2017年5月、米グーグル傘下の人工知能(AI)開発ベンチャー「ディープマインド」(英国)の囲碁ソフト「アルファ碁」が世界トップ棋士・柯潔氏に3戦全勝したことで話題になりました。囲碁、その知名度に反して、ルールを知っていたり実際に打ったことがある人はそれほど多くありません。
そんな囲碁のプレイヤーを広げる活動をしている会社があります。その名も「IGOホールディングス株式会社」。なんともスケールの大きな社名です。誰でも参加できる囲碁イベントや囲碁の上達プログラムなど、囲碁にまつわる取り組みをしています。
2017年6月にはクラウドファウンディングプロジェクトを立ちあげて目標額を達成しました。募った資金で「囲碁打てます」と書かれたステッカーを作り、囲碁が打てる人を可視化しようと試みています。
今回はIGOホールディングスの井桁健太代表に、世にも珍しい囲碁ビジネスの今についてお話しをお伺いしました。
事業戦略その1. 「3ヶ月で囲碁初段プロジェクト」。成長意欲が高いビジネスマンがメインターゲット
――IGOホールディングスはいつ立ちあげたんでしょうか
2015年5月15日設立なので今年で3期目です。ちょうど囲碁年(2015年)のGO囲碁(5月15日)の日に、囲碁仲間4人で立ちあげました。
――いまもその4名でやってらっしゃるんですか
喧嘩別れではないですが、現在は私1人です。もともと私は食品メーカーの営業を1年8か月やってまして。趣味で囲碁イベントを主催してました。そのうちに「これを本業にしてみたいな」と思うようになってメーカーを辞め、イベント時など一緒に動いてたメンバー達と会社を作りました。
特に起業するつもりがあったわけじゃなかったんですが動けば動くほど「あなたたち4人はどういう関係なんですか?」とメンバーの関係を聞かれるようになりまして。囲碁という共通点はありましたがやってることはバラバラだったので、外から見たときに分かりやすいよう箱を作ろうと会社にしました。
――どんなメンバーがいたんでしょうか
例えば、プロ育成の子供向け教室をやってるメンバーがいました。彼の場合は「人生を決めようとする子どもたちとその覚悟を受け止める自分がいる一方、ビギナーの方を相手にする自分もいて、その両立が難しい」と会社を抜けました。いまも、なにか一緒にできることがあれば手を組もうという関係です。
IGOホールディングスは業界の高齢化もなんとかしたいとも思っているので、どうしても現役で働かれている方が多くなり、ゼロから始める人に向けての働きかけが多いんです。ビギナーの方と対局したり、振り返りをする際にはまず良かったところを伝えます。悪かった手は「悪かった」と言わず言葉を変えて「改善すべきところ」として伝えています。
――現在、IGOホールディングスはどのような事業をされてるんでしょうか
個人のお客さまへのレッスンが収益の柱です。特に「三か月で囲碁初段プロジェクト」ですね。ビジネスマンは仕事で忙しいですから、短期間に集中して取り組んで上達をしようというものです。囲碁は一度覚えれば一生楽しめますので、そういうスタイルの方が向いていると思っています。(現在は第六棋生を募集中)BtoBはこれからです。囲碁を企業研修に入れられないかなと考えています。
――3か月で初段。普通なら初段取るのにどれぐらいかかるんですか?
1年半~2年かかるのが一般的ですね。囲碁初段をとる難しさは、マラソンでいえばサブ4(フルマラソンを4時間以内で走ること)と同じくらいです。初段プロジェクトではプロジェクトメンバーとして10名募集して、3か月フルコミットで挑戦します。認定大会という公式の大会がありまして、初段を目指す人同士で対局して4戦中2勝すれば初段です。これまで50人参加して10人が初段になりました。
少しでも囲碁を知ってる方をプロジェクトの対象にすれば、もう少し合格率が上がると思うんですが、本気で「やってやるぜ!」と奮起する人ってそれまでまったく囲碁に触れたことのない人が多いんですよ。
――まったく囲碁やってない人のほうが多いんですか。初段プロジェクトって178,000円しますよね。まったく囲碁をやったことがなくて、その金額払うのはどんな層なんでしょう?
成長意欲が高い人が申し込んでくれます。30~40代のビジネスマンが多いですね。男女比率は半々ぐらいです。単なる囲碁教室なら他の教室でもいいわけで、それでは差別化になりません。囲碁教室側からすれば長く通ってもらえば長く通ってもらうだけいいわけですから、普通は「3か月で初段」みたいに期限を決めないんです。そこを我々はあえて決めてしまう。
プロジェクトの金額は囲碁教室の相場からすれば少し高めですが、ビジネスマンにとっては時間への投資でもあります。「こういうプロジェクトなんだよ」と明確で高いゴールを説明すると、成長意欲が高い人が「よっしゃ、とってやるぜ」と本腰を入れていただけるわけです。そういう方々にとって初段プロジェクトは非日常で学びもありますし、知的な出会いもあります。
――成長意欲の高い人が新しい思考ツールを手にいれるための囲碁ってわけですね
そういう方たちは囲碁を打つことだけを目的にしてないんですよ。例えば以前、朝7時からスタバでやる朝囲碁を開催してたんですが、お越しになる方々と接していくうちに「早起き」に価値を見出してるんだとわかりました。
――ああ、囲碁を動機に早起きできること自体が商品価値だと
そうですね。会社のビジョンとしても「知的な出会い」を掲げています。年齢・性別・言語・国籍・人種・身体能力の6つのコミュニケーションの壁を超えた出会いですね。囲碁に興味を持ってやって来る時点で気が合う。参加者にフィルターがかります。そういう人たちとの出会いも価値だと考えてます。
事業戦略その2. 地域密着しすぎ型ビジネス
――井桁さんのようにプロ棋士以外で囲碁で食べてる方っているんでしょうか?
想像されてる以上に結構います。だいたいは碁会所を経営されるかインストラクターをされてます。私のように会社を辞めて業界に飛び込む人は珍しい方で、プロにはなれなかったけど囲碁に携わっていたい方が囲碁を教える仕事をされてます。
――インストラクターは何名ぐらいいるんですか
本業でやってるのは知ってる方だけでも東京で30人はいると思います。生徒さんは圧倒的にご年配の方が多いでしょうから、今の教室を運営されるだけでなく新規で始める方へのアプローチもしていかないとこれからは大変だと思います。レッスン料は1局4,000円ぐらいが相場で、振り返り含めて1局1時間ぐらいかかります。なので例えばピアノなどのレッスンに比べると全然安いです。
囲碁人口は250万人くらいと言われてますがおそらく7割くらいはご年配の方です。昔の方って職場で昼休みにやってたそうなんですよ。囲碁を知ってる先輩の相手をして覚えて、退職してから趣味として本格的にやるってパターンが多いようです。
――碁会所はどれぐらいあるんでしょうか
碁会所は都内に30ヵ所ぐらいありますが、やはり利用者はご年配がほとんどです。1日中使えて1,000~1,500円が相場で、1日20人ぐらいお客さんがくればいいほう。囲碁人口はピークで1,000万人いたそうですが、その頃のモデルのままなんです。もちろん多くのお客さんに来てもらえれば嬉しいですが「家賃がペイできればいい」という気持ちでやってる方もいます。いまからお店構えるのはなかなかリスキーなので、当社は渋谷のセンター街にある「囲碁サロン渋谷」をお借りしています。
――新規の若いプレイヤーを増やすことが課題なんですね
僕は勝手に「地域密着しすぎ型」と呼んでるのですが、碁会所は新しい人が行きづらくて、どうしても身内の集まりになってしまいがちです。裾野を広げてお客さんの流れが良くなるようになんとかしたいです。
10年20年したら今のお客さまがいなくなってしまいます。かといって、若者を取り込むのに成功してるお店があっても成功事例が周りません。業界内で横のつながりがあまりないんです。その課題を解消して、知的な出会いを促進していきたいですね。
囲碁は経営者という職業に通じるものがある
――囲碁は経営センスを磨くのに役立つので、経営者のプレイヤーが多いと聞いたのですが
経営者は多いですよ。「囲碁 経営者」で検索するとたくさん出てきます。囲碁はどこに石を置いてもいいのが社長という職業に通じてるのかもしれません。社長も何をやってもいいですから。とはいえ。攻めてばかりで土台がしっかりしてないと足元すくわれますし、守ってばかりでも新規事業が立ちあがらないで負けてしまいます。いったん置いたら石を動かせないのも経営に似てますね。
囲碁は将棋ほどかっちり定石があるわけじゃないんです。どこに石を置いてもいいし、変化も大きい。極論言えば「なんとなくここかな」で置いてるゲームなので性格が出ます。攻撃が好きな人は「どうすれば攻められるか」がなんとなくの基準になるし、守りが好きな人はその逆です。ある状態を見たときに攻撃と守り、どっちを重視してる人間かによって黒が有利、白が有利の判断も変わってきます。
――攻めと守りのバランスが重要というわけですか。たしかに経営に通じるところがありますね。
レッスンするときも相手の性格を前提にしつつ教えます。守るのが好きな人に「このタイミングで攻めてください」って伝えるとビビっちゃうんです。「まだ守れてないのに怖いです」と言ったりします。メンタルブロックが出てしまって、前回の対局とほぼほぼ同じシチュエーションだって分かってても指せない。「今度の相手はうまく対抗してくるかもしれない」って考えちゃうんでしょうね。
――どういう人がうまくなるんですか
へこたれないメンタルをもってる人です。相手のなんとなくと自分のなんとなくがぶつかり合うので自分の思惑がうまくいかないなんてしばしばです。そのなかで修正をしつづける。初心者は上手と打てば、かなりの確率で負けちゃう、それが続くこともあります。なので囲碁は最初がすこしハードルが高いので、そこでもへこたれないのが重要です。それぞれの囲碁事業者とも、その点の工夫は力を入れていますね。