たったひとつの「接客術」で、ある飲食店の虜になってしまった話

ニアセ寄稿

 
学生時代に、飲食店でアルバイトをしていた。
 
「アットホームな職場」、「安心のオープニングスタッフ」。求人誌はどれも胡散臭く感じられたため、前から気になっていたダイニングバーに飛び込んで、半ば強引に雇ってもらった。
 
未経験だったため、最初の2カ月はお客さんの前に立つことすら許されないまま、皿を洗って過ごした。そのうち先輩たちが軒並み辞めて、店としてはかなり消極的な理由で、僕の接客デビューが決まった。
 
愛想は良い方だとわかっていたから、接客で売り上げを伸ばすことの楽しさには、すぐ気付いた。「また来るね」と言ったお客さんが本当に来てくれることがやり甲斐で、金曜・土曜に2時間制を敷かれるとサービスに時間をかけられないことだけが不満だった。

高そうなスーツと、高さのあるヒールを履いたカップルが来ると、あえて男性側に気を配る。
 
おしぼりを男性に渡す素振りをして、その男性が女性を優先させる人か判断する。おしぼりを女性に譲るジェスチャーをすれば、以降は全て女性優先。小さなことだけれど、「エスコートできる男」をアピールできるひとつめのチャンスが「おしぼり」だから、そこは自分が悪者になってでも男性をアシストすると決めていた。
 
場の支配も、できるだけ男性に委ねる。会話の邪魔にならぬよう、テーブルの前に立つ時間を極力減らす。このディナーが、この日のデートが、ふたりの夜がうまくいくことを、そっと祈りながら迅速なアシストを続け、黒子に徹していた。
 
無事にデザートかコーヒーまで辿り着き、女性がトイレに立った瞬間にカード会計をスマートに済ますと、僕は心の中で「うまくいきましたね」と、男性と自分のタッグを褒め称える。恐らくは、ミスのない完璧なエスコート。男性も女性も、酔いすぎることはなく、心地よい気分で店を出る。

そんな接客業での経験を経て、社会人になった。
 
社会人といっても、所得はそこまで高くないし、ワインにやたらと詳しいだとか、食べた瞬間にソースに入っている食材がわかるとか、そこまで繊細な舌も持ち合わせてはいない。
 
それでも、過去の経験が良くも悪くも活きるのか、サービスや料理を楽しんでいると、「お気に入りの店」というのがチラホラ出てくる。例えば、僕が好きな接客は「サービスマンの存在感がほとんどないのに、テーブルの上はいつもキレイで、お酒も適量な状態が保たれていること」。これができている人に出会うと、絶対にまた足を運びたくなる。
 
そして25歳のとき、誰にも教えたくない、とびきり「お気に入り」の店ができた。

「ちょっと背伸びしたデートをしよう」と、予約もしないで入ったイマドキなレストラン。店内に水槽があるようなイヤラシサは皆無で、5つ星ホテルのような堅苦しい雰囲気もない。オープンキッチンならではの緊張感と臨場感がフロアに活気をもたらし、そこに微かに聞こえるBGMが調和をもたらしている。
 
初めての店では、純粋にその店のオススメが知りたいと思い、7,000円か8,000円くらいのコースを頼んだ。社会人3年目の「オトナ」なデートには、丁度いい値段。

テーブルに着くと、おしぼりとドリンクメニュー、ワインリストを渡される。僕に差し出されたおしぼりを軽いジェスチャーで彼女に向けると、綾野剛のような薄顔のサービスマンは「失礼しました」と言いながら、笑顔で彼女の手元へ。
 
シャンパンのグラスとコースをふたつ頼むと、店内を見回す。オフィス街にあるからか、平日だとビジネス利用が多い。外国人も見受けられ、顧客の年齢層は30~40代くらいに見える。
 
25歳当時の自分たちからすれば少し背伸びしたように思えるその店の端、僕らのテーブルに、ナイフとフォークが添えられた。

一品目を食べ終わったところで、サービスマンがフォークとナイフを新しいものに取り換える。ソースがべったりついたソレを一皿ごとに変えるのは、贅沢すぎる気もするけれど嬉しい。僕らは今夜、贅沢をしに来ているのだから。
 
そして、テーブルの上に新たなフォークとナイフ、グラスだけが置かれた状態になって、ふと気付く。僕の手元にあるナイフとフォークの位置が、先ほどと左右逆になっていることに。

これだけサービスやらレストランについて書いていながら恐縮なのだけれど、僕はフォークとナイフを左右逆に使う癖が、昔から治らなかった。まるで左利きのように、フォークは右手、ナイフは左手で食事をする。
 
この店のサービスマンは、それを1皿目で見抜いて、2皿目から即座に対応してきたようだった。
 
お客さんのことを、めちゃくちゃ細かく見ている。なのに、「これで正解でしょ?」という自己顕示欲は微塵も感じさせない。こちらの動きを先読みしているかのように、二皿目以降も絶妙なタイミングで、さりげなくも完璧なサービスを続けた。理想的すぎるおもてなしを受けて、僕はその店をえらく気に入ってしまったのだった。
 
店を出る直前、少し混雑も落ち着いてきたようだったので、エントランスで店長を呼びだしてもらう。すばらしいサービスだったこと、ビジュアルも楽しくて美味しい料理だったこと、店内の雰囲気がよかったこと、その場で感じたことをできるだけ伝えると、店長が名刺を差し出した。
 
「よかったら、いつでも遊びにきてください。連絡をくだされば、また彼にテーブルを任せます」
 
あれから5年。たったひとつの接客術によって、僕は特別な日を迎えるたびに、この店に足を運ぶようになった。相変わらず隙のない最高のサービスと、アイディアと企画性に満ちた楽しい時間を過ごすために。

 
 

1986年東京生まれ。下北沢の編集プロダクション・プレスラボでライター・編集者経験を経て、2017年4月より独立。
広告記事、取材記事、コラム、エッセイ、Web小説等の執筆および、
メディア運営・企画・取材・編集・拡散等の領域で活動中。

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