「ファッションアテンダント・横路一樹」18歳で商売をはじめた男の生き様とは

ニューアキンド

最近、起業家が少ないという声をよく耳にします。
 
5年で85%は倒産するということも聞いたことがあります。しかし、失敗のことばかり考えて、チャレンジしないというのも何か違う。やりたいことがあるならどんどん自分で事業を興して、商売をはじめればいいという考えもあるわけです。自分が挑戦したいこと、成し遂げたい夢があれば人は起業という選択をすることができるのです。
 
そんな起業に関する情報を見聞きしていた時、「横路一樹」という男と知り合い、話を聞くことになったのです。彼は22歳で自分の店を持ち、一度は事業売却という形を取ったが、大きな志を抱き2回目の起業をした、かなりチャレンジングな起業家でした。

リアル店舗ではじめたブランド古着のリサイクルビジネス

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-1回目の起業は何をやられていたのですか?
 
横路氏:最初、大学を中退し学生時代から始めていた衣料品のネット販売と卸業、ブランド古着のリサイクル事業を個人事業として横浜でスタートさせました。最初のチャレンジは22歳で名古屋の駅前のファッションビル内のテナントでお店を出すチャンスが訪れて、思いきってやってみたのです。その後、拠点を横浜から恵比寿に移し、24歳の時に有限会社を資本金300万円で設立しました。
 
同時期に新潟大学を卒業してフリーターをしていたスニーカーマニアの仲間と買取リサイクルブランド古着DIGRAGディグラグ)」を2003年6月にOPENさせました。市内で一番のメインストリート一階路面店でサーフショップの居ぬき物件を見つけ、直感で『これはいける!』と感じ、すぐに物件取得の保証金を用意して、物件を抑えたのを覚えています。
 
このお店は敢えて内装を作っている様子をフルオープンにして、商店街を通る一般の方に見せた状態にして『なにができるんだろ!?』という期待感を煽ったりもしました。地元に根付いているファッション情報誌『Pas magazine』に開店前の月と開店月の2回ドカンとTOPページに広告をだす戦略が功を奏してOPEN時には大行列でした。スタートした土日2日間で300万円近くの売上を達成して、立ち上げた自分たちが一番びっくりしました。
 
内装は一緒に立ち上げた仲間の新潟大学繋がりで、建築学部出身の人物に店舗内装なんかやったこと無いのに、内装イメージの模型を作ってもらいました。郊外の大型ホームセンターで資材を調達し、その彼を中心に自分達で床張りから什器作成など全て作りましたね。
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50坪のお店の内装費用はその彼への報酬と材料費を合わせても100万円以内と言う内装業者からしたら信じられない価格で立ち上げたのは今でも自慢できると思います。
 
商品は、今では古着といったらブランド品のリサイクルが主流ですが、当時はまだアメカジ古着がまだ全盛でした。僕が18歳からフリマで商売を始めてずっと得意としていた『ブランド古着』で全ていくことにして、当時まだ大人気だった裏原宿系やストリート系、モード系など何が今一番売れるかを我武者羅に追求していってましたね。
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限界を感じたリアル店舗ビジネス

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横路氏:元々バスケットを中学高校と部活でやっていて、バッシュやスニーカー好きが影響してファッションに目覚めた感じです。商売にハマっていったきっかけが、スニーカーを自分の目利きで購入して、それが雑誌にプレミアム価格で載っていたりするだけでとても興奮していました。
 
18歳から代々木公園のフリーマーケットから商売をはじめて、雑誌に広告をだして通信販売、当時まだ始まったばかりのヤフオク!を使ったネット通販、全国の小売店への卸業、ドメスティックブランド(国内ブランド)の代理店を20歳そこそこの若造がやっていました。
 
22歳からは実店舗を立ち上げて6店舗まで広げ、同時に東京の恵比寿でドメスティックブランド(国内ブランド)を展開していってMAXで年商2億8000万円程まで会社を成長させていきました。
 
一度も会社勤めをしたことが無く、ビギナーズラック的な成功が続き順風満帆で、運転資金も特に困ったことはありませんでした。その中でブランドを立ち上げて、WRATTLE(ラトル)と言うブランドの生産を国内のショーロット生産から商社を通じて大きな資金の枠を確保してもらいました。調子に乗って中国生産に切り替えていったのですが深く考えていなかった戦略が思いっきり裏目に出てしまいました。。。
 
徐々に過剰在庫が増えていき、最終的にブランドを完全に閉鎖し、在庫を二束三文で知り合いの業者に全て買ってもらいました。事業を撤退したときのブランド事業の負債が約5000万円ほどに膨れていました。ブランドリサイクル古着ビジネスを地道にコツコツ続けて大きな利益を出していたので、なんとか持ち直し、会社の倒産まではしないで済みました。
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—その5千万円の負債を抱えたとき、在庫不良が原因ですか?
 
横路氏:そうでうすね。売れないアイテムを無理に作り過ぎたのが原因ですね。国内の小ロットで展示会の受注発注で在庫リスクを無くしていくのではなく、海外生産って1枚単価はグっと安くなるんですがロットを積まなくてはいけないんです。
 
スウェット、パーカー各5色で○百万円、ジャケット3型で○百万円、パンツ、鞄・・・とアイテムが増えるだけ金額が増えていき、あっと言う間に何千万円っていっちゃうんですよ。
 
ブランドを立ち上げて大きく展開するって金銭面もそうですが、やらなくてはいけないことが果てしないくらいあって、正直もう一度やりたいか?と言われても『1億円無くす気があったらブランド展開も有りだと思います!』と言えますね。
 
でもファッションの業界にいるとやっぱり自分でブランドを立ち上げて成功させたくなっちゃうんですよね。
 
今考えてもよく会社を倒産させずに残って、連鎖で個人的にも自己破産しなかったなと思います。当時、僕が恵比寿でブランドをやっていた時に、新潟、長岡、上越で僕が立ち上げたお店を堅実に運営し、利益を出して会社を支えてくれていたメンバーには感謝の言葉しか言えません。衣料品の買取リサイクル事業というドル箱を地方都市で地道にやっていたから、なんとかなったと思います。
 
—5千万円の負債を抱えたけども、なんとかなるなっていう心境ですか?
 
横路氏:そうですね。在庫を全て処分し、ブランド事業を全て清算し、中途半端ではなく損切りできたのが良かったですね。あのままズルズルやっていたらと思うと。。。そして調子がよく確実に利益を出していた買取ブランドリサイクルの事業に経営資源をすべて注力できたのが良かったと思います。
 
その後、私個人は自社ブランドに投資していた自分の時間を株の勉強に費やすようになります。朝から株式相場に張り付き、モニター8台並べてデイトレードをやっていました。それが20代後半ですね。
 
自分が18歳から商売をはじめて会社を作り、中小企業をなんとか運営していく中で自分の事業の限界を感じ、一度すべてリセットすることを決心したんです。最終的には外部コンサルとして僕を支えてくれていた今でも縁が深いパートナーに新潟での店舗5店舗と東京のネット販売事業部を売却したのが30歳の時でした。その当時はまだトータルで月商2千万円はありましたので年商2億5千万円ほどを全て売却したのです。
 
自分の中であと10年頑張って40歳の時にどう考えても年商のMAX10億円にたどり着くかどうか。株など経済を勉強していく中でIT企業で自分よりも後から事業をスタートさせた起業家が成功を収め時価総額10億、100億と成長させていくスピードを見ていく中でリアル店舗商売の限界を感じてしまったのですね。
 
ただ幸いなことに僕が事業を売却してからもう8年が過ぎているのですが、立ち上げた新潟の『DIGRAG』も現在も4店舗続いています。本店の古町店に関しては15年目、東京のネット販売の事業部もネットだけでなくリアル買い取り店舗もオープンし、楽天での店舗もスタートさせ売上が安定している状態です。
 
僕が立ち上げた店舗と事業部、そして自分が引っ張って育てたメンバーがまだ頑張っていてくれてることが誇りです。

リアル店舗は持たない。2回目の起業

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—事業売却後は何をされていたのですか?
 
横路氏:古着屋リサイクルビジネスを売却した後、「快適トレイナビ」という食べログとトイレ版の口コミサイトをやろうとして、東大生のプログラマーを紹介してもらい、一緒に立ち上げようとしました。私自身がIT/Web業界にいたわけではないので立ち上げの経験がなく、優秀なプログラマーの彼をうまく活かすことができず、結局サービスは立ち上がらないで頓挫しました。
 
お店や洋服は作ってきたのだけれど、IT/Webサービスを作る経験は全く無く、IT/Webの世界をあまり知らない自分では、宝の持ち腐れでした。優秀な人材がいても、活かしきれなかった。今思うと苦い失敗ですがそれが今に確実に生きています。
 
もう失敗経験なんて腐るほどありますね。あと、パンとスイーツの事業で5年で100店舗、年商100億円の事業プランを計画し上場企業に提案をしにいったりもしましたね。
 
代表取締役と書かれた名刺持っている人でたまに思うことがあって、代表取締役と書かれていても自分一人の会社では厳密に言ったら代表じゃなくない?会社って2人以上いて代表だよね。そんな風に思ってしまいます。
 
月給をちゃんと払っている社員が1人でもいるってことは、その人と家族の人生を背負っているってことなので、僕的にはとってもリスペクトなのです。有限会社の名刺を持っていたら、15年前、20年前から商売やっているんですか!すごいですね!って僕はなります。今は会社を1円で作れてしまいますし、実態はなくても名乗ったもの勝ちで、CEOや代表取締役も経験した自分にとっては逆になんか薄いなぁと思ってしまいます。
 
昔は僕も代表やってるぜとか、代表取締役という響きに酔いしれたり、ブランドをやっていたときも恵比寿に事務所を構えて格好つけてたんですよ。その気持もすごく分かるのですが、今は一度経験して通ってきたので、正直そこには全くこだわらないですね。固定の事務所もリモートワークで仕事もできますし今はいらないと思ってます。
 
資金調達もIT/Webの方たちは最初から念頭にあり、まず事業を回ることよりも先に調達することを考えている方が多いように思います。僕は幸いとしてIT/Web業界にずっといたわけではなく真逆のリアル店舗商売からスタートしてきたので、そのような感覚がないのです。基本的に物を安く仕入れて、利益を乗せて売る。差額が利益で現金を回す商売をやってきたので、まだ商売が回っていない段階で人様にお金を投資してもらって商売するって感覚がありません。
 
まず現金ありきというか、自らお金を作る、回すということを意識しています。お金ないんだったら徹底的にお金かけないんですよ。

ファッションアテンダント

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僕が現在運営しているサービスが「ファッションアテンダント」というサービスになるのですが、実はサービスを正式スタートさせてから2年半近く経つのですが、今でも月の固定費はサーバー代が月額1,500円弱、事務所としている場所も神宮前にあるファッション関係者が利用するコワーキングスペースの月額利用料の1万円弱のみです。
 
売上がまだ回っていないので徹底的にお金かけてないんですよ。関わるメンバーのほとんどが月~金の本業をちゃんと持っています。有志メンバーによる開発、グロースの施策を行っています。(一部クラウドソーシングを使って報酬を払いアウトソースもしています)
 
お金ないんだったら、無いなりにやるんです。無いなら、無いなりに試行錯誤してどうにかするんですよね。不思議と人って、努力するんですよね。元々、僕の商売が安く仕入れて、なるべく高く売って現金化するリサイクルの商売から入っているので、そういったコスト意識は特に敏感で人一倍厳しいと思います。まずお金は無いものと思ってなんでもするのを心掛けています。
 
今仕掛けているファッションアテンダントは20代ずっとやってきた「形ある物を売るのではなく、目に見えない人の経験と時間を売る。」サービスなのです。僕自身が、『物バイヤーから人バイヤー』に完全に変化しています。
 

ローンチまでの苦労

 
ローンチするまでは、ほんと大変でしたね。最初に構想を思い浮かんでやるぞ!!と決めてから1年半近くかかりました。
 
最初、僕の頭に描くマッチングサービスに興味があるIT企業でバリバリ働く優秀なメンバー10人ほどを集めてミーティングしたんですよ。今思べばよく集まったなぐらいなメンバーでしたね。そしたら、みんなが自分の理想を好き勝手言い出すんですよね。
 
フレームワークを組んで、サービスをゼロから設計し、それを実際に形にしていくエンジニアを各チームに振り分けていきました。しかし全員が完全ボランティアの有志の集まりで、1人のモチベーションが下がって進行が遅れると全員のモチベーションが下がっていく負の連鎖が起こったんです。
 
1人フェードアウトしていくと開発が2ヶ月3ヶ月と遅れ、どんどん空中分解していくんですよね。1年半たってもサービスはテスト版しか立ち上がらず、という状況でした。
 
最終的には元々の私の知り合いで、飲食店や中小企業、美容院等のサイト制作をしていたWebデザイナーの方がWordPressのECサイトの仕組みを使い、1ヶ月半で今まで作ったものを組み込んでサービスローンチできる状態まで持っていってくれました。今でもその土台を改善していきながら運営しています。
 
『Rubyならやりたいです!』『Pythonで開発しましょう!』と声を上げていた優秀なメンバーの集まりは今となっては何だったんだろうか?!と言った感じですよね。
 
その経験からいくら優秀なメンバーを集めたとしてもゼロ~1のサービス立ち上げることは難しい。結局のところ「やる!」と言ったら途中で投げ出さない有言実行できるメンバー少数でいい。関わるメンバーが『どれだけ自分事で考えられるか?!』に尽きると身を持って学ぶことができました。
 

夢の事業に挑戦している最中

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現状、ファッションアテンダントの売上は専業で関わるメンバーを1人雇い入れるだけの売上も無い状態です。
 

『人の経験と知見、センスと時間は買うべきだ!』
『目に見えない経験とセンスに価値をつけて、個人の時間を売るという新しい価値観のサービス』

 
こんな突拍子もない発想と考えが一般の方まで浸透させていくのはとても時間がかかると思っています。だって今までセンスと言う、良くわからない、目に見えない価値に明確な貨幣価値をつけようとした人物がいなかったのですから。地道にコツコツと普及させていくしか無いと思っています。
 
僕は目の前の木だけを見ているのでもなく、木々が集まる森でもなく、その先の町や都市、大陸を見ているつもりです。5年後、10年後は人の価値観はこうなっていると。
 
その時にはきっと物だけでなく、『人の経験と知見、センスと時間は買うべきだ!』という目に見えない体験にもお金を出すのが当たり前の世界になっていると考えています。僕の壮大な夢なんですよ。新しい価値観を作るという夢と野望なのでコツコツと地道にやっていくしかないんです。今や時価総額3兆円規模になっている民泊で話題のAirbnbのように。
 
しかし利用者が中々、思っていたように増えない中で地道にやっているのですが光も見えてくるんですよね。構想から4年もやっていると。実際にサービスをローンチして、2年も特に大きなトラブルなく地道に運営していると、思わぬところから面白い話が飛び込んできたりと日々ワクワクする何か?が生まれる予感がしますね。
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商売をするなら、失敗を恐れちゃダメ

 
サービスを立ち上げるのはなんとか出来たりするんです。そこをクリアして地道にお金を払って利用してくれる方を増やしながら我慢比べのように継続していくことはもっともっと大変なんです。
 
あと恋愛もそうですが、ビジネスもチャレンジからの失敗をしないと駄目だと思います。みんな失敗を怖がり過ぎている。失敗が怖くてチャンスかもしれないのに飛び込めない。でもその失敗を最低限のリスクにするっていうのを徹底しないといけないですよね。誰もがそうかもしれませんが、今まで生きてきた中での小さなプライドがやっぱりみんなあるんですよね。
 
僕もこの歳までに極力そぎ落としてきたつもりですが、小さなプライドを完全に捨てきっている謙虚で素直な人にはやっぱり勝てないですよね。
 
まあ失敗を失敗と思わない。不真面目じゃないが真面目過ぎない。そんなメンタルの強さがとても大事なんじゃないかと思っています。逆に僕は失敗をラッキーぐらいの感じでとっています。無傷でリスクを抱えずに失敗させてくれるんだったら、喜んで、何度でも失敗したいですもん。失敗したもん勝ちですよ。
 
日本は守り文化、右へならえ、など周りのみんなと一緒が良しとする文化ですよね。それって本当にいいのかなぁ、と強く思っています。新しいチャレンジを成功させるなら、失敗を恐れちゃダメなんですよ。
 
僕は自分がまず第一歩を踏み出して、旗を立てて、新しい価値観、面白い事業を作っていくことにブレずに突き進んでいるつもりでいます。しかし周りを見渡すと、実際にほんの小さなアクションができる人って案外少ないんですよね。
 
『口では応援します!』『協力することがあったらなんでも言ってくださいね!』と言うのですが、Facebookページヘのいいね!やTwitterアカウントのフォローでさえもしてくれない方ばかりなのですよ。
 
なかなか実際に小さなアクションまで起こす方がほとんどいないので、僕は新しく出会った相手が店舗やクリエイター、何かしらのサービスのオーナー等であればFacebookへの『いいね!』(クリエイターならインスタのフォロー)ボタンをその場で押すようにしています。
 
この記事を読んでくれている方も口だけではなく小さなアクションを実際に実行していますか?僕もまだまだ成功もしていないし、夢と目標の途中ですが、これからも失敗を恐れずに自分がボケるまではアクションし続けようと思っています(笑)
 
 
取材協力:ファッションアテンダント 横路一樹
 
 

野口さん

商売繁盛を応援するWebメディア・ニューアキンドセンターのセンター長。 もっとエッジを効かせたい、もっとトンガリたい。どうぞよろしくお願いします。

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