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ホーム > break-time  > 元ジャニーズJr.で、現・アパレルショップマネージャー。華やかな経歴とともに歩んだ小田原への愛情【ネクストエンジンライフ】

「忙しい」と言われるEC担当者でありながら、業務効率化をすることでプライベートを充実させている。そんな「イケてる」EC担当者にお話しを聞く【ネクストエンジンライフ】。

第3回目となる今回は、神奈川県小田原市で生まれ育ち現在もアパレルショップ「STADIUM」の店主兼スタイリストとして活躍する佐野陽平さんのこれまでの人生&プライベートに迫りました。

過去、ジャニーズJr.での活動やモデル事務所に所属していた経験のある佐野さん。華やかな経歴を持ち小田原を愛する彼は、一体どのような経験をしてきたのでしょうか。

【会社プロフィール】
小田原 FIRST & STADIUM (https://www.rakuten.co.jp/firstadium/)
商材:衣類・ファッション雑貨等

【ご本人のプロフィール】
名前:佐野 陽平
年齢:33歳
肩書:「STADIUM」マネージャー
趣味:バスケットボール、温泉

「KinKi Kidsみたいになりたい」ジャニーズJr.として活動した学生時代

私は二人兄弟で、生まれた頃にはすでに父がアパレルショップを経営していました。子どもの頃はサッカーやテレビゲームが好きで、よく友達や先輩に遊んでもらったのを覚えています。それから小学校4年生くらいのときに観たテレビドラマ『人間・失格〜たとえば僕が死んだら』の影響で、ジャニーズの「KinKi Kids」に憧れるようになりました。

当時は雑誌「Myojo」を読み漁り、「この人たちみたいになりたい」と思ってジャニーズ事務所に応募していました。『ジャニーズ事務所の入り方』みたいな本を買っていたくらい、本気です(笑)。「履歴書を送るときは絶対に書留で送った方がよい」などの攻略情報をゲットしたりしてました。当時は分からない言葉もあったので、その時は両親に「これはどういう意味?」と聞いたりしていましたね。

小4からジャニーズ事務所への応募を続けて、初めて一次審査に受かったのが中学校1年生の11月でした。それからオーディションを経て、ジャニーズ事務所から週末に電話がくることがあり、バックダンサーをやらせていただく、ということが何回かありました。定期的なスケジュールが組まれるわけではなく、週末に「明日○時に△△に来てください」というような連絡が来るんです。その流れである時、東京ドームのKinKi Kidsのコンサートに出ることになったんですよ!中1でオーディションを受けて、1ヶ月後にはKinKi Kidsの東京ドームのコンサートに出てるという。今思えばすごい経験ですよね(笑)。

学校でも「あいつジャニーズらしいぜ」と噂が広まったり、年上の女性の先輩から話しかけられるようになったりという変化がありました。当時入っていたバスケ部では週末の練習は時々休ませてもらいながら、ジャニーズの活動にも参加する。そんな生活を3年間続けました。

結局、中3くらいからジャニーズでの活動が減ってしまったんですけど、まだやっぱり諦めきれなくて、高校に進学してからも数回オーディションに応募しました。でも、同じタイミングでジャニーズに入った同期は第一線で活躍していて、自分はまたオーディションを受けている。その事実に対面したときに「あぁ、もうダメかな」と感じてしまったんです。彼らはいつも自然と話の中心にいましたし、ジャニーさんからあだ名をつけてもらっていたりと目立っていました。自分はそういうタイプじゃなかったんです。

それから高校ではバスケットに専念することにしました。それ自体に後悔は全くありません。ただ、やっぱり東京ドームのコンサートに出た経験は凄く記憶に残っていますね。テレビに出ている人たちと一緒の舞台に立って、「キャーッ!!!」と叫ぶファンの方々の黄色い声援が聞こえる。今でも鮮明に思い出せます。

大学進学後は「モデル」と「経営」の二軸を選択

高校卒業後は、父が仕事にしていた「経営」を学ぶために経営学部に行きました。そして芸能にも興味があったので、大学2年生からはモデル事務所に入ることになりました。大学に通いながら実家のショップでバイトをして、さらにファッション誌のモデルをやれば、親の仕事の助けにもなるかなと思ったんです。でも、ファッション誌に出てる人間が店頭に立つと、お客様から「モデルだから着れるんでしょ」と言われてしまうこともあって。難しいですね。

こんな風に自然とお店のことを考えて行動していましたが、「お店を継ごう」と決心したきっかけが実はないんですよね。自分のことを「中途半端だな」と思ったりもしますけど、「まずは目の前にあることを一生懸命やるだけ」だと思っています。昔から「まず目の前にあるものを頑張ればその先に行ける」と、そういうスタイルです。


「経営」については、子どもの頃から「波があるもの」だと感じていました。経営状況が良いときは「笑いが絶えない家庭」という感じなのですが、 経営状況が悪いときは、両親が明らかにイライラしていて。

良いときは「よし、次はこうしていこう!」と前向きに考えられますが、悪いときは少しだけ発言がマイナスになってしまうものなので、両親はそういう葛藤と戦っていたんだと思います。

今でこそ、自分で何かを起こして、継続して、発展させていく大変さを身に染みて感じているので、当時の両親がイライラしていたのも納得できますね(笑)。

30代になり家族もできて養っていく立場になった今は「すごい選択をしちゃったんだな」と思うと同時に、両親に対して尊敬する気持ちも強くなりました。

この仕事のやりがいは常に挑戦が出来る事でしょうか。成功も失敗も自分が作り出すもの。そこから学んで成長していける、と捉えています。

最初は、自分がセレクトした物が売れた喜びが一番ですが、それも長くやっていると「当然」と思える領域に入ってきます。仕入れて販売するだけじゃなく、商品そのものを企画して作る。それを販売する、広める。その活動を通して出会った方々と、さらに新しい取り組みをしていく。そうやって発展させていくことに、今はやりがいを感じています。

モデル事務所に入っていた頃からの知り合い経由でスタイリストの経験もさせてもらう事がありました。有名音楽レーベルからメジャーデビューしたバンドメンバーの衣装を担当させてもらった事があります。将来的には自分のブランドの服を着ていただけたら嬉しいなとか。そういうのも夢がありますよね。

そういう意味では「考える時間」はとても大切です。 ネクストエンジンのおかげで考える時間は増えたので、ネクストエンジンの存在はデカいと思います。「その時間、大切なところに使いましょう。」というキャッチコピーが本当にしっくりきますね。

東京ブランド Iroquois/イロコイとのコラボTシャツ
「 イロコイの2017SUMMERコレクションのANTIWARを使用したアイテム・デザインがかなりカッコよかったんです。 是非そのデザインを使用して、コラボ企画として発売したかった。」という、佐野さん念願の品

アメカジからロックファッションへ。佐野陽平のファッション遍歴

洋服に興味を持ったのは小学校6年生くらいからです。兄の影響を強く受けてファッションを真似ていましたし、「STADIUM」に行けばいっぱい洋服があったので、自然と好きになっていました。大学生時代のバイト代は全部洋服に費やすこともありました。そんな時は昼ご飯が「おにぎり一個」みたいなこともそのくらい洋服が大好きでしたね。雑誌は『Boon』『GET ON!』『Street JACK』『smart』、大学からは『MEN’S NON-NO』などを読んでいました。

ファッションは、小6〜中学時代はアメカジ大好きでしたね。当時は新品のジーンズを買って色落ちさせていくことが流行っていて、「いいねその色落ち。どこのデニム?」という会話が普通でした。大学時代はロック系ファッションに行き、「RUDE GALLERY」というブランドが好きでよく着ていました。王道スタイルは、ボウリングシャツを着てその下にタンクトップ、ちょっと色落ちしたダメージジーンズを履いて、靴はジョージコックス。ドクターマーチンとクロップドパンツを履いて、アウターにN3Bを着て黒で統一するスタイルなんかも好きでした。

生まれ育った「小田原」への愛

小田原と東京は一時間くらいで通える範囲なので、一人暮らしをする選択肢はありませんでした。実家に住んでいてもすぐ都内に出られるし、湘南にも近いですし、便利で魅力的ですよね。友達に「やっぱり小田原がいい」と戻ってきた人もいます。

でも、小田原のことを好きな人、苦手な人がハッキリ分かれるんですよ。コミュニティができてしまっているところはあるので 、「小田原って閉鎖的だよね」と思われてしまうことがあります。でも、一度入ってしまえばとても温かいですよ。それに、小田原は「これがしたい」と誰かに相談すると「そのことなら○○さんに任せてきなよ!」と話が進みます。地元の人同士の距離が近いところがいいですよね。

お店の近くにある行きつけの「うど八」でランチ。ここのカレーが大好物とのこと。

だから、「小田原に根付いていきたい」という思いは、今も昔も変わりません。今、自分のお店でオリジナルブランドを作っているんですけど、デザインも写真撮影も洋服へのプリントも、できることは全部小田原でやろうと思っています。

ただオリジナルブランドを作るだけでは嫌なので、付加価値として「地産」にこだわり、小田原の中で小さく経済がまわるようなイメージで考えています。小田原以外の人が買ってくれたら小田原にお金が入るし、プリント屋さんも潤うし、「STADIUM」も潤って……と、良い循環を生みたいですよね。

生まれた家がたまたま小田原にあって、両親がたまたま自営業をしていた。自分のエッセンスを加えられる環境があって、これからやりたいこともある。今考えると色々と恵まれていますし、本当に幸せ者ですよね。

変わりゆく「EC業界」で、リアルの接客も大切にしたい

「STADIUM」がECサイトを始めたのは2010年のことです。お客さまに「この服、楽天で買ったんですよ」という人がすごく増えたことがきっかけでした。このタイミングで楽天から「出店しませんか?」と営業メールが来ていたので、「じゃあやろうか」というノリでオープンしたんですよ。

問題は、ネットに詳しい人・通販サイトを運営できる人がいなかったことですね。なので当時は、商品登録をするときも「画像一枚」しか入れられず、そのほかの情報はゼロ。それでも、扱っていた商材が「売れるブランド衣類」だったのは救いでした。飛ぶように商品が売れていき、「通販ってこんなに売れるんだ!」と可能性を感じました。楽天の人もすごく褒めてくれましたし、凄くやる気になったんです(笑)。

今では、店舗と通販の売り上げ比率は半分ずつくらいになったのですが、ネットで物を買うことに慣れてきたというか、時代の変化を背景に感じますね。

もちろん店舗での販売も変わらず重視しています。「今日は出勤されていますか?」とお客様から連絡をいただき、約束の時間にその人に合った服が提案するということもします。美容師さんみたいですよね。だから、LINEの返信速度などもすごく気にしています。仲良くなるほど、リピートが多くなるほど、「以前買ったこの服とも相性いいですよ」と、提案の精度も上がりますしね。ネットでの購入が当たり前になってきたからこそ、リアルな繋がりを大切にしていきたいです。

編集後記

小田原で生まれ育ち、いわゆる「普通の人」とは少し違う人生を歩んできた佐野さん。インタビュー中も終始笑顔で、ありのままを爽やかにお話ししてくださいました。きっと今後も、人との出会いを紡ぎながら「STADIUM」を守り、小田原を盛り上げてくれるはずです!

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この記事を書いた人

北海道出身、食べることが大好きなフリーランスのライター。ECサイトを運営する事業会社での経験を基に、様々な媒体で執筆中。朝ごはん巡りが大好き。

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