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【インタビュー】の記事一覧

元々、音楽活動をしていてボーカリストだった女性が一念発起して起業した株式会社バルーントリップの代表取締役 朝倉香氏に単独インタビューを行ってきました。   自分の好きなことといっても起業をすることは、なかなか大変だと思います。バルーンで人を喜ばすことが好きで起業し、軌道に乗せた朝倉社長が2016年に会社化し、本格的にバルーンデコレーションを事業として展開していく決心をしたことについて伺いたいと思います。 バルーントリップを起業する前の原体験 朝倉社長:私はもともと、 12ヒトエというブラスロックバンドに所属していました。歌を歌うのが好きなので、ライブやその他ラジオなど本格的に活動していました。けれど、それだけでは収入が安定しないので、アルバイトを掛け持ちしながら音楽活動を続けていました。   高校卒業後、接骨院の受付など色々な業種でアルバイトをする中で、従業員2~3名の小規模のリムジンサービスを扱う会社で、バルーンを車内にしきつめるという業務を行う機会がありました。これがいわば起業の原体験ともいえます。   前職の経験が大きいということになるんですね。もともとバルーンには興味はあったのでしょうか? 朝倉社長:はい、幼い頃からバルーンでデコレーションするのが好きで、バースデーで友達に作ってあげたりと、趣味の範囲ではずっと続けていました。バルーンは、海外のパーティでは当たり前に、デコレーションとして用いられています。華やかでかわいい世界観をバルーンで表現するのがスタンダードで、特にアメリカのパーティ文化には憧れを抱いていました。   最初の頃は、音楽がやりたい、続けたいがために、お金が得られるから働くというある種、受け身の姿勢で仕事をしていたのですが、次第に働くのが楽しいと思えるようになってきたのです。社員が多いわけではないので、バルーンのデコレーションや、仕入れ、管理など裁量ある仕事を任せてもらったことが仕事に対する意識の変化に繋がったのだと思います。   このまま会社の枠の中でやると、制限されてしまって視野が狭まったり、自分のやりたいことができなかったので、一から自分でやってみようと思うようになりました。もちろん最初は、会社に属しながら、空いている時間で仕事を受けようと考えていたのです。   しかし、務めているリムジン会社の社長が、社内でやるには賛成するが、起業したらライバルになるということで反対されてしまい、結果として退職することになってしまったのです。全くの起業のイロハも知らない私が、収入のあてがないのはとても辛い現実ではありましたが、「何とかなるさ」精神で乗り越えようと頑張ってきました。 バルーントリップのこれまでの道のり 朝倉社長:起業に関しては右も左も分からないので、最初はとにかく行動、行動の毎日でした。クラブや結婚式場などに電話をかけてアポ取りをしたり、またプレゼンや資料も模範はないので、とにかく思いをぶつけていました。持ち前の明るさと元気なことを生かし、「キャラ売り」で仕事を受注していましたね。全て自分がこなさなければならないので、一年くらいは休みがない状態が続きました。   -随分とパワフルな感じですね。起業して学んだことは何ですか? やはり会社に属してやるのと自分でやるのとでは、モチベーションが全然違います。実は、起業してバルーンをデコレーションするための機材や移動する車などの資金不足を工面するために、国の金融公庫に書類出して申請をしてみたら、何と450万ほど融資を受けることが決まったので、スイッチが入ったのだと思います。   もちろん、商売道具は揃っても、受注しなければ生活できませんから、がむしゃらに行動して、仕事をこなすうちに、新規で営業をするよりも友人知人からの紹介営業の方が受注しやすく、かつリピートに繋がりやすいことに気がついたのです。他の起業家の方にとっては常識かもしれませんが、私の場合は行動してみて気がついた感じです。   特に優秀なわけでもない私が唯一、他に負けないと確信しているのが、バルーンのデザイン力、デコレーションです。そこには絶対の自信を持っていました。そのため、一度オーダーを頂いたら、80%の確率でリピートをいただけるようになったのだと思います。   私だけではさばけない大口案件の場合は手伝ってもらうスタッフと協力して個人から企業案件までこなすようにしています。また他の事業者と違い、事業規模もそこまで大きくない分お客様のニーズに沿ったバルーンデコレーションや価格についても柔軟に対応できます。そのため、最近ではEC(ネット通販)販売にも注力するようになり、月間50件ほどお客様からオーダー頂けるようになりました。   次はどのフェーズを目指していますか? 朝倉社長:今のままでも良いのですが、会社化することでもっとできることはあると思ったので、会社化にいたりました。ただ、今でも忘れないのがバルーンアーティストとしての感覚ですね。好きなバルーンで人を感動させたい、そんな想いを信念にデコレーションをしているのです。会社化することで、もっとバルーンアーティストの仕事の幅を広げ、色々なことに挑戦できればと思っています。 バルーントリップのビジョン 今後の目標やこれから起業したい方についてメッセージがあれば教えてください 朝倉社長:ホームパーティや結婚式、バースデーはもちろんのこと、ちょっとしたお祝いごとにも、バルーンをプレゼントするような文化を作っていきたいですね。特にバルーン花束は、バルーントリップでしか販売していなく、可愛くて定評あるものなので、もっと広めていければと思っています。   ゆくゆくは、海外ではスタンダードな「気軽にパーティができるパーティスペース」を持てればと思っています。その空間にいけば、バルーンはもちろんのこと、パーティの盛り上げに必須なものが全て用意されていて、誰でも気軽にパーティができる、そんな空間をプロデュースしたいなと思います。   また、資金的にも余裕ができたらデコレーションケーキ屋も始められたらと思っています。これは、今はネット販売でしか行っていないバルーン販売をリアル店舗としてオープンし、併設してデコレーションケーキを販売するものです。可愛いものに囲まれて、お客様の喜ぶ姿が見られたらいいなと思っています。   ここまでやってこれたのも、本当に周りの方のおかげだと思っていますが、一番大事なことはマイナス思考にならないことだと思います。   やってみてだめだったらまたやり直せばいいわけで、何事もやって失敗してみることで、さまざまなことが学べると思っています。私に例えれば、バルーンデコレーションに大事な資材を忘れても、悲観するのではなく、ピンチはチャンスだと思えるかどうかです。   結果的にうまく対応してお客様に喜んでいただいたときは、またさらに学ぶことがあるので、自分の成長に繋がるのです。なので、やりたいことには失敗を恐れずにどんどんチャレンジしていけば良いと思います。 編集後記   インタビューを終えて感じたことは終始、明るいキャラクターで話しやすいイメージを持ちながらも、起業家にとって大事なメンタル面も兼ね備えている方だと思いました。   自分の好きを貫き、その想いを失敗を恐れずに伝えていく。このことがもしかしたら何を行うにしても大事な要素なのかもしれません。終始電話が鳴って忙しそうな雰囲気でしたが、今後もさらなる発展に期待が持てる株式会社バルーントリップの朝倉社長のインタビューでした。     ▼バルーントリップについてはこちら▼    ...

株式会社メディアインキュベート代表取締役 浜崎正己が経験してきた「チーム崩壊」について独占インタビュー!   スタートアップ、会社経営で経験した「チーム崩壊」。積極的に事業を興し、チャレンジする背景で経験したチーム運営の難しさ、もがき苦しみ数多くのことを学び、今に活かしている起業家・浜崎氏に「チーム崩壊」についてお話を伺いました。 これまで経験したチーム崩壊 スタートアップのチーム崩壊 いくつか「チーム崩壊」を経験してきているのですが、数年前に外資の会社でスタートアップの日本支社立ち上げをやっていたんですね。すごく意気込んで取り組んでいたのですが、いわゆる外資系特有の「本社の意思」とか「日本での繁栄が」とか、そういうところでチーム内で衝突があって。   3人で立ち上げたのですが、全員初めて会った人たちで、それぞれの意思統一ができておらず、方向性とか色々すり合わないままでスタートしていました。 当然ではあるんですがチームを作る時には、気が合うとか方向性が一緒でないとチームは崩壊する、というところを痛感しました。その時の「チーム崩壊」はそれだけが原因ではないんですけども、正直そういう面はあったなと思います。   チームでうまくやっていくには、理由付けが重要 起業して、チームとして一緒にうまくやっていく上で重要な点は、やはり個々人の「なぜそれをやっているか」とかの理由付けですね。今やろうとしているものがどういう所につながっているか、その人たちがどういう所にモチベーションを感じているかをちゃんと把握してあげて、そこに導いてあげるとか。そこにはこういう理由があるし、君がやろうとしていることはこういうことにつながるし、叶うよね、とゴールを見据えられるという点は重要だと思います。   その人が叶えたいもの・・・ある種お金じゃなくても、例えば経験が欲しいのであれば、それを提供できれば充足すると思うんですよね。なので相手が何が欲しいかをちゃんと把握して、相手がそれを充足できるような目標設定とか目線設定とか、もしくは実際に業務をお渡しするとか、ということは心掛けています。 チーム崩壊から学んで活かしていること   まず相手のメリットを意識する 色々な失敗を経て、学んだというか心掛けているのは、「相手に損をさせない」ということですね。儲ければいいや、で相手に損をさせてしまうと、関係性も悪くなって今後一緒にお仕事できなくなったり、と結果的にデメリットしかない。相手に得をしてもらって、かつ自分が得をする、そういったポイントで仕事をできるようにする、ということは心掛けていますね。   例えば、僕がメディアの立ち上げの支援をしているときに、お客さんに「流行っているメディアを作りたいんです」と言われても、お客さんにメリットがなければやらないですし、「こっちの施策がいいと思いますよ」と逆にお客さんに提案、紹介したりとか。お客さんがお金がなくても、面白そうだなと思えば成功報酬型でやりましょうかとか。そういう話はしたりしますね。   やってはいけないことは、出来ないことを出来ると言ってしまうことですね。弊社みたいなベンチャーだと自分を大きく見せたくて、大きなことを言いがちになっちゃいますけど、結局相手にとっても時間とか納期とか色んな選択肢の条件があったうえでお願いするかしないかを悩んでいるわけなので、正直であった方がいいかなと思います。   きついとか、厳しい状況であるとか、開発バグが出たとか、あればそれは逐一報告をしてちゃんと正直で、嘘をつかないことをなるべく心掛けた方がいいと思っています。 メディアインキュベートについて メディア支援 メディアインキュベートではメディア支援を行っています。 もともとWebメディアのウェブディレクションとか、ポータルサイトの編集ディレクターみたいなことをやっていて、一通りメディアについてはやってきた、という自負があるので、やはりビジネスとしての価値を提供できるのはメディアの領域かなと思ってやっています。   メディアはどうあるべきか 去年あったWELQ騒動で言うと、様々なメディアが影響を受けてますよね。でもちゃんとオリジナルコンテンツを作って、コミュニティとかも作って、メディアのファンを作っている、ちゃんとポリシーを持ってやっているようなメディアというのは、広告などの注文数が上がってきています。 今回の騒動で相当数のメディアが影響を受けている、と言うのを見ると本来メディアに関わりたいという熱を持っていない人たちも結構メディアをやっていたんじゃないかな、と思います。   オリジナルの重要性 ウェブメディアの作り方で言うと、僕は雑誌の作り方にすごく似ていると思っています。   コンセプトを決めて誰に届けるか。普通にサービスを作るのと同じかもしれないですけど、メディアも一緒だなと思っていて。なので誰に届けるかということを考えてオリジナリティをもって作るというのは大切だと思っています。   コストはかかるんですけども。それでもお金が回るとか、ファンにちゃんと届けられて事業として回るという仕組み作りに力を注ぐことが本質だと思います。それで実際にうまく行っている会社もあるんですよね。   例えば30万PVでも年商3000万あるメディアがあります。そこはファン作りをちゃんとうまくやって、そこに届ける人たちがどういう情報を欲しているか、どういう広告商品を設計すれば、という風にちゃんとビジネスとして回るというモデルを作っているんです。   これからのメディア これから、「北欧の暮らし」さんや「ほぼ日」さんのようなメディアは増えていくと思います。メディアECと言われていますけど、それだけじゃなくてコミュニティ、イベント、リアルまで含めた販売など、情報を発信するだけでないメディアの形ですね。 さいごに お恥ずかしながら、今回の取材で色々整理してみたら、これまで結構「チーム崩壊」してきているな、と。 そこから学んで気を付けているのが、まず「相手にメリット・成果をお渡しする、利益を得ていただく」ことは確実に考えています。ビジョンとかもすごく大切ですけど、人間ご飯を食べないといけないので、「これいつ返ってくるのかな」と絶対に不安になるんです。そこで、まず少しでも利益を返せるようなモデルでビジネスを回す、ということをすごく心掛けています。   なので、「無償で働きたいんです、お勉強させてください、なんでもやります」みたいな人がたまに来るんですけど、僕そういう人はお断りしていて。「無理です、やめたほうがいいです」と。僕もそういう時期があったからわかるんですけど、絶対に続かない。   最初はいいんですけど、テンションがシュッと下がってくるのを何度も見てきているので。ちゃんと適切な対価をお支払いするモデルをいち早く作るのは心掛けています。 「チーム崩壊」は決してよいものではないですし、何度しても辛いことです。その度に学んで、同じことは繰り返さない、ということを胸に刻んで改善しています。その一つの答えが少しでも利益を返せるようなモデルでビジネスを回すことだと今は考えています。     ▼取材協力▼ 株式会社メディアインキュベート     ▼現在、廃業・倒産・事業撤退・チーム崩壊などから這い上がった方を取材しております▼ 取材してほしい方は、ぜひご連絡ください!     ...

現在、兵庫県の姫路を中心に活躍する粘土アーティスト「アシュラ帝国」   あえて粘土というニッチなジャンルで勝負をしているアシュラ帝国さんにニッチな商材を扱う上で認知させる、集客させるをニッチビジネスの戦略を伺いました。 ニッチな粘土作品をはじめたきっかけ アシュラ帝国さんは最初から粘土アートを制作しているのですか? いえ、もともと大学生の時はリアル路線の禍々しい絵を書いてきていました。そのころ尖っており、先生に対しても悪態を付いていたりと、なかなか評価してもらえなかったんですね。絵で頑張ってるのに・・・と中々うまくいかない状況で悶々としていました。   で、ある時にゼミで箱を使って作品を作ってくださいという課題がでたんです。ちょうどクリスマスシーズンということもあり、プレゼントを作ろうというと思ったんです。でも、箱を作るなら、その際中身がなきゃいけないな・・・と思って、中身として今の作品のベースとなる『アダムくん』というキャラクターの粘土作品を作ったんです。   高評価を受けたましたね。そこから絵と同時進行で粘土作品を作っていくようになりました。その後は、卒業制作の時に粘土作品にしたほうが良いと助言を受けて、300体の粘土作品を作って、またそこで高評価を受け、今もキャラクターを中心に粘土作品を作り続けています。 ニッチ市場での販売方法 販売方法などはどうされているのでしょうか? 基本は対面での販売が主となっています。というのも、もともとネットの方でも販売は行ってはいたんですが、そもそもジャンル自体が認知がされていないので、あまり反応は多くはなかったです。   粘土作品をネットで検索することがあまりないので、それならいっぱい知り合いを作って、そこで色々とつながって販売していった方が、やりやすいと感じたので対面が主になっています。   現在はFacebookからも多少注文はくるので、ネット販売を行っています。FacebookとかインスタグラムなどのSNSはを使う際は、粘土作品という利点を生かして、風景などに今中心で制作しているアダムくんを溶け込ませて撮影したものをSNSで発信していっています。   だから、旅行に行くときなんかは絶対に持っていきますね。キャラクターたちをある種エンターテイメントの一つとして活用しています。見ている人にいかにおもしろいと思ってもらえるか。そこを意識してSNSを使っています。   ニッチなジャンルだからこその対面なんですね。その際意識していることってありますか? やっぱり対面で売っていく以上、作品以上に売る側の態度であったり、姿勢が大切になってきます。売っている人間の態度が悪かったら、対面なのでやっぱりいらないですということになりかねませんしね。   そうなると、買ってくれる人もそうですが、粘土作品に対しても失礼なので意識しています。   対面である以上作り手の印象も重要になってくるんですね。確かに喋っててもいい人オーラがすごいです。それと、今かぶっているお面も対面での販売のためなんですか? これはマスクではなく素顔です。本当のことを言うと、特殊造形をしている友人に作ってもらったのですが、これはお客様に顔を覚えてもらうには最高のアイテムだと判断しました。   実際これをつけていると初見の人からも話しかけてもらいやすくなるし、かなり役に立ってます。 お客さんを惹き付けるニッチな戦略とは 粘土作品を作る上でお客さんを惹き付けるためにやっていることってありますか? やっぱりまずは、いかに手にとってもらえるかですね。だからこそ『アダムくん』などキャラクターを作っていることもあります。そして、実際に手に取ってもらうためにキャラクターの形も変えてきました。   最初は尖ってたり角ばっていたりしていたんですけど、あまり手にとってもらえなくて・・・。で、そこから今のような角を極力無くし、丸っこいデザインに変えたんです。   形を変えてからはお客さんの反応にも変化があり、それまでは、イベントに呼ばれて粘土作品を見せるだけでその場限りで終わってしまうことが多かったです。もちろんそこから次のイベントに呼ばれたり、作品を購入してもらったりはあったんですが、あまり広がっていきませんでした。   でも、いかに手に取ってもらうかを意識し始めてからは、お客さんからの反響も徐々にですが最初よりも大きくなって、作品が人から人に渡ってもいるという実感も感じました。さらに、その実感があるからこそ、作品自体の精度上がってきたのも嬉しいですね。   アダムくんは好評ではあるんですが、やっぱり中には「ちょっと・・・」と感じる人もいらっしゃるんで、そういった人も楽しんでもらえるようにいろんなキャラクターを展開してます。   この他にもお客さんを惹き付けるためにやっていることってありますか? 次に意識していることは、とにかく気に入られることです。なので注文が入れば、その人が過去にどんなことでワクワクしたのか、そして集めていたものは何なのかなどを徹底的にリサーチをします。   それをアダムくんやそれ以外の作品にも反映し、その人のだけに合わせたオリジナルを追求していき、ピンポイントで気に入ってもらえるような作品になるようにしています。基本はオーダーメイドで、お店や個人の方から注文をいただくことが多いです。で、リサーチをアダムくんなどに反映して作っています。 ニッチ市場で売上を上げていく方法   こういったニッチな作品の売上は一体どのようにして広げているのか? やっていることはシンプルです。声がかかればイベントなどには必ず参加しますし、広告を作って街で配ったりと、とにかく知ってもらうようにしています。そして注文も極力お店などを中心に作るよう売り込んで作っていっています。実際にお店に置いてもらえば、いろんな人に見てもらえるわけじゃないですか。   そうしていかに知ってもらって、人から人につながっていくかを意識して売上を広げていっています。地道ではあるけどやっぱりニッチなジャンルである以上こういった人に知ってもらうというのは重要ですね。実際に反響とかはあるんですか?   結構ありますよ。実際に神戸にあるお店のために作ったアダムくんをみた人が姫路に来たときに「ここにもある」と驚いていたなどの話もよく聞くので確実に作品は広がっていっているなという実感はあります。 ニッチ市場で戦ってきて思ったこと お話を聞いてるとニッチなジャンルである以上、地道な広げ方が多いように感じました。今まで心が折れそうになったりはあったんですか? 心が折れそうになったことは一度もないです。確かにイベントなどをやって1個も売れずに帰るなんてことはたくさんあったし、順風満帆でもありません。ですけど、粘土でやっていくと決めてやっているわけですし、さらにアダムくんなどのキャラクターが励ましてくれているようにも感じる時もあります。   なんとかこのキャラクターたちを有名にしたいという気持ちがあるので、辞めようとは思ったことはありません。そして、イベントやギャラリーに呼ばれたり、そこから実際に人に触れてもらったりし反響も大きいので需要はあるという確信があったのも理由ですかね。 編集後記 今回、アシュラ帝国さんのインタビューを通して感じるのは、粘土アートという世間の認知度が低いニッチなジャンルだからこそ、ネットではなくリアルでの販売を中心に展開していき、粘土アートというものが頭にない人にも少しずつ目にふれ、手にとってもらうのかという地道ではあるものの、その丁寧なニッチ戦略であったり、それを可能にする自分のキャラクターなど作品に対する愛情など多くの刺激を受けることができました。   アシュラ帝国さんは「アダムくん」の他にもほかのキャラクターの粘土作品も展開しているので、大注目ですね。     Twitterはこちら:https://twitter.com/ashra_original Facebookはこちら:https://www.facebook.com/ashrateikoku.adamkun/ インスタグラムはこちら:http://www.imgrum.net/user/ashra_teikoku/1901320831     ...

パーカー姿で作業する女性。多田愛(ただめぐみ)さん。   どこか温かみの感じることができる、村。そんな村を作りたいと、彼女は数年前に村おこしの事業を立ち上げました。しかし、現在は事業撤退をしています。事業自体は一旦撤退してしまっていますが、事業再起を企てているとのことです。事業の立ち上げに至った経緯から今後の活動について迫ります。 村おこしとはどんなものなのか ◆村おこし事業ってそもそもどんなものなのでしょうか? 村おこしと言っても、村を元気にしようとか村を活性化させようというよりは、村を作ってしまおうというのが活動でした。言ってみれば、鉄腕ダッシュさんのDASH村のようなものです。村を一から作っていろんな人が足を運べる空間が作れればいいと思い、事業を行いました。   もともとは、ある企業がダムの建設を行う為に保持していた土地だったんですが、ダム建設自体がなくなり、その土地が不要になったために場所の確保ができました。東京ドーム20個ほどの大きさです。住む場所や寝る場所、生きる場所が心地よいものであれば人の気持ちも、もっと豊かになるのになって感じたのがきっかけで始めました。   ◆村おこしな活動内容は? 活動内容自体は、米や野菜を作ったり、実際に作るような農作物の製造。木の伐採や竹のバングーハウスなどの作成などを行っていました。バングーハウスは、来てくれた方へのゲストハウスとして作ったのですが、嵐にやられて崩壊してしまいました。   そのほかにも、竹飯盒や燻製、イノシシ鍋なんか企画して体験してもらうなどしていました。イノシシ鍋はマッキーのような匂いがしてなかなか最初はとっつきにくかった記憶があります。集客のイベントとして都内で、無農薬の野菜を使ったイベントなどをも行っていましたが、なかなか人を集客するのも大変だったというのが正直なところでした。 村おこしを行おうとしたきっかけは   ◆なぜ村おこしだったのか? 私が本当にやりたいことは、「教育」なんです。なので、教育をするために村を作ろうと思ったというのが正しいかもしれません。私がやりたい教育っていうのが、生きること自体の教育をしたいと思っているため、村のような場所が必要だったのです。事業のサブタイトルとして、「一人一人の存在意義を持った社会を作る」というものを掲げていました。   現在の社会では、都会で仕事をするのがかなり当然になっています。しかし、都会の波にのまれて自分自身の気持ちや生き方に素直になれていないのではないか、そう思ったのです。都会での生活に疲れた人は、「田舎に行きたい」「ゆっくり田舎で暮らしたい」なんてことを口にしますよね。そんな空間が都会から近い場所に作れればいいなあと思い始めました。   ◆村おこし事業立ち上げは、ご自身の経験から? 私自身が都会での生活に疲れていた時期がありまして。その時期が、大学3年生の時でした。ちょうど大学で留年してしまい、友達も同学年にいなくなり、落ち込んでいました。今思えば、そんな大したことではないのですが、その時は本当に辛かったです。   留年して時間だけはあったため、もともと興味を持っていたよさこいソーランの各地の祭りに顔を出すようになりました。そこで、日本の伝統的なものや田舎の魅力を強く感じたのです。自分自身が励まされたのもありますが、心が弱っているときにはやっぱり田舎っていいじゃんって直感的に感じました。そこで何を思ったか、私は田舎にヒッチハイクをしようと決意しました。   周りからは女でヒッチハイク……なんて止められたりもしましたが、とにかく何かを実行したかったという想いがあったので、実行しました。その時の行先が高知県だったのです。高知県を選んだ理由は、「田舎なこと」「村おこしを行っている人がいる(I氏)」ということでした。実際に村おこしを行っているI氏にアポイントを取って、お話を聞かせていただいたりしました。   そこでのお話は、「お金はあるけど不自由な生活は幸せなのか?」というお話でした。今の自分は幸せなのか?仕事で毎日苦しんでいる人は幸せなのか?本来の幸せとは?なんてことを考えさせられました。そこで私は今までのままの社会ではだめだと決断し、村おこし事業を本格的に行うことを決断したのです。少しでもつらい思いをしている人達が減ればという思いが一番にありました。 事業撤退 ◆事業撤退の理由は? 事業は撤退したわけではなく、「一時撤退」です。   というのも、事業を進めていく中でこのままやっていてもうまくいかないという絵が見えてしまったのです。一番の原因は「資金」です。資金に関しては国からの助成金をもらわず、完全に事業メンバーですべて出し合っていました。助成金をもらってしまうと、事業内容が自分たちの意思と違う方向に行ってしまう可能性があると考えたからです。   あくまで自分たちの資金だけで行いたかったが、その資金にも限界があり、一時撤退という形をとらざるを得なかったということです。トライアンドエラーを繰り返してやるのにも、今の資金では難しかったですね。   もう一つの原因は、個人のスキルや知識が低かったということです。やはり、事業を行っていく中でも、個人のスキルや知識が必要な場面が何度もありましたが、そこがボトルネックになって事業推進が止まる場面が何度もありました。なので、2年後に資金面もスキル・知識面も個人個人がパワーアップして集まろうと話をし、一時撤退、戦略的な撤退という流れになりました。なので、事業再起はする予定です。   ◆事業再起ですか やはり資金も、村おこしにつながらない関係ないビジネスで集めるのはあまりしたくなくて。私自身は、健康面でのヘルス系の知識やスキルを増やすためにそういった事業を現在は行っています。必ず、村おこし事業にも役立つと思うので。ほかのメンバーは、WEBや農業、教育、料理など様々な分野でスキルを高めています。 事業を進めていく中での辛さや学び ◆事業を行っていく中で辛かったことはありますか? 正直言ってしまうと、事業自体でつらかったということはあまりないですね。使命感というか、私が変えてやる!みたいな気持ちで出来ていたので。どちらかというと楽しくできていたほうだと思います。私の性格もあると思いますが。でも一つ上げるとすれば、一生懸命やっている仲間が自分の身を削って村おこし事業を行っていたことですかね。資金面と体調面でこのままでは見ていられないという状態が辛かったですね。   ◆仲間の裏切りなどはありましたか? 面白い質問ですね。でも残念ながらないです。自分のやっていることに自信をもって取り組んでいるメンバーが多く、裏切りなどはなかったですね。ただやはりメンバー内での意識の違いや、温度感の違いを感じることはありましたね。口を出すだけで、実作業になると出来ないからやらないなんて言うメンバーがいたりなんてことはありましたが、あったとしても軽いもめごとぐらいです。   ◆成功している村おこしとの違いは何だと思いますか? 私たちはあまり今回の撤退を「失敗」だとは思っていないということです。まだまだ資金やスキルが足りないということがわかったということだけで、成功につながるものを手に入れたと思っています。今回の事業撤退は希望や可能性を込めた一時的な撤退だと考えています。   ただ、他の村おこしに共通するもので私たちにできていなかったものは、「メディアの使い方」だとは思っています。ブランディングという面は以前は全く考えられていなかったので、そういった面は成功している村おこしと違う点かもしれません。そこに関しても2年後に集まる際には意識していく点だとは思っています。ブランディングができない事業は、いくら内容が良くてもなかなか成功するのは難しい時代になっていると思います。   ◆次、また事業をやるとした場合にこれだけは気をつけたい、意識したいことは? 甘えた気持ちはすべて捨てて、全力で村おこし事業を行うことです。やると決めた以上、失敗を恐れず挑戦していきたいと思っています。何もしないことが一番の失敗だと思っているので。今度こそ胸を張って癒しを与えられる空間を作れればと思います。 編集後記 インタビューをしていて、とてもエネルギッシュな印象を与えてくれる女性でした。常に前を向いて事業に取り組む姿勢はとても魅力的に映りました。2年後の事業再起での活躍を陰ながら応援しております。     ▼現在、廃業・倒産・事業撤退・チーム崩壊などから這い上がった方の取材しております▼ 取材受けてほしい方は、ぜひご連絡ください    ...

  こんにちは、ニアセクリエイターズの中根です。   皆様は全てを失いゼロになった時、いや失うどころかマイナスになったら……どうしますか?今回は会社倒産・自己破産から現在に至る、近藤久さんにインタビュー取材を行って参りました。 25年間続けた会社が倒産 まず、経歴をご紹介致します。 昭和22年生、現在69歳。三重県出身。高校卒業後、関西で職を転々としていましたが東京に憧れを抱き上京したのは21歳の時です。   当時の時代背景もありますが「アメリカン・ドリーム」のような感覚で、東京に行けば人生が変わる。自分自身への根拠の無い自信と過信、それらが東京で通用すると錯覚していたのかもしれません。   昭和50年5月6日 資本金30万円から1人でスタートした小さな銘板業は、あっという間に資本金1000万円の株式会社に成長しました。その後はデザイン等、事業を拡大していきます。当時100万円以上したマッキントッシュもいち早く取り入れていきました。また結婚後は東京・世田谷区の高級住宅街に一軒家を購入。外車などの車も数台所有してブルジョアな生活を堪能します。 バブル期の怖さ 現在、お笑い芸人が「バブル期」のことをネタにして売れていますが若い方々には「バブル期ってそんなに凄かったの?」という疑問もある事でしょう。近年、銀行から融資・借入を行うには審査が厳しいのが現状です。しかしバブル期は銀行もノンバンクも「お金を借りてください」という申し入れが殺到したそうです。   ある日、ノンバンクから電話が来て「600万円借りてほしい」と。会社経営も順調で資金には全く困っていませんでしたが「借りてあげてもいいよ」と返事をしました。その数時間後、レストランで食事をしていたらノンバンクの社員が来て現金で600万円をテーブルに置いて去っていきました。他のノンバンクや銀行も同じように現金を置いていきました。それが「終わりの始まり」でした。 会社倒産のとき バブル崩壊後、仕事は入ってくるものの会社の利益よりノンバンク・銀行から借り入れをしていた返済が追い付かず「利息」のみを返済するのがやっとの日々になりました。元本が返せず利息のみ毎月支払う日々。元本が残っている以上、利息返済は延々に続きます。そして、いわゆる「自転車操業」のような状態になりました。家も売り、売れる財産は全て売って会社経営資金に回しましたが全く追い付きませんでした。   会社の当座は不当たりをすると凍結します。株式会社にとって当座凍結は取引先や下請け業者等と手形や小切手、金銭の取引が一切出来ない。つまり事実上の倒産を意味します。そしてバブル崩壊の煽りを受けて取引企業が次々と倒産していき、当座に入金予定だった売上も入らず調達が間に合わないまま。 2000年3月5日 不当たりで当座は凍結し25年間継続していた会社は事実上、倒産に至りました。 会社倒産後 -その1-   ▼1番辛かったことは何ですか? 精神的な事だったと思います。明日も見えない、真っ暗闇に突き落とされた感覚です。あの感覚は、言葉で表すなら「神も仏もない絶望」という状態でした。   ▼屈辱的だったことは何ですか? 大切な友達、仕事仲間だと思っていた人達が蜘蛛の子散らすように去っていったことです。私が経営者だったから近くに寄りついていただけで「利用価値が無くなったら必要ない存在」と思われていた事が1番屈辱的でした。   ▼経営者としての自分をどう思っていましたか? 全て自分の能力、自分で開拓した、逆らう人もいない、全てが自分の思い通りになる。自分は特別な人間だと思い込んでいました。   ▼倒産直後の生活は? ノンバンクの取り立てが会社だけではなく自宅まで来ました。ドアを開けないと大声で怒鳴り散らされます。私には妻と3人の娘がいますが、妻と末娘は知人宅へ預け、長女は自主的に友人宅へ避難しました。次女は会社を継がせるために学生の頃から後継者として育てていましたので残り、従業員、ノンバンクの対応、倒産の手続き等の対応をさせました。私は取引先や下請け業者を回って土下座をする日が続きました。   賃貸だったので、家賃滞納で追い出されてしまう日も迫っていました。ですが明日も考えられず、ひたすら土下座して罵声を浴び続ける日々でした。(ノンバンクの返済額が億単位になっていたため、近藤さんと連帯保証人になっていた奥様は自己破産の手続きを行いました)   お金が無いどころか借金だらけだから自己破産するのに、弁護士に「自己破産は1人80万円が必要です」と言われました。妻と合わせて160万円。その他、会社破産手続きや自社ビルの片付け等、軽く見積もっても300万円は必要でした。ですが、そんなお金はありません。(※当時の法律で定められた破産手続法の金額です)   ▼その時はどう思いましたか? 当時は、ただただ屈辱的でした。(そのお金を工面したのは親戚、そして近藤さんの長女と次女だったそうです) 会社倒産後 -その2-   【選択肢:生きる/死ぬ/逃げる】 もう自分の事で頭が一杯でした。選択肢は「生きるか、死ぬか、逃げるか」しかない。家族を捨てて関西に逃げようと本気で考えました。誰も自分を知らない場所へ逃げるか、死ぬか。そればかり考えていました。   ▼なぜ「生きる」を選んだのですか? 当時、末娘は私立に通う高校生でした。今後学費なんて払える訳がない。そもそも生活費すら全くない状態でしたので娘を中退させようと考えたのです。その時に次女が「妹の学費は私が払う。生活費も稼いでくる」と。長女も自分が勤める会社から100万円も借り入れをしてきてくれました。そのお金で新しい生活をスタートしました。その時、心境が変わったのです。自分の身体が動く限り、家族の為に働こう。そう決意しました。 会社倒産後...

現在、注目を浴びている異色のファッションデザイナー「鶴田能史」。   昨今のファッション業界の低迷のニュースが叫ばれる中、新しいファッション業界に風穴を開けてくれるのではと期待される、病気とファッションとの結びつける新進気鋭のファッションデザイナーにお話を伺ってきました。 祖母の病気から今の「tenbo」が始まった   -ファッションデザイナーとして独立したきっかけとtenboを立ち上げた理由について教えてください。   鶴田氏-私がファッションデザイナーになろうと思ったきっかけというよりも、何でtenboをやろうと思ったかを話した方がいいと思うので、このブランドについての創業ストーリーをお伝えしますね。   私はもともと文化服装学院出身で、将来必ず、独立してブランドを持つと決めていました。つまり、ファッションデザイナーになるために進学したので、今に至ったのもその流れからなんですね。   大学を卒業してからは、しばらく現場でスキルを磨こうとコシノヒロコやしまむら、西松屋の子供服のデザイナーの仕事を行っていました。   -最初は、企業のインハウスデザイナーだったんですね。tenboの構想はいつ頃からされていたのですか?   鶴田氏-実は、私の祖母の介護からヒントを得たんです。当時、私が働いている時に祖母がアルツハイマー病になり、車いす生活をする日々を過ごす中で、あることに気付いたのです。   それは、車いすに座りながら、スカートを履かせたり衣類の着脱が非常に不便に感じたことです。福祉の分野では、車いす専用のトイレや出入り口など、建築についてはユニバーサルデザインが進んでいるのに、ファッション業界は全然進歩がないことに気付いたわけです。 -なるほど、そのような原体験があったわけですね。それでご自身でやろうと思ったんですね。   鶴田氏-はい。こうした障害者も問題なく、おしゃれができるそういったファッションブランドを作ろうと思いました。まだ誰も挑戦していない、新しい市場ですので、唯一無二の存在になりたいと思い、決心しました。   しかし、障害者と向き合うことは必ず人権問題の壁も立ちはだかると思っていましたので、社会問題の解決にもつながるのではとやりがいを感じましたね。   -本当に素晴らしい取り組みですよね。実際にtenboが産声を上げたのはいつですか?   鶴田氏-2015年に立ち上げたので、大体1年半くらいですかね。社会問題を解決するというビジョンを持った以上、しっかりと自分のこと、ブランドのことを伝えることが非常に大事だと思いましたので、ブランドを立ち上げる前の4年間、専門学校で先生の仕事をしました。   学生にたいして、しっかりと物事を伝えることができないと、絶対ブランドを立ち上げても失敗すると思ったので。また、ここでの経験は、ブランドの展開以外に、次世代のファッションデザイナーを目指す卵を育てる服作りを教える塾をやっているのも、この頃の経験が生かされていると思います。 なぜ、ハンセン病をテーマに掲げたブランドの展開をしたのか -次にお聞きしたいのですが、なぜハンセン病についてのファッション掲げたのですか?   鶴田氏-ハンセン病は、人権問題がいまも残る病気の代表例となっており、tenboの掲げる「世の中全ての人へ。みんなが分け隔てなくオシャレを楽しめる服。」のミッションを遂行するために、避けてはならないことだったからです。   つまり、人権問題を乗り越えてこそ、健常者と障害者どちらでも分け隔てなくおしゃれを楽しめる、そういった世の中にしたいと考えています。   間違えてほしくないのは、ハンセン病や障害者のためのファッションは作っていません。障害者も健常者も、ピープルデザインに沿った着やすい服を心がけデザインをしています。   例えば、通常のボタンではなく、磁石でくっつくタイプのボタンであれば、問題なく取り外しができますよね。また、点字をファッションに取り入れることで、おしゃれに見せたりと、従来にはないデザインをtenboの服には採用しています。   -すごい斬新ですね。つまり、私たちもtenboのファッションを着れると。   鶴田氏-はい。障害者、健常者の壁は作りたくありませんですし、従来のファッションでは正直、健常者向けのデザインしかされていないと感じたので、私がtenboで、ファッションのユニバーサルデザインという新しい市場でチャレンジしている感じですね。機能性重視で許容範囲のある服を目指しています。 -なるほど。現在tenboはどこで手に入るのですか。   鶴田氏-現在は、オンラインショップだと無料のECプラットフォームのbase、リアルショップだと、原宿ラフォーレ内にあるHOYAJUKUで買うことができます。また、障害者のご家族より直接、おしゃれな服を着せたいという要望をいただいて、オーダーメイドで服の注文を受注する場合もあります。   -すごいですね。ファッションショーも行っていますよね。   鶴田氏-はい。ハンセン病をテーマに、差別偏見をなくしたい、という思いを込めたファッションショーやtenboプロデュースのショーとして以来いただくこともあります。中でも、今年のamazonファッションウィーク(東京コレクション)では、クラウドファンディングを活用し、ショーにかかる費用300万ほど調達することができ、初の東京コレクションデビューを果たすことができました。   -えー!すごいですね。東コレですか!   鶴田氏-はい。これもひとえに応援してくださる皆様のおかげですし、改めてtenboとして服のユニバーサルデザイン、ファッション業界に風穴をあけるということに、やりがいや責任を感じるようになりましたね! tenboの今後の展望について -では最後に今後のtenboの展望について教えてください。   鶴田氏-はい。今のファストファッションが台頭し、おしゃれな服を安く買うことが当たり前の時代になりました。しかし、その大量生産の功罪が人々のおしゃれの概念を変えてしまい、いうなれば飲食の使い捨てのような状況になってしまったのです。昔は人のためになる服を製作していましたが、利益優先でいかに効率化、合理的にしていくかということにフォーカスされてしまい、ファッション業界はガラパゴス化しています。   実は、tenboのブランドを初めたことで気づいたことが2点あります。   まず1点目は、購入してくれるお客様に非常に喜んで頂いていることです。今まで健常者も障害者も、隔てなくおしゃれができるファッションがなかったので、tenboのコンセプトやデザインに感動し、涙を流すほど喜んで下さすお客様もいらっしゃいました。この体験は、自分のこれからのtenboのやる意義やモチベーションにもつながっています。   2点目は、海外から感銘の声や問い合わせをいただくのですが、tenboと同じようなコンセプトで運営しているブランドはNYに一つあるだけで、世界中を見渡しても、2つしかファッションのユニバーサルデザインに取り組むところがないのは驚きました。非常にニッチな世界ではあるとは思いますが、この分野では先駆者、唯一無二の存在になれるよう精進していきたいと思います。 編集後記 今回のインタビューを通し、あらためて市場のニッチを狙うこと、さらに社会問題までも解決するというこれからの企業のあり方を見たような取り組みを伺うことができ、とても刺激を受けました。tenboの取り組みがより評価され、世の中に人権問題がなくなるようになったらと思わせてくれる、そんな可能性を秘めた素晴らしい事業だと感銘しました。   また、NHK WORLDにて世界170カ国へ英語でtenboの取り組みやハンセン病をテーマにしたファッションショーの特集が組まれたとのことで、ワールドワイドな活躍が期待できるtenboにますます目が離せませんね。     ▼取材協力▼ テンボデザイン事務所    ...

私、古田島が運営に携わっているイベントについて、経営的視点から見たイベント運営やイベント企画の創り方について書いていきます。   私が運営に携わっているイベントが、FLATというアーティスト支援の団体です。作品展示の機会やプロモーションとなるイベント告知のお手伝い全般を行うことを目的に立ち上げられた団体です。   これまで主に大きなイベントを2回実施、特に広告を打ったわけでもないのですが、2回とも400人ほどのお客様がイベントに来てくれました。 FLATの運営で学んだ知見などをご紹介したいと思います。 イベント企画運営メンバーはそれぞれ得意分野を持っている FLATのイベント企画運営メンバーは下記5名で構成されています。 DAICOちゃん(一番右:古田島大介):PR、 DJ、アライアンス担当 りくちゃん(右から2番目:髙橋陸人):FLAT副代表、空間デザイナー あいちゃん(真ん中:菊地愛):FLAT代表、フォトグラファー がくちゃん(左から2番目:五十嵐岳):アーティスト、元幼稚園先生 こうちゃん(一番左:春名浩輔):イベント運営   それぞれ全く違う畑出身で構成されている運営メンバーなわけですが、お互いの強みを生かしてイベント運営に当たっているということになります。   代表の菊地愛は、アーティスト肌が強く、FLATの展示では、写真を展示していましたが、普段はフォトグラファーとしてクライアントワークで、現場入りし、腕利きの仕事をしています。また、夜はDJという側面を持ち、仕事の垣根を越えた交流を行っているので、自然と輪が広がり、結果としてFLATの活動や集客にもつながっています。   菊地愛とともに、FLATの運営を支えるのが、髙橋陸人です。今はフリーランスの空間デザイナーとして働いており、FLATでは募集アーティストの面談や各種やりとりを担当しています。   続いてがアーティストの五十嵐岳です。もともとは幼稚園の先生だったこともあり、その繊細でどこかかわいらしいイラストレーションはSNSでもイベントでも人気があります。一アーティスト目線で物事を考えてくれ、イベントでもアーティストにとってあったいいものや、展示のバランス、構成などを指示してくれる、現役アーティストならではの意見が生かされています。   最後に春名浩輔は、仕事がイベント運営なので、仕事の延長でFLATの当日のイベント進行や枠組みを担当しています。FLATへの協賛をしてくださるスポンサー探しにも従事しています。   このように、運営メンバーそれぞれがお互い協力しあいイベントを作っていきます。得意分野が似たり寄ったりだと、どうしてもいいアドバイスやアイデアが制限されてしまうので、業界を広くみてメンバーを集めた方がより知見が集まりやすくなります。 イベント運営で気をつけること イベントの規模感でいえば、FLATに登録しているアーティストの中から展示したいという希望があったアーティストが数十名単位いたとして、その全てが入りきる会場を借りなくてはなりませんので、結構大規模なイベントになります。   前回を例に出すと、1階から5階までの施設を一棟借りし、階ごとにアーティストのジャンルを分け、展示を観に来るお客様に飽きがこないよう工夫しました。   また、毎回イベントで意識するのが、ただアーティストが集まって展示するだけだと他のギャラリーでの展示などと変わらないため、必ずDJや音楽ライブができる時間ないしはスペースを確保することです。   イベントには賑やかしが必ず必要です。それは単にお客様に飽きさせないためではなく、作品展示以外の音楽やパフォーマンスを得意としているアーティストにも機会を与え、かつお客様とアーティストとがオープンに集える環境を整えることで、お互いの交流が生まれ、シナジー効果が期待できるからです。   イベントには緩急がとても大切なので、日中はゆったりと展示作品を眺めたりし、夜はちょっとお酒を交えながら気軽にアーティストと交流できる、オフライン施策ならではの楽しみともいえるでしょう。 イベント集客で大事なこと イベントには集客がつきものです。FLATは、抜群に人が呼べる、というメンバーはいないのでどうしたのかというと、お客様をアーティストに呼んでもらったということです。   アーティストもやはり展示機会を求めていた方が大半なので、自分の展示作品を観てもらいたいと、まわりの友人・知人に声掛けして来てらもらうよう計らいます。   お互いに持ちつ持たれつの関係性を保ち、運営メンバーならずとも参加アーティスト全員で創り上げたイベントといえるでしょう。FLATメンバーもSNSでシェアしたり、声掛けをしましたが、やはりアーティストが一番多くのお客様を集めていました。   つまり、自分が出る、もしくは展示するから見て!という訴えかけがどれほどのパワーを持つのかが見てとれます。FLATの運営メンバーの中でも菊地愛と五十嵐岳はアーティスト展示も兼ねていたため、抜きん出てて集客していました。   もちろん、集客が全てではありませんが、ダウンロード数やセミナー集客など目標値はどんな業界であれ、設定します。いかにそのサービスを、自分がとことん使い込むまで気に入っているか、自分が話す内容を本当に自信があり、他の方とシェアしたいと思っているかにかかっています。   FLATは今後とも、アーティスト支援リアルプラットフォームとしてできる展示イベントやアーティスト活動に役立つコンテンツを拡充できたらと思います。     ...

今回は、平成生まれの女性社長で、「お姫様プロデューサー」という何とも興味深いメルヘンチックな肩書きをお持ちの方がいらっしゃる川原あやか氏実際にお会いしてインタビューさせていただきました。果たして、お姫様プロデューサーとはどういう意味なんでしょうか? 川原あやか氏が18歳で起業に至った理由 -こんにちわ。今日はお忙しい中ありがとうございます。早速本題に入っていきたいと思うのですが、若くして色々なご活躍されていると伺っております。何か現在の活動のきっかけになったのですか?。   川原氏-はい。よろしくお願いします。私はもともと福岡の農業系の学校に通っていました。   -え、農業系ですか。全然想像つかないです。   川原氏-いえいえ、その学校では食品科学の研究・製造を学んでいまして、入学当初からトマトの畑を一区画頂き、夏休みも毎朝クラス全員で水やり通い、作物つくりから食作りと日々食のプロフェッショナルとなるために、温かく厳しい先生方から毎日お叱りを受けながら、学ばせて頂いておりました。   進学校よりも自分で自ら考え実行するという時間が多く、先生とも地域の方との距離が近く、不明なことはすぐに聞く、調べられる。そして感謝を丹精込めた手作りのものと心で返す、人間力を学べた大切な時間でもありました。農業高校に通えたことは、今の意志ある人生を生きていくなかでも誇りの体験です。   -そして、いまは起業家ですよね? 川原氏-実は起業家になろうと思った原体験が2つほどありまして、順番にお話ししていきますね。まず1つ目は高校時代に、とあるみかんの農家さんとふれあう機会があり、そのみかんの美味しさ、クオリティーが私が思うに、とても素晴らしかったのです。   しかし、今の生産のビジネスのままでしたら廃れていってしまう。「こんなにいつも笑顔で幸せそうに作っている作り手の方々の生活が一生続いてほしい!」と思いました。そこで、もっとこの農家さんの生産量が上がり、喜んでもらうにはどうしたらいいだろうと考えたときに、学校で学んでいた食品科学の知識を活かしてみかんのパンづくりを企画したのです。   試行錯誤して、ようやく完成した試作品を地元のローソンに企画商品として持ち込みしたところ、見事認められ、九州全土で企画したみかんのパンが売られるようになったのです。   -え、まだ高校生だったんですよね、すごい!   川原氏-このときに人生で初めて、身近にあるものでアイデアを出して、喜んで頂けたことが本当に嬉しくて嬉しくて幸せな感情に包まれたんです。そして、新しい幸せな気持ちに出会える企画を世界に作り手の気持ちと共に発信することができる商品ブランディングというお仕事は最高だと思ったのです。といまのプロデュース業に通じる原体験をしたことが、起業する一つのきっかけになったのです。   -なるほど!ちなみに2つ目はなんですか?   川原氏-はい。2つ目は夢を叶えると決められたことと、憧れだ!と直感を持った方にお会いできたことです。   -はるばる東京に?行動力ありますね。   川原氏-私の小さなころからの夢が「新しい世界にあえるリゾートをつくること」。そして18歳のはじめに山川咲さんの本を読んで、素直に会いたいと思ったのです。   お会いした中でのきらきらした雰囲気と女性起業家としての心構えが、対面でお会いすることで、さらにぐっと心にしみたのです。本で一方的にまず出会っているのですが、対面で会うことで、その人のひととなりが掴めるということも学ばせていただいたことで、起業の後押しとなりました。   こうやって今日も会ってお話しているのですが、スカイプやメッセージではやはり伝わるものも伝わりません。いかにその人と仲良くなるか、これを意識してずっとやってきていると思います。 海外展開を成功させるコツ -続いてですが、川原社長、海外にも事業展開されてますよね。   川原氏-はい、今年で23歳になりました。海外展開についても、福岡にてイベントや商品企画をさせて頂くうちに、起業家の中で偶然紹介してくださった方が、たまたまニュージーランドでリゾートを運営されており、新規事業としてウェディングリゾートのプロデュースをするとのことで、私が任されたのが最初です。 最初は現地の人ともにウェディング全般のプロデュースを行い、次第に私が関わらないでも回るように仕組みを作り、いまでは現地に任せている状況です。   初のウェディングのお仕事がプランナーでもなく、ドレスコーディネーターでもなく、『事業』の立ち上げでした。ビジネス英会話というと、もちろん英語もスキルもありませんでしたので立ち上げの半年は英語の単語を必死で覚えながら、リゾートでみんなからモテている美しいなと思う女性スタッフの会話方法を習得に必死な毎日でした。   日本との違いに戸惑い手探りな毎日でしたが、ニュージーランドでしかできない世界を幸せのスタートをする海外の新郎新婦様、そして旅行にこられた女性に感じて欲しいと「おとぎの国」ならではの、ヴィンテージのドレスを纏い、馬に乗って、美しい絶景の丘を駆け上がったり、頂上でお茶したり、夢のサービスを作ったり...

  こんにちわ。ニアセ編集部です。   商人を応援するハイブリッドメディア「ニューアキンドセンター(以下、ニアセ)」では取材を受けていただける、いや、むしろ取材してほしいという企業様、アキンド様を募集をしております。   具体的内容については、個別にご相談させていただきます。 【対象】 ■対象:商売をされている個人事業主、法人 ■取材エリア:主に東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県・静岡県(他エリアは要相談) ■ニアセはこんな方に取材したい:廃業したことがある、倒産したことがある、事業撤退したことがある、チームが崩壊したことがある、海外事業で大失敗したことがある方   ※個人の方、法人ともに取材可能かの確認をさせていただきます。 【応募方法】 下記フォームに必要事項をご入力いただき、送信をボタン押してご応募ください。   ------------------------------------------------------- ■お名前(必須):ご自身のお名前 ■メールアドレス(必須):ご自身のメールアドレス ■題名:ニアセ取材オファー ■メッセージ本文 ・URL:個人の方、法人ともに公式サイトのURLの記載をお願いいたします ・依頼内容:ニアセに伝えておきたい想いがありましたら、ぜひ記載してください。 -------------------------------------------------------     >> ニアセフォーム ...

こんにちは。ニアセクリエイターズの中根です。   今回は感涙療法士:吉田英史(よしだ・ひでふみ)氏が推奨する『涙活』について取材をして参りました。   2016年11月某日、感涙療法『涙活』セミナーが開催されていたので、セミナーに参加させて頂き、『涙活』の流れを拝見させて頂きました。 涙活とは   吉田氏:   涙活とは、一ヶ月に2,3分だけでも能動的に涙を流すことで心のデトックスを行う活動です。涙活セミナーでは主に3~8分程度の感涙動画を7~8本観て、泣いてもらうという流れです。数本の動画を見る目的は個々により泣けるツボが違うので、理屈抜きで泣くという体験をしていただきます。   現代社会では涙を流さない方々が増えていると感じました。近年、泣きたくても泣けない、涙が出てこない。このように、自分の感情にすら鈍感になっている方々が急増していると思います。そこで『自分の泣けるツボ』を把握する為に涙活では最初に多種多様な動画を観て貰っています。   動画は、家族や恋人・ペット・世間の人々の優しさ・温かさを感じさせるような多種多様なジャンルで、セミナー参加者はメモを取りながら映像を観ていただきます。   どの動画に感銘を受けたか 動画のどの部分で涙が溢れたのか   これは自分なりの『涙感のツボ』を把握するために行うものです。 涙活セミナーでやること   吉田氏:   「類は友を呼ぶ」という諺の、類(るい)を涙(るい)と、もじって、『涙は友を呼ぶ』。同じ場所で泣きの体験を共有した人同士で、交流してもらいます。映像を見て、どういうところで泣けたのか、なぜ泣いたのか、あるいは泣けなかったのか等々、みなさんと意見交換していきます。   泣き言セラピーも涙友タイムも、泣いたあとにやるのですが、これにも深い意味があります。人は涙を流すことで素直になり、思いを吐露しやすくなります。 セミナー参加者女性の声:   涙を流すことにより日頃のストレスから、感情を我慢していた部分を吐き出せました。その結果、心のつかえがなくなると、心に余裕の隙間ができて他人を思いやれる余裕・寛容さができると思いました。   心に余裕ができれば、仕事への取り組み方にもより良い方法が思い付いたり、活力があがり仕事が効率的に進むようになれると感じています。また、泣き顔を見せ合うことでチームとしての結束力が高まりました。 どんな内容で「涙を流す」と良いのか   吉田氏:   1番効果的なのは『感動・感謝の涙』です。涙には、感情の涙と目を保護する涙の2種類があります。例えば玉ねぎで溢れる涙は催涙性物質である硫化アリルが涙腺を刺激するため多くの涙が出ますが、それは『涙活』の効果が発揮できません。   情動による涙は感情の起伏により『交感神経過緊張』になるため、脳の大脳辺縁系で発生する作用により涙が目から溢れ出します。ストレスが生じると副腎皮質ホルモンが分泌され、心身ともに悪影響を及ぼします。   しかし、涙を流すことによってストレス物質である副腎皮質ホルモンも一緒に流れ出ます。これが『涙活』です。また、悲しい時の涙より『感動』の涙の方が涙活には有効的です。 涙活の最適な時間帯   吉田氏:   基本的に時間帯は問いませんが、より効果的な時間帯は1日仕事を終えた夕方から夜にかけて行うと良いかと思います。ぐっすり寝られて、翌朝、仕事に向かう気持ちが上がります。   また曜日は週末(休日)が良いでしょう。仕事で溜まったストレスを洗い流し、翌週の仕事に向けて気力を充実させられるようにしましょう。 涙活がビジネスパーソンを救う?   吉田氏:   ビジネスのグローバル化により、長時間労働や休日出勤が増えており、肉体的なストレスや疲れが溜まりやすい状況にあります。中には、無理な依頼を受けたり、ミスが許されない業務であったりすることもあり、精神的なストレスを強く受けやすく、また、愚痴を含めた日常的な雑談がしづらくストレスが溜まりやすい状況も生まれています。   過労死や自殺が社会問題になり、うつ病などの精神的疾患を未然に防ごうと従業員50人以上の全事業所でストレスチェックを実施することを義務化する改正労働安全衛生法が2015年12月に施行されました。   しかしチェックはするものの、ストレス解消に対しての対策に追われて具体的な対策を取れていない企業が多いのが現状です。だからこそ大袈裟な準備等を必要とせず、気軽に行える涙活を取り入れて頂きたいと願っております。涙活でデトックスを行い、肩の力を抜きリラックスする事で仕事効率化結びつけましょう。   それだからこそ緊張感が常にあり精神的に疲労がたまっている方も多いことでしょう。常時張り詰めた緊張感の中にいるような方で、なかなか泣けない人でも大勢の人と共に涙を流す場を体験すれば自然と精神が弛緩し涙が溢れてくるはずです。   身近にそういう機会がなければ家で1人、涙活をしてみて下さい。方法としては『自身が泣けるツボ』の動画や本などをストックして、時間があるときに観るよいと思います。 さいごに   吉田氏:   「涙」を流す引き金はストレスです。映画やドラマ、小説など他人が経験したストレスで泣く“感動泣き”をしたほうが スッキリと解消することができると思います。しかも他人の苦しい経験やつらい経験を追体験することで、自分のストレスに対する耐性もアップ。泣くほどストレスに強くなれるのです。   私は、この涙活イベント、つまり泣く場所を社会に作っていく事が求められていることではないのかと考えるようになりました。この活動をやっていて、現代人は、泣く場所を探しているとさえ、思うようになりました。   「泣いたっていいんだよ」 「弱音(泣き言)を吐いたっていいんだよ。」   そう言ってあげられる社会になればと考えています。   なぜ、人は涙を流すのか。 それは、きっと、神様が、私たち人間が前を向いて生きていけるようにするために、つけてくれた機能なのかもしれません。   涙活は、「明日笑うために今日泣こう!」というのも1つのテーマになっています。辛い事・苦しい事があって、泣いて落ち込んでいるだけでは勿体ない!人は泣いた分だけ強くなれる・輝ける、それを多くの人に伝えていきたいです。       【取材協力&記事監修:感涙療法士、吉田英史】 プロフィール:鎌倉市出身。早稲田大学大学院教育学研究科修了。老人ホーム、学校勤務を経て現職に。...

こんにちわ。最近、AI(人工知能)という言葉を多く耳にする機会が増えてきました。とりわけ、ソフトバンクの開発したペッパーは、大衆を人工知能が可能にする近未来を想像するようなプロダクトに感動をおぼえた方も多いのではないでしょうか。   AIについてどうビジネスに生かしたり、サービスと連携されるかについて多くの企業が頭を悩ませたり、試行錯誤を繰り返しているなか、カラフル・ボード株式会社の代表取締役CEO/人工知能科学者・渡辺祐樹氏は、そのAIについて大学院時代から学んでおり、常に最先端のAIについて大学機関と連携して、研究を重ねています。今日は、渡辺社長にずばり、今後のAIの可能性について伺ってきました。 SENSY(センシー)とAI(人工知能)をサービスに取り入れた理由   -まず、SENSYの立ち上げについてお伺いしてもよろしいでしょうか。   渡辺氏:はい。まず私たちSENSY(センシー)は、いきなりこのサービスを始めたわけではなく、最初はデザインのクラウドソーシングプラットフォームであるCOLORFUL BOARDを始めました。   -え、そうだったんですね!しかもデザイン系とは今のファッション系とはまた違いますね。   渡辺氏:まあ、そうですね。デザイン系といっても、エンジニアやフロントエンドのデザイナーではなく、どちらかというとアーティスト系ですね。たとえば、趣味でイラストを描いていたり、企業に勤めながら、傍らでグラフィックデザインをしている人、フリーランスで活躍の場を探しているアーティストを、COLORFUL BOARD上で業やアーティストのデザインを必要としている人とのマッチングを行っていました。   サッカーチームのロゴTシャツのデザインなど、全国からクリエイター・アーティストがオンライン上にて毎月デザインが投稿され、Facebookなどソーシャルメディアと連携したスコアリング(投票)により、人気が出たデザインを実際に製品化、販売する仕組みです。   -すごい良いサービスですね。アーティストの活躍の場を広げるというか…   渡辺氏:実はCOLORFUL...

11月2日に最新刊「検索刑事(デカ)」を発売された竹内謙礼氏。     SEO対策本ということでしたが、なんとSEOを舞台とした検索エンジンミステリー小説とのこと。話題の最新刊「検索刑事」について伺うべく、竹内謙礼氏を独占インタビューしてきました。 検索刑事ができた背景 竹内氏:11月2日に最新刊の「検索刑事」という本を出版しました。SEOをテーマにした物語なんですよ。これが無茶が色々あったんです。私自身『会計天国』という共著の本があって。そのシリーズがPHPさんから出ています。シリーズが今5冊目で、ビジネス書小説はこれで9冊くらいなんですよね。     ▼最新刊:検索刑事(デカ) (日経ビジネス人文庫) ▼ ...

小学校の校庭で見かけた事がある二宮金次郎の銅像。     勤勉の象徴として知っている人は多いと思いますが、どんなことをして、どんな教えしたかを知る人はあまりいないのではないでしょうか。     本日は「二宮尊徳翁(二宮金次郎)」が祀られている報徳二宮神社さんに地域貢献の極意を学びに伺いました。 そもそも二宮金次郎とは     報徳二宮神社の宮司 草山明久氏     草山氏:ここの社(やしろ)は二宮尊徳(二宮金次郎)翁をお祀りしている神社です。実在した歴史上の人物を祀っている神社って、そんなに多くありません。まして農民から神さまになったのですから本当に偉大な方なのですが、幼少のころはたいへんな苦労をしているのです     翁はもともと相模国栢山村(今の小田原市栢山)の比較的豊かな農家に生まれたのですが、度重なる酒匂川の氾濫で田畑を流されてしまい、家は没落、過労により両親は亡くなって、兄弟はばらばらに親戚の家に預けられました。     翁は、朝早くから夜遅くまで一生懸命働いて、その合間を縫って勉強をしました。そして荒地を開墾してお金を貯め、質に入れていた田畑を少しずつ買い戻して、24歳までに一家を再興したのです。     小さな努力でも、積み重ねることで一家再興という大きな事が為せる(積小為大)という事を学び、これは二宮金次郎の後の行いや考え方の基礎になりました。     草山氏:そのときの経験でいろんな目に遭いながらも、独学でたくさんの勉強し、多くの気づきを得たり、物事を習得して、後に自分の中で行き着いた教えを実践していきます。     何をしたかと言うと、当時疲弊していた、のべ600にも及ぶ村々の農村復興とか、借金で苦しんでた武家の再興とか。彼の生涯の後半生、時代にして江戸時代の末期くらいの話です。     70歳でお亡くなりになってからまもなく明治維新となりました。明治時代、幕末の方から明治の頃にかけて生きていた方には二宮尊徳さんを知っている方が多く、お弟子さんが書いた『報徳記』は有名ですね。     あとお伝えしておきたい翁の教えのひとつに『分度』という言葉があって、身の丈を知るというか、要は何をやるにしてもきちっとそのラインを決めるということを大切にしました。 報徳二宮神社が地域貢献のために仕掛けていること 草山氏:現在、報徳二宮神社が発起人となり『小田原柑橘倶楽部』という屋号で農家さんを応援しながら、農商工連携による地域活性を目的とした活動を行っています。     具体的には江戸時代に二宮尊徳翁が実践した手法をお手本に、この神社で出資したお金を元手に、農家さんから柑橘類などを高値で仕入れ、サイダーやドロップ・ジェラートなどの加工品を製造販売しています。昨年には地元の14社と連携して農業法人を設立し、耕作放棄地の開墾にも着手しはじめました。これらはすべて、次世代を担う農家さんたちや地元で商いをする方々の応援につながるものです。   この時代に小田原で生きる私たちは、今後ますます消費や労働人口の減少が顕著になる未来を見据えて、右肩上がり・経済一辺倒の考え方から、今まで以上に「人・物・お金」を地域に循環させながら、持続可能な社会づくりへの発想・業態の転換が求められていると考えます。 天地の中で生かされているという、人間の分度をわきまえながら、天地の恵みに感謝し、四季の彩りに心を和ませ、自然環境とも調和しながら、人と人との絆を大切にした心豊かな社会づくりを目指して、今後も小田原柑橘倶楽部は活動していきます。 引用元:偉大な功績 草山氏:報徳二宮神社では報徳会館という施設も運営しており、結婚式のご披露宴や記念日のご宴席など幅広くご利用いただいておりますが、昨年から境内に「杜のひろば」という空間を設け、新たに『きんじろうカフェ』も運営しています。     これは参拝客や観光客の方に神社の良さや尊徳翁の偉大さをもっと知っていただくためにはじめたものです。カフェでは翁の語録や格言などが入ったオリジナルグッズを販売し、Hameeさんにもご協力いただいて二宮金次郎像のスマホスタンドも扱っています。このひろばは今後も、もっと人が集まる場所、地域の方に使われる場所にしたいと思っています。 杜のひろば きんじろうカフェ   二宮金次郎像のスマホスタンド     ▼「二宮金次郎像のスマホスタンド」がこちらから購入できます▼ >> Motif. SMART...

  こんにちは。皆さんはアウトドアの遊びに行くとき、スマートフォンケースをちゃんと耐衝撃のものにしていますか?していないのなら、買った方がいいです。外ではしゃいだ瞬間にスマホがポケットから滑落、粉微塵に砕けてテンションガタ落ちなんてのはよくある話です。       今回はアウトドアモバイルギアブランドROOT CO.を企画開発するROOT株式会社の代表 三尋木準さんに立ち上げのきっかけや、激しいアウトドアスポーツなどでも耐えられるような商品へのこだわりなど聞いてきました。   ROOT...

こんにちわ、Niase-Creators所属の古田島です。   今回は女性のライフスタイルに、活力を与えるための企画・発信をしている株式会社Morning Laboの中村朝紗子さんにお話を伺いました。 株式会社Morning Laboについて中村朝紗子社長に聞いて見た   -まずは、自己紹介とどんな事業をされているか教えていただけますか。   中村社長:はい。株式会社Morning...