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ホーム > アキンド探訪  > 「生きる価値」に根拠はいらない。事業が失敗した時に生き延びる方法

 
日本においては、基本的にどれだけ借金を重ねても、あるいは100円のお金すら手元になくても、死ぬことはないということになっています。生存権が保障されていますので、事業に失敗したからといって死ぬ必要性はありませんよね。そういうことは、事業を興す皆さんなら大体ご存知なのではないでしょうか。
 
そして事業を興せる皆さんですから、その気になれば然るべき制度を利用して生存を確保することは、理屈や手続きの上では難しくはないでしょう。少なくとも、この文章を読んでいる皆さんならどんな制度を利用すれば生き延びられるかはご存知ですよね。(もし、「具体的には知らない」という方がいらっしゃったら、調べておくことを薦めます)
 
しかし、それにも関わらず経営者、あるいは事業主というのは「最悪の選択」をしばしば選んでしまいます。僕自身も、「いざとなったら生き延びる方法はいくらでもある」と頭ではわかっていたのですが、実際に事業の破綻と直面した時はまさしく死ぬかと思いました。本日はそのお話をさせていただこうと思います。

一番恐ろしい時期は、破綻の直後ではない

己の全てを賭けて興した事業が倒れる。これは本当に辛いことです。己の全てを否定されるに等しいことでしょう。
 
しかし、事業が破綻に向かって転げている坂道の途中や、あるいは破綻の直後というのはそれほど「最悪」ではありませんでした。やることがたくさんあり、逃げ出すことも出来ないので結局は忙殺されますし、やらなければならないことがあるうちは目の前のことに集中することで、致命的な精神状態に陥ることは回避できます。
 
事業が破綻しても、そこで終わりということには通常なりません。敗戦処理は必ず発生します。人、モノ、金、それら全てに何らかの形でケリをつける必要に迫られるでしょう。
 
僕の場合も事業の売却、従業員の解雇、借入金の清算、未払い金の処理、在庫の処分など様々な残務処理がありました。事業破綻の直後は創業直後並の忙しさになると思います。また、多くの人に非常にネガティブな状態で接することになるため常に張り詰めた緊張感を持って過ごすことになるでしょう。
 
しかし、それが逆に救いになります。忙しすぎれば、希死念慮に囚われている暇もありません。債権者に、従業員に、取引先に頭を下げて回っているうちはある意味楽でさえありました。まともに暮らすお金すらありませんでしたが、そんなことを気にしている暇さえなかった。自宅の家賃を滞納して管理会社に怒られる程度、なんとも思いませんでした。

何もかも終わった後に何もない自分が残る

僕が事業を破綻させたのはちょうど30歳を迎えた年でした。本当に最悪の形で30代に突入することになったわけです。
 
しかし、僕はある意味幸運でもありました。回っていた事業を売り、出資者に泣いてもらい、その他様々な生き恥を晒した結果、破産さえ回避出来ました。そういうわけで最終的に、30歳の鬱をこじらせた無職が一人残っただけです。
 
これは、転んだ起業家の顛末としては「僥倖(ぎょうこう)」と言う他ないレベルだと思います。もっと厳しい状況に陥った人はたくさんいるでしょう。しかし、それでもこのやるべきことが大方なくなったタイミングが一番の地獄でした。
 
僕はもともと「勤め人がやれない」という理由で起業したタイプです。いうなれば、「勤め人はやれないけれど、起業して事業を回す才覚が自分にはあるんだ」という自負を心の支えにして生きてきたのです。大した能力も才覚もないくせにプライドだけは高い人間でした。
 
これは未だに治っていない気もするのですが、そういうわけで事業の破綻を経て自分自身のアイデンティティが完全に失われた状態に陥ったわけです。勤め人もやれない、起業もしくじった。これからどう生きていくかなんてまったく考えられないという状態です。
 
また、迷惑をかけてしまった人たち、出資者、従業員、取引先への悔悟の念が一番強かったのもこの時期でした。あれほど大言壮語して人を巻き込んだ結果がこれなのだから、自分には生きている価値なんてひとつもないのではないかという思いに駆られました。これは不思議なことですが、今まさに責め立てられているときより、修羅場からやっと離れて落ち着いた時期が一番精神的に厳しかったです。

他人を見下した自分に見下される

起業が必ずしも成功しないことなんて、起業をする人間なら誰しもわかっていると思います。「事業が失敗した時に生き延びる方法」は、「事業が失敗しても生き延びられるように事業を行うこと」に尽きます。
 
しかし、現実的に言えば多くの経営者は借りられる限界までお金を借り、最後の一瞬まで事業にしがみついてしまうでしょう。十分にやり直しの効く早いタイミングで事業から撤退出来ればそれがベストなのは間違いないですが、それが出来る人は多くない。
 
全てを失わずに済む撤退の方法なんてそもそも存在しないということもよくあります。不退転の覚悟で挑む以外に選択肢がないことだってあるでしょう。それは仕方ないことだと思います。
 
しかし、冒頭に書いた通り究極的には日本に住んでいる日本人である限り、生存権は担保されています。であるなら、最終的に生存と最悪の結果を分けるのは本人の考え方に依ることになるでしょう。つまるところ僕は敗者を嘲笑う人間だったのです。
 
そして、敗者を嘲笑うことによって、自分は敗者ではないと確認することによってプライドを保つ下衆だったのです。しかし、自分自身が紛れもない敗者であると認めざるを得ない状況に陥った時、僕のこの性質は僕自身をどこまで追い詰める結果になりました。
 
かつて他人を嘲笑った分だけ自分を嘲笑うことになりました。かつて他人を見下した分だけ自分を見下すことになりました。かつて他人に「無能」の烙印を押した分だけ、自分を「無能」と定義せざるを得なくなりました。それはまさに自業自得そのものでした。
 
他人に「おまえは無能だ」といわれたなら「そんなことはない」と反論出来ます。しかし、自分自身がかつて他人を「無能」「無価値」と定義した以上、自分が同じ状況に陥った時には自分にもその評価を適用せざるを得ません。
 
これは言い訳ですが、人生経験の乏しい若者が起業し一時風向きの良さを味わうと、どうしても驕りと他者を見下す傲慢さは生まれてしまうものだと思います。しかし、一生を成功のうちに終えられるならともかく、失敗する可能性が少しでもあると感じているなら、この傲慢さは可能な限り小さくしておいた方が良いと思います。ゼロにするのは難しいと思いますが、小さければ小さいほどいざという時のダメージも最小限に抑えることができるでしょう。
 
また、他人に傲慢に接していた人間が転んだ時に周囲は本当に冷たくなります。僕も、周囲から人が消えていったときに、友人だと思っていた人間に相手にされなくなったときにそれを知りました。かつて叩いた大口は、最早単なる生き恥でしかありません。本当に謙虚にやっておけばよかったと心から思いました。

生きる価値に根拠はいらない

つまるところ、こういうことです。事業に失敗しようが、何もかも失おうが、他人にどうしようもなく迷惑をかけようが、人間は生きていていいし、それは嘲笑われることでも見下されることでもないということなんです。
 
少なくとも、自分が生きていくために僕はこれからそうしようと決めました。これは倫理的なお話ではなく、純粋なリスク管理の観点からです。他人を見下し嘲笑うのはとても危険なことです。特に、起業家のような人生のアップダウンが激しい人種には尚更です。
 
全ての試みが成功する世界なんてあり得ません。一握りの成功者は、膨大な数の敗者の上に存在しています。もちろん、勝者を目指すのは当たり前のことですが、その一方で敗者であることは何も悪いことではない。挑んで負けた、そこに反省すべきことはあったとしても、恥じるべきことはひとつもない。そう考えることに僕は決めました。
 
是非、起業のようなリスクの高いチャレンジに向かう方は、この考え方を採用することをお勧めします。体感的には致死リスクが半分以下になると思います。少なくとも、「自分は起業して成功するのだ」というのを、自分の根源的な価値にするのはやめた方がいいでしょう。そんなものなくても、あなたは生存を肯定されるべきだし肯定するべきなのです。
 
本当に苦しいとき、致命的なところまで自分を追い詰めたのは他でもない自分自身でした。逆に言えば、これさえなければもっと早く精神状態を立て直して、新しい人生に向かっていくことが出来たと思います。希死念慮に取り付かれて腑抜けて暮らしたあの数ヶ月は、人生の無駄以外の何者でもありませんでした。皆さんは是非、この状態に陥らないように十全のマインドセットをして、起業に挑んでほしいと思います。

おまえが死んでも俺は一円も得しないんだよ

それでは、最後に僕が地獄から這い出すきっかけとなった、僕の偉大なる出資者の言葉を置いておきます。
 
「おまえが死んだら俺の損失がナンボかでも埋まるなら死ぬのもいいが、おまえが死んだって俺は実際のところ1円も得しないだろう。ただの自己満足だろうが。責任を取るっていうのはそういうことじゃないだろ。腑抜けている暇があったら責任を取る方策を考えろ、次の画を描いて持って来い」
 
僕はまだ具体的に「次」を考えられる状態にはありませんが、それでもまた、次は転んでも今回のような惨状にならないように十分に状況を整えて、起業に挑みたいと思っています。残念ながら人生は続く、責任を取るには生きるしかない。出来ることをひとつずつやっていきたいと思っています。残念ながらどこまでも人生は続く。僕はまだ懲りてはいません。やっていきましょう。

 
 

この記事を書いた人

1985年生まれ、早稲田大学卒業後金融機関勤務を経て起業するが大失敗。 現在は雇われ営業マンをやりながら、ブログを書いたり ツイッターをしたり、フリーライターをしたりしています。 発達障害(ADHD)持ちです。そちら関係のブログもやってます。 Blog http://syakkin-dama.hatenablog.com/ Twitter https://twitter.com/syakkin_dama

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