起業とは。6つの学びから見る「起業」して良かったこと

ニアセ寄稿

長く書かせていただいてきた「起業失敗」シリーズですが、まだまだ書きたいネタもある一方で、今回はちょっと目先の違う話をさせていただきます。「起業して良かったこと」について書いてみようというちょっと明るいコラムです。
 
さて、そういうわけで僕は起業に失敗しましたが、「起業したことを後悔しているか」と尋ねられると、「信じてもらえないと思うけど、していない」と答えます。もちろん、後悔はたくさんあります。出資者に大損をさせてしまったこと、協力者や従業員の期待に応えられなかったこと。その辺りは本当に慙愧の念に堪えないところです。また自分の判断のミス、あるいは甘さ。そういった点への後悔も尽きません。
 
しかし、その一方でかつて勤めていた職場を辞して「起業」という選択をしたことそのものに後悔があるかというと、自分でもちょっと驚くくらい「無い」のです。
 
僕はどうせあの職場には適応出来なかっただろうし、きっとどのような流れを踏んでも「起業」を一度はしていただろうと思うのです。そして、そこからは非常に多くのものを学ぶことが出来たと今では思っています。今日はそんなお話です。

学び1. もうブラック企業は怖くない

一度起業すると、ほぼ全ての人が「ブラック企業を怖がる理由はない」と感じるようになると思います。だって、自分で経営していたのですから相手の手の内は丸わかりです。いざとなったらどう逃げればいいかもすっかり理解しているでしょう。
 
創業当初の会社なんて、何をどうやってもかなり「ブラック」になります。そこから従業員を逃がさないように四苦八苦していた人間にとって「逃げる」なんて本当に簡単なことです。「体調が悪くて動けません」で逃げ切れる労働者の立場など、経営の重圧に比べれば楽園のように感じられるのではないでしょうか。
 
また、いかに「ブラック企業」といえど、所詮は「他人の会社」です。そこで何が起ころうと責任を取るのは経営者であり、従業員ではありません。それを理解しているだけで、仕事は恐ろしく楽になります。
 
起業を経験している以上、トップの重責に耐えながらの一日15時間労働くらいは当然に経験してきているでしょう。そこから「責任」という重圧が解除されたのです。これは、ちょっとすごいです。羽根が生えたように心も身体も軽い。「労働者は最高だ」という気持ちをじっくりと噛み締められます。
 
また、起業を経験していれば労働法規から裁判での戦い方まで大体は頭に入っていることが多いと思います。だって、こないだまで追い詰められる側でしたからね…。そういうわけで、いざという時の戦闘力もバッチリです。その気になれば、他の従業員を扇動して反乱を起こすことすら出来てしまうかもしれません。僕は正直、タイミングが合えば場合によってはやれると思う。だってやられたし…。

学び2. 自社との交渉がガンガン打てる

一度経営を経験すると、会社の経営状態や利益率などがかなり明確に見えてきます。また、「どの程度自分が重要なポジションにいて、自分が抜けるとどれくらいの困りが発生するのか」も見えやすくなってきます。これはどういうことかというと、経営者に対して給与や休暇など、雇用条件についての交渉がガンガン打てるということです。
 
もちろん「交渉」を打つためには交渉材料を手に入れなければいけませんが、経営を一度経験していれば、どのような材料が効果的に経営者を追い詰めるものなのかは痛いほど理解しているでしょう。なにせ、こないだまで追い詰められる側だったわけですからね。
 
上司も社長も最早怖くはありません。上からの叱責など、パンク寸前の資金繰りを切り回すあの恐怖に比べたら物の数ではないでしょう。経営者より労働者の方が強い。それを一番よく理解しているのは元経営者です。
 
僕も現在はガッシガシ交渉を打つサラリーマンです。歩合率、基本給、出勤時間、全て自分の都合の良いように変えていただきました。もちろん無理のないように、「それでも自分が在籍していた方が得ですよね」という形で。この辺りの間合い感は、一度「雇う」側に回らないとなかなかピンと来ないと思います。

学び3. クソ度胸が搭載される

怒鳴る上司、叫ぶ上司。いますよね。また、精神的に追い詰めにかかってくる上司もたくさんいると思います。でも、それって月末に従業員に払う給与が足りないよりは怖くないですよね。お金が払えなくて、「すいません、一ヶ月待ってください」と取引先に頼み込むあの恐怖に比べればなんということはありません。また、「上司の思惑」や「上司の上司」までもがイメージ出来るようになっているので、社内での立ち回りも当然洗練されています。
 
また、仕事中に全く指示もマニュアルもない判断事項が生じた時も、自信を持って判断できるようになっているでしょう。「このやり方が一番利益になる」という価値基盤が自分の中に揺るがず存在しているからです。もちろん、わからないことがあれば上司に判断を仰ぐのはとても重要なことですが、アドリブをするしかない局面では実に素早く上質なアドリブ業務が行えるでしょう。
 
何せ、何のマニュアルも業務規則も無い「起業」の世界にいたのですから。起業の世界は何もかも手探りが常だったはずです。そこに慣れてしまうと、たかが一社員としての業務判断なんて怖くもなんともありません。責任を取るのはつまるところ経営者です。

学び4. 給料のありがたみがわかる

起業を経て一般企業に再就職したときの一番の感動ポイントはここだと思います。少なくとも通勤さえしていれば、毎月一定の給与が出ることを疑わなくて良い。もう資金繰りに頭を悩ませなくていいのです。必ずお金は入ってくる、これほどありがたいことは他にありません。「給料」がいかに素晴らしいものか、じっくりと感じることが出来るでしょう。
 
実際、いかにストレスフルな会社の従業員でも、状態の悪い会社の社長よりストレスが大きいということはあまりありません。困るのは所詮自分だけだからです。(もちろん、社長の立場を知らなければこの世で一番苦しいと感じると思いますが)かつて熱湯のように感じたであろう状況がまるでぬるま湯のように感じられ、かつては大したありがたみを感じなかった「給料」が光り輝いて見えたのは本当に感動的な経験でした。
 
これは本当にモチベーションに影響します。一度起業をして、食うや食わずの生活をした元社長ほど「従業員」の立場を享受出来る存在はいないでしょう。最高です。

学び5. 営業に強くなる

どのような会社であれ、社長が外部との折衝をほとんどしなくて済む形で起業出来ることは稀でしょう。一度トップに立ったなら、それは絶え間なく続く交渉の連続だったはずです。他社との交渉ももとより、従業員や役員がいたのであれば自社の内部の人間たちとの交渉も延々と続いたはずです。雇用条件から裁量、業務の進め方、事業方針など他人を納得させて動かすという経験は本当にたくさん積んだのではないでしょうか。
 
そのうえ、ここまで書いてきた通り「会社組織」というものへの理解が深まっているので、「商品の売り込み方」はかなりピンと来るはずです。更に、「失敗しても全部経営者の責任、他人のカンバンで好き勝手にやるだけ」とでも言うような開き直りも発生しているでしょう。
 
他人の会社の名刺、本当に最高ですよね。自分が大粗相をしても、責任を取るのは経営者です。これまで従業員の粗相の責任を取ってきた元社長さん、本当に気が楽ですよね。自社の「代表取締役」の肩書きで営業をした経験のある皆様、あの地獄に比べればね、本当に楽ですよ。
 
営業に飛びこんで門前払いされる、あるいは自分の営業トークが拙くて恥をかく。でも、その恥が直撃しているのは所詮経営者です。他人の名刺で恥をかいたところで、ビールでも一杯引っ掛ければ忘れるお話です。
 
そういう気持ちを持っていると、どんどん営業は楽な仕事になります。また、この辺はあんまり書けないですが法には反しないちょっとした「反則技」も結構思いつくと思います。適宜やっていきましょう。

学び6. 食うには困らない

トータルで僕が言いたいのはこういうことです。起業に失敗した人は実はいっぱいいます。その辺にゴロゴロしています。しかし、一部の失敗を苦に命を絶ってしまった、あるいは人生を捨ててしまった人たちを除けば、他の「元社長」どもは大体しぶとく社会の中で生き残っています。中小企業にもぐりこんでいたり、あるいはフリーランスで仕事を取っていたり、生存の手法は様々ですが、一度「起業」と「経営」を経験すると、桁違いに「生き残る」力が付きます。
 
経営者目線を持った従業員」のような表現があり、通常この言葉は「経営者に都合のいい従業員」という意味で使われます。しかし、一度起業と経営を経た人間が従業員になるとそれこそが真正の「経営者目線を持った従業員」になるのです。彼らは経営者をとても深く思いやることが出来ます。その結果、経営者の最も喜ぶこと、あるいは嫌がることを的確に実行することが可能になるのです。
 
実際、起業を経て僕の職務遂行能力はハネ上がりました。「その仕事はよくわからないけど、とにかく理解出来る範囲で理解して飛び込んで来ます。致命的な失敗だけはしないようにします」のような、「指示されなくても動ける人間」になれたと思います。これは、従業員の経験しかなかった頃には全く無かった感覚で、自分でも驚いています。教育機能の全く無い(ややブラック寄りの)中小企業が、信じられないほど居心地が良いのです。
 
また、お金や仕事の流れが見えるようになっているので「仕事拾い」がとても上手になりました。「この仕事、弊社に外注しませんか?」を合言葉にした提案営業で、仕事の合間に外注仕事を拾って稼ぐという荒業も出来るようになってしまいました。経営者時代のコネクションも、事業撤退直後の厳しい状態を抜けると少しずつ回復しつつあり、出来ることの範囲も再び広がり始めています。
 
「僕が年収1000万のサラリーマンに返り咲けることはおそらくないだろう、しかしその一方で『食えなくなる』ことも無いだろう」という安心感が最近は生まれつつあります。起業失敗を経て、僕は間違いなく強くなりました。周囲の「元社長」たちも大体似たような感じがします。彼らは「勝ち組」まで返り咲けはしなくても、タフに目ざとく社会を生き抜いています。

色々あったけど、僕はやっていっています

起業に失敗し、経営が破綻した時は正直なところ「死ぬしかない」と思いました。実際に会社経営をしている頃は果てしなく苦しかったです。しかし、それが過ぎ去って身一つになった時、思った以上に自分に力がついている実感がやってきました。それはどういうスキルなのかと尋ねられたら答えにくいのですが、「生きるスキル」に近いものだと思います。
 
日本において「起業」はリスキーな選択です。新卒で入ったレベルの会社には、おそらくもう復帰出来ないでしょうし、起業期間は場合によってはキャリアの空白に近い扱いを受けるでしょう。場合によっては借金や破産暦も残るでしょう。しかし、そこから得られるものは決して小さくないと僕は感じています。
 
特に、僕のような「そもそも会社組織に適応性がなかった」人間にとっては、それは本当に必要な能力だった気がします。「起業に失敗した結果サラリーマンが勤まるようになった」は我ながら苦笑いをしてしまいますが、間違いなく事実です。
 
だから、僕は「会社勤めはもうダメだ、起業する」という方を止めません。あなたが「もうダメだ」というならそれは「もうダメ」なんでしょう。逃げの起業でも構わないと思います。僕が起業を志した動機は「僕のための楽園を作りたい」でした。起業の成功失敗にたかが動機なんてものが大きな影響を与える筈もありません。そんなもの、本当になんだっていいと思います。
 
起業に失敗したって生きていれば万事オーケーだ、これは半分強がりですが半分は偽らざる本音です。もう、レールに乗り続けた人たちだけがたどり着く世界には戻れないかもしれませんが、我々には我々の生きるゴチャゴチャして猥雑でエネルギーに満ちた世界があります。
 
中小零細企業、フリーランス、自営業者、そういった一群の人々の織り成す群れの中で生きるスキルが身に付けば、大丈夫です。死にはしません。明日はやってきます。
 
思うところはたくさんあり、引っかかるところもたくさんあり、後悔も山ほど積もっているけれど僕はこう言い切ります。「起業して良かった」と。そして、この手の中に残ったものと身に付いたものを大事にしながら、また戦っていきます。
 
起業に失敗したらもう終わりだ、ということは全くありません。いつだって「次は上手くやるさ」と強がりながら、日々をやっていきましょう。そして、起業に打って出る皆さん、何もかも失ったと思っても、経験という大いなる財産はあなたから離れてはいきません。どれほど厳しい状況に陥っても、それだけは忘れないでください。
 
やっていきましょう!

 
 

1985年生まれ、早稲田大学卒業後金融機関勤務を経て起業するが大失敗。
現在は雇われ営業マンをやりながら、ブログを書いたり
ツイッターをしたり、フリーライターをしたりしています。
発達障害(ADHD)持ちです。そちら関係のブログもやってます。
Blog http://syakkin-dama.hatenablog.com/
Twitter https://twitter.com/syakkin_dama

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