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【インタビュー】の記事一覧

町おこしにはさまざまな手法がある。   企業や工場を誘致するのも一つ、道の駅の充実も一つ。ゆるキャラを作ったりB級グルメを推しだすのも手法の一つだ。   福島県いわき市ではデカ盛りメニューで町おこしをしている。 ステーキや唐揚げなど7品目以上乗った重さ2.5㎏の丼メシ、高さ45cmのジャンボパフェを出してる喫茶店、直径27㎝のどら焼きがある和菓子屋さん。市内各地、数十店の飲食店がデカ盛りメニューを提供している。そんな町おこし活動が功を奏して、いわき市は「デカ盛りの聖地」と呼ばれている。   デカ盛り目指して、わざわざ県外からやってくる観光客も少なくない。 なかでも人気なのが「白土屋菓子店」のジャンボシュークリームだ。外観の写真を撮っているほんの1~2分のあいだだけでも、数名のお客さんが吸いこまれていた。   看板にもジャンボシュークリームの写真が載っている。写真を見る限りそれほどデカそうではないが、実物を覗いてみると…… なんだこの姿、形は。   横に幅広いし、半端じゃないぐらいパウダーシュガーが降りかかっている。こんなシュークリーム見たことない。姿、形が普通じゃない事は充分伝わると思うが、比較対象がなければ大きさは分からないだろう。   ちょっと引いて、他のシュークリームと比べていただこう。 ……デ、デカい!!   ジャンボシュー、中ジャンボシュー、特大ジャンボシューの3ランクを見比べれば、その巨大さがお分かりいただけると思う。あまりのデカさに中ジャンボ、特大ジャンボが自重で潰れているじゃないか。 とはいえ、見比べると言っても、ベースとなるジャンボシューがまずデカい。コンビニで売ってる一般的なシュークリームの3倍ぐらいある。   店員さんに尋ねたところ、特大ジャンボシューはジャンボシューの7個分ぐらいあるそう。   計算式にすると 『特大シュークリーム =...

  読み物のような求人サイト。「日本仕事百貨」は営業をしない。   「日本仕事百貨」という求人サイトをご存じだろうか。   トップページに並ぶ写真はどれもスタイリッシュ、記事タイトルも「生き様ベーカリー」「産声をあげて」「北の果てのお宝探し」とライフスタイル系サイトのようでもあるが、すべて求人記事なのだ。   ともすれば「働きやすい環境です!」「未経験でも大活躍」といった漠然とした紋切型表現が並びがちな求人記事だが、日本仕事百貨には1つ1つドラマがある。   インタビューを通して、その職場で働く人々のエピソードが語られている。就職をする気がない読者でも「こんな仕事があるんだなあ」と物語として楽しく読める稀有な求人サイトなのだ。 ▲日本仕事百貨   求人掲載は2週間の掲載費・取材費込みで200,000円(税別)+交通費、宿泊費。成約報酬はかからない。営業はいっさい行っておらず、サイトからの掲載依頼だけで月30件ほど求人記事を掲載している。現在社員14名で22歳から30歳ぐらいの社員が多いそうだ。   そんな求人サイト界の異端児「日本仕事百貨」のスタッフにお話を伺った。 聞き出したいのは「具体例」。その人にしか語れない具体的エピソードで感情移入させる ▲お話を伺ったのは編集者 今井さん   ――日本仕事百貨の記事はどれも丁寧にお話を聞いてますよね。取材は1日がかりなのでしょうか?   取材は基本2時間です。 1人で取材に行くのが私たちのスタイルです。日本中あちこち飛び回りますから沖縄日帰りということもあったり、九州行って大阪寄って帰ってくるなんてハシゴのこともありますよ。とにかく編集スタッフの移動距離が激しいですね。   ――てっきり丸1日、求人先の仕事に付き合っているのかと思ってました。   たとえば地域おこし協力隊の求人ですと、さすがに町を知らないと書けないので、町を案内してもらいます。場合によっては1日ご一緒してもらう場合もあります。だけど、基本は2時間ですね。   事前にどなたにインタビューするか決めておいて、立場の違う方3名ぐらいにお話を聞きます。一般的には経営者など全体が分かる人、入社される方の上司に当たる人、そして若手や新人です。   ――3名別々に話を聞くんですか?   別々に聞くこともありますが、なるべく全員に集まってもらってインタビューしますよ。   ――聞かれるほうは緊張しちゃいませんか。特に新人さん。   最初に自己紹介をしてもらうんです。 その際、今日の気分を聞きます。まず皮切りに私が「朝から曇ってて、なんだか嫌な感じです」とか言って。そうすると「え?今日の気分話すの?」って空気がほぐれるんですよ。   ――突拍子もないこと聞かれたら、防御崩れちゃいますもんね。それは今井さん独自のやり方でしょうか?   私だけでなく、みんな今日の気分を聞くことが多いです。 それでも上司がいて緊張しちゃう新人さんもいますから、そういう場合は写真撮影で近づいた時に個別に話を聞くとか、店舗なら商品撮影してる時に話を聞くこともあります。   ――話を聞きだすノウハウが共有されているんですね。   今日の気分を聞いた後は、入社に至る経緯など2時間くらいインタビューしていって、最後は「話し忘れたことがあったら、どうぞ」で終わります。インタビューの録音を後日、文字起こしをするんですが「ここ、すごく大切なこと言ってたな。もっと掘れば良かった」って思うこともあります。   ――どういうことを話しているとき、大切なことだと思うのでしょうか?   できるだけ具体例を聞きたいと思っています。 漠然とした言葉で社風などを語られても、他人事にしか聞こえない。職場の良いところを「人の良さです」とだけ書いても、ぼんやりしていて深みが出ないし、感情移入も出来ません。なので、なるべく具体的に話してくださいってお願いしています。   ――なるほど、具体例ですか   たとえば松澤さん(※この記事の筆者)に「いままで取材してきた中で、一番グッときた案件」を聞くとしたら、あの人のあのタイミングのあの言葉ってところまで具体的に聞いていきます。その人だけが経験したエピソードだから感情移入も出来るし、2時間でもけっこう深い話しに辿りつけます。   まさに具体例なんですが、岐阜の山の中にある「日本最古の石博物館」の求人記事を書いた時のことです。立て直しを図るためにスタッフを募集したいという依頼でした。取材したのは市の職員さんだったんですが、その中に石好きの方がいたんですね。   少年時代、缶に石を集めてて、それを知ってた先生も石をくれたんですって。そんな昔話をしていると目がキラキラ輝いてるんです。一緒にいるその方の上司も「おまえ、そんなに石好きだったのか!」と感心していて、この話を引き出せて良かったって思いました。   インタビューするのは話し慣れてない方ばかりなんです。その分、初めて聞ける話ばかりなので面白いですね。粗削りだけどそれが良いです。   ――求人記事を書くさいに難しいポイントはどこでしょうか   舵の切り方、記事の出し方は気をつけなきゃいけないなと思っています。表現の仕方、出し方次第で読んだ側の受け取り方が変わります。世間に初めて出る内容なので、ニュアンスなどは丁寧にしたいし、愛をもって書きたいです。   あとは、取材で感じたことをなるべくありのまま書くようにしてます。取り繕ってよく見せても、記事を読んで実際に入社した人が「思っていたのと違う」と思って辞めてしまっては意味がないですよね。その職場に合う人から応募をしてもらうために、私たちも正直に書きたいと思っています。   ――とはいえ、本音を話してくれない人もいますよね   なるべく正直に話してくださいと事前にお願いしてます。話しやすくなるように、聞いたことすべてを記事にするわけではないことも伝えています。今の会社で働くことになる経緯や、仕事をする上で大変なことなども聞いていくので、取材中に泣き出してしまうこともあったりして。それだけ正直に話をしてもらうので、書く側も気が引き締まります。   取材で感じたことは正直に伝えていくものの、職場のすべてを見たり聞いたりできるわけではありません。最終的にその職場の雰囲気やそこで働く人と合うかどうかは、自分で判断してもらうしかないと思っています。 求人は届くべき1人に届けばいい   ――日本仕事百貨に依頼されるクライアントは、成約率の高さを求めているんでしょうか?   もちろん、求めている人物像に出会うためにご依頼をいただきます。私たちは聞いた内容を4,000字にまとめていくので、自分たちの仕事を文章にまとめてくれたとか、取材を通してお互いの考えていることが再認識できたとおっしゃっていただくことも多いです。   ――実際どのぐらい応募があるんですか   案件によってかなり違います。1人も来ない場合もありますし、逆に1人の募集に対して100人超えの応募がくるケースもあります。「届くべき1人に届けば良い」と思ってやっているので、応募が3人とか5人でもぴったりな人が見つかれば成功です。募集期間が終わっても記事はそのまま残っているので、お店や会社へ直接問い合わせをして入社するってパターンもあるようです。   ――採用の過程にも関わるんですか?   どんな方から応募をいただいたかは私たちも把握していますが、その後の選考過程には関わりません。採用が決まったころに様子を伺ったり、「その後、どうですか?」という企画で求人を出した会社の追加取材をすることもあります。   応募メールの志望動機欄に熱い想いが書かれていると「この人に届いて、良かった」って嬉しくなりますし、求めていた人物像にぴたっとハマった時はすごく嬉しくてモチベーションになります。さきほどの石の博物館も、昔から石が大好きだったって方々から応募があって嬉しかったですね。 リアルイベントと求人サイトを連動させる ▲清澄白河駅にあるカフェバー兼イベントスペース「リトルトーキョー」   ――リアルイベント「しごとバー」について教えてもらえますか?   しごとバーは4年前から行っているイベントで、私たちが運営している「リトルトーキョー」で開催しています。基本的には木・金・土の週3日行っていて、いろんな分野で働いてる方をゲストにお招きしています。   はじめに15分から30分ほどゲストさんにお話を伺って、乾杯をし、そのあとは自由にご歓談、となるのが最近の流れなんですが、テーマによって雰囲気が全然違うのも特徴ですね。   同じテーマに興味をもって集まった人ばかりですので、参加者同士でも話が弾むんですよ。「縄文ナイト」では、縄文時代をテーマにしたフリーペーパー『縄文ZINE』の編集者をお呼びしました。参加者に土器を作ってる人がいて実物を囲みながらどうやって作るのかって盛り上がっていました。   ――週3日もゲストを見つけてくるのは大変ですね   大変ですけどテレフォンショッキングみたいな感じで、バーに来たお客さんやゲストの方が次の面白い人を紹介してくれます。   求人記事と連動してゲストをお呼びする場合もありますね。求人の募集期間は2週間なんですが、その期間中に記事に出てくる社長さんをゲストでお呼びすれば直接会えますから。「もし気が合ったら転職してみようかな」って軽い気持ちで参加することが出来ますね。   ――しごとバーのお客さんはどんな人が多いですか   日本仕事百貨を読み物として読んでる人が多いですね。サイトを定期的にチェックしてくれていて、面白そうなのあったら行ってみようと。あとはその日のゲストの知り合いや、バー自体の常連さん、ご近所さんが仕事終わりに飲みに来たりもしますね。   ――具体的にはどういう方をゲストに呼んでいるんでしょうか   たとえばこの間やった「カブトムシくわがたナイト」では、カブトムシ関連の本を5冊も書いてるプロカメラマンをお呼びしました。   「離島に住んでるカブトムシは飛ぶと海に落ちちゃうから走るのがすごく早い」とか「カブトムシは幼虫の時、土の中で縦に寝てる」とか、そういうの全然知らないじゃないですか。その人にとっては常識でも、私たちにとっては全然知らない。そういうことに出会える場です。   能楽師をお呼びして「能楽観てみナイト」もやりました。能を観たこともないし、能ってそもそも何って状態だったんですけど、能楽堂で働いてる方から「おもしろい能楽師がいるよ」と紹介していただいて。   31才の若い能楽師さんなんですけど、アニメオタクで。普通にしてたら普通の31才なんですけど、舞台に出るとめちゃめちゃかっこいい。ディズニーランドも大好きで、ゲームも普通にやるし、Tシャツで唐揚げ食べるんです。なんか、そういうことに「え〜〜」って驚いちゃって。   珍しい仕事についてる人も、みんな普通の人なんだ、普通に生きてるんだって思ったんですよね。そんな風に、いろんな生き方とか働き方に出会える場所にできればいいなと思っています。 まとめ ・求人記事のインタビューは基本2時間。1人で取材に行く ・今日の気分を尋ねて、場の空気をほぐす ・具体例を聞いて、感情移入させる ・嘘は書かない、ありのままに書く ・リアルイベントと求人記事を連動させる   異端の求人サイトは具体例を通じて、仕事のありのままを浮き彫りにしていた。     ...

  スーパーやコンビニで手軽に買える冷凍うどん。冷凍庫に常備している人も多いはずだ。   まず“レンジ調理可”なのがいい。わざわざ大量のお湯を沸かす必要がなく、猛暑の日もストレスフリー。解凍するだけでよいので、冷凍庫から取り出して数分後には食べられる、ある意味究極の時短メシといえる。   簡便性に加え特徴的なのが、見た目と食感の良さだ。讃岐うどんをイメージした角の立ち方、なめらかな喉ごし、そして茹でたてのようなコシ。冷水で締めれば輪廓がシャープに際立ち、釜抜きすれば出汁ともよくなじむ。老若男女誰が作っても同じ仕上がりになる安定性も大切な要素だ。 手軽さと食味の良さが忙しい現代人に受けている   現在、多くの冷凍食品メーカーからさまざまな冷凍うどんが発売される中、トップシェアを誇るのがテーブルマーク(旧加ト吉)だ。冷凍うどん業界に参入して43年。黎明期を牽引してきた同社は現在、年間約5億食を供給し、市場規模およそ716億円の冷凍うどん業界で5割弱のシェア(出典:富士経済食品マーケティング便覧)を誇る。 だが、意外にもその滑り出しは順調だったわけではない。先頭走者としてこだわり続けるものとは。同社M&S戦略部で冷凍麺を担当する根岸新一さんと高橋良輔さんのお二人にお話を伺った。 冷凍うどんのプロである根岸新一さん(右)と高橋良輔さん(左) 「冷凍したうどんなんて」で始まった苦節10年   ――冷凍うどんを初めて発売したのは1974(昭和49)年ですね。   高橋良輔さん(以下、高橋):開発は香川県内の弊社工場で行われたのですが、いわゆる大がかりなラインを敷いた工場ではなく、よくある小さな製麺所のようなところだったと聞いています。   根岸新一さん(以下、根岸):開発にあたり従来の冷凍技術や凍結機器も利用しましたが、機械から機械へは人が移すなど、工程全体としては機械半分・人の手半分でしたね。   高橋:工業的に冷凍うどんを作るための連続的なラインが世の中になかったんです。それで人の手が入る。すると温度や湿度によって出来にばらつきが出てしまう。今は過去の膨大なデータと照らし合わせて調整できますが、品質の安定は当時の社員がもっとも苦労した点だそうです。製造するのも販売するのもみな香川の人間で、本当に美味しいうどんの味を知っているからこそですね。 社員自らマネキンとしてスーパーに立った時代も   ――今でこそ大変画期的な商品だと思いますが、振り返ってみると決して“華麗なる誕生”というわけではなかったのですね。   高橋:そもそも「冷凍したうどん」という概念が受け入れられにくかったのでしょう。お客さまは日常的にうどんを食べている方々で、製麺所の高いクオリティに慣れている。食べてもらえれば美味しさが分かるとアピールしても、「冷凍したうどんなんて」と言われてしまう。さらに県外に関していえば、そのころはまだ讃岐うどんのブランド力も低く、アプローチが難しかったというか。   根岸:当時は社員がスーパーで試食販売を行う「マネキン」をやったり、屋台型のリヤカーを引いて回ったり、また、生協ルートで“お試し”という形を利用したり、あらゆる手を尽くしたそうです。それと同時に、急速凍結まですべて自動化しないとだめだ、と製造規模も拡大することに。   発売当時の値段は一食当たり現在の3~4倍もしたらしいですが、設備の導入と見直しの度にコストダウンすることで徐々に販売価格もリーズナブルに。そういう努力が実り、発売から10年後には全国でお取り扱いいただけるようになったと聞いています。その後の讃岐うどんブームも、弊社の冷凍うどんを広く知っていただくきっかけの一つになりました。 冷凍うどん戦国時代をナニで勝ち残る?   ――現在、少し規模の大きいスーパーへ行くと、御社はもちろん、複数他社のものやPB商品を含めさまざまな種類の冷凍うどんが販売されています。他社商品との違いはどこにあるのでしょう。   根岸:一つはコシの強さを作る上で弊社にしかできない配合技術があります。もう一つは製造ラインの技術です。冷凍うどんに限りませんが、弊社は昔から「人間がやってることを機械で再現する」というアプローチが大好きで(笑)、職人が打つのと同じになるよう研究を重ねています。   正直、もっと楽に作ろうと思えばできるかもしれませんが、「再現する」ということにこだわる。当時の技術部門の社員たちもおそらくそういう熱い思いを持っていたんだと思います。   高橋:量産と品質のバランスも不可欠です。量産に適した製造方法を前提に、どうすれば手打ちの工程により近づけたラインにできるかを常日頃考えています。新型のラインを導入する際は改良を加えて品質の改善に努める、そういう新しいことにトライする企業姿勢なんです。 ...

  歴史というと、似たような名前の武将が多くて覚えるのに苦労した、単純につまらなくて苦手だったなど、どちらかと言うとマイナスなイメージを抱いている人もいるのでは?    しかし、歴史ナビゲーター・歴史作家として活動している「れきしクン」こと、長谷川ヨシテルさんのわかりやすい解説を聞けば、多くの人が歴史のおもしろさを実感できるはずだ。今回はれきしクンに、戦国時代に戦略上手で名を馳せた、藤堂高虎・北条氏康・細川藤孝の3人の武将に学べる点について教えてもらった。 起業に成功したい方は、7回も主君を変えた「藤堂高虎」に学ぶ   −−「藤堂高虎」とは、初めて聞く名前の方もいそうですが、どんな方だったんですか?   藤堂高虎が一番特徴的なのは、生涯で7回も仕える主君を変えていることです。自分を評価してくれる場所を求めて渡り歩いた転職をするような方なんです。「武士たるもの、7度主君を変えないと武士とはいえない」という、名言というか迷言を残しています。   −−7回は多いですね。7回も主君を変えると、飽きっぽい性格だと思われたり、裏切り者だと言われたりすることはないんですか?   江戸時代だとタブーなのですが、戦国時代においては主君を変えることは悪いことではないんです。日本人ってどうしても義理にアツい部分があるので、同じところにいる人との関係にこだわると思うのですが、高虎はドライな部分を持っていて、自分を評価してくれる場所、お金が発生する場所に身を置いていました。   そして、この人が評価される武器が、お城を建てる築城術だったんです。今風に言うと建築デザイナーですね。お城の防御力を高めるデザインの技術に長けており、宇和島城や大洲城の大改修、今治城や和歌山城、世界遺産にもなっている二条城の建築や、江戸城の改修などを手掛けた人です。中でも、三重県にある伊賀上野城の石垣は大阪城の石垣に次いで2番目の高さで、その高い石垣を作るために独自の技術を持っていました。武士であり、デザイナーだったんです。   でも、これだけ聞くと武士として戦っていないような官僚に見えますが、指が欠けていたり爪が剥がれていたり、着物を脱ぐと全身傷だらけ。戦場できちんと結果を残している人です。でも、戦場には他にも首を獲れる強い武将ならいますから、高虎にとって“自分が勝てる場所”が築城なんです。   また、高虎は非常に人間としてもできている人でした。二条城を建てた際のプロデューサーは高虎ですが、発注先は徳川家2代目の将軍秀忠。この2人が造る予定だったのですが、やはり最終的なプランはトップである秀忠が決めた方がいいですよね。そこで、高虎はプランを出す際、一つは緻密に練った案、もう一つはポンコツのプランをあえて出し、「どちらが良いですか?」と秀忠に選ばせたんです。すると、当然しっかり考えた方の案を秀忠は選ぶので、結果、秀忠を立ててプロジェクトを進められたという。   −−そこまで考えられるなんて、人間関係もとても良好そうです。   「最終的に秀忠さんが決めたから、俺がプロデューサーとして進めるよ」という、ある意味プロレス的な部分もあったかもしれませんが、トップをきちんと立てる方なので、嫌われていなかったと思います。また、自分の家臣が藤堂家を辞めて他の武将に仕えたいという場合、「明日お茶でも振る舞ってやるから来い」と家臣を呼びつけ「転職先が合わなかったらまた自分のところに戻っておいでよ」と言うんです。そして、実際に家臣が戻って来た際、今までと同じだけの給料で雇ったという話があるくらい、良い人です。   主君を7回も変えたというと、落ち着きのないイメージかもしれませんが、自分を評価してくれる場所を求め、人とちゃんと接することができた方です。また、関ヶ原の戦いの後に徳川家に仕えた「外様大名」という大名がいます。普通は、元々徳川家に仕えていた人を出世させて重用するのですが、高虎だけ異例中の異例で、「徳川家に戦が起こったときは、藤堂家を先陣にしろ」と、家康は遺言を残しています。それでも敵を作らなかったということは、本当に高虎はできた人だったのでしょうね。   ・ まずは現場で結果を出す ・ 自分を評価してくれる場所を選ぶ ・ 他者にはない武器を持つ ・ 常に謙虚。相手を立てる人格者 後継者として会社を安定させたい方は、あえてライバルと手を組んだ「北条氏康」に学ぶ   −−北条家と聞くと、真っ先に北条政子が浮かびますが、北条氏康はあまり知られていない気がします。   北条政子は鎌倉時代の方ですが、氏康はそこから300年以上後の戦国時代の方です。そして、歴史好きに「戦国最強の武将って誰?」と聞くと、必ず名前が上がる人物でもあります。北条氏康は神奈川の小田原城を拠点にした人です。同世代のライバルは武田信玄と上杉謙信。上杉謙信が「越後の龍」、武田信玄が「甲斐の虎」、そして北条氏康が「相模の獅子」と言われたくらい、強い武将でした。   北条氏は5代続いており、氏康は3代目。つまり、経営者としては先代が築き上げたものを引き継いでさらに大きくしていかないといけない立場です。信玄や謙信の他にも、今川義元もいたので、周りはライバルばかり。   そこで、氏康は初代・北条早雲が作ったルール「早雲寺殿廿一箇条」という遺言を大切にしました。内容は、「人の意見はよく聞く」「良き友達と語り合って意見をもらう」「人をもてなす場には遅刻しない」「身分の上下は関係なく、良い意見は採用する」といったものです。この他に、氏康の名言には「酒は朝飲め」といいうものもあります。これ、どういう意味だと思います?   −−朝、お酒を飲んでしまうと仕事ができないですよね……?   そうなんです。みんなそう考えるので、朝飲むと飲み過ぎを防げますよね。夜飲むと深酒してしまうので、「深酒はオススメしないよ」という意味です。このように、道徳心が強いというか、規律を守る人でした。3代目ともなると、家臣も台頭してくるのでルール作りを改めたのでしょうね。   −−氏康がかかわった主な戦いはどのようなものですか?   日本三大奇襲戦というものがあります。これは、桶狭間の戦い、厳島の戦い、そして川越城の戦いです。川越城の戦いで氏康は一気に勢力を関東にまで伸ばしています。先代から引き継いだものを守るという点では保守的に見えますが、勝負をかけるときはかける方。   そうやって勢力を伸ばしたら、先代よりも大きくなったので、新しい組織づくりをしていかねばなりません。そのときに氏康がやったのが「支城ネットワーク」です。小田原城を本城(拠点)としていたのですが、大きくなって治めきれないので、八王子城(東京都八王子市)、鉢形城(埼玉県寄居町)、江戸城など、各地にネットワークを築き、そこに自分の有力な家臣をおいてその土地を治めるという、今で言う子会社をつくるようなことを始めました。そして、自分は本社である小田原城で経営をする。   先ほど、ライバルが多かったとも言いましたが、全部敵に回してしまうとやってられません。氏康にとって一番のライバルは上杉謙信。そこで、最初は敵対していた今川義元や武田信玄と同盟を組むんです。あえてライバル会社と手を組み、ライバルを謙信のみに絞る。敵を絞るというか、“敵の敵は味方”といった感じでしょうか。   現代でも深夜のバラエティ番組などで「ライバル会社が対決!」といった企画がありますよね。あれって対決しているわけではなく、その業界を盛り上げているわけです。そのように、業界全体を盛り上げるために敵と手を組むことをできたのが、氏康なのだと思います。   −−すごい。がむしゃらに戦っていては効率が悪いですもんね。戦のほか、氏康はどんな取り組みをしていたんですか?   他の武将は、処刑の見せしめをして家中の統制をはかるような暴力的な部分があったのですが、北条家は今風に言うと、都民ファーストならぬ“領民・家臣ファースト”の政治だったんです。百姓の土地の年貢は、トップに納められるまでに何度か仲介者が入ってそのたびに手数料を取られるので、結果的に増税になるのですが、氏康は直接百姓が納められるよう一括管理をしたんです。   そして、例えば「土地の管理者が良くない」といったことを百姓が直接大名に訴えられるよう、「目安箱」を設置しました。徳川吉宗が設置したことで有名な目安箱ですが、実は吉宗より前に氏康が行っていたんです。社員の声が一気に社長に届くような環境を作ったということです。飢饉が起こると、税金を免除にすることもありました。戦国時代は百姓一揆などで荒れているイメージがあるかもしれませんが、北条家はこの時代に一度も一揆が起きていないと言われているんです。   −−身分が低い者のこともきちんと目にかけていたんですね。   しかも、氏康は日本最古の水道システムを作り、これが江戸の水道の基となっています。福祉にも力を入れていたと言えます。政治家としても経営者としても、必要な能力を持っています。強い武将と言うと、どうしても戦の強さが連想されますが、総合的に見ると最強の武将は氏康だと歴史好きには結論づけられるのだと思います。武田信玄なんてガンガン増税していますからね(笑)   ・ 先代が作ったルールを守る ・ あえてライバルと手を組む ・ 会社がある程度大きくなったら支城ネットワークを作る ・ 領民・家臣ファーストを心がけ、一揆を防止 経営難から立ち直りたい方は、“勝てる商品”で勝負した「細川藤孝」に学ぶ   −−最後は細川藤孝という武将ですが、お恥ずかしながら全く知らない方です。細川家は知っていますが、細川ガラシャと関係のある方ですか?   そうです。細川藤孝は細川ガラシャの義理のお父さんにあたり、末裔は細川護煕総理大臣です。藤孝は一度、滅亡しそうになっているのですが、そこから一気にV字回復。大名となった後、子孫は幕末まで大名を務めています。   −−経営難に悩んでいる経営者はぜひ参考にしたい方かもしれませんね。   細川藤孝は13代将軍・足利義輝に仕えていました。しかし、そのときに足利家の家臣たちが力を持って、家臣同士が揉め始めます。義輝は将軍の権力をもう一度復活させようと頑張ったのですが、家臣たちに暗殺されてしまうんです。その後、家臣たちは自分たちに都合の良い将軍に首をすり替えました。義輝の家臣だった細川藤孝も京都を追われてピンチに陥ります。義輝が暗殺されているので、藤孝は一度滅亡しているようなもの。   そして、もう一度自分が復活するためには新しい将軍をつけないといけないと、後ろ盾を探し始めます。つまり、“勝てる商品”にすげ替える。義輝には足利義昭という後の室町幕府の将軍がいるのですが、義昭を引っ張り出して各地を転々とし始めます。   「これ(義昭)は良い商品だから、勝てるから」と言って資金を得ようと、福井県・越前国の朝倉家に行くのですが、朝倉家は自分の経営が安定しているので全然動きませんでした。だから、安定している企業よりはグイッと動いてくれる企業でないとこの商品は買ってもらえないと思ったんでしょうね。   その頃、尾張から美濃に進出して飛ぶ鳥を落とす勢いだったのが織田信長。新しい企業ってよく企業を買収しますよね。信長もおそらく買収感覚だったと思うのですが、藤孝は信長に売りにつけて資金を得ます。そして信長の軍勢を率いて義昭を連れ、もう一度京都に上洛します。そして、義昭を足利家の15代将軍に就任させたんです。義輝が暗殺されて経営難に陥ったけど、武器を手に入れ、勢いのある人を味方につけて、京都に上洛して将軍につけているので、かなり敏腕ですよね。しかも、この期間はたったの3年間です。   −−3年って、とてもスピーディーですね。   でも、この3年間は本当に極貧生活でした。明かりを灯す油も買えないので、神社から油を拝借して、薄明かりの中で本を読んでいたそうです。ピンチなときや仕事がないときは暇なので、暇なときほど知識を蓄え、チャンスが訪れたらその知識を活かして信長に接近し、チャンスをものにするという。   藤孝がすごいのが、この商品(義昭)にこだわらないんです。義昭が将軍になって京都で返り咲いた後、義昭と信長が対立するんです。普通だったら義昭の家臣である藤孝は義昭につくべきなんですが、ドライな部分、薄情な部分があって信長についちゃうんです。そうすると、さらに信長から信頼される。武将としても優秀なので信長の家臣として出世していくんです。   また、藤孝は明智光秀と親戚になったのですが、本能寺の変で信長は光秀に殺されます。本能寺の変の後、光秀から親戚だから当然味方にしてくれるだろうと「俺に味方してくれ」と手紙がくるわけですが、藤孝は信長が亡くなったから弔わなきゃと、頭を剃ってしまうんです。頭を剃ることで「俺は光秀には味方しないぞ」というアピールです。そしてその後、豊臣秀吉がくると、秀吉に味方します。なんというか、先見の明のある人なのだと思います。   −−成功するためにはドライな部分も必要なんですね。   ドライな部分って経営者としてのすばらしさでもあると思うのですが、藤孝の一番の強みは和歌が得意な文化人だったことです。『古今和歌集』の読み方を解いた『古今伝授』というものがあるのですが、これは口伝で伝わっているもので、当時は藤孝しか知りませんでした。だから、この人が滅びたら『古今伝授』が伝わらなくなってしまいます。   この知識が生きたのが、関ヶ原の戦いのときです。関ヶ原の戦いの際、藤孝は京都の田辺城にこもっていました。しかし、落城寸前となったため、最後に武士として腹を切ろうとした際に「ちょっと戦をやめろ、和議結んでお城を開こう」と朝廷からお達しが来たんです。藤孝が死んでしまうと和歌の道が廃れてしまうので、異例な出来事です。まさに、「芸は身を助ける」。藤孝は和歌の他、蹴鞠や茶道、料理、剣術や弓も得意で、なんでもできる人でした。文化的な面に秀でていると、社会の目も優しくなることがあるので、現代のリーダーに近いタイプかもしれないですね。   ・ 勝てる商品(足利義昭)を準備して勝負する ・ 売上がないときこそ、勉強期間にあてる ・ ヒットした商品(義昭)にこだわらない。「義昭から信長へ」「明智光秀はなく秀吉に」 ・ 文化芸術事業(和歌)を行う 語り手:れきしクン(長谷川ヨシテル) 歴史ナビゲーター、歴史作家、あだ名は「れきしクン」。「長谷川」の文字が付いた赤い兜がトレードマーク。元芸人ならではの明るく楽しい解説が持ち味。歴史イベントのMCや企画の他、講演や執筆活動も精力的に行っている。メディア出演も多数。   ▼2017年8月29日に初の書籍『マンガで攻略!はじめての織田信長』(白泉社)を上梓▼ ...

  クレイジーケンバンドの横山剣さん、SEKAI NO OWARIさんなど他数アーティストや芸能人も愛用する帽子ブランド「CA4LA」。 帽子をファッションとして打ち出し、帽子文化を発信し続け、日本のみならず海外にもファンがいる「CA4LA」を世に送り出したのが有限会社ウィーブトシ...

  チャンバラ合戦-IKUSAとは? 「皆の者!刀をあげよ!戦国開始〜!!」威勢のいい掛け声とともに合戦がはじまる。しかし、殺伐とした戦いではなく皆笑顔で楽しそうだ。チャンバラ合戦-IKUSA-(以下、IKUSA)とは、一言でいってしまえばチャンバラ遊び。   「スポンジ製の刀を持ち、相手の腕についた命(ボール)を落とす」ルールはたったこれだけだ。単純なルールなので、下は4歳から上は88歳まで年齢・男女・国籍を問わず誰でも参加できる。世代や性別を問わず楽しめる新しいエンターテイメントとして各地に広がり始めている。       https://www.youtube.com/watch?time_continue=9&v=V_0oSnQnIXw ▲合戦フェスPV       IKUSAは企業や地方自治体と組み、チームワークレクリエーションやご当地合戦などあらゆる場所で様々な目的に応じて行われている。IKUSAを運営する株式会社TearsSwitchの赤坂大樹さんに、チャンバラ遊びを単なる遊びにとどまらずエンターテイメントに昇華させた戦術と今後の可能性についてお話を伺った。 ▲チャンバラ合戦-IKUSA-を企画運営する株式会社TearsSwitch 赤坂大樹さん     体験型合戦エンターテイメント「IKUSA」で会社と地域を変える   ーーどれくらいのペースでイベントをされているんでしょうか   チャンバラ合戦-IKUSAが発足してから5年半ほどになります。口コミなどで広がり、今では年間130以上のイベントを行っています。割合的には、企業向けの研修や旅行イベントが6割、自治体向けのイベントが4割ほどになります。その内、代理店からの受注は2割ほどで、ほとんどが企業や自治体と直接の取引でイベントを開催しています。   剣は小ロットでオリジナル製造してるんですが、1本数百円します。消耗品なので壊れてしまいますし、参加料も500円程度ですから参加費のみのイベントですと利益がでません。やる場合は割り切って赤字でもOKなものに絞っています。 ▲改良を重ねて作られたウレタン製の「剣」と「命」のボール。当たっても痛くない安心設計。   誰もやったことのない遊び!社長も平社員も関係ない ーー企業イベントに使われてるんですね   数百人単位で一気にやれるコンテンツって案外少ないんですよ。運動会をやっても運動神経のいい若手男性だけが活躍して、そうでない人は玉入れやるだけみたいな状態が起こります。社内活性を狙ってるはずなのにそれじゃあ、あまり楽しくない。   IKUSAは経験者のいないアクティビティなので平等です。早歩き、駆け足はOKですが、ダッシュは禁止してるので老若男女誰でも参加できます。2時間半で7~8戦ほどするのですが、合戦の間に話しあいの時間を設けてます。我々はこれを軍議と呼んでいるんですが。ここで「次の戦いは陣形をどうしよう」などと作戦をたてます。   ーーああ、合戦中にPDCAサイクルを回すんですね   そうです。仕事と違って、IKUSAについては誰もが初心者。社長や部長に対しても対等にコミュニケーションが取れるわけです。そういったこともあり、企業イベントで御採用いただく場合はチームビルディングというテーマでお手伝いすることが増えています。 ーー社長クラスもけっこう参加するんですか   風通しのいい会社ほど、社長や重役の方も参加されます。某有名メーカーP社や自動車メーカーさんで実施したときも、社長さんが出てきましたから。それで平社員にあっさりやられたりするんです。逆に「この専務、社長に遠慮してるな〜」って上下関係が滲みでちゃう会社があるのも面白いですね。   ーー女性社員も楽しんでますか   はい。どんなに運動神経がいい男性でも女性3人に囲まれたら、大抵やられてしまいますから。腕につけた命はマグネットで固定されてるんですが、あまり激しく動いたら落ちちゃうんです。命が外れたら自害って呼んでるんですけど。ダッシュとジャンプも禁止にしているので、運動神経の良し悪しや体格の大小もいい具合に帳尻が取れますね。   200人ぐらいでバトルロイヤルをやっても女性が残ることが多いんです。威勢のいい男性社員は「かかってこいや!」と叫んだりして目立とうとするので、すぐに囲まれてやられてしまいます。女性社員は冷静に強いやつを見つけて囲んでやっつけていく。そういうところぬかりがないんです(笑) 祭りの再定義!ご当地合戦を蘇らせる ーー企業イベント以外にも、あちこちの地域イベントや祭りでIKUSAをおこなってますよね   どこの地域のお祭りも見るものや食べるものが同じです。どこに行ってもフランクフルトがあって焼きそばがあってアイドルが歌ってる。それはそれで面白いですけど、地域の特色が活かせてません。我々の場合、その地域で起こった合戦風にIKUSAをアレンジできます。大阪城でやるなら大阪の陣、富山城なら佐々成政をモチーフにできます。   たとえば、滋賀県長浜市では「姉川の戦い」をイメージしたIKUSAをやりました。織田信長の軍勢と浅井長政の軍勢の戦いです。普通、織田軍に入りたいですよね。でも、チーム分けをしてみたらほとんどの子どもが地元・浅井軍を選ぶんです。これって地域性ですよね。   愛知県でやった「桶狭間の戦い」では、今川軍はご飯を食べた状態でスタート。10m先に置いてある剣を取りにいくところからはじまって、30秒たつと援軍がきます。これも史実を取り入れた特別ルールですね。       https://www.youtube.com/watch?v=fUBgcBRRwpQ ▲可児市の乱       ーーIKUSAを通じて地域の歴史を振り返るわけですね   小さい子たちが「おじいちゃんと一緒に織田軍と戦った!」とか言いながら帰っていくわけです。そういう特別な思い出を、お祭りで作ることができる。お祭りをきっかけに自分が住んでる地域の歴史に興味を持つ。大げさかもしれませんが、そういう場だとお祭りを再定義していきたいです。   ーー参加者は子どもや家族連れがメインなんですか?   そういうわけでもありません。どっちかっていえば20代後半~30代ぐらいの参加者が多いんですね。 ほかの地域で参加した方が、地元のお祭りに呼んでくれることもよくあります。「なんか資料ある?それさえあれば、あとはこっちで通しとくから」とか言ってくれてありがたい限りです。新しいエンターテインメントなので体験したことある方がいると話しが早いですね。   会社でも地域でも決裁できるポジションの方は、年齢的に戦国好きが多いんですよ。司馬遼太郎を読んでいたり、大河を見ていたり。IKUSAは戦国好きを刺激する、決裁権者に刺さりやすいコンテンツなのかもしれませんね。 自主開催で実績とノウハウを積む!5000人来場の大合戦「合戦フェス -...

  若い世代を中心にシェアハウスの利用が一般化しています。家を複数人でシェアするスタイルは、数年前まで「そういうの好きな人いるよね」程度の認識でしたが、現在は暮らしの1つの選択肢として選ばれています。   投資として利回りがいいことも注目されてシェアハウス運営者は増える一方。ひつじ不動産、東京シェアハウスなどシェアハウス専門サイトもたくさんあります。急速に競争が激しくなり、撤退する業者もあらわれはじめるシェアハウス業界。   そのなかで順調に規模を拡大しているのが「絆家シェアハウス」です。2017年7月現在、6軒のシェアハウスを運営し、平均稼働率は脅威の90%(※オープン後、半年以上のハウスを対象)。東京と大阪で合計約100名の住人が暮らしています。今年中にさらに2軒増える予定だとか。これだけの数のシェアハウスを社長夫婦と社員1人の3人で運営されています。 上記写真は取材に伺った東武練馬駅の絆家シェアハウス。4階建て18室で35名住んでいます。絆家シェアハウスを運営する「株式会社絆人」平岡夫妻に、「シェアハウスを円満運営するコツ」「住人を寄せつけるポイント」を伺った参りました。 入居期間は業界平均2倍!「居心地のいいコミュニティー」を作るポイント ▲絆家シェアハウスを運営する平岡夫妻   ――ずいぶん大きなシェアハウスですね。何人住んでるんですか?   いま、住人は35人です。私たちも夫婦でここに住んでます。もともと貴金属工場だったので大きいんですよ。「みんなでつくるシェアハウス」ってプロジェクトを立ち上げて、みんなでどんな内装にするか考えて、部屋割って、お風呂入れて、DIYで椅子や机を作ったりしました。   ――35人!学校の1クラス分ですね。どんな方が住んでるのでしょうか   ここのシェアハウスの男女比は6割男性、4割女性。カップルも私たち以外に2組住んでます。年齢は下が19歳から上は30代半ばぐらいですね。ほとんどが会社員ですが、フリーランスで仕事してる人が3人いるかな。   社会人になって数年経ち、仕事が落ち着いて会社と家の往復に退屈になってきて、あたらしい刺激が欲しいなと入居してくる方が多いですよ。あとは地方から都内に上京してくるタイミングですね。一人暮らしだと、礼金、敷金、仲介手数料と、また家具を新しく一通り揃えると引越し初期費用が40円-50万円と高くなってしまうので、今まで引越しに踏み切れない人が多かったと思います。   シェアハウスだと、礼金、敷金もなく、家具が最初からすべて揃っているので、引越しがしやすくなったと思います。人と住むことにそれほど高いハードルを感じない人なら、シェアハウスはひとつの選択肢になりますね。   ――平均でどれぐらいの期間住まれるんですか?   シェアハウス業界全体の平均だと半年から1年ぐらいと言われてるんですが、私たちの場合は1年~2年ぐらいですね。引越しする理由としては、転職して勤務地が変わるとか、結婚するとか、ドミトリーに住んでたけど1人部屋に暮らしたいとか、そういうタイミングが多いですね。   ――業界平均の2倍長く住まれるんですね。なにか理由があるんですか?   居心地のいいコミュニティーが付加価値ですね。シェアハウスに暮らすことで、誰とどういう関係を作れるのかがポイントです。シェアハウスって敷金礼金がないので、ハード面で選ばれると近くにもっと条件の良いところができると簡単に移られちゃうんですね。家具も備えつけを使う方がほとんどですから引っ越しも楽ですし、入りやすくて出やすい構造。 でも、居心地いいコミュニティーがあればよそに移らないんです。私たちのシェアハウスでは、住民の歓迎会からはじまり、誕生日会などのイベントや、ごはん会など、住民の交流が密にあります。 ▲住民たちのLINEグループ。頻繁にやりとりされている。   ――なにか交流を促す仕組みがあるんでしょうか?   いきなり「みんなで話して」と言っても何を話していいか分かりませんよね。新しく入った住人も、既存の住人の仲が良いからこそ「私、入れるかな……」と不安になってしまいます。だから、「料理が好きだから住んでみたい」「イベントがあるから住んでみたい」と別のファクターが必要なんですね。きっかけがあると入りやすいです。   ――別のファクターですか   たとえば高田馬場に「masobiシェアハウス」というシェアハウスがあるんですね。masobiは学びと遊びをくっつけた造語なんですが。このシェアハウスでは月に3~4回、資格をもってる人をお呼びして料理教室やヨガ、コーヒー教室をリビングで開催しています。そうすると「料理教室があるから」と自然とリビングに集まりやすくなります。こういう教室って「わざわざ出かけるのが面倒くさい」「知らない人がいるからしんどい」となかなか長く続かないものですけど、シェアハウスでやれば気の知れた住人同士なので安心して続けられるんですね。 ▲広い屋上を使ってバーベキューパーティーや流しそうめんをすることも   ――なるほど。共通のコンテンツを体験すれば、自然と会話も生まれますね   コミュニティー作りが目的なので、そういった学びの教室もその道で教えるプロを呼ぶというよりも、居心地の良い雰囲気を作ることが上手な人当たりの良い講師をお呼びすることが多いですね。   コンセプトシェアハウスと言っても、あまりにニッチにしすぎると事業として成り立たなくなってしまいます。たとえば「麻雀シェアハウス」とか「人狼シェアハウス」を作って何十人と埋まるかどうか。趣味として一緒にやりたい人と、一緒に暮らしたい人はまた違ったりもするので、その辺りのバランス感覚が必要ですね。   増えてきてるコンセプトとしては、起業家シェアハウス、英会話シェアハウスなどがあります。これは広告を打つべきマーケットがはっきりしてるからです。起業家シェアハウスならビジネス系のセミナー、英会話シェアハウスなら英会話教室・日本語学校など、ターゲットがどこにいるか明確なものは事業として成り立ちやすいですね。   中には、ニッチなコンセプトで鉄道好きのシェアハウスや、サーファーシェアハウスなどもありますが、趣味の延長線上でシェアハウスをされたい人にはそういうのもありだと思います。 ゴージャスな設備がないなら、コミュニティーで差別化する   ――大阪では旅好きのためのシェアハウスを運営されてますよね   はい、「旅するシェアハウス」という名前で運営しています。大阪には知り合いが1人もいなかったので、「旅」というコンセプトを明確にして、旅のイベントや旅好きが集まるバーなどに出向いていってコミュニティーを作っていきました。   ――そんな草の根的で地道な活動をされてるんですね   自分も旅に興味があるからこそ出来ることですね。「旅好きが集まるシェアハウスをはじめました」と話して、外国人観光客にフリーガイドツアーやってる人たちや国際交流イベントの主催者たちとコラボ企画を月何回もやっていきました。そうやって旅好きに存在を認知してもらう。8割のシェアハウスは特にコンセプトがないので、こうしたテーマがあるとシェアハウスにそこまで興味のなかった人のアンテナにもひっかかってもらいやすいです。   旅するシェアハウスは大阪の北のほう摂津市にあるし、駅からも決して近くはありません。大阪の中心地ですらそんなに家賃は高くないですから立地やハードの部分だけでは差別化が図れません。住みながらいろんな外国人と触れ合えたり、普段は仕事でなかなか旅に出られない人が、日常生活の中で旅を感じられる生活の魅力を伝える。そういったハード面以外のソフト面の付加価値をどう付け加えられるかが大切です。   ――差別化のために重要なのは分かりますけど、コミュニティー作りに本当にすごい手間をかけてるんですね   好きじゃないとできないかもしれませんね。私の場合、コミュニティー作りがライフワークなのでそれを負担とは感じませんが、このソフト面をビジネスライクに効率だけで考えようとすると難しいと思います。   シェアハウスは今2極化しています。 1つは100人前後の大型のシェアハウスで、設備も豪華なもの。ヨガスタジオ、映画施設まであってホテルのようなゴージャスな暮らしができます。ハードの部分を充実させたいという人にとって魅力的なシェアハウスです。結果、住んでる人数も多いので気の合う人も見つかりやすい。   もう1つは居心地の 良い住民との関係性にフォーカスをして、コミュニティがしっかりしているところ。そのために、コンセプトを明確にしているシェアハウスです。英語が学べる、旅が好き、起業家と切磋琢磨できる関係性があるなど「こういう人と住みたい」で選ぶシェアハウスです。   私たちは後者に入ります。   逆に、大型シェアハウスでもなく、コンセプトもあいまいな中間層は難しくなってきています。たとえば、2~3年前に従来の不動産業者が利回りの良さに目をつけてシェアハウス業界への参入が一気に増えました。キッチンなど水回りが1つにまとめられるので工事費が浮きますし、1K物件なら同じキャパで、15人しか住めなくてもシェアハウスなら30人住ませることができる。   でも、私たちはシェアハウスは不動産業というよりサービス業に近いと思っています。シェアハウスは、1Kマンションの集客方法と運営方法とはまったく違うからです。   結局は、満室時の利回りだけで考えても、居心地の良い住民コミュニティーが作れていないと長く続きません。「隣の部屋がうるさい」「だれだれさんが嫌」など、住民同士の関係性ができていれば起こりにくいクレームが多くなり手間がかかり、結果人件費が増えてしまいます。   一見、表面上の利回りは良いように見えますけど、実はすごく手間がかかります。ソフト面での差別化もできず、結局は価格競争になって家賃を下げざるを得ない。そうすると収益性が下がる。「こんなことなら普通の1K住宅にしたほうが良かった」と撤退するところも多いようです。 事業としてやるなら一軒家のシェアハウスはおすすめしません ▲お菓子教室を開催したさいの写真   ――コンセプトを立てる以外に運営のポイントはありますか?   コミュニティのあるシェアハウスを作ろうと思うなら、住人の人数をある程度多くするのがポイントかもしれません。人数が少ないと、コミュニティができにくいか、できるまでに時間がかかります。シェアハウスは20代から30代前半の社会人が多いので、どうしても仕事の終わる時間にばらつきがあります。たとえば一軒家5〜6人の規模だと生活リズムの違いで普段顔合わせなかったり、コミュニティーが出来にくいようです。   現在、私たちは15人以上の規模のシェアハウスでないと新しく手をつけていません。人数が多いといろんなタイプの人がいて、コミュニティとしてのバランスが取れるので、大人数の方がコミュニティも早く育っていきます。15人程いると自然とリーダーシップをとれる人が住民から出てきますし、その中で特に気の合う小さなグループがいくつかできて自然とコミュニケーションが生まれます。   また、ある程度の規模だとこちらの運営費から定期的に外部から清掃業者が入ってもらえるので、ともすればトラブルのもとになるような掃除問題も未然に防ぎやすくなります。   ――人数が多い方がコミュニティが自然と育ちやすいということですね   あとは、内見時にどういう考え方のシェアハウスなのかはっきり説明してミスマッチを少なくするのもすごく重要ですね。住んでいるのは背景が違う人たちばかりだから、内見のときに「絆家シェアハウスでは、コミュニケーションを重視してるシェアハウスです。考え方の違い、価値観の違いを受け入れることを楽しめるかどうかが大切。それができないと絆家には合わないかもしれません。あまり交流を求めないなら、1人暮らしみたいにプライベートをより重視するシェアハウスもたくさんありますからそのほうがいいかもしれません」とはっきり説明します。   シェアハウスのコンセプトを理解せず、好き勝手にやる人が1人でもいると居心地の良いコミュニティは壊れてしまうこともあります。内見時に面談というわけではないですが1時間くらい「シェアハウスにどんな暮らしを求めているか」「どういう人が苦手と感じるか」「チームやグループではどんなポジションが居心地が良いか」といった話題を雑談を交えてします。   そうすると、自然とミスマッチなく、お互いにとって不幸なシェア生活を送る必要がなくなります。「安いからシェアハウスに住みたい」というだけの方にで、こちらが難しいと判断した場合は、審査の末こちらからお断りすることもあります。   安さや立地だけで判断して入居希望される方は、すれちがっても挨拶がなかったり、誰かがリビングを使ってたら煩わしい人間関係を避けて部屋から出てこなかったり、コミュニティーが生まれませんので。今のシェアハウス住民の居心地の良さを守る上でも大切にする部分の判断基準は大切にしています。 シェアハウスごとに1人リーダーを任命する   ――どういう人に住んでもらうか。そこからコミュニティー作りはじまってるわけですね   そうですね。人はとても大切なポイントです。現在5つのシェアハウスを運営していますが、それぞれのハウスには母親的な存在の住人ハウスマネージャーがいます。   ――ハウスマネージャーの役割はどんなことでしょうか   新しく来た人を受け入れてみんなに紹介したり、ごはん会を設定したりと、いたら安心できる存在ですね。母性を感じるタイプの女性が多くて「この人のためなら何かしたいな」と自然と思わせるような人徳のある人にマネージャーをお願いしています。   月一回私たちとハウスマネージャーでミーティングをして、現状の課題をシェアして解決案を出し合ったり、こういうイベントやろうと決めたり。決まったことはハウスマネージャーを介して各ハウスに伝えてもらいます。   私たちもすべてのハウスに住めるわけではありません。やっぱり実際に住んでて、良くしたいと思ってる人にやってもらったほうがいいコミュニティーができるなと思い、できるだけ住民の中からお願いしています。   みんなでワイワイやるイベントや学び場などはシェアハウスの一番楽しい部分ですから、ハウスマネージャーにリードしてもらえたら嬉しいと思っています。 逆に言いづらいような部分は私たちから住民に伝えるようにしています。 まとめ ・入りやすくて出やすいシェアハウス業界では居心地のいいコミュニティーをいかに作るかが安定した運営に繋がる。 ・交流をうながすために料理教室やヨガ教室を開催。共通のコンテンツで会話のきっかけを作る。 ・ホテルみたいなゴージャス設備がないなら、ソフト面で差別化する ・活発なコミュニティを育てるにはある程度の住居人数が必要 ・シェアハウスごとに母親的なハウスマネージャーがいることが大切 「シェアハウス運営は不動産業というよりサービス業」とおっしゃっていた真意が見えてきました。     ...

  連日30℃を超える熱い夏。 せめて足元だけでも涼しく過ごしたいものですよね。 そこでオススメのトレンドアイテムが「便所サンダル」です。   いま、ひそかに便所サンダルが盛り上がっているのです。便所サンダル、略して便サン。愛好者たちが履いて出かけるのは便所だけではありません。町にくり出し、デートに出かけ、どこにだって便サンを履いていきます。マキシマムザホルモン マキシマムザ亮君さん、ゴールデンボンバー鬼龍院翔さんらの著名人も便サンの愛好者として知られています。   今回はお話しを伺ったのは便所サンダル専門通販サイト「ベンサン.JP」の飯田正勝店長。倉庫を兼ねたオフィスは天井までうず高く便サンが積まれています。当初はご自宅でやられていたそうですが、流通規模が広まってきて、便サンの段ボールで部屋が埋めつくされ、日常生活に支障をきたしてきたので、オフィスを持つようになったとか。 ▲便所サンダル専門通販サイト「ベンサン.JP」   実店舗は持たず通販サイトだけでの販売ですが、2016年は年間19,000足もの便所サンダルを売っています。世界一便所サンダルを売る男・飯田さんに、ニッチ商品をネットで販売するポイントをお聞きしました。 便所サンダル専門通販サイトをはじめたきっかけ   ――便所サンダル専門通販サイトをなぜはじめたんですか?   もともとは便サンじゃなくてギョサンの通販サイトをやってたんです。   ――え?ギョサン?   漁業従事者用サンダル。略してギョサンです。 沖縄の友だちが「こっちではみんなギョサン履いてるのに本土で観たことない」って言うんですね。滑りづらいサンダルなのでサーファーや釣り人が好んで履いてるんです。   たしかに当時は誰も履いてなかったし、通販サイトもなかった。「おもしろそう、売れるんじゃない」と浅草の靴問屋街を歩いて2~3軒めぐって、40足買ってきたんです。そこからサイトを自力で作って、友人と2人で「ぎょさんネット」を立ち上げました。友人が店長で、僕はバックヤード業務担当でした。   ――すぐに売れたんですか?   それなりに売れました。 売り上げを購入資金にあてて3か月ぐるぐる回したらひと夏で200万円くらいまで増やせました。2年目も同じくらいですね。ギョサンはビーサンみたいな物なので、当時は夏しか売れませんでした。   ギョサンがブレイクしたのは2011年冬ごろで、嵐の大野くんがとあるテレビ番組で毎回毎回ギョサンを履いてたんです。冬の2月だっていうのに「ギョサン 大野」みたいな検索ワードで調べられまくってて、1日20~30PVだったアクセスが数千PVまでいきました。   ――順調だったのに、なぜ便サンに鞍替えしたんでしょうか   ギョサンってカラーバリエーションが結構あって色々集めるのも楽しかったんですけど、雪が振るとさすがに冷たい。でも「便サンなら靴下履けるし、雪の日でもいけるんじゃね」って思ったんです。   あと、ギョサンは型が2~3種類なんだけど、便サンは型が多い上に廃盤品などのレア物がたくさんあるんです。片っ端から集めてやろうと思ってホームセンターとか巡っても日本製の便サンはなかなか集まらなくて。どこにでも売ってそうなのに、現行品でさえどこにも売ってないんです。   となると、もう問屋に数十個単位で発注しないと手に入らない。根がコレクター気質なもんですから「じゃあ、大量仕入れして売っちゃったほうがいいや」と趣味と実益をかねて便サンを売りはじめたわけです。 ▲取材時も飯田店長はレアな便サンを履いていました   ――1つ手に入れるために何十個も注文しなきゃいけないなら売っちゃえと。   そんなことを考えてるときに、ギョサンや便サンのメーカー・丸中工業所に打ち合わせに行ったら「実はギョサンより便サンのほうが数は出てるんだよね」と言われまして、「それなら本格的にやってみよう!」と決意したわけです。   で、2011年に便サン絡みのドメインをバーッって10個以上取りました。取ったはいいけどそのまま放置して1年経っちゃって更新時期になりまして。更新料だけ払って何もしないのはもったいないので2012年にベンサン.JPを作って、ギョサンから便サンへ移ったわけです。いまは店長をやってた友人が一人で「ぎょさんネット」を運営してます。   ――はじめてみたら、どんな手応えでしたか?   便サンはどっちかっていうと業務利用が多いんじゃないかと思ってたんですよ。病院や介護施設、工場、厨房といったところが買うだろうと。丈夫で長持ちするのでマニアやコレクターじゃない限り、何度も買う物じゃないと思ってたんです。   でも、実際やってみると日本産の便サンを渇望してた人たちがたくさんいたんです。「前は近所で買えたのに、今はどこも売ってない!」と困ってた層がいた。最初はニシベケミカルの「VIC No.510ダンヒル」という種類の茶色と、丸中工業所の「PEARL...

  2017年5月、米グーグル傘下の人工知能(AI)開発ベンチャー「ディープマインド」(英国)の囲碁ソフト「アルファ碁」が世界トップ棋士・柯潔氏に3戦全勝したことで話題になりました。囲碁、その知名度に反して、ルールを知っていたり実際に打ったことがある人はそれほど多くありません。   そんな囲碁のプレイヤーを広げる活動をしている会社があります。その名も「IGOホールディングス株式会社」。なんともスケールの大きな社名です。誰でも参加できる囲碁イベントや囲碁の上達プログラムなど、囲碁にまつわる取り組みをしています。   2017年6月にはクラウドファウンディングプロジェクトを立ちあげて目標額を達成しました。募った資金で「囲碁打てます」と書かれたステッカーを作り、囲碁が打てる人を可視化しようと試みています。   今回はIGOホールディングスの井桁健太代表に、世にも珍しい囲碁ビジネスの今についてお話しをお伺いしました。 事業戦略その1. 「3ヶ月で囲碁初段プロジェクト」。成長意欲が高いビジネスマンがメインターゲット   ――IGOホールディングスはいつ立ちあげたんでしょうか   2015年5月15日設立なので今年で3期目です。ちょうど囲碁年(2015年)のGO囲碁(5月15日)の日に、囲碁仲間4人で立ちあげました。   ――いまもその4名でやってらっしゃるんですか   喧嘩別れではないですが、現在は私1人です。もともと私は食品メーカーの営業を1年8か月やってまして。趣味で囲碁イベントを主催してました。そのうちに「これを本業にしてみたいな」と思うようになってメーカーを辞め、イベント時など一緒に動いてたメンバー達と会社を作りました。   特に起業するつもりがあったわけじゃなかったんですが動けば動くほど「あなたたち4人はどういう関係なんですか?」とメンバーの関係を聞かれるようになりまして。囲碁という共通点はありましたがやってることはバラバラだったので、外から見たときに分かりやすいよう箱を作ろうと会社にしました。   ――どんなメンバーがいたんでしょうか   例えば、プロ育成の子供向け教室をやってるメンバーがいました。彼の場合は「人生を決めようとする子どもたちとその覚悟を受け止める自分がいる一方、ビギナーの方を相手にする自分もいて、その両立が難しい」と会社を抜けました。いまも、なにか一緒にできることがあれば手を組もうという関係です。   IGOホールディングスは業界の高齢化もなんとかしたいとも思っているので、どうしても現役で働かれている方が多くなり、ゼロから始める人に向けての働きかけが多いんです。ビギナーの方と対局したり、振り返りをする際にはまず良かったところを伝えます。悪かった手は「悪かった」と言わず言葉を変えて「改善すべきところ」として伝えています。   ――現在、IGOホールディングスはどのような事業をされてるんでしょうか   個人のお客さまへのレッスンが収益の柱です。特に「三か月で囲碁初段プロジェクト」ですね。ビジネスマンは仕事で忙しいですから、短期間に集中して取り組んで上達をしようというものです。囲碁は一度覚えれば一生楽しめますので、そういうスタイルの方が向いていると思っています。(現在は第六棋生を募集中)BtoBはこれからです。囲碁を企業研修に入れられないかなと考えています。   ――3か月で初段。普通なら初段取るのにどれぐらいかかるんですか?   1年半~2年かかるのが一般的ですね。囲碁初段をとる難しさは、マラソンでいえばサブ4(フルマラソンを4時間以内で走ること)と同じくらいです。初段プロジェクトではプロジェクトメンバーとして10名募集して、3か月フルコミットで挑戦します。認定大会という公式の大会がありまして、初段を目指す人同士で対局して4戦中2勝すれば初段です。これまで50人参加して10人が初段になりました。   少しでも囲碁を知ってる方をプロジェクトの対象にすれば、もう少し合格率が上がると思うんですが、本気で「やってやるぜ!」と奮起する人ってそれまでまったく囲碁に触れたことのない人が多いんですよ。   ――まったく囲碁やってない人のほうが多いんですか。初段プロジェクトって178,000円しますよね。まったく囲碁をやったことがなくて、その金額払うのはどんな層なんでしょう?   成長意欲が高い人が申し込んでくれます。30~40代のビジネスマンが多いですね。男女比率は半々ぐらいです。単なる囲碁教室なら他の教室でもいいわけで、それでは差別化になりません。囲碁教室側からすれば長く通ってもらえば長く通ってもらうだけいいわけですから、普通は「3か月で初段」みたいに期限を決めないんです。そこを我々はあえて決めてしまう。   プロジェクトの金額は囲碁教室の相場からすれば少し高めですが、ビジネスマンにとっては時間への投資でもあります。「こういうプロジェクトなんだよ」と明確で高いゴールを説明すると、成長意欲が高い人が「よっしゃ、とってやるぜ」と本腰を入れていただけるわけです。そういう方々にとって初段プロジェクトは非日常で学びもありますし、知的な出会いもあります。   ――成長意欲の高い人が新しい思考ツールを手にいれるための囲碁ってわけですね   そういう方たちは囲碁を打つことだけを目的にしてないんですよ。例えば以前、朝7時からスタバでやる朝囲碁を開催してたんですが、お越しになる方々と接していくうちに「早起き」に価値を見出してるんだとわかりました。   ――ああ、囲碁を動機に早起きできること自体が商品価値だと   そうですね。会社のビジョンとしても「知的な出会い」を掲げています。年齢・性別・言語・国籍・人種・身体能力の6つのコミュニケーションの壁を超えた出会いですね。囲碁に興味を持ってやって来る時点で気が合う。参加者にフィルターがかります。そういう人たちとの出会いも価値だと考えてます。 事業戦略その2....

今回紹介するのは『謎解き型ホラーゲーム』という一風変わったお化け屋敷「シカバネ」である。怖いものが苦手なのでお化け屋敷をさけてきた人生だが、これはまったく新しいエンターテイメントだと実感できた。   体験レポートとインタビューをご覧いただこう。   プレーヤーは自分、謎解き型ホラーゲーム「シカバネ」 謎解き型ホラーゲーム「シカバネ」は、イベントプロデュース団体「Clover」が運営するアトラクション。阿佐ヶ谷アニメストリートに「シカバネ」専用店舗があるという。 あった。 見つけてしまった、怖そう。…入りたくない。  ...

  「安い、早い、うまい」が売りのファストフード業界も単純な安売り戦略でなく、高級路線に走ったり、増税を理由にじわじわ値上げを行ったりしている。   そんな中、たったの200円でカレーライスを提供するカレー屋さんがある。店の名前は「原価率研究所」だ。   200円カレーと原価率研究所。 この2つのワードだけで、ただのカレー屋でないことは明らかだ。安売りだけでない、何か特別なビジョンがあるに違いないと感じ、経営哲学や戦略を取材してきた。 原価率研究所という名のカレー屋 原価率研究所は新潟県を中心に直営店2店舗・FC7店舗を構えるチェーン店だ。都内には竹ノ塚店と梅屋敷店の2店舗がある。取材で伺ったのは竹ノ塚店。駅から8分ほど歩いた通り沿いにある。 看板には「今回のテーマは『カレーライス』」と書かれている。 どこかしら突き放したような表現だ。間違いなく普通のカレー屋ではない。 「カレーライス」と「200円」ののぼりがはためく。 メニューはいたってシンプル。 カレーライス200円とチーズカレー300円、それにテイクアウト用の鍋カレー(ルーのみ)150円だけだ。辛さの設定やトッピングもなければ、ライス大盛りすらメニューにない。 ▲カレー200円(右) チーズカレー300円(左)   カレーとチーズカレー。 店内・テイクアウトともに、容器は使い捨てのプラスチック製を使用している。 洗う手間を省いて人件費を浮かせるためだ。 ...

  大人の皆さん!   JK・JD(女子高校生・女子大学生)の事情についていけていますか!?   本サイトは「商人(あきんど)」を応援するサイトなのですが、野口編集長(30代男性)がポロっとこう言いました。   「JKって何買ってるのかなぁ……」   たしかに、最近の若い子って何を買っているんでしょう……。というか、最近の若い子たちって何が好きなんでしょう?何を考えて生きているんでしょう? そもそも最近って何が流行っているのでしょう……?   「何を買っているのか?」「どんなことにお金を使いたいと思うのか」「インスタを活用したマーケティングって本当に効果があるのか?」など、商売・サービスに関わるすべての大人たちが頭を抱える「JK・JDの生態」を、今回は調査してみました。   すると、驚きの生態がいくつも発覚。   例えば… ・SNOWはもう流行っていない? ・かわいいのトレンドはすべて「韓国」から! ・プリクラのヒエラルキーが存在する ・ネットで買うのは「安いから」 ・とにかくお金に堅実 ・普通のバイトは「拘束されるから嫌」⁇ などなど。   だいぶ長い内容ですが、かなり勉強になることばかりだったのでぜひ最後まで読んでくださいね。     ▼JK・JD775人にアンケートを取りました ▼JK・JDを知る鍵は「Instagram」 ▼インスタを使えば広告費は不要「Instagram」 ▼SNOWの次は?流行りのアプリは○○。 ▼「かわいい」はどこからくるのか? ▼メルカリで服を買うのは田舎者?     JK・JD(女子高校生・女子大学生)775人にアンケートを取りました 今回は、わたくしライターのさえりが運営しているLINE@のアカウントにて、775人のJK・JDにアンケートをとりました。775名の分布はこんなかんじ。 △JK・JDのお小遣い(収入)は、20,000〜50,000円が最多。   △一体何を買うんだろう……。   このほか、様々なアンケート結果をもとにして、今回は10代の女の子たちの事情にめちゃめちゃ詳しい、ドリコムの吉田優華子さんにお話を伺ってきました。 株式会社ドリコム 吉田優華子(ディレクター) 2013年に新卒でドリコムに入社。現在は「PASS-街あるきを楽しく、お得に。」というアプリを流行らせるべく奮闘中。     吉田:普段は、ドリコムという会社でディレクターをしています。とあるきっかけがあって、音楽業界の人に「10代の子たちを知るパイオニアになってよ。ラジオとかやってみない?」と言われたんですね。それで『放課後トーークラジオ』という番組を始めて、毎回10代の子を呼んで話を聞いていました。私が知っている子たちの話に限りますが、10代の生態を教えるような立ち位置でインタビューを受けることもありますね。   参考:10代女子とつながる方法(おじさんにはムリ) http://markezine.jp/article/detail/26182   トレンドは10代女子から火がつくことが多いので、直接仕事と関係なくても普段からチェックするようにしています。     ——...

  わたくし松澤は珍スポットと呼ばれる一風変わった観光地をめぐっては「東京別視点ガイド」で紹介しています。6年間で巡った総数は1,000ヵ所以上。年末にはその年巡ったスポットTOP10をランキング形式で発表しています。   2016年度ベスト1に選んだのが栃木県の「岩下の新生姜ミュージアム」です。テレビCMでおなじみの岩下食品が手がける企業ミュージアムなのですが、その展示内容があまりにもぶっ飛んでいるのです。オープンは2015年6月。経営者が高齢だったり客足が減ったりで、気がつけば無くなってしまいがちな珍スポット界隈において、あまりに突然でビッグな新風だったので度肝を抜かれたものです。 たとえばジンジャー神社。岩下の新生姜とおなじくピンク色です。狛犬として立っているのは角が新生姜の岩鹿(いわしか)ちゃん。 ご神体も新生姜ですし、お供えものも新生姜。この日はイースター企画で新生姜の神様に変わって、新生姜で色づけされた卵の神様が鎮座していました。 超巨大な顔ハメ看板もあります。 体を駆けめぐる新生姜気分を味わえるゲーム「ジンジャー・ツアーズ」。昔なつかしのテレビ番組、電流イライラ棒と同じルールです。 イースター企画でダチョウの卵が岩下漬けされていて、ピンクになっていたり。 極めつけは「新生姜の部屋」です。擬人化された新生姜と2ショット写真を撮れる展示です。 本棚には「100万個の新生姜を食べたねこ」「もしも高校野球部のマネージャーが岩下の新生姜を食べたら」「ゆきゆきて新生姜」などベストセラーが並んでいます。 岩下食品株式会社 4代目社長・岩下和了さんにお話しを伺った 企業ミュージアムでありながら、他を寄せ付けない独創的な展示の数々。いったいどういう狙いがあるのか、どういう想いが込められているのかを社長・岩下和了(いわした かずのり)さんに直接伺って参りました。 ▲岩下食品株式会社 4代目社長...

  肉、トマト、オニオン、チーズ、肉。   バンズのかわりにビーフパティでサンドした、肉バーガー「ワイルドアウト」をご存知だろうか?美味しそう×写真映え×ネタになるの三拍子が揃っていて、見るからにバズりそうだな!というのが、初見の素直な感想だ。   これは相当戦略を練って商品開発したに違いないと確信し、人気ハンバーガー店「シェイクツリー」に商品の開発秘話を伺ってきた。 行列のできるハンバーガー店「シェイクツリー」 2011年にオープンした「シェイクツリー」は、JR総武線錦糸町駅、地下鉄両国駅からそれぞれ徒歩10分のところにある。   多くのハンバーガーチェーンが駅近に店を構えるなか、シェイクツリーは、やや不便な立地に店を構えている。それにもかかわらず、連日盛況。週末には行列もできる。 店名の「シェイクツリー」は、「shake a person’s...

  インターネットが普及していない時代、パソコンの使い方もわからなったひとりの建築士がネットショップを開店。ネットで「蟹」を売り、楽天市場で蟹ブームを起こした「北国からの贈り物」。 しかし、一大ブームを引き起こした北海道発の「インターネットの蟹屋さん」は、決して右肩上がりに成長したわけではありませんでした。10年間勤めていた建築設計事務所を辞めて始めた株式会社北国からの贈り物。 代表取締役社長「加藤敏明」氏にこれまでの歴史を交えながら、商売の難しさ厳しさのお話を伺いました。 「北国からの贈り物」立ち上げた、けど売れない   -最初から売れました?   加藤社長:最初は建築設計事務所で働きながらネットショップをはじめました。まぁ、案の定全然売れなかったですね。オープンして1カ月後にようやく1件、初めて注文がありました。ネットショップしている方なら誰でも経験があると思うんですが、初めて注文来たとき「本当に注文がくるものなんだ」と驚きました。東京のお客様から毛蟹を1尾注文もらって、それを届けたんですよ。   1年位やって月に10件程度は注文が入るようになって、リピーターさんも増えてきたので、いよいよ勝負を賭けようと楽天市場に出店したんです。当時は楽天市場に出店するには初期費用30万円を払わないとダメなのですが、今まで貯めた貯金を切り崩して出店しました。僕が32歳位の頃で収入も多くなかったので、勝負ですよね。   実際楽天市場に出店してみたら、なんと11月12月の売り上げが400万円程度。11月12月がちょうど蟹の売れるシーズンだったというのもあるのですが、これだけ売れるならいけるぞと、改めて確信して妻と会社とも相談して会社を辞めることになりました。98年にネットショップを始めて2000年の4月に独立して、蟹屋の店長さんとして「北国からの贈り物」という会社を立ち上げました。     ―よくご家族が独立を認めましたね。   加藤社長:家族の説得はかなり苦労しました。子供が2人目産まれたタイミングで会社辞めたので、妻や妻の両親からは会社辞めるなんてどういうことだと、詰められました。会社辞めて何するんだと言われて、インターネットで蟹売るんですと説明しても、何だインターネットって、蟹売るのかって険悪で、妻からは「建築家のあなたと結婚したのであって蟹屋のあなたと結婚したわけじゃないわ」、みたいな話もされて・・・でも「俺はこれで生きて行くんだ、起業家として会社を大きくしていくんだ」、と話しても通じないわけですよ。   子供産まれたばかりでしたしね。その時僕が言ったのは、「不安な気持ちもわかるけど、これで俺生きてくと決めたから、やらせてくれ」って、その代わり月の売り上げが1千万にならなかったら、諦めて会社員に戻るから1年間やらせてくれっていう覚悟を伝えたんです。それでようやく納得してもらえました。   独立後は売り上げを上げる為にメルマガやページ作りを今まで出来なかった分、一生懸命やっていました。しかし、売り上げが上がらなかったんです。楽天広告も出したのですがそれでも売れなくて。というのも4月から6月って蟹の売れる時期ではなかったんですよ。蟹の売れる時期は10~12月なんですが、僕の中では12月までに月1千万の売上げが目標だったので、もっと売らなくては月に最低100万円売らなくてはという意気込みでメルマガを書いて、サイトのページも作って。広告を買うほど売り上げが下がってくるので、5千円だったタラバガニをセールで3千円や3割引で出すようになりました。   注文0の日が続く   加藤社長:そうすると、いよいよアクセスもなくなって最後は注文0の日が1週間続いた事が楽天でありましたね。その時は楽天の担当に電話して、「今まで注文が来ていたのに1週間注文が来ないなんて、おかしいじゃないか楽天のシステムが壊れているんじゃないか」と聞いたんです。そしたら「お調べします」と言われて、3分後に楽天の担当者から注文メールが来て、「今テスト注文しましたけどどうですか」と。壊れてなかったんですよ。ただ単に、「売れていない」だけでした。   売り上げ0の日が続くというのは今思い出しても、恐ろしいことですよ。これから子供2人育てていくのに売り上げ1週間無いけどどうしよう、と悩みましたね。   そこで売り上げが上がらない理由を考え抜きました。その時初めて、自分が売り上げ上げたいから商品安く売ったり、メルマガ出してセールしたりしていたけど、お客さんの立場は違うと気付いたんですね。   お客さんってどういう時に蟹が欲しいんだろうと考えて、それは誕生日や家族が集まる時、年末のお歳暮のシーズンに贈ったり、年越し蕎麦とかお正月に食べたりとか、晴れの舞台だったりするから、こっちが売りたいと思っても、お客さんの都合もあるから無理だなと気がついたんです。   それで焦るのをやめて、12月までに目標達成すればいいから、それまでは売ることよりも自分がどうしてこの商売を始めたのか、うちの商品はどうやって食べたら美味しいのか、自分の商売に対する思いを12月までお客さんに伝えようと今までとは間逆のスタンスで、売れなくてもいい、ただ商品のことを伝えたり、自分の思いや会社がどんなことやっているのかを伝えることに集中しようと思ったんですよ。   売ることよりも、インターネットを通じて商品をお客さんに知ってもらうことが大事だと切り替えて、リラックスしながらメルマガ書いて子育てして。メルマガの内容も商売寄りの内容から切り替えて、今日は子供達とお風呂はいったとか、下の子が寝返りうったとか、上の子がこんな言葉を喋ったという話を書いてみたんです。   そうするとお客さんから、メルマガほのぼのしてていいよね、うちも同じぐらいの子供がいて苦労わかるよ店長さん、とメールがきたんですよね。あとは子育てが終わった僕より上の世代の人達からも、俺にも私にも子育て苦労した時期があった、そんな問い合わせメールがくるようになって。   そうするとついでに「お薦めの商品は何ですか?」と聞かれるんですね。ページを見たらタラバガニがあるけど、「この商品はどうやって食べるのか」と、商品の質問も一緒にくるんですよ。「このタラバはボイルしてあるので、届いたら直ぐに食べられますよ」と、やりとりしていると注文が増え始めてきました。そういったお客さんとの素のコミュニケーションや、あとは蟹の仕入れ日記のようなものをメルマガでやっていると、それを見てお客さんが、面白そうだと安心して注文してくれたりしました。そうして7~9月に少しずつ注文が増えてきたって言うのが、商売面白いなっと思った時のステージでしたね。   ―半年位は何もなくて、きつかったと思いますが、やはり大事なことはファン作りですか?   加藤社長:ファン作りですね。お店をはじめると、どうしても肩に力が入って、これだけ売り上げ目標ってなるじゃないですか。そうしてプッシュするとやはりお客さんも引いてしまうんですよね。余裕を持つというか、信頼関係を作るとか、どんな商売でも一緒です。売りたいから安売り、はやっぱりダメですね。時代は違うけどそう言った商売の根幹は、今も同じだと思っています。 ワケありカニに火がついて蟹ブームに   ーその後、楽天市場で蟹ブームを作られたと思うのですが、その時の話を教えてください   加藤社長:当時はタラバガニの姿とか、立派な蟹が贈り物で売れるんですよね。でも、中には仕入れると足が1本折れたり黒ずんでる商品も出て来るんですよ。折れていたり黒ずんでいるだけで、中身は変わらない。どんどん注文が増えてきて仕入れが増えると、その内の2杯3杯は足折れの蟹が出て来たので、そういったものはギフト商品としては売らず、ワケあり蟹で半額で売りました。そしたらそれが人気になった。いわゆる「ワケあり商品」ですね。ワケあり商品はうちがはしりなんです。   最初はワケあり商品の蟹を買って、美味しかったから今度は贈答用に綺麗な蟹を買う、というお客さんが増えてきたんです。北国の商品は安くて美味いし、贈答にも使えると注文が増えて、12月には売り上げが、2千万円まで増えたんです。始めてから1年くらいの話ですが、びっくりするぐらい売れて、半端なかったですね。楽天もビックリ、僕もビックリしました。   ―2千万円はすごいですね。   加藤社長:売上の要因の一つは、ファンが増えていたからだと思います。僕はメルマガ書くのが好きでしたから、どうしたら沢山の人に読んでもらえるかを考えて、メルマガの中に自分の家族ネタやクイズを入れたり、メルマガ購読者向けのプレゼント提供や、色々な企画やオークションをして会員を増やしたんですね。その時のメルマガ会員は1万人位いたんですけど、そのお客様が年末に購入してくれたということですね。   加藤社長:自分の中ではメルマガ会員を10万人集めた段階でパートスタッフ雇用して組織としてやろうと思っていました。10万人会員あれば商売になるだろうって自分の中で思ったんですよ。メルマガ会員を10万人にするまで1年位かかりましたね。   翌年、メルマガ会員が10万人になったのでアルバイトスタッフ採用して3人位でやり始めました。売り上げが2億3億になって、毎年1.5から2倍位売り上げが伸びていく楽しい時代でしたね。その3年後にYahoo!オークションに出店しました。ずっと1人だったので今までは1店舗しか見きれませんでしたけど、売り上げは増えてメルマガ会員も増えてきたので、1店舗1店長制で多店舗展開をやっていくと、また売り上げが伸びてきてという循環を作る事ができました。   まずはワケあり商品を買っていただいて、今度はギフトで買っていただく、というリピーターのお客様が増えて、お客様単価も高くなっていきました。売上が上がっていくのはいいのですが、受注がパンクしましてね。   1年間積み上げてきたお客様が年末に爆発して、受注業務がパンクしたり、人が足りなくなったり、出荷場がパンクしたり、ものが売れすぎて無くなったり・・・毎年何かしらの試練があってそれを乗り越えながら何とかやっていました。   初期の楽天RMSは月50万円程度しか売れる想定をしていない仕組みだったので、受注処理がすごい大変だったんですよ。僕もやっていましたが1日300件注文がきて、それを手作業で1件1件メールを書いて、3日間で合計3~4時間しか寝れないような状況で商売をやっていました。1月の繁忙期が終わった時に、すごく嬉しかったんだけど死ぬかと思ったんですよ。今回はトラブルもなくお客さんに迷惑もかけず商品届けられて良かったけど、受注業務を効率化しないと翌年はこの3倍注文がくるから間違いなく死ぬと思ったんですよ。   当時はネットショップの一元管理システムもなかったので、ネットショップの受注業務を管理するシステムを自前で作って、翌年の12月にはそれを活用しながら乗り越えました。   当時はネットショップで爆発的に売れる事を想定したインフラが無かったんです。楽天市場でさえ、受注ソフトも物流の考え方もありませんでした。 それを1つ1つ、無いものは作ろうと受注管理システムを作って、バックヤードも倉庫さんと相談して何回かパンクしながらその度にやり直して整備しました。 よかれと思った「安売り」で3年売上が伸び悩む   ―これは失敗したな、というお話はありますか。   加藤社長:そうですね、結構あります。リーマンショックの頃なんですが、確か2008年9月位でこれから蟹のシーズンだぞという時にリーマンショックが起こったので、蟹も3億位仕入れていたのに、景気が下がったので例年に比べて3割位落ちましたね。蟹はグルメの中でも高い商品だったので、買わない人が多かったんだと思います。   これは大変なことになるなと、広告を出してもメルマガで商品を紹介しても、売れなかった。お客様も12月にボーナスが出るかわからない状態で、贅沢に高価な蟹は買えない、と買い控えている状況だったんですよね。自分もそうでしたしね。11月後半にもう今年は世の中的に仕方がないから、利益を諦めようと決断しました。景気悪いけど、でもお客さん蟹食べたいよねって事で、思いっきり安売りしたんです。   リーマンショックで景気がすごい悪くなったけど、年に1度楽しみにしているお客さんもいて、ずっと買ってもらっているお客さんに買ってもらえない方が寂しいと思ったので、原価でもいいから、食べて欲しいなって思いでメッセージを書いて販売したんです。   今年はこういう時勢で景気も悪いし、毎年買っているお客さんに食べてもらいたいので赤字覚悟で販売するので良かったら年末蟹食べて、今年は楽しかった話題も少なかったけど最後に蟹食べてハッピーになろう、とメルマガを出したんです。それで一気に売れて、昨年の1.3倍売れたんです。利益を諦めてもお客さんに買ってもらえれば翌年に繋がるし、僕の中では年に1度のお客さんとのご縁を繋げたと安堵感と達成感があって、お客さんにしても例年よりも安く蟹が買えたという喜びもあったと思います。   1年に1度の書き入れ時の12月から2月まで安売りしたので、経営的なダメージは大きくてですね。あの時は良かれと思ったけど、1度安売りをするとなかなか値段も戻らないし、安売りのしすぎも失敗したなと思ったのは終わった後ですね。景気が普通の時に安売りをしたのではなく、景気が下がっている中での安売りをしてしまったので、戻そうと思ったものが戻せなかったと、そこを読みきれなかったところもあるし、通常の時とは違う状況だったと不可効力だったという思いもありながら、安売りしないと売り上げも上がらないという状況が2008年から2010年まで続きました。   ―その翌年も安売りしたんですか?   加藤社長:価格のプライスリーダーになってしまったので、他の蟹屋さんも引きずられて、蟹を安くしないと売れなくなってしまったんです。どこかのタイミングで価格を戻すところはあったのかもしれないけど、戻しきれなかったのが自分の中でありましてね。2010年の後半から仕入価格を工夫して、値段も上げながら利益率も元に戻すようにしました。結果的には2010年の12月は良い数字が取れたんです。   ー今は蟹以外も色々と販売されていますが、どのタイミングで商材を広げたのでしょうか。   加藤社長:2011年の震災がきっかけですね。あの時はどこも厳しかったと思いますが、蟹屋も相当厳しかったと思います。祭り事が一切ダメみたいな風潮になりましたよね。単価の高いものが売れなくなってですね、半年位売り上げ半分に下がりました。   その時は・・・本当にしんどかったですね。4月~6月売り上げが下がる時期だったのですが、そこは生きてく為に仕方ないと色々なものを売りました。北海道の水を売ったり、カンパンを売ったり、北海道の商材で被災地向けの常温商品増やして売っていこうと、色々なメーカーさん、取引先を増やしてあらゆる商品を売りながら、今どんなものがお客さんに求められているのだろうと商材を増やした時期でしたね。   ―それがきっかけで、今の形があるんですね。   加藤社長:商材を増やすタイミングで、「北国からの贈り物」は何屋なのか、僕達の売りたいものは何だと改めて話合いしまして、蟹をメインにしながら売って、北海道色を強くした北海道の美味しい物をもっと広げて売っていこうと決めました。 「北国からの贈り物」というブランドはどうあるべきかを考えて、見直しながら今に至っています。   「北国からの贈り物」で北海道を活性化する   ーしかしネットショップが全くない時期に建築士を辞めてネットショップを始めるなんて、よく奥様が了解しましたね。   加藤社長:その時は了解していないんですがね。会社を辞めて、その年の12月に僕がずっと働いて3日で3時間しか寝ていないのを分かっていて、「そんなに無理してどうするの」って、最後に手伝ってくれたんですよ。それまではずっと独立に反対だったから、声も掛けてくれないし、手伝ってくれることもありませんでした。12月の10日過ぎたぐらいかな、もう死ぬかと思うくらいヘロヘロになっていたら、そこで手伝ってくれて。   「そんなに頑張ってどうするの」と声掛けてくれて「死んじゃうよ、あなた」と。その時、妻に「大変で死にそうなんだけど見てくれ、こんなにお客さんから注文が来ているんだ」といって初めて売上を見せたんです。「約束しただろう、もうすぐ1千万円超えるんだ。お前との約束はこれで果せるから、これで我家は安泰だ、ようやく売り上げも上がってお客さんもこれだけ来ているから、これから先は子供達を育てていけるから安心して」と僕も泣きながら本音で話したんです。   妻も「分かっている」と、「出来ることがあったら手伝う」と言ってくれて、2人で夜中にFAX送ったり紙切ったり、パソコン使えませんでしたからね。手作業の部分を手伝ってもらいながら乗り切りました。妻には感謝というか苦労ばかりかけているんですよ。(笑)   ー最後に一言お願いします。   僕の中では、軸が今でも建築家なんですよ。事業を始めたきっかけが北海道の経済の活性化というところで、僕の中ではもともとそれを建築家としてやりたかったんです。ネットの事業で北海道の魅力ある商品を日本全国、世界へ届ける中で自分も経営者として起業家として雇用して、収益上げて地域社会へ貢献して、町が良くなって北海道が良くなっていく、というのが僕のゴールです。蟹屋って小売をやる楽しみがあるし、海外でやる楽しみもあって、苦労も多いけど1個1個をすごく楽しみながらチャレンジしています。   続けているとお客さんもついてくるし、販売の仕方も分かって来る。商売って継続なんですよね。     ...