『会社倒産・自己破産・人生転落』どん底から這い上がってきた人に学ぶこと

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皆様は全てを失いゼロになった時、いや失うどころかマイナスになったら……どうしますか?今回は会社倒産自己破産から現在に至る、近藤久さんにインタビュー取材を行って参りました。

25年間続けた会社が倒産

まず、経歴をご紹介致します。
昭和22年生、現在69歳。三重県出身。高校卒業後、関西で職を転々としていましたが東京に憧れを抱き上京したのは21歳の時です。
 
当時の時代背景もありますが「アメリカン・ドリーム」のような感覚で、東京に行けば人生が変わる。自分自身への根拠の無い自信と過信、それらが東京で通用すると錯覚していたのかもしれません。
 

昭和50年5月6日

資本金30万円から1人でスタートした小さな銘板業は、あっという間に資本金1000万円の株式会社に成長しました。その後はデザイン等、事業を拡大していきます。当時100万円以上したマッキントッシュもいち早く取り入れていきました。また結婚後は東京・世田谷区の高級住宅街に一軒家を購入。外車などの車も数台所有してブルジョアな生活を堪能します。

会社倒産の前兆:バブル期の怖さ


現在、お笑い芸人が「バブル期」のことをネタにして売れていますが若い方々には「バブル期ってそんなに凄かったの?」という疑問もある事でしょう。近年、銀行から融資・借入を行うには審査が厳しいのが現状です。しかしバブル期は銀行もノンバンクも「お金を借りてください」という申し入れが殺到したそうです。
 
ある日、ノンバンクから電話が来て「600万円借りてほしい」と。会社経営も順調で資金には全く困っていませんでしたが「借りてあげてもいいよ」と返事をしました。その数時間後、レストランで食事をしていたらノンバンクの社員が来て現金で600万円をテーブルに置いて去っていきました。他のノンバンクや銀行も同じように現金を置いていきました。それが「終わりの始まり」でした。

会社倒産のとき

バブル崩壊後、仕事は入ってくるものの会社の利益よりノンバンク・銀行から借り入れをしていた返済が追い付かず「利息」のみを返済するのがやっとの日々になりました。元本が返せず利息のみ毎月支払う日々。元本が残っている以上、利息返済は延々に続きます。そして、いわゆる「自転車操業」のような状態になりました。家も売り、売れる財産は全て売って会社経営資金に回しましたが全く追い付きませんでした。
 
会社の当座は不当たりをすると凍結します。株式会社にとって当座凍結は取引先や下請け業者等と手形や小切手、金銭の取引が一切出来ない。つまり事実上の倒産を意味します。そしてバブル崩壊の煽りを受けて取引企業が次々と倒産していき、当座に入金予定だった売上も入らず調達が間に合わないまま。

2000年3月5日

不当たりで当座は凍結し25年間継続していた会社は事実上、倒産に至りました。

会社倒産後 -その1-

 

▼1番辛かったことは何ですか?

精神的な事だったと思います。明日も見えない、真っ暗闇に突き落とされた感覚です。あの感覚は、言葉で表すなら「神も仏もない絶望」という状態でした。
 

▼屈辱的だったことは何ですか?

大切な友達、仕事仲間だと思っていた人達が蜘蛛の子散らすように去っていったことです。私が経営者だったから近くに寄りついていただけで「利用価値が無くなったら必要ない存在」と思われていた事が1番屈辱的でした。
 

▼経営者としての自分をどう思っていましたか?

全て自分の能力、自分で開拓した、逆らう人もいない、全てが自分の思い通りになる。自分は特別な人間だと思い込んでいました。
 

▼倒産直後の生活は?

ノンバンクの取り立てが会社だけではなく自宅まで来ました。ドアを開けないと大声で怒鳴り散らされます。私には妻と3人の娘がいますが、妻と末娘は知人宅へ預け、長女は自主的に友人宅へ避難しました。次女は会社を継がせるために学生の頃から後継者として育てていましたので残り、従業員、ノンバンクの対応、倒産の手続き等の対応をさせました。私は取引先や下請け業者を回って土下座をする日が続きました。
 
賃貸だったので、家賃滞納で追い出されてしまう日も迫っていました。ですが明日も考えられず、ひたすら土下座して罵声を浴び続ける日々でした。(ノンバンクの返済額が億単位になっていたため、近藤さんと連帯保証人になっていた奥様は自己破産の手続きを行いました)
 
お金が無いどころか借金だらけだから自己破産するのに、弁護士に「自己破産は1人80万円が必要です」と言われました。妻と合わせて160万円。その他、会社破産手続きや自社ビルの片付け等、軽く見積もっても300万円は必要でした。ですが、そんなお金はありません。(※当時の法律で定められた破産手続法の金額です)
 

▼その時はどう思いましたか?

当時は、ただただ屈辱的でした。(そのお金を工面したのは親戚、そして近藤さんの長女と次女だったそうです)

会社倒産後 -その2-

 

【選択肢:生きる/死ぬ/逃げる】

もう自分の事で頭が一杯でした。選択肢は「生きるか、死ぬか、逃げるか」しかない。家族を捨てて関西に逃げようと本気で考えました。誰も自分を知らない場所へ逃げるか、死ぬか。そればかり考えていました。
 

▼なぜ「生きる」を選んだのですか?

当時、末娘は私立に通う高校生でした。今後学費なんて払える訳がない。そもそも生活費すら全くない状態でしたので娘を中退させようと考えたのです。その時に次女が「妹の学費は私が払う。生活費も稼いでくる」と。長女も自分が勤める会社から100万円も借り入れをしてきてくれました。そのお金で新しい生活をスタートしました。その時、心境が変わったのです。自分の身体が動く限り、家族の為に働こう。そう決意しました。

会社倒産後 -その3-

近藤さんは数ヶ月後タクシー運転士に転職します。
 

▼転職直後は如何でしたか?

最初はお客様に頭を下げる事ができませんでした。以前まで自分はタクシーに乗る客側だったのに……というプライドが捨てきれず辛い日々でした。
 

▼まわりの反応はどうでしたか?

馬鹿にして見下していた人達もいたでしょうね。自業自得だと思われていたかもしれません。ですが、まわりの目など気にする余裕は全くありません。ひたすら働き続けました。
 

▼経営者からタクシー運転士になって学んだ事は?

タクシー運転士の仲間には自分と同じような経験をしている人がたくさん居ました。そして、お客様との会話の中で様々な悩みを聞く事も多くありました。
辛いのは自分だけではない。世の中、苦しみを抱えて生きている人はたくさんいる。人様を通して、そう気付いたのです。

会社倒産から学んだこと

▼会社倒産した理由は何だと思いますか?

怠慢」だった。この言葉に尽きると思います。忠告してくれた人もいたのに、自分の実力を過信して耳を傾けなかったのが1番の原因だと思っています。
 

▼後悔している事はありますか?

倒産は私の傲慢怠慢が原因です。未練など一切ありませんが私は多くの方々に迷惑をかけました。親戚に借金もしたし、従業員に最後の給料も支払えませんでした。他にも下請け業者に支払いができないまま倒産したので業者の社長及び社員、その家族の生活は大丈夫だったのだろうか?今も私を恨んでいる人達がいるかもしれない。そういう懺悔の思いは残っています。
 

▼倒産から学んだことは何かありますか?

全てを失ってから「生かされている」と思うようになりました。家族、私の実の兄と姉、仲間達に支えられて今の自分が居る。会社経営をしていた頃もそうだったのに、あの頃は怠慢で気付けませんでした。そして、物事は移り変わるという事。時代も人間も変わるのです。身勝手で傲慢で人の話も聞けなかった私ですら変わる事ができたのですから、変われない人はいないと思います。
 

▼お金についてどう思いますか?

お金持ちになりたい」誰もが願うことだと思いますが「金持ち=幸せ」ではありません。世の中、確かに金で解決できる事はたくさんあります。それに金は無いよりは有った方が幸せだと思います。困っている人を助ける事もできます。ですが「なぜ金持ちになりたいのか?」という事をよく考えた方がいいと思います
 
目標や夢があって行き着く先が「お金持ち」なら良いと思いますが欲と夢は違う。それは本当に大きな差です。欲は出さない方がいいと思います。私利私欲の為なら身の破滅になるので「少欲知足」つまり身の丈に合った生活に感謝が持てる心を培う方が幸せになれると思います
 

▼バブル崩壊後も存続している会社との違いは何だと思いますか?

バブル期にコツコツ地道に事業を行ってきた経営者が生き残っているのだと思います。私も含めて、お金に目が眩み私利私欲に走った会社は倒産していますね。
 

▼経営者には特別な才能が必要だと思いますか?

「先見の明」が必要だと思います。それが特別な才能かと言えば、そうではないのかもしれません。気付くか/気付かないか、この差だと思います。
 

▼「先見の明」とは具体的に?

抽象的な表現になってしまうのですが経営で大切なことはいつの時代も変わらないのだと思います。
先見の明とは、
 

  • 人様の役に立つ事業を行っているという信念
  • 従業員は資産であり財産であるという認識

 
この2つを心から理解している経営者の企業はバブル崩壊後も存続、発展しています。
 
事業ですから「利益」は必要です。しかし私利私欲ではなく、人様に喜んで頂けるように心を込めて1つひとつの仕事を丁寧に行えば利益は後から必ず付いてくるものです。そして利益は株主だけではなく従業員にも還元する。そこに、いち早く心から気付き実践できる経営者が「先見の明」を持つ人だと思います

会社倒産するかもしれないと思っている経営者に伝えたいこと


不況と言われている近年、事業に苦戦している経営者は多く存在します。
 
▼苦戦している経営者に伝えたい事は?
経営難の時に言われても信じてもらえないかもしれませんが、とにかく人様の役に立てる事業を自分はしているという事に自信を持ってください。たとえ小さな花瓶1つ販売したとしても、その花瓶に花を添えて楽しみ・癒しを得ているお客様がいると想像してみると実感が持てるかもしれません。そして売りっぱなしではなく、その後のお客様の満足度を上げるサポート体制も必要です。
 
例えば電話でもメールでも手紙でもいいので「その後、如何ですか?」と、お客様へコンタクトを取ってみて下さい。成果はすぐ目に見えて出ないかもしれません。しかし人様のお役に立てる事業は必ず後に利益が付いてくると信じて頑張ってください。
 

▼次に事業を立ち上げるとしたら気を付けたい事は何ですか?

 

  • 人様のお役に立てる経営、という精神を忘れない
  • その仕事に自信を持つ
  • 人の意見は真摯に聞く
  • 従業員を大切にする
  • 世の中の移り変わりに対して柔軟に対応をする
  • 全ての人、物事に感謝をする(何があっても成長、向上する機会だと受けとめる)
  • 時間を大切にする

 

▼「時間を大切にする」とは?

既婚者なら家族と過ごす時間、独身者なら友達と遊ぶ、趣味の時間を作る等が経営者にも従業員にも大切だと思います。外に出て消費者側になり学んだこと、家庭や趣味で発見したアイデア等を提案してくれる従業員は会社にとって大きな無形資産となります。

編集後記

近藤さんは売上トップをキープしつつ無事故・無違反の優良運転士として認定されており本社から表彰を受けています。
タクシー運転士として街を走るだけではなく、本社での新人教育講師・社内広報誌でインタビューを受けるなど「タクシー運転士」として成功と言える功績をおさめています。
 
なぜ未経験の分野であったタクシー運転士で売上トップを継続できたのか?近藤さんは笑いながら、こう答えました。
「経営者時代にタクシーをよく使っていたので。例えば銀座で金持ちがタクシーをどこで拾うのかが手に取るように分かっていたので……経験ってどう活きるか分からないものですね。」
 
 
 
以前、このような名言を聞いたことがあります。
【世の中は貴方が転んだ事に興味は無い。そこから、どう立ち上がるのかに興味がある】
今回取材した近藤さんの人生は転んだというより大転落でしたが、そこから這い上がりました。
 
 
 

 
 
 
近藤さんは数年前、癌になり余命1年宣告を受けました。
「人様を困らせた罰が当たった。もし生き延びられたら今度は人様のためにこの身体を使わせて頂こう」
現在、癌は奇跡的に完治し休日はボランティア等を行っているそうです。

 
 

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ニアセクリエイターズ所属のWebライター/コラムニスト
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