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【インタビュー】の記事一覧

  肉、トマト、オニオン、チーズ、肉。   バンズのかわりにビーフパティでサンドした、肉バーガー「ワイルドアウト」をご存知だろうか?美味しそう×写真映え×ネタになるの三拍子が揃っていて、見るからにバズりそうだな!というのが、初見の素直な感想だ。   これは相当戦略を練って商品開発したに違いないと確信し、人気ハンバーガー店「シェイクツリー」に商品の開発秘話を伺ってきた。 行列のできるハンバーガー店「シェイクツリー」 2011年にオープンした「シェイクツリー」は、JR総武線錦糸町駅、地下鉄両国駅からそれぞれ徒歩10分のところにある。   多くのハンバーガーチェーンが駅近に店を構えるなか、シェイクツリーは、やや不便な立地に店を構えている。それにもかかわらず、連日盛況。週末には行列もできる。 店名の「シェイクツリー」は、「shake a person’s...

  インターネットが普及していない時代、パソコンの使い方もわからなったひとりの建築士がネットショップを開店。ネットで「蟹」を売り、楽天市場で蟹ブームを起こした「北国からの贈り物」。 しかし、一大ブームを引き起こした北海道発の「インターネットの蟹屋さん」は、決して右肩上がりに成長したわけではありませんでした。10年間勤めていた建築設計事務所を辞めて始めた株式会社北国からの贈り物。 代表取締役社長「加藤敏明」氏にこれまでの歴史を交えながら、商売の難しさ厳しさのお話を伺いました。 「北国からの贈り物」立ち上げた、けど売れない   -最初から売れました?   加藤社長:最初は建築設計事務所で働きながらネットショップをはじめました。まぁ、案の定全然売れなかったですね。オープンして1カ月後にようやく1件、初めて注文がありました。ネットショップしている方なら誰でも経験があると思うんですが、初めて注文来たとき「本当に注文がくるものなんだ」と驚きました。東京のお客様から毛蟹を1尾注文もらって、それを届けたんですよ。   1年位やって月に10件程度は注文が入るようになって、リピーターさんも増えてきたので、いよいよ勝負を賭けようと楽天市場に出店したんです。当時は楽天市場に出店するには初期費用30万円を払わないとダメなのですが、今まで貯めた貯金を切り崩して出店しました。僕が32歳位の頃で収入も多くなかったので、勝負ですよね。   実際楽天市場に出店してみたら、なんと11月12月の売り上げが400万円程度。11月12月がちょうど蟹の売れるシーズンだったというのもあるのですが、これだけ売れるならいけるぞと、改めて確信して妻と会社とも相談して会社を辞めることになりました。98年にネットショップを始めて2000年の4月に独立して、蟹屋の店長さんとして「北国からの贈り物」という会社を立ち上げました。     ―よくご家族が独立を認めましたね。   加藤社長:家族の説得はかなり苦労しました。子供が2人目産まれたタイミングで会社辞めたので、妻や妻の両親からは会社辞めるなんてどういうことだと、詰められました。会社辞めて何するんだと言われて、インターネットで蟹売るんですと説明しても、何だインターネットって、蟹売るのかって険悪で、妻からは「建築家のあなたと結婚したのであって蟹屋のあなたと結婚したわけじゃないわ」、みたいな話もされて・・・でも「俺はこれで生きて行くんだ、起業家として会社を大きくしていくんだ」、と話しても通じないわけですよ。   子供産まれたばかりでしたしね。その時僕が言ったのは、「不安な気持ちもわかるけど、これで俺生きてくと決めたから、やらせてくれ」って、その代わり月の売り上げが1千万にならなかったら、諦めて会社員に戻るから1年間やらせてくれっていう覚悟を伝えたんです。それでようやく納得してもらえました。   独立後は売り上げを上げる為にメルマガやページ作りを今まで出来なかった分、一生懸命やっていました。しかし、売り上げが上がらなかったんです。楽天広告も出したのですがそれでも売れなくて。というのも4月から6月って蟹の売れる時期ではなかったんですよ。蟹の売れる時期は10~12月なんですが、僕の中では12月までに月1千万の売上げが目標だったので、もっと売らなくては月に最低100万円売らなくてはという意気込みでメルマガを書いて、サイトのページも作って。広告を買うほど売り上げが下がってくるので、5千円だったタラバガニをセールで3千円や3割引で出すようになりました。   注文0の日が続く   加藤社長:そうすると、いよいよアクセスもなくなって最後は注文0の日が1週間続いた事が楽天でありましたね。その時は楽天の担当に電話して、「今まで注文が来ていたのに1週間注文が来ないなんて、おかしいじゃないか楽天のシステムが壊れているんじゃないか」と聞いたんです。そしたら「お調べします」と言われて、3分後に楽天の担当者から注文メールが来て、「今テスト注文しましたけどどうですか」と。壊れてなかったんですよ。ただ単に、「売れていない」だけでした。   売り上げ0の日が続くというのは今思い出しても、恐ろしいことですよ。これから子供2人育てていくのに売り上げ1週間無いけどどうしよう、と悩みましたね。   そこで売り上げが上がらない理由を考え抜きました。その時初めて、自分が売り上げ上げたいから商品安く売ったり、メルマガ出してセールしたりしていたけど、お客さんの立場は違うと気付いたんですね。   お客さんってどういう時に蟹が欲しいんだろうと考えて、それは誕生日や家族が集まる時、年末のお歳暮のシーズンに贈ったり、年越し蕎麦とかお正月に食べたりとか、晴れの舞台だったりするから、こっちが売りたいと思っても、お客さんの都合もあるから無理だなと気がついたんです。   それで焦るのをやめて、12月までに目標達成すればいいから、それまでは売ることよりも自分がどうしてこの商売を始めたのか、うちの商品はどうやって食べたら美味しいのか、自分の商売に対する思いを12月までお客さんに伝えようと今までとは間逆のスタンスで、売れなくてもいい、ただ商品のことを伝えたり、自分の思いや会社がどんなことやっているのかを伝えることに集中しようと思ったんですよ。   売ることよりも、インターネットを通じて商品をお客さんに知ってもらうことが大事だと切り替えて、リラックスしながらメルマガ書いて子育てして。メルマガの内容も商売寄りの内容から切り替えて、今日は子供達とお風呂はいったとか、下の子が寝返りうったとか、上の子がこんな言葉を喋ったという話を書いてみたんです。   そうするとお客さんから、メルマガほのぼのしてていいよね、うちも同じぐらいの子供がいて苦労わかるよ店長さん、とメールがきたんですよね。あとは子育てが終わった僕より上の世代の人達からも、俺にも私にも子育て苦労した時期があった、そんな問い合わせメールがくるようになって。   そうするとついでに「お薦めの商品は何ですか?」と聞かれるんですね。ページを見たらタラバガニがあるけど、「この商品はどうやって食べるのか」と、商品の質問も一緒にくるんですよ。「このタラバはボイルしてあるので、届いたら直ぐに食べられますよ」と、やりとりしていると注文が増え始めてきました。そういったお客さんとの素のコミュニケーションや、あとは蟹の仕入れ日記のようなものをメルマガでやっていると、それを見てお客さんが、面白そうだと安心して注文してくれたりしました。そうして7~9月に少しずつ注文が増えてきたって言うのが、商売面白いなっと思った時のステージでしたね。   ―半年位は何もなくて、きつかったと思いますが、やはり大事なことはファン作りですか?   加藤社長:ファン作りですね。お店をはじめると、どうしても肩に力が入って、これだけ売り上げ目標ってなるじゃないですか。そうしてプッシュするとやはりお客さんも引いてしまうんですよね。余裕を持つというか、信頼関係を作るとか、どんな商売でも一緒です。売りたいから安売り、はやっぱりダメですね。時代は違うけどそう言った商売の根幹は、今も同じだと思っています。 ワケありカニに火がついて蟹ブームに   ーその後、楽天市場で蟹ブームを作られたと思うのですが、その時の話を教えてください   加藤社長:当時はタラバガニの姿とか、立派な蟹が贈り物で売れるんですよね。でも、中には仕入れると足が1本折れたり黒ずんでる商品も出て来るんですよ。折れていたり黒ずんでいるだけで、中身は変わらない。どんどん注文が増えてきて仕入れが増えると、その内の2杯3杯は足折れの蟹が出て来たので、そういったものはギフト商品としては売らず、ワケあり蟹で半額で売りました。そしたらそれが人気になった。いわゆる「ワケあり商品」ですね。ワケあり商品はうちがはしりなんです。   最初はワケあり商品の蟹を買って、美味しかったから今度は贈答用に綺麗な蟹を買う、というお客さんが増えてきたんです。北国の商品は安くて美味いし、贈答にも使えると注文が増えて、12月には売り上げが、2千万円まで増えたんです。始めてから1年くらいの話ですが、びっくりするぐらい売れて、半端なかったですね。楽天もビックリ、僕もビックリしました。   ―2千万円はすごいですね。   加藤社長:売上の要因の一つは、ファンが増えていたからだと思います。僕はメルマガ書くのが好きでしたから、どうしたら沢山の人に読んでもらえるかを考えて、メルマガの中に自分の家族ネタやクイズを入れたり、メルマガ購読者向けのプレゼント提供や、色々な企画やオークションをして会員を増やしたんですね。その時のメルマガ会員は1万人位いたんですけど、そのお客様が年末に購入してくれたということですね。   加藤社長:自分の中ではメルマガ会員を10万人集めた段階でパートスタッフ雇用して組織としてやろうと思っていました。10万人会員あれば商売になるだろうって自分の中で思ったんですよ。メルマガ会員を10万人にするまで1年位かかりましたね。   翌年、メルマガ会員が10万人になったのでアルバイトスタッフ採用して3人位でやり始めました。売り上げが2億3億になって、毎年1.5から2倍位売り上げが伸びていく楽しい時代でしたね。その3年後にYahoo!オークションに出店しました。ずっと1人だったので今までは1店舗しか見きれませんでしたけど、売り上げは増えてメルマガ会員も増えてきたので、1店舗1店長制で多店舗展開をやっていくと、また売り上げが伸びてきてという循環を作る事ができました。   まずはワケあり商品を買っていただいて、今度はギフトで買っていただく、というリピーターのお客様が増えて、お客様単価も高くなっていきました。売上が上がっていくのはいいのですが、受注がパンクしましてね。   1年間積み上げてきたお客様が年末に爆発して、受注業務がパンクしたり、人が足りなくなったり、出荷場がパンクしたり、ものが売れすぎて無くなったり・・・毎年何かしらの試練があってそれを乗り越えながら何とかやっていました。   初期の楽天RMSは月50万円程度しか売れる想定をしていない仕組みだったので、受注処理がすごい大変だったんですよ。僕もやっていましたが1日300件注文がきて、それを手作業で1件1件メールを書いて、3日間で合計3~4時間しか寝れないような状況で商売をやっていました。1月の繁忙期が終わった時に、すごく嬉しかったんだけど死ぬかと思ったんですよ。今回はトラブルもなくお客さんに迷惑もかけず商品届けられて良かったけど、受注業務を効率化しないと翌年はこの3倍注文がくるから間違いなく死ぬと思ったんですよ。   当時はネットショップの一元管理システムもなかったので、ネットショップの受注業務を管理するシステムを自前で作って、翌年の12月にはそれを活用しながら乗り越えました。   当時はネットショップで爆発的に売れる事を想定したインフラが無かったんです。楽天市場でさえ、受注ソフトも物流の考え方もありませんでした。 それを1つ1つ、無いものは作ろうと受注管理システムを作って、バックヤードも倉庫さんと相談して何回かパンクしながらその度にやり直して整備しました。 よかれと思った「安売り」で3年売上が伸び悩む   ―これは失敗したな、というお話はありますか。   加藤社長:そうですね、結構あります。リーマンショックの頃なんですが、確か2008年9月位でこれから蟹のシーズンだぞという時にリーマンショックが起こったので、蟹も3億位仕入れていたのに、景気が下がったので例年に比べて3割位落ちましたね。蟹はグルメの中でも高い商品だったので、買わない人が多かったんだと思います。   これは大変なことになるなと、広告を出してもメルマガで商品を紹介しても、売れなかった。お客様も12月にボーナスが出るかわからない状態で、贅沢に高価な蟹は買えない、と買い控えている状況だったんですよね。自分もそうでしたしね。11月後半にもう今年は世の中的に仕方がないから、利益を諦めようと決断しました。景気悪いけど、でもお客さん蟹食べたいよねって事で、思いっきり安売りしたんです。   リーマンショックで景気がすごい悪くなったけど、年に1度楽しみにしているお客さんもいて、ずっと買ってもらっているお客さんに買ってもらえない方が寂しいと思ったので、原価でもいいから、食べて欲しいなって思いでメッセージを書いて販売したんです。   今年はこういう時勢で景気も悪いし、毎年買っているお客さんに食べてもらいたいので赤字覚悟で販売するので良かったら年末蟹食べて、今年は楽しかった話題も少なかったけど最後に蟹食べてハッピーになろう、とメルマガを出したんです。それで一気に売れて、昨年の1.3倍売れたんです。利益を諦めてもお客さんに買ってもらえれば翌年に繋がるし、僕の中では年に1度のお客さんとのご縁を繋げたと安堵感と達成感があって、お客さんにしても例年よりも安く蟹が買えたという喜びもあったと思います。   1年に1度の書き入れ時の12月から2月まで安売りしたので、経営的なダメージは大きくてですね。あの時は良かれと思ったけど、1度安売りをするとなかなか値段も戻らないし、安売りのしすぎも失敗したなと思ったのは終わった後ですね。景気が普通の時に安売りをしたのではなく、景気が下がっている中での安売りをしてしまったので、戻そうと思ったものが戻せなかったと、そこを読みきれなかったところもあるし、通常の時とは違う状況だったと不可効力だったという思いもありながら、安売りしないと売り上げも上がらないという状況が2008年から2010年まで続きました。   ―その翌年も安売りしたんですか?   加藤社長:価格のプライスリーダーになってしまったので、他の蟹屋さんも引きずられて、蟹を安くしないと売れなくなってしまったんです。どこかのタイミングで価格を戻すところはあったのかもしれないけど、戻しきれなかったのが自分の中でありましてね。2010年の後半から仕入価格を工夫して、値段も上げながら利益率も元に戻すようにしました。結果的には2010年の12月は良い数字が取れたんです。   ー今は蟹以外も色々と販売されていますが、どのタイミングで商材を広げたのでしょうか。   加藤社長:2011年の震災がきっかけですね。あの時はどこも厳しかったと思いますが、蟹屋も相当厳しかったと思います。祭り事が一切ダメみたいな風潮になりましたよね。単価の高いものが売れなくなってですね、半年位売り上げ半分に下がりました。   その時は・・・本当にしんどかったですね。4月~6月売り上げが下がる時期だったのですが、そこは生きてく為に仕方ないと色々なものを売りました。北海道の水を売ったり、カンパンを売ったり、北海道の商材で被災地向けの常温商品増やして売っていこうと、色々なメーカーさん、取引先を増やしてあらゆる商品を売りながら、今どんなものがお客さんに求められているのだろうと商材を増やした時期でしたね。   ―それがきっかけで、今の形があるんですね。   加藤社長:商材を増やすタイミングで、「北国からの贈り物」は何屋なのか、僕達の売りたいものは何だと改めて話合いしまして、蟹をメインにしながら売って、北海道色を強くした北海道の美味しい物をもっと広げて売っていこうと決めました。 「北国からの贈り物」というブランドはどうあるべきかを考えて、見直しながら今に至っています。   「北国からの贈り物」で北海道を活性化する   ーしかしネットショップが全くない時期に建築士を辞めてネットショップを始めるなんて、よく奥様が了解しましたね。   加藤社長:その時は了解していないんですがね。会社を辞めて、その年の12月に僕がずっと働いて3日で3時間しか寝ていないのを分かっていて、「そんなに無理してどうするの」って、最後に手伝ってくれたんですよ。それまではずっと独立に反対だったから、声も掛けてくれないし、手伝ってくれることもありませんでした。12月の10日過ぎたぐらいかな、もう死ぬかと思うくらいヘロヘロになっていたら、そこで手伝ってくれて。   「そんなに頑張ってどうするの」と声掛けてくれて「死んじゃうよ、あなた」と。その時、妻に「大変で死にそうなんだけど見てくれ、こんなにお客さんから注文が来ているんだ」といって初めて売上を見せたんです。「約束しただろう、もうすぐ1千万円超えるんだ。お前との約束はこれで果せるから、これで我家は安泰だ、ようやく売り上げも上がってお客さんもこれだけ来ているから、これから先は子供達を育てていけるから安心して」と僕も泣きながら本音で話したんです。   妻も「分かっている」と、「出来ることがあったら手伝う」と言ってくれて、2人で夜中にFAX送ったり紙切ったり、パソコン使えませんでしたからね。手作業の部分を手伝ってもらいながら乗り切りました。妻には感謝というか苦労ばかりかけているんですよ。(笑)   ー最後に一言お願いします。   僕の中では、軸が今でも建築家なんですよ。事業を始めたきっかけが北海道の経済の活性化というところで、僕の中ではもともとそれを建築家としてやりたかったんです。ネットの事業で北海道の魅力ある商品を日本全国、世界へ届ける中で自分も経営者として起業家として雇用して、収益上げて地域社会へ貢献して、町が良くなって北海道が良くなっていく、というのが僕のゴールです。蟹屋って小売をやる楽しみがあるし、海外でやる楽しみもあって、苦労も多いけど1個1個をすごく楽しみながらチャレンジしています。   続けているとお客さんもついてくるし、販売の仕方も分かって来る。商売って継続なんですよね。     ...

  「地球上になかった味」と評され、カレー通たちから支持される『火星カレー』。   池袋駅西口から徒歩3分ほどの場所にあり、かわいい看板が目印です。カウンターとテーブル席が4つのカレー屋さん。 火星カレーの特徴はなんといってもこのメニュー構成。さまざまなお肉がカレーの具になっています。鶏、豚、牛といった定番はもちろん、カンガルー、馬、鹿といった他では見たことないカレーがずらりと並びます。 ▲鴨カレー880円 + 豆トッピング100円 鴨カレーに豆トッピングです。 彩り鮮やかなお豆はチキンスープで煮ています。ごはんはかるく焼かれて焦げ目がついており、香ばしい匂い。ルーは水分の少ないタイプですが、ドライカレーともキーマカレーとも一味ちがいます。水をほぼ使わずに、野菜から出た水分で作っているそうです。ルー1皿あたりニンニクが1かけら半入っているそうですが、独自のスパイス配合が効いてぜんぜん臭くありません。たしかにいままで食べたことのない味。これはクセになりますね。 ▲カンガルーカレー1080円...

  通勤時間、無駄だと思いませんか。 というか、あの時間って会社のための時間なのに、給料は発生していないんですよね。どういう事ですか!   すみません。突然熱くなってしまって。 しかし片道2時間の通勤中、ふと「何だこの時間は」と思ってしまったんです。しかも毎日のように電車遅延するし、すし詰め状態の満員電車だし、お腹の調子は悪いし。そしてふと、「毎日何やってるんだ!」と思ってしまったんです。   度々すみません。 しかしみなさん、在宅勤務とかリモートワークとか、通勤時間の存在しない働き方がしたいと思いませんか。毎日頑張って会社に出社している企業戦士のみなさんなら、一度はリモートワークという働き方を夢見たことがあるはずです。   わざわざ会社に行かなくても自宅やカフェ、海でも川でも山でも正直どこでも仕事はできる!リモートワークさせて欲しい!   とは言いつつも実際リモートワークって、しっかり仕事できるのかわからない・・・。リモートワークだと部下やチームメンバーの顔が見えないし、サボってる可能性もある・・・。対面じゃない分、相手とのコミュニケーションが上手くいかなくて仕事しずらいかも・・・。   なんか不安や疑問など懸念材料ばかり出てきますね。そんな中、Hamee株式会社の開発部約30名が一斉にリモートワークを実践したようです。2週間以上前に開催の旨を告知して、Wi-Fi環境や問題があった時に集まれる場所等、考えうる最低限の準備をした上で実施されたそうです。   その内、はじめてリモートワークを実践した方と既に週1リモートワーク中のエンジニア2名にお話を伺いました。       ▼リモートワーク初めて!マドンナエンジニア:甲斐氏の場合 ▼週1でリモートワーク。ハブられてるわけではないエンジニア:瀬尾氏の場合 ▼リモートワーク全面導入!ソニックガーデン代表取締役:倉貫義人氏の評価       集中力と作業効率は通常の2倍。甲斐愛佳氏の場合 ▲甲斐愛佳氏...

  ▲おふろの国「ゆ」のネオンが揺らぐ鶴見川。この川周辺にスーパー銭湯が3つもひしめき合う激戦区となっている。     私は1年程前からサウナが好きだ。 好きというより愛してる。いや、愛してるではなく空気のようにあって当たりまえ、完全に本妻としてサウナを迎え入れている状況だ。   サウナの良いところとして、一番に挙げられるのはリラックスできること。一人ハダカになって熱いサウナと冷たい水風呂を往復することで、日頃のモヤモヤや将来に対する不安などが、いつの間にかすべて汗とともに流れ出てしまう。   そんなサウナのこと、サウナ施設のことをもっと知りたいと思い、いろんなサウナを巡り歩いていたら、リラックスとは違う、自分の心に火を灯すような元気を与えてくれるサウナ施設と出会うことができた。 それが今回ご紹介する神奈川県横浜市鶴見区にある「おふろの国」。   「おふろの国」は、プロ熱波師の「サウナ皇帝」井上勝正をはじめ、全国の温浴施設看板娘で構成するアイドルグループ「OFR48」、歌うマッサージ師大西一郎など多彩なスタッフを抱え、No.1熱波師を決める「熱波甲子園」や「大サウナ博」、「熱波道プロレス」などユニークなイベントを多く打ち出す異色のスーパー銭湯だ。   ん?プロレスが入ってた?とお思いの方。正しい反応ですが、読んでいただければ腑に落ちると思います。この「おふろの国」の店長であり、これらの仕掛け人でもある林和俊さんに、イベントの意図や個性的な従業員の発掘方法などについてお話を伺ってきた。 スーパー銭湯「おふろの国」は温浴業界に熱い波を起こす ▲お話をうかがった「おふろの国」林和俊店長。     浴室の壁ごしに声をかけあう「愛してマス風呂」、お風呂にまつわる話しだけをする放送「オフロナイトニッポン」など、温浴業界の常識を打ち破るイベントをプロデュースしてきた。バケツで熱波!設備がなくてもとりあえずやってみる。   - おふろの国ができたのはいつですか?   林店長:2000年の11月ですね。僕はそのオープンの半年後に入社しました。   ...

  フェリス女学院出身のお嬢様芸人で「お笑い界の池上彰」を目指すたかまつなな氏。   正真正銘の箱入り娘で、お嬢様。なんといっても家系に驚く。ご先祖が新宿を開拓した高松嘉六氏、曾祖父は東京ガス社長で日本工業化学界の元老・高松豊吉氏。   まさにお嬢様。   お嬢様芸人「たかまつなな」氏は芸能活動をする一方、慶應義塾大学大学院政策メディア研究科と東京大学大学院情報学環教育部に通い、学業にも励んでいる。さらに、18歳選挙権導入をきっかけに、株式会社笑下村塾を設立。代表取締役として会社を経営し、講演会やシンポジウム、ワークショップ、イベントなどを手掛けており、社長「たかまつなな」という顔も持ち合わせている。   「芸人」「学生」「社長」「ジャーナリスト」   何不自由無い生活を送っているのだろうと思いきや、クラウンドファンディングで学費を集めていた。彼女は一体何者なのか、「お笑い界の池上彰」とは何なのか、「お笑いを通して社会問題を発信したい?」、いろんな疑問を伺うべく、本人に直接会って話を伺った。 「たかまつなな」についての素朴な疑問   - 学生?芸人?社長?ジャーナリスト?メインは何をやられているのでしょうか?   たかまつなな氏:そうですね。全部メインといえばメインです。あまりガッツリ自分がココだ、とか、ここにいたいんだって、思わないようにしています。両立といえば両立をしています。   平日は毎日、大学に通っています。東大の方は夜の授業が多いです。TVの収録や講演会、出張授業、お笑いライブなどの仕事が入ったりしますが、ギリギリまで授業を受けてTVの入り時間をちょっとだけ遅らせてもらったりしてうまくやっています。   - なぜ2つ、東大と慶応両方行かれているのですか?   たかまつなな氏:慶応でいくつか勉強したいことがあって、メディアと教職など。教職を取りながら、メディアのことを勉強をするということが慶応は結構厳しくて。私が通っている藤沢キャンパスだと、メディアというと報道ではなく、プログラミングやインターネットが多いんです。   どうしたら勉強できるかなって考えていて、三田の方にメディアコミュニケーション研究所に話を聞きにいったのですが、教職課程と並行するのは難しいと言われました。どうしようか考えていたのですが、大学3年生の時に、教職の単位をほとんど取り終わっていました。あと1年、何か勉強ができると思い、学部4年生の時から慶応と東大のダブルスクールを始めました。   -...

  三重県で特に栄えていると実感する近鉄四日市駅前付近には、数多くの商店街があり、中に入ると様々な居酒屋がひしめき合っています。その中でも、群を抜いて美味しいと思ったお店、四日市諏訪栄商店街にある、博多もつ鍋専門店「おくゑ」。   おくゑの初号店が出来たのは、県庁所在地である三重県津市。四日市駅前店は2店舗目になります。ちなみに3店舗目として四日市中川原駅前にラーメン店「ぐんじ」も出来ました。おくゑのもつ鍋店が繁盛するにつれ、三重県内に少しずつ、もつ鍋屋が増えたように思います。 繁盛店を作るコツはそのお店の逸品を作ること おくゑのもつ鍋を注文して毎度思うのは、規格外に大きいプリプリのもつ。鍋いっぱいに溢れそうなもつは、鍋の上でキラキラ輝いています。また、野菜も鮮度抜群のものばかり。おくゑの野菜って、甘くて美味しいんです。食べた瞬間に「本当に新鮮で美味しい野菜って、甘いんだなぁ」とこの店に来ると改めて実感します。   鍋に、野菜ともつがヒタヒタになってから更に煮込むこと数分。美味しい博多もつ鍋の出来上がりです!本当、もやしも、ニラも全部美味しいんです。もつが食べ終わったら、いよいよシメのチーズリゾット。そう、博多もつ鍋専門店「おくゑ」のもつ鍋の後のシメはチーズリゾットなんです。   ここのもつ鍋(塩味で注文すべし)の出汁でチーズリゾットを作ると無茶苦茶美味いんです。この食べ方は、おくゑの常連客が良く知る通な食べ方です。 こんなに可愛い見た目のチーズリゾットの材料。 チーズリゾットになった途端、上記写真の通りお皿の上では口元だったハズの胡椒と目の部分の唐辛子が、いい具合にチーズリゾットの隠し味としてマッチし、絶妙な味のハーモニーを奏でるのです。こんな罪深い料理いったい誰が考えたの?   今回はそんな革新的なメニューを考え出した博多もつ鍋専門店「おくゑ」オーナーの奥田英司さんにお話を伺う事ができました。店長の、郷土に対する深い愛情や人柄が垣間見えました。 三重県にもつ鍋の繁盛店を作った「奥田英司」 店長の奥田英司さんは、気さくでとても話しやすい人。ユーモアもたっぷりで、少し話しただけでも元気が貰える人です。   なぜもつ鍋屋を作ろうと思ったのですか?   奥田店長:三重県津市に、本格博多もつ鍋を食べられる専門店が無かったからです。最初のころは、地元を活気づける事と県外に出ていった友達が安心して帰ってこれる場所を作ってあげたいと思った事がキッカケで店を作ろうと思いました。   この仕事をする前は、政治家の秘書の仕事をしていました。秘書時代に博多の方に出会い、もつ鍋の味や作り方を知ったのがキッカケで、もつ鍋屋を作ろうと思いました。秘書をやっていた頃、美味しい料理を沢山食べられる機会があったのも今の仕事にかなり活かされていると思います。   なぜ、もつ鍋屋を作ろうと思ったのが三重県なのですか?   奥田店長:以前アメリカに留学していた事があったのですが、県外を出たことによって自分が育った町に恩返しをしたいと思ったんです。三重県内で雇用を生んだり、三重県産の食材を使ったりしたいなと思っていました。三重県産の食材を仕入れるルートも作り、おくゑでは出来る限り全ての食材や調味料を三重県産にする事にこだわっています。おくゑの名物のもつは、国産牛もつ100%。色々なメーカーの食材を見て、全部自分の目で選ぶようにしています。   また、三重県の人が食べた事がないような食べ物を、僕の店で提供したいと思ったんです。メニューには、僕自身が発明した料理も沢山あります。メニュー名が「今日は気まぐれサラダ」「これぞ、もつ焼きそば」など、色んな面白いネーミングのサイドメニューが一杯で、見ているだけでも楽しいですね。   新しい料理を考える時に、心がけている事は何ですか?   奥田店長:僕は、サラリーマンとして正社員で働いた事がありません。「これは、こういうものだ」といった固定概念が僕にはないのです。だからこそ、「まずは、やってみよう」と自由に発想できるのではないかと思っています。   例えば、「コップはお水を飲むためのものだ」という考えって、固定概念だと思うんです。しかし「それは歯を磨くために使う」といった新しい固定概念に遭遇した時、人はその新たな固定概念に対してどうやって打破するかを考えないといけないと思うんです。常に、固定概念に出くわした時に「他の方法があるのでは」ということを発想し続ける事で、新しいメニューが生まれるのだと思います。   また、僕自身も食べる事が好きなので、県外の繁盛店に行ってみたりしながら「次は、何を作ろうかな」と、常に勉強を続けるようにしているんです。繁盛しているお店には、繁盛している理由が必ずありますから。   繁盛店のどの部分をチェックして勉強されているのですか?   奥田店長:まず、食材、サービス、店の綺麗さですね。料理については、アレンジ(独自性のあるアレンジをいかに考えているかどうか)をチェックしています。   また、「なぜこのお店が流行っているのか?」を自分なりに解釈するようにしています。その為に、店の従業員と話したりする事もあります。常に研究心を持ち続ける事で、新メニュー開発には余念がなく、向上心を忘れないようにしています。   例えば、僕の店の看板商品である「もつの唐揚げ」ですが、通常のもつって小さいじゃないですか。でも、おくゑのもつは凄く大きいんですよ。僕には、これが「からあげに使う肉」に見えたんです。で、「これを揚げたらどうなるんだろう?」って疑問に思ったので、特製の唐揚げ粉をつけて揚げてみた所、外はカリッ、中はジュワーっと旨味が出て、凄くおいしく出来たんです。勿論、商品として出した所、これがヒット商品となりました。 実際に、私達も「もつの唐揚げ」をガブリと頂きました。もうこれがね、口に入った瞬間肉汁がジュワーっと広がって口の中で溶けていって、思わず「う、うまい!美味すぎる!」。他にも、おくゑには様々なサイドメニューがあります。 こちらの商品「明太子の卵焼き」も店長のオリジナル発明商品です。ヒットメニューを次々と出しつつも、現状に甘んじる事なく新商品開発に余念がない店長は、新メニュー開発に対しても常に意欲的。だからこそ、ヒットメニューを開発し続けられるのかもしれませんね。   もつ鍋屋を初めて良かったなと思った事は何ですか?   奥田店長:アメリカに留学していた時に思っていた事ですが、アメリカって1プレートずつ、一人ずつの料理を提供するスタイルなのに対し、日本って、鍋料理など「同じものを分けてみんなで食べる」という文化があると思うんです。   鍋って、鍋奉行や取り分け係など、その人それぞれの役割や人柄が垣間見れる所があると思うんですよね。僕は、鍋のそういう所が面白いと思うし、そういった日本の素晴らしい文化を仕事を通じて継承し続ける事が出来るのは嬉しいですね。   繁盛店を作るためにはPRが必要 今では、3店舗目のおくゑグループ。開業したお店をヒットさせる為のPR方法とは?   奥田店長:最初の頃は、知り合いに電話したり、行く所行く所、全てのお店、会う人全員にお店の名刺と自分の名刺を配り続けるようにしていました。広告費もそんなにかけられないので、だったら名刺を配ろうって思ったんです。   名刺はどのような方々に配られていたのですか?   奥田店長:名刺は、老若男女問わず出会ったすべての人に配布していました。スーパーだろうが、お菓子屋だろうが、ドコモショップだろうが、行く先々で名刺を渡していました。卒業した高校に自ら出向いて、先生たちに名刺を配り歩いていた時もありました。   なぜ、お店の名刺だけじゃなく自分の名刺も配るようにしたのですか?   お店の名刺だけじゃなく、自分の名刺も配るようにしたのは「一体どんな人が経営している店なのか」を、知ってもらい安心感を与えたかったからです。お店にお客様が来てもらえるようになる為には、来ていただけるお客様に「信頼」と「安心感」を与える事が大切だと思ったからです。   もちろん、全員が名刺を受け取ってくれる訳ではありませんでした。でも、そこは持ち前のコミュニケーション力とバイタリティで何とか乗り切りました。人に対して、「どういう風に自分をPRすればよいか」という方法はアメリカで4年間留学した頃に学びました。   人生が80年あるならば、3~4年アメリカに行けば視野が変わるかもしれないって思ってアメリカに行ったんです。名刺を、出会う人すべてに配りつづける精神も、アメリカの留学先で学びました。その時の経験が、今の仕事に生かされていると思います。アメリカので学んだPR方法、それはまず「強烈なインパクトを与える事」です。そこでまず、お店を覚えていただくためには何が必要なのか、を考えなければいけないなと思いました。   ちなみに、僕の店で強烈なインパクトとしてPRできるポイントは、奥田英司(店長本人)と、今までになかったもつ鍋、そしてオリジナル商品のもつの唐揚げですね。 繁盛店を作り、多店舗展開させる方法は「従業員」 多店舗ヒットする、できる経営方法とは?   奥田店長:実は、僕は経営方法などが全くわかりません。飲食店でアルバイトをした事はありましたが、どうやって経営したらいいかは、今の仕事をやりながら覚えていった感じです。   飲食店は、拘束時間が長く、仕事内容が過酷なので働きたくない人が多いと言われています。そんな中、おくゑでは常にモチベーションの高い従業員が多いですね。従業員の教育には、今後も力を入れていきたいなと思っています。   お店で働く従業員のモチベーションが高い事は、お店の評判にもつながりますから。正直、2店舗、3店舗目を次々と出店出来た理由も「従業員が成長し、お店を任せられるようになったから。」なんですよ。   従業員のモチベーションは、どのように高めていらっしゃるのでしょうか?   奥田店長:従業員それぞれで考える事や欲が違うと思うんです。なので、僕が見守ってあげながら、まずは色々やらせてみるようにしています。そして、それぞれに合った課題を与えるようにしています。   他には、従業員がそれぞれにコミュニケーションを取って、休みを取りたい子には休みをあげたり、売り上げが上がった子には特別ボーナスがつくようにしています。最初の仕組みは、当然ですが全部を作らないといけませんでした。店長業務もマネージャー業務もやらなければならない・・・。しかし、今は従業員がやってくれるようになったので、新しい展開がどんどん作り出せるようになったなぁと思います。   あと、僕が飲食店を経営でモットーとしている事は、飲食店で美味しいものを提供するのは当たり前で、同時にエンターテイメント性も提供する、という事です。   エンターテイメント性とは、具体的にどのような事でしょうか?   例えば、「外でご飯を食べに行くという事」は非現実的な空間を店側が提供するという事だと思うんです。各テーブルに店員自らが入り、もつ鍋を作ってくれるというサービスや、店員がお客様と少し面白い話をする事がエンターテイメント性だと思っています。   僕のお店は、食を通じて、笑顔、喜びを作り出すお店を旗印としてスタートしました。 お店にお客様が来てくれる事を通じて、ただ食べるだけではなく楽しんでもらえるお店になって欲しい。そして、感謝の気持ちを常に忘れない事がお店が繁盛し続ける理由だと思っています。 みんなに楽しんでもらえる為に、店長自ら、羊の被り物をしてホームページや広告に登場するのも、「食を通じて、笑顔、喜びを作り出すお店」というサービス精神からかもしれません。また、メニューにもコスプレした店長が自ら登場します。もつ鍋料理店ですが、ワインメニューをトップメニューと見開きで載せるアイディアの斬新さも他のお店に無いアピール力なのかもしれませんね。   今後、どのように活動していきたいか等・・・。将来構想などはありますか?   奥田店長:いつか店舗を県外に出したり、また海外留学時代の友達を辿って国外にお店を持ってみたいですね。それから、日本の方にも海外に行って夢を持ってほしいなと思います。もし、日本の方が海外に行った時に僕の店があれば、そこで働く事も出来るじゃないですか。そういうのも、凄くいいなと思ったんです。   最後に。奥田さんのように、店を開業したいと考えている経営者の方々へメッセージをお願いします。 奥田店長:まずは「着眼大局」「着手小局」。視野は大きく、行動は一歩ずつ。夢を実現する為に、歩んできたストーリーやプロセスも大切にして欲しいなと思います。   一つ一つのプロセスを大切にしていくと、やがて出会った人々から与えられる影響力は絶大なものと感じるようになります。出会った人々との感謝の気持ちを忘れないで、頑張って欲しいです。   編集後記 店長のユーモアや明るさの背景には、出会ってきた人々に対する感謝や愛情が深く感じられました。味に対するセンスや着眼点もさることながら、常に人々への感謝を忘れずにステップアップしてきたからこそ、今の成功があるのだと思います。   私も、店長の話を聞いて、改めて出会った人への感謝を忘れずに生きていこう、そう気づかされました。私自身、このお店がヒットし続ける理由は従業員の教育がいつもしっかりできていて、楽しんで仕事をしている人ばかりだという事、どんなお店にいっても結局ここのもつ鍋に戻ってきてしまう位、味が美味しい事、そして、今回店長のお話にあったように、常に向上心と研究心を忘れずに生き続けているからだと思いました。   おくゑの野菜が甘くて美味しいのも、ほんのり優しさを感じる食べやすいもつ鍋の味も、店長の人柄からの旨味なのかもしれませんね!       ○取材協力 おくゑ 住所:(四日市店)三重県四日市市諏訪栄町1-8 三幸ビル2階    (津店) 三重県津市栄町2-390 みちくさビル1階 営業時間:(平日・土曜)11:30~13:45 17:00~23:00      (日曜)11:30~13:45 17:00~22:00     ...

  六本木ヒルズに店舗を構える「エッグセレント」(eggcellent)。六本木ヒルズに来たときに、このかわいらしい外観を見たことがある人も多いのではないでしょうか。名前の通り、エッグベネディクトやパンケーキなどを提供している「朝食専門店」。 山梨の黒富士農場から毎朝直送されるオーガニックの卵だけでなく、非遺伝子組み換え飼料を与えた乳牛のミルクから作られたヨーグルトなど、一つひとつの素材を厳選しています。 グルテンフリーやベジタリアン向けの料理なども扱っており、バラエティ豊かなメニューも人気の理由のひとつです。 メニュー以外にも細部までこだわりが。店内は卵をモチーフにしたインテリアや小物が散りばめられ、ポップでかわいらしい雰囲気。思わず心が躍りますね。 エッグセレントのオーナーは神宮司希望さん。もともと客室乗務員だった神宮司さんが海外の「朝食文化」に感銘を受け、「日本にも広めたい」と思ったことがオープンのきっかけでした。神宮司さんにお話を伺いました。 エッグセレント開店の原体験|ロスでの衝撃的なエッグベネディクト体験   ― 店名の“eggcellent”は、英語の“egg(卵)”と“excellent(優秀な)”を掛け合わせているのでしょうか?   神宮司さん:はい。私たち日本人は、英語で「おいしい」と言いたいときは「デリシャス」と表現することが多いですよね。でも、外国では「excellent」と言うことが多いんです。何だかすごく心が豊かになる素敵な言い方だなと感じていたので、店名に取り入れました。   ...

  株式会社ウィルゲートにて広報を務めながら、スマホ特化型タレント輩出を行う株式会社COMPLExxxの創業者であり、取締役CCO(Chief Culture Officer)を務める横塚まよさん。副業での起業は大変だったかと思いきや、「会社がサポートしてくれました」と彼女は笑顔で語ります。   そこで今回、「広報」と「起業家」として二足のわらじを履く横塚まよさんにインタビューし、COMPLExxxを始めることになるまでの経緯から、スマホ動画時代の特徴についてお話をお伺いしました。 複業のキッカケ―趣味を仕事にして本業のスキルアップに   ...

  世田谷区経堂。にぎやかな商店街のどまんなか、ビル2階にある「パクチーハウス東京」は世にも珍しいパクチー料理専門店だ。   パクチーサラダにパクチーライス、お酒にもアイスにもパクチーがはいっている徹底ぶり。オープンは2007年12月。今年で開店10周年を迎える。   パクチー、すべての食物のなかでもっとも好き嫌いがわかれる食材ではないだろうか。好きな人は狂うように愛するが、嫌いな人からは忌み嫌われる。圧倒的なクセの強さ。ましてやオープン当初の10年前は、パクチー自体の認知度が低かった。いまでこそパクチーをウリにする店は増えてきたが、それでも専門店はめずらしい。   創業者の佐谷さんに繁盛の秘訣をうかがってきた。 「パクチーハウス東京」って、どんなパクチー料理があるの? ▲トマトときゅうり、そしてお皿が隠れるぐらいたっぷりのパクチーが盛られたカスピ海サラダ。 ▲パクチーの葉っぱと根っこを揚げたパク天。ぱりっとおいしい。 ▲生地にパクチーがはいってる緑のパクチーバケット。 ▲パクチーの種や葉っぱがはいってるお酒、カクテルならぬパクテルだ。「カンパク!」の合図で飲もう。こんな具合でなにを頼んでもパクチーがついてくる。 ▲パクチーハウス東京では追加パクチーも自由にできる。「追パクください!」と唱えれば、おもう存分パクチーが食べられる。 ▲イラン料理のチェロケバブ。「あれ?パクチーがない」と不安にお思いかもしれないが… ▲もちろんご飯のなかにパクチーとお肉が入っている。 「パクチーハウス東京」にはブルーオーシャンならぬグリーンフィールドが広がっていた - いろいろある食材から、なぜパクチーを選んだんですか?   パクチーハウス東京店長・佐谷 恭さん(以下、佐):2005年から「日本パクチー狂会」をやってたんですよ。といっても、パクチー好きを集めてオフ会を開くのがおもな活動ですけど。それでも名刺作って飲み屋で配ると「店長!パクチー狂会の会長が来てます」って具合に広がってくんです。   そこで「ここ、パクチーないじゃん!」とか「パクチー好きな人たくさんいるから、置いたら客来ますよ!」とか軽口叩いたりして。まあ冗談で言ってたことですけど、いざなにか店をやろうって時にその言葉たちがぜんぶ自分に返ってきたわけです。もってる資源でおもしろいことをやろうと考えていたら、自然とパクチーハウスの構想に行きつきました。   -...

  最近、海外からの観光客が多いと感じるのは自分だけでしょうか。以前に比べ、街中の外国語案内の量も増えるのと合わせ、訪日外国人の数もどんどん増えているのを肌で感じると思うこの頃です。   とりわけ、訪日中国人の方も、ニュースやメディアで取り上げられた、爆買いの時期から落ち着いたともいわれるなか、最近では、爆買いのようなツアーではなく、個人の旅行客として訪れる方が多くなってきているとのことです。   今回は、これからますます盛り上がりそうな中国インバウンド市場について、関連事業のDSP広告を中心とした対中国人向けマーケティングに詳しいマッドハウスCEOのエリック・ウェイン氏にインタビューして参りました。 中国向けインバウンドビジネス -まず、どんな事業に取り組まれているか簡単に教えていただけますか。   エリックCEO-私は現在、マッドハウスという会社の日本法人のCEOとして、モバイルDSP広告の事業を手掛けています。特に、昨今盛り上がるインバウンド市場に対して、自社の認知度を上げたり、サービスを提供したりと、訪日外国人向けにアプローチすることを主眼に置いています。   また、越境ECなど、訪日中国人や中国本土の住む中国人、在日中国人に広告を打てるのは、中国人向けのマーケティングを行う際に大なベネフィットがあると思います。   -ん、DSPって何ですか?   エリックCEO-マーケターの方はご存知だと思いますが、要するに広告枠のひとつとして捉えていただけたらと思います。例をあげれば、フリーペーパーの空いたスペースだったり、新聞のページ下にある、本の宣伝などを思い浮かべていただけたらお分かりかと。   利用シーンでいくと、ゲームなどのアプリを使う際に、ときどき広告が入ると思うのですが、そこにサービスの宣伝を広告として配信するわけですね。アプリ制作会社が開発する際にマネタイズ戦略としてDSPのモデルを取り入れると思うのですが、我々マッドハウスは特にインバウンド、とりわけ対中国人向けのDSP広告に長けています。   -なるほど、越境ECや中国10億人の市場など注目されてますが、なかなか難しいとの声も聞きますよね…。   エリックCEO-おっしゃる通りです。ただ、私たちの提供するDSPは中国本土で絶大に支持されているアプリ内でDSP広告として日本のサービスや自社の宣伝を配信できることです。   中国は独特のマーケットがあります。あの世界の名だたるGoogleでさえも、中国国内ではMicrosoftが提供する検索エンジンBingが主流です。Twitterではなく、ほとんどがWeiboを使っています。そのため、なかなか中国人に対してのアプローチがやりたくてもやりにくかったというのがあると思うのです。そこで、中国にいる現地の方に対して、日本のサービスを宣伝し、クーポンをつけるなど付加価値を加えることで興味を持ってもらい、日本に観光に来た際に、来店動機やサービスの利用するなど購買喚起に役立てることができます。   -ただ闇雲に広告を打っただけでは、なかなか効果がないのでは?   エリックCEO-実は、年齢や性別ほかあらゆるユーザー属性に合わせて、ターゲット選定してDSP広告を配信することができます。そのため、より最適化されたユーザーのもとへ広告をアプローチすることで、精度の高い結果を生むのに貢献できると考えています。 爆買の次にくるインバウンドビジネス -ひとつ聞いておきたいのですが、爆買いってもう終わりなんですか?   エリックCEO-そうですね。メディアでも爆買いはもうないなどと報じられていますが、これからの潮流としては、銀座や新宿などの免税ショップしか回らない、いわゆるツアー旅行がいままで主流だったんですね。   しかし、中国国内でFIT(Free Independent Tourist)が一般化してきており、従来のツアー旅行では行くことのできなかった日本の場所へ訪れる中国人の方が増加しています。そういった訪日中国人に対して、DSP広告を通じてアプローチすることで、日本のクオリティーの高いサービスや商品の訴求に効果があると思っています。   つまり、より日本の良い商品やいままであまり知られていなかった日本の観光地を、...

  ずっとやりたいことがあり、頭では思い描いているけれど、なかなか実行できない。そんな風に感じている方もいるのではないでしょうか。   今回は、好きなことを追い求め続け、クラウドファンディングで見事目標金額を達成し、それが原動力となり、ウェブマガジンPLARTの編集長とHEY!ARTプロデュースに従事。これからアート業界に新たな風を吹き入れてくれるであろうPLART代表の柿内奈緒美さんにお話を伺いました。 コンテンツビジネスを立ち上げるまで   -自己紹介も踏まえて、今までのことや現在について教えてください 柿内氏:はい。私は現在、アートがライフスタイルになるウェブマガジン「PLART」の代表と、PLARTのリアルイベント「HEY!ART」プロデューサーを務めさせていただいていますが、ここにくるまでが本当に紆余曲折な人生を送っていました。   今となってはさまざまな業界の人でも話が出来て仲良くなれるので色々な経験ができたことが良かったと思っています。20代の頃は職を転々としていて、飲食業界、理美容業界、建設業界、アパレル業界など様々な業種7社以上で働いてます。よくある話ですが(笑)長くお付き合いしていた人がいて、完全に人の夢に相乗りする様な職種を選んでました。その方とお別れしてから、「一体自分は何がやりたいんだ。」と真剣に向き合いました。   -なるほど。今のアート業界に興味を持ったのはいつごろなんですか。   柿内氏:アートに興味を持ったというよりも、自分を表現するには何がいいかと考えるようになったといった感じですね。当時27歳で、建設業界で働いているときに、先ほどお話しした「一体自分は何がやりたいんだ。」と考え始めた時で、結果、「自分が活きるフィールドで点と点を結ぶ線の様な存在になって活動していきたい。社会を良くする歯車になりたい。」と決意しました。   -なるほど。それで今まで地道に色々な活動をなされてきたのですね。   柿内氏:そうですね。目標は決めたのはいいものの、そのフィールドが何か、何が必要かもわからないので、とにかく直感で動きまくってました。5年前に関西から上京したこともその一つです。東京に来てからは時間をつくって、どんどん色々な方々に会いにいったり、興味のあるプロジェクトに参画してみたり、とにかく行動して、たくさん吸収しようとしていました。その中で、原体験になった活動が「1人で自分の雑誌を作る」というクラウドファンディングのプロジェクトだったのです。   -おお、あれですね。自分も支援させていただきました笑   柿内氏:そうですよね!ありがとうございます。私はずっと大型のシェアハウス(※)に住んでいたので、そこで感じた心地よさをどうしたら、社会に広めることができるのだろう?と考えていました。シェアハウスに住んでいる人は皆、ここに色んな人がいると理解して住んでいます。自分と違う価値観を許し合うこと、それぞれのできることを補い合うことを知ってます。他者に対してどちらかというとポジティブな感情を持っています。それがとても私にとっては心地よかったのです。そのことを雑誌を通して伝えたくて、クラウドファンディングを行いました。   ※ここでいうシェアハウスは70名以上の住人がいる大型のシェアハウス   -クラウドファンディングは、結構取り組みたいと考えている方もいると思うのですが、達成させる秘訣みたいのはあるのですか。   柿内氏:クラウドファンディングを始めたときは、とにかく人の目に入るようにしていました。プレゼンイベントに出たり、共感いただいた方から応援メッセージをもらって、ひたすらSNSで発信していました。私は自分の中で1日のルーティーンを続けているのですが、朝活の一環で「本日のまがじぃ〜ん。」と題してSNSで発信しています。同じフォーマットで発信し続けることは、人の印象に残ります。そのため、私は数年会ってない人からでも「Facebookで見てるから」と、覚えてもらってる確率が高いです。 コンテンツビジネスで大切なこと -柿内さんといえば朝のイメージですよね、しっかりとブランディングされていますよね。   柿内氏:ありがとうございます。実は朝にこだわりを持つ理由がありまして、昔、京都の鈴虫寺へ行った際、住職さんがおっしゃっていた言葉がとても好きです。「朝という字は十月十日の組み合わせからできていて、それは赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいる期間です。だから、朝が来る度に生まれ変わりなさい」というのがすごく響いたのです。   ちょうど自分がその時に精密検査を受けたりと、自分の体とこれからに向き合っている時だったのもあります。それから、朝が来るたびにその言葉を思い出すようにしています。朝に「GO!GO!」と言いたいので、5時5分に起きています(笑)また、朝はインプットの時間にしていて、先ほどお話しした「本日のまがじぃ〜ん」という活動をしており、発売された雑誌を1日に3冊〜10冊ほど読んでます。ここが私のエネルギーの源なんです。雑誌のページをめくる度にワクワクするんです。どんなきっかけが詰まってるんだろう?って。   -なるほど、やはりゲン担ぎやルーティーンは大事ですよね。これだけ意思や思いを持った人だからクラウドファンディングも成功したんですね。   柿内氏:元々、意思は強い方だとは思うのですが、もっと強くなったきっかけが幾つかあります。東京に来て1年3ケ月経った頃、趣味のボルダリング中に壁から落ちて腰椎骨折をしました。あと数ミリで神経を傷つけてしまい下半身不随になったかも・・・という大怪我で、7時間の手術と半年のコルセット生活。そして半年のリハビリをしました。同じ時期に長い間寝たきりだった父親が他界した事も意思が強くなった大きな出来事の一つです。   「せっかく健康で生きていくチャンスをもらったんだ。絶対に諦めない。」   挫けそうになった時はいつもそう思ってました。もちろん、思いを持ってるだけではだめで、自分がやりたいと思っていることをとにかく伝えることが大切だと思っています。私の場合は自分が好きなものを集めて、伝えました。小説家、伊坂幸太郎さん著書の「ラッシュライフ」の名前が好きで「LushLife」という雑誌名を決めました。LushLifeは、豊潤な暮らしという意味です。シェアすることについてを雑誌で表現したいと思いました。 この雑誌を通して、シェアすることが自分と違う価値観を受け入れることがどんな豊潤な暮らしにつながることなのか、をゆるく伝えられたらと行動に移しました。黙っていても、何も伝わりません。とにかく「伝える・発信する・継続する」こと。それがコンテンツビジネスには大切だと思います。 コンテンツビジネス:「PLART」というメディアをプロデュース   -次にPLARTについてお伺いしたいのですが、アートに対しての考えやPLARTの方向性などをお聞きしたいです。   柿内氏:クラウドファンディングで目標金額を達成し、雑誌を発刊でき、そして、今の自分にたどり着いた基盤となる今の会社で、お仕事をさせていただくうちに、これまでずっと自分が思い浮かべていたこと全てが線となってつながり、シェアハウスで感じたことを表現するのにはアートがピッタリだと思い、PLARTというひとつのメディアをスタートさせました。   -なるほど、ついに自分の道を見つけたのですね。   柿内氏:はい。シェアハウスの住人たちは「色んな人がいる」「色んな表現がある」ということを受け入れていました。そして、アートはまさに個性の塊、人の表現です。それを楽しむことは他者の表現を楽しむことに繋がっていくんじゃないか、と思いました。今の日本社会が息苦しいと感じ、人の目ばかり気にして、身動きが取れなくなる見えない鎖を少しでも壊したいと思ってます。   もっと、自分らしく、それぞれの個性が生きる百花繚乱の世界に変えていきたい。アートがライフスタイルになるほど当たり前になれば、日本も多様性を前提としたお互いがお互いを認め合える社会になる。少しでもそこに繋がっていくと信じて、PLARTを運営してます。   しかし、そもそも日本のアート業界は狭いといわれてます。だから、もっともっと身近に感じられるように、「アート」と「◯◯」といったコンテンツにしました。そして、ウェブはどちらかというと、情報が多すぎてどれを読めばいいのか解りにくく、消耗品のように感じられます。そこで、私は雑誌が大好きですので、雑誌のように毎月、公開する日を決め様々な切り口の特集を組むことにしました。コンテンツは出来るだけ雑誌ぽく見えるように手描きの箇所を入れてます。 また先日、PLART初のリアルイベント「HEY!ART」は、代官山のギャラリーで行わせていただき、おかげさまで約320〜330名の方にお越し頂きました。 第1回目のテーマは「アートのある暮らし」 アート好きな友人の部屋へ遊びに行って、コーヒーを飲んでおしゃべりして、くつろぐ・・・そんなイメージのアート展でした。美術館やギャラリーでは味わえない、リラックスした空間で気軽にアートを楽しんで頂けるよう工夫しました。なんとか納得するカタチで終えることができたのは周囲の協力があったからだと思ってます。本当に感謝してます! 仕掛けていきたい今後のコンテンツビジネスについて   -最後にPLART含め、今後の活動のビジョンについてお話し伺えればと思います。   柿内氏:はい。PLARTは、アート業界とは違う層の方にアプローチしているので、もっとPLARTは通じて、アートにあまり興味がない人が少し目を向けてくれたり、日常にもっと気軽にアートを楽しめるような、そんな情報発信や、提案をどんどんしていこうと思ってます。 編集後記 柿内さんにインタビューして思ったことは、自分の芯をしっかりと持っていること、そして寛容性があるということを感じました。アートは否定ではなく、さまざまな作品を認め合って、お互いの作品をリスペクトする。このような考えが、アートのみならず、自分の生き様にもあらわれているような気がしました。   人が何かを決心したことで生まれるパワーはすごいものを感じ、また周囲を巻き込むほどの思いや信念がある人が世の中にインパクトあることをやっていくのだと改めて感じた次第でした。     ...

  日暮里のお菓子屋さん「江戸うさぎ」で販売している「妖怪★いちご大福」が大人気だ。   テレビ番組・雑誌・ネットなど各種メディアにもとりあげられ、冬のシーズンになるとSNSでも写真をよくみかける。1日200~300個ほど手作業でつくっているが、日によって昼過ぎに売り切れてしまうことも。   開発したのは観光土産品及び進物用菓子食品類の企画卸売を行っている「大藤」。 妖怪いちご大福以外にも小判型のおせんべい「これでよしなに」、お尻型の生菓子「美尻」といったおもしろお菓子から、3種類の味が楽しめる飴「アメノミックス」といった政治家シリーズものまで幅広くとりあつかっている。   江戸うさぎ店長兼、大藤商品管理部の横尾さんにユニークな商品の開発秘話をうかがってきた。 江戸うさぎの「妖怪★いちご大福」ってなに? ▲妖怪★いちご大福 1つ258円   口からぴょこんとはみだしたイチゴ、ゴマ粒で作ったつぶらな瞳がかわいい。谷中霊園からやってきた妖怪という設定だ。いちごシーズンの冬限定商品。 ▲妖怪★くり大福 1つ285円   秋になると「妖怪★くり大福」が販売される。芸術の秋にふさわしく栗のハンチング帽をかぶっている。 ▲妖怪★あんず大福   通年販売の「妖怪★あんず大福」も人気だ。 江戸うさぎの「妖怪★いちご大福」はどうやって生まれたの? ▲お話しをうかがった横尾さん(「江戸うさぎ」店長兼大藤商品管理部)   ●社内は「気持ちわるいよ」とほとんど反対意見だった   - 横尾さんが「妖怪★イチゴ大福」を開発されたそうですが、どんなきっかけだったんでしょうか   商品管理部 横尾文乃さん(以下、横):新しく和菓子職人さんが入られたときに「イチゴ大福が得意です」とおっしゃったのがきっかけです。それじゃあイチゴ大福でなにかつくろうと。ただお店は人通りのすくない地味なところにありますし、コンビニのレジ横でも100円で売ってます。それならどうにかお客さんをお店まで呼ぶにはおもしろいものを作らないとって思いました。   でも、職人さんは別におもしろさを求めてないですよね。できあがった大福に「これ、なにがおもしろいんですか?」ってしょっちゅう揉めてました。 ▲開発当初はこういう形だった   -...

  底意地の悪さ・性格の悪さで有名な意地悪ライター中根です。   今回は2代目社長が率いる株式会社フェーズワン代表取締役社長 植竹駿氏に話を聞いてきました。植竹氏は父親が立ち上げた会社の跡取り、つまり2代目社長です。   『2代目』って聞くと、私は正直言って「世間知らず・苦労知らずの金持ちのボンボン息子」。そんなイメージがあるんですよね。皆さんもそう思いませんか?! 底意地の悪い質問に、どう答えてくるのか?意地悪な質問を準備して聞いてきたわ。 フェーズワン2代目に意地悪な質問その①:跡継ぎは決まってたんでしょ? 植竹氏:1984年生まれで現在は32歳です。1990年に父が立ち上げたこの会社を継いだのは2012年10月になります。つまり28歳で代表取締役に就任しました。現在、社長になって5年目に入ったところです。高校生くらいの時までは、父がどのような事業を行っているのかを理解していませんでした。大学生くらいでやっとある程度、事業内容を把握するようになりましたが父が掲げていた「経営理念」を毎晩のように聞いて育っていました。   御社の事業内容は?簡潔に。   植竹氏:システム構築です。金融/流通EC/スマートフォン、この3つの柱を軸にシステム構築を行っています。   跡継ぎになる事は決まっていたのですか?...

最近よく副業ないしは複業についての話題がメディアに出ることが多くあるように思います。そのうえで会社に属さなくても仕事を受注して、生活していくことのできるフリーランスとして働く人口が今後増えていくと予想されます。   今回は、自身も普通の女子大生から現在はフリーランスのライターとして活躍し、これからの働き方としてフリーランスの選択肢を増やすためにフリーランスの集いを運営する上村菜穂さんにインタビューしてまいりました。 女性の活躍を支援したい   フリーランスになったきっかけ   -早速ですが、フリーランスになったきっかけを教えていただけますか。   上村氏-はい。私はフリーランスのライターとして働く前は大学院生でした。大学在学時には陸上部に所属しており、週5、6日はスポーツ中心の生活をしていました。ちなみに大学では工学部で建築学を専攻していました。   大学3年生になる直前に学校の外にもコミュニティや、いろいろな機会に溢れていると知りました。そこから部活の合間に大学の交友範囲外の人との交流をしようと、空いた時間を生かしてイベントやセミナーなど、人が集まる場所に顔を出していたりしていました。   なのでこのときは1年のうち、何日休みがあったか覚えていないです。週7で1日に何件も予定があるような生活でした。次第に人脈が広がっていくなかで、「賢者屋」という学生が月間2,000名以上集うフリースペースの副代表として運営に携わる経験もさせてもらいました。その賢者屋でも学生を中心に色々な方が出入りをしていて、情報や知識を得るきっかけになりました。そして、大学3年の1月に興味が湧いた、女性の活躍を支援してみたいと考えるようになったのです。   女性の活躍を支援する仕事がしたいけれども・・・   -なるほど。どういった形で女性の活躍を支援したいと思ったのですか。   上村氏-実はまだその当時は具体的に案がなかったというのが正しいですね。賢者屋では「なでしこ大学」というイベント企画を立ち上げ、ロールモデルになる社会人女性と女子大生の繋がりの機会を提供していました。   賢者屋のスポンサーの大手企業様やベンチャー企業様、それ以外にも動き回っていく中で知り合えた女性経営者の方々や、フリーランスとしてイメージコンサルタントやキャバ嬢プロデューサー、ハーブティーの広報・販売している方や、メイクの先生など幅広い職業の方にご協力いただきました。   部活を引退して、大学を卒業後、お世話になっていた大学の教授の助言から同じ研究室の大学院に進学することを決めていたのですが、専攻する内容は建築学だったので女性の活躍を支援するとは全く違うものでした。『女性の家事労働が削減される住宅システム』の研究をしていて、大学ではそのテーマで卒業論文を提出したのですが。大学院に通いながらも、今後の将来についてどうしようかと悩み始めた時期でもあります。   そこで、あるときお世話になっている方に、「女性の活躍を支援する仕事をしたいのだけれども、何をしたらいいのかわからない」ということを打ち明けたのです。そうしたら、「じゃあ、あなたはが何が得意なの」と聞き返され、自分のことを思い返してみるといつもルーティーンでFacebookの投稿をあげていたのですが、反応があったり、文章を褒められることが多かったのです。そのことがきっかけで自分は文章で表現するのが得意だったということに気づき、ライターとして活動していきたいと思いました。 20代の女性向けに発信していたメルマガ   フリーライターとして独立   -ライターとして最初からフリーランスでやっていたのですか。   上村氏-いえ、最初は女子大生ライターという肩書きでやっていて、フリーランスと言えるほどの収益も出せていませんでした。しかし、一番はじめに仕事をくれた賢者屋の代表である佐藤さんのおかげで、「ライターを始めました」とFacebookで投稿したところ、いくつか案件をいただき、そこから色々な方が応援してくださりフリーライターとして独立を決意したのです。   -フリーランスで仕事があるっていうのはすごいですね、人脈づくりがここにきて役だっているということなんですね。   上村氏-そういうことになりますね。もちろん、値段や交渉の面でも始めたては相場感がわからないので苦労した面はありますが、案件をこなすうちに慣れてきました。また、女子大生ライターとして名乗っていたので、女子大生に向けた美容などの記事を多く頼まれましたね。   相手(クライアント)の悩みに対して、いかに解答を持っているか   -なるほど、あとライターの案件をこなすだけでなくメルマガも運営されていますよね。   上村氏-はい。実は中学生のころに匿名(ハンドルネーム)で恋愛系のメールマガジンを運営していました。いまはもうそのサービス自体は終了しているのですが、およそ20,000人のメルマガ会員がフォローしてくれていましたね。   -え、中学生からもうライターとしての片鱗を見せているじゃないですか。でもなんでそんなにフォロワー数が増えたのですか。   上村氏-女子がする恋愛に対して、求められている情報はなんだろう?と考えました。そこで、女子同士が共感できる内容を文章として発信していたからだと思います。かなり必死に情報収集をしていました(笑)   このときの経験によって、発信する側は、読む側の方がどういう気持ちでいて、どのような情報が欲しいのかを考えることがいかに大事かを少なからず学んだ気がします。現在では、ライターのみならずフリーランスになりたい人が役立つ情報をメルマガとして発信していますが、当時の原体験がいまにいきていると思います。読者層は20代の女性が多いですね。   こうやって、発信していくことで集客できるという自分の強み、ブランディングになり、最近では自分の強みをライティングに落とし込んでしっかりと伝えられる文章セミナーや、楽天大学でセミナー講師を務めるなど、ライティング以外の案件も増えてきましたね。人生設計女子会というもので女子大生向けに自分たちで開催したり、時にサイバーエージェントさんとコラボで自己PRのために考えることをお伝えしたり。   -なるほど、すごいですね。ずばり集客のコツはなんでしょうか。   上村氏-そうですね。メルマガにしても他のビジネスでもそうだと思うのですが、相手(クライアント)の悩みに対して、いかに解答を持っているかだと思います。私は好きなことを仕事にしているからこそ、メールマガジンで発信する内容にこだわり、ある程度まで共感されるようになったと思います。 女性の活躍を支援する仕事がしたい   -では最後に今後の目標についてお話しいただけますか。   上村氏-はい。そもそも私がフリーランスになり女性の活躍を支援する仕事をしたいと思ったきっかけが母の影響でした。私の母は専業主婦ですが、働きたいという意欲は結構持っていました。なのに家事をしなくてはならないため、自宅で過ごすことが多いわけですね。この状況をみて、もっと働きたいけど働けない女性に対してなにか支援できないかという思いを抱いたわけです。   それがライターだと案件によっては在宅でもできるわけですし、私の場合ですと、在宅でライターの仕事ができるので、自宅で祖母の介護に時間を充てることができます。小さいお子さんの育児をしている女性でも在宅でできる仕事があれば、家計の助けにもなりますし、もっとフリーランスの垣根が低くなるようにしていけたらいいと思っています。   また、「The Freelance」というコミュニティを立ち上げ、フリーランスで活躍している人と、これからフリーランスになりたい人が集うイベントを開催し、つながりを持てるように努めています。今後は仕事とプライベートをうまく両立させ、充実した日々を送れるワークライフバランスに富んだ人を1000人つくることが目標ですね。 編集後記 インタビューを終えて思ったことは、女子大生からどこにも就職せずにいきなりフリーランスになるという見方によってはリスキーに思えることも、いとも簡単にこなしている風に見えました。フリーランスになる前、好奇心で積極的にイベントに出ていたフットワークの軽さと情報や人脈を得ようとする心構えが、フリーランスとしての活動に大きく寄与しているのかもしれません。これから独立やフリーランスになりたい方の参考になれば幸いです。    ...