずお金は入ってくる、これほどありがたいことは他にありません。「給料」がいかに素晴らしいものか、じっくりと感じることが出来るでしょう。   実際、いかにストレスフルな会社の従業員でも、状態の悪い会社の社長よりストレスが大きいということはあまりありません。困るのは所詮自分だけだからです。(もちろん、社長の立場を知らなければこの世で一番苦しいと感じると思いますが)かつて熱湯のように感じたであろう状況がまるでぬるま湯のように感じられ、かつては大したありがたみを感じなかった「給料」が光り輝いて見えたのは本当に感動的な経験でした。   これは本当にモチベーションに影響します。一度起業をして、食うや食わずの生活をした元社長ほど「従業員」の立場を享受出来る存在はいないでしょう。最高です。 学び5. 営業に強くなる どのような会社であれ、社長が外部との折衝をほとんどしなくて済む形で起業出来ることは稀でしょう。一度トップに立ったなら、それは絶え間なく続く交渉の連続だったはずです。他社との交渉ももとより、従業員や役員がいたのであれば自社の内部の人間たちとの交渉も延々と続いたはずです。雇用条件から裁量、業務の進め方、事業方針など他人を納得させて動かすという経験は本当にたくさん積んだのではないでしょうか。   そのうえ、ここまで書いてきた通り「会社組織」というものへの理解が深まっているので、「商品の売り込み方」はかなりピンと来るはずです。更に、「失敗しても全部経営者の責任、他人のカンバンで好き勝手にやるだけ」とでも言うような開き直りも発生しているでしょう。   他人の会社の名刺、本当に最高ですよね。自分が大粗相をしても、責任を取るのは経営者です。これまで従業員の粗相の責任を取ってきた元社長さん、本当に気が楽ですよね。自社の「代表取締役」の肩書きで営業をした経験のある皆様、あの地獄に比べればね、本当に楽ですよ。   営業に飛びこんで門前払いされる、あるいは自分の営業トークが拙くて恥をかく。でも、その恥が直撃しているのは所詮経営者です。他人の名刺で恥をかいたところで、ビールでも一杯引っ掛ければ忘れるお話です。   そういう気持ちを持っていると、どんどん営業は楽な仕事になります。また、この辺はあんまり書けないですが法には反しないちょっとした「反則技」も結構思いつくと思います。適宜やっていきましょう。 学び6. 食うには困らない トータルで僕が言いたいのはこういうことです。起業に失敗した人は実はいっぱいいます。その辺にゴロゴロしています。しかし、一部の失敗を苦に命を絶ってしまった、あるいは人生を捨ててしまった人たちを除けば、他の「元社長」どもは大体しぶとく社会の中で生き残っています。中小企業にもぐりこんでいたり、あるいはフリーランスで仕事を取っていたり、生存の手法は様々ですが、一度「起業」と「経営」を経験すると、桁違いに「生き残る」力が付きます。   「経営者目線を持った従業員」のような表現があり、通常この言葉は「経営者に都合のいい従業員」という意味で使われます。しかし、一度起業と経営を経た人間が従業員になるとそれこそが真正の「経営者目線を持った従業員」になるのです。彼らは経営者をとても深く思いやることが出来ます。その結果、経営者の最も喜ぶこと、あるいは嫌がることを的確に実行することが可能になるのです。   実際、起業を経て僕の職務遂行能力はハネ上がりました。「その仕事はよくわからないけど、とにかく理解出来る範囲で理解して飛び込んで来ます。致命的な失敗だけはしないようにします」のような、「指示されなくても動ける人間」になれたと思います。これは、従業員の経験しかなかった頃には全く無かった感覚で、自分でも驚いています。教育機能の全く無い(ややブラック寄りの)中小企業が、信じられないほど居心地が良いのです。   また、お金や仕事の流れが見えるようになっているので「仕事拾い」がとても上手になりました。「この仕事、弊社に外注しませんか?」を合言葉にした提案営業で、仕事の合間に外注仕事を拾って稼ぐという荒業も出来るようになってしまいました。経営者時代のコネクションも、事業撤退直後の厳しい状態を抜けると少しずつ回復しつつあり、出来ることの範囲も再び広がり始めています。   「僕が年収1000万のサラリーマンに返り咲けることはおそらくないだろう、しかしその一方で『食えなくなる』ことも無いだろう」という安心感が最近は生まれつつあります。起業失敗を経て、僕は間違いなく強くなりました。周囲の「元社長」たちも大体似たような感じがします。彼らは「勝ち組」まで返り咲けはしなくても、タフに目ざとく社会を生き抜いています。 色々あったけど、僕はやっていっています 起業に失敗し、経営が破綻した時は正直なところ「死ぬしかない」と思いました。実際に会社経営をしている頃は果てしなく苦しかったです。しかし、それが過ぎ去って身一つになった時、思った以上に自分に力がついている実感がやってきました。それはどういうスキルなのかと尋ねられたら答えにくいのですが、「生きるスキル」に近いものだと思います。   日本において「起業」はリスキーな選択です。新卒で入ったレベルの会社には、おそらくもう復帰出来ないでしょうし、起業期間は場合によってはキャリアの空白に近い扱いを受けるでしょう。場合によっては借金や破産暦も残るでしょう。しかし、そこから得られるものは決して小さくないと僕は感じています。   特に、僕のような「そもそも会社組織に適応性がなかった」人間にとっては、それは本当に必要な能力だった気がします。「起業に失敗した結果サラリーマンが勤まるようになった」は我ながら苦笑いをしてしまいますが、間違いなく事実です。   だから、僕は「会社勤めはもうダメだ、起業する」という方を止めません。あなたが「もうダメだ」というならそれは「もうダメ」なんでしょう。逃げの起業でも構わないと思います。僕が起業を志した動機は「僕のための楽園を作りたい」でした。起業の成功失敗にたかが動機なんてものが大きな影響を与える筈もありません。そんなもの、本当になんだっていいと思います。   起業に失敗したって生きていれば万事オーケーだ、これは半分強がりですが半分は偽らざる本音です。もう、レールに乗り続けた人たちだけがたどり着く世界には戻れないかもしれませんが、我々には我々の生きるゴチャゴチャして猥雑でエネルギーに満ちた世界があります。   中小零細企業、フリーランス、自営業者、そういった一群の人々の織り成す群れの中で生きるスキルが身に付けば、大丈夫です。死にはしません。明日はやってきます。   思うところはたくさんあり、引っかかるところもたくさんあり、後悔も山ほど積もっているけれど僕はこう言い切ります。「起業して良かった」と。そして、この手の中に残ったものと身に付いたものを大事にしながら、また戦っていきます。   起業に失敗したらもう終わりだ、ということは全くありません。いつだって「次は上手くやるさ」と強がりながら、日々をやっていきましょう。そして、起業に打って出る皆さん、何もかも失ったと思っても、経験という大いなる財産はあなたから離れてはいきません。どれほど厳しい状況に陥っても、それだけは忘れないでください。   やっていきましょう!     ...

  皆さんは人間を信用出来ますか。   商売をやっていると「ひどい目」に遭わされることはわりとよくあります。信用していた人間から手酷い裏切りを受けることだってあるでしょう。一度は誰もが人間不信に陥ることだと思います。僕もそうなりました、何度となく「人間を信用してはいけないんだ…」と思いました。経験則だけで物を言えば、人間は必ず信用を裏切る生き物です。本当の意味で全幅の信頼を置ける人間なんてこの世には一人もいないと思います。   しかし、「俺は誰一人信用しない」と言い切れる経営者もおそらくこの世には一人もいないでしょう。「性善説」と「性悪説」のどちらの世界観を採用するかは個人の自由ですが、経営者が徹底した「性悪説」を前提に経営を行うのは非常に難しいことだからです。端的に言えば、それはコストの問題です。   お金の絡んだ対人関係の中で「信用する」「信用しない」の線をどう引くか。これは経営をやっていれば必ず突き当たる問題でしょう。今日はそういうことを考えてみたいと思います。 性悪説は無限のコストを要求する 実は経営者には「すれっからしの徹底した人間不信」みたいな人はあまり多くありません。少なくとも、トップに立つ人間がこの方針を採用しているのを僕は一度も見たことがありません。彼らは結構な頻度で「騙されて」いますし、懲りずにわりと何度も「騙され」ます。   経営を始めた当初は「あいつらは人間を疑うということを知らないのか?」という素朴な疑問を抱いていましたが、自分で店舗経営をするようになって疑問は氷解しました。「人間を疑う」ことを徹底すると、必要なコストは天井知らずになるのです。これはお金の面でのコストもそうですが、労力面でのコストもとんでもないことになります。   例えば、飲食店を経営して「絶対に従業員による横領が発生しない仕組みを作る」ことを考えてみてください。ちょっと考えると「不可能」もしくは「多少横領されることを前提にシステム組んだ方がマシでは?」という結論が出ると思います。結局のところ、帳簿を自分で握っていても現場の人間がお金を扱う以上、「横領」は防ぎきれないと考えた方が妥当です。実際、飲食店における横領は相当数発生しています。同業者でもうんざりするほど聞きました。多分、氷山の一角でしょう。露見していないものの方が多いと思います。   しかし、前述した通り現実的に性悪説は採用不可能です。最終的には「ここから先はコストの問題として従業員を信用するしかない」という線を引かざるを得ません。極論すれば、あなたのお店の従業員が全員グルになってあなたからお金を引っこ抜いている可能性は、常に否定しきれないのです。やろうと思えばそれはやれてしまうのです。それが今まさに起きている可能性は決して低くありません。   また、「横領」のような露見すれば即時犯罪になるようなことに限らず、他社への利益供与や出入り業者からのマージン抜きなどまで含めれば、人を雇ってしまった以上そういうことが起きるのは最早当たり前と考えるしかないことがわかってくると思います。徹底した「性悪説」を採用してこれを防ぐコストは、少なくとも中小零細企業には到底賄いきれないでしょう。おそらく、大手企業でも無理だと思います。世界というのは性悪説で回る仕組みにはなっていないのです。世界を回しているのは信用で、それは本当に救いの無い話です。 信用は常にギャンブルである 「信用できる従業員」というのは経営者にとって最大の宝です。これが存在しなければ、どんな事業も行うことは出来ないでしょう。どれほど優秀な経営者も分身の術は使えません。しかし、これはどこまでいっても一種のギャンブルです。「信用」とは「リスクを取ってコストを減らすこと」に他なりません。   しかし、起業初期ほどこの「ギャンブル」をする必要に迫られることでしょう。従業員を十分に疑うコストを払える形で起業出来る人なんて稀ですし、そんなことをしていれば事業展開のスピード感は著しく損なわれてしまいます。会社としての収益システムの完成度が低ければ低いほど、業務は属人的な性格が強くなり、そこには「委ねる」ことがどうしても必要になります。   人間は結構悪いことをしています。これは現在の営業職に勤めるようになって本当によくわかりました。上手い事やって会社に入る筈だったお金を自分のポケットに入れる人は残念ながらたくさんいます。しかし、別に他社の営業がそれを行っていても知ったことではない場合が多いので、こちらも犯罪になってしまうという形でなければそれを止める理由もありません。別に、取引が円満に成立するならいいよ、そっちの会社の内部事情なんて知らないよ。そうとしか言いようがない。   従業員による背信行為は当たり前のように起こるし、それを完全に防ぎきる手立ては存在しない。そういうところからどうするかを考えていくしかないのです。そして、それはあくまでもギャンブル。必勝法は存在しません。 リスクの存在を認識すること さて、ここまでのお話はかなり絶望的でした。「信用に値する人間は存在しない」「しかし信用するしかない」というのは、つまるところ起業の成功なんてものは所詮運だというお話になってしまうと思います。ある意味ではこれは否定しがたい真実でしょう。しかし、ギャンブルにだってコントロール可能な領域は存在します。努力の余地はゼロではありません。   「どこに幾ら賭けるか」だけはギャンブルにおいてもコントロール可能ですよね。従業員に裁量を委ねたとして、その従業員が悪意を持った場合、あるいは想定しえる最大の過失を起こした場合に発生する損失というのは、大まかには予測可能だと思います。「予測不能」という人が社内に存在する場合ですが、それは怖いですね。言うなれば、幾ら負けるかわからない勝負をしている状態です。   リスクがそこにあることさえ認識していれば、後は単なるリスクマネジメントの問題に過ぎません。時には、「この人間が背信行為を行った場合、致命的な事態が発生することは避けられない」という形で裁量を委ねなければならないこともあるでしょう。創業初期なんて大体がそんなものだと思います。しかし、そこにリスクがあると認識できているだけで話は全く別物になります。監視コストを重点的に振ることも出来るようになるでしょう。   トップが従業員の仕事に目を光らせるのは限界があります。この限界は、それほど遠い場所にはありません。ほんの少し事業が拡大すれば、トップにとっても経営上のブラックボックスが必ず出現してしまいます。「監視する仕事」を行う従業員を雇う、あるいは相互監視システムを敷くなどの解法もありますが、これだって完璧を期すことは不可能です。「監視する人間」だって疑う必要はあるのですから。監視する人を監視する人を監視する人を雇う話になりますね。 信用のポートフォリオ 「性悪説と性善説のどちらの立場が正しいか」みたいな議論は人類史上ずっと続いていると思いますが、僕はこれに関して一切の疑いなく「性悪説」が正解だと思います。しかし、それを踏まえたうえで「疑う」というコストを支払うのは限界があります。全ての従業員を一切信用しない社長は、間違いなく過労で死ぬでしょう。   ではどうするか。不確実性の高いものへの投資を行う際は基本的には分散するしかない、という原則があると思います。信用するということ自体がひとつの投資行動だと考えれば、配分はおのずから見えて来るでしょう。出来れば、創業メンバーの時点で「誰が致命的な背信行為を行っても、一人だけであれば何とかリカバー出来る」くらいの形を作れていれば理想ですね。創業メンバーが致命的に裏切った話なんてウンザリするほどありますから。   これはいわば信用のポートフォリオを組むということです。誰にどれだけ投資をするのか。そして、投資案件の一部が想定しえる最大の赤字を吐き出してもトータルでは耐えられる形を目指していく、これが重要なことだと思います。   長く仕事をしていると、「こいつが裏切るなんてあり得ない」という人間が出て来ることもあるでしょう。繰り返しになりますが信用出来るスタッフは、会社にとって最高の宝です。しかし、致命的な出来事は往々にして「本当に信用出来る人間」が起こします。そういうことは起こり得る、そういう心構えが本当に重要です。いざというときの心のダメージも最小限に済ませられます。   不信はコストフルで疲れます。信用は低コストかつ楽です。しかし、楽に流れれば損失の発生率が上昇し、かといって誰も信じなければ何も出来ません。この狭間で、投資をコントロールする。これが一番大事なことだと思います。そこには人間的な感情の入り込む余地はありません。狭間に立ち続けるのです。   今思うと、僕はこの辺が本当にハチャメチャでした。「腹を括って裁量を丸投げした結果上手くいった」という成功体験と、「裏切られた」という失敗体験がどちらもあります。リスクコントロールの観点を持っていなかったことには後悔しかありません。「こいつは信用出来る」「こいつは信用できない」といった直感的判断は、今になって振り返るとあまり正確とは言えませんでした。「こいつは信用出来る」は「この投資案件は絶対に儲かる」に近いものだと僕は思っています。   「人を見る目」に自信があるという方はこういうやり方を採用せず、「こいつは信用できる、こいつは信用できない」というやり方でもいいと思います。しかし、僕は本当に痛い目を見ましたので、絶対的な不信を持って信用と言う投資行動をコントロールすることをお勧めいたします。   起業に失敗した時に人間への憎しみが残るのはとても辛いことです。皆さまが悔いのないチャレンジが出来ることを、心からお祈りしています。 具体的なお話 さて、いつもならここで終わるのですが、今回は少し具体的なお話をさせていただきます。「裏切る」人間の類型についてです。これはあくまで僕の知る限りですが、「裏切る」人間には二種類います。「合理的に裏切る人間」と「まったく理解不能な人間」です。   「合理的に裏切る人間」を何とかする方策については、僕がグダグダ述べなくても、警戒心と余力さえあれば皆さん幾らでも思いつくでしょう。(それが実現可能かは別として)つまるところ、横領されないためには横領リスクを高くすればいい。他社にネタ持って逃げられないためには他社より待遇を良くすればいい。背信の合理性を発生させない、そういうことですね。   しかし、人間というのは必ずしも合理的に動いているわけではありません。「なんでそんなことをしたんだ」ということを、人間はやらかします。あなたの信頼しているあの人も、あなたの腹心のあの人も、やる時はやります。初めから行動の合理性を有していない人間も存在しますし、また何らかの事情で行動から合理性が失われてしまう人も存在します。   例えば、ヤミ金から身の丈に余る金を引っ張ってギャンブルで溶かした人間にはもう、人間としての判断力など残っていません。それはもう人間ではないのです。もっと卑近な例で言えば、トップであるあなたに強い憎しみを抱いた部下の行動からは往々にして合理性が消滅します。人間が、「俺はあいつにひどい目に遭わされたのだ、だから横領くらいして当然なのだ」と主張するのはよくある話です。   余談ですが、経営者には人間をわりと「肩書き」や「属性」で判断する人が多い傾向があると思うんですが、あれはおそらく切実な経験則なのです。幾度となく裏切られて来た人間が最後に辿りつくのは、「属性の悪い人間はやはりやらかす」であり「借金のある人間は信用できない」であり「社会的地位の無い人間は認めない」なのです。もっとも、零細企業の経営者に人を選ぶ余裕はないので、多少難がある人材も乗りこなさなければならないのですが…。   さて、端的に言えば、「仕事の出来るバカ」はクソ怖いということです。ナチュラルにバカなのも怖いし、何らかの事情で脳がバカになっているのもクソ怖いです。どれほど仕事が出来ようが、成果を出そうが「こいつは合理的かつ了解可能な行動原理を有していない」と判断できたら、絶対に重責につけないことが重要です。「合理的に裏切る奴」ならいざコトが起きてもなんとか交渉は成立します。しかし、バカには交渉が通じません。どこにも落としどころのない闘争の結果何もかもが破滅する。そういうことはよくあります。   「合理的に裏切られた」は経営者の実力不足です。しかし、「有能なバカにやらかされた」は信用の投資判断ミスです。結局、裁量を過大に与えていない限りは多少やらかしたところでたいしたことにはなりません。「有能なバカのやらかし」が巨大化するのは、結局のところ与えるべきでない人間に権限を与えたから。それだけです。通帳と銀行印をバカに預けたら、有り金持って行かれる可能性があるのは当たり前です。   繰り返しますが、「バカ」であることと「仕事の能力が無いこと」は必ずしもイコールではありません。凄まじく成果を出すバカも存在します。しかし、「話し合いが成立しない」「基本的な経営観念が共有できない」などの人間は、「解雇する」と腹を括って使いましょう。有能なバカほど恐ろしいものはないのです。そういう人間に過大な「信用」という投資を行ってはいけません。それはあまりにも分の悪いギャンブルです。   これは、会社のガワが小さければ小さいほど重要な判断です。大きくなれば人員の総数が増えて相対的に一人がやらかせる限度も小さくなりますが、社員数人であれば、たった一人の背信行為が簡単に経営を破綻させます。「仕事の出来るバカ」は逃げない程度に冷遇し、必要がなくなった瞬間に解雇しましょう。これは「周囲をイエスマンで固めろ」ということではありません。「判断の合理性を了解出来ない人間は切れ」という意味です。しかし、「バカ」を判別する自信がなければ、いっそイエスマンで固めてしまった方がまだマシだと思います。   実際、僕の周囲で「周囲をイエスマンで固めた社長」と「闊達な意見を部下に許す社長」ですが、僕と関わりを持つ程度の会社であれば前者の方が勝っている印象があります。もちろん母数が少ないので所詮は印象論ですが。少なくとも会社が小さいうちは、経営判断のクイックさが要求されるので、民主主義より独裁が有効な場合は多いと思います。これは非常にイヤな表現ですが、「理想に燃える若き起業家」が最も嫌悪するタイプの「中小企業の独裁者」は「正しく合理的な経営」を行っている可能性もあるのです。 判断から人間性を捨て去る トップの人間性というのは非常に重要な会社の資産です。「人間的に尊敬されている」という要素ひとつで勝っちゃう人も存在すると思います。しかし、経営判断に人間性は一切要りません。「人間性の欠如した経営判断を行っている」ということは可能ならば隠した方が良いのは間違いないですが、多少バレてしまっても経営判断に人間性を介入させるよりはよっぽどマシです。   「なんか帳簿に違和感があるけどあいつを疑うわけにはいかない」こういうことってよく起きますよね。疑ってください。その「疑いたくない」という嫌悪感こそが、あなたの人間性であり同時に弱みです。致命的な事態は往々にして水面下で進行しますが、それでも後から考えてみると「背ビレは見えていた」という場合が多いです。背後から迫り来るサメの背びれを不可視にするのは、あなたの人間性そのものです。サメに下半身を食いちぎられた僕が言うんだから間違いありません。   「全ての従業員は本質的に信用には値しない」「信用はリスクある投資」。こういった考え方に基づく判断はなるべく回避していくにせよ、心の奥底でこの決意を握り締めていて損はありません。倫理的で人間的であることは経営者の仕事ではないからです(ただし、倫理的で人間的であるように見せかけるのは経営者のとても大切な仕事です)。   人間は大体「正しくありたい」「善くありたい」という尽きざる欲求を持っています。これは僕もそうです。しかし、あなたが無借金のオーナー会社のトップでもない限り、あなたにとっての正義は「正しくあること」でも「善くあること」でもないはずです。あなたは人間である以前に経営者なのですから。僕にはこの決意があまりにも足りなかったと今では思います。   性悪説に立ち、あらゆる「信用」をリスクある投資と認識しましょう。また、明らかにリスクの高い「バカ」については厳重かつ冷徹なリスクマネジメントを徹底しましょう。(余談ですが「非常に高い能力があるのに職場を求めて市場を彷徨っている人間」は高確率で「バカ」です)どこが爆発しても全体が沈まない、上手な信用のポートフォリオを組みましょう。それは人間としてとても苦痛の伴うことですが、経営者にとっての「正義」であるはずです。   「あいつを疑いたくない」という場所で立ち止まっている経営者様、多分この文章を読まれている中にもいるのではないでしょうか。それを疑うのはとても苦しいものですが、それがあなたの仕事です。それは、あなたの下半身を食いちぎるサメの背びれかもしれません。人間性を殺し、経営者として悔いの残らない判断をしましょう。   経営者というのは「誰にどれだけ金を払うか」を常に考えている人種だと思いますが、もうひとつ「誰をどれだけ信用するか」という投資も存在しています。この二つが上手なら、経営が成功する確率はとても高いでしょう。それは純粋に技巧的な問題です。人間性を差し挟まない、あなたの考える合理性に貫かれた判断に徹してください。そうすれば、少なくとも僕よりは後悔が残らないと思います。   良い旅を祈ります。     ...

  日本においては、基本的にどれだけ借金を重ねても、あるいは100円のお金すら手元になくても、死ぬことはないということになっています。生存権が保障されていますので、事業に失敗したからといって死ぬ必要性はありませんよね。そういうことは、事業を興す皆さんなら大体ご存知なのではないでしょうか。   そして事業を興せる皆さんですから、その気になれば然るべき制度を利用して生存を確保することは、理屈や手続きの上では難しくはないでしょう。少なくとも、この文章を読んでいる皆さんならどんな制度を利用すれば生き延びられるかはご存知ですよね。(もし、「具体的には知らない」という方がいらっしゃったら、調べておくことを薦めます)   しかし、それにも関わらず経営者、あるいは事業主というのは「最悪の選択」をしばしば選んでしまいます。僕自身も、「いざとなったら生き延びる方法はいくらでもある」と頭ではわかっていたのですが、実際に事業の破綻と直面した時はまさしく死ぬかと思いました。本日はそのお話をさせていただこうと思います。 一番恐ろしい時期は、破綻の直後ではない 己の全てを賭けて興した事業が倒れる。これは本当に辛いことです。己の全てを否定されるに等しいことでしょう。   しかし、事業が破綻に向かって転げている坂道の途中や、あるいは破綻の直後というのはそれほど「最悪」ではありませんでした。やることがたくさんあり、逃げ出すことも出来ないので結局は忙殺されますし、やらなければならないことがあるうちは目の前のことに集中することで、致命的な精神状態に陥ることは回避できます。   事業が破綻しても、そこで終わりということには通常なりません。敗戦処理は必ず発生します。人、モノ、金、それら全てに何らかの形でケリをつける必要に迫られるでしょう。   僕の場合も事業の売却、従業員の解雇、借入金の清算、未払い金の処理、在庫の処分など様々な残務処理がありました。事業破綻の直後は創業直後並の忙しさになると思います。また、多くの人に非常にネガティブな状態で接することになるため常に張り詰めた緊張感を持って過ごすことになるでしょう。   しかし、それが逆に救いになります。忙しすぎれば、希死念慮に囚われている暇もありません。債権者に、従業員に、取引先に頭を下げて回っているうちはある意味楽でさえありました。まともに暮らすお金すらありませんでしたが、そんなことを気にしている暇さえなかった。自宅の家賃を滞納して管理会社に怒られる程度、なんとも思いませんでした。 何もかも終わった後に何もない自分が残る 僕が事業を破綻させたのはちょうど30歳を迎えた年でした。本当に最悪の形で30代に突入することになったわけです。   しかし、僕はある意味幸運でもありました。回っていた事業を売り、出資者に泣いてもらい、その他様々な生き恥を晒した結果、破産さえ回避出来ました。そういうわけで最終的に、30歳の鬱をこじらせた無職が一人残っただけです。   これは、転んだ起業家の顛末としては「僥倖(ぎょうこう)」と言う他ないレベルだと思います。もっと厳しい状況に陥った人はたくさんいるでしょう。しかし、それでもこのやるべきことが大方なくなったタイミングが一番の地獄でした。   僕はもともと「勤め人がやれない」という理由で起業したタイプです。いうなれば、「勤め人はやれないけれど、起業して事業を回す才覚が自分にはあるんだ」という自負を心の支えにして生きてきたのです。大した能力も才覚もないくせにプライドだけは高い人間でした。   これは未だに治っていない気もするのですが、そういうわけで事業の破綻を経て自分自身のアイデンティティが完全に失われた状態に陥ったわけです。勤め人もやれない、起業もしくじった。これからどう生きていくかなんてまったく考えられないという状態です。   また、迷惑をかけてしまった人たち、出資者、従業員、取引先への悔悟の念が一番強かったのもこの時期でした。あれほど大言壮語して人を巻き込んだ結果がこれなのだから、自分には生きている価値なんてひとつもないのではないかという思いに駆られました。これは不思議なことですが、今まさに責め立てられているときより、修羅場からやっと離れて落ち着いた時期が一番精神的に厳しかったです。 他人を見下した自分に見下される 起業が必ずしも成功しないことなんて、起業をする人間なら誰しもわかっていると思います。「事業が失敗した時に生き延びる方法」は、「事業が失敗しても生き延びられるように事業を行うこと」に尽きます。   しかし、現実的に言えば多くの経営者は借りられる限界までお金を借り、最後の一瞬まで事業にしがみついてしまうでしょう。十分にやり直しの効く早いタイミングで事業から撤退出来ればそれがベストなのは間違いないですが、それが出来る人は多くない。   全てを失わずに済む撤退の方法なんてそもそも存在しないということもよくあります。不退転の覚悟で挑む以外に選択肢がないことだってあるでしょう。それは仕方ないことだと思います。   しかし、冒頭に書いた通り究極的には日本に住んでいる日本人である限り、生存権は担保されています。であるなら、最終的に生存と最悪の結果を分けるのは本人の考え方に依ることになるでしょう。つまるところ僕は敗者を嘲笑う人間だったのです。   そして、敗者を嘲笑うことによって、自分は敗者ではないと確認することによってプライドを保つ下衆だったのです。しかし、自分自身が紛れもない敗者であると認めざるを得ない状況に陥った時、僕のこの性質は僕自身をどこまで追い詰める結果になりました。   かつて他人を嘲笑った分だけ自分を嘲笑うことになりました。かつて他人を見下した分だけ自分を見下すことになりました。かつて他人に「無能」の烙印を押した分だけ、自分を「無能」と定義せざるを得なくなりました。それはまさに自業自得そのものでした。   他人に「おまえは無能だ」といわれたなら「そんなことはない」と反論出来ます。しかし、自分自身がかつて他人を「無能」「無価値」と定義した以上、自分が同じ状況に陥った時には自分にもその評価を適用せざるを得ません。   これは言い訳ですが、人生経験の乏しい若者が起業し一時風向きの良さを味わうと、どうしても驕りと他者を見下す傲慢さは生まれてしまうものだと思います。しかし、一生を成功のうちに終えられるならともかく、失敗する可能性が少しでもあると感じているなら、この傲慢さは可能な限り小さくしておいた方が良いと思います。ゼロにするのは難しいと思いますが、小さければ小さいほどいざという時のダメージも最小限に抑えることができるでしょう。   また、他人に傲慢に接していた人間が転んだ時に周囲は本当に冷たくなります。僕も、周囲から人が消えていったときに、友人だと思っていた人間に相手にされなくなったときにそれを知りました。かつて叩いた大口は、最早単なる生き恥でしかありません。本当に「謙虚にやっておけばよかった」と心から思いました。 生きる価値に根拠はいらない つまるところ、こういうことです。事業に失敗しようが、何もかも失おうが、他人にどうしようもなく迷惑をかけようが、人間は生きていていいし、それは嘲笑われることでも見下されることでもないということなんです。   少なくとも、自分が生きていくために僕はこれからそうしようと決めました。これは倫理的なお話ではなく、純粋なリスク管理の観点からです。他人を見下し嘲笑うのはとても危険なことです。特に、起業家のような人生のアップダウンが激しい人種には尚更です。   全ての試みが成功する世界なんてあり得ません。一握りの成功者は、膨大な数の敗者の上に存在しています。もちろん、勝者を目指すのは当たり前のことですが、その一方で敗者であることは何も悪いことではない。挑んで負けた、そこに反省すべきことはあったとしても、恥じるべきことはひとつもない。そう考えることに僕は決めました。   是非、起業のようなリスクの高いチャレンジに向かう方は、この考え方を採用することをお勧めします。体感的には致死リスクが半分以下になると思います。少なくとも、「自分は起業して成功するのだ」というのを、自分の根源的な価値にするのはやめた方がいいでしょう。そんなものなくても、あなたは生存を肯定されるべきだし肯定するべきなのです。   本当に苦しいとき、致命的なところまで自分を追い詰めたのは他でもない自分自身でした。逆に言えば、これさえなければもっと早く精神状態を立て直して、新しい人生に向かっていくことが出来たと思います。希死念慮に取り付かれて腑抜けて暮らしたあの数ヶ月は、人生の無駄以外の何者でもありませんでした。皆さんは是非、この状態に陥らないように十全のマインドセットをして、起業に挑んでほしいと思います。 おまえが死んでも俺は一円も得しないんだよ それでは、最後に僕が地獄から這い出すきっかけとなった、僕の偉大なる出資者の言葉を置いておきます。   「おまえが死んだら俺の損失がナンボかでも埋まるなら死ぬのもいいが、おまえが死んだって俺は実際のところ1円も得しないだろう。ただの自己満足だろうが。責任を取るっていうのはそういうことじゃないだろ。腑抜けている暇があったら責任を取る方策を考えろ、次の画を描いて持って来い」   僕はまだ具体的に「次」を考えられる状態にはありませんが、それでもまた、次は転んでも今回のような惨状にならないように十分に状況を整えて、起業に挑みたいと思っています。残念ながら人生は続く、責任を取るには生きるしかない。出来ることをひとつずつやっていきたいと思っています。残念ながらどこまでも人生は続く。僕はまだ懲りてはいません。やっていきましょう。     ...

  奇跡の逆転勝利が自分にはあるはずだ、無いはずがない。自分はいつだって苦境を乗り切ってきた、これは乗り越えられる苦境のはずだ。   そういう気持ちはとても大事なものだと思います。石に噛り付いてでも耐え切る、この苦境をなんとしても乗り切る。そういう気概が人間を救うことはきっとあるのでしょう。世の中にはそれによって救われたという話がたくさん出回っています。   しかし、残念ながら世の中には乗り越えられない苦境も存在します。事業を成功させるには粘りと頑張りが必要なこともあるでしょうが、ダメなもんはダメです。ダメでした。   事業撤退の判断が遅すぎた。本当なら損失しなくていいお金をたくさん失ってしまった。後知恵ではあるのですが、「もうダメだ」と最初に感じたタイミングで事業を撤退させていれば、あと数百万円は損失を小さく出来ただろう。前回の事業経営の失敗について、僕はそう思っています。   撤退まで含めて失敗だったとしか言いようがありません。もっと上手な逃げ切り方がありえました。数百万は大金です。小規模な事業くらいなら興せてしまうお金です。それが、まったくの無為に失われてしまった。後悔は尽きません。 事業失敗を認めるのは恐ろしく難しい 事業が苦境に陥ると「もうだめだ」と「まだやれる」の間で絶え間なく思考は往復することになります。これは、非常に強いストレスで四六時中頭を悩ますことになるでしょう。そう遠からず起きるであろう資金ショートの恐怖、そして事業が苦しくなれば、必ずといっていいほど職場内外のトラブルも続発します。資金繰りとトラブル対応だけでどんどん時間が経過していくあの恐怖は本当に耐え難いものがあります。   その一方で、そのストレスの中で僕が本当に具体的に事業の行く末について考えられていたかといえば、甚だ疑問であるとしか言いようがありません。当時手元に残っていたカード、資金、人的リソース、それらをどう総合しても逆転の目なんかひとつもなかったと今になって思います。   最後の数ヶ月の苦闘は完全に無駄でした。苦しまずにさっさと白旗をあげて、損失を小さくするという「逃げ」の判断が間違いなく適切でした。でも、僕はその判断をつけるのに結局数ヶ月を要しましたし、勝ち目のない勝負をいくつか打ちました。それはもう自分を納得させるための儀式に近いものだったと思います。   でも、何の儲けにもならないことがわかりきっている儀式にお金を使う経営者なんてクソ以下です。ダメだと思ったら撤退、それ以外やることなんかありません。何かの間違いで、信じられないような幸運がやってきてすべてが解決する、そういうことは起こらないとは言い切れませんが、出資者の金を消尽しながら期待していいことでもありません。 撤退ラインを定めていないのは論外だった これは非常に卑近な話で恐縮ですが、例えば株式投資やFXで、あるいはギャンブルで損失を、あるいは負けを完全にコントロールすることが自在に出来る人というのはどれくらいいるでしょうか。ほとんどいないと思います。増して、自分の身の丈を超えた資金で勝負している人間が、事業経営を行いながら適切なタイミングで撤退を決断できるでしょうか。これは、ほとんど不可能と言わざるを得ないのではないでしょうか。   いうなれば、事業が左前になってから撤退のタイミングを計っているのがそもそも論外だったのです。撤退ラインは損失が発生する前に設定しておくしかない。自己の外部にルールを設定しておかなければ、結局人間はそれを誤るというお話は真理だと思います。これは、経営に関してもまったく同じでした。   本来、「何に幾らの資金を投下するか」は数少ない経営上コントロール可能な領域です。毎月の固定費もあるいは設備投資も仕入れも、計画して実行することが出来るものです。ならば、事業に投下できる資金の限界だって定められるはずです。   「このラインを越えたら撤退」という判断は、危機に直面していないフラットな状態であれば、かなり明確に定められると思います。定めておきましょう。もちろん、この事業が失敗したら自分の人生は終わりだという覚悟で挑むなら定めなくていいと思いますが、そこまでの悲壮な覚悟で創業する人もそれほど多くは無いと思います。   ポジティブな決断は、ポジティブな状況下でも出来ます。事業が好調の時にさらに事業を拡大する判断をするのは問題ありません。それは、事業の状況を鑑みながらの決断になるのでむしろ精度を増すでしょう。攻めるべきときに攻めるのはとても大事なことです。   しかし、概してネガティブな決断をネガティブな状況下で行うのはとても難しいことです。莫大な損失を伴う撤退の判断を莫大な損失を抱えた状態で行うのは、限りなく不可能に近い。引くべき時に引くのは、リアルタイムの状況からの判断ではとても難しいのです。「引くべき時」は予め定めておく必要があります。   また、「事業撤退」の判断は概して民主主義的に決断するのは不可能です。会社の苦境においてトップ以外が「事業撤退」を決断するのはほとんど不可能だからです。「みんなの意見」を総合すれば「もう少し頑張ろう」になるのは当たり前です。その決断は最終的な経営責任を負うトップがするしかないのです。もう少し、もう少しと何のビジョンもないまま損失を膨らましていくのは明確に間違った判断です。 有能な経営者であるために、無能な元経営者からお伝えしたいこと 起業に100%の成功を見込むことは不可能です。究極的なところを言えば「失敗したら撤退するのも織り込み済み」であるのが理想です。しかし、多くの人が資金と労力を費やしたわが子のような事業をそう簡単に切り捨てることは出来ないでしょう。あるいは、切り捨てても最後の最後まで意地を張り通しても最早結果は同じだ、という状況に陥ってしまうこともありえるでしょう。   しかし、その損失に意味があるのかについては考える必要があります。少なくとも、自分を納得させるための数百万円を投じた儀式をやる必要が僕にあったかといえば、あるはずがなかった。それは自分があまりにも無能であったために発生した損失であり、言い訳の余地などひとつもないとしか思えません。   自分が「どこで引くか」は常に考えておく必要があります。もちろん、「撤退」のタイミングは経営者のおかれた状況や周囲の状況にも左右されるでしょう。「命さえ残ればそれでいい」かもしれませんし、「再起の可能性を残したい」でもいいでしょう。あるいは、「次の事業を模索できる程度の資金は残す」でもいいかもしれません。   しかし、撤退のタイミングを明確に定められるチャンスは、創業前あるいは創業初期にしかありません。それを越えると、最早冷静な判断は不可能になります。なるべく早い時期に、可能な限り残酷な想像に耐えておくのはとても大事なことです。出来れば、紙に書いて記録しておくなどが良いと思います。   そして、最後に現在事業が苦境にある方に心からお伝えします。自分が最終防衛ラインを突き抜けてしまっているのか、それともまだ逆転に向かって苦しむ価値がある場所にいるのか、一度冷静に考えてみてください。「いまさらここまできて引っ込みがつかない」というような感覚もあるでしょうが、それでも無駄な損失を出すことは経営者の仕事ではありません。   2000万の損失を出した後に、200万を残すために撤退するのはとても難しいことです。大抵自分の懐に残るわけでもないでしょうし、最後の1円まで突っ込んでやれという感覚は本当に理解できます。しかしそこで、極めて非人間的かつ合理的な判断をするのが有能な経営者ではないでしょうか。   無駄な損失を重ねた僕が無能な経営者であったことは論を待ちません。本当に反省しています。是非、皆様には正しい決断をして欲しいと心から願っています。玉砕は最も経営的に間違った判断であり、最悪の決断だと心から思っています。   撤退のタイミングは、あなたが創業の時に、あるいは事業がまだ好調だったころの冷静な頭で設定したラインです。どうか、そこで退いてください。撤退戦もまた、経営者の仕事です。あなたの事業が失敗に終わったとしても、「撤退のタイミングは完璧だった」と言い切れるのであれば、僕はあなたを心から尊敬します。   そして、何度だって立ち上がってやりましょう。残念ながら人生はまだ続きます。やっていきましょう。     ...

  会社に行きたくない。そういう感情は従業員の特権ではありません。もう嫌だ、職場に行きたくない、従業員に会いたくない。そういう状況に陥る社長というのは結構いっぱいいて、僕の周囲にもいました。もちろん末期の僕もそうでした。   状況が悪くなると、本当に会社というのは行きたくないものです。せめて上司がいれば上司のせいにできるのに、そんな気持ちになったことは正直に言ってあります。   ここで、「とにかく従業員が全部悪い」という考え方を採用し、精神を守るライフハックを敢行する社長もわりといます。あなたも見たことがあるのではないでしょうか。これはこれで結構有益なライフハックではあるのです。「従業員が成果を出さない」時、「従業員が俺を嫌う」時、本当に悪いのは誰かというお話になれば「経営者である」という結論が出ることは揺らぎません、この点から全力で目を逸らせる人はこのハックを採用されてもいいと思います。   しかし、そこからは目を逸らせない。つまるところ会社で何が起きようと、責任は自分にあると認める人ほど、出社拒否に陥りやすいと思います。従業員から飛んでくる言葉にも律儀に応対してしまうでしょうし、精神的な負荷も大きくなる。俺が一番エラいんだ、という立場から怒鳴り散らして全てを解決するハックを選べない皆さんにこの文章を贈ります。 別に会社の人間関係は良好じゃなくていい 会社は何をするところか、といえば仕事をするところです。その目的は会社としては利益を出すことですし、従業員としては給与を受け取ることです。円満な人間関係や楽しいリクリエーションをやるところではありません。つまるところ、会社として上手く回っていればそれでいい、という強力な割り切りは早期に身に着けておいて損はありません。   従業員というのは、もちろん人によりますが様々なことを要求してきます。「皆が楽しい職場にしろ」と言ってみたり、あるいは「個人の領域に介入しないで仕事だけさせろ」と言ってきたりもします。実際、会社内がまるで部活みたいな雰囲気に包まれていることを好む従業員というのも案外存在します。研修合宿大好きなブラック企業を支えているのはこういう従業員でしょう。アットホームな職場が好きな人は多いです。(僕は大嫌いですが・・・。)   あなたが、「人間関係はまるでダメだが会社の事業は上手くいっている」という状況にあるなら、それは極めつけの幸運です。その状況で事業が回るに越したことはないからです。考えても見てください、高度にくみ上げられた利害関係ではなく人間的な連帯に基づいたチームワークで回っている会社って、信用できませんよ。そんなもん、崩れるときには跡形もなくグッチャグチャになるのは皆さんだって見てきたでしょう。   「従業員と上手くやれていない」と愚痴る社長は結構います。しかし、「従業員と上手くやれている」という状況は、投下した資本に見合った利益が出ているということ以外ではありません。最高のチームワークと良好な人間関係があっても、利益が出ていなければそれまでなのです。つまるところ、悩みどころはそこではないということです。「従業員同士がモメ始めた」みたいな場合は別ですが、社長と従業員の間の人間的な関係が上手くいっていないにもかかわらず、事業はちゃんと回っている。これは理想に近いです。そのままいきましょう。ストレスを感じる理由はありません。   経営者は従業員に際限なく要求をするものだということは周知の事実ですが、従業員もそれが出来る状況であれば経営者に際限なく要求する存在であるということはあまり知られていません。これの発生を早期に抑止することはとても重要です。そういう意味で、ここはもう早めにザクっと割り切って「そのストレスは感じるだけムダ」と思い切った方がいいです。   わかりますよ、仲間と楽しく仕事。したいですよね。でも、残念ながら経営者と従業員というのは仕組み上、まず「仲間」にはなれないことが運命付けられています。そこは早めに諦めといた方がいいと思います。たまに、経営者の置かれた状況を理解し「仲間」としての振る舞いが出来る従業員もいますが、それは恐ろしく有能か、あるいは危険因子です。気をつけて接しましょう。 社長は出勤しなくてもいい こんな社長がいます。昼はゴルフ、夜は酒。いい車に乗って社交三昧。そんな人です。彼は従業員からは「ハゲダヌキ」と呼ばれ、大変に嫌われています。たまにやる仕事は職場に出向いて、極めて低確率で誰かを賞賛するか、あるいは極めて高い確率で誰かを罵倒するかです。見事な太鼓腹、貧しい毛髪、高級なスーツ、常に従業員を見下す言い回し、黒塗りの車など「嫌われる金持ち」の要素の集合体みたいな人です。   しかし、彼の会社は儲かっています。僕は彼の会社と取引があったので、彼の職場についていったことがあるのですが、従業員が公然と社長の愚痴を述べるほどに社長は嫌われていました。   僕はこの人に強い関心を持ちました。「何でこの人これで儲かるんだ」と。そういうわけで、僕はこういう人に「僕はあなたすごいと思うんです」みたいな敬意を見せてお酒を奢ってもらうのが特技ですので、一杯奢ってもらった結果飛び出してきたのが、前の章で書いたような内容でした。   「社長は現場に出なくていい」「社長が嫌われて会社がまとまるならそれがベスト」など、彼の経営哲学はここでは到底語りきれないのですが、社長いわくかつては現場に出ていて、決断とともに退いたそうです。ある意味で、会社で一番の「悪」は常に社長なのです。彼を「悪」として会社はまとまっている。そして、社長は社長で資金繰りや人脈構築、あるいは現場から距離をとった経営判断などに専念している。なるほどなぁ、と思いました。   僕自身も、「嫌われ者」になる判断が出来ればもっと違う結果があったのかもしれません。この社長の経営規模は数十人の従業員を抱えるサイズですが、5人従業員がいたらこの形は作れると思います。「良い人間」「従業員に愛される人間」が「良い社長」とは限りません。社長とは結果的に利益を出してればそれでいいのです。「会社に出勤しない」すら肯定され得るのです、そしてそれが利をもたらすこともあるということは覚えておいて損はありません。   会社に出たくないが毎日出て、失望とともに帰宅している社員数人規模以上の会社の経営者様は、もし状況が許すなら「極力会社に出ない」という選択肢とそこに向かう道のりを検討してみてください。もしかして、それ、「従業員と上手くやる」よりずっと現実的だったりしませんか? 苦境における会社の人間関係ストレスは感じるだけ無駄 さて、最後のケースです。事業は上手くいっていない、その状況下で会社に発生するネガティブな人間関係が社長の巨大なストレスになっているパターンです。この場合、「一緒に頑張ろうぜ!」「俺はもっと頑張るからおまえも頑張ってくれ!」などのアピールをしたくなるでしょうが、これをやると健康を損なうどころか最悪のケースになりかねません。   人間というのは、落ち目の人間がどれだけ頑張っていてもそうそう認めてくれないものです。そして、経営者とは実にしばしば極めてカジュアルに、最悪のケースに向かっていく生物です。(そういう習性なんでしょうね・・・。)   稀に「社長は身を削って頑張っているからついていったよ」みたいなケースもありますが、社長は死ぬほど頑張っていたけど従業員には一切認められていないというケースはもっとあります。これはもうしょうがない。あなただって、結果を出さない下請けが「頑張って」いても契約切るでしょう。   従業員と経営者は契約関係にあるのですから、そこはそうなのです。将来的に給与が上がる見込みもなく、会社の存続すら危ういというときに「社長が頑張っているから」でついてきてくれる有能な人材はあまりいません。   では、そんな時どうするか。とにかく事業を回す、あるいは立て直すことに専念しましょう。「人間関係がよくなれば事業はよくなる」はおそらくですが、幻想です。因果が逆です。事業が悪いから人間関係も悪くなっているのです。   事業が好調に推移しているなら、この文章でここまで書いてきた「人間関係を放棄しても仕事は回す」が選べますから。そこを目指してなんとかやっていきましょう。「苦境の会社を立て直す方法」は僕にはわかりませんが、「苦境において会社の人間関係を良好化する方法」はもっとわかりません。それが出来るなら、それ専業にした方が儲かるのでは。   従業員に「辞める」という決断をさせない程度の距離をとり、仕事をさせるということに意識を集中しましょう。そこにあるのは契約関係です。人間関係ではないのです。「俺がいると仕事が上手くいかない」はあり得ることです。それを認めて退くのも、経営判断としてはアリです。また、従業員に業務命令を下すのに従業員の同意などは特段必要とされないということも覚えておいて損はありません。「やれ」でいいのです。   ただ、ここで「昔の社長はもっと話を聞いてくれた」みたいな感情が従業員に発生すると事態はもっと悪くなります。だったら、最初から独断専行のワンマン社長をやっていた方がよかったという話にもなります。最初から「意見は聞くが決断は経営者の仕事」という意思を経営に透徹しておいた方がよっぽど楽なのです。   そして、これは経験から来るものですが、危機対応において「チームワーク」や「民主制」は毒です。あれは判断が遅すぎるし、複数の意見の中間を取った平均的なものになりやすい。そこは腹をくくって「俺の命令を聞け」でいいのです。   「やれ」「決断するのは俺だ」「おまえの仕事は経営ではない」の発声練習をしましょう。これが意外とスルっと出てきません。現場から上がってきた声を踏み潰せなくては社長など務まるわけがないのです。危機に於いて人間関係ストレスを感じるのは完全に無駄です。   そこで苦しみを感じていたから僕は無能だった、本当にそう感じています。ただ、これはあくまで「現場の声をシャットダウンする」という意味ではありません。情報は取る必要があります。しかし、経営判断は全て経営者が握っているという前提を絶対にぶらさないことが重要です。これがブレると最悪反乱まであります。(ありました。ありました。)   「従業員と和気藹々とお互いを尊重しながら楽しく仕事」これが理想であるのは間違いありません。しかし、それは儲かってからでいいのです。それまでは、従業員は単なる駒でいいのです。また、従業員もイザというときに「駒」以上の働きをさせられることなど御免蒙るのです。僕だってイヤです、だったらもっと給料と裁量くれよという話です。 会社で人間関係を上手くやることは不要ではないか このお話は「出社拒否したくなったときに出社できる状況を作るノウハウ」は一つも含まれていません。しかし、「出社しない」は究極的にアリで、「人間関係を上手くやる」そういったものは、そもそも不要ではないかという提案です。   人間関係ではなく、適切に指示を飛ばすマシーンであればいいのです。従業員が動き、利益が出ればそれでいいのです。そこに向かっていくという意思を持てば、「人間関係で悩む」ことは少なくとも減ると思います。   人間と人間が上手くやっていくのはとても難しいことです。本当にそれは難しい。しかし、考えてみてください。「人間関係が良好である」というのは、会社が上手く回ることの必須条件では全くありません。蛇蝎のごとく嫌われる社長だって、儲かっていれば正しいのです。   結果に向かう過程を、目的に対する手段を選ぶ余地が大きいというのが数少ない経営者の特権です。何でもアリです。「人間関係に悩むのなんかやめちまえ」、「会社経営に悩め」というのは、結果的に救いになるのではないでしょうか。   わかりますよ。みんなに好かれたいです。みんなに愛されたいです。チヤホヤされたいです。   でも、それは「儲ける」ための手段に過ぎません。僕はこの部分を本当に見誤っていました。もちろん、その前提を踏まえたうえで「家族や友人のような関係を社員と構築する」という選択肢もあると思います。しかし、この前提は揺らがない。そこにあるのは人間関係ではなく、契約関係ですし労使関係です。そこを忘れないのが、従業員に会いたくない日の特効薬だと思います。   余談ですが、この考え方を透徹した場合、社員同士が敵対を始めるなどした場合もあっさり結論が出ます。「利益になる方を尊重し、利益にならない方を切る」という絶対の判断基準がありますから。良い人間である前に良い経営者であろう、そういう考え方は、救いになりえると思います。良い人間であることはあなたの仕事ではありません。そこは放棄していいんです。負荷に押しつぶされないよう、やっていきましょう。     ...

  人間は争います。全ての人間が分かり合えるなんてことは、到底ありえません。だからこそ、僕は「ニューアキンドセンター」で書かせていただいた文章で「争いが起こらない仕組みづくり」を繰り返し述べて来ました。   基本的に、社内戦争が一度起きてしまった場合事態は致命的です。人間同士の「お金」と「意地」と「生活」と「信念」をかけた争いが、話し合いで円満に解決するなんてことはほとんどありません。   裏切り者の出ない組織を作ろう、離反や対立が起こらない利害関係の調節を行おう。これは前提です。しかし、それを必死で行った上でも時に「戦争」は起きてしまうだろうと僕は思います。このままでは会社が割れる。あるいは事業が継続できなくなる、それだけの回復不能な対立が社内に生まれてしまった。そういう時にどうすればいいかということを、僕の失敗経験から考えていこうと思います。   尚、創業時における持ち株のバランスで事態がグチャグチャになるケース、例えば50%ずつの持ち株二人で創業した、あるいは複数人が出資し、誰も株式の過半数を有していない、みたいな状況についてはこの話では触れません。それは創業するときに当たり前に考えておくべきことです。   ここでは、「原理的には問題のある人間を解任・解雇をすることは可能だが、経営上の問題でその解決策が選べない」という場合について話をさせてもらおうと思います。対立の具体例については、こちらのエントリも是非ご参照していただければと思います。   >> 英雄頼りの「会社経営」から抜け出す理由。兎を獲ったら犬を煮る話。 ...

  世の中には色々な商売があり、悩みもまたそれぞれだと思いますが、シンプルに「客が来ない」という悩みはありますよね。これが例えば、仕事を自分で動いて取りに行けるような業種なら「営業しよう・・・」ということにもなるのですが、店舗を構えて待ちをベースにしているとそれもなかなか出来ません。特に飲食店などは、創業当初など客足も全く安定せず、地獄のような多忙と更なる地獄のような暇さを同時に味わうことになりがちです。   こういう時に何をすればいいのかについて、僕にはわかりません。しかし、何をしてはいけないのかについては大体分かった気がします。今回は飲食店をベースに考えますのでそちらの話が多いですが、他の業種にも通底するお話だと思います。何せ、僕がこの間までもがいていた地獄のお話ですので、鮮度はバッチリです。 うまくいかない時、従業員に発破をかける 僕も飲食業の個人店でアルバイトをしていたことは結構あります。基本的に接客業には向かない人間なのですが、料理にも酒にも興味があったのでカウンターにも厨房にもそれなりに立って来ました。その中で、個人経営店のオーナーがやることの中でも最悪と感じたのがこちらになります。   客が来ないとアルバイトは暇を持て余します。それを見てイライラする気持ちは痛いほどにわかります。しかし、「仕事が無いなら探せ!」程度ならまだしも、「現状打破のアイディアの一つも出さねえのかテメーは、友人の一人にでも電話入れて呼べよ!」と怒られた時には、「ああ、これはもう末期的だなぁ・・・」という気持ちになりました。   「とりあえず従業員を絞り上げる」は実のところを言うと、経営者の選択肢としてはそれなりに有力です。現場の空気が緩んでいて生産性が上がっていない時などは、とりあえずこれをやってみるのは一つの手でしょう。一般的にこういうことを公言すると怒られますが、最後の一滴まで胡麻から油を搾るのは大事な仕事です。   しかし、「そもそも客が来ない」時にとりあえず従業員を怒鳴りつけるのは本当に意味のない行動です。それでも、飲食店に限らず経営が上手くいっていない経営者は大体これをやってしまいます。   僕は「部下は大体僕より有能」という状態で経営をしていたので、あまり機会に恵まれませんでしたが。きっと状況が揃えば僕だってやってしまったんだと思います。それくらいありふれた話です。そして、これが発動したお店が長く生き残るのを僕は見たことがありません。   「現状打破のアイディアを出せ」みたいな抽象的な指示を理解して自ら行動してくれる部下がいるとしたら、それは本当に得難い宝です。しかし、一般的な従業員がこういうものだとは思わない方が良いと思います。ましてや、「客が来ない」という状況下で高圧的に出された指示を実行する従業員なんてまずいません。   客が来ない、日々経営が悪化していく状況下で、すさまじいストレスを感じていることはわかります。しかし、そのストレスを従業員にぶつけても事態は悪化しかしません。それだけ暇なのにその従業員を雇っているということは、業務継続に最低限必要な人員なんですよね。その方に逃げられたら、また求人費用と教育費用がかかるだけです。   とにかく、「従業員に無駄なストレスをかけない」を徹底した方が良いでしょう。というのも、業務が暇ということは部下とあなたは気詰まりな時間をどうしても長く共有することになってしまいます。創業期の不安定な時期に人員的不安定という更なる悩みの種を呼び込むのは本当に避けましょう。これは、本当に意識していないと出来ないことだと思います。あのストレスの中で正気でいるのは本当に難しい。 うまくいかない時、別の儲け話を探す お金に困っていると突然降ってくるタイプの儲け話というものは存在します。といいますか、本業が上手く回らず他の儲け話を探している人間についてちょっと想像してみてください。「これより嵌め込みやすいカモはいない」って誰でも思いますよね。これは必ずしも詐欺とは限りません。合法的な範囲で致命的な結果をもたらす取引なんてゴマンとあります。そして、商売が上手く回っていないと認知されるということは、この手の皆さんにターゲットとして認識されるということです。   商売を始めてみるとわかりますが、商売人同士の間では常になんとも形容しがたい儲け話が流通しています。それは、ちょっと見には非常に魅力的なものだったり、あるいは本当に大ネタだったりします。酒場でふと拾ったネタからガッチリ儲けが出た経験だって結構な割合の人にはあると思います。僕もあります。   しかし、商売が左前になってくると、この回ってくる話のリスク度合いが一気に跳ね上がります。まぁ、そりゃそうですよね。絶好調の人間を口説こうと思ったらそれなりにオイシイ話をしなければなりませんが、進退窮まっている人に持っていく話をそれほど厳選する必要もありません。ちなみにこの先には「話すら来なくなる」「来る話は大体法に触れる」というフェーズもありますが、まぁこの話はいいですよね・・・。   商売人の性質として、一つの事業がヤバくなるとそれを立て直すより「なんか別のことをやるか」という方向に行きがちです。往々にして、赤字を吐き出している事業を整理しないまま他のことをやろうとする人が多いです。実際このパターンでホームランを打つ人も意外といるので、否定しにくいところはあるんですが。それでも、強運と実力を併せ持った一つまみの人以外は、傷口を致命的に広げることになります。   「ツキがないときは何をやってもダメ」は、商売に関しては純粋に構造的な真理だと思います。上手くいっていない人間に上手い話は来ないのです。しかも、上手くいっていない人間は判断力も鈍っています。逆転ホームランを打つしかないと目が血走った人間が正常な判断を下せるでしょうか。   しかし、この話には更に辛いオチがあります。負け勝負を取り返そうと思ったら、どこかで恐怖を振り切って勝負に出るしかない、それも劣悪な選択肢の中から往く道を選ぶしかない。これもまた真理です。このとき、どういう判断を下すかは個人個人が人生を賭けて勝負するところなので、何も言えません。良い旅を祈ります。 うまくいかない時、めんどくさい人間になる 商売が上手くいっていない人間には二種類います。 異常に人前に出てくるか、人前にほとんど出てこなくなるかのどちらかです。ちなみに、僕は後者でした。だってねぇ・・・。ちなみに、このいずれも非常にダメだと思います。   理想論を言えば、どれほど商売が上手くいっても驕らず、上手くいっていなくても卑屈にならない。これが理想です。こんなの誰だってわかりますよね、そりゃそうでしょう。驕るのは論外ですし、卑屈になり過ぎればその分足元を見られるだけです。ハッタリも効かなくなります。   実際のところ、自分が完全にコケてから皆様に挨拶に行くなどしてわかったのですが、商売人は案外やさしいです。「商売が上手くいかない」みたいな苦悩を彼らは大体わかってくれます。コケて初めて「俺も2回コカしたよ」みたいな話をしてくれた経営者がたくさんいました。   だから、変に突っ張る必要も逆に卑屈になる必要もあまりなかったんですね。自分の手持ち資金や腕力を正確に把握し、ちょっとだけ大きく見せようとする。これだけで十分だったはずです。「仕事が来ないなら人脈増やすぞウォォー!!!!」みたいなテンションで夜の街を漂流する経営者は多いです。しかし、これは正直なところ「上手く行ってる人が多忙な時間を割いてやる」なら効果的だと思いますが、酒場で「コミュニケーション!」と叫んでいるおっさんは、あまり相手にしたくないですよね。特に儲かっていない人の場合は・・・。みんな敵を作りたくないのでにこやかに接してはくれますが・・・。   飲食界隈でも「客が来ないなら飲みに行け」という格言があり、これを実行されている方もちょいちょいお見受けしましたが、正直言って3回来てくれた辺りで義務的に「そろそろ行かなければダメか・・・」という心理が発生する程度です。プラスにはなりません。「オススメの店」としてお客様を紹介するにしても、自分の商売のカンバンを賭けてご紹介出来るお店に限ります。お客様にお店を紹介するのは結構怖いのです、「いや・・・好みではなかったかな・・・」と言われてしまうのは厳しいですからね。   もちろん、お客様を融通しあって商売を回しているような界隈もあります。そういう場合は例外です。この辺の政治性を勘案せずに社交をしても、コスト負けするのは多分間違いないと思います。人間、物事が上手く運ばないと必ず何らかの方向でめんどくさい人間になってしまうものだと思います。これは本当に仕方がないことですが、なるべく避けるのが一番です。本当に辛いことになります。   ここまで書いていて吐き気がしてきました。前回とも引き続きのエントリですが、辛いときは本当に辛い。しかし、経営者である以上、「俺の辛さを理解しろ」と叫んでもあまり得をすることはありません。なるべく控えていきたいものですね。   お勧めの息抜き媒体はインターネットです。商売が上手くいっていない商売人の話には結構需要があります。愚痴が言える有り難さがある。そして、仕事から離れた話も出来ます。映画や本などお金のかからない趣味も有効です。延々悩み続けるのは美徳ではありません、かなり難しい注文だとは思いますが、仕事以外の時間も確保するようにした方がいいです。   「24時間仕事のことを考え続けろ」みたいなアドバイスをする人もいますが、あれは超人向けです。上手くいっているときは一日24時間でも30時間でも仕事のことを考え続けられますが(だって楽しいし)、辛い時にそれをやっても自分を追い詰めるだけです。そもそもそんなに考えることなんて無いでしょう?賽を投げたら目が出るまで待つしかない、そんなもんですよね。   とにかく、無駄に苦しんでも良いことはありません。誰にも愚痴れないその辛さは本当にわかります。人生、あれより辛いことはそんなにありません。しかし適宜、気持ちを緩められるところは緩めて、死なないようにやっていきましょう。     ...

  商売を始めるには、多くの場合何かを仕入れなければいけません。また、商売をする以上何かを売らなければいけません。そこには当然「交渉」というフェーズが発生します。しかし、創業したばかりの人間にとってこれは鬼門です。あなたの商品は、実績ある会社の商品より安く買い叩こうとされますし、あなたに何かを売る人間は高い値段で売りつけようとします。これは当たり前のことです、誰だってそうするでしょう。   良いものを安く買う、あるいは自分の商品をなるべく高く売る。これは商売の極意です。つまるところ、これさえ出来れば儲かります。しかし、商売を始めればすぐに突き当たるでしょう。それが恐ろしく難しいことであると。 商売という土俵は平等ではありません。圧倒的に先行者が有利です。当然ながら、後発組には無い信用と実績という積み上げがあります。大抵の場合、先行者は資金量も後発であるあなたより上でしょう。これを覆すのは並大抵のことではありません。   そういうわけで、代表取締役という輝かしい肩書を刷り込んだ名刺を持って交渉に行くのは本当に苦行です。誰もが欲しがる商品を商っているところほど、門前払いです。売りに行く時も同様です。そんな時に使える僅かな武器について書こうと思います。 交渉術1. 名刺一つで交渉は動く、強い肩書きのデメリット 非常に基本的なビジネスハックですが、あなたが社長であっても「肩書きの無い名刺」を持っておくことを薦めます。これは、社員に名刺を持たせる時にも言えます。会社を登記して、少人数で勝負している時はつい「代表取締役」とか「営業本部長」とかそういうピカピカの肩書きをつけたくなりますが、多くの場合デメリットしかありません。   まず、会社の規模を見透かされます。代表取締役自ら営業や買い付けに出向いてくる会社が大きな会社である可能性は少ないですよね、しかも20代のガキんちょだったりしたら尚更です。50代なら「トップ自ら出向いて来てくれた」という評価を得られることもあるでしょうが、若者は絶望的です。   そして、零細企業の「代表取締役」という肩書きは一切の信用をもたらしません。「フリーター」や「無職」と同義だと思っていいです。あれで騙せるのはド素人だけです。(逆に言えば、異常に肩書きをプッシュした名刺は素人を騙そうとしている可能性がありますよね。思い当たるフシ、ないですか?「ハイパーウルトラメガ超弩級課長補佐」みたいな肩書きを好む業界について)   また、商談の相手が遥かに年上で、肩書きが「係長」だった時なんかはどうでしょう。「若いのにご立派ですねェ」という侮蔑を含んだあの皮肉は本当に心に突き刺さりました。おそらく、年齢に見合わない肩書きはある種の人間の攻撃性を喚起するのでしょう。しかも、立派な肩書きがあるだけ「手加減しなくていい、若いけれどこいつは責任ある立場であり強者だ」みたいな心理的ストッパー外しの効果もあると思います。「若き経営者」の存在自体が不愉快だ、という人もたくさんいます。   もう一つ、非常に現実的な意味合いがあります。肩書きが強ければ強いほど、交渉の場において即断即決を求められるということです。「代取のおまえより強い決裁権持った奴はいないだろう」という話です。何の肩書きもない名刺なら「会社に戻って検討します」が使えても、代表取締役がその手を打つのは非常に難しい。こちらが買う立場ならまだなんとかなりますが、営業に出向いて値引きを差し込まれた時なんかは本当に辛い。「社長さんなんだからここで決めてよ、ねェ社長さん」。   「この価格では上の許可が出なくて・・・。私はこの価格で決めたいと主張したのですが・・・」のような、交渉のポジション取りもありますよね。「私はあなたが正しいと思っているけれど、会社の人間がそれをわかってくれない。だから僕と一緒にゴールを目指しませんか、一緒に頭の悪い弊社の上層部を説得しましょう」みたいな形の交渉術はサラリーマンの基本ですよね。上司を悪者にしておけば丸く収まることはたくさんある。会社のトップとしての名刺を出してしまったらこの手も使えません。肩書きさえ出していなければ「会社に持ち帰って検討します」は嘘にはならないのです。   もちろん、逆に「代表取締役」として飛び出して行く事がベストのフェーズもあります。   例えば、部下が失態を犯した時はたった二人の会社であっても代表取締役として謝罪すれば効果が大きくなることが見込めますよね。この場合、部下の肩書きはヒラがベストです。肩書きのギャップがあればあるほど、社長の下げた頭が高く売れます。あるいは、経営者同士の社交の場に出て行くときは、トップの名刺を持つ必要があります。部下を送り込む時も強い肩書きをつけてやった方がいいですね。「私には決裁権があります」という意味合いですから。決裁権のない、話の遠い相手とわざわざ社交したがる経営者はいません。   この選択肢を選べるだけでかなりマシです。そのCEOとか刷り込まれたピカピカの名刺、本当にその交渉の場にふさわしいですか?それは検討してみる価値があることです。敵は歴戦の商人です、あなたよりキャリアは上です。肩書きでビビってくれる相手ではありません。何も考えず「代表取締役」や「CEO」みたいな名刺を使っている方は、一考の価値があると思います。「実は社長です」ということになっても怒る人はそんなにいません。   交渉術というと、「喋り」とか「立ち居振る舞い」みたいなものがまず想像されると思いますが、僕はこういった「立場」の工夫の方が遥かに即効性を持つと感じました。試してみて損はありません。 交渉術2. 「信用」を融通してもらう 「信用がある人間は交渉を有利に進められる」これは間違いなく真理だと思います。逆に言えば、信用がない人間は交渉においてとことん不利です。   しかし、創業したばかりの何の実績もない人間でも使える可能性のある強力な信用獲得の手段があります。信用のある人間に「口利き」や「紹介」をしてもらうことです。これはどんな場合でも非常に有効です。営業に出向く時、商品を買い付けに行く時はもとより、士業の先生などに依頼を出す時、あるいは銀行のような巨大な組織が相手であっても「紹介」は強烈に機能します。値段も対応も驚くほど変化するでしょう。   例外もありますが、経営者は大抵、人間関係をとても大事にします。飲み歩きが主な仕事という社長も多いでしょう。これは非常に合理的なことで、「信用」は貸し借り出来るのです。経営者は、コミュニティの中で人を紹介したりされたり、口を利いたり利いてもらったりして、「信用」を融通しあっているのです。それはまるで見えない通貨のようなものです。これを融通していただけるのは、涙が出るほどありがたいことです。   もちろん、実績ある人間に「口利き」や「紹介」をしてもらうのは簡単なことではありません。ヘタな人間を紹介すれば、紹介した側も「信用」を失うからです。しかし、「口利き」をしてやって、コストをかけず大きな貸しを作っておきたい」という心理もまた存在します。「感謝されて損はない」「貸しは作れる時に作っておけ」そういうことです。「信用」を貸してくれる人は探せば意外と存在します。力のある人間に「信用」を貸しつけるのは難しいですが、創業ホヤホヤのルーキーなら小さなコストで大きな貸しを作れる可能性がある。そういうことです。   創業する時は、自分がテコに出来る「信用」を貸してくれる人間をどれだけ確保できるかが非常に重要になります。場合によっては、出資を得ることよりも重要かもしれません。それはとりもなおさず、実績のない人間の信用度を測る方法がほとんどそれ一つしかないからです。資本金の額、会社のホームページのデキ、あるいはオフィスの豪華さ、社長の着ているスーツ、乗っている車、これらがいかに信用できないものであるかは経営をしていればすぐわかってきます。(ただし、これは信頼の担保にならないという意味でマイナス評価にならないという意味ではありません。会社ホームページがショボく、オフィスがアパートで、安物のスーツを着ていれば当然信頼は得にくくなります。ここにどれくらいコストを投下するかも悩みどころです)   1人の信用を得ることが出来れば、その人に口を利いていただいて、3人の信用を得ることが出来るかもしれません。3人の信用は、10人の信用につながっていくでしょう。 交渉は「信用」がモノを言う、そして表玄関をノックするよりは、裏口から迎え入れてもらった方が良い。もちろん、全くの無策で情熱と気合いだけを武器に正面玄関から飛び込まなければならないことも多くあるでしょうが、他人の信用を融通していただいて、裏口を開けることも常に狙っていくことをお勧めいたします。信用は魔法の鍵になりえます。   ただし、この他人から借りた信用には一つ欠点があります。どんな界隈にも人間関係があり、対立があり、利害関係があるということです。ある人から口利きをしてもらったが最後、ある種の陣営に取り込まれたと認識される。そんなことだってあり得ます。   また、利害関係が一致しない人間に対して、他人が「信用」を貸し付けてくれることはまずありません。その辺りを見通す努力を怠らないことを本当にお勧めいたします。どんな利害関係が自分の所属する界隈にあるのかですら、そう簡単には見通せません。   「信用を得る」これは究極的な交渉術です。意識して損は本当にありません。 交渉術3....

  僕は26歳から会社を経営しております。現在も一応、法人は残っているので、今年で6年目になるわけです。色々なことがありました。事業が5年続くというのは、実のところを言いますとかなりレアケースです。ちょっと調べてみたら、5年続く会社は15%くらいみたいですね。でも、実を言うとこのデータ怪しいと思います。というのも、僕だって現在も法人は生きているんですよ。事業がもう動いていないだけで。このデータ上、僕は「生存」にカウントされていると思います。   もちろん、法人は維持費がかかりますから休眠や解散を選ぶ人も多いと思いますが、様々な便宜の問題で事業が終わっても存続させることが多々あります。大量に赤字積んであったりもするし、リベンジを志す人もいるでしょう。僕もそのケースです。たまに「借金玉社長」って呼ばれると「勘弁してください」という気持ちになります。まぁ、そんなわけで企業生存率は5年で15%より大分低い、というのはほぼ間違いないと思います。しかも、これ「法人」での起業に限っての数字ですからね、なんだかんだお金のかかる法人登記をせず、個人事業で起業するケースだって多々あります。そちらの生存率も、まぁ高くはないでしょう。   同期に起業した若手連中は、もう連絡がつく人間がほとんどいません。自分の成功を1ミリも疑わなかった皆さんが、どんどん消えていきました。しかも原因は「事業の失敗」ばかりではないんですね。突発的に悲惨な出来事が起きる会社が大変多かった。そういうわけで、悲惨な事態に遭遇した企業経営者のケースを僕が知る限り書いてみようと思います。 持ち逃げ 会社を経営している皆さんにとってはあるあるだと思いますが、本当に多いですよね・・・。僕の周囲でも数件発生しました。そのまま即死した会社もありました。創業期の会社のお金の管理というのは、往々にして杜撰です。しかしこれ、つまるところ仕方ないことでもあるんですよ。というのも、プレイヤーに決裁権限を与えず都度確認を取るということは、イコールで社長の業務負担が増えるということです。「信用するしかない」という悲しい現実があります。プレイヤー社長の会社なんかでは、「社長が会社のカネについて全く把握できていない」なんてこともよくあります。でも、それはそれで合理的はあるんです。カネの面倒はカネの面倒を見るのが得意な人間がやればいいわけで。   ある日突然、口座の金がスっと消えます。また、諸事情(大抵ろくな事情ではない)から現金を金庫なんかに突っ込んでいた場合もスッと消えます。同時に人間が消えます。起きた時点で全損を覚悟しましょう。回収はほぼ不可能です。また、刑事事件にもなかなかしにくかったりします。まぁ、想像はつきますよね。口約束で全てが進展しがちな創業期の会社におけるお金の権利なんて、大抵がグチャグチャです。果てしなく裁判で争うことになるでしょう。言った言わないあいつが悪い、俺は被害者だ、想像出来る限り最悪のことが全部起きます。   「金を盗まれたんだ」と主張しても支払い日は待ってくれませんし、従業員は給料の遅配を許してはくれません。そして、盗んだ人間を処罰するにもお金がかかります。刑事事件にするということはつまるところ、相手の弁済能力を下げる結果にすらなります。民事で泥沼の戦いをしても、得をするのは弁護士だけです。現金の持ち逃げカマす奴に賠償に充てられる資産なんてあるわけもない。そして、これは「やられた!」という社長あるあるなんですが、「俺にも後ろ暗いところが自分にもあるから公式に裁けない・・・」というあれが大変にありがちです。詳細とか語らなくていいですよね。コンプライアンスは最終的に自分の身を守るためにあるということです。   創業直後の会社は大体コンプライアンスなんてガン無視しています。「何それ?食えるの?」みたいな話だと思います。それはそれである意味仕方ないのですが、いざ大問題が起きた時に大変なことになります。風向きがいいときはナアナアでやっていけた相手も、いざ大問題が起きると容赦なく殴りかかって来ます。   創業当初から、「とにかく身綺麗にする」ということは心がけた方がいいでしょう。会社の経営者というのはやろうと思えば様々なあまり順法的ではない小細工が出来ます。しかし、その小細工に他人を利用していた場合、そこには回避不能のリスクが出てくるということはとにかく認識しましょう。本当に生死を分けます。「表沙汰にしたら俺も社会に怒られてしまう・・・」みたいなパターンは本当に辛いと思いますが、自業自得と言う他ありません。   「あれをこうすればばめっちゃ良い感じじゃん。問題はバレたら怒られることくらいで」みたいな発想、経営なんかしているとどんどん出てくると思います。コンプライアンスと100回唱えて悪魔を振り払いましょう。部下が金を持ち逃げしたのに怒ることすら出来ない。そういう羽目になった社長、いっぱいいます。 横領 これもまた実にあるあるです。例えば飲食店経営で他人を雇ってお店を任せた場合これを完璧に防ぐ方法は無いと言っていいと思います。ラーメン10杯分の原料で11杯作って、1杯分の売り上げをポケットに入れればいいだけのことですからね。経営者が現場に精通していない場合なんて、やろうと思ったらナンボでもやり放題だと思います。「誰かを雇って、あるいは出資して飲食店をやろう」というタイプの人はこの点について考えておくことが大事です。   横領は実際のところ思った以上に簡単です、特に創業初期の会社にコアメンバーとして入っているのならば、やろうと思ってやれない環境の方が珍しいでしょう。つまるところ、横領などの不正が不可能な状況を作るコストが高すぎてやれないという話にもなります。100万の横領を防ぐためには300万かかってしまう、そういうことはよくありますよね。   また、横領に関しては社長自体がやることもよくあります。出資者が会社のお金の流れに明るくない場合なんて完全にやりたい放題ですよね。誰が住んでいるのかよくわからない社宅、出社してこないアルバイト、何をしているのか誰にもわからない役員、御社にも存在するのでは?色々書類を眺めていると人類の悪さが見えてくることはよくあります。出資を考えている皆さん、この点はとにかくよく見ておいた方がいいですよ。   また、横領というのは往々にして会社が好調の時に起こります。毎月赤字を垂れ流しているような状態なら流石にお金のよくわからない動きがあれば気づきますが、ガンガン利益が流れ込んで来ている時にそれに気づくのはとても難しい。事業自体は好調なのにこのような事態が社内で発生し、そのまま空中分解してしまった会社もありました。最終的には刃物などが登場し警察が介入したと聞きますが、本当に不幸でしたね・・・。   ちなみに、横領に関しても「表沙汰にしたら俺も怒られるから表沙汰に出来ない・・・」という話がよくあります。横領ブチかまして退職して、元気一杯次の横領が出来る会社を探しに行く人類は存在しますよ。 社員が全員辞めた 「社員が全員辞めてしまった」というお話、聞いたら笑っちゃいますよね。僕も起業する前は「どんだけアホならそんなこと起きるんだよ」って思っていました。しかしですね、創業初期の会社では普通に起きます。想像してみてください。わりと儲かっている社員5人の会社、そこから5人の社員をまとめて引っこ抜いたら、すぐに儲けが出る会社がやれたりするわけですよ。そりゃ引っこ抜きますよ。   創業初期の会社というのは人材の奪い合いです。市場に「すぐに利益を出してくれる人材」なんてそんなに転がっていません。転がっていてもとても値段は高い。社長さんたち「他社の有能なあいつ欲しいなぁ・・・」と思ってコナかけたこと絶対ありますよね。正直に言うと、僕もあります。自社の人間に他社からコナかけられたらブチギレてましたけど、コナかけたことはある。しょうがないじゃない、経営者だもの。   有能な社員を囲っているが経営者への不満が蓄積している会社、というのはたまにあります。また、社員は有能なのにも関わらず経営方針がイマイチで利益が出ていない(社員に十分な給与を払えていない)会社なんてのもあります。そりゃ奪い取りに行きますよね。有能な人間というのは現金が落ちているようなものです。拾わない手はない。   有能な人間を雇うのは難しいですが、有能な人間を雇い続けることはもっと難しい。更に、有能な人間は当然ながら「俺が経営する側に回ればいいじゃん」という発想にも至ります。具体的に言うと、「社員全員引き連れて退職して全く同じ事業内容の会社興せばいいじゃない」というのは大変正しいのです。「この会社に最も必要ない人間は社長ですよね」というお話です。俺が興した会社から俺が追放された、そういう悲しい物語は本当にいっぱいある。   また、創業初期の会社というのは当然ながらメンバーにガンガン裁量を振ります。会社にシステムがないんだからそれしかありません。そういう場所では人間がどんどん成長します(さもなければどんどんリタイアします)。当たり前ですよね、仕事しているわけですから。他人がほどよく育てた果実をベストなタイミングで収穫するの、やりたいに決まっていますよね。しかも、大手から引き抜くブランド人材と違って給与も安く抑えられますし。これらの構造的圧力を上手いこと捌くことが出来なければ、「コアメンバーが全員退職した」なんて事態は、むしろ起こって当たり前です。 どうしましょう? ちなみに、これらのケースは「事業が上手くいって収益が上がっていたとしても尚起きる」問題です。こういう問題以前に「そもそも事業が上手くいかない」という話があります。これから創業を考えている皆さん、是非とも徹底的に考え抜いておいた方がいいと思います。考え抜いて考え抜いた末に「対策はない、問題が起きた時に困ろう」という決意に辿り着くとしても。心の準備だけでもあれば大分マシです。   これらの問題の発生を防ぐことはもちろんできます。やり方はいっぱいありますよね、持ち逃げや横領を防ぐ方法はありますし、社員の退職や引き抜きを防ぐ方法だってないわけではない。では、これらを有限の資源の中でやっていくにはどうしたらいいのか?というお話です。へこんだアルミ缶を元に戻すような話です。あっちを叩けばこっちが出っ張る。完璧を目指して頑張った結果、見事社長が過労死という話もあります。   話にオチがなくて恐縮ですが、この話の一番大きい教訓はコンプライアンスだと思います。コンプライアンスを守らない者はコンプライアンスに守られません。「俺は上手くやるから大丈夫」という人もいるでしょうし、それはもう止めませんが、そこまで思えない人はとにかく身綺麗にしておくことが身を守る上で最も重要だ、という点を覚えておいて欲しいと思います。   そして、連絡が完全につかなくなってしまった皆さん、僕はとても寂しいです。いつかまた、どこかで酒でも飲み交わしましょう。僕はまた頑張ります。やっていきましょう。     ...

  起業は実際のところ、ほとんど何でもありです。資金調達、メンバー集め、経営方針、株の分配、事業内容・・・実にたくさんの要素が存在しますし、全く同じ形の起業なんてものは2つとしてありえないと言っていいでしょう。そもそも株式会社以外の会社形態だって存在するわけですし。人間がそれぞれ全く違うように、会社のあるべき姿もケースバイケースです。これこそが正しいというやり方は間違いなく存在しません。成功すればそれが正しいやり方なのです。   しかし、僕が自分の経験から最も重視するのは、創業期における社長のポジションです。実際、社長の業務というのは実に様々です。「ほとんど何もしない」という社長さえ存在します。このお話はどれが正しい、というような結論を出す話ではありません。実際のところ、起業をするときに自分の経営者としてのあり方を選べるなんてことは稀です。自分の持っている強みを生かして起業するしかないのですから。   しかし、その際のメリットデメリットについては考えておく必要があると思います。僕の知る限り、あるいは思いつく限りお伝えさせていただきます。業種を分類せず一般化して語っているのでその辺は多少雑ですが、雰囲気は掴めると思います。 創業者① スタープレイヤー社長 収益を生み出す基幹となる異能を社長自身が有しているパターンです。例えば、腕の良いプログラマであるとか料理人であるとか、誰にも真似出来ない商品開発が出来る、みたいな場合もあるでしょう。逆に「売る」方に特化した営業モンスターなんて場合もあるかもしれません。営業請負会社なんてのもありますし。   このパターンのメリットはまず、創業期における業務遂行の手堅さです。それこそ、部下の誰が辞めようが会社の一番の強みは社長自身が握っているわけですから、失いようがありません。いざとなれば、社長が3人分働けば急場は凌げてしまいます。そして、この手の社長は3人分くらい平気で働く人が多いです。序盤戦は圧倒的に有利でしょう。「俺がいれば大丈夫」という状態です。使えない人間には容赦なく解雇を宣告できます。最悪、部下が全員辞めてもなんとかやっていけることさえあります。   そして、もうひとつのメリットですが、このタイプの社長は現場で実際に業務を行う従業員の人心掌握に強みを発揮することが多いのです。というのも、専門技術の世界というのは、往々にして実力と実績がモノを言うタテ社会です。圧倒的に優れた能力を持った人間がトップに立っていれば、現場で働く人間の信任は極めて得やすいと言えます。実務的な異能には往々にしてカリスマとリーダーシップもついてきます。故に、経営が難所にさしかかっても人がついてくることが多いです。   しかし、もちろん弱点もあります。プレイヤーとして圧倒的な実力を発揮しながら、同時に会社経営と事業拡大をこなすというのは、ちょっと事業が膨らんで来てしまえば常人にはまず不可能です。また、経営者の仕事は第一に会社の意思決定、即ち決断です。これは、実に大きなエネルギーを要する業務です。あの巨大な心理的負荷を抱えながら異能を必要とする業務をこなせる人は、ほとんど人間ではないと思います。(まぁ、人間ではない人がゴロゴロしているのが市場ではあるのですけれど)なんにせよ、金繰りや経営判断などの会社の基幹となる部分を他人に委ねざるを得ないというのはかなりのリスクです。   しかし、経営パートに社長が関与すればするほどプレイヤーとしての出力は低下するジレンマが発生します。このタイプの社長はとにかく金を横領されがち、あるいは気づいたら財務が愉快な状態になっていることが多いという印象があります。   そして、スタープレイヤー社長の率いる会社の一番の困難は、拡大の難しさです。事業が大きくなれば、社長の異能ひとつで拡大出来る限界に必ず直面します。しかし、2番手3番手を張れるプレイヤーの育成は楽ではありませんし、個人の異能によらない収益の仕組みを作り上げることも難しい。   そして「プレイヤーとしての異能」だけを武器にした社長にとって、自分を上回る、あるいは代替し得る異能を持った人間の出現は社内における求心力の低下を即座に意味します。経営パートは他人に握られているわけですし、これは実に恐ろしいです。かつての英雄、今はお飾り社長。あると思います。会社なんて設立せず、フリーランスでやればよかった。そんな話も聞きましたね・・・。     スタープレイヤー社長の仕事まとめ     メリット ・創業期における業務遂行の手堅さ、人員の欠損への対応力の高さ ・小さく始めてある程度の大きさまで持っていくのは本当に強い ・プレイヤーとしての異能をテコにしたカリスマとリーダーシップ ・経営が難所にさしかかっても結構人がついてくるかもしれない   デメリット ・経営パートまで手が回らないので人を雇って任せるしかない ・社長が経営パートに関与すればするほど、プレイヤーとしての出力が落ちる ・社長の持つ異能のノウハウ化や共有が難しく、社長の出力の限界が成長の天井になりやすい ・業務拡大が上手くいったとしても、結果トップとしての求心力を失いかねない ・横領や会社を私物化されがちで、やはり社長が経営をちゃんと見ないのは怖い 創業者② 経営特化型社長 スタープレイヤー社長の対極となるタイプの社長です。このタイプは1にも2にも、まず資金をかき集める異能がなければ話は始まりません。有能な人材を見つけ、事業計画を書き、資金を調達する。それが経営特化型社長のやり方です。当然ながら、創業可能な事業の範囲が広いというメリットがあります。それこそ、いい人材や出資者を見つけたらその状況を軸に事業計画を書く、なんていうフリーダムな動きも可能になります。   経営特化型社長は現場にはあまり出ないことが多いでしょう。当たり前ですね、プレイヤーとしての能力を持ってないのですから。その代わり、経営判断は自分一人でガチガチに握ることが必須です。現場技能を持っていない以上、経営能力だけが存在意義となります。経営判断はトップの聖域にしておかなければ話にならない、そして、その正しさを常に示し続けて人を引っ張るしかありません。   また、事業拡大に強いことが多いです。そもそも人を雇って事業を行うのがベースですので、上手く事業が回ればどんどん人を雇って拡大していけるでしょう。そもそも「他人の力で儲ける」がベースですから。現場に出ない分、事業拡大に力を注ぐ余裕があります。事業が一定以上のサイズ感に成長すれば、コアメンバーが抜けた際のリスクも反比例して小さくなります。そうなれば、経営能力と資金調達能力の高さが存分に生かせるはずです。バシバシ人を切っては雇うタイプの経営をやる人もいますね。   デメリットも明確です。創業期に事業のコアとなるメンバーに逃げられたらその場で終わりです。自分の力で急場を凌ぐことさえ出来ません。メンバー3人で会社を回している時に1人が抜けてゲームオーバー、そういう話はよくあります。結局、「自力で稼げない」というのは恐ろしく大きい弱点なのです。   創業のテコとなるコアメンバーだけは、そうそう兌換が効かないので、序盤戦はとにかく脆い。小さく始めて大きく育てるは会社経営のひとつの理想ですが、経営特化型社長には鬼門です。ある程度の規模感で、誰が抜けても大丈夫な形で起業・・・出来たら苦労はないですね。   また、現場の統率やリーダーシップに弱みがある場合が多いです。前述の通り、現場で技能を発揮する従業員は、現場における職能の高さこそが最も重要だと考えている場合が多いのです。平たく言えば、「俺と同じ仕事が出来ない奴の命令なんて聞けるかよ」みたいなあれが発生しやすい。「事業計画の策定が得意」とか「資金を調達出来る」みたいな能力では、現場の敬意はそうそう勝ち取れません。文化が違います。故に資金枯渇など、経営の難所には弱いことが多いです。このタイプの社長はとにかく反乱を起こされがち、あるいは従業員に離反を起こされがち、という印象です。     経営特化型社長の仕事まとめ     メリット ・獲得した人材、あるいは出資者の意向に合わせて事業をデザインできる柔軟さ ・経営とコアメンバーのマネジメントに全力を傾注可能 ・事業拡大に強み ・経営や資金の状況を常に注視する余裕がある ・経営判断に十分な心理的リソースを割ける   デメリット ・小さく創業した場合、序盤戦が圧倒的に弱い。人が欠けても求人を出すことしか出来ず、自らプレイヤーとして動くことが出来ない ・現場実務に通じていないが故のリーダーシップの弱さ ・実務能力のある部下がいなければ本当に何も出来ない ・反乱起こされがち ・お金の切れ目が縁の切れ目になりがち 創業者③ 中間型社長 基本的には経営を担当するが、現場業務もそれなりにこなせる社長です。なんだかんだ、経営特化型社長も多少は現場業務が出来ないと面倒も多いので、経営特化型社長から始まって中間型社長に移行していく場合も多いでしょう。中には、資金調達と総務経理担当から参加して、業務の合間に死ぬ気で勉強した結果トッププレイヤーも兼任するようになったという猛者にも会ったことがあります。これはとあるIT企業の役員の方なんですが、すごい話だと思いましたね、多分、部下に果てしなくナメられるなどの辛い経験があったんだろうと思います。   このタイプは上手くやればバランスがいい反面、強みにも乏しいという問題があります。プレイヤーとしての業務に力を注げば経営がおろそかになりますし、経営に力を注げばプレイヤーとしての業務が疎かになります。その中間でバランスを取り続ける、という選択です。人間1人に処理可能な業務量は所詮有限なので、両方をうまいことやろうとした結果どっちもダメだったということも往々にしてあります。   僕自身もこのタイプでしたが・・・まぁ、楽ではないです。いっそ経営特化型に振り切った方が結果は良かったかもしれないと思うこともあります。まぁ、創業初期は人もいないし無駄金も一切使えないので、社長が現場業務をやらざるを得ないことも多いでしょうし、出来るとか出来ないじゃねえんだ、人がいねえんだから社長がやるんだよ。そういう世界観もあります。   少人数で会社を回している場合、どうしても体調不良などで現場の担当者が出られないことは避けがたくありますし、いざとなったら現場もやれるに越したことはもちろんないですよね。コアメンバーが抜け落ちても、次のプレイヤーが稼動し始めるまで自分が現場を守りきるという判断も出来なくはありません。もちろん、パフォーマンスはその業務に特化した人間に比べて大きく劣るでしょうが、出来ないよりはよっぽどマシです。   飲食の場合は「シェフがバックレた」なんてのは大変によくあるお話です。僕のかつて経営していたお店のすぐそばにあった店舗は、開店直前にシェフが「やっぱやめた」と言い出したそうで、1日たりともお店を営業しないまま風に消えていきました。あんまり詳しく書くとあれなんですが、専門性の高い料理店だったので代わりのシェフも確保できなかったんでしょうね、あるいは代わりのシェフを探す気力もないほどにオーナーが絶望してしまったのかもしれません。ピカピカの内装と厨房設備の居抜きを売っていくらか回収出来たんでしょうか。開店前、道に立ってサービス件を配っていたオーナーと思しき初老の男性のことを、今でも時々思い出します。もちろん、僕に他人に同情する資格なんて一切ないんですけど。     中間型社長の仕事まとめ     メリット ・突発的な人員不足やプレイヤーの離脱に多少は対応できなくもないかもしれない ・現場を知ってはいるのでそれなりに現場とも仲良くやれるかも   デメリット ・全てが中途半端、上手くバランスが取れなければスタープレイヤー社長、経営特化型社長の欠点を併せ持つ結果に ・結局、業務量が狂ったことになりがち ・現場でのパフォーマンスが低いと、どんどん部下に舐められる ・経営判断や経営実務のしんどさを理解してくれる部下はそんなにいない ・給与明細作って給料払って、帳簿処理して出資者に報告して、資金計画作って、現場が揉めたら間に入って求人出して、経営数値を分析して、店舗回って状況を見て、従業員からヒアリングして人事評価を行いつつ、プレイヤーとして店舗にも出る・・・ ・あ、そう予約モリモリなのにバイトがバックレ・・・うん30分で行く ・アウアウアー あなたはどのタイプで会社を起業しますか? 実際、起業を志す人は「何の特化技能もない、野心しかない」という人も多く、そういう人でも成功するときは成功しちゃうのが起業でもあります。プログラミングの一切出来ないIT企業の社長だって結構存在すると聞きますし、フライパンを振れない、トレンチの持ち方すら知らない飲食店経営者なんてもっといっぱいいるでしょう。飲食業界人どころか一般の方でも大体知ってる「俺の」チェーンを展開する坂本社長は、元はブックオフコーポレーションの創業者で、いきなり飲食業界に飛び込んで来た人です。   もちろん、坂本社長は創業時の資金量が一般的な起業家とは比べ物にならないほど多かったであろうことは想像に難くありませんが、それでも突然異業種に飛び込んで成功する起業家なんてザラにいます。バイト経験すらない全くの未経験からそれなりに参入障壁のある不動産業に飛び込んで儲けている猛者だっています。専門技能や知識、あるいは経験を有した人でなければ起業出来ないなんてことは全くありません。その一方、専門技能や知識経験を持った人が強いこともまた事実です。   起業にルールはほとんどありません。セオリーだってそう多くはありません。むしろ、セオリーに従って成功できるならみんな成功しているはずです。しかし、自分が起業した後の経営のあり方をリアルに想像出来るかどうかは、成功率に大いに影響するのではないかと思います。   僕は、創業の時にこんなことは一切考えず勢いだけで突っ込みましたので、実に多くのしなくてもいい苦労や失敗をしました。後知恵になりますが、多くの困難は回避可能だったと思います。実際、この文章を読んで「ではどうしたらいいか」については皆さんもかなり思い浮かんだのではないでしょうか。   初めての起業に挑む方は、本当に何もかもわからないと思います。しかし、断片的なものでもいいので情報を集めて、想像力を働かせることはとても大事だと思います。もう少し多くの想像力を働かせることが出来れば、そして起こりうる事態に対しての備えを作っておけば、僕にも違った未来があったかもしれないと未だに思います。後悔は尽きません、おそらく一生この感情はついて回るんだと思います。   どうか、皆様悔いの無い起業を、そしてあなたの成功を心からお祈りします。やっていきましょう。     ...