勘違いで“しくじり”続けた芸人人生。中山功太がそれでも「芸人やめてえな」と思わないワケ

ニューアキンド

とろサーモンやキングコング、南海キャンディーズ、平成ノブシコブシ、ピース、ウーマンラッシュアワー……など、錚々たるメンバーを同期に持つお笑い芸人・中山功太さん。中山さんはとろサーモンの久保田かずのぶさんから、「同期の中で突出した才能を持っていた」と絶賛され、「R-1ぐらんぷり2009」(2021年より「R-1グランプリ」に呼称を変更)でも優勝しました。しかし、2019年『しくじり先生』(テレビ朝日)に出演した際、月収22円、週2~3回のバイト、そして借金500万を抱えていると告白。R-1優勝から一体何があったのか。デビューから現在まで、芸歴23年目を迎えた中山さんが、芸人を続けるモチベーションとは。

【ご本人のプロフィール】

【ご本人のプロフィール】
名前:中山功太
年齢:41
肩書:お笑い芸人
趣味:ビジネスホテル宿泊・大食い・怪談話・歌ネタ
YouTubeチャンネル「中山功太のYouTube

R-1優勝でオファー殺到するも、売れるタイミングを逃す

――中山さんの同期は、人気、実力ともに活躍しているメンバーも多いです。同期芸人に対してどんな感情を抱きますか?

中山:めちゃくちゃ気になります。僕は先輩や後輩だったら、面白ければファンになっちゃうんですよ。でも、同期に対してはそうはならないですね、どうしても。それに、僕がNSCに入った前年は総勢200人くらいだったのが、自分たちの期は大阪だけで600人くらいに増えたんです。活躍するメンバーがたくさん残っているのは当たり前ではあるんですが、同期の活躍はやっぱり厳しい目で見てしまいます。

たとえば売れ方で言うと、デビュー後すぐに人気が出たキングコングに対してはみんな「悔しい」って絶対思ったし、面白さで言うとダイアンがすごかった。ダイアンはNSCでの1回目の授業から面白いと話題で、僕は彼らの芸を見に行ってたんですよね。ユースケ君のクールなボケと、津田っちのはちきれんばかりのツッコミ、ふたりの漫才は圧巻でした。

あとは南海キャンディーズの山ちゃん。個人のセンスで言えば、ずば抜けていましたね。ネタ見せでも彼が一番努力していたし、ネタも毎回新しいのを持ってくるんです。挙げるとキリがないですが、僕は実力のある芸人ばかりがいる環境で若手時代を過ごしました。

――中山さんと同期のとろサーモン久保田さんは、中山さんが同期の中でみんなをごぼう抜きにして売れたとおっしゃっていますが……?

中山:全然そんなことないんですけどね。久保田は僕の初単独ライブのチケットが即完売したことを今でもずっと言うんですよね。

――実際2009年のR-1では優勝しましたが、どんな心境でしたか? 

中山:優勝した瞬間に焦りを感じましたね。確かにR-1に出て知名度を上げたかったし、2008年と2009年は、優勝っていう目標しかなかったです。ただ、2009年のR-1に出るころには、今まで考えていたできのいいネタを披露し切った感じもあって。

あと、R-1優勝と同時に、東京の仕事も一気にオファーが来たんです。ただ、そのとき大阪でテレビの帯番組にレギュラーとして出ていたり、2週間続くお芝居の稽古も入ったりしていて、東京の仕事を断らざるを得なかった。東京で仕事をするタイミングをちょうど逃してて……。そうしている間に、僕が出ていた大阪のテレビやラジオ番組も全部終わっちゃって、レギュラーの仕事がゼロになりまして。

一方では、芸人を始めたときから30歳までに上京したいっていう思いもあったし、2009年2月にR-1で優勝して1年後の2010年3月31日、東京にようやく出てきました。

――R-1優勝後は、勢いに乗って活躍の幅もグッと広がりそうですが、中山さんはちょっと違ったと?

中山:はじめは、会社もテレビだけでなく劇場の出番とかさまざまな仕事を入れてくれたんですけど、オファーは継続しなくて。テレビで前年のR-1チャンピオンの中山功太をずっと使おうって考えた人はいなかった。それに優勝したときのネタって、言葉数がめちゃくちゃ少ないネタだったんです。ものすごく時間をかけてネタを作ったけど、文字数は原稿用紙1枚分くらい。

そうした背景もあって、コント師ってネタと平場が地続きじゃない人は難しいと思うんですよ。コントはコント、トークはトークで別というか。僕、ブラックマヨネーズさんのおしゃべりが最高やと思うんです。フリートークに近い漫才をやって、そんな人たちは人気が出るに決まってる。千鳥さんもそう。4分間の漫才を見ただけでこの人ら絶対面白いって思えるから、制作スタッフさんもこいつらを番組に呼んでみようかってなる。でもコント師ってちょっと違って。素顔とか人間味が見えてこないというか。

『しくじり先生』にかけた思い

――上京から10年、2019年放送の『しくじり先生』(テレビ朝日)では、R-1以降の中山さんの暮らしが話題になりましたね。

中山:これで地上波(テレビ)の出演は最後かなって思って出たんですよね。それくらいの気合いで臨んだし、大きな反響があったというのはそれ相応の準備をしたから、っていうのはある。正直、R-1優勝よりしくじり先生の方が反響が大きかったんですよ。

あの番組は普段はディレクターさんが編集するんですけど、僕の回は以前からお世話になっているプロデューサーさんが自ら編集を担当してくれたんです。2時間収録のために2時間の打ち合わせを3回もして、作家さんが完璧な台本を作ってくれました。さらに、完璧な編集をしてくださったから、大きな反響があったのは実際には僕の手柄じゃないんです。それでも、先輩の東野幸治さんも見ててくれて、メールで褒めてくださったんですよ。「面白かったです。売れてください」って。死ぬほど嬉しかったですね! その後も、これがきっかけかわからないですけど、吉本のラジオに呼んでもらったり、取材のオファーをいただいたりで、仕事が少しずつ増えていきました。

――『しくじり先生』でお話した、3大おもんない「東京の芸人」「R-1に出た芸人」「俺のネタで笑わない客」も話題になりました。こちらは、なかなかハードな言葉というか……。

中山:えーっと、一つひとつ説明していきましょうか(笑)。確かにプロデューサーさんが台本を作ったとはいえ、自分の発言から台本ができているので、その発言に対して言い訳できないですよね(笑)。

「東京の芸人」とは、オンバト(NHKで1999年から放送されていた『爆笑オンエアバトル』)や『ボキャブラ天国』(フジテレビ)に出ていた一部の人たちのことです。その番組だけにハマるネタをやる人ばかりだったので、他の番組に出ているのを見ると面白いと思わなかったんです。今、その一部の方々は見事にテレビで見ないんですけど。「R-1に出てた芸人」と「僕のネタで笑わない客」は、まあ、それくらいの気持ちじゃないと、ピン芸人として生き残っていけないという意味だったと思います……これは自分のことを天才的に面白いと勘違いして、調子に乗っていた時代のことですよ(笑)。

借金500万円。それでも「芸人やめてえな」とは思わない

――ただ、2009年のR-1優勝から2019年の『しくじり先生』に出るまでの間、仕事も生活も“厳しかった”と語っていますが、その間に何があったのでしょうか?

中山:自分でも、一体何があったんやろうって思います。その間に、月収が22円のときがあったり、月のアルバイトが週5~6回だったりで、気づけば借金が500万円になっていましたね。

お金が減っていった原因として、まず家賃。R-1で優勝して上京したんですけど、家賃が自分と見合っていなかったんです。「芸人なら無理して家賃の高いところに住んだ方がいい」とかよく聞くじゃないですか。僕もそう思って、東京に来て気合いを入れる意味でも、五反田で家賃20万のところに住んだんですよ。でも、全然払えなかった。2年契約だったけど、家賃が払えなくて9ヶ月で出ちゃったんです。そこから家賃の安いところに引っ越しを繰り返していって、気づけば10年で6回引っ越しましたね。

――10年で6回の引っ越し……少なくはないように思います。

中山:あと、自分の中で、「芸人たるものこうであれ」みたいなものもあったんです。R-1優勝後は、後輩とかお世話になっている先輩の飲み食いで湯水のごとく出費して、1日10万、1ヶ月で300万使った月もありました。しかも大阪を出るときには貯金もほとんどない状態だったんです。それで、東京に来てすぐ消費者金融に借金をして……。でも、上京したらしたで今度は大阪にいたときから僕がファンだった後輩の「キャベツ確認中」っていうコンビと仲良くなって。彼らや彼らに紹介してもらった後輩に大阪のときと同じような感覚でご馳走し続けたんですよね。そうしたら、あっという間に限度額くらいまで借り切ってしまって。

――芸人の世界では、先輩が後輩におごるのは当たり前なんですか?

中山:当たり前ですね。一部違うのかもしれないけど、吉本についてはその風潮が特に強いと思います。僕は昔から笑い飯さんや麒麟さん、千鳥さん……数えるとキリがないんですけど、同じ劇場の先輩がめちゃくちゃおごってくれて。あと、アジアンの馬場園さんとか天津の向さんとか。それを考えたときに、後輩におごるのがすごく自然というか。僕は特にほしいものもなかったですし。

――さらに、『しくじり先生』出演後、『芸人やめてえな』という歌ネタシリーズでも露出が増えましたが、こちらのタイトル・歌詞もインパクト大ですね。

中山:「これは本意か?」ってよく聞かれるんですけどね。芸人やめてえな……本気で思ったことはないですね。芸人人生以外を考えたことがないので。あ、でもごめんなさい、「芸人やめてえな」と頭に何度かよぎったことがありました。

R-1で優勝して東京に出てきたときや、仕事がうまくいかなくて「コウタ・シャイニング」に改名したとき。芸人からタレント班に所属を移した時期も、もう潮時かな……と思いました。芸人をやめるまでいかなくても、髪を丸坊主に刈ってピンクに染めて、両耳にピアスをつけてネタをやったこともあります。今思えば自分でもかなり迷走してたなって思いますね。

でも、なんだかんだと活動を続けてきたし、結果として、今芸人をやめたいとは全然思わないです。もし本気でやめたいと思っていたら、「芸人やめてえな」を、笑顔じゃなくて泣きそうになりながらやってると思うので(笑)。

――中山さんは、芸能活動23年目を迎えています。競争の激しい世界でここまで長く頑張れる理由はなんだと思いますか?

中山:意外と言ったらあれですけど、自信があるんですよ、きっと。今、YouTubeで企画モノだけでなく生配信もやっているんですが、チャット欄には「好きや」とか「面白い」って言ってくれる人がたくさんいて。数少ないけどデビュー当時からずっと応援してくれている人もいますしね。でも、それで勘違いしているわけではないんです。先日東京でライブがあったんですが、ネタの精度やスピード感もR-1優勝時よりさらに上がってきてると感じるし、頭の回転も人より早いかもしれないって思うし。芸人に向いているんだと思います。

嫌いな人にも会いに行く理由

――芸人生活を振り返って、ご自身の中で変化したと思うことはありますか?

中山:以前は、自分の中で凝り固まった考えがあって、「自分が好きなお笑いしかやらない!」って決めていたんです。でも今は「怪談」とか「ラップ」なんかにもチャレンジしていて。初めは、ラップなんて絶対できないってお断りしてましたよ。僕には韻なんか踏めないって(笑)、今でも踏めないですけど。でもお笑いにつながるならチャレンジしてみようって思いました。お笑いが好きなのに、笑いにつながる仕事を避けるのは違うだろうってことです。

僕は小学2年生のころから芸人になりたいってずっと思って今まできています。今では、自分に向いてないと思うことや苦手なことでもチャレンジするし、嫌いな人にも誘われたら会いにも行きます。嫌いな人には会う必要がないと思えるかもしれないけど、相手は僕を誘いたいって思ってくれているわけじゃないですか? そう思うと「あいつ意外といいやつだったな」って会えば思えるかもしれない。こういう経験も全部経験になってお笑いにつながるんです。柔軟な考え方ができるようになるまで相当時間がかかった気もするけど、自分の態度が変わってから気持ちも収入も安定してきましたね。今、借金も残り300万に減ったし……。

――『しくじり先生』放送後の3年間で、中山さんの心境にさらに変化があったことがわかりました。最後に、ニアセの中心読者である商売人を応援すべく、さまざまな企画を検討しています。中山さんが注目している方を教えていただけますか?

中山:ジャルジャルですね。彼らが面白いというのはもちろん、キングオブコントの優勝やM-1でも好成績、YouTubeでもとんでもない成功を収めていて順風満帆なんですよ。でも、僕は彼らがまだまだ過小評価されていると思っていて。彼らは100万人から愛されるのではなく、1億人から注目を浴びないといけない芸人だと思うんですよ。ジャルジャルのネタはバラエティーに富んでいるから飽きさせない。ネタの本数は8000本以上あるんですよ。これはとんでもないことです。彼らの仕事に対する姿勢は興味深いし、面白いと思いますね。

【編集後記】

小学2年生のときに抱いた夢を叶え、芸人の道へ。競争が激しい世界で生き残ることは、並大抵の努力ではないと想像する。R-1優勝から仕事の激減、多額の借金。中山さんのキャリアグラフは上下に大きく線を描く。しかし、今は自分のこだわりを捨て、これまでやってこなかった分野にもどんどん挑戦していると語る中山さん。人生のどこに軸足を置くか。改めて、中山さんの生き方から自分の生きざまについて考えるヒントにしたい。

千葉県出身。医療現場で10数年以上働いたのち、フリーライターとして活動。ライフスタイル、エンタメ、医療、恋愛婚活など担当。 文春オンライン(文藝春秋)、東洋経済オンライン(東洋経済新報社)、telling,(朝日新聞社)、ダ・ヴィンチニュース(KADOKAWA)、m3(エムスリー)、らしさオンライン(リクルートスタッフィング)、CHANTO WEB(主婦と生活社)ほかでも執筆中。カレーと珈琲とライブが好き。
【Twitter @kickmomo】

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