一度対立した人間は二度と分かり合えない―対立者と修復不可能になった時について

ニアセ寄稿

 
人間は争います。全ての人間が分かり合えるなんてことは、到底ありえません。だからこそ、僕は「ニューアキンドセンター」で書かせていただいた文章で「争いが起こらない仕組みづくり」を繰り返し述べて来ました。
 
基本的に、社内戦争が一度起きてしまった場合事態は致命的です。人間同士の「お金」と「意地」と「生活」と「信念」をかけた争いが、話し合いで円満に解決するなんてことはほとんどありません
 
裏切り者の出ない組織を作ろう、離反対立が起こらない利害関係の調節を行おう。これは前提です。しかし、それを必死で行った上でも時に「戦争」は起きてしまうだろうと僕は思います。このままでは会社が割れる。あるいは事業が継続できなくなる、それだけの回復不能な対立が社内に生まれてしまった。そういう時にどうすればいいかということを、僕の失敗経験から考えていこうと思います。
 
尚、創業時における持ち株のバランスで事態がグチャグチャになるケース、例えば50%ずつの持ち株二人で創業した、あるいは複数人が出資し、誰も株式の過半数を有していない、みたいな状況についてはこの話では触れません。それは創業するときに当たり前に考えておくべきことです。
 
ここでは、「原理的には問題のある人間を解任・解雇をすることは可能だが、経営上の問題でその解決策が選べない」という場合について話をさせてもらおうと思います。対立の具体例については、こちらのエントリも是非ご参照していただければと思います。
 

 
それでは、今回も是非最後までお付き合いお願いいたします。

対策① 対立者と相互理解に向かって話し合う

 
基本的には無駄です。
 
会社が割れるレベルの対立が起こった時に「話し合って分かり合おう」なんて選択肢はあり得ません。事業が上手くいっている時であろうが、事業がどん底の時であろうが、基本的に話し合いは無意味だと思ってください。「とにかく一回集まってみんなで酒を飲みながら腹の内を晒しあえば」みたいなことを人間はつい考えてしまいますが、ビジネスの土俵でこれが上手くいったシーンを僕は見たことがありません。
 
僕の会社でも、戦争が起きた時には何度も何度も話し合いが繰り返されました。そして、それらの全ては無駄でした。むしろ、対立している相手にこちらの情報や方針を知られてしまうデメリットの方が遥かに大きくなります。ともに起業という道に進んだ仲間である、ということが最大のネックになるでしょう。
 
冷静になれないのです。話せばあいつだってわかってくれるのではないか」という思いが、あなたから判断力を奪います
 
しかし、相手は既にあなたと対立することを織り込んでいます。対立というのは常に起こした側が優位なのです。会社を経営している以上、実際の経営状況の監視などもせねばならず、最高責任者としては非常に恐ろしい時期が続きますが、意図的に対立者とは距離を離すように心がけてください。これは、仕事上の距離も含めますが、何より心理的な距離を離すことが重要です。
 
結局、社内で致命的な対立が起きた場合の結論は二つしかありません。解任・解雇か、あるいはなんらかの手段で絶対服従を誓わせるかです。一度対立を起こした人間は二度と信用は出来ません。もし仮に和解が成立したとしても、長期的には必ず自社から追放する。それだけの覚悟は必要です。今後、その相手と人間的に会話をすることは二度とないと腹を括ってください。
 
「話し合い」というのは「わかりあう」というようなニュアンスを含みます。しかし、経営の上で会社を揺るがす対立が発生した以上、そういった人間性のフェーズはおしまいです。後は、「交渉」しか残りません。一方が条件を突きつけ、もう一方が受け入れる。それしか終わり方はないのです。
 
「話せばわかる」という甘ったれた考えを、まず頭から追い出しましょう
 
創業からの苦楽を共にした人間と対立した時、人間はまず間違いなく冷静ではいられません。頭の中はごちゃごちゃだと思います。しかし、話せばわかる時間は終わりました。全ての人間性を排除し、「話し合う」ことなど何一つないと腹を括りましょう。そこからしか始まりません。まず人間をやめましょう。純粋なる経営者として考えることを始めましょう

対策② 対立者を解任・解雇する

この話の前提として、「それは不可能に近い」というものがあります。当たり前ですね、社内で反乱を起こす人間は「そう簡単に解任・解雇されるわけはない」と確信しているからそれを行うのです。無理に切り捨てれば、会社の経営資源の非常に多くのものを失うことになるでしょう。だから困っているわけですね。解任、あるいは解雇して問題が解決するなら、そうすればいいだけの話です。
 
しかし、この「対立者全員を即時解任・解雇する」を選択肢から完全に排除することはお勧めしません。少なくとも、自分はいざとなればその選択を実行しえるというハッタリだけは絶対に効かせてください。それが出来るように、株主などの利害関係者には根回しを忘れないでください。
 
どれだけの不利益を蒙っても、対立者を解任・解雇するという選択を「してくる可能性がある」というだけで非常に強いカードになります。対策①の話し合いの過程で、このカードが「まず無い」と相手に認識されていれば、その時点で徹底的に不利な交渉になります。これは、実際の戦争で言うところの核兵器です。「撃ってくる可能性がある」だけで盤面が全く別物になります。
 
いざとなれば、現在の収益事業を放り出してでも、対立者を粛清する覚悟があるということは常に示してください。それだけの狂気を孕んだ人間であると認識されてください。合理的な人間は怖くないのです、非合理的な狂気こそが怖いのです。あまり使いたくないカードですが、事態がここに至った以上、使うしかありません。
 
そして、最悪の場合ですが実際に「即時解任・解雇」もあり得ると心得ておきましょう。結果として多くの人材や経営資源を失い、会社経営は苦境に立たされるかもしれません。しかし、そもそもコントロールを失った人材には、既に何の価値もありません。「失いたくない」と思うかもしれませんが、実際のところは「既に失われている」と考えた方が妥当なのです。経営的な死に至る可能性があるとしても、「切り捨てる」はあり得ます。もちろん、この辺りは出資者の意向などとの兼ね合いもあるでしょうが。
 
指揮系統を無視して動く人間、命令に従わない人間、一度会社が割れるレベルの対立を起こした人間はどれほどの能力があろうとも、会社組織において一切の価値のない存在です。中長期的には必ず解任・解雇する必要があります。また、一度対立するサイドについた従業員なども、飼い殺しか解雇以外を選ばせることは出来ません。基本的には、対立を起こした人間を解任・解雇する以外に決着はないということは忘れないでください。

対策③ その場を凌いでいく

対策②では「対立者を解任・解雇する」ことについて触れましたが、究極的な解決はこれしかないとしても、今すぐそれが出来ないということはあります。そういうわけで、それが出来る状況が出来上がるまで、対立を抱え込んだまま会社を回すという選択肢は非常に有力になってくるでしょう。といいますか、現実的にはほとんどこれしかないですよね。
 
これは、とりもなおさず対立者の要求をある程度呑むということを意味します。相手の要求がどのようなものかにもよりますが、多くの場合事業における裁量もしくはお金、あるいは株の持分をなども考えられますね。どのような要求であったにせよ、「それを呑んだ上でこの中長期的に対立者を解任・解雇することは可能か」ということを前提に考えましょう。これだけを考えるようにすれば、余計なことには悩まなくて済むようになります。
 
名目上は同じ会社のトップであれ、実際に掌握出来ているものは一人一人違います。実務面では全く事業を掌握出来ていないトップだっているでしょう。しかし、自分が掌握出来ているものと相手に譲り渡すものを考えて、中長期的に対立者を解任・解雇するプランを作り出しましょう。
 
そのプランがどうやっても組めないのであれば、それはもう実質的にその会社はあなたのコントロール下には無いということです。身の振り方を考える時期かもしれません。身の振り方を考えるところまで追い詰められれば、対策②で示した、大きな損失を伴う「即時解任・解雇」という選択も行いやすくなるでしょう。
 
ダラダラと相手の要求を呑みながら、なんのプランもなくその場を凌ぎ続けるのは最悪の判断です。実を言いますと、大変後悔しています。しかし、対策①でお話したような「創業を共にした仲間なのだから話せばわかる」というような甘い考えと、損失を恐れる心理がこの選択を非常に魅力的なものに見せます。しかし、その先は、少なくとも僕自身の経験に照らせばありません。
 
例えば会社の売却のような一定期間を凌ぎきればゴールがあるというような場合は別ですが、ビジョンなきその場凌ぎは絶対に避けましょう。腹を括るのが遅れれば、それだけ選択肢は少なくなっていきます。強い意思を持ち、明確なゴールを設定した上で、その場凌ぎをしてください。

一度対立した人間は二度とわかりあえない

経営上の対立において、僕はこれが最大の真理だと思います。もし、これが事実ではないとすれば上記のような考え方は全て間違っているでしょう。お互いに腹の内を隠すことなく話し合えばいい。そういう考え方だってあり得ます。しかし、あくまでも僕の経験に照らせば、その判断は間違いです。
 
それを間違ったから僕はここで、こんな生き恥のような文章を書いているのです。最初から「対立者を切り捨てる」ことへ向かって最大の力を注いでいれば、もしかしたら違う未来があったかもしれない、そんなことを思います。
 
あなたが、いざという時にどちらの考え方を採用するかは個人の自由です。「人間は話せばわかりあえる」と信じて経営を行うのも、一つのありようですし、間違いとは言い切れません。人間を信じた経営の結果大きな成功を収めることだってあり得るかもしれません。それは個人の信仰の問題です。ただ、ここに認識の甘さによって何もかもを失った人間が一人存在するだけです。
 
最終的に、会社経営は人間が行うものです。そこには、人間というものに対しての認識が残酷なほど問われます。あなたがこの文章に全く共感出来ないというなら、それはそれで結構だと思います。それではあなたは人間というものを会社を経営していく上でどのように捉えるのか。それだけは考えておきましょう。
 
そうすれば、いざという時に正しいか間違っているかはともかく、迷いのない行動が取れます。あなたの未来が輝かしいものであることを、心からお祈りしています。
 
ところで、文中に登場して特に具体的な説明はしなかった「なんらかの手段で絶対服従を誓わせる」方法については宿題としましょう。創業時に下ごしらえをしておけば手段は僕が思いつく限りでもいくつかありますし、考えておいて損はありません。いい方法を思いついたら僕にも教えてください。お待ちしています。

 
 

1985年生まれ、早稲田大学卒業後金融機関勤務を経て起業するが大失敗。
現在は雇われ営業マンをやりながら、ブログを書いたり
ツイッターをしたり、フリーライターをしたりしています。
発達障害(ADHD)持ちです。そちら関係のブログもやってます。
Blog http://syakkin-dama.hatenablog.com/
Twitter https://twitter.com/syakkin_dama

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